2018年5月12日更新(2018年5月20日ページ移動)

──2018年5月第2週のニュース──

バックナンバーはこちら

5月12日(土) 1回限りの生鮮食品 ──西村センセイ、放送大学で先生になる──

 今日は土曜日。

 本来ならば新潟の自宅に戻るのですが、今回、センセイはまだ金沢に留まっています。去年(一昨年度)に引き続き、放送大学の面接授業を担当しているのです。夕方撮影したのが写真。
 数名の方が、大学近辺で迎えの車を待っていらっしゃいました。

 「先生」という種類の人間にとって、講義はステージのようなもの。他の方がどうかはわかりませんが、センセイの場合、ああやって、こうやって、と段取りを考えます。
 開始20分前には教室に到着。

 ふだんですらそうなのに、今回は人生の先輩を含めた社会人が対象。身の引き締まり方が違います。全員が揃ったところで講義を開始したのですが、なかなか思うようにはいかない。
 もちろん、こちらの不手際もあるのです。

 でも最大の理由は、受講生の反応。「受け」を狙っているわけではないのです。

 でも、「あぁ、ここは概ね理解してもらえたな」とか、逆に「あそこを飛ばしたので、アレがうまく伝わってないなぁー」などということが、手に取るように伝わってきます。
 そのたびに細かく軌道修正。見方を変えると、段取りグチャグチャ。

 新しい視聴覚教材を導入したこともあって、残念ながら今日は予定していた範囲を終えることができませんでした。その反面、明日お話しするだったはずの内容を先取りしてしまっている部分も。
 講義は、生モノ。

 だから、先生稼業はやめられない。



5月11日(金) 工大前、ゲーム・トレーディングのお店(?)が、仏壇店に変身してしまった...

 今日は見たままのお話。

 写真は昨日のお昼に撮影したもの。木曜日はお昼前に講義があります。学生諸君にとって講義講義終了時刻は、食堂で座席を確保できるかどうかが掛かっています。予定していた部分をちゃんと終えているので、ちょっとだけ早めに終了。
 でもセンセイは後片づけがあるので、食堂での椅子取りゲームには間に合いません。

 残った学生と多少のやりとりをしてから受け取った課題と機器類を整理し、教室を後にします。事務室にマイクを返納し、さて、どうしよう。
 もちろん今日の昼食です。

 幸い、段取りが良かったので、学生の波が大学食堂に押し寄せる前に講義棟の外に出ました。普通だったら、まだ、食堂に入ることはできるのです。少し並ぶことになるでしょうけど。
 でもセンセイは両手に講義用の機器や資料が入った鞄を持っています。

 このまま食堂棟に突入するのは無理。という訳で、「ほっともっと」でお弁当を買うことにしました。ここから近いし、お弁当なら一緒に持ち帰ることができるし。
 学生通用口に近づくとご覧のように、道路の反対側にあるビルで作業中。

 仏壇店の看板が掛けられ、墓石を店内に搬入しているようです。ビル1階のこの場所は以前、学生向けのゲーム・トレーディングのお店だったような...。
 入ったことがないので、正確なことはわかりませんが。

 記憶が定かではありませんが、前のお店は1年くらい前に閉店。その後はずっとテナントが入らなかったのですが、今月上旬には改装工事が始まっていました。ちょっと見ない間に、工事が完了したようです。
 それにしても学生相手の商売から、老人とその後を相手にした商売へ。う〜ん、何だか意味深。

 もちろん、センセイも程なくお世話になることは重々承知していますし、職業や仕事の内容に貴賤(きせん)があるわけではないことも再確認させていただきます。



5月10日(木) 花筏の、その理由 ──冷たい雨の日に、センセイが御所橋の上から見たもの──

 「週の前半は雨がちだけど、後半は晴れて気温も上昇...」。

 天気予報はそう伝えていたはずなのですが、実際にはどんどん悪い方へ。ここ数日はかなり寒く、受講生が「寒い」との感想を寄せるほど。今日は曇りから晴れ、とのことだったのですが、出勤する段になると、雨。
 すぐに止むと思ったのですが、状況はどんどん悪化します。

 諦めて自動車で出発します。登校する小学生は小さな傘を差していますが、自転車の高校生はずぶ濡れ。たぶん自宅を出てから雨に遭遇したのでしょう。
 いつもの駐車場に車を止め、写真奥の出入口に向かうべく、高橋川に架かった御所橋を渡ろうと......あれっ?!

 写真はこちらの、逆の位置から見ています。おわかりになりますでしょうか、大学脇を流れる写真の高橋川が、左右二つに「割れて」います。
 右奥が上流。まるで金沢工大の排水溝から油か何か、水に溶けない何かを違法に放出したかのよう(もちろんそんな事実は絶対にありません)。

 実は以前から、ちょっと気になっていたのです。だから今日、二つの領域を分ける曲線を改めて観察したのですが、ほとんど変動しません。不思議だ。
 一つ思い当たることがあります。

 それは水面に落ちた花弁(はなびら/かべん)が、まとまって一塊りになる、いわゆる「花筏(はないかだ)」。ソメイヨシノの時も、八重桜の際も、花筏は大学側(この写真の左側)だけに偏っていたのです。
 最初は風に流されたのかと思ったのですが、どうやらそうじゃないらしい。

 水面下の地形による水流の違いなのか、それ以外の理由か。海岸部、特に河口付近の淡水と海水、あるいは汽水(きすい)と海水が出会う場所ではしばしば、同じように海が「割れる」現象が見られます。
 本質的に同じことが起きているのか、たまたま現象が似ているだけなのか。

 どうなのでしょう。



5月9日(水) ツツジの咲き分け、毎年同じように起こるわけではないのかもしれない...

 今日は水曜日。

 センセイにとって、会議と講義が連続する1週間で最も厳しい日です。だから昨晩は早めに就寝したのですが、3時過ぎには目覚めてしまいました。このままでは身体が持たないので、とにかく休みます。
 守衛さんが正面玄関へ移動する時刻にご出勤。もちろん一番乗り。

 まず講義の準備を完了させます。

 特に今日は、午後4限の特別クラス用に、センセイならではの教材を用意しています。彼ら彼女らのため、一人ひとりの顔を頭に描きながら全く新規に制作した教材セットです。
 使用するビデオ教材は昨晩、アパートの特殊な機器を駆使して制作しました。

 続いて、気を使う会議。かなり消耗しましたがが、とにかく終わったので食堂へ向かいます。午後の二つの講義は気力と体力を使うので、エネルギーを補給する必要があるのです。
 校舎を出たばかりの所に咲いていたのが、写真のツツジ。

 木そのものは1本なのですが、ご覧のように同一の木にピンクと白という二色の花。「咲き分け」と呼ばれる現象です。ツツジでは良く見られますが、これほどはっきりしたものは珍しいと思います。
 気になって以前、一輪だけ別な色を咲かせた別な木を確認すると......ない。少なくとも今年は。

 咲き分けは、安定して発生するものではないのかもしれません。それはともかく、ツツジに助けられて(?)午後の連続する講義を乗り切りました。
 で、4限の特別クラス。

 センセイが英語のテストを実施するという、前代未聞の構成だったのですが、ごく一部の方を除いて、高く評価していただくことができました。

 う〜ん、この教材、結構使えるかも。



5月8日(火) 歴史は夜つくられる。金沢工大の学生は夜、育てられる?!

 長い話題が続いたので、今日は見たままのお話を手短に。

 連休が開けた昨日、センセイらの部署ではほぼ全員が参加して研修会が開かれました。大学や部署が抱える課題や今後の展望をみんなで共有しようというものです。学長、副学長以下のお偉いさんも出席。
 といっても途中からアルコールが提供され、和やかな雰囲気で会は進みます。懇親会と新採用教員の歓迎会も兼ねているのです。

 つまり研修会が開かれるのは夜。8時過ぎに会は終了し、センセイら、大半のメンバーは会場の施設が用意したバスで大学へ戻りました。ここからは徒歩で帰宅します。
 最短経路を選択すると、まず食堂を抜ける必要があります。あれっ?!

 時刻は夜の8時半。この時間帯になると、ICチップが内蔵された身分証明書でセキュリティチェックを受けて建物に入るする必要があります。
 つまり、誰でもが自由に入館できるわけではありません。

 だから食堂にはほとんど誰もいないだろうと思ったのですが、これが甘かった。かなりの人数の学生が4、5人の塊を作っています。夕食ではなく、グループで勉強中。実際には宿題を片づけているのでしょうけど。
 う〜ん、さすがだ。

 感心しながら食堂棟を通り抜け、裏口から夢考房41の前へ。(再び)あ"っ...。

 建物には煌々(こうこう)と明かりが灯り、沢山の学生が活動しています。課外活動に取り組んでいるのです。学生の脇で、技師さんが何かを教えています。
 夜の8時半ですよ。

 センセイはふだん、問題を抱えたり困ったりしている学生の相手をしています。だからついつい、そのような視点で大学全体を考えがち。でも同時に、彼ら彼女らのように今しかない時間を謳歌(おうか)している学生もたくさんいます。
 どちらも、人間の真実です。



5月7日(月) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(6) ──会津・戊辰戦争編──

 会津ツアーも最終回。連休を跨ぐとは思ってもみませんでした。

 先々週金曜日、センセイは4時間少々かかって只見線を乗り終え、終点の会津若松へ。何回も来たことがある駅ですが、いつもと様子が違います。改札脇には、赤いカーペットの上に写真の金屏風が置かれて、乗客を出迎ていました。
 そこには「戊辰戦争と戦後を生きた、誇るべき先人たち」。

 ここで初めて気づいたのですが、今年2018年は、1868年(慶応4年/明治元年)に戊辰(ぼしん)戦争が始まってから150年なのです。
 会津若松市では実行委員会を組織して、「会津若松市戊申50周年記念事業 『義』の想い つなげ未来へ―。戊辰150周年」という記念事業を展開しています。

 写真中央には会津藩9代藩主であり、戊申戦争の一方の当事者であるの松平容保(かたもり)。左端は東大総長他を務めた山川健次郎。
 詳しくはサイトをご覧いただきたいのですが、錚々
(そうそう)たる顔ぶれです。

 多くの方は「戊辰戦争」よりも「明治維新」という言葉の方がしっくり来るのではないでしょうか。そして、諸外国に開国を迫られていたにもかかわらず適切に対応できなかった江戸幕府に代わり、維新が日本を救ったのだと。
 センセイは歴史家の端くれですが、専門は西洋古代から中世の天文学史。でも歴史をちゃんと勉強し始めてから気づいたことがたくさんあります。世の中の「常識」は残念ながら、必ずしも真実ではない。

 知的な眼(まなこ)が曇っていたり、誰かから「真実のようなもの」を繰り返し強制されると、やがてそれが真実のように感じられたりします。
 その両方が重なっている時代はまさに、悲劇。

 母親は日本史にやたら詳しい──これも一種の遺伝か──のですが、センセイはむしろ疎(うと)い。それでもNHKの歴史大河ドラマはもちろん、高校の教科書すら訝(いぶか)しく感じていました。
 そんな時読んだのが、ベストセラーとなっている『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕』。

 著者は歴史の専門家ではありません。だから詰めの甘さを感じる部分もありますが、問題認識とそれに基づく調査、そしてその解釈は概ね妥当。「勝てば官軍」の歴史を、光が当てられなかった──「意図的に切り捨てられた」というべきか──側から取り上げています。
 そもそもこの感覚はここ会津若松に来るたび、密かに感じていたのです。

 最初に訪れたのは小学校6年の時の修学旅行ですから、さすがにそれは無理。ただしそれでも白虎隊の悲劇が何故起きたのか、疑問に思っていました。辛苦をなめさせられた会津の人にとって、戊辰戦争は昨日の話。しかも義は彼ら彼女らの側に。だからどこにも「維新」の文字はありません。
 我々は、維新の幻想に縛られ続けてきたのです。

 戊辰戦争の一つに、センセイが住む柏崎市内での鯨波戦争がありました。新政府軍が勝利したのですが、敗走する旧幕府勢力は、センセイの実家前を通過──これは確実──して、おそらく近くの寺院に集結してから、峠を越えて隣の長岡へ移動しました。
 その長岡では、長岡城攻防戦(「北越戦争」)があり、佐幕派は旧栃尾市(現長岡市)を経由し、県境の険しい峠を越えて会津へ逃げます。

 旧栃尾市内に入ったばかりの場所で激しい戦闘があったのですが、官軍と旧幕府勢力では戦死者の弔い方にも大きな差がありました。
 後者は長年放置されたのです。

 この件は同所出身の母親から聞いたのですが、戦闘があったのは彼女が生まれる70年くらい前のこと。それをあたかも目の前で起きたかのように語ります。
 それだけ地域の人間にとっては鮮烈なことだったのです。

 北越戦争の直前、長岡への侵攻の中止を求めて長岡藩家老の河井継之助(つぎのすけ)は小千谷の慈眼(じげん)寺で新政府軍代表と会談します。
 嘆願は一蹴され、戦争に突入します。

 つい先日、その「小千谷(おぢや)談判」が劇の形で再現され、双方の子孫も参加しました。報道によると和やかな雰囲気のもとで行われたようです。
 でも冷静に考えると、新潟の人は150年前の出来事を忘れてしまった、と考えることも可能です。

 戊辰戦争の何たるかを正当に評価できないことで、その後の日本は無謀な戦争へ突入していきます。こちらは戦争ではないものの、現在の政治状況もその必然的な帰結と言えます。
 写真は福島県側の只見線車内から撮影した桜。

 落人(おちゅうど)は会津に向けてこの道を歩きました。

 その時の状況を想像できるだけの知力の有無が、この国の今後を決めることになります。



5月6日(日) 二重に、無理... ──ドライブレコーダーは、見た──

 今日は予定を変更してお届けします。

 ゴールデンウィークも今日で終了。皆さんはどのように過ごされたのでしょうか。特に学部3年生には、「来年は就職活動が入るので、まとまった連休は今年が最後だよ」とお伝えしておきました。
 どうだったのか、明日の講義で尋ねてみたいところです。

 というわけで、センセイも今日、金沢へ車で移動しました。いつもなら朝のうちに出発するのですがお昼前に、連休を実家(=センセイにとっては自宅)で過ごした娘を駅に送り届けなければなりません。
 予定通りの時刻に彼女と荷物を駅前で降ろし、国道8号線へ向かいます。

 国道は、信越本線を挟んで駅舎と反対側にあります。人や自転車なら地下連絡通路を利用できるのですが、自動車は東西どちらかの跨線橋を越える必要が。センセイは西を目指しているので、そちらの跨線橋へ向かって、駅前の細い道路を走り始めました。
 その行き止まり、写真のT字路で右折する必要があります。

 前を走る黒いワンボックスカーが、きちんと停止しないまま右折して過ぎ去ってしまいました。「ちょっと乱暴だなぁー」と感じたことを覚えています。
 続いてセンセイの番。

 センセイは一時停止を必ず守ります。ただし誰でも知っているように、自動車の先端が停止線の手前に来るように停めると、左右の安全確認ができません。
 だから停止線を少し越えてから一時停止し、右側を見ると...あ"。

 写真はその直前の映像。

 ドライブレコーダーの記録を一部抜き出しました。おわかりになりますでしょうか......。わからない方は、こちらへ。(別ウィンドウ:タイミングが異なります)
 制服姿の中年男性警察官が一人、建物の影に立っていたのです。

 画に描いたようなとぼけた顔で、視線を合わせようとしません。一時停止かシートベルトを見張っていたのでしょう。でも、問題がいくつか。
 前述したように、バスのようにボンネットがない車でない限り、停止線の前で停車すると左右の確認が不十分です。

 だから丁寧に走行する時は、停止線の手前とその先で一時停止します。でもこのような状況なら、センセイを含めて誰もそのようなことはしません。言い換えると、形式的には誰でも違反行為になってしまう。
 そして、もう一つ問題が。

 もし、一時停止を無視して右左折したらどうなるでしょう。

 違反行為の視認や車両ナンバーの記録できても、それだけです。これでは公判(≒裁判)を維持できません。本格的に取り締まるのなら、その先に警察官や、場合によっては警察車両を用意しておき、違反車両を停止させ、運転手の確認と同意を得る必要があるのです。
 走行しながら周囲を確認した──金沢に到着してから映像も──のですが、警察官は彼一人でした。

 二重の意味で、無理。

 ......そもそも、前を走っていた車は違反状態だったにもかかわらず、お咎めなしだったし。

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る