2018年6月30日更新(2018年7月8日ページ移動)

──2018年6月第5週のニュース──

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6月30日(土) 西村センセイ、1日に2回「出勤」する。しかも同じホテルに!? ──大きな国際会議が開かれています──

 いつもより遅めに起床した西村センセイ、身支度を整えると路線バスの乗り場へ向かいます。これでもお仕事。

 来日中のイギリスからのお客様と打合せをするためです。本来ならば大学でするべきことなのですが、後述する国際会議で大学の公用車両を確保することができず、こちらが関係者の宿泊するホテルに出掛けることになったのです。
 無事に金沢駅到着。

 駅前、特にバス乗車口は観光客で溢れかえっています。日本人より外国人の方が多い。アナウンスは日本語だけなので、本当に通じているのか、心配になってきます。それはともかく、駅脇のホテルへ。
 所定の時刻に全員が集合。

 店内のレストランで打合せをしようとしたところ、お昼の予約で埋まっているので、それまでならOKとのこと。たぶん外国人のお客さんがメイン。お昼までに終了することにして打合せに入ります。今日は通訳の人がいないので、全編ほぼ英語。
 実は、一昨日もそうだったのですが。

 予定していた内容を打ち合わせて、皆と別れます。センセイはひとまず大学へ。お昼から夕方まで、誰もいない校舎内でお仕事。夕方、アパートに立ち寄ってから、再び路線バスに乗り込みます。
 目指すは今朝訪れたばかりのホテル。

 実は昨日から金沢工大を会場に第14回「CDIO」国際会議が開かれており、立場上、そのディナーに参加しなくてはならないのです。余裕を見て到着したはずが、受付に残っていた名札は1枚だけ。
 ビリ、というわけです。

 参加者の顔ぶれを見ていると、日本人はごく僅か(関係者を除く)。地域や人種の方よりはあまり感じられず、白人もいれば黒人、あるいはアジア系も。イスラム教徒もいれば、一目でユダヤ教徒でわかる参加者も。
 もちろん見ただけではわからない要素も多いはず。これぞまさに昨日、皆で議論したダイバーシティーそのもの。

 それはともかく、所定時刻にディナー──というより宴会か──開始。写真は実行委員長の鹿田副学長が挨拶しているところです。そのまま宴会に突入。
 日本人にとっては異文化で、外国人にとってはやや異質感のあるパーティー。

 センセイは同僚の近くに座ったのですが、彼は「こんな国際会議は初めてなんです」とのこと。

 反対側に座ったデンマークからのお客様には、こちらから話しかけます。西村センセイ、酔っぱらうと英語あるいはフランス語でペラペラ喋り始めるという変な癖があります。でも、ICUで教育を受けたセンセイとしては、こちらの方が肌に合う。

 内容的には前半と後半はほぼ同じなので、ほぼ「同語反復(トートロジー)」なのですが。



6月29日(金) 関東甲信地方が梅雨明けしました ──西村センセイ、名古屋大学で開かれた研究会に参加する──

 報道によると、関東甲信越地方が梅雨明けしたとのこと。6月中に明けたのは初めてだとか。

 ただしセンセイはというと、ところどころ激しい雨が降る中を、電車で移動していました。日帰りで名古屋大学で開かれた研究会に参加していたのです。講師は、つい先日お目にかかったばかりの山田礼子先生(同志社大学)。
 テーマは「大学のダイバーシティー・マネジメント」。

 山田先生でこのテーマなら、もう行くしかない。イギリスからのお客様については、今日は他のメンバーに任せて、センセイは金沢と名古屋を結ぶ特急「しらさぎ」に乗車。
 車両はかつて、北陸と関東圏を北越急行線経由で結んでいた特急「はくたか」用681系です。

 途中、米原駅から新幹線に乗り換えても良いのですが、センセイのことですから、そのまま名古屋まで乗車。やっぱり、在来線の方が良いなぁ。
 もちろんちゃんと働きます。

 講演はこのごろセンセイが考えている内容そのもの――夏には本になって出版されます――だったので、大変勉強になりました。最後は三つのグループに分かれてグループ討議。
 山田先生もグループに加わってくださりました。

 ここには絶対書けない内容のお話をして...。いやぁ、大変参考になりました。

 もちろん折り畳み傘を持参したのですが、幸いにも戸外にいる時、雨に遭遇することはありませんでした。でも往路復路ともに、琵琶湖付近は強い雨。特に帰りは猛烈な雨で、外が良く見えないほどでした。

 だから関東地方の梅雨明け宣言は、どこか遠い話なのです。



6月28日(木) 西村センセイ、(珍しく?)働く ──イギリスからお客様をお招きして、研究会を開きました──

 もちろん、センセイは毎日働いているのです。

 でも、ふだんセンセイがやっている内容を振り返ると、授業や面談を行う先生だったり、モニョモニョと打合せをしたりハンコを押す行政職の仕事だったり。
 週末にはこれに、家長としての仕事が加わります。

 センセイは大学の先生。研究者としての仕事はどうなったんだぁ......。もちろん学会や研究会に参加して発表したり、情報収集をしたり。
 いろいろ考えさせられることも多いけど、鉄分補給という側面も完全には否定できない。

 ただし今週は違います。大学および高専が明日から国際会議を開くのですが、それに合わせてセンセイらも、文部科学省に採択された事業の一環として、イギリスから3名のお客様をお招きしているのです。
 昨晩は大澤学長も参加して、到着したばかりのメンバーとで夕食兼打合せ。

 写真は今日のお昼から開かれた研究会の様子です。

 先方の、STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)教育に関する報告に続いて、皆で意見を交換しました。
 センセイって、学者だったんだぁ......。



6月27日(水) 初めて知りました。完成間近の国際交流施設の玄関は、金沢駅「鼓門」のような格好をしています

 今日は見たままのお話を手短に。

 後日ご紹介することになると思いますが、今週後半は大学および高専にとっても、センセイらにとっても非常に忙しい日々となるはずです。
 例によってセンセイは早朝にご出勤。

 今日は雨が降るとの予報だった──結果的には、ポツポツ当たる程度──のです、車でアパートを発ちました。ここまではそれほど珍しくない。
 以前ご報告したように、駐車場近くで建設中の国際交流施設が完成に近づいています。

 で、冒頭でお伝えした行事の関係で、いつもとは少しだけ違う経路を辿ります。具体的には、初めて施設の正面側を通ったのです。やはり、綺麗な建物だなぁというのが、最初の印象。
 次に気づいたのは、こちら側(西側)には窓が少ない。高橋川に面した東側とは対照的......あれ?!

 写真中央にある玄関を通り過ぎた時に目に入ったのが、養生シートで覆われた3本の柱。

 床に当たる部分の工事はまだ終わっていないのですが、柱のシートには完成品であるため、注意せよとの張り紙が貼られています。相当外観にこだわったもののようです。
 そのまま通り過ぎようとした時に気づいたことが。

 建物から張り出た玄関屋根の下部、つまり天井に当たる部分がかなり膨らんでいるのです。金沢駅東側の「鼓(つづみ)門」を思い出させます。

 ......もしかすると、基本設計は同じ人物だったりして。



6月26日(火) これぞ、当事者から見た金沢カレーの歴史 ──「チャンカレ」本店は一部改装のため、臨時休業中──

 今日は午後イチに講義があります。

 このところ出張が続き、しかも想定外の地震に遭遇したこともあって、センセイは相当お疲れのご様子。加えて今週は、センセイが関係する大きなイベントが複数予定されています。ここはパワーをつけるしかない。
 晴れていたこともあり、久しぶりに「ほっかほっか亭」へ向かったのですが......あれっ?!

 「ほっかほっか亭」の手前に「チャンカレ」の愛称で知られる「チャンピオンカレー」野々市本店があるのですが、何か様子が違う。駐車場に車はあるのです。
 でもお店はシンボルカラーでもある黄色のカーテンを降ろしたまま。

 時刻は11時を過ぎていますから、本来ならば営業時間。ここでやっと、正面ドアの張り紙に気づきました。そこには「店内一部改装の為、臨時休業」。概ね今週だけ休業し、土曜日から平常営業するとのこと。
 帰宅してから調べてみるとお店のホームページ、「ニュース」の欄にその旨が報告されています。なるほどね。でも、センセイの心を掴んだのは「金沢カレーの歴史」。

 センセイが直接経験している範囲内でも、名古屋秋葉原(現在は近くの別な場所に移転)そして浅草橋という具合に、「金沢カレー」の看板を見かける機会が増えています。
 でも「金沢カレー」という表現、実はセンセイが金沢工大に移籍して以降の、比較的最近の呼称なのです。

 それ以前の歴史については諸説あり、「タナカ」とか「ターバン」といった言葉が飛び交う状況。こちらは本家で、あちらは元祖。でも今まで伝えられていたのは概ね、当事者以外の主張。
 今回の「金沢カレーの歴史」は確実に、それらと一線を画します。

 何より、当事者(および子孫・後継者)の視点から金沢カレーの歴史が伝えられているのです。今までの歴史観が一変するほどの内容。もちろん、最後はご自身の目(と舌?)で、その内容を確認してください。

 と、言いながら、西村センセイ、久しくチャンカレに入っていない...。



6月25日(月) こちらも時々褒めてあげないと... ──大阪から博多へ移動する時は、九州新幹線「みずほ」が便利──

 3日続けての鉄道ネタとなりますが、悪しからず。

 ただし今日の話題は珍しく新幹線。皆様良くご存じのようにセンセイは新幹線よりも在来線を好みます。ただし目的地が遠方の場合、今回の千葉出張のように、(ちょっと頑張れば)在来線も選択可能というケースは、もう少ない。
 そのような時はもちろん新幹線を利用します。

 1週間前の博多出張も、乗換駅の新大阪から先はこのパターン。個人的な旅行はともかく、宮仕え──知らない人は調べてね──の人間に、選択の余地はない。
 で、今回、往路は「のぞみ」を利用。

 選択肢は他にもあったのですが、接続時間が短いので「のぞみ」にしました。ただし金沢からの特急「サンダーバード」が東海道本線遅延の影響を受けて、5分遅れで新大阪到着。
 乗換時間が短いので、新幹線ホームまで走り、やっとで間に合うというオマケ付きでした。

 帰りは時間的な余裕があるので、以前乗車したことがある九州新幹線を選びました。博多以南に出掛けたのではなく、山陽新幹線に乗り入れている「みずほ」に乗ったのです。写真はその車内。
 車両は山陽新幹線と同系列のN700系なのですが、ご覧のように指定席は4列。

 センセイにはやや不似合いなシートですが、肘掛けに電源コンセントが用意されているなど、実用面でも便利。JR西日本の一部新幹線も4列ですが、やはり余裕があります。
 ちなみに、「みずほ」の自由席は2+3列のごく普通のもの。 

 そもそもは、大阪以西における航空機との競合対策のようです。だから停車駅は「のぞみ」と同程度。

 東海道区間について選択の余地はありませんが、個人的には、山陽・九州新幹線については「みずほ」がお勧めです。



6月24日(日) 上越国境は、いつ通っても美しいと思う ──新幹線を使わずに、千葉から新潟の自宅へ戻りました(2)──

 高崎駅に到着したセンセイ、向かったのはホテルではなく、スーパー。

 腹が減っては(+喉が渇いては)戦はできないので、駅前のスーパーで食料とビールを仕入れることにします。不思議だったのがフード・コート。主に高校生、そしてそれに社会人が混じって教科書を開き、勉強をしているのです。
 時刻は8時を過ぎたところ。

 勉強熱心であることには感心させられますが、施設の本来の目的とはちょっと違う。お店は容認しているようですから、まぁ、いいのですが。

 ホテルに入り、このページを更新してから、翌日、特に早朝の行動を再検討します。センセイは上越国境を越える始発列車に乗ります。電車は水上駅始発。高崎をゆっくり出発しても間に合うのです。でも翌日は土曜日。もしかすると、混むかもしれない。
 関東圏は人間が多いので、ちょっとしたことで人の流れが変わるのです。

 そこで早起きして、水上までの始発列車に乗りました。早めに駅へ行ったのですが、電車は既に到着済。かつて首都圏で使われていた211系です。全席(ごく一部を除く)ロングシート。眺めが良くないのが残念です。せっかくの上越線なのに。
 僅かな客を乗せて、電車は定刻に高崎駅を出発。高崎近辺は市街地なので特に強い印象を受けることはありません。でも、渋川を過ぎる利根川沿いの左岸を走るあたりから様相は一変します。

 ちなみに当地は17日(日)午後、渋川市で震度5弱を記録する大きな地震に襲われました。注意して観察したつもりですが、目立った被害を確認することはできませんでした。

 沿線の光景はそれほど変わっていません。眼下に広がる苺農家の農園も、「オカイコサマ(お蚕様)」のための独特の民家構造もそのまま。ただし後者は、広い庭の一部にコンクリート製の住宅が建設されていました。
 もちろん若夫婦のためのものでしょう。

 上越線は徐々に、山岳鉄道の気配を濃くします。昔から気になっていたのですが、山々の色は地域によって違います。群馬、つまり上州は青色。木々草木の緑よりも青色が印象的。そして山々の形は尖っている。
 山と利根川に挟まれた本当に狭い場所を、時々上り線と下り線が分かれながら走ります。

 終点の水上が近づいてきました。対岸には水上温泉のホテル群が見えます。しかし残念ながら、その中には廃墟が目立ちます。降り立った水上駅前も同様で、かつての繁栄ぶりを想像するのが難しい。
 現在、首都圏と水上を結ぶ定期特急列車は運行されていません。

 お客が減るから列車が廃止され、列車がないからお客が来ない。地方が現在置かれている状況そのものです。1時間弱待っていると、本来乗るつもりだった高崎からの上越線普通列車が到着。
 全体としては大したことないのです。

 でも乗り換え階段付近は大混雑。やはり一つ早い列車にして正解でした。乗り込んできたのはこの週末を利用して合宿に入るらしい学生諸君と登山の格好をした中年──老年がより適切かも──男女の一群。
 同族、つまり鉄道ファンはごく僅かです。まだそのシーズンじゃないんですね。

 多様な乗客を乗せて、2両編成のE129系電車は出発します。ここからが今日のハイライト...ですが列車はすぐに国境のトンネルに突入。湯桧曽(ゆびそ)と土合(どあい)駅で、まず登山客が、続いて学生が下車します。
 長いトンネルを抜けると新潟県側の最初の駅である土樽
(つちたる)

 トンネル内は気温が一定なので、通過中に車体は冷やされており、トンネルを抜けた瞬間に窓ガラスが曇ります。外は暖かく、湿っている。

 意外だったのが、中里、そして岩原(いわっぱら)スキー場前と、それなりにお客さんが乗り込んでくること。格好を見るとどうやら、次の越後湯沢で新幹線に乗り換えるようです。
 結果的に、ですが、センセイもご同様。

 当初の予定を変更して、湯沢から北越急行線経由でひとまず直江津に出て、そこから特急で自宅へ向かいます。

 本来はこのまま列車に乗車するつもりだったのですが、先日受診した健康診断の結果に一部問題があり、できるだけ早く自宅に戻って同級生の医師の判断を仰ごうと考えたのです。
 言い忘れましたがセンセイは今回、JR東日本および北越急行他のフリー切符を持っており、経路を自由に選択できるのです。

 越後湯沢駅からは「超快速スノーラビット」に乗車。最初の写真は直江津駅で運転士が交替し、北越急行(奥)がえちごトキめき鉄道に運転を引き継いでいるところ。列車はこのままトキ鉄の新井駅まで運転を続けます。
 隣のホームには、JR東日本の「越のshu*kura」が入線してきました。

 センセイはというと駅前、線路脇の立ち食い蕎麦屋でうどんを頂きます。以前の好印象がそうさせたのですが、久しぶりに入ってみると、う〜ん、過去を美化しすぎかも。
 駅に戻り、特急に乗車します。

 自由席は6割ほど埋まっています。センセイは指定券を確保しているので、指定席車両へ。こちらは逆に4割程度の乗車率でした。で、自宅へ戻り、着替えてから同級生が経営する医院へ向かいます。
 結果は、というと、「しばらく様子を見ましょう」。

 データをしっかりしつつ、という宿題を含めてです。う〜ん、鉄分を補給することは得意でも、それ以外がうまく行かないのなら、極端な話、物理的な存在すら怪しい。

 偉そうなことを言っていても、ここはやはり日々の行動を反省し、かつ、それを実践する必要があるようです。

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