2005年9月17日更新(2005年9月26日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■9月17日(土) 快挙!! 318iで省エネ走行新記録19.3km/lを達成しました!!
先日、318iに乗って新潟市内まで往復したのですが、ふと思いついて、帰路は海岸沿いの道路を利用することにしました。
センセイが住む柏崎市と県都新潟市を結ぶ道路は、主に、高速道路、幹線国道が2本、この海岸沿いの道路の、計4本です。いつもは国道116号線(+農道)を使っています。
今回利用した道はかつて、県営の観光有料道路として開設したものですが、採算がとれなかったため、現在は普通の国道に転用されています。
この道、信号機は少ないのですが曲がりくねっていて、高低差も大きく、割と細いのでスピードは出せません。観光道路として造られただけあって、日本海や佐渡などの景色は抜群ですし、途中に「魚のアメ横」として有名な寺泊魚市場など観光スポットがあるので、新潟市民は県外からのお客の接待によく使います。
で、この道を、平均速度50〜60km/sくらいで走りました。
途中で気がついたのですが、燃費計(写真最下部のデジタル表示)の数字がどんどん伸びて、ついにはご覧のように19.3km/l(!!)という、とんでもない数字──信じられます?──になってしまいました!!
もはや軽自動車並みです。
柏崎市街地に入るとストップ・アンド・ゴーを繰り返すので、数値は最終的に18.8km/lにまで落ちましたが、それでも驚異的な数字です。
下り坂で燃費計をリセットすると、55km/lなどという無意味な数値が出ますが、上の二つは70kmくらいちゃんと走った結果ですから、ホントにたいしたものです。(以上、エアコンは常時「入」)やはり車両に重量があるので市街地走行の燃費は悪いですが、急加速・急減速を避けて常識的な速度で運転する限り、318iのバルブトロニックエンジンの燃費は凄いと思います。
ちなみに、センセイの318iで高速道路を100km/hで巡航すると15.5km/lくらい、郊外のバイパス(信号あり)を他の車にあわせて走っていると16.5km/lくらいです。(こちらもご参考)
速度を上げるとやはり空気抵抗が増加して燃費が落ちますが、専門家によると「ドイツ車は国産車と違って、120km/h以上でも燃費が落ちない」のだそうです。
ホントかなぁーと思うのですが、センセイの場合、動体視力がついていかないのでそんなスピードは出せず、この話の真偽の確かめようはありません。
「センセイの318i、アタリだったな」と思いながら、ガソリンスタンドに入り、「窓拭きますか?」と訊ねられたので、反射的に「ハイ」と答え、アルバイトの女性がワイパーを持ち上げた途端、ポトリ......。
あ"......。ワイパーが落ちてしまいました。樹脂製の部品が破損してしまったのです。(もちろん実話)
先日の冷却液配管損傷(こちらとこちら)にしろ、このワイパー破損にせよ、「何で?!」という場面での故障が続きます。Mac同様、これで嫌いになるということはないのですが。
■9月16日(金) お医者さんの見立て違い? ──年寄りはお医者が大好き──
センセイは皮膚があまり丈夫ではないらしく、定期的に皮膚科へ通院する必要があります。
一つは慢性でかつ難治性の尋常性乾癬(かんせん)という病気です。「尋常性」というのはこの場合、「普通の」という意味です。
これは一部の皮膚の細胞分裂速度が通常の数倍〜10倍(!!)にもなり、悪化すると赤くなったり、鱗屑(りんせつ)というフケのようなものが出たりします。炎症を併発すると激しいかゆみを伴います。
悪化しなければ特に問題はありません。他人に伝染することは絶対にありませんので、念のため。原因には諸説がありますが、現在のところ確定はしていません。西洋人(白人)に多く、日本人には少なかったのですが、食事の西洋化のせいか、最近は日本人にも増えているそうです。
西村センセイはこの病気と25年くらいつきあっています。この病気の治療薬としては大きく(A)ステロイド剤と(B)活性型ビタミン剤(いずれも外用)があり、普通、お医者さんは(B)をまず勧めます。
センセイは自宅のある柏崎でX医院に、金沢でY医院にかかっています。
で、金沢に引っ越してY医院に通院し始めると、当然のように(B)を処方されました。効き目が穏やかで副作用も少ない新薬だからです。
でもセンセイの場合、この(B)薬はあまり効かず、どんどん悪化してしまうので、結局、自宅に戻った時を利用して柏崎のX医院で(A)の薬をもらっています。じゃぁ、金沢のY医院は藪(やぶ)医者かというと、決してそんなことはありません。
センセイはもう一つ、手の爪一部に病気を持っていて、こちらも25年くらいのおつきあい。で、柏崎のX医院で外用薬をもらったのですが全然効かず、そのままになっていました。
最近、たまたま金沢のY医院で診てもらったところ、真菌(要するにカビ)が入り込んだのではないかとのお見立て。そこで外用薬を処方してもらうと、見事に治ってしまいました(皮膚病なので、完治までにもうちょっと時間がかかる)。
結局、誤診というより、ひとりひとりで病気のタイプ──菌の種類や、究極的には遺伝子のタイプまで──が少しずつ異なり、薬の効果も違ってくるからのようです。
最終的な目標はオーダーメード治療というわけですね。というわけで、内科はたいてい友達の所だけど、強い薬を処方してもらいたい時は別な医院......という具合に、病院を使い分けているのでした。
本当は好ましくないんでしょうけど。
■9月15日(木) 早く歳をとりたいなぁー?! ──JR東日本の「大人の休日ミドルカード」──
二日続けてのJRネタで申し訳ないのですが、JR東日本が「大人の休日倶楽部ミドルカード」というカードサービスを始めました。〔(c)JR東日本〕
これまでもJRには、高齢者の利用を増やすために、男性満65歳以上、女性満60歳以上が入会できる「ジパング倶楽部」や、同じ年齢制限でJR東日本独自のカード機能のついた「大人の休日倶楽部ジパング」などがありました。
いずれも20%〜30%もの大幅割引です(ただしいくつかの条件あり)。西村センセイ、いいなぁーと思っていたのですが、65歳になるまでまだ20年近くあります。
けれど、この大人の休日ミドルカードだと50歳から入会できます。
センセイの場合、あと2年3ヶ月!!年齢制限が低い分、割引は5%にとどまります(いくつかの条件あり)。
でも西村センセイの場合、JR東日本と西日本に毎月5万円〜12万円位払っているので、年会費2,500円を払っても十分元は取れます。
いつもは身体の衰えばっかり気になって「歳はとりたくないなぁー」と思っているくせに、今回だけは「早く誕生日が来ないかなー」。
ずっと忘れていた、「(お年玉が貰えるから)早く新年にならないかなぁー」という、子供のころのあの感覚に似ています。
センセイがいつも使う特急電車で、信じられない事件が起きました。
新聞報道〔(c)読売新聞社〕によると、先週の土曜日、金沢発新潟行きの特急「北越9号」が金沢駅を出発した際、乗り遅れた乗客が車両と車両の間に飛び乗り、車両につかまったまま15kmも走ったというのです!!
アニメや映画ならあるかもしれませんが、現実の電車では振り落とされて当然の状況です。
電車、特に両端部はかなり激しく揺れるのです。下の写真が、その特急「北越」(同型)の4号車と5号車の連結部分です。(北越は数編成運行されているので、この車両かどうかはわかりません。)
大学院生は中央やや左のドアから乗ろうとして、取り残されたようです。写真ではちょっとわかりにくいですが、連結部分には、点検などで屋根に登るための手すりがついています。
ここにつかまっていたために振り落とされなかったようですが、この手すりはごく簡単なもので、ちゃんと立ったりするようにはできていないのです。写真は同じような時刻に駅で撮影したものですが、背後はもう真っ暗です。しかも120km/hで走りますから、風も音も凄かったはず。
要するに、身を守ってくれるものは何一つありません。
仮に次の停車駅石動(いするぎ)までつかまっていたとしましょう。
列車が停止して、車両から飛び降りても、石動駅のホームは金沢駅の反対側なので、列車に乗るには連結部の下を通るしかありません。
もちろんそのようにはできていないので、あたふたしているうちに列車はすぐに出発してしまいます(車掌はホームしか見ていませんから)。学生を車両の下に残したまま......。
どう考えても、命を取りとめたのは僥倖(ぎょうこう)と言うしかありません。
こんな事件、もう二度と......と思ったら、何と昨晩、大阪で泥酔した女性が52km(少なくとも5km)も連結部にいたままだったとのこと!! 〔(c)共同通信〕
こちらは泥酔していたようですが、命があるのは奇跡としか言いようがありません。
さて、大学院生も女性も困ったちゃんではありますが、今回、直接の責任のかなりの部分は車掌にあります。
北越の場合、車掌は最後尾か、右上の写真のドアのすぐ左の小さな窓の所にいました(たぶん最後尾)。
自分の手でドアを閉め、ドアが閉まったことを示すランプを確認(実際には消灯)した後、人影が電車に入ってくるのを見逃したわけです。車掌の動作を見ていると、普通は相当厳重に確認していますが、今回はそうではなかったわけです。北越は6両編成なので、金沢駅では死角はなく、言い訳はできません。
もちろんその背景にはいろんなことが考えられるのですが、今回、車掌が責任を問われるのは止むを得ないと思います。
■9月13日(火) 西村センセイ、結局、全部のメガネを持ち歩く
センセイは軽い近視なのですが、若い頃は目の筋肉がちゃんと調整してくれたので全然問題ありませんでした。
けれど30歳代の後半から筋力が少しずつ落ちてきたらしく、夕暮れに車を運転する時など、瞳孔が開く場面──カメラの被写界深度と同じ理屈──では、なかなかピントが合わなくなってきていました。
40歳代半ばになると筋力がさらに落ちたようで、今度は手元が良く見えなくなってしまいました。......悲しい。
このような事情で、すでにお伝えしたように、しかたなく近視矯正用のメガネ、老眼鏡、そして遠近両用を作りました。
先日購入した遠近両用メガネ。
基本的には順調で、特に学会発表などの薄暗い場所でスライドを見ながら、手元でメモ書きする場面などでは必需品です。
これなしではスライドも手元もはっきり見ることができません。でも遠近両用メガネが、すべての要求に応えられるかというと、なかなかそうもいきません。
遠近両用は、遠くを見る時はメガネの上部を使って上目使いで、手元を見る時は(対象までの距離にもよるのですが)レンズの下部を使って見ます。センセイが買ったレンズは相当良いもの――お値段もそれなり――なのですが、その名の通りに、やはり遠近を切り替える必要がある場面で使うようにできています。
さて西村センセイ、鞄の中にはいつも遠近両用メガネを入れています。
そして実は、近視用のメガネも入れています。車を運転する可能性があるからです。遠近両用より軽いので、運転にはこちらの方が楽なのです。老眼鏡はふだん持ち歩きません。たいてい遠近両用で何とかなるからです。でも本を読んだり、書き物をする時は視野のどこでもピントが合う老眼鏡の方が楽です。
というわけで、このところめずらしく紙を使って書き物をしている西村センセイ、結局、すべてのメガネを持ち運んでいるのでした。
つくづく、若い人がうらやましい......。
週末出張していた広島の話題をもう一つだけ。
今回も広島駅前から原爆ドーム他への移動には路面電車を使いました。
広島市内はバスよりも路面電車の方が便利なのです。バスや車はいったん渋滞し始めると全然動かなくなるのですが、路面電車は信号でよく止まるものの、割とスムースに進むので、結局かなり早く目的地に到着できるのです。
新旧、ホントにいろんなタイプの路面電車が走っていて、中には右の写真のように、ヨーロッパから輸入したと思われる車両も走っていました。
たまたま原爆ドームへ向かう時にこの車両に乗ったのですが、欧州製なので、いろんな所が国産車と違います。
運転席の様子もずいぶん違うのですが、一番困る(?)のは座席が高いこと!!
ご覧のように成人男子でもちゃんと座ることができません。
ヨーロッパやアメリカのトイレで感じる、座面のあの高さです。この座席、最初は老女が座っていたのですが、脚が宙ぶらりんに浮いていました。
かなり辛いと思います。路面電車にはいろんなメリットがあり、最近ではずいぶん見直されています。
だから広島のように活用するのは良いことだと思いますが、でも座席の高さくらい生産国で調整すればいいのに......と思うのですが。日本だったら、間違いなく相手国の事情に合わせて生産すると思いますよ。
1995年8月5日の夕方、岡山での学会に参加した西村センセイは、ただ「もうちょっと西へ行ってみたい」という、子供のような理由だけでこの広島に立っていました。
せっかく広島に来たのだからやはり原爆ドームを、と、これまた情けない理由で市内中心部の路面電車乗り場に立っていた時、一人の老女が話しかけてきました。
話したくて、話したくて、居ても立ってもいられないくらい話したい様子なのです。電車が到着するまでの僅かな時間、老女と話しました。周囲には、二人の他に誰もいません。
老女は被爆者でした。
程なく電車が到着したので、話はそこで遮られたのですが、僅かな時間の彼女の言葉、仕草、表情、そして小さな姿は昨日のことのように思い出されます。
話した内容を書くのは簡単なのですが、センセイの筆の力がその重さにかなうわけはありません。
20年ぶりに路面電車に乗り、原爆ドーム前で降りました。20年前もたぶん同じ場所で降りたはずです。原爆ドーム、慰霊碑、そして平和記念資料館と訪問しました。
二度目の広島平和記念資料館。昨年訪問した長崎と比べると、視点がずいぶん違うことに驚かされました。
さて、大変個人的なことで申し訳ないのですが、センセイと原爆は無縁ではありません。
原爆の投下目標は広島、長崎、小倉そして新潟でした。
長崎の原爆は、当初小倉投下が目標だったのですが、当地の天気が悪く、目標を視認できないのと、爆撃の効果を正確に測定できない(!!)という理由で、第二目標の長崎に投下されました。センセイの父は当時、新潟市内に動員されていたので、もし新潟に原爆が投下されていればセンセイは存在していなかったでしょう。
そして現在、学生の皆さんが大学で勉強する時、隣には長崎出身の○○君と、広島出身の□□君がいたかもしれないのです。平和記念資料館の展示物の重さと、最近の政治の軽さ(特に歴史的感覚の欠如)、そしてセンセイ自身を含めた怠惰な生活を鑑みる時、やはりいろいろ考えさせられるのでした。