2010年1月2日更新(2010年1月10日ページ移動。2014年3月16日一部写真削除)
■1月2日(土) 菩提寺にご挨拶に伺い、客人を迎え... ──西村家の静かなお正月──
昨日は大荒れの天気の中、昼過ぎに実家へ移動。
その途中、西村家の菩提寺である曹洞宗の禅寺、東福院へ立ち寄ります。両親がどちらも所用で来ることができないので、代わりに新年のご挨拶に伺ったのです。
東福院は今から約550年前の1461年、近くに赤田城を構えていた上杉家家臣が創建したもの。
写真左奥の建物が本堂なのですが、こちらは新潟県中越沖地震で被災したため、現在、一般人は立ち入ることができません。大きなお寺なのですが檀家は減っているので、再建までには時間がかかるだろうなぁ。
住職にご挨拶して再び車へ。実家へ到着すると、まず伯母が急逝した向かいの家へ。
元気にしていた──センセイもお盆に伯母とかなり長話をした──のが、突然亡くなったため、残された遺族はどこかまだ、心にぽっかりと穴が空いたような感じ。
昔話をして、あまり無理しないようにお願いして、次は実家。まず、今晩集結する4家族分の食料を求めて近くのスーパーへ買い出しに出かけます。
20年くらい前は「お店で買うのと同じだよね」とか言いながら母親が料理したのですが、数年前からは形勢逆転。
今回はあらかじめオードブルを予約しておいたのです。数万円分の買い物をして実家に戻ると、ちょうどお客様がお越しになりました。
この頃には父親も戻ってきていたのですが、次期ご当主様ももちろんお話を聞かせていただきます。
初めて知ったのですが、昨年は病気や怪我など本当に大変だったのだそうです。お客様のお帰りと前後するように、弟家族二組が到着。
子供たちにお年玉を渡し、宴席を準備したのですが、子供たちが皆大きくなったので、実家の一番大きな部屋が手狭になってしまいました。
センセイも歳を取るわけだ。賑やかな一晩だったのですがよく考えてみると、(強風の音以外は)意外と静かな、正月らしい1日だったように思えてきました。
明日はまだ三が日ではありますが、越年させてしまった仕事もあるので、そろそろ営業を再開しようと思っています。
明けましておめでとうございます。当地は雪こそ少ないもののかなり冷え込んでいます。
また強風が吹き荒れている──強風と大雪で信越本線他は不通──ため、外を歩く人はまばら。
海からの風の音だけがするお正月になっています。右の写真は今年の年賀状に使用したもの。仮設住宅の設置場所として使用されていた柏崎駅前公園の一部です。
新潟県中越沖地震から2年半が経過し、色々な事情で自宅を再建できない方のために復興公営住宅も建設されたため、仮設住宅を解体、撤去して元の公園に戻しているところ です。
地震の被害は、特に社会的、生物的弱者を中心に深い傷となって残っていますが、少なくとも表面的には目立たなくなっています。
今年は個人的な課題とともに、地域が内包するこの問題を考え続けたいと思っています。
今年が皆様にとって良い年となりますように。
■12月31日(木) 皆様、良いお年をお迎えください ──1年の終わりは、1杯のラーメン──
大晦日をどのようにお過ごしでしょうか。
西村センセイ、例年なら31日の午後に実家へ行って買い出しその他を手伝うのですが、今年は実家が地域の神社の2年参りの当番でそちらに詰めているため、移動は明日。
少し離れた柏崎の自宅で静かな年の瀬を迎えています。日本海側は昨日から荒れた天気なのですが、天気予報の通り寒気が入ってきたために、お昼頃からどんどん気温が低下。 お昼に外出した時には車外気温計が-1℃を記録しました。
久しぶりの雪の年越しとなっています。いくつかの所用を済ませて外で昼食を取ることに。どこにしようかと思ったのですが、1年の終わりということもあり、以前ご紹介した「うれっ子」へ。
柏崎にラーメンを伝えたのが盛来軒なら、約40年前にこの地で新世代の登場を知らしめたのがこの「うれっ子」(当時は「そばよし」)。あっという間に柏崎市民の人気を集めたのはいいのですが、お昼時など、カウンターの後ろに何重にもお客が待っていて、ラーメンを食べる時の背中の視線が恐かったこと。(実話)
特に近くの柏崎高校に通学していた時のセンセイは毎日のように通い、1日に3回行ったこともあります。(こちらも実話)うれっ子がもう一つ凄いところは、次の世代を育てたこと。ただしその反動か、晩年のご主人はやや集中力が途切れがちで麺は延びがち、スープも間延びしがち。
この調子で静かに消えていくのかなと考えていたのですが、お伝えしたように去年、店舗を拡張したと思ったら、味の方も格段に美味しくなりました。
あの絶頂期を彷彿とさせる......だったのですが、残念ながらご主人はこの夏に亡くなられたようです。見慣れない今風の若者が麺を茹でているなぁーと思ったのですが、彼の腕は確かです。
うれっ子の麺は細めなので、どうしても伸びがちなのですが、そのちょっと前で茹で上げています。スープはどなたが調理しているのかわからないのですが、しっかりとポイントを掴んでいます。
写真ではやや濃い目に感じるかもしれませんが、基本的にはとても澄んでいて薄味。
基本は醤油味。少しだけ隠し味のように塩が入っています。麺はとても多く、お腹いっぱいになってしまいます。もっとも、高校生の時は必ず大盛りをお願いしていましたが。
これで今だに1杯500円。採算が取れるんだろうか。センセイの親の世代がこよなく愛する盛来軒にせよ、センセイよりちょっと若い現役世代がせっせと通うこのうれっ子にせよ、確かに「何か」を持っています。
あるいは、何かを問い続けています。そこが秘密なんでしょうね。
今年1年、皆様にはたいへんお世話になりました。(メールのお返事が遅れている皆様、本当に申し訳ありません。)
良い年をお迎えください。
■12月30日(水) 確かに、流れが変わってきているような気がする
といっても、政治や経済など、高貴な話をしようというのではありません。西村センセイ、ラーメンのトレンドが少し変わってきているんじゃないかなぁーと感じているのです。
昨日、新潟での所用を終えたのは正午ころ。
どこかでお昼を食べてから、50kmほど離れた実家へ移動する必要があります。
どこでも良かったのですが、ちょっと考えて、新潟大学五十嵐キャンパス近くのラーメン店「万人屋(まんにんや)」へ寄ってみました。大学は冬休みに入っていますが、それでもお昼の一番忙しい時間帯。
いつもなら入口でかなり待たされて......となるはずが、あっさりと、空いたカウンターに案内されました。テーブルも座敷もそこそこお客が入っていますが、待たされるというほどではありません。
前はこんなじゃなかったのに。この万人屋は20年ほど前に、新潟駅南の紫竹インター脇にオープン。あっという間に人気店になりました。
お店の前の駐車場に入るのがとても大変だったことを覚えています。その数年後、つまり15年くらい前に、当時センセイが住んでいた新潟市内の借家の割と近く、新潟大学五十嵐キャンパスに隣接するような形で、この大学前店が開店。
現在は市内に3店舗を展開しています。定番は写真の「らーめん」(550円)。ご覧のように背油がたっぷり入り、トッピングのもやしも山盛りです。
麺もかなり多め。「ちゃーしゅうめん」(780円)も人気なのですが、こちらはチャーシューを重ねたものが器からはみだしながら、向日葵のようにぐるりと盛りつけられています。
センセイは、とても食べ切る自信がありません。写真から容易に想像されるように、「最初の」味はこってり。そりゃ、かなり油っぽいですからね。
でも、平打ちの麺はお蕎麦に近い感じだし、何よりスープは意外に薄味でさっぱりしています(表面の油の層を除く)。
だからお客さんもたいてい、スープを最後まで飲み干してしまうのです。(ただし、加齢で胃腸が弱ったセンセイには油が多すぎました。)新潟市からちょっと南の三条、燕地域ではずっと前から、背油たっぷりで葱がたくさん入った通称「燕三条系ラーメン」が根付いていたのですが、当時はまだあまり知られていませんでした(正確にはすでに、その一部が新潟市にも進出していました)。
そこで万人屋の、このこってり系ラーメンが新潟市で人気を博したんだと思います。この調子でずっと順風満帆で......と思ったのですが、どうも数年前から勢いが削がれ気味。お客さんはそれなりに入っているので、経営にさほど問題ないのかもしれませんが。
一つの理由は消費者の低価格志向だと思います。万人屋の場合は、大学前店の隣に低価格志向の「幸楽苑」がオープン。こちらはいつも満員です。
対抗上か、万人屋はお客に割引券を発行するようになりました。本来ならば、客層はかなり異なるはず。だから利益を大幅に削る割引券類の発行は得策ではないのではないでしょうか。でも西村センセイ、本当の理由はちょっと違うところにあるんじゃないかなと感じています。
B級グルメの代表選手であるラーメンは、その「時代」を強く反映するように思われます。特に歴史が浅くてアイデンティティに欠けるようなお店は、流行に振り回されやすいように感じられるのです。この万人屋が開店したのはバブル崩壊前後。当時、そしてそれからしばらく、大人はお金にものを言わせて「自分に似合ったもの」を探していたように思われます。
「自分探し」ですね。外食産業も例外ではなく、値段で差別化を図ったり、味の濃さや特殊な味覚など、極端を志向したり。もちろん今でも、一部は「ブラックラーメン」や「メガ盛り」などという形で続いています。
でもここ数年、そういうほとんど無益な「自分探し」に「疲れた」人たち──そりゃ、そうです。センセイを含めて、ほとんどの人は普通の人なのですから──が、背伸びをしない味覚に回帰しているんじゃないかと思えるのです。
もちろん経済的に余裕がなくなっていることも関係しているのでしょうが。ラーメンに関していうと、もちろん多様な趣味や嗜好はありますが、現在このトレンドが向かっているのは「あっさり」「さっぱり」、でも「深みがある」というあたりではないでしょうか。
センセイはあまり自覚していなかったのですが、金沢工大近くの「一鶴」が提案した「香油・塩ラーメン」は、その最先端を走っていると思えてくるのです。(個人的には塩ラーメン、あまり得意ではないのですが。)では、この万人屋がこれからどうなるか。どうすれば良いのか。正直なところ、かなり難しい問題だと思います。
オープン当初は新しいマーケットを開拓し、すでに一定の顧客も確保しています。しかもスープは薄味。でも世の中のトレンドは、少しずつ違った方向へ向かっているらしい。
だから、もし経営者だったら、とても難しい判断を求められると思うのです。......時代に流されるのではなく、時代に積極的に対応していくために。
あ"、ラーメンの話をしていたはずが、すっかり政治経済の話題になっていましたねぇ。失礼。
■12月29日(火) やはり新潟市は先日、かなり雪が降ったようです
今日は所用で新潟市へ行き、その帰りに実家へ寄ってきました。
新潟市は先々週、大雪が降って交通が混乱したのですが、その後は比較的暖かい日が続いたようで、今日は市内に入っても大した雪はありませんでした。
ただし、スーパーの駐車場の隅にはご覧のような高い雪の山。柏崎市内ではこれほどのものを見ることはできません。ドカンと降ったので、大慌てで除雪したんだろうなぁー、という感じです。
なお右手の黒い車は、雪山に埋もれているわけではありませんので、誤解なきよう。実家に立ち寄ったのは、年末までの食料買い出しのため。
諸般の都合で今年は、大晦日ではなく元日には実家に一族が集まることになっています。
そうなれば運転手の確保は容易なのですが、それまでは年老いた両親だけで生活しているので、数km離れたスーパーまで誰かが送迎しないといけないのです。新潟市まで車を走らせながら、あるいはスーパーの店内を歩いていると、世の中、確かに年末年始モードに入っていることを感じます。
でも帰省客はまだあまり見かけません。どうやら帰省は明日が本番、という感じです。
冬期休暇に入ったセンセイがまず片付けなければならないのは自宅や実家の仕事。しばらく新潟を離れていることが多かったためです。
今日も実家で用を済ませて、伯母の家を訪問。近所に住むもう一人の伯母が先月末に急逝したので、今回はそちらのフォローもしなくてはなりません。
次期ご当主様は大変なのです。実家や伯母の家とセンセイの自宅の往復には主に国道116号線を使うのですが、この116号線は、市街地に入る前の柏崎し長崎という場所で、国道8号線(写真奥)と合流します。
つまり三叉路になっているのです。ここは日本海に面した砂丘とその内側に広がっていたかつての湿地帯が接する場所。
2年前の新潟県中越沖地震では、近くにある最新のゴミ焼却所の煙突が座屈するなど、この地域は大きな被害を受けました。三叉路の脇の写真の土地に、老女が一人で住んでいた小さな家──敷地内、四角く茶色い部分──があったのですが、やはりこちらも被災。
センセイ一家は地震直後にここを通過したのですが、老女が茫然自失の状態で立っていたこと、そしてその後、何回か彼女がぼんやりと道路を見ていたことを覚えています。
被災当時、市内のあちこちで見かけられた光景です。運転しながらチラッと見るだけだったのですが、印象としては、家の被害はまだ住めるんじゃないかなぁーという感じ。
でもその後しばらくして、家は取り壊されてしまいました。築後かなり経っていたこともあり、被害は見かけ以上に大きかったのでしょう。彼女の姿を見ることもなくなりました。
この場所を通るたび気になっていたのですが、どうやら再建を断念されたようでご覧のように、跡地は放置されたまま。復興公営住宅へ入居されたのか、どこか身内の方の所に身を寄せられたのでしょうか。
この家の被害が柏崎市ではごくありふれたものだったように、他の被災者の中にも彼女と同じようなその後を辿った方が多いはず。三叉路でひとたび別れてしまうと、縒りを戻すのはとても難しことなんですね。
市内には「ここにあの家があった」という場所が多く存在するのですが、多くはすでに荒れ果て、初めて見る人が「ここで普通の人が普通に生活していた」と想像するのは難しい状態です。
阪神淡路大震災などでも、同じことが起きたはず。そのすべてを記録することは不可能なのですが、でもやはり、誰かが何らかの形で語り継ぐべきなんだろうな、と思います。
■12月27日(日) 金沢工大はきっと、今日も「うるさい」んだろうな ──キャンパスで耐震化工事が進んでいます──
今日も、本当は数日前にご紹介するはずだったネタです。悪しからず。
22日(火)に金沢へ戻った西村センセイ、夜までかかって仕事をしていたのですが......翌23日(水)は祝日。
休み明け後の予定──この場合は木曜日の朝に講義があるか、など──とも関係するのですが、センセイはたいてい、このように週の半ばに休日がある場合は金沢に留まります。
特に今回は片付けなければならない仕事が溜まっていたし。というわけで、翌23日の朝は、いつものように出勤したのですが、予想外に、とてもうるさい。重低音の「ガガガ」という騒音が周囲に鳴り響いています。
休日だから授業もないし、周囲の研究室も留守──意外にも、若手の多くはその後出勤してきた──だから、静かなこの機会に一気に宿題を片付けようというセンセイの目論(もくろ)みは、あっけなく破綻してしまいました。騒音の発生源、最初はどこか遠くのビル建設現場かなと思っていたのですが、調べてみると意外にも、センセイの研究室がある建物の真向かい。
写真ではわかりにくいと思いますが、古い建物の耐震化工事の音なのです。もちろん工事中であることは知っていまし、それにともなって授業に使う教室が変更になったりしていました。
でもよく考えると、このように激しい工事の音を聞いたことはありません。つまりこの日のように、騒音を発生する工事は日曜や祝日などに集中して行っていたんですね。
もっと早く気づくべきでした。センセイの自宅がある柏崎市ではかつて、全市の商店は月曜日が休業とされていました。
普通の人が休む日曜日は商店にとっては稼ぎ時。その代わりに商店は、月曜日に一斉に休もう、というわけです。
自由化が進んだ現在ではもちろん、崩れてしまっていますが。それと同じように、どうしても騒音を発生してしまうこの種の工事については、最も大事なステイクホルダーである学生がいない日に作業しよう、ということなのでしょう。
工事の方々は、「みんなが休んでいる日だからこそ働く」ことになります。センセイは現在、新潟の自宅におり、確かめようがないのですが、きっと今日も、金沢工大野々市キャンパスは「うるさい」んだろうと思います。
休日に、しかも危険が伴う大変な仕事に従事していらっしゃる皆様、本当にご苦労様です。