2010年1月9日更新(2010年1月17日ページ移動。2014年3月16日一部写真削除)
■1月9日(土) 正・逆「マーフィーの法則」 ──心配事も倖せの予感も必ず当たってしまう!? ──
今週の車での金沢行き、実はかなり躊躇(ちゅうちょ)しました。
仕事ですから、絶対に金沢へ行く必要があるし、運ばなければならない荷物もあるし、雪は降っているし、公共交通機関は混乱しているし......要するにすべてが「車で移動する」という結論を指しています。
ただし、あまりに揃いすぎ。別な表現をすると、今回、車を利用すると何だか事故を起こしてしまいそうな予感がするのです。高速道路上での居眠り運転だとか、交差点での出会い頭の衝突だとか。
実際にはセンセイに選択の余地はなかったので車を使ったのですが、天気も悪かったため相当緊張して安全運転を心がけました。雪の北陸自動車道を、軽自動車など他の車がビュンビュン飛ばして追い抜いていっても、センセイは最速でも100Km/hを維持。おかげで路面状態が悪いにもかかわらず、燃費は17.0Km/L!!
もちろん柏崎および金沢市内でも、慎重に運転します。無事に金沢に到着して、仕事の量は減らないものの何とか無事に......と自分を慰め、あまり行かないスーパーの夜の駐車場を出ようとして
「グワンッ!!」
金属と金属がぶつかった時の鋭い音ではなく、何かちょっと柔らかいものを間に挟んだような衝撃音が左側からしました。
何も見えなかったのに、ナシテ?!何かと衝突したのは確実ですが、車はそのまま走ることができます。異常な振動等もありません。
とにかく周囲が暗かったので、照明を求めて別なドラッグストアの駐車場へ。安全な場所に車を止めて点検したのですが、夜だということもあって、何がどうなっているのか、よくわからない。
昼間に撮影した右の写真でも、衝突の跡は絶対にわからないと思います。暗い中、左右を何度か比べてようやくわかったのですが、2枚目の写真のようにドア下の「スカート」のような鉄製部品──T先生、はやり鋼鉄製でした──が変形しています。
黒っぽいゴムのような物体──チェーン装着の際などに車体側を固定する部材──が見えますがこれは本来、手前(左側)の凹んだ場所にあったもの。
衝撃で後ろ(右側)に食い込んでいます。どうやらこの部材、そもそも衝撃時に外れるように設計してあるようです。つまり、BMWはここまで造り込んでいる、ってことです。
とにかく衝突を確認したのですから、スーパーの駐車場に戻って現場の状況をチェック。
何が起きたのか、やっと理解することができました。駐車場と道路の間には30cmくらいの段差があり、狭い部分だけがアスファルトで埋め立てられて、車の出入りができるようになっています。
それ以外の場所は柵があるわけでも門柱があるわけでもないので、そのまま段差になっており、夜は照明がないのでとてもわかりづらい状況。センセイがが駐車場から出ようとした時、たまたま対向して進入してくる軽自動車があったので、それに道を譲るように左側に迂回しました。
しかし実際には左側だけ段差になっており、車体が短時間だけ沈下して、段差の角と車体下部と衝突した、というわけです。これはセンセイだけではなかったようで、現場には同じように擦った跡が無数に残っていました。みんな、「その後」をどうしたんだろう。
シャーシが直接接触したわけではないようで、ゴム製部材の変形および脱落、そしてそれを受けた「スカート」部分の変形が衝突のエネルギーを吸収したため、衝撃を「鈍く感じた」ということのようです。
わかってしまえばよく納得できます。それに何より、妙な安心感を覚えてしまいます。白状すると「やっとこれで事故を起こした」、つまり期待していたことがやっと実現した、といわんがばかり......。
これって、「マーフィーの法則」じゃないですか!?でも仮にそうだとしても、マーフィーの法則、悪いことばかりではないようです。
例えば昨日の東京出張。センセイには、何か良いことがありそうな予感があったのです。
いろんな人とお話をしたのですが、その中の数人に「あれっ?」と感じる方がいらっしゃいました。もちろん良い意味です。
その一人に看護関係の先生がいらっしゃったのですが、すっかり意気投合してしまい、たまたま昨年、看護関係の雑誌にセンセイが書いた文章をご紹介しました。でも、はて、どこかで遇ったことがあるような、ないような......。(実は初対面)
ご所属の大学名に微かに記憶があった──すみません──ので、金沢に戻ってから調べてみると、おぉ何と、センセイの次の論文執筆者のお一人ではないですか!!
つまり学術雑誌の上ではすでに「ご対面済」だったというわけです。どうも西村センセイ、研究面での能力はともかく、こういう予知能力(?)だけはちょっとあるらしい。(「センセイは、それだけで生きている」という噂があるとか、ないとか。)
悪いことが起きそうだということも、2000年に浜松であった会合(こちらやこちら)のように、「何かありそうだ」──商機というより、もっと本質的なもの──という体臭に近いものを見極める能力については、他の方よりちょっとだけ恵まれているようなのです。
きっと、危険察知能力など、動物的な本能に近いものなのでしょう。車については明日、ディーラーで点検してもらうことになっています。一見すると、日々の節約がこういうことで吹っ飛んでしまうような印象があります。
でも、これで妙な緊張感が取れたし、何よりもちょっと無理を続けていたセンセイを救ってくれたという面があるのですから、これで済むなら安いもんです。だから「マーフィーの法則」、そのままでも、そしてひっくり返してもやっぱり正しい?!
■1月8日(金) ポスターセッションの会場を裏から見ると、こんな感じ
西村センセイは現在、東京から金沢へ向かう電車の中にいます。昨日、夕方の講義を終えるとそのまま電車に乗って、深夜に東京都内へ到着。今日は朝から東京都内で仕事をしていたのです。
このページはたぶん、途中の十日町市ないしは直江津(上越市)でアップロードすることになると思います。センセイのことですから、もちろん指定券は確保しています。だから出発直前に東京駅のホームに到着したのですが、予想外にかなり混雑しています。
途中の上野、大宮駅からもどんどん乗車してきます。定時に発車すると車内放送があり、指定券は完売とのこと。良く考えたら今日は金曜日で、多くの方は明日から連休になるんですね。
ちなみに金沢工大は、お伝えしたように明日土曜日に月曜の授業を行います。スノーボードを抱えたアメリカ人の若者だとか、かさばるスキー用具――ただしスキーそのものは持っていない――を運ぶ親子連れなんかが目立ちます。
越後湯沢かどこかのスキー場で連休を過ごすんでしょうね。うらやましい限り。今日の出張は、センセイらの取り組みなど、大学、短大、工専の教育への取り組みを紹介し合うもの。
東京ビッグサイトの広い会場に、各大学等がご覧のようにポスター等を張り出しています。今回は説明するセンセイらの視点から撮影してみました。この写真はお客さんが少ない時のもので、別会場でのイベントが終わると、お客さんがどっと増えます。
そうなるとセンセイらは忙しくなるので、写真撮影どころではなくなります。センセイ自身は前の大学でずっと学生募集の仕事をしていたので、こういう状況はお手の物。でも国立大学や工専など、今まで(将来の)学生や保護者、一般市民に取り組みを説明しなくても良かった学校はかなり大変なようです。
高等教育を取り巻く環境は大きく変わっているんですね。さて、金沢のアパートに到着するのは日付が変わるちょっと前。金沢到着までの時間を使って、明日朝イチの講義を準備しなくては。
■1月7日(木) もしかして、鉄分過多?! ――ちょっと遠かった、冬の東北――
忙しくなって仕事が溜まればたまるほど、現実逃避しがちな西村センセイ。
このひねくれた性格は残念ながら、小学生の時からあまり変わらないようです。宿題に正面から取り組めばもっとずっと早く片付けることができるのでしょうに。
今回も、何とか仕事に一区切りついたら...と、目の前に人参をぶら下げてみました。実は金沢工大、今月は祝日や一般入試が入るために曜日の読み替えが続きます。成人の日が月曜になるなどして曜日ごとの授業回数が偏ってしまうので、曜日を調整する必要があるのです。
しかもセンセイの場合、休日に入学試験を担当する予定になっているので、その前後で代休を取る必要もあります。その結果、こちらも溜まっている未消化の有給休暇と合わせると今月中旬、最長で4連休が実現可能であることが判明しました。講義はないので、学生諸君に迷惑をかけることもありません。
しかもこの期間はたまたま、以前ご紹介したJR東日本の会員には同社の運転区間が乗り放題!!(センセイは「○○放題」という文字列に弱い。)これはもう、鉄分補給の旅に出るしかありません。目指すは、東北地方の太平洋側。つまり三陸地方!!
昨秋、この切符を2枚使って相当な区間を乗った(こちらからこちら)のですが、東北地方は本当に広く、太平洋側にまだ未乗区間が残っています。
それにまだ、西村センセイは「リアス式海岸」をこの目で見たことがないのです。切符の有効期間は3日間だし、家長としては、たとえ外で情けない電車ごっこをしていたとしても、きちんと自宅へ戻る必要もあります。無理をすると未乗区間を一挙に完全乗車できるのですが、こちらは断念。
最終案は、講義を終えて定時に退社してから特急と新幹線2本を乗り、その晩は仙台で一泊。
翌朝、あおば通り−仙台間、松島海岸−石巻間の仙石線未乗区間、石巻線(女川−石巻−小牛田)、釜石線(花巻−釜石)、そして本数が少なく乗りにくい山田線(盛岡−宮古−釜石)と岩泉線を完全乗車して、3日目の明るい時間に新潟の自宅へ戻るというもの。特筆すべきは岩泉線(茂市−岩泉)の乗り方。この路線は運転本数が極端に少ないため、関東を基点に考えると、きわめて乗りにくい超難関路線として知られているのです。
でも偏見を外して、基点となる出発地点を別な場所に設定すると、あれ、まぁ、簡単に乗れるじゃないですか。
西村センセイ、この区間を少なくとも2通り、「スマート」に乗る解を見つけました。(その場所の風景を味わいたいので、センセイは原則として、日没後には移動しません。)物事は東京を基準に考えられすぎているんですね。
というわけで年末に写真の乗車券および指定券を購入しました。これだけ乗っても代金は12,000円。
ただし、どうも今回は「行くぞぉー!!」というパワーに欠ける。ホテルも予約済みなのに。
やはりちょっと、疲れすぎているんでしょうね。今回はたまたま、昨日の会議でこの期間中に会合を持つことになりました。チームで仕事をしているので、こちらの日程を優先する必要があります。
そしてこれを機に、今回の東北ツアーは断念することにしました。あ、関係者の皆様、全然問題ありませんので気になさらぬよう。すでに連立方程式の解は得ているのですから。
■1月6日(水) 明日から授業再開。スカッと始めたいところなのだけど...
金沢工大は営業再開。といっても、今日は年頭の式典──金沢工大学園は節目の儀式を大切にする──と関係者の打合せがあるだけ。授業が始まるのは明日です。
早朝から出勤して仕事を溜まっている片づけたのですが、歳のせいか、どうもこのごろ疲れが完全には取れません。会議を終える頃にはかなり消耗してしまいました。
年末年始にゆっくりできなかったこともあるのでしょう。でも今回は明らかにもう一つの理由があって、それは車で金沢へ来ていること。
いつもなら運転が楽しくなる318iなのですが、今年の冬は天気も路面状況も悪いため、運転が本当に大変なのです。吹雪や暗がりだと視界が悪いので、状況確認も不足気味。
冗談抜きで「こりゃ、いつか事故るな」という、皮膚感覚のようなものがあります。実際、富山県内の北陸自動車道で数台が関係する大きな交通事故現場を徐行しながら通り抜けたし、富山−石川県境では、コントロールできなくなって車が道路脇の雪の山に突っ込んだ跡──ほぼ事故直後──も目撃しました。
何よりも疲れが溜まっていることを自覚してセンセイとしては、できれば運転を避けたいところ。でもこの機会に車で運んでおきたい荷物もあるし、昨日の時点で他の交通手段を利用しようと思っても、特急は大雪と強風で運休。
西村センセイ、今回は明らかに、疲労+ひどく嫌な予感がする→いつも以上に注意する→だから余計に消耗する、というデフレスパイラル(?)に陥っています。
会議を終え、とにかく何かを食べるために外へ出た──学食はまだ営業していない──のですが、事故を起こしたくないので、徒歩で近くのお店を利用しました。
写真は学生諸君が「寮」と呼ぶアパート。ちょっと古いタイプですね。
ところが、建物の中にもその周囲にも学生の気配がありません(地元の中学生はいたけど)。
明日からの授業のために部屋の主はきっと、今晩遅くに戻ってくるのでしょう。仕事も疲れもいろいろ溜まっているけれど、それはお客さんには関係のないこと。最も大切な授業だけは、スッキリとした気分で始めたい!!
■1月5日(火) 新潟を離れるその前に、勝負。焼きそば師弟対決!!
夜明け前、激しい風雨の音で目が覚めました。天気予報通り、急に大荒れの天気。
センセイの寝室は2階の西側、つまり海からの風が当たる場所にあるので雨が当たるものすごい音がしますし、静かにしていると家が少し揺れているのがわかります。
物が飛んできたらどうしようとか、屋根のテレビのアンテナは大丈夫だろうかなどと、酔いが醒めると妙に心配になってきます。明日が仕事始めなので今日中に金沢へ移動する必要があるのですが、電車はすでにほぼ完全に止まっています(線路が近いので、よくわかる)。
荷物もあるので車で行くことにしたのですが、その前にちょっと「一仕事」。しばらく自宅に滞在したこの機会に、ちょっと確認しておきたいことがあるのです。
柏崎のラーメン──正確に言うと、今回は焼きそば──の味を確かめたい。何度もお伝えしたように、柏崎のラーメンは事実上、終戦後に「盛来軒」がその礎を築き、1970年頃に旧「そばよし」(現「うれっ子」)がその基準を大きく書き換えたという歴史を持っています。
もちろんその後、特に最近は新しい感覚のお店がどんどん登場していますが、この両店ほど幅広い客層に支持されているお店はありません。(キッパリ)
開店と同時に、腰の曲がったおばあちゃんがどんどん入ってきてラーメンを注文する──テーブルで相席になるが、それぞれ黙々と食べている──んですよぉ。ただし旧「そばよし」の場合は事情がちょっと複雑で、亡くなったご主人の下で修行した若者が「駅前店」(現「そばよし」)、十日町店、「あじっ子」そして「三宝」と、その味を引き継いでいます。
センセイは柏崎から離れた十日町店以外はすべて利用しているのですが、正直なところここ数年、三宝以外は味に締まりが......。しかも、そう感じたのはセンセイだけではないようで、お客の足も徐々に遠のいていました。
しかしお伝えしたように、旧「そばよし」(現「うれっ子」)のご主人は一念発起(?)して、お店を拡張しただけでなく、味に締まりを取り戻しました。
ご主人にとっての「白鳥の歌」だったのでしょうか。そばよし系の基本は塩も入った薄味の醤油ラーメン。これにチャーシューを載せたチャーシュー麺──ホントにチャーシューの花が開いている──にも根強い支持があります。
そして、もう一つの人気商品が、写真の焼きそば。「うれっ子」の場合、ご主人が麺を茹で、コンビネーションよろしく奥さんがそれを炒めていました。
残念ながらご主人は亡くなられましたが、その味は約40年間ほとんど変わりません。
ラーメンの味が間延びするようになって客が離れていった時も、この焼きそばだけはそのままでした。実物は写真よりもうちょっと深い茶色。野菜はキャベツが主体であまり水気を感じません。
かなり油を使いますし、味も濃い目。でもいわゆる「焼きそば」より、ずっとずっと麺の味を生かしています。単なる「焼きそば」ではなく、ラーメン一族に属していると主張しています。
ちなみに、写真ではうまく伝わりません──テクニックの問題です。悪しからず──が、普通盛りにも関わらず、ものすごい量です。
一緒に行った娘が食べきれる量ではありませんでした(高校生時代のセンセイらは、大盛りをぺろりと平らげていたけど)。で、今回確かめたかったのは、このお店で修行した三宝の焼きそば。
以前はメニューに載っていたのですが、若いご夫婦だけでやっているのと、新潟県中越沖地震で家屋が大きな被害を受けたためにいろいろな意味で余力がないようで、このところ品揃えから外れていました。
でも先日、ふと気づくと、「平日の昼間のみ」とという限定付ながら、幻のメニューが復活しています!!娘と二人で入店し、「焼きそば、大丈夫ですか?」と尋ねると、ご夫婦がそろってニコニコしながら「いいですよ」。これはもう、挑戦するしかない。
「うれっ子」同様、ご主人が麺を茹でている脇で、奥さんが野菜と肉を炒め始めます。 仲の良さがひしひしと伝わってきます。似たもの夫婦、という感じ。
程なく届いたのが写真の焼きそば。映像的にはほぼ写真の通りで、かなり薄い色です。
肝心のお味ですが、油っ気は少なく、ソースの味も控え目。麺そのものの美味しさを最大限に引き出したとても繊細な味です。
キャベツは少なく、もやしが主体なのですが、その分、どうしても水っぽくなりがちのところを上手くバランスを取っています。普通の「焼きそば」からすると淡泊すぎるでしょうから、テーブルにはウスターソースも置かれています。
ただしソースを使うってことは、「美味しさが分かりませんでした」って意味なのですが。ちなみに我が娘、三宝の焼きそばはきちんと食べて、「美味しかった」とのこと。
どちらが上かを求めると、「う〜ん、わからない」。味の感覚や繊細さに関しては明らかに三宝の方が上なのですが、しかしある種の弱さも感じます。「いつでも、どこでも、誰にでも」というようなタフさが、ちょっと......。
きちんと固定客がいて繁盛してはいるものの、店舗が郊外にあるというハンディもあって、残念ながら「清濁併せのみながら、老若男女、万人に愛される」という感じでは、まだ、ありません。というわけでこの師弟対決。引き分けということでいかがでしょう。ただし、地元で人気があるだけあって、相当ハイレベルの戦いですよ。
大嵐の中、海からの強い風と圧雪の轍にハンドルを取られながら、事故も起こさず無事に金沢へ移動しましたので、念のため。
■1月4日(月) 確かに事務所の看板は替わってました ──西村センセイ、「ねんきん定期便」を受け取る──
仕事を本格的に再開する前に、ちょっと自信がなくなってきたことが。
年を越してしまった仕事──「片づいていない仕事」ではなく残念ながら「その存在を忘れてしまっていた仕事」── をチェックしていると、やはり書類の山の下からいくつか発掘されてしまいました。
その一つが「ねんきん定期便」。年末近くに送られてきた大きな封筒なのですが、年金加入記録を定期的に確認するものだとのこと。以前お伝えしたことがありますが、センセイは大学院修了して常勤教員になるまでの1年間、非常勤の教員──要するに、ほぼ無職──として働いていました。
このような場合国民年金に加入し保険料を納めなくてはならないのですが、2年ほど前にこの時期の記録が欠落しているらしいという連絡を受けて、柏崎市内の社会保険事務所で確認したことがあるのです。センセイの場合は単純な事例なのですぐに記録を復活できたのですが、よく考えてみるとその後、連絡をもらっていない(と思う)。それがやっと届いた、というわけです。
「お示ししている[年金の]納付状況に『誤り』がないかご確認ください」という書面を見ると、その1年間の前半7ヶ月は「納付済」、5ヶ月は「全免[=全額免除]」となっており、未納期間はありませんでした。
「全免」というのは要するに、収入がほとんどなかったので納付を免除されたんですね。たまたまお昼のニュースで社会保険庁の解体(昨年末)と日本年金機構のスタート(発足は1日)を報じていたため、買い物のついでにその前を通ってみました。
ご覧のように、看板は確かに新しいものに変更されています。駐車場は満杯。
まだ松が取れていなくても、確認や相談など、切羽詰まった方も多いのでしょう。最近は少し静かになったような気がしますが、かつてこの旧社会保険庁へのマスコミの風当たりは相当なものでした。
すべては彼らのせいだ、彼らさえ......と言わんばかりの勢い。もちろん関係者からいろんな話を聞くと、やはり問題が多い組織や個人だったのだろうと思います。
でも、この年金制度は、ずっとずっと前、コンピュータがない時代から続いている制度だし、仕組みや基準もどんどん変わっているし、実際の運用面ともなれば、保険料を折半するはずの(経営が苦しい)雇用者と被雇用者、そして職員との間でいろいろあっただろうし......。正直なところ、最も簡単な部類に属するセンセイの場合も、例えばどうして、あるいはどうやって「全免」になったのか、よく覚えていないのです。
わずか23年前の話だというのに。いろんな立場があるしそれぞれの立場も、例えば「払いたくない」から「貰いたい」へと、どんどん変わります。センセイ自身を含めて、みんな巻き込まれています。
この状況下で「○○が悪い」というのは、「自分(だけ)は悪くない」、つまり「自分は子供だ」と名乗っているようなもの。こうなったらもう、綺麗事で済ませるのではなく、どうにかして現実的な解決策を......ということになるはずなのですが、残念ながらここしばらく、そういう大人を見なくなったような気がします。
■1月3日(日) 10個のケーキはどうなったのだろう... ──新潟は雪が降り続いています──
実家へ戻った1月1日、買い出しに出かけようとすると、これから行くスーパーのチラシを母親が興奮気味に指さしています。「これだよ、これ。」
オードブル類は予約してあるはずだし、店内にテナントとして入っている知り合いにお刺身も確保してもらっているので今さら何を、とよく見ると、ケーキの特売の案内。
1個98円で販売するというのです。しかも個数限定、本日限り。センセイには縁がないのですが、母親は「女の子が何人集まるかねぇー」などと、移動の車中でも真剣そのもの。西村家のDNAはどうやら、こういう安売りに弱いようなのです。
お店は混雑が予想されたので、女性陣+αで「10個だよ、10個」などといい加減に返答しておいたら、何の因果か、母親が買い物をしている間に、センセイと娘がケーキを箱に詰める羽目になりました。ピーク時には実家に14人も集まったため、オードブルもお刺身も、ホントにとんでもない量。
老人用の小さな冷蔵庫に収まるはずもないので、宴会が始まるまで一時的に暖房のない縁側に置いた......のですが、確かケーキ2箱も一緒だったはず。両親および子供3家族で一晩過ごした昨日、まずすぐ下の弟一家が、続いて午後にはセンセイらが自宅に戻りました。
今日は最後まで残っていた一番下の弟家族が帰ったはず。あのケーキは結局、誰も食べていないんじゃないだろうか。
天気予報は日本海側の強風も一段落すると伝えていたのですが、少なくともセンセイが住む柏崎市では一向に衰える気配がありません。
それどころか、昨晩からは雪が積もってきましたし、日中に外出した時は、車外気温計が-1℃を記録しました。事情があって明後日には車で金沢へ移動する──かつ、自宅脇を通り抜けて東京都内へ出張する──つもりなのですが、無事にたどり着けるんだろうか。
富山市付近はかなりの積雪があるようだし。