2013年12月14日更新(2013年12月22日ページ移動。2016年11月27日一部写真削除)
■12月14日(土) 静かに、しかし着実に... ──1年の終わりの東京は、やっぱり秋葉原──
午前、午後と所定の会議を終えて新潟の自宅へ戻りました。
ニュースでも伝えられていますが、日本海側は相変わらず大荒れの天気で交通は混乱しています。幸いにもセンセイはほぼ予定通りに新潟県柏崎市の自宅に戻ることができました。
しかしセンセイが乗ってきた列車は、柏崎から先の強風区間で徐行し、相当な遅れになったはず。午後の会議は予定より早く終わったので、まず最寄りのJRへ。予約してある上越新幹線までまだ時間があるので、早い列車に変更してもらいます。「乗車変更」といい、1回だけ認められる便利な仕組みです。
変更後の列車にも少し間があります。さてどこへ行こうかと思ったのですが、結局、秋葉原駅へ。特に目当てがあるわけではないのです。
総武線の各駅停車を降り、山手線・京浜東北線のホームを経由して地上階へ出ると、かなりの混雑です。駅の外も混んでいたのですが、よぉーく考えてみると、かつてほどではないことに気づきます。
ネット販売が進んでいるので、マニアックなものを除けば、わざわざ秋葉原に出てくる必要はないのですね。「マニアック」といえば、センセイらの世代にとって秋葉原は電気電子部品の街。若い方にはアニメやフィギュア、メイドカフェの聖地らしいのですが。
先日お伝えした総武線ガード下のラジオストアを訪れてみると、建物の外の看板は白く塗り潰されていました。
店内はご覧のようにシャッターが降りています。(営業している左側は「ラジオセンター」)戦後の混乱期の雰囲気を残していた秋葉原は、東京都が主導する再開発によって一変してしまいました。
「ラジオストア」の件は、その1ページか、あるいはそれ以下にしかならないでしょう。秋葉原は見えない場所でも、静かに、しかし着実に変化しつつあります。
しかし背後に、広い意味でここで生きた人々、利用するという形でご縁があったり影響を受けた人々が確かに存在します。
冷酷なようですが、センセイを含めたそのような人々も、ここにデビューしたかと思うと、やがてどこかへ向けて退場していきます。時間の都合で立ち寄っただけの秋葉原。今日は何も購入していません。そんな時間もなかったし。
でも年の瀬のセンセイには、来し方行く末を振り返る意味で、一番相応しい場所だったようです。
■12月13日(金) 新しい糸魚川駅で途中下車しました ――センセイは年内最後の東京出張中――
明日の会議に備えて、センセイは既に都内に滞在しています。先月中旬から続いてる冬のツアーもいよいよ終盤。特に東京出張はこれが最後になります。
というわけで今日は移動日。今日も大荒れの天気が予測されていたので、余裕を持って早めに移動することにしました。結果は大正解。日中の特急は一部運休になってしまいました。
それほど風雨がひどかったのです。予定通り移動できることが確実になったので、途中の糸魚川駅(JRの写真は工事中の仮駅舎)で途中下車してみました。
半年くらい前から新築工事が行われ、今月から供用が開始されました。大学生の時から何度か下車したことがありますし、近年もここで帰宅を断念させられるなど、ご縁のある場所。
糸魚川は人口約4万5千人の小さな市です(これでも市町村合併で大きくなった)。そのサイズには不釣合いな駅舎ですが、実は背後は工事中の北陸新幹線の駅舎。今回完成したのは手前の部分です。
新幹線開業後は第三セクターに移管されます。左に接する建物は観光協会などが入る施設で、右に少し、解体中の旧駅舎が見えています。
いずれも閑散としています。次の列車まで時間があったので駅前を歩いてみたのですが、正直なところ訪れるたびに寂れていきます。郊外に大きなショッピングゾーンができたのです。
それでも新幹線開業に合わせて駅前アーケードを整備するそうな。金沢、富山を含めて、北陸地域が新幹線に期待していることは分かりますが、長野新幹線開業後などをモニターしていると、地域の活力(人材や経済)を中央が吸い取ってしまう「ストロー効果」が際立ちます。
その後、を考えているのかどうか、いつも気になってしまうのです。「新幹線がすでに開通している新潟県人の勝手な言い分」と言われればそれまでなのですが。
■12月12日(木) 暗闇の中でセンセイを出迎えてくれたのは、サンタさん!!
今日は見たままのお話を手短に。
このところとても忙しいので、出勤、退勤する時はいずれも真っ暗。しかも、お伝えしているように日本海側はずっと雨や霙の日が続いており、センセイは自転車を利用することができません。
大学まで2km弱歩いて通勤する必要があります。皆さんも経験がおありでしょうが、同じ道でも徒歩と自転車とでは、景色が異なります。
道路上での通行する位置とスピード、視線の高さ、方向が相違するからでしょう。センセイの場合は加えて、経路そのものものが微妙に違います。途中の橋の付近が坂になっていて、自転車だとそれを迂回するためです。
昨日の朝は雨が降っていたので、自転車の時とは違う経路で歩いていたら、暗闇の中、ドラえもんに変化が。
近づいてみると、やっぱり。ご覧のように赤いサンタさんの帽子をかぶっています。もちろんあの女性が作られたもの。
まめな方なんですね。可愛い目がちょっと隠れてしまっていますが、まぁ、それもご愛敬。
いよいよ年の瀬、という感じです。
■12月11日(水) 文部科学省は、江戸城外堀の石垣の上に建てられていた
ある意味では、昨日の続きなのですが教育とはちょっと違うお話を。
センセイはこれまで何度か文部科学省の建物に入ったことがあるのですが、写真奥の高層新館(「霞ヶ関コモンゲート」)が建設されてからはもっぱらそちらばかり。
文化庁が入る手前の旧館のことは良く思い出せなくなってしまいました。この場所へは新橋から地下鉄銀座線に乗り換えるのが便利、1駅の虎ノ門駅11番の出口を使うと、新館の真下に出ます。
文部科学省へはエスカレータで上るだけ。だから見過ごしていたのでしょうが、エスカレータの途中に何か空間があることに初めて気づきました。
ここへは階段ないしはエレベーターで行くことができます。おわかりでしょうか。
写真奥に見えているのは江戸城外堀の石垣なんですね。手前の物体は用いられた石の一つ。
数枚のパネルで歴史と外堀の様子が説明されています。文部科学省の建物は写真の右上方向、つまり石垣の上というか、江戸城の中に建設されています。
センセイもある程度は知っていたのですが、このような展示があるとは思いませんでした。興味を持たれた方はぜひ一度足を運んでみて下さい。
■12月10日(火) 内も外ももう、ホントに大変... ──大荒れの天気の中、何とか金沢に戻りました──
都内のホテルで目覚めて、まず天気を確認。
今日の関東地方は朝から強い雨との予報だったのですが、意外にも、窓から外を確かめると雨は降っていません。気象庁の雨雲レーダーを見ると、おぉ、厚い雨雲が箱根の山を越えるところ。
間もなく都内も雷を伴う雨になりました。今日のイベントは午後から。根性なしのセンセイは、雨に濡れたくないのでチェックアウト時刻ぎりぎりまでホテルに留まっていました。でも問題は、都内の雨ではありません。
今日中に金沢に戻ることができるかどうか、です。今日、日本海側は強風と強い雨が予想されており、JR東日本は昨日のうちに、新潟と金沢を結ぶ特急「北越」3往復の運休を公表済。今日のセンセイは別な特急「はくたか」を利用するのですが、この両列車は似た経路をたどるのです。
実際、日中の「はくたか」は強風で運休になってしまいました。今日中に戻り、準備の関係で明日早朝から出勤しないと朝イチの授業ができません。学生が登校する8時過ぎにレーダーを見ると、大学付近では激しい雨となっています。
学生の掲示板には「雨ごいすー、ごいすー!」、「天気悪すぎだぞ…(´・ω・`)」「最近雨降ってるのが自分の中でデフォになりつつある・・・」などなど。(以上、原文のママ)......凄いことになっているんだろうなぁ。
でも情報を総合すると、低気圧の通過に伴う天気の悪化は夕方までには収まりそうです。
気を取り直して、出張先である文部科学省へ。今日のイベントは非公開だった昨日を受けての会合。一般に公開されているものなので、あちこちに知った顔。何だか同窓会状態。
ただし昨日ほどではないにせよ、内容は極めてシビア。もちろん一般的に得るものは多かったし、とりわけ、今後の見通しをつけることができたのが最大の収穫。
しかしそれを現実の組織で実現、実践するとなると......。知り合いの発表者も、まさにその点を指摘していました。
会の最後まで出席して、地下鉄と新幹線を乗り継ぎ、目的の「はくたか」に無事乗車。所定時刻の出発だったのですが、日中は強風が吹き荒れていたようで、影響が深夜まで残っていました。
途中はまだ雷雨の区間も。最大で12分遅れたのですが、運転手が飛ばした(「回復運転」)ようで、金沢には10分遅れで到着。おかげで最寄り駅への最終列車に間に合い、北陸鉄道にも乗り継ぐことができました。
それはそれでありがたい。でもセンセイとしては先週、今週と極めて刺激的な会合に参加させていただき、正直なところ、「大変だぁー」。気づいてしまった──実は以前からなんだけど──からには、「見なかったことにする」わけにもいかないし。
■12月9日(月) 西村センセイ、道を尋ねる ――早稲田大学での研究会に参加しました――
というわけでセンセイは上京中。今日は早稲田大学での研究会を終えてホテルに戻ったところです。
朝、予定していた列車に乗るため、ちょっと早めに自宅を発ちました。しかし駅に近づくとふだん見かけない貨物列車が柏崎駅構内に入ってきて、そのまま停車。
変だなぁーとは思ったのですが、貨物列車のダイヤには詳しくないので、そのまま駅へ。すると今度は、1時間近く前に出発しているはずの快速「くびき野」1号が停車したまま。明らかに何か異変が起きています。駅に到着すると未明に長岡―見附(みつけ)間で信号機が故障したため、ダイヤが大幅に乱れているそうです。
しかしWeb上では情報が十分に提供されていません。状況が徐々に分かってきたのですが、信号機の故障はその後復旧し、午前7時前から列車の運行を再開したとのこと。
しかし朝の通勤通学の時間帯なので、複数の列車が多くの乗客を乗せたまま最寄駅で足止めされています。
「くびき野」1号もその中の1本。それでも40分遅れで運行を再開したので、結果的は予定通りの新幹線に乗ることができました。
ホテルに荷物を預けて、会場の早稲田大学へ。しかし西村センセイ、40年近く前に第一文学部を受験して以来、どうも早稲田大学とはご縁が薄いらしい。
(センセイとしては珍しく)守衛さんに教えてもらって、会場にたどり着きました。今回の研究会はオランダおよびカナダからゲストをお呼びして、大学の国際的な動向に関する非公開――ただし秘密というわけではない――のもの。
主催者にお声をかけてもらったので、出席させていただきました。参加者の顔ぶれはそうそうたるもの。そしてもちろん、内容は極めて濃密です。知り合いが「疲れた」とこぼすほど。
明日は会場を文部科学省に移して、公開シンポジウムが開かれます。
■12月8日(日) 真冬並みに凍てついた日でも、特急色485系のためなら「撮り鉄」鉄道ファンはご出勤
今日は新潟の自宅へ帰るだけなのでゆっくりと起床。
バスの車窓から師走の金沢を眺めながら金沢駅へ移動。6番線ホームで特急「北越」3号を待っていると車庫から回送されてきた485系は、おぉ、特急色。
しかも有名な、T-18編成ではありませんか。北陸新幹線の開業に伴い、485系「北越」の廃止が約1年後に迫っています。今日は日曜日だし、鉄道ファンが集まるかも.....と思って周囲を見てみると、意識して撮影している人が10名くらい。
幼い男の子を連れたご夫婦が、先頭車のクハ481-1805の前で何度も記念写真。ただしこちらは単に「特急電車」という位置づけのようで、大阪からの特急「サンダーバード」3号の前でも撮影していました。
金沢発車時の9号車の乗客は、センセイを含めてわずか2名。もちろん途中の富山や直江津からそれなりに乗車してきましたが。
富山県内の天気は割と良かったので、センセイは車窓からこの列車の撮影者を捜します。列車の実際の車両運用は、故障や遅れで変わるのですが、485系は絶滅寸前の希少種。
専門の掲示板などで最新の情報が交換されているのです。「撮り鉄」と呼ばれる彼ら──ほぼ完全に男性──にとって、どうも撮影ポイントは絞られてくるらしい。
何度も乗っていると、やがてわかってきます。石川ー富山県境付近、富山県内はほぼ予想通りでしたが、新潟県に入ると天気が急変しました。
日が当たらない──彼らにとっては重要な要素──どころか、雨も降ってきました。しかしそれでも撮り鉄は負けません。写真は新潟県内で撮影したもの。かなり強い風の中、三脚を立ててこの列車を撮影しています。
正直なところ、「センセイと彼らは違うよ」と主張したいのです。「だって興味があったら実際に乗ってみればいいじゃん」というのがホンネ。
しかし撮り鉄も、「乗り鉄」に区分されるであろうセンセイもどうやら、世間からは同族と見なされているらしい。......風と雨の中、ご苦労様です。