2015年8月8日更新(2015年8月16日ページ移動。2018年1月6日写真削除)

──2015年8月第2週のニュース──

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8月8日(土) 約20年ぶりに「ココイチ」新発田インター店へ入ってみました

 前任校での集中講義を終えて、夕方、自宅へ戻りました。

 最後の時間に試験を実施するのですが時間割の関係上、どうしても午後になります。つまり昼食が必要。でも今日は夏休み期間中の土曜日なので、食堂も売店も営業していません。
 学生諸君も知っています。大半は弁当を持参。

 センセイも、途中のコンビニか弁当屋で何か買っても良かったのです。

 でも水曜日に集中講義を始めて以来、夜の食事は近くのスーパーの弁当か総菜(+ビール)。とてもお昼にコンビニ弁当を買う気にはなれません。講義を終えると、徒歩でキャンパスの外へ。
 裏道から幹線道路に出ると、いくつかお店があるのです。

 ......暑い。とにかく暑い。

 大学のすぐ脇に、ちゃんとした料理を出すお店があります。その分、価格設定は高めなので席は空いているだろうと予想していたら......入口でお客さんが待っています。
 子供連れが目立ちます。世の中は夏休みなんですね。

 国道を越えて500mくらい歩けば、ステーキ──センセイは食べないけど──や回転寿司、中華料理のお店がいくつもあります。でもこの暑さではとてもそこまで歩く気になれない。
 というわけで、最寄りのココイチこと「カレーハウスCoCo壱番屋 新発田インター店」へ。

 センセイは1991年の前任校開学とともに赴任したのですが、このお店は直後にオープンしたように記憶しています。
 現在ではカレーをそれほど食べないので、このお店は2、3回来ただけ。

 あまり繁盛している印象ではなかったので、申し訳ないのですが「いつまで持つかなぁー」と心配していました。
 でもよく考えてみると、あれから約20年間ずっと続いている。

 ボーリング場(?)の一角を借りているのですが、写真左上の、建物本体の看板はもうボロボロ。でもココイチの看板は元気です。
 丁寧にメンテナンスしているのでしょう。

 店内に入ってみると、かなり混んでいます。カウンターに残っているのは、わずか2席。センセイの認識は甘かったようです。
 辛さからトッピングまで選べる仕組みと高価格設定は、以前のまま。

 センセイの目的は短時間で確実に昼食を済ませ、午後の試験に臨むこと。ごく普通のポークカレーにしました。

 だからすぐに届いたのですが、個人的──まったくの個人的感想です──にはイマイチ。トッピングが豪華だったり、辛さが違ったりしても、その評価は変わらなかっただろうと思う。
 努力を続けている関係者には申し訳ないけれど、やはりセンセイには、ご縁がなかったんだろうなぁ。



8月7日(金) 食堂に大きな世界地図が掲げられている大学 ――明日は立秋です――

 昨日に引き続き5コマ、つまり7.5時間の講義を終え、夕方の6時ころ駐車場の318iに戻りました。

 朝から窓を閉めた状態で駐車していたので車内は相当な高温になっているはず。実際、昨日は凄まじかったのです。車に近づきながら、リモコン式のキーで窓を全開に。
 ロック解除ボタンを長押しすると、窓を全開にすることができるのです。

 覚悟しながら車に乗り込むと、意外にもそれほどではありません。車外気温計によると、28℃とのこと。

 ホテルに着いてから気象庁のアメダス記録を確かめると、新潟県内は昨日より3℃程度気温が低下したようです。関東地方などは猛烈な高温が続いているようですが、それでも明日は立秋。暦の上では秋に入ります。
 明朝のニュースは、酷暑とともに立秋を伝えるはず。

 何度もお伝えしているように、センセイが集中講義をしているのは以前所属していた大学。非常勤になってからも、年に1、2回は訪れています。
 だから学内で何かが変化すると、とても強い印象を受けます。

 今回、全く予想外だったのが食堂。

 他は何も変わっていなかったのですが、奥の壁に大きな世界地図が掲げられたのです。記述はすべて英語。
 そしてグリニッジ子午線
(しごせん)を中心とした地図。

 日本人は中心に日本がある地図に慣れています。在日米軍なども、日本中心の地図を使用していますから、理由がないわけではない。
 でも世界標準はこちら。

 この大学は国際主義を掲げる大学なので、確かにこれは良いアイディアだと思う(欧米中心に考えるべきだと主張しているわけではないので、念のため)。
 外国人教員の提案なんだろうか。

 世界を視野に置いて物事を考えようというその志は素晴らしい。

 でも、この組織が抱える本当の問題は、育てようとしている学生諸君が、そして他の誰よりも教職員と法人が、この志に応えるだけの実力を持ち、そして実際に行動しているか、ということなのです。
 自省の念を込めて、ですが。

 陰ながら応援しています。



8月6日(木) 人々が集まって変わっていく街、人知れず寂れていく町

 講義2日目。

 9時から開始したのですが、学生諸君は睡眠不足の様子。連日の猛暑で十分眠れない中、がんばって登校してきたんだと思います。眠気覚ましに、というわけではないのですが、最初にクイズを。
 今日は何の日?

 もちろん皆さんはお分かりだと思いますが、受講生は早朝に自宅なしいはアパートを発っているので、そのほとんどはニュースを見ていないはず。実際、大半は戸惑っています。
 一人の学生が挙手し、「広島に原爆が投下されてから70年」。その通り。

 白状すると、きっかり70年だったかどうかは忘れていたのですが。

 日本人からすると「落とされた日」。そこで、落とした側から見た短いビデオを見ていただきます。学生諸君は食い入るように映像を見ています。歴史の講義ですから、どうしても古い方から始めます。
 その結末が、生きている人間の上への原爆投下。あるいは最近のグローバル化や生命の操作など。

 学生諸君はぼんやりとながら、古い歴史を学ぶことの意味を理解し始めます。ここまで来ればこっちのもの。もちろん、睡魔に負けてしまう学生もいますが、それは仕方ない。
 やる気はあるのです。

 朝9時から夕方6時までの講義を終え、手配してもらったホテルへ移動します。10年以上利用しているじゃないかと思います。
 今回割り当てられたのは東向きの部屋。

 西日は射さないので夕方ホテルへ戻っても、猛烈に暑くてたまらない、というわけではありません。
 その代わり(?)、部屋からのんびりと夕日を眺めることはできないのですが。

 大学が用意してくださったのは宿所とそこでの朝食。晩御飯は自分で何とかしなければなりません。荷物を部屋に置いてから、徒歩で外へ出ます。
 新発田
(しばた)市、特に幹線道路である国道7号線沿いの場所はどんどん変化しています。

 ホテルのすぐ隣に、栃木を本拠地とするドラッグストア「カワチ薬品」がオープンしていたり。
 このすぐ脇に地元小規模資本のスーパーがあったのですが、一昨年に倒産、閉店。跡地は更地になっていました。

 新発田市が変化していくのには理由があります。周辺の市町村、あるいは旧市街地が急速に衰退しつつあるため、人々がこの地に集まってきているのです。繁栄と衰退は表裏一体。
 手放しで喜ぶことはできません。

 今日歩いた中で、唯一の救いはカワチ脇、写真右側の灯りが付いている建物にある、地元――正確には、隣の豊栄――の農産品を取り扱っているお店。
 7時ころ到着したのですが、閉店時刻だったようで中に入ることができませんでした。

 グローバル化とその対抗勢力が、この場所で熾烈な戦いを続けています。もちろん、それにはそれなりの理由があります。そして受講生はやがて、その荒波の中で、自分の立ち位置を探すことになります。
 その時のために、少しでもお役に立てば......と考えながら講義を続けます。

 (ずっと後になってからでもいいから)この講義の意味と意義を、わかってもらえるかなぁ。



8月5日(水) 学生は恵まれた環境でゆっくり育つ。でも...  ――前任校で集中講義を実施しています――

 いえ、前任校の学生さんに何か問題があるのではありません。誤解なきよう。

 今日からセンセイは前任校で、科学の歴史に関する集中講義を実施しています。センセイにとっては、本来の専門を講義できる唯一の機会。気合いが入ります。

 早めに大学へ赴き、廊下を歩いている、見知らぬ学生さん――結果的に、彼は受講生ではなかった――から挨拶されました。荒(すさ)んだ感じが、ない。
 今日お付き合いした学生さん全員がそうでした。

 学生諸君はこの場所で、ゆっくりと、しかし着実に育っています。でも、キャンパスの外は別。
 今日は車を運転してい何度かヒヤッとさせられました。

 もちろん大学がある新発田(しばた)市内の話です。交差点でこちらは直進、向かいは右折なのに無理に割り込んできたり。
 そういえば新発田って、もともとこういう場所だったのかもしれない。

 写真は、長い講義を終えた夕方に撮影したもの。こちらの写真の反対側から見ています。
 2台のバスは、学生を最寄りJR駅まで送るバスです。

 このバスは開学直後、公共交通機関での通学に困っていた学生の様子を見て、最年少教員だったセンセイが、具体的なデータを示して運行を実現したもの。
 もう誰も覚えていませんし、それでいいんですけど。

 左手の2本の木は、ニュートンのりんごの木(右側の看板のある方)と、地元、新発田市に隣接する聖籠(せいろう)町のりんごの木。受粉のために植樹しました。
 特にニュートンのりんごの木は、本当に良く育っています。

 センセイはここで木を植えて、この場所を去りました。しかし木は、そして関係する学生を中心とする人々も、いろいろな問題を抱えつつも逞(たくま)しく育っています。
 巣立った身としては、それだけでも十分感謝したい気持になります。



8月4日(火) やはり「北陸新幹線はガラガラ」でした

 センセイは大学の特別な許可を得て、明日から前任校で集中講義をすることになっています。「特別な許可」というのは、金沢工大では特別な事情がない限り他大学での講義が禁じられているのです。
 金沢・自宅の距離は240km。

 前任校は自宅から北へさらに110km離れていますから、単純計算すると350km。講義当日の移動は避けたい、というより、危険です。そこで前日の今日、ひとまず自宅へ戻ることに。
 先週末に東京と仙台へ出張したため、今週は1ヶ月ぶりに電車で帰宅します。

 本当は、学期最後の講義を終えたら、少し早い新幹線に乗るつもりで良い席を予約しておいたのです。でも夕方に会議が入ってしまいました。やむを得ず乗車変更。
 1回限りですが、手数料なしに切符を変更できるのです。

 ヘビーな会議を終えて蒸し暑い空気の中を自転車でアパートに戻り、金沢駅行きのバスに乗り換えます。
 「秋の夜は釣瓶
(つるべ)落とし」。

 日没の時刻がどんどん早まっているので、駅に到着したころにはもう周囲は真っ暗になっていました。
 深夜に到着するのお弁当を買います。

 さて、その北陸新幹線。果たしてガラガラなのか。

 出発時刻が10分後に迫ってきたのでホームへ出たのですが、列車はまだ入っていませんでした。
 指定席車両が到着する部分にお客さんは皆無。まぁ、これは当然かも。

 センセイが乗車するのは、自由席と隣り合わせの指定席車両。そちらに歩いていくと、さすがに自由席にはお客さんが待っています。
 しかし人数は、1車両あたり20人くらい。 

 出発時はもう少し増えたのですが、新高岡や富山でかなりの、そしてやや意外にも黒部宇奈月温泉でもお客さんが下車してしまいました。指定席はそれなりに混んでいるのです。
 でも自由席は、ガラガラ。

 本来予約していた列車ではないので単純比較はできませんが、センセイの場合、自宅との移動はまったくの自腹なので、指定席/自由席の使い分けを工夫した方が良いようです。 



8月3日(月) 季節の区切りとなる行事は、とても大切だ思う ──送別会の日に──

 写真は先週土曜日に小田急町田駅前で撮影した盆踊り大会です。

 土曜日は会議を終えてからひとまず、仙台とは逆方向へ移動しました。就職活動中の娘と会うためです。夕方駅に到着した時はすでに、盆踊りは始まっていました。

 娘と食事をして──つまりセンセイは少し酔っぱらって──駅に戻ると、参加者がずいぶん増えています。
 躍っているのは幅広い年齢層の方々。

 たかが盆踊り。されど盆踊り。短い夏を自分に言い聞かせるかのように躍っていらっしゃいます。
 今週末の7日は立秋。暦の上では秋なのです。

 心配された今日の講義ですが、午前中に何とか採点を終え、午後の講義で個別の評価(成績)を伝えることができました。
 いくつかの仕事を片づけた後に、年度途中で退職する同僚の送別会へ。

 立場上、背広とネクタイを着用して出席します。何事も、つまり物事の内容もタイミングも区切りが大切。
 というわけで夜が更けてからアパートへ戻り、このページと授業の記録を更新しました。

 まだ明日のクラスの採点が残っているので、早起きをして頑張らなければ。



8月2日(日) 西村センセイ、仙台でお土産を買いながら、いろいろ考えさせられる

 というわけでセンセイは昨日、都内に一泊。

 今日は午前中に東北新幹線で仙台へ移動しました。東北大学で午後から開かれる研究会──今年の1月末にセンセイがお話ししたものと同じシリーズ──に参加するためです。
 実は、センセイはかなりラッキーだったのです。

 東北大学の会場に到着してから知ったのですが、東北新幹線はセンセイが通過したすぐ後に那須塩原駅で信号機が故障し、2時間ほど不通になってしまったのです。
 研究会は議論が白熱。

 それはそれで大変有意義だったのですが、未採点の答案を抱えたセンセイは何としても予定通りに金沢へ移動する必要があります。幸いにも予定より早く仙台駅前に到着することができました。
 さて、お土産をどうしよう。

 センセイは基本的に、主張先では容易に消費できるお土産を購入することにしています。お渡しする相手は、まず大学で留守を預かってくださる事務職員。ただしこれは条件があって、公務出張であることと、大都市へでの用務ではないこと。
 買うのは、小分けされたお菓子など。

 そしてもう一つ。実家や伯母、近所へのお土産です。こちらは主に老人が相手。しかもいつ渡せるか分からないので、日持ちするものでなければなりませんから、海産物や、漬け物の類になります。
 でもご存じのようにセンセイは、3週間前にも別な用で仙台を訪れています。

 いつもは仙台駅地下のお店でお土産を探すのですが、何回も来ていることもあって、概ね一巡してしまいました。困った。

 ご存じの方も多いと思いますが、仙台駅青葉通り側のバスは、駅のすぐ前にあるロータリーから出発します。でも下車する場所はかなり離れています。しかも今日は炎天下。
 バスを降りてから、夕日が当たる青葉通りではなく、1本北側の名掛丁通りを歩くことにしました。

 この時点では、暑さの回避行動とお土産とは無関係だったのです。

 でもアーケードの下を歩いていると、「地産地消市場 仙臺いろは」が。店内に入ってみると、三陸地方の海産物を取り扱っています。
 地元でしか手に入らないような逸品を、しかも格安。買うしかない。

 お土産を購入してから駅に向かうと、愛宕上杉通りで待っていたのは「そばの神田 名掛丁店」。
 予定を全面変更して、早い夕食を頂くことにしました。

 3週間前は根性がなかったので冷たいうどんにしましたが、今日はかき揚げは同じ「小柱かき揚げ」ではあるものの、熱いうどんをいただきました。
 やはりこちらの方が格段に美味しい。

 東北新幹線のダイヤはまだ乱れていましたが、幸いにもセンセイが乗る列車は定刻通りに運行されました。
 他にもいろいろ事件があったのですが、大宮で乗り換えた北陸新幹線は3分遅れで金沢到着。

 帰宅してから調べてみると、「仙臺いろは」そのものは仙台放送が放送している番組でした。「いろは」は「いろいろ始める」という意味を込めたもののようです。
 趣旨説明によると「リアルスペース」も運営しているとのこと。それがこのお店らしい。

 正直なところ、テレビ局などの都合は良く分かりません。でも災厄から立ち上がろうとしている人たちの産品が目の前にあるのです。しかも一目でわかりますが、銘品。これはもう、買うしかない。
 買って、(少しでも)支えになるしかない。

 東京行の東北新幹線に乗車すると、仙台駅出発後しばらくして、左手(東側)に大規模な仮設住宅群が見えてきます。

 あれから4年半が経過。仮設住宅は2年の使用を前提としているのですが、洗濯物の様子などを見ていると、まだかなりの方が生活していらっしゃいます。
 それほどの災害だったのです。

 忘れたい、あるいはなかったことにしたい気持ちは分からないのではない──自分自身の中にあるから──のですが、しかし決して、この現実から目をそらしてはいけないと思います。

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