2015年1月31日更新(2015年2月8日ページ移動。2017年7月15日一部写真削除)

──2015年1月第5週のニュース──

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1月31日(土) もう目にすることができなくなる、この風景 ──北陸本線乗車は、残り4.5往復──

 いつもなら金曜の晩に自宅へ戻るのですが西村センセイ、昨晩は金沢に留まりました。

 今日の午前中に大きな試験が実施され、「試験監督の監督」という立場上のお仕事があったからです。実務は若い優秀な先生方や事務の方がしっかりこなしてくださります。だから「そこに存在する」のがセンセイの仕事。
 要するに老人の留守番ですね。

 お昼過ぎに解放されたので、アパートに戻って荷物をまとめ、路線バスで金沢駅へ。残念ながら新潟行の特急「北越」は出発した直後。40分ほど後の越後湯沢行「はくたか」に乗ります。
 途中の直江津で各駅停車に乗り換えて自宅最寄り駅へ向かうのです。

 車中で改めて計算してみたのですが、3月14日の北陸新幹線まで、自宅を基準にして5.5往復することになります。小数点以下があるのは、金沢滞在時に新幹線が開業するから。
 1回だけ自動車を利用するつもりなので、在来のJR北陸本線に乗るのは4.5往復となります。

 しかもこの間に4回上京するので、金沢までの帰路、真っ暗な中を走行することも多い。今日のように明るいうちに北陸本線に乗ることができるのはもう僅かとなります。波打ち際を走る北陸本線、海はもちろん美しい
 特に冬場の日本海には神々しさすら感じます。

 でも沿線にはいろいろ面白いものがあるのです。だから、そこを通るたびに「あぁ、今日も変わっていないな」と、チェック。
 安全啓発のために道路沿いに設置された、警官に似せた立て看板のようなものかもしれません。

 その一つが、写真右側の「ハシバ建設」の建物。糸魚川市東部の中宿、国道8号線沿いにあります。
 先日ご紹介した「鬼伏」「鬼舞」地区の西側になります。

 ごく普通の作業場なのですが、ある時、屋根の瓦に文字が書かれていることに気づきました(写真では良くわかりません)。
 色違いの瓦を使って「55-4455」と記されています。もちろん会社の電話番号。

 あちこちで目にする一種の広告ですが、ひとたび気づいてしまうとどうしてもチェックしないと気がすまない。
 変なものですね。

 この電話番号、写真の国道を走っている時にはなかなか意識することができません。たぶん、道路から見上げた屋根の角度の問題だと思います。だからこれを見るのも最後かも。
 というわけで、少々おセンチになりながら帰宅した今日のセンセイだったのです。

 そうそう、若干(?)のお詫びと訂正があります。

 気になって、帰宅してから保管しておいた乗車券類を確認したのですが、夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」のA個室寝台「ロイヤル」乗車回数はかもはお伝えした4回ずつではなく、それぞれ5回ずつでした。
 B寝台個室には3回ずつ乗っているので、列車全体では8回ずつ乗車していることになります。

 気になってすべてのチケットを確認してみると、寝台券が出てくるわ出てくるわ......。

 驚いたことに、夜行寝台列車に少なくとも38回乗車しています。大阪から柏崎まで利用した急行「きたぐに」A寝台のものが残っていないので、それを含めると39回だと思われます。
 西村センセイ、昨日までは無性に「トワイライトエクスプレス」に乗りたかったのです。

 でも、これだけの寝台券を眺めている──「その数の多さに呆れている」がより正確──と、寝台券が入手困難という事情もあって、「さすがにもういいかな」と思えてきました。
 その代わり......。(続きはあるかもしれない。ないかもしれない)



1月30日(金) 夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」は、ダイヤ改正前々日の列車が最後に...

 先週末、時刻表の最新号を自宅近くの書店で購入しました。

 左側には「緊急特集 北斗星、お前もか!!」の文字が。1ヶ月半後のダイヤ改正で、上野ー札幌間で運転されている夜行寝台特急『北斗星』が臨時列車化され、8月下旬に完全廃止されることを指しています。
 でも、あまり品が良い表現とは言えないんじゃ......。
((c)JTBパブリッシング)

 それはともかく、ページを開いてみます。センセイにとっては、乗り慣れていた列車のほとんどが廃止されるため、いわば最後の時刻表。
 巻頭で特急などの新ダイヤが一部紹介されていますが、センセイに直接関係するダイヤは載っていませんでした。

 北斗星臨時列車化とともに、何度もお伝えしているように大阪と札幌を日本海側沿いのルートで結んでいるトワイライトエクスプレスが廃止されます。

 できれば3月の廃止までにもう1回、それもシャワーとトイレがあって、広いベッドでゴロゴロできるA個室寝台「ロイヤル」に乗ってみたい。
 一昨年の夏以来、トワイライトエクスプレスに乗車していませんし、「ロイヤル」に乗ったのは3年前が最後。

 そこでこのところ、チャンスがあれば駅の出札窓口へ行ってみるのですが、いろいろ工夫しても寝台券を入手することができません。
 感覚的には従来と比べて100倍から1,000倍くらい難しくなっている感じがします。

 実はA個室「ロイヤル」に限って言えば、センセイはトワイライトエクスプレスと北斗星それぞれに4回ずつ乗車しています。
 客観的には非常に恵まれていると思います。

 ただし設備はほぼ同等でも、個人的には北斗星にそれほど強い思い入れはありません。トワイライトエクスプレスへの想い(?)が通じる日は来るのでしょうか。
 そうそう、補足を一つだけ。

 ダイヤ改正前後のトワイライトエクスプレス運行に関してセンセイは、ダイヤ改正の翌日も例外扱いで運行するのではないかと述べました。これまでの夜行列車の取り扱いがそうだったからです。
 ただし今回は線路を保有する鉄道会社そのものが変更になるため、改正前日には運行しないそうです。

 つまり客扱いは、3月12日(木)に大阪、札幌を出発する列車が最後になります。

 ただし例外には例外があって、最後の大阪発トワイライトエクスプレスは3月13日(金)に札幌に到着します。機関車以外の車両はJR西日本のものなので、同日以降に(たぶんほぼ同じダイヤで)大阪まで回送されるはず。
 つまり、第三セクター化された旧北陸本線上をやはり、乗客のいないトワイライトエクスプレスが1回だけ走ることになると思います。



1月29日(木) 「チャンカレ通り」(仮称)の供用が開始されました

 今日は見たままのお話を手短に。

 北陸地方ではこのところ、ぐずついた天気が続いています。昨晩こそ少し降雪があったものの、降るのは雨。海岸沿いの平野部からは雪が消えています。
 でも昨日と今日は日中、天気が何とか持ちました。

 そこで久しぶりに「ほっかほっか亭」へ行くことにしたのですが、お店に近づくと、あれ?!

 昨年2月に始まった道路工事に変化が見られます。いくら何でも年内には完了するだろうと思っていた工事。
 しかし作業はなかなか進みませんでした。

 最近も写真中央の部分をアスファルト舗装しながら、作業はそこでストップ。他の土木工事同様、3月末まで待たなければならないのかと思ったほどです。
 でも近づいてみると、新しい道路(写真中央)を車が走行しています。

 右側の白っぽい旧道部分は、建物への入口を除いて、出入りできないように閉鎖されています。
 よく見ると、道路上に電柱が立っていたりしますが、移設工事の準備も進んでいるようです。
 いよいよ供用が開始されたのです。

 この道路を向こうから来ると、「チャンカレ」ことチャンピオンカレー本店に突入するような格好になります。

 だからセンセイは勝手に「チャンカレ通り」(あるいは「チャンカレ道路」)と呼んでいるのですが、どうでしょう。



1月28日(水) 北陸新幹線金沢開業に備えて、新潟県内の在来線車両更新やその準備が進んでいます

 もう一日だけ仙台出張の件を。再び鉄道ネタです。悪しからず。今回のツアーは結果的に、相当な鉄分補給の旅だったのです。

 お伝えしたように今回の出張、往路は新幹線を使わずに、新潟の自宅から在来線を乗り継いで仙台へ向かいます。
 最初に、柏崎から新潟まで「くびき野1号」に乗車。

 雨の中、西方からしずしずと2番線に入線してきたのは、485系特急型電車。しかも国鉄色。先日乗り損ねたT-18編成です。
 運転席上の、2灯の前照灯がその証拠。

 いつもなら早めに駅へ行って自由席に乗るのですが、今回は全6両編成の車両の中で、最も良い席を予約しておきました。

 前任校へ通勤している時は何度も何度も利用した「くびき野」。車窓から見える風景がずいぶん変化していることに驚かされます。
 これらの風景にとってセンセイは、むしろ異邦人かも。

 やや傷心気味のセンセイを乗せた「くびき野」は、定時に新潟駅到着。

 ここで485系を改造したリゾート列車「きらきら うえつ」に乗り換えるのですが、1時間弱の待ち時間があります。駅の周囲や駅構内をフラフラ。

 雨が降っていたので駅から離れることはせず、早めにプラットフォームへ出ました。居合わせたのは、新製E129系電車。
 老朽化した115系の代替です。

 止まっていたのは営業中の車両。ただし列車を分割して引き揚げ線に向かうところだったので、客扱いはしていませんでした。
 外から中を覗いてみたのですが、どうみてもE233系そのもの。(ただし耐雪耐寒仕様)

 目に見える違いがあるとすれば、ドアの数が地方用に片面3カ所に減らされていることと、セミクロス座席であることくらい。
 ただし、事前に聞いていた通り、ボックス席は編成の中央部だけでした。

 車体の塗装デザインは何度見ても、ちょっとぼんやりした感じ。個人的にはあまり好きになれないと思う。
 まぁ、趣味の問題ですが。

 新潟を出発した「きらきら うえつ」はすぐに、車両基地脇を通り抜けます。

 チラリと見えたのは、おぉ、E653系付属編成による特急「しらゆき」用車両。初めて見ましたが、イラスト通り、上部は真っ白(という印象)。
 緊急時、特に降雪時の視認性などを考えているんだろうか、とちょっと不安になります。

 酒田、新庄を経て仙台で真面目にお仕事。翌朝は、東北・上越新幹線を乗り継いで越後湯沢へ。
 センセイはここで特急「はくたか」に乗り換えました。

 でも次の新幹線から、北陸地方へ向かう乗客は次の次の長岡駅まで乗り越し、そこで迂回運転(こちらこちら、そしてこちら)の「はくたか」に乗り換えることになっています。
 在来線除雪のため、線路を閉鎖するのです。

 六日町駅の待避側線には、やる気満々の“ENR-1000”が控えていました。直江津駅に到着すると、今度は見慣れない車両が。
 新潟県の下越・中越地方だけで運用されているE127系です。

 どうして上越地方の直江津駅にいるんだろうと思ったのですが、列車前面には「試運転」──駅弁を売っている方の頭の上──の文字が。E127系はえちごトキめき鉄道に譲渡されることになっています。
 停車位置などの確認をしているんでしょうね。車籍はJRのままでした。

 直江津駅を発車しようとすると、少し離れた場所には本格的なラッセル車。糸魚川駅にはトキてつの新製ET122全車両が、まるでセンセイを出迎えるかのように勢揃い。
 これらのすべての車両が見つめるのは、1ヶ月半後に迫った3月14日。

 個人的にはこれまでの生活パターンを大きく変えることになるダイヤ改正が、目の前に迫っています。



1月27日(火) 仙台から常磐線に乗って、行けるところまで行ってみました

 というわけでセンセイは午後、金沢へ戻りました。でも今日は仙台──正確には仙台市ではなく、亘理(わたり)町──で見たものを。

 お伝えしたようにセンセイは一昨日、仙台に入りました。研究会は正午集合なので、午前中は自由に使えます。いろいろ考えたのですが、仙台から鉄道で南下することにしました。
 東北本線・常磐線を乗り継いで行けるところまで行ってみようと考えたのです。

 「行けるところまで」というのは、東日本大震災で一部区間が不通になっているから。東京近郊を除いても、常磐線は部分的には何回か乗車しています。
 常磐線全線についても、仙台発の特急で上野まで乗車しました。

 その途中、その後爆発することになる福島第一原子力発電所の近くを通ります。発電所そのものは見えなかったと思います。

 でも車窓から太平洋を見ながら、「あぁかつて、ここに来たんだなぁー」と思ったことを覚えています。というのは、センセイは1973年8月に福島第一原子力発電所を訪れているのです。
 その当時、センセイの地元である柏崎市および隣接する刈羽
(かりわ)村に世界最大の原子力発電所を建設する計画が公表されました。

 地元は賛成派、反対派に分かれて大変な騒動になったのですが、反対派懐柔(かいじゅう)策の一つとして導入されたのが、でに営業運転を介ししている福島第一原子力発電所の見学。
 柏崎地域の住民のみを特別扱いし、見学を積極的に受け入れたのです。

 センセイら柏崎高校物理部のメンバー約20人は1号機のコントロールルームまで入り、自由に写真撮影をしています。
 セキュリティが強化された現在では、まったく考えられないことです。

 常磐線は、岩沼で東北本線から分かれて海岸沿いに南下し、阿武隈川を渡るります。亘理(わたり)駅からやや東に進路を変えるので、海岸線がかろうじて見えてきます。
 亘理駅の次が現時点での終点、浜吉田駅。

 線路そのものは駅より先に続いていましたが、レールは錆びていました。戻ってから調べてみると、この浜田駅も津波で浸水しているんですね。
 ただしそれを示すようなものは何もありませんでした。仙台駅へ戻ります。

 駅前で東北大学行のバスを待っていたら、研究会に参加する知り合いの女性が「センセイ!!」。でもなぜか話を続けずに元の場所、つまりバスを待つ列の最後にそのまま戻りました。
 東北大学前のバス停に降りて彼女を待ってから話を聴いたら、「不機嫌そうだったから」とのこと。

 いや、確かにそうだったかもしれませんが、決して貴女に対してそうだったわけでは......ま、いっかー。



1月26日(月) 西村センセイ、大学の先生になってからの27年間を振り返りながら、東北大学で働く

 お伝えしたようにセンセイは今日の午後、東北大学で開かれた研究会に参加し、3名の発表者(写真中央から右)の一人として登壇し、45分10秒ほどお話をさせていただきました。

 写真はその後、関係者全員で与えられたテーマについて議論しているところ。もちろん自分で自分の写真を撮ることはできません。
 スタッフの方にデジカメを預けて、撮影していただきました。

 今回の発表は、センセイにとって割と大きな意味を持っていました。それがわかっていたからこそ引き受けた、という面があります。
 相当微妙なテーマだったのです。

 個人的には、1988年に大学の常勤教員となってから4半世紀が経過し、これまでの活動の意義を客観的に振り返るという面がありました。
 そして、もう一つ。

 実は聴衆のお一人として、元の上司(元国際基督教大学学長)がお越しになっている――ご本人から直接連絡があった――のです。

 そのため、この講演を通じて一般の聴衆とともに、元上司に金沢工大とは別な大学の現状とそこに至るまでの経緯を報告する、というかなりややこしい構成になりました。
 大人にはオトナの事情があるのです。

 終了後、ご高齢の元上司はすぐに東京へ戻られました。会場を去られる前に少しお話をさせていただいたのですが、彼に宛てたメッセージはほぼ的確に伝わったようです。
 その後、関係者で仙台駅前の牛タン店に移動し、慰労会。

 仙台へ来る機会が増えるのか、減るのかよく分かりませんが、今回、ご縁を再確認できたことは確実なようです。 



1月25日(日) センセイが酒田駅東口で見たもの ──明日の会合に備えて仙台へ移動しました──

 今日は見たままのお話。センセイは明日、東北大学で開かれる研究会に参加して少しお話をすることになっています。

 会合は午後からですが、正午に集合し、昼食を兼ねて関係者で打ち合わせをする手筈。始発列車で金沢を発っても間に合わないので、前日入りすることにしました。
 つまり今日は移動日。

 センセイのことですから、時間的に余裕がある時は在来線での移動を目指します。今回も新幹線は使わず、快速列車を乗り継いで仙台まで移動しました。すでに予定通り、仙台に到着しています。
 この移動では、新潟駅と酒田駅でそれぞれ1時間ほど待ち時間があります。

 問題は酒田。ここでお昼を食べる必要があるのですが、酒田駅前(西口)には現在、ほとんどお店がない――かつては駅の近くにジャスコがあった――のです。
 そこで今回、駅裏つまり東口を初めて訪れてみることにしました。

 気がついた限りでは3軒のお店があったので、その一つに入り、駅へ戻ろうとして、広い駐輪場と向かい合う格好になりました。
 その存在そのものは、地下道を通ってこの場所に出た時にわかっていました。

 しかし帰り道、駐輪場に正対する形になって、「酒田駅駐輪場ご利用の皆さん[へ]」という写真の看板があることに気づいたのです。
 そこにはまず、「自転車は決められた場所に正しく置きましょう」という指示。

 そして色分けされた図には、「一般」、「市外通学者」に加えて、「酒田東高」、「酒田光陵高」、「酒田西高」そして「天真学園」と記されています。
 つまり高校ごとに自転車の置き場所を割り当てているんですね。

 仙台に着いてから調べてみると、各高校は酒田駅から約1kmくらいの範囲内に存在していました。
 酒田は最上川の河口に位置しており地形は平坦。

 だから自転車を利用できたら確かに便利だろうと思います。でも正直なところ、高校ごとに区別して管理しなければならない理由は、よく分かりませんでした。

 万一、何か問題が発生したとしても、どの高校へ通学する誰の自転車かは、ラベルと防犯登録を見れば一目瞭然だろうし。

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