2021年4月17日更新(2021年4月25日ページ移動)
■4月17日(土) 食堂だけでなく、郵便局までもが... ──柏崎諏訪町郵便局、閉局──
ある意味、1週間前の続き。自宅でふと、1枚の折込チラシの見出しに目が止まりました。「郵便局...OPEN」。
...え"っ?!
今月末、自宅近くに新しい郵便局ができるというのです。開局すれば最寄りとなり、とても便利なのですが、人口減少が続く地方都市で郵便局の新設なんて、あるんだろうか。気になって良く読んでみると、事情を納得。
既存局の移転、改称なのです。移転前の局は「柏崎諏訪町郵便局」。お察しの通り、柏崎市諏訪町にある郵便局です。かつての分類なら「特定郵便局」(のはず)。
郵政民営化でこの区分は消滅しましたが。もともとは明治期、郵便制度の発足に際して制度を全国に普及させるため、民間の力を借りたことに由来します。本当にあちこちに存在しました。局長は概ね世襲制。
実家近くにも局があり、知り合いが局長を務めています。かつての諏訪町は市内で旧本町(現在の東本町と西本町)に次ぐ商業地域。「諏訪町食堂」付近にはないのですが、ご覧のようにアーケードが設けられ、お店が軒を連ねていました。
忘れていましたが、諏訪町には楽器店もあったなぁ。されど今は、両脇の元お店のように完全なシャッター街。各地の駅前商店街の現状と同じです。アーケードがあるため道路を簡単に拡幅できず、小売店は郊外へ移転。
営業しているのは、斜向かいの電器店だけじゃないだろうか。「諏訪町食堂」閉店は半世紀以上前の話ですが、いよいよ郵便局までもが...となったわけです。お店はなくなっても、住民はそれなりに住み続けています。その方々にとってある程度不便になります。
ただし実際の影響は、それほどではないはず。ここから300m程しか離れていない場所にある「柏崎東本町郵便局」を含めた複数局を利用可能。現在の都市部でのコンビニのような感覚です。そして実際、郵便局は同じような役目を果たしていました。
局の前には、実家にも繋がる路線バスのバス停。(左端)こちらはずっとこの場所にあります。路線バスそのものとともに、社会の変化から取り残されているかのように。
■4月16日(金) 天気予報、外れる ──長い廊下の向こうに、出口はあるか──
昨晩時点での天気予報は、「曇り時々晴れ。夜遅く雨」で、日中は降らないとのこと。
いつもの時刻に起床すると、外はやや暗い。ドアを開けると、何だかさっきより雲が厚みを増しているような...というか、ポツポツと雨が当たり始め、やがてそれなりの雨に。ビニール傘を差す女性。
雨を無視して自転車で並行走行し、高校へ急ぐ男子学生達。残念ながら今日の予報は少し外れ、今朝の金沢では確かに雨が降りました。現在の予報は数値予報が基本なので大きく外れることはめったにありません。でも、少なくとも当地ではこのところ、割と悪い方に外れます。
このページを書くにあたりアメダスの記録を確認すると、おや、金沢の降雨量は0mm。...局地的なものだったのかしら。
写真は数日前、講義を終えて研究室に戻る途中、ふと気づいて撮影したもの。暗い筒状の部分は校舎群を繋ぐ渡り廊下。奥にセンセイらの研究室があり、手前の講義棟より少し高い。
階段があるのはそのため。キャンパスは脇を流れる高橋川他によって形成された緩やかな扇状地の上にあり、結構高低差があるのです。奥には荷物を手に持ち、立ち話をする女子職員。
学生とはやはり、雰囲気が違いますね。突き当たりには、全面を使った大きな窓。中央が引き戸で、脇は窓。約60年前に建物が建設された当時からほぼこの状態だったと思われます。
渡り廊下はそれなりに長い。照明もあるけれど、主たる灯りは天井2カ所にある明かり取りからの外光。だから、昼間でもかなり暗く、まるでトンネルの中のような感じ。
冬場や強い雨の日は濡れずに建物の間を移動できるので有り難いけど。お伝えしてきたように、オリエンテーションと面接に追われた先週に続き、今週は講義の初回。いずれもかなり気を遣い、たとえ座っていたとしても体力も使うので、センセイはかなりヘロヘロ。
逃げ場のない、このトンネルのようなもの。幼子(おさなご)だったら逃げ出すかもしれない──実際、そうする精神的な幼児は多い──けれど、いくら出来損ないとはいえ、こちらはオトナ。仕事や目の前の学生諸君を簡単に投げ出すわけにはいきません。
きっとコロナウイルスに対処している医療従事者も同じ心境なんだろうなぁ...。果たして長いトンネルの向こうに明かりと、そして出口は見えるだろうか。
■4月15日(木) キャンパス内に植えられたりんごの木に、小さな花が咲きました
今日はお昼前後に講義が二つ。
師匠のお一人──正確には叔父さんくらいの関係──である村上陽一郎先生が朝日新聞で述べられていたように、1年あるいは1学期の講義の出来不出来は初回、それも顔を合わせた瞬間に決まる部分があります。
今日は遠隔授業なので、面と向かってではありませんが。ひとまず準備はしてあるのですが、その前に片づけたいこともあったので、早めに徒歩でご出勤。遠隔なので座ったまま、4時間近く動かないからです。最低限の準備を整えると、論文を最終的にチェックし、無事脱稿。
提出の事務手続きにちょっと手間と時間がかかりましたが、無事投稿することができました。別に送付するものがあったので、編集担当者にメールを書いたのですが、すぐにお返事が。ビリだと思っていたのですが、まだ提出していない関係者が一人いるとのこと。
う〜ん、これは予想外。講義の時間までちょっと時間があったので、用をすませるべく校舎の外へ。ふと、若葉の緑色に気づきました。近づくと、おお、花が咲き始めています。
これは校舎前に2002年に植樹されたりんごの木。ただし「ニュートンのりんごの木」ではなく、受粉のため、その隣(こちらの写真奥)に植えていただいた地元の木です。前者はまだ葉をつけ始めたばかり。
花を咲かせるまでは、もう2週間くらいかかるんじゃないかと思います。とても小さな花で、左上奥や、写真右端にも咲きかけのものが見えます。全部で10輪くらい。これからが楽しみ。
研究室に戻り、所定時刻の30分くらい前からインターネット上で「教室」を開きます。すでに数人が「教室」のオープンを待っていました。チャイムが鳴った時にはまだ数人が未到着。でも講義を始めます。
変な精神論を説く気はありませんけど、講義はやはり勢いも大切。その結果は、こちらから。
これで初回の学部講義を終えました。履修手続きの関係で、大学院科目のみ来週から始まります。もちろん油断は禁物ですが、院生相手なので何とかなるでしょう。きっと。
■4月14日(水) こ、この国産リムジンは何だ?! ──新潟市内野でやや大きな火災が発生しました──
今日は予定を変更してお伝えします。
報道(動画あり)で知ったのですが、昨日午後、新潟市西区内野町のJR内野駅近くで火災が発生しました。
当時は風が吹いていたこともあり、残念ながら周囲に延焼。9棟が被害を受けました。センセイは現場付近を良く知っています。通学していた新潟大学キャンパスが近くですし、何より、この付近に3年ほど住んでいました。
それだけではありません。アパートの大家さん──『新潟日報』の販売店──は現場のすぐ近く。道路の反対側には割烹「松のや」があり、そこで指導教官の送別会が開かれました。個人的には「自分の庭」のような感覚。
火事は約4時間後に鎮火。不幸中の幸いで、人的被害はなかったようです。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
気になって、グーグルマップで現場の様子を確かめたのが写真。南西方向に向かって現場付近を見ています。片側1車線の県道が走っており、中央の車線は右折専用。
ここを曲がると、人工の河川「新川」沿いに日本海へと続きます。((c))Google左手前には食堂「大吉」があり、自動車学校へのバスの乗り場があります。中央やや右のビルは診療所。火災はその右側のお宅で発生したようです...あれっ?!
右奥へ向かって県道を走るリムジン(?)が...。側面にはドアが片側3枚。デザインからして国産車のようですが、見たことがありません。遺体搬送車(霊柩車)などは既存の車を利用して車体を延長する場合もあるそうですが。
その類(たぐい)なのかしら...。お察しの通り、そうではありません。
車線からもわかるように、この写真は右奥から左手前に走行する車から撮影されています。たぶんカメラは固定で、回転する鏡を使って周囲を撮影しているはず。だから実は、細切れ写真の集合。
それを、あたかも連続しているかのように繋いでいるのです。不自然さをあまり覚えないのは、各画像を補正しながら繋いでいるから。中央やや右下の道路を見ると、白線がその周囲の様子がやや不自然。ここで画像を繋いでいるんですね。ここまで加工しているとは知りませんでした。
補正はもちろん自動。でもどうやら、その補正は建物など周囲の静止物体に適合するように調整しているらしい。ところが対向車線の自動車は相対的にはかなりの速度で移動中。つまりコマ送りの間に、それなりの時間が経過。
コマを自動で補正しながら繋いだところ、写真の「リムジン」が出来上がったようです。わかってしまえば、どうということはないのですが...。
■4月13日(火) ピンクの次は、プリプリのグリーン ──新年度の講義が始まりました──
今日の金沢は雨との予報。
徒歩にしようかと思ったのですが、風が強くなるとのことだった──実際、寒冷前線通過時はそうだった──ので、自動車でご出勤。最近は滅多に車を使わないので、この機会にビールを購入することにします。
車体は昨晩の雨で濡れていましたが、朝は雨粒がポツリポツリと当たる程度。通用門からキャンパスに入り、校舎に近づいたところで緑の鮮やかさに驚かされました。プリプリのグリーンなのです。その主は早咲き枝垂れ桜。鮮やかなピンク、そして淡い桜色の次は、この緑色。
実に生命力に溢れています。人間だったら、人によってニキビが始める中学生くらいのイメージ。もうちょっとすると青色が増して、青年期あるいは壮年期の色になります。
で、デジカメで撮影したのですが....う〜ん、イマイチ。正直なところ、ありふれた緑色。レンズあるいは撮像素子の限界なのか、記録フォーマットの問題なのか...。まぁ、一番怪しいのはセンセイの撮影技量ですが。
研究室へ。金沢工大では昨日から新年度、そして新学期の講義が始まりました。ただしセンセイは今日が初日。朝イチに1年生の必修科目があります。
30分くらい前に教室に到着すると、おぉ、すでに数名の学生が。先週まではオリエンテーション。でも、今日からは正式な講義です。そして今日から頼もしい助っ人が。先輩の学生が、講義に参加してくれるのです。
自己紹介をして貰った後、センセイとの掛け合い漫才。実はこの内容こそ、新入生が知りたい情報。センセイとしては有益な説明をしているつもりですが、新入生との年齢差は実に、45歳。彼ら──1年生は全員男子──にとってセンセイは、父親と祖父の中間くらいの存在。
「父方の、年が離れた伯父さん」というイメージ。ここで彼、つまりSA(スチューデント・アシスタント)の出番。両者の橋渡しの役割を果たします。何回か質疑応答の時間を設定したのですが、彼の才能もあって、もの凄い盛り上がり。講義を終えても10名弱の学生が教室に残って、「先輩!!」。
いわゆる「裏ガイダンス」です。先生に聴かれたくないこともあるだろうから、センセイは研究室に引っ込みます。今日は午後も講義があるので、その準備をします。先生にとってはメインの科目なのですが、こちらも初めてなのでやや緊張します。
その分、いつもより慎重だったかも。この講義の様子は、こちらから。
18歳、あるいは20歳の彼ら彼女ら。色にたとえるならやはりこの緑色なのですが、う〜ん、やはりプリプリ感がうまく伝わらない。
■4月12日(月) ホントに大丈夫? ──「集学館」は入居率がやや伸び悩んでいるようです──
建物の写真がここ数日続いていますが、意図的なものではありませんので、悪しからず。
今日は晴れていたし、日中の気温が上昇するとのことだったので、自転車ではなく徒歩でご出勤。午前中は週末に提出するつもりだった原稿の修正。脱稿は目の前なのに、いざ手を伸ばすと、ふっと遠ざかる。
なかなかしんどいものがあります。お昼以降は学生との面談があるし、明日は講義が2コマ。初回なのでここでコケるわけにはいきません。その前に最寄りスーパーでタンパク質を買い求めます。「腹が減っては戦はできぬ」というわけです。
実際にはお腹が空いたというわけではないのですが。その途中、以前何度かご紹介した「集学館」に立ち寄ってみました。こちらの写真とほぼ同じ位置──ただし建物寄り──で撮影しています。比較していただくとわかりますが、工事はほぼすべて完了。
「ただし集学室」内はまだ空っぽですが。写真中央の「集学室」前には、確かにテラス。現在はただの土盛りですが近い将来、芝生か何かになるんじゃないかと思います。でも、ここまでが大変だったのです。
3月末はおろか、4月になっても工事は継続。特に建物周囲の造園工事その他が遅れていました。写真には入っていませんが、駐輪場は建設されたものの、舗装されていないため「集学室」の軒下に駐輪していたほど。
さて、お気づきでしょうか...。右側の棟の中で、カーテンが設置されているのは右端の部屋だけ。写真は陽が当たる南側ですが北側も、そして手前の棟も同じような状況。
他の部屋にはまだ入居していないのです。もちろん単純に「カーテン=入居」というわけではありません。でも暗くなってから「集学館」脇を通っても、照明など人の気配を感じる部屋は少ない。
入居率はざっと、25%くらいに留まるんじゃないかしら。正直なところ、当面の採算性を考えると、厳しい状況。
もちろんここは、大学キャンパスから徒歩0分(!!)と、至近かつ至便。かつ新築物件。家賃が特に高いわけでもない──たぶん──ので、中長期的に見れば採算面の問題は軽微なんだろうと思います。
でも、受け持ちの学生とずっと面談している中で、教えてもらったことが。今回はコロナ禍ということもあり、大学が提供するWebサービスを通じてアパートを手配したという学生が大半でした。現地を訪れずに、宿所を決めているわけです。ただしこの物件は、そのリストから外れています。
そして、もう一つ。非常にシビアに考えると、そもそも今回のビジネスの設計が果たして適切だったのか、ということにもなりかねない。
それがオトナの世界なのです。
■4月11日(日) 入ったことがないけれど、暮らしたことはあるお店 ──柏崎市「諏訪町食堂」──
昨日とは、飲食店繋がりのつもり。タイトルだけだったら、意味不明ですよね。
センセイの自宅がある柏崎市の飲食店を考えていて、ふと思い出したのが「諏訪町食堂」。写真中央、青っぽいお宅の場所にかつて存在していました。ここは旧市街地中心部から僅かに離れた諏訪町町内。
写真奥に、旧市役所があります。旧市街地の目抜き通りには、地域を代表する銀行や衣料品店、書店、楽器店やレコード店、そしてホテル(!!)などが並んでいました。この諏訪町地区はそこと接しています。手前の道路は、市の中心部と北部および東部へ向かう幹線道路。
目抜き通りとはちょっと趣が異なり、ここは歯科医院や耳鼻咽喉科医院、八百屋など、生活と密着したお店が軒を連ねていました。「諏訪町食堂」もその一つ。1970年頃まで営業していたはずで、実家からの路線バスがこの道路を通ることもあり、微かながら記憶が残っています。
センセイが、この裏にある県立柏崎高校に入学したのが1973年。実家の向かいが親戚で、当時20歳代前半だった長女と高校生の三女が冬の間だけここで間借りすることになりました。
今とは違い、冬季は雪で通勤通学できないことがあったのです。その際、「一緒に住まないか」との打診が。すぐに詳細を説明しますので、妙な誤解なきよう。
当時、「諏訪町食堂」はすでに閉店。高齢のご主人と奥様が二人で暮らしていらっしゃいました。現在のお宅と同じような配置で、白い自動車のあたりが客席。店内にはテーブルが4卓くらい並んでいたと思う。
お店の裏はふさがっているので、左側が関係者の出入口。客室の部分のみが二階建て──母屋も一部二階建てだったかも──となっていて、そこに従業員用の部屋が二部屋ありました。そこを借りようというのです。ただしここで問題が。
部屋の区切りは障子戸のみ。前年も従姉(長女)が道路側の部屋を借りたのですが、隣室の借り主が若い男性だったため、相当気を遣ったとのこと。そこでこの年は人畜無害──センセイは気の強い三女の子分だった──に白羽の矢が立ったという次第。
ある意味、情けなや。客室の奥には、業務用の竈を三つ構える調理場があり、その脇にはトイレが二つと、お風呂。そこから先が母屋。遅ればせながら多少自意識が出てきて、期間や形態はともかく「家を出たい」と妄想気味に考えたセンセイにとっても渡りに船。
というわけで、3人での妙な暮らしが始まりました。従姉(長女)にとっては花嫁修業も兼ねており、斜向かいにある八百屋で材料を買い、頑張って新しい料理に挑戦していました。彼女が作った、そしてセンセイが初めて口にした「ロールキャベツ」なるものの感想を求められたことを覚えています。
センセイはモルモットというわけです。(彼女とは今も仲が良いので、念のため)この年は豪雪。自動車は走れず、何度も交通が麻痺しました。その後も道路脇にはもの凄い雪の山。加えて、その雪の中、近くの電柱に車が衝突したため、この地域が数日間停電してしまいました。その間、どうやって暮らしていただろう。
でも、悪いことばかりではありません。当時はまだ視力が良く、市街地の照明もあまりなかった──若い人には想像できないと思う──ため、晴れた冬の日の夜は、満天の星を望むことができました。センセイの部屋には普通の高さの窓はなく、高い位置にある、小さな明かり取りの窓だけ。
されど、そこからの眺めは絶景。昴(すばる)、オリオン...。モータリゼーションが進み、お店も旧市街地から交通の便が良い郊外へ。ここ諏訪町でもお店の閉店が相次ぎ、現在はご覧のようにほぼ住宅街。左から二番目のお宅は一時期酒屋さんだったのですが、それも閉店。
旧市街地全体がこの調子。
でも、悪いことばかりじゃないかもしれない。将来を前向きに考える人は確実に存在します。
一冬だけの、貴重な記憶です。