2023年7月8日更新(2023年7月16日ページ移動)
■7月8日(土) 地元に根ざした志の高さ ──「世は我が起つを待てるなり。何処飛躍の地ならざる」──
結果的に、今日も教育に関するお話。ただし昨日、一昨日との直接の関連はありません。
退職後のセンセイ、実家および自宅での所用がない日は、できるだけ午前と午後に外を歩くようにしています。お察しの通り、体調管理が最優先なので(実際、とても効果的)。でも実は、もう一つの目的が。
センセイは、この街のことを知らなすぎる。不思議に思われるかもしれませんが、理由は簡単。センセイが生まれ育った町と(旧)柏崎市は、隣り合う別な市町の関係だったのです。もちろん経済的には当時から深く繋がっていました。(その後、吸収合併)
子供の頃にセンセイが旧柏崎市に入るのは重要な行事の際に親に連れられてか、内科以外の病院へ通院するためにバスか越後線の列車に乗って一人で訪れる時だけ。中学校卒業後は市内の柏崎高校へ進学。しかし何にでも興味を持つ年頃の高校生が、地域の様子を丹念に見るなんてことはあり得ない。1996年に市内に自宅を構えたのですが、今度は僅か6年後に金沢へ転出。
というわけで、失われた年月を取り返すべく(?)──実際には、そこまでの意気込みはない──毎日、できるだけ新しい道に挑戦しています。退職後実質的に約4ヶ月が経過し、いろいろなことがわかってきました。今日ご紹介するのは、その中で出くわしたもの。市内東本町にある曹洞宗「福厳院」です。
色合いが不自然なのは、横から夕陽をあびているため。駅前通り──ただし現在は寂れている──に面しているので、存在そのものは承知していたのです。でもある時、敷地内の2カ所に石碑(写真右端)が立っていることに気づきました。
そこには「新潟県立柏崎高等学校 開校の地」。何と、母校はここで開校したのです。1900年(明治33年)に母校が新潟県高田中学校柏崎分校として開校を認可されたことは知っていました。でも、ここが仮校舎の地だとはまったく知りませんでした。
帰宅後に資料を確かめてみると、4月21日にこの福厳院本堂を仮校舎として開校し、同日から授業開始とのこと。当時は3学級定員130名。意外に多い。同年11月20日には「柏崎町砂浜[!!]に校舎新築」とあります。「砂浜」とは、現在の高校所在地である学校町を指すのでしょう。
当時の時代認識を強く反映した校歌制定は1910年。開校後の、母校初期の状況を(やや妄想気味に)想像してみるに、男子ばかりの生徒は、まさに校歌にある通り「世は我が起(た)つを待てるなり。何処(いずこ)飛躍の地ならざる」と意気込んでいたはず。
他方、当時の彼らが、この地から世界情勢を正確かつ客観的に認識することは難しかったはず。世界は第一次世界大戦へ向かいつつあったにもかかわらず。
されど、そのベクトルが向かう方向の是非は措くとして、彼らの志(こころざし)は現代よりも、はるかに高かったように思えてなりません。それがなぜ、これほどまでに劣化してしまったんだろう。
...あ"っ、昨日、一昨日と繋がってしまった。
■7月7日(金) やはり、この地では無理なんだろうなぁ... ──「人はパンのみにて生きるにあらず」──
予定を変更して昨日の続きを。ただし、皆さんが期待(?)している内容とは異なるかも。
まず、事実関係の続報から。昨晩執筆した時点で確認できた報道はNHKニュースだけだったのですが、その後、各紙(『新潟日報』/『にいがた経済新聞』/『柏崎日報』)がほぼ同内容を伝えています。
また、報道の根拠となる新潟県の「『令和6年度〜令和8年度 県立高校等再編整備計画』について」も公表されています。県の計画を一読して感じたことが2点。まず、いかにもお役所仕事。ミスを絶対に回避しながら、80点以上の成績を上げる。たぶん昨日お伝えした「超一流校に進学できない人が行く学校」の卒業生だろうと思う。
彼ら彼女らは卒業後、新潟大学へ進み、県庁か県内大手金融機関──当時は2行。現在は合併──に就職するというのが典型的なパターン。もう一つは、教育に関する理念をまったく感じられない。何のことはなく、昨日の内容の完全な繰り返しになってしまうのですが。お伝えしたように、中等教育学校の教頭先生とセンセイは、同じ大学の同期。
彼は数学科で、センセイは物理科(通称。正式名称はいずれも異なる)でしたが。だからスタートラインは、ほぼ同じようなもの。でもセンセイは共通一次試験(センター試験の前身)を受験して文学部(こちらも正式名称は異なる)に再入学。一番強かったのは、「学びたい」という気持ち。
その当時はまだ対象を絞りきれず、心理学と哲学の間で揺れ動いていましたが。そこに師匠(mentor)とのご縁があって、ここに科学史(History of science)が加わります。ちなみに、この学部時代に世界初の発見をします(論文発表は院生時代)。
ただしこの時点でも、彼との差はそんなに大きくなかったはず。されど師匠の勧めで国際基督教大学(ICU)大学院へ進学し、すべてが一変します。まず誰の目にも明らかなのは、公用語が英語だということ。
日本語を話せない──本当はペラペラな人も多いらしい──教員が1/3程度。彼ら彼女らの講義はもちろん、すべて英語。学内アルバイトで働いていた時も、用いるのはタイプライター。(あのセンセイが、ですよ。信じられます?)
ただし問題の本質はそこにはありません。「チャペル・アワー」あるいは「アセンブリ・アワー」に出席していた時に強く感じたのですが、とてもとても遠くを、そして限りなく広い地平線を意識し、それを基準にして思考しています。
池に向かって小石を力一杯遠くに投げ、そこからの波紋を感じながら思考、議論するイメージ。もちろんその先にあるのは唯一神。センセイは非キリスト者(ノンクリスチャン)ですが、それを強く感じました。目の前の現実の恣意的な解釈から始めて、ぐちゃぐちゃな自己満足の結論で終わる日本とは対照的。
写真は初代学長が執筆した本や、大学設立期の状況を記した本の一部。ここには多様な表現で教育理念、つまり目指すべき大学の姿が高らかに謳(うた)われています。もちろん、ある意味では理念先行で、頭でっかち。
また日本あるいは東アジアの実情に必ずしもそぐわない面があります。しかも冷静に、そしてさらに広く考えた場合、ICUはフルブライト奨学生制度──師匠はまさにその一員──同様、アメリカの戦後日本占領政策の一環。それを承知の上で、ですが、やはり人間、特に若者を導くためには炬火(きょか:たいまつのこと)が必要。
つまり教育理念。パンがなければ人は生きていけません──個人的にはほとんど食べない──が、同時に、「人はパンのみにて生きるにあらず」。決して「衣食足りて...」という意味ではなく、どちらも本質的に必要なのです。
実は前任校時代、知り合いとICUを再訪したことが。キャンパスの木々の間を抜けながら、その方は「この環境が先生を育てたんですね」と、得心(とくしん)した表情で語っていました。確かに、非才であるにもかかわらず、センセイは学部学生──院生はほとんどいなかった──や教職員、特に何人もの師匠に育てられた。
そして、キャンパスに。新潟というこの地ではやはり、無理なんだろうなぁ...。
正確に言うと、新潟にも例外はある──「明治期以降、複数回起こりかけた」という表現の方がより適切──のです。でもその件に関して、ここでご紹介する機会があるかどうかはわかりません。
ある意味、本質的にヘビーな内容なので。悪しからず。
■7月6日(木) 卒業した娘には、二重の意味でかわいそうだけど... ──理念なき「教育」の末路──
事の起こりは先週、大学院の講義を終えて自宅に戻った時のこと。
家に上がるや否や、家人がその日の地元紙1面トップを指さしてきました。そこには県内にある県立中等教育学校2校に関して、3年後に学生募集停止──要するに、在校生の卒業を待って廃校──を検討中と書かれています。
1校は当地にあるだけでなく、娘の母校。センセイのホンネは、「そうだろうなぁ」。
その学校は2003年、伝統のある商業高校を廃校にし、その校舎を改修した上で継承して市内で開校。当時、小学校高学年だった娘の進学先を検討しなければならない時期だったため、我が家では早いうちから進学先の候補に。
白状すると、センセイ抜きで。(実話)センセイは当然、進学校だったセンセイの母校を考えていたのですが、このころ新潟県内では学区制が廃止されて、優秀な生徒が他地域の高校に流出したため、センセイの母校はレベルと雰囲気が急激に低下。
お父さんの発言には、全く説得力がありません。他方、家人と娘は説明会に参加するなどして、すっかり中等教育学校に夢中。もはや勝ち目はありません。仕方なしにセンセイも別件で教頭先生に面会。待っていたのは何と、センセイの(最初の)大学(学部)の同級生。(実話)
面識がある程度ですが。つまり、学部卒業までに受けた教育は同じようなもの。彼はその後、中等教育の現場へ。他方、センセイはというと、紆余曲折の末に教育学の大学教員に。
彼が雄弁に語る「教育」理念は、極めて単純明快。長い形容句は続くのですが、一言で言えば「国立大学への進学率を上げます。そのためには知識を詰め込みます」。さらにその背後を深読みすれば、「自分のような、能力のある人間を育成します」。
ある意味、清々(すがすが)しさすら感じます。なお、彼の名誉のために申し添えると、大半の地方国立大学や高校、そして教育委員会の認識はこの程度。
地方の普通高校教員教員にとって、各教員および所属高校の評価基準は大学、それも国立大学への進学者数。私立大学や専門学校等は「落ちこぼれ」という位置づけ。(実話)
彼らは狭く閉じた世界で生きているのです。そして、そこで取られる教育手法は、テストを中心とする詰め込み教育。
新潟県内には、この中等教育学校のようなタイプの、先行する高校が他に2校あります。いずれも県内超一流校に進学できない人のために開設した学校。そこで行われるのはひたすら知識注入型の教育。
そこの先生方と飲んだことがあります。で、受け持ちクラスの成績が振るわない時は、「抜き打ちテストをやるぞー!!」とのこと。もちろん生徒は「エーッ!?」。飲みながらボロッと、「俺たち、こうやって才能を潰しているんだろうなぁー」。(以上、すべて実話)
先生方の良心と、もともとお持ちだった教育にかける思いを垣間見た瞬間です。この2校はまだ存続しているのですが、その理由は単純。まさに需給関係です。超進学校の「ケンタカ」──知らない人は調べてね──へ進めない人は、市内のあそこか県内のあそこへ新幹線で通うしかないという位置づけ。
当地は、そこまでの環境がありません。中等教育学校の開校に尽力された教頭先生との面会場面に戻ります。
そもそも、大学への進学率は教育理念と言えるのだろうか。
同じ教授の「教育原理」を受講したはずなのに、子供たちの中に眠っている潜在的な才能(potential)を、目に見える才能(ability)として引き出す(educare)という発想は皆無。彼とセンセイが見ている世界はもはや、ほぼまったく重なっていません。
う〜ん何だか、恋愛ドラマのワンシーンようだ。もはや話すべきことは何も残っていないので、センセイはニコニコしながら──無理だと悟った時の表情──ご帰宅。今でも彼と年賀状のやり取りはあるのですが、ある意味、とても「幸せ」な方なんだろうなぁ。
娘の入学後も、折りあるごとに中等教育学校を訪問し、時には出前講義もしたのですが、センセイはたいていニコニコ。残念ながら、ホントに。
唯一、出前講義の歳に、生徒の一部にはまだ可能性を感じたため別な意味で、そして心からニコニコしたことがあります。彼ら彼女らの名誉のために申し添えます。ただし、その後については(娘を除き)ほとんど承知していませんが。
この件、地方紙のサイトには未掲載(理由は不明)だったため、これまで紹介を控えていました。しかしNHK新潟放送局が今日の夕方と夜のニュースで放送したため、ひとまずお伝えすることにしたという次第。
「理念なき教育」の根は深く、センセイは個人的に同様のケースを複数承知しています。決してスキャンダラスに取り上げるつもりはありませんが、もしかすると一種の続報があるかもしれません。
教頭先生との僅かな差異は、自分の狭い殻を破ることができたかどうかなんだろうなぁ...。それこそまさに、この中等教育学校で中1相当の生徒を対象にお話ししたことなのですが。
■7月5日(水) 学食が10月に一部メニューの価格を改定。ラーメンは20%、KITランチも18.4%値上げ
今日は予定を変更してタイトルのお話を。ちょっとびっくりしたので。
知的に楽しかった大学院の講義も終盤に入っています。お伝えしてきたように、金沢への往路は在来線を乗り継いで移動。大学到着は2時過ぎ。つまりこの間、列車内にお弁当でも持ち込まない限り、お昼を食べられません。
そこで現在は、大学到着後に大学食堂、通称「ガクショク」で遅い昼食を頂くようにしています。今朝は、ダイヤ改正により発車時刻がさらに早まった(!!)バスでご出勤。必要な作業は昨日のうちに終えているので、教室で機器類をセットすれば、準備はほぼ完了したようなもの。講義開始までまだ30分あります。
講義開始前は受講生への個別対応で、結構忙しい。喉の乾きを感じたので、少し離れた大学食堂へ。冷水をいただこうと思ったのです...あれっ?!
掲示板や食堂内の柱に見慣れない掲示が。何だろうと思って接近すると、おぉ、「価格改定のお知らせ」。昨日も存在したのかもしれませんが、まったく気づきませんでした。
値上げの原因はもちろん、昨今の急激な物価上昇。現在の価格は2016年からずっと維持されてきたので、価格改定は時間の問題だったのです。むしろ遅すぎた、というのが実感。
ただし今回は、予想外の内容も。それは値上げ率。まず、かなり高い。しかも各商品間でかなりばらつきがあります。主要メニューで一番上昇率が大きいのはラーメン。現行の300円が360円に。
20.0%もの大幅値上げ。利用客が多い「KIT定食」──センセイも昨日いただいた──も380円から450円に値上げされます。率にすると18.4%ですから、かなり大きい。
他方、カレー(並盛)は320円のままで据え置き。こちらも原材料費がかなり上昇していると聞いています。正直なところ、上昇率に関する差異の原因は良くわからないのですが、オトナの事情があるのでしょう。
教職員はともかく、学生諸君が価格改正にどう対応するのか、実に興味津々(しんしん)。ただし値上げは10月2日、つまり後期(「後学期」)の途中から。西村センセイ、その頃には金沢工大とのご縁は切れています。
残念ながら、学生諸君の行動をこの目で見ることはできそうにありません。もちろん、経済的に比較的恵まれた家庭の子女は今まで通りなのでしょう。でも最近は、新しい動きが。
お伝えしていません──申し訳ありません──が、実は、自作弁当を持参する人が増えているのです。以前から職員には見られたのですが、この頃、弁当を持ち込む学生が確実に増えています。
もちろん女子学生が主流。誤解されると困るのですが、性で差別する意図はありません。確認される事実をお伝えしているだけです。実際、男子学生の中にもしっかりと、(自作と思われる)お弁当やおにぎりを持参し、友人と歓談しながら食べている姿を目にします。
ご飯は炊いて持ち込み、総菜だけガクショクから購入するという学生も。(実話)まんざら捨てたものでもない、というのがセンセイの実感。
若者つまり学生諸君の将来を、もっと肯定的かつ建設的に考える必要があるようです。
■7月4日(火) 「あっちーっ!!」 ――大学周辺のコイン式駐車場も、ついに淘汰段階に突入か?
――
新潟弁なら「あっちぇーっ!!」なので、ちょっと違います。
つまり「あっちーっ!!」を耳にしたのは、今日訪れた金沢でのこと。
今日の北陸地方はきれいに晴れ上がり、自宅から金沢の大学まで雲一つない青空が続きました。ありがたいのですが、外で働く人間からしたら「逃げ場がない」という感じ。皮膚が弱いからか、センセイはすぐに真っ黒に日焼けしてしまいます。
毎年夏になると、近い親戚を含めて(!!)誰もがびっくりするほど。今年は心を入れ替え(?)、晴れた日に外出するときは日焼け止めクリームをしっかり塗っています。お化粧する人の心理がほんの少しだけ理解できたかも。それでも今日は、直射光を避けたいと感じるほどの日差しの強さ。
結論からすると、いつものように西金沢駅から金沢工大まで日陰を探しながら歩くことに。本題から外れますが、今日は少しだけ新しい道に挑戦してみました。暑いので、大学キャンパスに近づくころは全身汗だく...あれっ?!
大学のすぐ裏まで来た時、何かの作業音――重機ではない――と話し声が聞こえてきました。住宅あるいは学生向けアパートを建設するような場所でもない。
変だなぁーと思って接近すると、おぉ、約5年前に営業を始めたコイン式駐車場で何かの作業をしています。最初は、転用目的が決まって、更地にするんだろうなぁと思ったのです。用途が決まらない土地を当面の間、駐車場として使用するのはよくあること。
でもよく見ると、配管や配線を埋めておいた部分を、人力で埋め戻しています。ナシテ?更地にするのなら不必要な作業。どう転用するのかはわかりませんが、イメージ的には「コイン式駐車場を、とにかく廃止する」という感じ。
もちろん、採算面が一番大きな理由でしょう。女性を含めて7名の方が作業していらっしゃったのですが、その時に聞こえてきたのが男性の「あっちーっ!!」という声。続いてフォローが。
ホテル到着後確かめてみると、今日の金沢の最高気温は30.2℃。でもセンセイを含めて身体がまだ暑さに慣れていないためか、直射日光下では30℃を大きく超えているように感じました。日陰を歩く時や風がある場面を客観的に考えれば、確かにそこまでの暑さではなかったのですが。
金沢工大近辺では、コイン式駐車場が6年前から次々と建設されました。新しい駐車場が出現するたびに値下げ競争に。しかしそれも一巡し、駐車場間の顧客争奪戦は落ち着いたかに思えたのです。でもよく考えるとこの場所、大学からは近いけど、あまり条件が良くない。
例えば空いているのかどうかがわかりにくい、など。そういえば最近は、新しい駐車場の話題を耳にしません。
それどころか、コイン式駐車場は淘汰の段階に入ったのかもしれません。
■7月3日(月) やはり最後の最後は、下請け会社に外注してレールを配達してもらう、ということらしい
今日の夕方、先日亡くなった従兄弟のお通夜が営まれました。葬儀は明日ですが、センセイは金沢へ移動するため出席できません。そこで、せめてお通夜だけは参加させていただくことにしました。
移動手段を持たないセンセイの両親の送迎も兼ねています。現在は両親を実家へ送り届けて自宅に戻ったところ。センセイと同世代になるお坊さんの念仏を拝聴し、喪主(お嬢さん)の、短いながらも心のこもった挨拶を聴くとやはり、じん、と来るものがあります。
ちなみに、初めて家族葬を経験しました。写真はお昼に外出した際に撮影したもの。
不意打ちされた北陸鉄道のバスダイヤ改正への対応を考えていたのですが、ひとまずの結論に至りました。今日もそうだったのですが、BMWを走らせるたび欲求不満そうに訴えかけてきます。(実話)
でもやはり、ここは安全を最優先して自動車での長距離移動は避けたい。というわけで、残り4回の金沢往復もできるだけ列車を利用するつもりです。そこで乗車券類を購入すべく、他の用を済ませてから柏崎駅を目指しました。
駅裏から地下道に入ったのですが、その際、保線のためにレールを降ろした(こちらとこちら)現場へ。レール運搬車両に替わって、ご覧のように小型の車両が。これは免許が必要な電車や機関車、あるいは気動車といった「列車」ではなく、免許不要の「機械」。
具体的には「新潟トランシス株式会社」の「軌道モーターカーロータリー」シリーズ。(たぶん“MCR600”)本来の目的は冬期の除雪。車体の前後にラッセルヘッドおよびロータリーヘッドを装着し、通常の列車の運行をすべて止め(「軌道閉鎖」)た上で、除雪に従事します。
こちらの写真中央が、除雪時の形態。雪のない時期はヘッドを外して、レール運搬用トロッコ(左側の黄色の機械)を牽引します。つまり基本的にJRのレール運搬専用車両は、各拠点間のレール運搬が主要な任務ということらしい。
すでに、塗装がJRものではないことにお気づきのはず。モーターカーは新潟市に本社がある「第一建設工業株式会社」のものなのです。何と、旧国鉄時代──しかも戦中(!!)──から、現在のJR東日本区間の軌道保守点検その他を担当してきた会社です。
普通の言い方をすれば、JR東日本の関連会社あるいは下請け会社。JR西日本に対する「大鉄工業株式会社」のようなもの。ちなみに大鉄工業は「JR西日本グループ」系列と明記しています。誤解されたくないのですが、センセイは第一建設工業および/あるいは大鉄工業を批判しているのではありません。
話は50〜60年くらい前に遡ります。センセイが子供だった頃、駅員がいる駅の構内には保線用の建物があり、数人の係員が駐在していました。ツルハシ──知らない人も多いと思う──を使って作業している場面はほとんど見ていません。
たいてい、煙草をふかして休憩中。その時は「なぜ仕事をせずに、休んでいるんだろう」と不思議に感じたのですが、今考えるとツルハシが重すぎて、休みながら作業するしかなかったんだろうと思います(ホントに)。保線はそれほどまでに重労働。
ちなみに、旧国鉄には別な役目が。それは第二次世界大戦から無事に復員──ここまで来ると、もはや若い方には想像不能──してきた人々の受け皿。当時はとにかく働き口がなかったのです。そのため、どうしても旧国鉄は大所帯になりがち。
その後、労働争議が多発する根本的な原因です。その是非はともかく、保線に従事していた彼らは「国鉄マン」──これも死語──だったはず。当時およびその後、国鉄の保線部門と第一建設工業や大鉄工業は、どういう関係だったのだろう...。
常識的に考えれば、対立関係。センセイがもう少し若く、エネルギーがあったら、ちゃんと調べてみるんだけど。
■7月2日(日) 虫と、持ちつ持たれつ(たぶん) ──庭の枝豆に、鞘の初期のようなものが...──
今日はタイトル通り、そして見たままのお話。
やっと天気がある程度落ち着いた──ただし午後には突如、雨がポツポツと当たり始めた──ので、今日は午前と午後に徒歩で外出。用の中には調整が済んで、実施がほぼ確定したお盆の行事も含まれています。
その件に関しては後日、お伝えできるかも。最後に、スーパーで晩酌用のお刺身を買って帰宅。
データの継続性を重視して、いつものように血圧を測定します。今日は歩いている途中に想定外のことがあったためか、ちょっと高め。それでも「上の平均」(「収縮期血圧」の3回の移動平均の最低)は124mmHg。
問題ありません。ここで、ふと思いついて庭へ。花をつけた枝豆のその後の様子が気になったのです。バタバタしていたり雨が降ったりで、開花以降はその様子をほとんど確認していません。
新たな花は確認できませんでした。どうやら開花期間は短いらしい。その代わりに、というわけではないのですが、ご覧のように、花のあった場所付近(写真中央)に、細長い毛むくじゃらの物体が出現していました。
拡大写真の方だと良くわかります。(拡大写真(1280×960))どう見てもこれは、豆を包む鞘(さや)の初期形態のように思われるのですが...(センセイは植物に疎いので、自信はまったくありません)。
もう一つ気づいたことが。右の写真でもわかりますが、葉のあちこちが虫に食べられています。正直なところ、痛々しい。
良く見ると、蟻が2匹。しかも蟻は次々と登ってきて、(茎ではなく)毛の上をあちこちへと忙(せわ)しそうに動き回っています。片っ端から取り除きたいという衝動に駆られます。
でもどうやら、話はそれほど簡単ではないらしい。まず、葉の食害と蟻は無関係。従って、蟻は無罪。次に、正確にはわかりませんが、蟻はミツバチなどと違って、枝豆の受粉には関係していないものと思われます。要するに、蟻は単なる同居人。
もっとも、人間ではありませんが。しかも、枝豆と蟻、さらには広く虫の関係をよぉーく見ていると、少なくとも全体としては共存共栄関係のように思われてきます。きっと肉眼では確認できない微生物を含めて、持ちつ持たれつの関係なのでしょう。
もちろんその中には、例えば病気をもたらすような好ましくない緊張関係も。じゃぁ、ウイルスはどうなんだと尋ねられると、生物学に疎いこともあって、センセイは即答できないのですが...。