2023年7月1日更新(2023年7月9日ページ移動)
■7月1日(土) 隣村の公設民営クリニックが本日移転。そのオープン初日、ドクター最初のお仕事は...
実は少しヘビーな内容です。悪しからず。そのため「答合わせ」は後ほど。
西日本では数日前から降り続く雨のため、犠牲者および行方不明者が出ただけでなく、美祢(みね)線(山口県)の鉄橋が流出するなどの被害が発生しています。石川県の一部(七尾市)でも川が氾濫し、床下浸水や農地の冠水が発生する事態に。
当地も未明から強い降りになり、夕方まで大雨警報が発令されていました。他方、今日は土曜日。つまりセンセイにとって家族サービスの日。
両親の様子を確認する必要があるので、お昼前に実家へ向かいました。ただし途中、写真右奥のスーパーへ立ち寄ります。ここは隣の刈羽(かりわ)村。合併の関係で、飛び地を除き村はすべて柏崎市に囲まれているのですが。
スーパーの広い敷地内には新たに、写真中央の建物が。村内他地区にあった公設民営の「刈羽診療所」がこの地に新築移転し、「かりわ消化器内科クリニック」としてオープンしたのです。
初日の今日は土曜日ですが、しっかり診療中。個人的には直接ご縁がないので、スーパーで必要なものを買い求めて実家へ。でも、母親の表情が少し硬い。変だなぁーと思っていたら、開口一番「○○さんが今朝亡くなったんだて」。
センセイにとっては21歳も離れた従兄弟、父親にとっては6歳しか離れていない甥です。彼は、同じ集落内に嫁いだ伯母の長男。公務員だったのですが退職後、脳梗塞に。最終的には刈羽村の老人福祉施設に入所していました。
病状は比較的安定していたのですが昨年、癌と判明。彼の長女によると、ドクターから「残念ながら1ヶ月は持たない。でも安心してください。24時間、最後は私がちゃんと看取りますから」と説明していただいて、やっと安心できたそうです。
お察しの通り、そのドクターこそ「かりわ消化器内科クリニック」の院長。つまり彼の、新医院オープンの日は、従兄弟の看取りから始まったはずなのです。ありがたや、ありがたや。
センセイの両親はいずれも戦前の「生めよ増やせよ」時代の生まれ。父親は8人姉弟、母親は7人姉弟。まぁ、当時の田舎はどこでもそうだったのですが。そのため従兄弟の数も多く、六十数名のはず。
実は、数えるたびに人数が変わるのです。(実話)今朝亡くなった従兄弟の件があったため改めて確認したところ、知らない従兄弟が2人判明したほど。
倖いなことにセンセイの両親は健在ですが、彼、彼女の世代で存命なのは父方の伯母と、母方の叔母のみ。でも、これはまぁ、わからなくはない。問題はセンセイの世代、つまり従兄弟の状況。
今朝の従兄弟を含めて、2名が鬼籍に入ってしまいました。加えて、判明しているだけでも認知症が3名(実際はもっと多いはず)。内1名は若年性認知症で、母親である伯母のことすら認識できないそうです。以上はいずれも、センセイと血縁関係にあり、遺伝子レベルでは共通する要素がかなりあるはず。
つまり冗談抜きで、明日は我が身。いつ、何が起きても決して不思議ではない状況なのです。
■6月30日(金) 「柏崎県」 ──人口8万人弱の当地は何と、かつて新潟県西部の県庁所在地だった──
今日は全国的に大雨。今晩は特に、九州・中国地方西部の状況が心配されます。
北陸地方も例外ではなく、当地の場合は終日、断続的に強い雨が降りました。大雨警報が発令されており、2回ほど非常放送が流れ、避難所の開設が告げられました。現時点で警報解除の見込みは立っていません。
というわけで、写真は昨日撮影したもの。天気が悪化し、今日はあまり外に出られないことがわかっていたので、お昼に外出した際、いつもよりちょっと先まで足を伸ばしました。確かめて見たい場所があったのです。ただし、その前に蘊蓄(うんちく)を少々。
突然ですが、「新潟県」はどこでしょうか。皆さんはおそら、く弓のような形をした本州側と佐渡をイメージされると思います。県庁所在地はもちろん、新潟市。
ただしこれは、明治期──正確には明治6年(1873年)──以降の概念。それ以前はまったく違ったのです。例えば江戸時代の場合、佐渡は幕府にとって超重要資源である金銀が採掘されていたため天領。
つまり江戸幕府の直轄地。本州側はというと、北から山沿いに村上藩、新発田(しばた)藩、村上藩、長岡藩そして高田藩と分割統治されていました。現在の平野部──実は海水面下の地域が多く、条件が悪い──は各藩の分割統治下。
現在の新潟市(旧市街地)は長岡藩に属し、港町として栄えていました。後(1858)に「開港五港」に選ばれることになりますが、現在のイメージとは違い、決して(今の)新潟県に相当する地域の中心地ではなかったのです。
もう少し細かく見ると、当地柏崎は桑名藩(現在の三重県)の飛び地。(実家は椎谷(しいや)藩下)当地での下級藩士の生活ぶりが記録(『桑名日記』および『柏崎日記』)に残されており、書籍(こちらやこちら)にまとめられています。
この資料を題材にした小説も。戊辰(ぼしん)戦争、つまり明治維新の際に桑名藩は幕府側についたため、藩は市の西部(鯨波)で新政府軍と戦った後、実家前を通って(!!)長岡藩、そして会津藩へと転戦していきます。
当地を含む新潟県は新政府の統治下に。占領した(現在の)新潟県西部を支配するため、新政府はまだ江戸時代(慶応4年)の1868年7月に、旧桑名藩陣屋跡に「柏崎県」を設置します。
市西部(大久保)にある写真の場所が、桑名藩陣屋跡つまり柏崎県県庁跡。その後いろいろあって、1873年(明治6年)には県北部を統治していた新潟県に吸収合併されます。つまり僅か5年で、その歴史を閉じます。右側の碑には、「柏崎陣屋趾」および「柏崎縣廰趾」と彫られています。
桑名藩陣屋跡は現在、静かな住宅地となっており、もちろん当時を偲ばせるものはほとんど存在しません。それだけ、と言われればそれだけなのですが、桑名藩士が転戦した長岡、そして旧栃尾(現長岡市)での戦いぶりや、長岡藩の姫を含めた行動は、栃尾生まれの母親から良く聴かされていました。
100年以上前の出来事なのに、まるで自分の目で見たかのように語ります。当然、額面通りに受け取るわけにはいかないのですが、それでもやはり、自分の目で見たものと、そこから想起できるものの広がりと深さが大切であることを思い知らされます。
■6月29日(木) 完璧だった帰路移動ルートが、明後日からのバスダイヤ改正で一転。絶望的な状況に...
今日は予定を変更してお伝えします。
昨日、大学から金沢駅までバスに乗車した際、車内の貼り紙に気づきました。7月1日付で北陸鉄道が、沢地区および加賀地区(白山・小松)のバスダイヤを改正するとのこと。この時期に改正とは、ちょっと不思議な感じ。
それに、改正の告知を今まで目にしたことがなかったような。(上記お知らせは6月22日発表(!!))車内の掲示は撮影していないのですが、記憶に間違いがなければ──ただしきわめて怪しい──「一部の」との文言が入っていたような。だからその時は、センセイとは関係ないと思ったのです。「願った」という方が近いかも。
ところが帰宅後に確かめてみると、ドッカーン!!昨日もお伝えしたように講義を終えた後のセンセイは、「もう、これしかない」という絶妙の移動ルートを使って帰宅します。
具体的には、大学キャンパスから少し離れたバスへ急いで移動し、路線バスに乗車。金沢駅からは新幹線で隣の新高岡駅へ。わずか数分の接続で城端線に乗り継ぎ、高岡駅へ。
ここまで来れば後は、富山県東部の泊駅と新潟県の直江津駅で乗り換えるだけ。お察しのように、帰宅の成否はこのバスに掛かっています。講義終了時刻は10:20。学生の質問その他に対応し、ロッカーに持ち帰らないものを入れ、事務職員に挨拶して、発車予定時刻10:39のバス停へ。
ぎりぎりです。乗車できたとしても、金沢駅到着予定時刻11:12であるにもかかわらず、実際の到着は早くて11:20ころ(昨日は例外)。下手をすると11:25くらい。新幹線は11:28発車。
倖い、これまで9回乗車して乗り遅れたことはありませんが、ぎりぎりだったことが1回。「だいじょうぶだと思うけど...」と願いながら、北陸鉄道のバス時刻運賃検索で調べてみると、え"っ?!
これまでに相当するバスは運行されているのですが、発車時刻が12分(!!)も遅くなっています。まぁ、現実の運行状況に合わせたというのが本当のところなのですが。金沢駅到着予定時刻は11:24。
乗車時に注意しているとわかりますが、路線バスは通過予定時刻が定められています。乗降客が多いなどの理由で遅発は問題視されませんが、ダイヤより早い早発は厳禁。つまり遅れることはよくあっても、ダイヤ通りはほぼ皆無。ましてや、早まることはありえない。さて、どうしよう。
これまでの、夢のような移動方法が使えないのはほぼ確定。実は、超裏技として、講義終了後10分以内に大学最寄りの北陸鉄道野々市工大前駅にたどり着ければ、新西金沢駅─西金沢駅乗り換え4分で、金沢駅から在来線に乗車できます。これまで以上の完璧さ。
でも、現実には無理。仕事をしているので。
バスダイヤ変更は今週末。つまり来週の行動に関係します。可能性としては、残り4回の講義を自動車での移動に切り替える──荷物も運ばなくてはいけない──か、あまり好きではない新幹線区間を伸ばすか。
あるいは在来線主体にする代わり、帰宅時間を遅らせるか。現時点で、対応は未定です。
■6月28日(水) ありがたいけど、これでいいのかぁ... ──金沢駅のホームに冷風機が設置されました──
今日はタイトル通りのお話を。ちょっとびっくりしたので。
今朝の金沢はまだ雨が降っていませんでした。いつも通り、ホテルのレストランに一番乗りして豪華な朝食──年季の入ったホテルですが、朝食は素晴らしい──をいただきます。食後のコーヒーを勧められたのですが、すぐにバスに乗る必要があるため、丁寧にお断りしました。
荷物はすでに、レストランに持ち込んでいます。お礼を言って武蔵ヶ辻のバス停へ。経路沿いにある高校が期末試験に入ったらしく、バスはいつもより混雑していました。でもそれ以外は何の問題もなく、金沢工大に定時到着。
配布資料など、講義に必要なものを教室に持ち込みます。講義は無事に終了。というか、そうでないと路線バスに乗り遅れてしまい、その後の予定がぐちゃぐちゃになってしまいます。いつもならバスは10分弱の遅れ。
今回もだいじょうぶだろうと思っていたら、何とほぼ定刻に到着。倖い、ぎりぎりで間に合いましたが。かなり遠くから金沢駅へ向かうバスなので、遅れても不思議ではありません。最前列の席が空いたので、今日はどんな方が運転しているんだろうと観察すると、う〜ん、ワイルド。
絶対に違反などせず、丁寧に運転し、また案内放送されるのですが、運転ぶりはワイルドというしかありません。なぜか道路が空いていたこともあって、定刻に金沢駅に到着しました。いつもより10分以上早い。事務員にメールを送る必要があったので、とにかく新幹線ホームへ。
列車はすでに到着済。ただしまだ車内清掃が続いています。自由席車両の列に並んだのですが、写真の若い男性だけが列から離れたところに立っていらっしゃいます。なぜだろうと思ったその時、冷気を感じました。昨日、今日と金沢が蒸し暑かったということもあるのでしょう。
...あ"。冷たい風は男性の脇から、つまり写真中央の機械から吹いてきます。開放式の冷風機です。実は新幹線開業前の金沢駅在来線ホームにも、もっと大型の冷風機が設置されていたことがあるのです。
今回設置されたマシンはかなりコンパクト。でも...これでいいんだろうか。
そもそも金沢駅のプラットフォームは外気と繋がっています。つまり全体を冷やすことは不可能。写真の冷風機、どう見ても電力線以外は外部とは繋がっておらず、冷風を周囲に放出すると同時に、それ以上の熱気も排出しています。
以前の在来線の冷風機もそうだったのです。う〜ん。
■6月27日(火) レール運搬専用列車が再び柏崎駅へ。今度はレールを線路脇に降ろし始めました
今日は全国的に雨。
当地――この場合は拙宅のある新潟県柏崎市――も例外ではなく、未明から雨に。ご存じのように今日は金沢への移動日なのですが、ちょうど駅に向かって歩くころに強い雨になるとの予報。トホホ。
でも、そこはサラリーマン。(非常勤ですが)大きく、強度のある傘にしようか迷ったのですが、雨は次第に止むとの予報。それに大きな傘だとどこかに忘れてしまう可能性があるので、折り畳み傘を選択。その小さな傘の下、鞄類を抱えるようにしながら駅へ向かいます。
正直なところ、かなり濡れてしまいました。でも、まぁ、仕方ない。例によって、乗車する列車の入線時刻約10分前にホームへ到着。あれっ?!
センセイが立っているのは柏崎駅北側の1番線ホーム。向いの2、3晩線ホーム(写真手前)の、そのさらに先にある引き込み線に、先日目撃したばかりのレール運搬車両キヤE195系が。
昨日はいなかったのに。しかも今日は、雨だというのに作業員の姿が見えます。やがて重機のエンジン音。よく見るとクレーン車。しかもアームを伸ばし始めています。
どうやらレールを降ろすようです。果たして、センセイが乗車する列車の出発までに間に合うか...と、個人的にはハラハラしたのですが、2枚目の写真のように、レールの積み下ろし作業を見せていただくことができました。
縮小しているのでちょっとわかりにくいと思いますが、レールの左右中ほどにフックを掛けて降ろしています。前回は写真奥の駅構外(南側)からキヤE195系を見ていました。その時は、レールを南側(写真奥)に降ろしていたのです。でも今日は北側(手前)。
レールを積んでおくスペースの問題なのでしょうか。もう一つわからない点が。
列車に乗りながら周囲を注意していると、レール交換の際は事前に交換場所の外側に新しいレールを配置し、交換の準備をしておくことに気づきます。
通常は列車が走らない夜間に交換。キヤE195系は、現場でレールを降ろすために、列車そのものに小型のクレーンを装備できるようになっているはず。この目では見ていませんが、写真では確認しています。
前回も気になったのですが、そのクレーンが見当たりません。というか、そもそも今回は何本ものレールを一括して保線の拠点に降ろしています。つまり再びレールを積み込み、交換場所に運ぶ必要が出てきます。
それぞれの交換場所にあらかじめレールを降ろしておけば、作業が効率的に進むような気がするのですが...。やはり、これは素人の考え方なんでしょうねぇ。
乗換時間がタイトなので列車の遅れが心配だったのですが、各列車とも定時に到着。その頃には雨も小降りに。晴れてきただけでなく、到着した金沢は無茶苦茶な暑さ。街頭の温度計によると34℃(!!)。(アメダスの記録は33.3℃)
明日は、大荒れの天気になるらしい。果たして、センセイは無事に帰宅できるのか。
■6月26日(月) 外から、そして中から植物に支配される家 ──空き家率が高まっていると思う──
今日はタイトル通りのお話。
センセイが35年間の宮仕えを終えてから3ヶ月が経過しました。「退職すると曜日がわからなくなる」と脅かされていたので、内心ちょっと心配していたのですが、倖い、今のところそのような気配はありません。
もちろん週に1コマ、大学院の授業を持たせていただいていることが大きいと思います。ありがたや。昨日お伝えしたように自宅書斎のAV機器、そしてそれ以上に書籍を整理しなければならないのですが、それを除けば生活パターンはかなり安定しています。退職後に意識して気をつけていることの一つが体調管理。
運動を兼ねて、また家人の負担を考えて、お昼は外で何かをいただくだけでなく夜の晩酌のツマミも自分で確保します。つまり午前と午後に徒歩で外出。傷めた左膝の具合もかなり良くなってるので、最近の歩数は平均15,000歩(/日)程度まで回復しています。
そこに不定期で、自転車で実家へ移動しての農作業が入るという感じ。現役時代と比べるとストレスも少ないので、体調は良好。
例えば今日の夕方の血圧(「収縮期血圧」の3回の移動平均の最低)は110mmHgと、かなり低め。外出に話を戻すと、出発・帰着地は固定。目的地も自ずと限られてきます。特にツマミの購入に適したスーパーは事実上1店舗しかありません。
それでも、往復の経路はできるだけバリエーションを持たせるようにしています。その途中にあるのが、写真のお宅。
田舎風の、大変立派な造りのお宅です。ツタでしょうか、植物が2階の壁面までを覆い尽くしています。2階の窓ガラスは割れていないようです。
写真左側には木があるようなのですが、こちらは最上部まで覆われているため、詳細は良くわかりません。いずれにせよ、明らかに無人。
以前から空き家の存在は気になっていたのです。感覚的に20軒に1軒くらいだろうと考えていたのですが、どうも最近はそれより増加しているように感じます。
自動車を運転しているとあまり気づかないのですが、徒歩や電車からだと良くわかります。地域差も大きく、正直なところ不便なところでは数軒に1軒くらい。ただし、新興住宅地など便利な場所でも空き家は一定数存在し、かつ、その率は上昇していると思う。
なかなか話題になりませんが、都市部でも高齢化が静かに、しかし急速に進行しているはずなのです。右の写真は、かなり遠回りをしてJR越後線東柏崎(旧比角(ひすみ))駅近くの幹線道路を歩いている時に見かけたお宅。かつては商店だったようですが、ご覧のように現在、建物の内部にまで植物が入り込んでいます。
水分の補給を考えると、建物の基礎の割れ目から芽が出たのでしょうか。まるで「ラピュタ」のような光景ですが実は、市内複数の場所で似た状況のお宅を目にします。さらには、もう内外から朽ち果てつつある建物も。
さすがにこうなると周囲のお宅に危害が及ぶ可能性があります。もちろん直接には所有者に管理責任が。しかし関係者が全員相続権を放棄することもあります。その場合はまず、行政機関が建物が崩壊しないように全体にネットを掛けます。次なるステップは、行政による公金を投入しての解体、更地化。
全国でも時々ニュースになりますが、当地でも複数件発生しています。正直なところ、若い方にとって「確かに困った話ですよね。でも自分には...」という感覚なんじゃないかと思います(それは、良くわかる)。でも、センセイくらいの年齢と立場になると、まさに、自分自身の問題。
ホントに。 若い方もいずれ、否応なしにわかるようになります。
■6月25日(日) やはり同軸の方が高品位 ──さすがに「春休みの宿題」を片付けなければ...──
「宿題」ですから、終わった春休みの宿題です。トホホ。
ご存じのように、センセイはこの3月、21年4ヶ月お借りしていたアパートを引き払いました。家具や生活洋家電製品等については「のらくろ」に処分を依頼しています。その後、どうなったんだろう...。(遠くを見る目)
問題は、アパートのラックに収納していた機器類。長い二重生活だったので、主要な機器についてはどちらにも配置。つまり退職後は完全に重複し、不要になる機器が発生します。機器類はひとまず自宅へ搬入。この時点で、機器の価値は玉石混淆(ぎょくせきこんこう)。
中にはマニア垂涎の機器や、個人的に思い入れのある品も。前者の典型がOPPO社の“UDP-205”。ほぼ同等品を自宅に配置していたということもあり、こちらは専門店に買い取っていただきました。お伝えしたように、この種の製品についてはやはり、専門店の方がしっかり評価してくださります。
この他、重複しているわけではないのですが、ソフトをBDにコピーして出番がなくなったLDプレーヤー“DVL-919”などは、ハードオフに売却。
されど、続く作業は4月中旬に一時中断。お察しの通り、金沢工大大学院の講義を行うためです。いくらアルバイトとはいえ、大学院の正規授業。
センセイの生活は、これが最優先に。というわけで、自宅へ運んだものの未整理の機器類は、とにかく自宅システム(こちらの2枚目の写真)の隙間に収納しただけ。
さすがに、そろそろ「宿題」を片付けなければ...と思っていたのですが、先日、それを再認識されられることに。それはCDなどデジタル系の音質です。
自宅書斎では、アキュフェーズのプリメインアンプ“E-270”でスピーカーを駆動。STAXのイヤースピーカシステム“SRM-600 LIMITED”(現在は自宅書斎で使用)については、“E-270”に装着した“DAC-50”ボードでアナログ信号に変換します。
非常に高品位。でも、“E-270”(“DAC-50”)のデジタル入力端子は写真下のように、左から同軸(COAX)、Mac miniと接続したUSB、そして光デジタル(OPT)の3系統しかありません。
センセイの書斎には、多数のデジタルAV機器──ざっと数えただけでも13台──と、こちらもデジタル接続された3台のMac mini、そしてアナログ機器が配置されています。機器の都合で、ピュアーオーディオのデジタルはこれまで、「音質が少し劣る」とされる光デジタルに接続していました。実際、目に見えて音質が劣る──変な表現だ──という程ではなかったのです。
ホンネを言うと、アキュフェーズの最新機器だから光接続でも音質が良い...と思いたかったのかも。一般的に、「音が良い」と言われるのは、電気的に接続した同軸。次いでUSB接続。なぜ同軸を使わないのかというと、センセイは複数のデジタルAV機器を使用しており、その出力を写真上(下段)のHDMIセレクタ(4入力2出力)で選択していたため。
そこから抽出した音声出力(同軸)を“E-270”の同軸入力に接続していたのです。かなり合理的な選択だったのですが、金沢から持ち込んだ機器でHDMI出力の機器はほぼ倍増。現在、増設分の大半はラックに収めただけで、システムには接続されていません。そもそも金沢でも、似たような状況。
そのため、ほぼ同等のHDMIセレクタ(上の写真上段。ただし未通電)でコントロールしていたのです。先日、ふと思いついて、これまで光デジタルで聴いていたCDの音を、映像信号でノイズだらけのHDMI出力に切り替え、そこから抽出した同軸接続──ややこしくて、すみません──に切り替えてみました。
明らかに同軸の方が良い。同軸だけの接続──こちらもややこしい──ならどうなるんだろう...。期待される効果は絶大なのですが、そこへ至るまでの障壁も、高い。
本質的な順番としては、まず、自宅書斎の電源系を配置し直す必要が。たぶん、これだけで半日仕事。その上でHDMI出力のAV機器については、2台あるHDMIセレクタを2段重ね(カスケード接続)に。
これでHDMI機器7台まで対応できます。倖いなことに、HDMIセレクタの1台は光デジタル出力を装備しているので、デジタルAV系はこちらで“E-270”に接続。大切な同軸は、ピュアーオーディオ機器と直結させます。でもその前に、そもそもラック内の多数の機器を再配置する必要が...。
おそらく、1日半くらいかかる作業。気合いを入れたとして、です。やっぱり、夏休みまで無理かなぁ...。