2023年6月17日更新(2023年6月25日ページ移動)
■6月17日(土) 「えんま市」、変わるものと変わらぬ者 ──高齢の父親が、今日向かった先は...
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今日は土曜日。
というわけで、いつものように両親の食料を調達すべく実家へ。されど93歳の父親の姿が見当たりません。母親曰く「出かけた」。父親は年齢の割には元気な方だと思いますが、それでも徒歩での移動にはかなり問題が。
ニュアンスからして、どうも近所ではないらしい。改めて尋ねると「どうしても閻魔堂へ行かないと駄目なんだと」とのこと。昨日の2枚目の写真のお堂です。なぜ「えんま市」期間中の昨日行かなかったのかを訊くと「昨日の午前中は雨だから駄目で、午後になると(公共)交通機関がないから」。
なるほど。彼は息子が在宅していることを重々承知。でも、それには頼りたくなかったらしい。
閻魔堂は実家から約13km先。どうやら高齢者用電動アシスト自転車(三輪車)と電車を乗り継ぐつもりようです。もしそうだとしても、到着した最寄「東柏崎」駅(旧「比角(ひすみ)」駅)から閻魔堂まで、片道800m、往復1.6kmあります。
この間を、どうやって移動するつもりなんだろう。彼の性格上、この距離だとタクシーに乗るなんてあり得ないし...。写真は「えんま市」期間中に撮影したもの。
昨日の1枚目の写真にあるように、旧市街地中心部の道路は通行止めになり、路上には全国から集まった屋台が出ています。ただしその裏、歩道の内側はそれぞれのお店の所有地。
各自が机を出して、お店の品や飲食物を販売していたりします。ここもその一つですが、「柏崎市 市民プラザ」前の広場なので市有地(たぶん)。そこに約10店舗の屋台が出ています。ここに出店してるのは市内のお店ばかり。
このような屋台が徐々に増えています。長い歴史を持つ「えんま市」。ご紹介した報道では「[えんま市が]・・・コロナ禍前の姿にほぼ戻った・・・」と伝えています。決して誤りではありません。
でも良く見ると、そして長い目で観ると、その形態や規模はかなり変化しています。センセイの子供の頃は、反物など実用品も販売していました。中学校の女性教師が「気をつけないと、反物の長さを誤魔化されるから...」と真顔で語っていたことを覚えています。
母校前の通りはちょっと特別。そこでは陶器のお店(こちらの3枚目の写真)が3店、「えんま市」期間中はもちろんのこと、市の終了後も数日お店を構えていました。この間、自動車通行止めに。植木のお店(こちらの3枚目の写真)も同様。
別な場所で、自動車が通行する脇でかなりの期間営業していました。メインストリートの屋台では食べ物とともに子供向けのおもちゃも売っていましたが、プラモデルなどそれなりに実用性のあるもの(?)が多かったのです。されど現在は、子供騙しのおもちゃだけに。
瀬戸物店と植木のお店はそれぞれ1店だけになり、しかも他の屋台と軒を並べての営業。そもそも「えんま市」の規模そのものが、少しずつ縮小されています。以前はもっと広い地域まで屋台が出ていたし、地元商店街も同時にイベントを開いていました。コロナ禍の影響もあるのでしょうが、今回、後者は確認できませんでした。
屋台裏での地元のお店や「市民プラザ」前の屋台は、そんな流れを良い方向に変えたいという動きのように思われます。...などと考えながら買い物を終え、母親を後部座席に乗せて車を運転していると右前方に、三輪車をボトボトと漕ぐ高齢男性の後ろ姿が。もちろん父親です。どうやら無事に閻魔様にお参りできたらしい。
その姿を確認しながら母親は、「(自分を含めて)この歳になると、毎年が暇乞(いとまご)いだからねぇ...」。母親もさんざん「えんま市」に参加していますが昨日の、手を引いて──2人の子供に手を引かれて? ──歩くお母さんがそうであったように、県内他地区出身の彼女にとって市は「子供にせがまれて連れて行く場所」という感覚。
他方、センセイの父親や、昨日何人も目撃した施設に入居中の高齢者など、老人一般にとってはまったく別。DNAレベルで「行かなければならない」という位置づけなのです。
ご安心ください、たとえ規模や形態は少々変わったとしても、「えんま市」はまだまだ相当長い将来まで続きます。確実に。
■6月16日(金) お医者さんも今日だけは早じまい。地域最大のイベント「えんま市」が開かれました
今朝はお医者さんへ行くことになっています。
センセイはいくつかの病気を患っています。重篤(じゅうとく)なものはないので心配はご無用ですが、その中には、自己免疫疾患が皮膚病として発現する「乾癬」という日本人には少ない病気も。
そこで定期的に通院し、(かなり高価な)治療薬をいただいています。でも当地は昨晩から雨に。特に今朝からは本降りになり、時々猛烈な風雨が当たります。
お医者さんは自宅の近くなので当然、徒歩で行くつもりだったのですが、仕方なく自動車に。そのついでに、後で購入するつもりだったビールの空ケースもトランクに収めます。
視界が悪いので、注意して運転。医院のドアを開けようとして、貼り紙に気づきました。「都合により本日は16:15に受付を締め切ります」。いつもより2時間きっかり早い。
そりゃ、そうだよな。だって今日は、地域最大のイベント「えんま市」(全国紙地方版/地元紙)の最終日。午後3時頃、今日のえんま市の様子を確認するため歩いていると、制服姿の女性が数人歩いてきました。
今日は会社が早じまいしたか、希望者に早退を認めたのだろうと思います。お医者さんや隣の薬局もそうですが、子育て中の従業員も多いはず。それほど「えんま市」はこの地域の人間にとって、最重要の行事なのです。
センセイが小学生の時は、(記憶に間違いがなければ)午前中で放課。先生方を含めて一斉に帰宅し、みんなで「えんま市」に参加しました。
1枚目の写真は昨日の午後に撮影したもの。まだ小学生が帰宅していない時間帯ですが、それでも多くの人が「えんま市」に繰り出しています。
報道によると一昨日の人出は約105,000人、昨日は約95,000人とのこと。当地の総人口が約77,000人ですから、いかに多くの方が参加しているかがわかります。「えんま市」参加者の中心はもちろん、子供たちとその保護者。
でも日中参加していると、高齢者(のカップル)も多いことに気づきます。少なくともカップルのどちらかは当地出身の方が多いものと推測されます。今日は、施設の方に押されて車椅子で参加している高齢者を数名見かけました。
正直なところ「童心に帰る」人は少ないのでしょうが、それでも惹かれるものがあるのでしょう。2枚目の写真は「えんま市」の中心、「閻魔堂」(2枚目の写真)。
「えんま市」のピークは夜。小さな子供と老人の数は減っているでしょうが、その代わり、仕事を終えたお父さんも──こちらは童心に帰って? ──参戦します。行ってみたい気もするのですが、西村センセイ、特に用がなければ夜間に外出する習慣はない。
拙宅の門限も事実上、夕方。現在はまだ開催中の時間。現地は凄いことになっているんだろうなぁ...。
■6月15日(木) ここも、金沢 ──裏通りを歩いていたら、子供たちの遊び声が聞こえてきた──
金沢で経験したことを、もう1日だけ。
写真は一昨日の夕方、ビールを買ってホテルに戻る途中で撮影したもの。歩いていたら、どこからから小さな子供たちの遊び声が聞こえてきたのです(来る時は聞こえなかった)。幼稚園あるいは保育施設からかな。
でも良く考えてみるとこの道路、これまでに数回歩いています。そのような施設があるなら、既に気がついているはず。少なくとも声を耳にしていないわけはない。それに、もし幼稚園だとしたら、園児はもう帰宅している時間。
最初のうちは、ビルに子供たちの声がキンキン反射して、どこから聞こえてくるのかわかりませんでした。それでも歩いているうちに、前方右手かららしいということが判明。現場に到着すると、あ"...。
細い小路が車止めされていて、公園(「横安江町広場」)のようになっており、そこで幼稚園児や小学校低学年の児童が遊び回っています。
皆が本当に元気にそう。縮小しているため写真ではわかりにくいのですが、小学校1年生くらいの女子児童はボールを投げようと、完全に空中に浮かんでいます。
左端の男児も同様。センセイは金沢市の事情に詳しいわけではないのですが、武蔵ヶ辻近くのこの地域は、古くから商業地域だったのではないかと考えています。ちなみに写真奥は、高級ホテル。
子供たちの左奥が入口です。幼い彼ら彼女らは、物心ついた時からここで育ってきたのです。いわば庭のようなもの。ふだんの表情を見せながら、子供たちはこの地でしっかりと育っています。
ここも、金沢。外の人に対して肩肘張ったような金沢は最後まで好きになれなれませんでしたが、こういう場面ならスッと受け入れられそうな気がしてきます。もっとも、センセイは田舎の育ちなので、実際にうまく入れるかどうかはわかりませんが。
なお、イソップ(「アイソーポス(aisopoz)」)物語ではありませんが、都会と田舎の優劣を論じているわけではありません。誤解なきよう。
■6月14日(水) 金沢工大の「ニュートンのりんごの木」ももちろん、多くの立派な実をつけています
今日はタイトル通りのお話。
金沢工大での大学院講義を終えて夕方、新潟の自宅へ戻りました。
少なくとも感覚的には、今回もハードなスケジュール。客観的に考えるとそれほどでもないはずなのですが、加齢とともに体力と作業効率が加速度的に低下しているため、体感上の「忙しさ」が増してしまいます。
しかも体力が回復するまでの時間がどんどん長く...。トホホ。それはともかく、やはり自宅近くの「ニートンのりんごの木」の様子を見ておきながら金沢工大の「りんごの木」は無視する、というわけにはいきません。
両方ともいわば、センセイが植えたものなので。そこで昨日、路線バスで金沢工大に到着した後、「りんごの木」を訪れました。ご覧のように立派な、そしてたくさんの実をつけています。(拡大写真(1280×960、125KB))
柏崎高校のりんごは密集型でしたが、こちらは分散型。受粉、開花時期が少し違うのか、こちらの方が成長が早いようです。すでに小粒の柿くらいの大きさと形。そして今回、相違点がもう一つあることに気づきました。
明らかに、金沢工大の方がよく手入れされています。成長の具合と関係しているかも。もちろん私立学校と、予算の少ない──というか、たぶん、ほぼない──県立高校との比較は無理。また誤解されると困るのですが、柏崎高校での取り扱いに対して不満があるわけではありません。
撒かれた一粒の種(実際は接ぎ木の移植)が、それぞれの地に適応しつつ、ちゃんと生長(せいちょう:誤字にあらず)しています。何よりもまず、そのことを言祝(ことほ)ぐべきでしょう。
植物から元気を頂いたセンセイ、そのエネルギーを寝起きの受講生諸君にお裾分け(?)したつもりなのですが...さて、学生の側から見るとどうだったのでしょう。
■6月13日(火) 青海駅を発車すると何と、列車はセンセイと彼女だけの貸し切り状態に。大丈夫かぁ?
もちろん、列車を運行する「えちごトキめき鉄道」と「あいの風とやま鉄道」の経営が少々心配だ、という意味です。誤解なきよう。
火曜日なので、センセイは明日の講義に備えていつものように移動しました。ただし普段と少し違う点があるとすれば、行動を抑制気味にしていること。先週からの膝の痛みが、軽くこそなったもののまだ尾を引いているのです。
金沢到着後は、徒歩ではなくバスを利用するつもり。最初に乗車するのはJR東日本の各駅停車。柏崎駅では特急を退避する――追い抜かれる――ため、各駅は早めに到着して後続の特急を待ちます。それに乗り込むのですが、利用客はほぼ固定。席もそれぞれ好みがあります。
あぁ、今日もいらしゃるなぁーという感じ。...でも今日は、それ以外の乗客が少ない。
たまたまだろうなぁーと思ったのですが、特急から下車した人も少なく、普段の数分の一。ちょっと不思議に感じたことが記憶に残っています。次の直江津駅での乗り換え時間はごく僅か。
痛みの残る左足に、心の中でゴメンなさいと言いつつ、階段を上り下りしてトキ鉄の列車へ...あれっ?!こちらも乗客がまばら。もちろんJR同様、決まったメンバーは乗車しているのです。でも少しずつ下車して、糸魚川(いといがわ)駅ではセンセイともう一人の男性客だけに。
ただし新たに女性客が乗り込んできました。でも、まぁ、これから先の駅から少し乗車してくることがあるから...と思っていたら、何と次の青海(おうみ)駅で男性客が下車(珍しい)。つまり車内はセンセイと女性客だけに。
写真は青海駅を出発した時点で撮影したもの。女性客は1人掛けの席にお座りです。誰かが座席の陰に陰に隠れたりしているわけではありません。
さすがに今回はびっくり。往復ともに、いつもなら6〜10名くらいのお客さんが県境区間を利用されるのです。最近目立つのは、大判の時刻表と地図を手にした中年男性の「乗り鉄」。
運転席(乗務員室)の後ろに陣取り、全区間、立ったままで前方を注視している方も。列車は定時に泊駅に到着したのですが、ここから先の区間も、しばらくの間乗客はまばら。もちろん富山駅に近づくとそれなりの乗車率になったのですが、それでもいつもよりずっと少ない。結局、この状態が津端駅まで続きました。
同駅からは、津端高校の生徒が多数乗り込んできたのでかなりの混雑に。列車の利用に関して今日は、特異日だったのでしょうか。
■6月12日(月) 斎場の敷地内で出くわした、雀より少しだけ大きい鳥。この特徴のある羽根の色は...
お察しの通り、鶯(うぐいす)だった──たぶん──というお話。
お断りしておきますが、「出くわした」といっても、斎場の敷地内に立ち入って撮影したわけではありません。センセイは自宅近くにある式場(旧式場)脇の道路を歩いていたのです。
駐車場(右上にある灰色の物体は車止め)に、小鳥が。最初は「いるなぁ...」くらいにしか感じなかったため、そのまま通過しかけたのです。でも、あることに気づいて、静かに戻りました。
それは、羽根の色。逃げられることを覚悟の上で、トートバッグの中から小型デジカメを取り出しました。小鳥はセンセイを強く警戒しています(そもそも最初からこちらを認識していた)。
塀の上から撮影したのが写真。2枚とも84mm(35mmフィルム換算)望遠端での原寸映像(トリミングのみ)。1枚目の撮影時は、警戒心露(あら)わ。
首を左右に素早く振りながらこちらに注目しています。念のためにご説明しますが、鳥の眼は頭部の側面にあります。だから首を傾けたこの状態が、鳥にとっては「真正面」。
いつ飛び立たれても不思議ではありません。センセイの存在感が薄かった──それって、何?──からか、何とか20秒程度この状態で睨(にら)み合い(?)状態を維持することができました。
と、突然、厭きたらしく写真のように背を向けて歩き始めました。この頃には警戒感が消失しています。
この特徴的な色からして、やはり鶯だと思うのですが、どうでしょう。
鶯は警戒心が強い鳥だそうで、あの「ホーホケキョッ!」は良く耳にするものの、なかなかその姿を目にすることはありません。3月まで使用していた研究室の前には、背の高い木が。
春、葉がまだ成長しない時季にそれと思(おぼ)しき鳥が、枝に留まっているのを見かけたことはあります。でも窓ガラス越しにカメラを構えただけで飛び去ってしまうので、間近でその姿をちゃんと見たり、ましてや、撮影することができたのは初めてだと思います。
珍しいものを見せて頂きました。なお、この時の鶯は鳴いていませんでした(逆に、もし鳴けば鶯だと簡単にわかる)。「ホーホケキョッ!」は縄張り争い、つまり生殖行為に関係する鳴き声なのだそうです。
どう考えても今回は、そのような状況とは無関係ですから、鳴かなくて当然。ちなみに、「雀とほぼ同じ大きさ」とのことですが、枝に留まっている時も今回も、もう少し大きいという印象です。
■6月11日(日) 「ニュートンのりんごの木」が、たくさんの実をつけました。ただし金沢工大ではなく...
決して、金沢工大の「ニュートンのりんごの木」が実をつけていないというわけではありません。誤解なきよう。
ご存じのようにセンセイは今学期のみ、大学院科目を担当すべく毎週火曜日から翌水曜日にかけて金沢工大に「出張」しています。1コマだけの講義ですから、引き受けた時に描いていたのは優雅なイメージ。
前後に時間が余るだろうから、あれをやって、ここも観て...。でも実際に始めてみると、これが大違い。
特に、2回目から帰路を変更した関係で講義終了後、直ちにで路線バスに乗車する必要が。倖いなことに、どうやら当該バスは長距離路線を運行するらしく、これまでのところ毎回、数分程度遅れて到着。
そのお陰で、乗り遅れはしていませんが。大学には前日入りするので、その意味では時間にも行動にも余裕があるはずなのです。でも、まず教材を印刷なければならないし、偉い方に肩を「ポン」と叩かれると、数時間拘束される羽目に。
加えて、学生との約束も。(退職したんだけど...)。というわけで今季、センセイは金沢工大の「ニュートンのりんごの木」をちゃんと見ていないのです。きっと、たくさん結実していますので、ご安心ください。
写真は今日の午後撮影したもの。(拡大写真(1280×960、169KB)もちろん撮影場所は石川県ではなく、自宅のある柏崎市。2002年、前年の特別講義──センセイが、若い──をご縁にセンセイの母校、柏崎高等学校に寄贈した「ニュートンのりんごの木」です。
こちらは同窓会名簿での紹介の様子。現役時代も時々、お忍びで様子を見に来ていたのですが、ふだんは金沢にいたので。じっくり、あるいは継続的に観察することはできませんでした。
そこで今季は、意識して立ち寄るように。まぁ、昨日ご紹介した、晩酌のお刺身を買うスーパーに近いという理由も大きいのですけど。それはともかく今年は、ご覧のようにたくさんの実をつけています。
実を最初に確認したのは5月下旬。初めて知ったのですが、その頃の実は上方を向いているんですね。花の構造、特に受粉時の状況を考えれば当然のこと。言い換えると、植物に関するセンセイの無知を暴露しているようなもの。
トホホ。その後は順調に生育し、ご覧のように順調に現在では直径6cmくらいになっています。これが南西側を中心──理由は不明──に、多数結実。ちゃんと数えていませんが、総数は100個に迫るんじゃないだろうか。
金沢工大の木でも、これほど多数は確認していません。柏崎高校がある場所は海岸沿いの砂丘の上。正直なところ、バラ科植物のりんごにとって厳しい生育環境なんだろうと思います。実際、同窓会名簿に掲載されているように、以前はか細い木だったのです。
冗談抜きで、生き延びられるんだろうかと心配したほど。しかし現在は、木もかなり生長。何より、木にも実にも生命力が溢れています。拡大写真をご覧いただくとわかりますが、今日の当地は雨。それを「恵みの雨」と受け取っているかのような表情。
...もちろん、人間の願望の投影が大部分なのかもしれません。センセイはそれでも、「親はなくとも、子は育つ」を実感しています。