2025年10月25日更新(2025年11月2日ページ移動)

──2025年10月第4週のニュース──

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10月25日(土) ここがその現場かぁ... ──当地の郷土新聞は、予想以上に多数刊行されていた──

 「多数」と言えるかどうかちょっと微妙ですが。

 柿の話を挟んで、センセイが最近当地について知ったことを。先日、柏崎市立図書館「ソフィアセンター──凄い名前だ──が収蔵する資料について調べていたところ、予想外の情報に出くわしました。
 「郷土資料」の中の「柏崎の新聞」についてです。いわゆる「郷土新聞」。

 なおここでの「当地」あるいは「郷土」は柏崎、刈羽(かりわ)地区を指しますが、場合によっては北隣の出雲崎町を含むことがあります。このサイトでは何度も、「柏崎日報」紙──キャッチは「柏崎・刈羽地域唯一の日刊紙です」──の記事をご紹介。
 でも以前は、他にも郷土新聞が発刊されていたのです。

 それ自体はある程度認識していました。金沢工大移籍直後の出前講義や、その「果実」としての「ニュートンのりんごの木」植樹について報道してくださったのは「柏新時報」。
 いずれも後日、掲載した新聞を送付していただきました。

 白状すると出前講義の時は、記者の方が当方のカメラで撮影してくださりました。良く考えると、取材対象(=センセイ)と取材する側の関係は微妙。
 相当気をつける必要があるため、「本当にそれで良かったのか」という問題が残るのですが。

 その「柏新時報」が割と最近終刊になったことは認識していたのですが今回、それが2022年3月だったことを知りました。まだ金沢にいた時のこと。
 そのため、情報が入すぐにはってこなかったようです。

 しかも今回、同紙の他にもかつて「越後タイムス」(2014年休刊)、「柏崎週報」(1986年終刊)、「柏崎春秋」(1985年終刊)、「月刊春秋」(2001年終刊)、「柏崎新聞」(終刊期日不明)と、複数紙存在したことが判明。
 一部週刊あるいは月刊紙もあったようですが、これほど多数とは想像すらしていませんでした。

 確かに、一部については耳にした覚えがあります。また一般論として、昭和30年代〜50年代は小さな地域に根ざした郷土史が多数刊行されていたことは知っていたのです。でも、灯台もと暗し。
 自らの不明を恥じ入るばかりです。

 その後、情報伝達手段が活字から映像主体となり、さらには最近のSNSなどへ移行し、かつ細分化。こうなると当然、新聞などの活字メディアは苦戦を強いられます。郷土新聞はその最たるもの。
 このような状況下でも柏新時報社は最後まで頑張ったわけです。
(この精神は、一昨日の文化書院に共通するものが)

 それを象徴するのが同社のサイト。もはや紙の印刷物ではありませんが、知的財産を後世に...という想いがひしひしと伝わってきます。そこで初めて、同社の所在地を訪れてみました。表通りから入った場所にあります。
 正面には堂々と「柏新時報社」の看板。

 住宅を兼ねているようですが、右端の軽自動車と比較するとわかるように、非常に大きな建物です。規模からして取材や編集はもちろん印刷、折り、そして出荷と郵便発送までここで行っていらっしゃったんじゃないでしょうか。
 これほどまでの先人の知的努力。

 時代とともに環境や価値観は変わりますが、それでも貴重な情報と想いを何とか後世に伝えていきたいところです。



10月24日(金) 「切る」のではなく、「切断しない」がポイント ──実家で甘柿を収穫しました──

 予定を変更してタイトル通り、そして見たままのお話。

 今日は金曜日。先生にとっては家族サービスの日。

 ただし今月は3週連続で変則的。今日は母親の通院日なのですが、朝は適切な公共交通機関がありません。そこで送迎はすべてセンセイ。治療を終えた帰路に他の用を済ませます。いつもより1時間早く起床。
 移動は順調だったのです。

 でも今日は病院と薬局が混雑していて時間がかかったとのこと。いつもよりかなり遅れて母親を実家まで送り届けます。途中で食料や当面の生活費の引き出し、来月のイベントの準備など。
 車内でいろいろ情報を交換。

 その中の一つが実家近く、管理を任されている親戚宅(空き家)の柿の様子。葉がかなり落ち、実がかなり色づいたそうな。つまり、もう収穫できるのではないかということ。
 実家手前で少し遠回りして、車中から柿の木の様子を確認します。確かにその通り。

 来週前半は雨がちなので、今日のうちに収穫することに。実家に食料他を置き、準備開始。後述の器具その他を持参して撮影したのが右の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 写真は逆光に近い状態で撮影しており、色合いの再現が難しい。

 1枚目の左上隅(日が当たっている部分)および2枚目の柿(ほぼ無加工)は実物に非常に近い色なのですが。1枚目の写真は影に青空の散乱光が入り込むため、暗部の色合いを少し補正しています。
 木の高さは8m〜9mくらい。

 実は上から2/5くらいのところにあるので、一部を除けば手が届きません。当然、「木に登って...」と発想しがちなのですが実は、非常に危険。柿の木は非常に折れやすいのです。田舎の人間ならよく知っていること。
 もっとも、センセイも子供の頃は登りましたけど。

 そこで右の写真の上部に一部見えている高枝切りバサミの出番。実家にあるのは3段式で最長3mくらいになります。ただし高枝切りのように、実をヘタの部分で切断するわけではありません。
 実は重いので、切断部分から数m落下して食用に適さなくなります。

 で、どうするかというと、実のなっている枝の部分に少し切れ目を入れ──切断はしない──て、高枝切りバサミを捻ったり引っ張ったりして、枝に付いた状態で実を地上に降ろすのです。
 2枚目の、収穫後の柿をご覧いただくとイメージできるかも。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 難しく感じられるかもしれませんが、やっているうちに慣れます(キッパリ。今日は1個だけ落下させた)。しかも親戚宅の場合、後から周辺の道路改良工事が行われています。
 その結果、この柿の木についてはその脇に高さ2mくらいの土盛りされた道路が。

 そこで今日は道路脇に立ち、高枝切りバサミで収穫しました。両親は脚立ないしは梯子の利用を提案したのですが、仮に道路上で使用中に転落すると3mくらい落ちることになります。
 ここはやはり、リスク回避。

 最上部の柿の実には届きませんが、ま、しかたない。

 というわけで今日の収穫は約20個の大ぶりの柿。この柿は甘柿。父親は柿が好き──母親(=センセイの祖母)似──で、「熟してから順番に食べたい」とのことなので、彼の分を実家に残し、他は自宅へ持ち帰ります。
 で、センセイが柿を頂くかというと...たぶん、ない。

 目の前にあったら口にするでしょうが、センセイはあまり果物類を食べないので。

 でもそれは体質の問題なので、しかたありません。



10月23日(木) 人々の息吹までが伝わってきます ──書店「文化書院」前に掲出された写真──

 昨日のお昼は旧市街地を、いつもよりちょっとだけ西へ。

 現在の感覚では「旧市街地中心部の西側」という感覚ですが、歴史的には不適切。江戸時代から明治、大正期頃までの柏崎市は、「鵜(う)川」右岸河口付近が中心。その後、徐々に東、南、そして北西側の砂丘地帯に拡大します。
 だから古い町名は河口から東に向かって「本町1丁目」、「同2丁目」...。

 その後、東西に走るメインの道路(写真手前)と駅から北上する駅前通の交差点を基準にして、現在の「西本町」および「東本町」に町名が変更されます。その歴史ある西本町で撮影したのが写真。
 「文化書院」という小さな書店です。

 昔からずっとこんな感じ。高齢女性がお一人で運営していらっしゃるとのことですが、センセイはまだ入ったことがありません。(高校時代は通学路から外れていた)
 白状すると、お客さんの姿を見たことはない。

 ご注目いただきたいのは右側の窓。かなり大きく引き伸ばした写真が12枚掲出されています。これらは旧市街地を中心として85年〜54年前(1940年〜1971年)に撮影された写真。
 1957年生まれのセンセイにとって、父親の小学生時代からセンセイの中学生時代。

 考えさせられることが多いので、センセイはお店の前を通るたびに立ち止まって見ています。貴重な写真なので、ぜひご紹介を...といきたいところですが現時点では不可能。
 それぞれの写真には著作権があり、著作権者から書面での許可を得ていないからです。

 これらの写真はたぶん、(株)いき出版の『写真が語る柏崎・刈羽・出雲崎の100年』という写真集からの抜粋。(ただしそれ以前に出版された(完売)の可能性も残る)
 つまり「文化書院」で扱っている当該書籍のプロモーションらしい。
(その場合の使用許可はどうなるんだろう...)

 掲載されている写真の一部は同社サイト内で紹介こちらおよびこちら。透かし入り縮小版)されています。

 興味を持たれた方はそちらを...ということになるのですが、当時の風景や道路、人々の暮らしぶりが良く伝わってきます。個人的には未舗装の道路と住人(特に子供が多い)、そして人々の服装は、「そう、確かにこうだったよねぇ...」という感じ。
 中心となる八坂神社には簡単な動物園があり、番神海岸には水族館も。
(後者は微かに記憶がある)

 予想外だったのが家の造り。もちろん新築されたばかりのお宅は実家などの造りに通じるものが。でも古くからのお宅の屋根は板葺(いたぶ)きで、その上に石を置いたものが多い。個人的には金沢の歴史的建造物で見たことが。
 でも当地もそうだったとは...。

 「年寄りの懐古趣味」といわれればそれまでですが、思い出されることとともに学ぶべきことの多さを思い知らされます。

 今回はオマケが。書籍を監修した新沢佳大(しんざわよしひろ)氏は、前柏崎市史の監修者兼代表編纂委員。当地域の歴史に関する第一人者です。と同時に実は、センセイが高校入学時の学級担任。
 90歳を過ぎた現在もご活躍中とのこと。

 ご健勝をお祈りしております。



10月22日(水) こうなっているんだ... ──解体中のホテル、仕切壁にはコンクリートブロックも──

 今週は学園祭が開かれるため、前任校での講義はお休み。

 長く続けた教師生活。多くの方がそうでしょうが夏休みや冬休み、そして春休みは嬉しい(春の連休も)。でも不思議なもので講義がお休みになると、何だか心に穴が空いたような気分になる時が。
 リズムが狂うからでしょう。

 でもまぁ、これはあらかじめわかっていたこと。見方を変えれば降雪前の貴重な機会なので、今週はできるだけ「正しく、美しく」歩くことに。脇道に逸れますが昨日お伝えしたように実際には、かなり厳しい修行。
 昨晩は、股関節と腰に負担がかかっていると感じていたのです。

 でも今朝起きると大ハズレ。両者にはほとんど問題ないものの背中の下部筋肉が非常に痛い。背中が固まっており、すんなりと起立することすらできません。「脊柱(せきちゅう)起立筋」──間違っているかも──と呼ばれる、直立姿勢を保つ筋肉の痛みらしい。
 要するに、これまでの姿勢が悪すぎたということの証左
(しょうさ)

 やはり、これではいけません。

 今日は雨が降らなかったこともあり、17,000歩以上歩きました。本質的には歩数を稼ぐことが目的ではなく、「ちゃんと訪れて/観ていない場所」があると感じているからです。
 センセイのふだんの行動範囲であっても、です。

 そこでこれから数日間、この種の情報が続く見込みですので、悪しからず。最初に気づいたのが、元「ホテルサンシャイン」の解体工事現場。ここは単に通過するだけの予定だったのです。
 左側にあったビルは、1階部分を除き綺麗に撤去されています。通り過ぎようとして、あれっ?!

 右の写真は、解体作業が進んでいる右側ビルの5階部分を拡大したもの。ふだんは目にすることができない内部構造を知ることができます。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 最初に目に飛び込んできたのは、壁として用いられているコンクリートブロック。ナシテ?!

 改めてビル全体を確認すると鉄骨コンクリート構造。左側にはエレベーターが設置──押しボタンが見える──されていましたが、その周囲はコンクリートで固められています。
 後で触れる消火栓を挟んで、その右側に通路、そして客室
(/プライベートルーム)

 でも少なくとも通路と客室、そしてここから見える範囲内での客室の仕切はコンクリートブロック。それも素人目には、ホームセンターに並んでいるものように感じられます。
 しかもブロック壁の右端部分を見ると、かなりアバウトなコンクリート止め。

 二層──奥にもブロックが見える──になったブロック壁を良く見ると、縦方向に配管が。他方、この部分に鉄筋はほとんど確認できません。
 要するにコンクリートブロックが用いられているのは、大きな力が加わらない部分だけらしい。

 改めてエレベーター側に目を向けると、消火栓および消火ホースの収納箱が飛び出ています。話が飛ぶようで申し訳ありませんが、金沢工大はかなりの歴史が。
 センセイらの研究室があった建物など、初期に建設されたものは壁面から消火栓の箱が飛び出ています。

 でも近年のビルは本来の壁の外側に、石膏ボードその他で壁を形成して見かけ上、消火栓を「埋め込む」のが普通。その分、通路は狭くなりますが。
 なるほどねぇー。

 一見すると「美しい」ビルも、内部はこうなっているのね。もちろん本来の用途に応じてコストパフォーマンス等を考慮した結果なので、部外者が軽々(けいけい)に口を挟むような場面ではありません。

 誤解なきよう。



10月21日(火) もっとモテた...かも?! センセイの歩き方は「正しく、美しく」ではなかったたらしい

 きっかけは1週間前、ニュース内の特集。

 夕方、各局のローカルニュースを切り替えながら見ていたら、県内のどこかの大学のグラウンドが映りました。まだ訪れたことがない大学です。他局へ再度切り替えたものの結局、その特集に戻ってきました。
 センセイが出くわしたのはNHK新潟放送局「新潟ニュース610」内、「山崎アナのGOOD LIFE」
(番組開始後30分から)という特集。

 この日は「ジョギングを始めよう」がテーマで、運動不足気味の山崎智彦アナウンサー(旧塩沢町出身)が無理なく、しかし健康維持に役立つジョギングに挑戦するというもの。指導してくださるのは新潟アルビレックスランニングクラブの近藤コーチ。
 ちなみにロケ地は予想通り、新潟医療福祉大学グラウンドでした。

 よろしければリンク先からご覧いただきたいのですが、個人的には非常に興味深い。番組は、我流ではなく無理や無駄がない「正しいジョギング」が最終目標。そこに向けて、運動不足の身体をほぐすことから始め、「正しい姿勢で歩く」段階へ進みます。
 これぞ、センセイがもっとも知りたかった点。

 ご存じのようにセンセイは健康維持のため、10年くらい前から近所の用務では可能な限り自分で歩き、またエレベーターやエスカレータを極力使わず階段を上るように。
 右のグラフはこの1年間の、1日当たりの歩数。

 今夏は異常に暑かったたし冬季も積雪で歩数は低下しますが、それでも概ね10,000歩(/日)程度をキープ。

 多いと思われるかもしれませんが実は、以前はもっと歩いていたのです。でもいくつか問題が。こうやって数字やグラフに表すと、いつの間にかそれが独り歩きし、本来の目的を見失いがちに。(ダメな組織で良く見られる現象)
 そのため現在、歩数には拘っていません。

 もう一つ問題があって、「本当に健康維持に役立っているのだろうか」という根本的な疑問が。もちろん何もしないより、歩いた方が良いことは確か。
 ただし「独り歩き」と関係しますが、「
疲れが少なく、数字を稼げる歩き方」へ密(ひそ)かに変質している可能性が。

 当時はたぶん、歩く姿も美しくはなかったはず。センセイを直接ご存じない方も容易に想像できるように、背中を丸めて前屈(かが)み気味。
 そして顔は、少し下向き。

 どう見ても貧相だ。

 この点はずっとずっと前から気になっていたのです。されど「正しく、美しい」歩き方なんて、誰も教えてくれません(今ならネット上で調べられるけど)。そこでこの機会に歩き方を大きく変えることに。
 番組を参考に、まず股関節まわりをストレッチ。
(かなりキツイ)

 次に肩まわり(肩甲(けんこう)骨)をほぐし、続いて手と足の連携を図ります。これらはまったく予想外でした。そしていよいよ歩き方。どうやら今まで、「膝」で歩いていたらしい。
 実際、長距離歩行を続けると病院にかかるほどではなかったもの、膝に悪影響が出ていました。

 そこで膝ではなく、股関節(および踵(かかと)からつま先)と腰で歩きます。この辺りの身体の使い方は、鍬(くわ)で田畑を耕起する時と同じだ。
 上半身は自然にまっすぐ立ち、頭も
(下ではなく)前方を向きます。

 番組視聴の翌日から1週間、外出時はこの歩き方を実践。右のグラフはこの間の、日ごとの歩数。木曜日には講義があり、先週土曜日は法事。
 そのため日によって大きなばらつきがあります。

 両日を除く5日間、「正しく、美しい」歩き方を心掛けるように。結果からお伝えすると、全然違います。予想に反して、疲労度と疲れ方は「正しく、美しい」方が疲れます。
 正確に言うと股関節まわりおよび腰の、今まで使っていなかった筋肉が激しく疲労。

 膝に依存した今までの歩き方では、(あまり良くない意味で)いくらでも歩くことができたのです。でも現在は、10,000歩くらい歩くと身体がネを上げます。
 脚は持ち上がらなくなり姿勢は前屈みに。そして視線は低い位置に向いており、気持ちも沈みがち...。

 他方、「正しく、美しい」歩き方では膝の負担をほとんど感じません。これらを我がこととして気づかせていただいただけでも、本当に有り難い。正直なところセンセイの歩き方はまだそんなに美しくはないのでしょう。
 それでも、かなり改善されていると願いたい。

 それにしても、高校生や大学生など早い時に改善していれば、もっとモテたのかも...。

 ま、いいんですけど。



10月20日(月) 営農用の一輪手押し車を修理しました ──西村センセイ、雲を再々度読み誤る──

 今日の当地は、午後から雨との予報。

 停滞前線(秋雨前線)は昨朝までに北から南へ通過。当地は現在、前線の北側に位置しています。冷たい空気が入り込んでいるので気温は低い。ただし雨になってからも荒れることはなく、しとしと...という感じのはず。
 だから問題は、雨の降り始め時刻。

 センセイはふだん、徒歩で移動するので。

 このような場合、センセイは前の晩の各テレビ局の降雨予想図を参考にして翌日の計画を立てることが多い。でも最近は民間天気予報会社、具体的には日本気象協会の地域別3時間/1時間天気も併用するように。
 少なくとも当地の場合、テレビの予報は辛目。

 他方、日本気象協会の予報はやや甘め。つまり実際はその間が多い。今日について前者は13時頃から、後者は15時頃──後で前倒しされた──から降り始めるとの予測。どちらにせよ、それまでに戻るつもりで外出することに。
 今朝は、予想外に良い天気。

 雲は残っていたものの青空が広がる時間帯もあったため、センセイの緊張感はかなり緩んでしまいました(反省)。しかも午前中はいろいろバタバタ。外出は予定より約1時間遅れ。この頃になると、空一面が乱層雲に覆われていました。
 されどまだ十分明るく、決して雨が降るような状況ではない。

 しかも大気は安定。

 高層は西南西の風、中・低層は概ね南風。用を片付けて旧市街地から戻ろうとした時、天気が急変。乱層雲が厚くなり、薄暗くなっていることは認識していたのです。でも何より、風向きが変。
 いつの間にか北寄りの、不安定な風に変わっています。

 風が急に強くなりました。降雨に伴う風です。お察しの通り、間もなく雨が降り始めました。もっと早く帰るつもりだったので傘を持っておらず、靴も防水ではありません。軒先やガレージをお借りして雨宿り。
 肝心の乱層雲の移動方向で不明瞭で、今後の予測が難しい。

 でも、よぉーく観察すると何と、北北東方向からやって来ます。どうやら天気図に描かれていない弱い寒冷前線が通過中らしい。こうなるともう、短時間での回復は無理。それでも全体の状況と風向きは概ね把握済。
 ある程度の対応は可能です。

 カーポートを伝い歩きするような格好でご帰宅。「ずぶ濡れ」ではなく少し濡れた程度。残念ながら今回で、約3週間で3回こちらおよびこちら雲を読み誤ったことになります。
 トホホ。

 もちろん現場で最も頼りになるのは気象庁の雨雲レーダー。もちろん出発前には確認しています。でもセンセイは外出時にスマートフォンをほとんど使用しません。
 白状するとデータ通信量は、ここ3ヶ月ほど0.0MB。
(つまり無利用)

 スマホの料金プランはauの最低価格のものにしてあるはず。ただし動画でも観ない限り支払金額とは無関係。だから決して料金に拘っているわけではないのです。
 でもセンセイは、外でスマホを使わない。

 好意的に理解すれば、現場にはもっと大切な情報が...ということなのかも。ただし今回は、それが裏目に出た格好。このへそ曲がりの性格、これからもあまり変わらないんだろうなぁ...。
 写真は昨日言及した実家での用を撮影したもの。

 先週金曜日に実家へ行くと、母親が営農用の「一輪車」こと手押し車──建設業界での通称は「ネコ」──のタイヤがおかしいと訴えてきたのです。事前に連絡をもらえれば、必要な道具をあらかじめ運んだのに。
 実物を確認すると、タイヤがぺしゃんこ。

 このタイヤは数年前にセンセイが交換しています。チューブを内蔵するタイプなのですが、空気を入れようとしてもポンプの形状と合わない。必要な工具がないので、その日はチューブレスのタイヤを購入して帰宅。
 一昨日は自在スパナ
(「モンキーレンチ」)を積んで実家へ。

 時間があればタイヤを交換しても良かったのですが、法事の前後ともに余裕がなかったため断念。そこで昨朝、この用のためだけに実家を訪れたという次第。写真はスパナをタイヤを止めているナットの口径に合わせているところ。
 簡単な作業なので、5分もせずに終了。

 母親は満足そうですが彼女にとって、これが最後のタイヤ。

 午後1時半過ぎ、つまりテレビの予報通りに降り始めた雨はまだ降り続いています。明日明け方には止むだろうとのこと。つまりこちらは一区切り。

 されど10代目ご当主様(予定)の仕事は、まだまだ続きます。



10月19日(日) 差異の理由は、開催歴の長短だけ? ──地域内の「秋祭り」が開催されました──

 疲れ果てていたからでしょうか、昨晩は割とストンと就寝。

 ならば今朝はスッキリと...となれば嬉しいのですが前日同様、期待通りにはなりません。心身の疲れはまだ残っているし。それでも今朝の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)血圧は119mmHg。
 厳しい現状を斟酌
(しんしゃく)すれば、良い方と褒めてあげるべきでしょう。

 メール確認およびサイト一巡後、自動車で実家へ。自転車でも良かった──かなり冷えているが、身体が暖まるのでこれくらいがちょうどいい──のですが、風があるので断念。
 比較的シンプルな用なので、割と簡単に終了。
(近日中にお伝えするかも)

 自宅に戻ったのは11時前。荷物を入れ換えて徒歩で外出します。昼食と晩酌のツマミ購入が主目的ですが、それ以外にもあちこち、訪れてみたい場所が。
 「熱い」夏が終わったばかり。

 でも一雨ごとに気温が急降下して、当地はすでに初冬の気配すら漂っています。もっとも、まだ平地では紅葉が始まりかけているだけですが。
 秋はどこへ行った?

 でもそれとは別に、人間界ではカレンダー通りに秋から冬にかけてのイベントや作業が進んでいます。その近くが、自宅近くで開かれる「比角ストリートフェスティバル」。一昨年の様子)
 何度かお伝えしましたが、「
比角(ひすみ)」は当地域の古い名称。

 「ストリートフェスティバル」は、比角地域の町内会が連合して開催する秋祭りだと思ってください。1枚目の写真は飲食店を中心とした屋台群。(一部加工している場合あり)
 予想外
──関係者の皆様、ゴメンなさい──に多くの方が参加していらっしゃいます。

 しかも多彩な客層。小さな子供を連れたファミリー層が中心なのは当然ですが、高年齢の方も多数訪れて、親しそうに会話していらっしゃいます。
 屋台は概ね町内会単位。

 焼きそばだったりポテトだったりしますが利益そのものは二の次で、まず各町内会内での親睦、そして町内会間での交流が目的。2枚目はフリーマーケットなどのゾーン。
 写真はありませんが、この間にはステージも。

 「ストリートフェスティバル」開催および環境保護の標語の表彰をしていました。表彰を待つ小中学生20人くらいの列が印象に残ります。
 地域内の商店も屋台を出していますが、やはり「地域のお祭りだから」という感じ。

 本当は屋台の料理でお昼にしたいところ。でも残念ながら一般的に、この種の料理は味が濃い。つまり塩分を多く含む傾向が。大変申し訳ないのですが、ここはパス。
 可能な限り低塩分、高タンパクのお昼を頂きます。

 おっとここで連絡が入り、後半の予定を切り上げる必要が。近所の方の助けを借りて午後、庭木の手入れをすることになったのです。
 とりあえず晩酌のツマミを購入して、ひとまず帰宅。

 庭木全般に手を入れるわけではないこともあり、今日の作業は約1時間半で終了。身体的には少し疲れていますが、予定していた行動を再開することに。
 こちらは今日だけの開催なのです。

 目的は「ほんちょうマルシェ」。旧市街地の商店街がメインの道路と直交する小路を通行止めにして開催するイベント。ちなみに右の写真の奥に見えるのは母校、県立柏崎高等学校。
 割と期待して訪れたのですが...何だか静か。

 3枚目(右上)の写真は地上から望遠レンズで撮影しています。これだけを見ると、混雑していると感じるかも。4枚目(右)は、向かいの駐車場屋上から撮影したもの。(左奥は市立図書館)
 チラシの構図をなぞっています。印象は、いかがでしょう?

 二つのイベントの集客に関して、質量ともに大きな差が。個人的には、これはイベント開催期間──「ほんちょう」はたぶん、今回初めての開催──の長短とは区別すべきだと思う。
 実は、もう一つ気になったことが。

 1、2枚目の写真を良く見ると、各屋台のテントはてんでばらばら。それぞれの町内会他が所有し、地域の運動会などで使用しているテントです。
 お気づきのように3、4枚目のテントは見事に揃っています。

 これは商店街のテントで、たとえば「えんま市」などの際に使用されているもの。誤解なきように申しますが、手持ちリソースの有効活用は評価すべき。
 ただし、そもそもの開催意図が良くわからない。

 会場を訪れた時、入口(手前)にも複数名の高齢者(80歳前後)がいらっしゃったのです。でも小路の様子を一瞥(いちべつ)し、入るべきかどうか迷っています。個人的にはその後の予定もあったので、スタスタと入場。
 高齢の彼および彼女の、その後の様子を確認していません。

 でも、パスしたんじゃないかなぁ...。

 会場の中心部にはステージが。内容については触れませんが、それ自体は評価すべきだと思う。

 でも主体となる各ブースの内容は各店舗の物品販売および宣伝、勧誘がメイン。「秋の収穫祭だから、今日は特別に...」ではない。でもこれは根本的に、各店舗の問題ではないはず。旧市街地商店街が方向性を見失っていることの証左(しょうさ)
 つまり、それほどまでに旧商店街の「力」が落ちているということなんだろうと考えています。

 偉そうなことは決して言えませんが。



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