2025年10月4日更新(2025年10月12日ページ移動)

──2025年9月第5週〜10月第1週のニュース──

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10月4日(土) 当地の超有名ラーメン店「そばよし」が来月閉店に。凄いことになるんだろうなぁ...

 実際、ご覧のように、すでに凄いことに。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960。一部加工))

 昨夕、新潟県内で最大発行部数を誇る『新潟日報』紙のWeb(全文を読むためには登録が必要)が、柏崎・刈羽地域の人間にとって衝撃的なニュースをトップで報じました。当地の超有名ラーメン店「そばよし」(1枚目の写真)が、11月3日で閉店するというのです。
 現時点で、印刷配布される新聞紙上ではまだ報じられていません。

 店内に「西村セェーンセェーイ!!」という大きな声が響いた件を含めて、「そばよし」についてこのページで何回も言及しています。なにしろセンセイもよく通った──残念ながら過去形──お店なので。
 この機会に、改めて「そばよし」および関係店の歴史を。
(一部既報内容を含みます)

 1968年、当時30歳前後の若く、働き者のご夫婦──鮮明に覚えている──が旧市街地、閻魔堂(2枚目の写真)裏に「そばよし」初代という小さなラーメン店(本日の写真2枚目の、左奥の部分)を構えます。「ラーメン」一杯90円。
 衝撃的だったのが、その味。

 今でこそ市民に定着していますが、当時は非常に新鮮な醤油味(ただし塩分も多い)。たちまち評判となり、お店は大繁盛。程なく奥様の弟さんがここで修行を始めます。
 もちろん、「そばよし
」(二代目)のご主人。(真摯な働きぶりを良く覚えている)

 記事にある通り1973年、弟さんは柏崎駅前(まさにこの場所に、ご自身の「そばよし 駅前店」を新規オープン。両店ともに大繁盛します。
 この年、センセイは「初代」の近くにあった高校へ進学。

 進学、通学開始前から親──特に、母親がファンだった──に連れられて、時々初代「そばよし」を訪れていたこともあり、お昼は時々「そばよし」へ。
 奥様が作る美味しい焼きそばを、1日3回頂いた
(!!)ことがあるはず。(ただし1回だけ)

 「駅前店」は高校から離れていたので、そんなに足繁く通っていたわけではありません。でも19時過ぎの列車──当時の越後線はディーゼルカー──で帰る時は、「駅前店」へ行くことも。
 当然、時間との闘いですから全部食べきれなかった日があり、申し訳なく感じたことを覚えています。

 その後も、両店は繁盛。

 他方、大学進学に伴い、センセイは当地を離れます。大学再入学、大学院進学および就職と大きな変化が続き、1991年には新潟県に戻ります。
 でもこの時は、新潟市内に居住。

 家を構えて柏崎市内に戻ったのは1996年。

 約20年間柏崎市を離れていたわけですが、この間に両「そばよし」は大きく変化。そもそも「そばよし」という看板は現「そばよし」へ。
 詳細は不明ですが暖簾を譲った、ということなのでしょう。

 だから比較的新しいお客さんにとって「そばよし」は、1枚目のお店。(1981年に移転)

 初代(あるいは元祖)は、かなり長い休業期間を経て、店名を「あじっ子」に変更。似たような年代になり。偉いなぁーと感じるのは、初代ご夫婦が弟子を育てたこと。
 ただしその対象は「そばよし」
(2代目)のように、原則として身内のみ。

 その条件を満たした市内の「あじっ子」は、残念ながらご主人の病気および逝去により閉店し、その後更地に。ただしその才能を認められたのでしょう、身内ではないのに修行が認められ、やがて独立を果たしたお店も。
 市内の「三宝
(3枚目の写真。オリジナルに近い「焼きそば」(2枚目))と、十日町市の「らーめん うれっ子」です。(後者を訪れたことはない)

 「あじっ子」は同時に、店舗を拡張。写真はいずれも、今日の正午過ぎに撮影したもの。2枚目の写真、前述したようにそもそものお店は左奥の茶色い建物。1回はカウンターおよび小さな小上がりのみ。
 2階にもテーブルが。

 写真中央、やや緑がかった建物は質流品のお店だったのです。どうやらそれを購入したらしく、現在は内部で繋がっています。そのため段差があるのですが...。ちなみに左側の建物の2階は使用停止。
 その後の「あじっ子」は、着実にお客さんを...という感じ。

 (2代目)「そばよし」は、記事にあるチャーシューが花開いたかのような「チャーシュー麺」、「焼きそば」そして「ラーメン」が鉄板で、いつも行列ができていました。その閉店が伝えられた以上、一波乱起きないわけがない。
 繰り返しになりますが現在は、インターネット上で第一報が報じられている状態。

 お昼に現「そばよし」(1枚目)を訪れてみると想定以上の行列。お店の駐車場をすべて使って、60人前後の方が順番を待っていらっしゃいます。今日は不安定な天気だったので、センセイも折り畳み傘を持参。
 「そばよし」を離れ、「うれっ子」に到着する頃には雨に。

 並んでいたお客さんは、大変だっただろうなぁ...。

 なお現在のセンセイは、血圧管理の必要があるため「キンエン生活」中。加齢に伴い体質が変わっているのか、実家の件を中心にストレスが継続しているためか、このところ血圧はやや高めの状態を継続。(ただし特段問題になるほどではないので、ご安心を)
 そのため「そばよし」および「うれっ子」ともに、訪れる予定は当面ありません。

 ただしそれは個人的な事情。

 「そばよし」については無事に最後の日を迎えられることを、そして代替わりした「あじっ子」および「三宝」と「らーめん うれっ子」については、商売繁盛をご祈念いたしております。本件、新聞紙上での公開は6日(月)以降になるはず。
 インターネットと無縁な高齢者を含めて、さらに多くの方が「そばよし」の閉店情報に接します。

 凄いことになるんだろうなぁ...。



10月3日(金) や、やられたぁ... ──寿命を迎えたデスクチェアは結局、後継品を購入しました──

 サブタイトル通りのお話を。メインタイトルについては後述。

 昨日の講義を終えた西村センセイは、「エンガトルテ」が入った「御菓子処すだ」の紙袋をトランクから取り出して助手席へ。トランクに収めておいた理由は、車内だと高温になり品質に悪影響を与えかねないため。
 でしょ?

 車を数百メートル走らせて、1枚目の「家具処ほしの(株式会社新星家具)へ。

 お察しの通り、先月寿命を迎えたデスクチェアの対応に関してです。愛着のある椅子なので再修理の可能性を探ったところ、対応していただけるかもしれないお店が新潟県内に数店。その候補の一つが、この「ほしの」。
 「一枚板天板」テーブルが看板商品ですが、椅子座面の張り替えも手がけていらっしゃるとのこと。

 今回、お店選択の決め手は、お互いの利便性。

 「ほしの」は何と、前任校のすぐそばにあるのです。つまり毎週の通勤の際に訪れることが可能。ダメ元で連絡を取る──写真も添付した──と、実物を見て確認させていただきたいとのこと。そこで先週、車の後部座席に当該チェアを載せてお店へ。
 対応してくださったのはご主人。

 ご説明によると、内部の部品とクッションがかなり傷んでいるらしい。それでもダイニングチェアなんかだと、割と問題ないのだそうです。
 でも当該チェアの場合、外側の枠組み以外はほぼ全部、作り直しになるとのこと。

 その場合の費用は新品価格と同等か、それ以上になるそうな(ただし本件、本質的にはお金の問題ではない)。そりゃそうですよねぇ、想定していた以上の作業内容ですから。
 誤解なきように申しますが、彼は「仕事をしたくない」のではありません。その真逆。

 お客あるいはユーザーにとって何が大切かという視点で物事を考えていらっしゃいます。

 メールでのやり取りの時から実感していたのですが、本当にプロ。非常に早い段階で見かけだけでなく、想定される不具合の可能性も的確に指摘してくださりました。
 しかも当該製品がカリモク製であり、後継品を販売していることも教えていただきました。

 というわけで先週は修理を断念し、お礼を述べてお店を後に。ただし今回、センセイはお店の売り上げにまったく貢献していません。そこで感謝の気持ちとして、僅かながらの菓子を持参したという次第。
 で、肝心のデスクチェアへの対応。

 センセイの場合、日本人男性の「平均寿命」まで約13.5年(ただし「平均余命」まで約17年)、「健康寿命」までだと何と約5年と、残念ながら「終わり」が刻一刻と近づいています。
 同時に年金生活者なので、コストパフォーマンスも大切。

 大量生産のチェアもお店で見てみました。「座ってみました」と言う方が正確かも。

 でも退職した現在、センセイは1日の1/3をこのチェアに座って過ごしています。タイトルにある通り最終的な判断は、後継品の購入。
 通信販売で購入し本日午後、納品されました。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 拡大写真を比較していただくとわかりますが、旧製品はやはり疲れています(実はクッション、バネやキャスター等の見えない部分も)。クッションがかなり硬い分、座面が1cmくらい高い。
 違いの一つが脚。基本的には鉄製なのです。

 でも後継品は、まるでカバーのように木製の部材が掛けられています。冬場以外、自宅でのセンセイは素足。今までは鉄製の脚部に直接触れて寒い思いをしていたのですが、それがなくなりました。
 それなりの価格でしたし、実売価格も建前上は希望小売価格。

 でもポイントが付与されるので実質的には何と、20%オフ。

 リアル家具店が次々と淘汰されるわけだ...。なお、ご紹介した「ほしの」は、客層をまったく異にするニッチ路線。大もうけはできないかもしれないけど、しっかりと生き延びるお店だと考えています。
 賢明なご判断でしょう。
(商売繁盛をご祈念いたしております)

 ところで、今回の発注で初めて知ったのですが、少なくとも当該製品の場合、メーカーであるカリモクに「作り置き」つまり在庫はなく、発注に応じてその都度製造するとのこと。もちろん売れ筋商品は違うのでしょうが。
 一般的に家具は嵩張ることもあり、そのような対応をしているようです。

 でもそれなら、販売店サイト上の「在庫○○個」表示に何の意味があるのだろう...。いずれにせよ当該チェアは昨日、販売店に納入され、同日中に拙宅に向けて発送。ただしその時点で運送業者は不明。
 今朝になってから業者が佐川急便であること、午後に市内拠点まで運ばれたことを確認。

 でも、その後の状況がイマイチわかりません。メールを確認すると迷惑メール数通とともに、まさに佐川急便からの配達に関するメールが。個人名だったので一瞬躊躇したのですが、(オツムが半ばサル化していた)センセイはHTMLメールを開きます。
 その上で指示通り、画面中央をクリック...が、変化しない。

 (皆様お察しの通り、)一瞬の間を置いて、自らの愚行(ぐこう)を悟りました。スパムメールです。初めて地雷を踏んでしまいました。改めてメールのドメインを確かめると、佐川急便を騙(かた)っているものの、実際には無関係の組織。
 即座にEtherネットケーブルを外して、システムをネットワークから物理的に遮断。

 その上でマルウェアに対するクイックスキャン、フルスキャン、そしてMicrosoft Defenderオフラインスキャンを実施しました。結論からすると、マルウェアは検出できず。どうやら(希望的な観測として)大きな被害はなかった模様と解釈しています。
 もっとも、本当のところはどうなのか最終的な確認はできないのですが。

 センセイの古いメールアドレスが漏れたことは覚悟すべきですが、すでに漏れまくっています。似たような事例は良く聞きます。「自分はスパムや特殊詐欺には無関係」と思いつつ、みんなこうやって引っかかるんだろうなぁ...。
 偉そうなことを言っていても、実際にはこれが現実。

 トホホ。

 なお今回、スパム対応の件を除けば、全体として概ね適当な対応だったと考えています。ただし想定外の出費があったことも事実。実は来週半ば、JRの「秋の乗り放題パス」を使って2泊日のエクスカーション(小旅行)を計画していました。
 目的地は山形県。

 当地を各駅停車で訪れるとともに、並行する国道の改修工事の関係で運休している陸羽西線と、水害で一部区間が普通になっている米坂線の、それぞれの代行バスに乗車し、最終日は前任校で講義をして帰宅するというプラン。
 割と良くできた案だっだのですが、断念します。

 年金生活者なので。



10月2日(木) 「ドスッ」、「カポッ!!」、「コロコロ」...。助手席に転がる見慣れぬ円形の物体は、何?!

 予定を変更してお伝えします。

 今日は、後期2回目の講義が。

 相手があるということもあり、ベストを尽くす必要があります。提示資料その他については昨日までに真面目に制作済。後はちゃんと出勤して講義に臨むだけ...のはずだったのが、実施段階でちょっと問題発生。
 どういうわけか昨晩は十分に眠ることができなかったのです。

 思い当たる節はありません。また決して、翌日の講義のために緊張して...というわけでもありません。(そこまでヤワではない)

 昨晩は珍しく2回もトイレへ。そのたびに寝直したのですが、残念ながら睡眠不足は否めない。「高いだろうなぁ...」と覚悟しつつ、血圧を測定します。実際、初回は高かった。でも予想外に、2回目からはグッと低下。
 「平均」
(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は、高めながらも正常値の範囲内。(128mmHg)

 ただし血圧がかなり不安定であることもまた事実。しかも今日は、もう一つ問題が。荷物が多く、しかも重いのです。

 これは前回講義の際に受講生から寄せられた要望に応えて、関連する専門書その他を運ぶことにしているため。MacBook Proを鞄に収めてから本や原稿を入れるので、この作業だけは今朝にならないとできない。
 いつもより5分ほど遅れて、バタバタと自宅出発。

 柏崎市内の渋滞もあって、遅れ幅は徐々に拡大。客観的には十分余裕がある行程なのですが寝不足ということもあって、気持ちは焦るばかり。何よりも交通事故が怖いし、新潟市内の反対車線で白バイ隊の出動を確認。
 安全運転に気をつけて、当初予定より約10分遅れで前任校到着。

 十分に気をつけて、車を所定の場所に止めます。講義開始まで約1時間。でも気持ちに余裕がないセンセイの行動は、どうしてもがさつになりがち。
 助手席に置いた鞄とトートバッグそして水筒を持ち出そうとしたら、「カポッ!!」。続いて「コロコロ...」。え"?!

 「何か」が起きたことは確実。でもその実態は把握できていません。改めて助手席付近を良く見ると、見慣れぬ円形の物体が。直径は7cmくらい。(1枚目右側の物体)
 これ、何?

 もちろんいつもなら即座に状況を理解できたはずなのです。でも今日は長距離運転で疲れていたこともあって、その手前、センターコンソールを見て初めて状況を理解しました。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 カーナビに相当するBMWの“iDrive”
表示部のダイヤルコントロールの蓋が外れたのです。

 もちろん、重さのために十分持ち上げることができなかった鞄が蓋に引っかかったのでしょう。すぐに戻そうとしたのですが、そんなに簡単ではなさそう。
 しかも蓋の内側には、ご覧のように回路基盤が。

 これは完全に想定外。どうやって電力を供給しているんだろう...。半ばサル化したセンセイの手に負えないことは明らかだったので、その場での復旧を断念。
 講義の準備に専念します。

 倖い、準備は順調に進みました。そこで改めて駐車場へ戻り、状況確認。ここで復旧できない場合、かなり離れたディーラーまで運び、エンジニアに対応していただくことを覚悟しています。
 でもこの頃になると、センセイの
(冴えない)オツムもほぼ正常モードに。

 製造時の状況を考えると、この蓋は単なる嵌め込み式と推測されます。つまり多少の知識と指示がありさえすれば、誰でも間違いなく組み立てられる構造になっているはず。
 突起は4箇所。

 3箇所が円形(1枚目で穴になっている箇所)に対して、残り1箇所は四角。つまりこの通りに組み立てれば、給電用の端子も正常に接続するはず...。
 そう推測して蓋を嵌めると、特に音もなくスッポリ収まりました。
(蓋を、ほぼこのままひっくり返して嵌める)

 エンジンこそ始動させなかったものの、コンピュータシステムは正常に動作しています。つまり何の問題もなく──ダイヤルが少し汚れています ──元に戻ったのです(2枚目の写真)。ディーラーは県内に3店舗ありますが、どれも通勤経路から遠い...。
 ここは、大事に到らず何より。

 ただしこれは、やはり老いを認めて、何事にも余裕を持って臨むように...ということなのでしょう。

 やれやれと安堵した西村センセイ、気持ちを切り替えて、ちょっとだけ寄り道します。(続く)



10月1日(水) 何度目かの、デジタル敗戦 ──西村センセイ、本日開始の「NHK ONE」に手こずる──

 今日から10月。

 いつもより遅い時間に街を歩いていた時、冬の準備に出くわしました。もちろん人間の活動です。本当はそちらをお伝えしようと思ったのですがやはり、今日のトラブルを。お察しの通り、全国で一斉に発生した障害です。
 センセイは朝食を済ませると、2階の書斎へ。

 新聞2紙に目を通し、Web上のニュースを一瞥してから仕事(?)を始めます(明日の講義に備えて、今日はかなり真面目に働いた)。Web上の全国紙に続いてNHKの全国ニュースを見ようとしたら、あれっ?!
 見慣れぬ画面だし、何より「ご利用にあたって」と表示されて、いくつか了解を求めてきます。

 改正放送法にもとづき、今日からNHKのWebサービスが「NHK ONE」に統合されたのです。NHKのテレビでさんざん宣伝──ニュース内(!!)でも──されているもの。NHKについてセンセイは主に、ニュースソースとして利用。
 本局および新潟放送局に加えて、ご縁が深い富山放送局および石川放送局のサイトをブックマークに登録。

 各地の状況をざっと調べてからお仕事へ、というパターン。旧「NHKプラス」も登録してありますが、実際にはほとんど使用していません。それはともかく、ひたすら「NHK ONE」への移行を催促されます。
 「まぁ、初回だかだから...」と割り切って、手続きすることに。

 旧「NHKプラス」利用者については、受信契約済であることを確認済。だからすぐに完了するはず...と思ったのが甘かった。ID(実際にはメールアドレス)を入力すると、そのアドレスに6桁の認証コードが送信されます。
 センセイの場合、初回はちゃんと届いたので、その情報を次の画面上で入力したのです。

 されど、待てど暮らせど、画面は変わらず。(実話)

 諦めて最初からやり直すと、今度は認証コードが発行されません。それが続いた後、半ば諦めながら送信すると今度はめでたく認識コードが。やれやれ。
 ところが初回同様、送信しても何も変わらず。

 白状すると西村センセイ、「NHK ONE」が今日からだということは忘れていました。でも切り替え当日は相当混乱するだろうなぁ、ということは容易に想像できたのです。
 移行期間を設けない一斉移行だし、旧アプリはまったく使えなくなるし。

 そもそも、仮に人口の1%が切り替えたとしても百数十万人。「あんぱん」が高い評価を得たこともあり、朝ドラを通勤列車内で見ている人も多いはず。
 当然、それだけタフなシステムを用意している...かなぁ、と、気になっていたのです。

 埒が明かないようなのでひとまず諦めて、いつもより遅い時間に徒歩で外出。実は今日の当地は大荒れの天気。雨が小降りになるのを待っての外出です。
 散髪や昼食を済ませて帰宅。

 状況を再確認すると、NHK自身の報道にもあるように実情は悲惨。センセイと同じく、散々待たされた方は数えきれず。しかも一部の方には認証コードがまったく届いていないとのこと。そりゃ、特定のドメインにメールが集中すれば当然、スパムだと見なされるはず。
 どうやら大手プロバイダーとの調整確認すらしていなかったらしい。

 夕方のニュースではキャスターが詫びていましたが、本質的には彼らの責任ではありません。

 旧日本陸軍同様、希望的予測──というよりほぼ願望──に依存しており、決して「タフ」ではない。(これからどうかはわかりませんが、少なくともWWII中の)アメリカ軍の発想とは対照的。
 それ以上に問題なのがシステム全体の設計。

 センセイはというと、午前中よりサーバーのレスポンスが改善されているので、再度移行を試みました。次の鬼門(きもん)が写真のパスワード設定。
 実は午前中も、1回だけですがこの画面に到達したのです。

 ひとまずパスワードを設定してボタンをクリックしたのですが、待てど暮らせど...あ"っ、2回目か。前回も今回も、30分以上待って変化なし。
 ナシテ?

 「日付は避けてください」──実際には日付ではない──などの警告が出ますが、変わらないものは変わらない。ふと、その下の「パスワード強度」のバーが赤色であることに気づきました。
 どうやらこれも警告らしい。

 そこでパスワードをもっと複雑なものにすると、枠およびバーがグリーンに変わり、あっさりと設定完了。つまりこの部分についてはセンセイの理解不足だったわけですが、問題点に関する説明あるいは警告は一切表示されません。
 自己弁護を許してもらえるなら...という前提付きですが、それは無理ってもの。

 それでも何とか「NHK ONE」をひとまず使えるようになった西村センセイ...ですが、新しいシステムは非常に使いにくい。センセイがサードパーティ製のクッキーを排除しているため、新規にアクセスするたびに最初の了解を強いられます。
 でも実は、何も考えずに「了解する」旨の返答をすれば、番組を視聴できるのです。

 これって、受信契約をしていようがいまいが、クリックしさえすれば番組を視聴できるということを意味しています。それなら受信料を払うことの意味って、何? 

 実際の使い勝手も非常に悪く、各地のニュースを見ようとすると、トップページから地域を選択する必要があります。日本は広く、あちこちに放送局──特に北海道──があるので、目的の放送局に到るまでが大変。
 まず間違いなく、何も考えていない。
(というより、考えることができない)

 何度目かのデジタル敗戦。旧日本陸軍同様、誰も責任を取らないんだろうなぁ...。

 これがこの国の現実です。



9月30日(火) 「安い国」になったというわけだ... ──退職後の海外旅行なんて絶対、無理っ!! ──

 今朝、金沢工大の元同僚──現在は他大学へ転出──から関係者宛にメールが。(T先生、深謝)

 先月、フィンランドで開催された国際会議と、その中での(別な)元同僚に関する内容(詳細は省略)。頂戴したメールでいくつか思い出したことが。まずセンセイが国際会議に参加したのは、2010年にシンシナティで開かれた会議が最後。
 海外での活動も、2012年にシンガポール経由でオランダを訪れて以来。

 本当は2018年から3年間採択された国の助成(「科学研究費補助金」)による研究成果を国際会議で発表する予定で、予算を確保していたのです。でも新型コロナウイルス感染拡大で海外渡航が困難に。
 現役を
(ほぼ)引退したこともあり、パスポートも有効期限を過ぎてしまいました。

 そしてもう一つ。半月ほど前に机の中身を整理していたら、ビニール袋に入った米ドル札が(忘れていたわけではない)。シンシナティ以降ドル札を使用する機会はなかったので、高額紙幣はすでに円へ両替済。
 その残りです。

 今後使用する可能性は低いので先週、市内の銀行を訪れて円に両替していただきました。ご存じかと思いますが、銀行を巡る経営環境は激変しています。
 番号札を取り待ちながら、そして何度か呼び出されながら、いろいろ感じていました。

 かなり手間がかかったのですが、それでも30分ほどで日本円に。問題はその際の交換比率。その日は1$=145.29\。昔々は1ドル=360円の固定相場制。
 1973年に変動相場制に移行してからは当然、円高方向へ。

 個人的な経験と結びつけると、1989年に初めて西ドイツ(当時)およびイギリスを訪れた(西ドイツは公務)時は1ドル≒250円で、2002年に初めてアメリカ本土(それ以前にアンカレッジに降りている)を訪れた時も同程度。
 為替相場はその後、一時1ドル≒76円
(2012年1月)を記録。

 シンシナティを訪れた時は約93円。その後は変動を続けながらも概ね、1ドル=125円前後が続きました。ところが2022年になると急速に円安方向へ転換し、一時的には150円を超える場面も。
 で、今回の個人的な両替。

 ドル札がシンシナティ訪問時に両替したものだと仮定すると、両替後の円は約1.56倍に。ただしその頃には海外での買い物や支払いはほぼカード決済に。だから実際には、それ以前に両替したものと考えられます。
 仮に、円高だったオランダ訪問時
(77.58円)だとすると実に、1.87倍!!

 「ワーイ、儲かったーっ!!」といきたいところですが、これは物事の一面を見ているだけ。

 見方を変えるとこれは、「円が弱くなった」ということを意味しています。食料や(その元となる)飼料や肥料、そして燃料を中心として、同じ物を輸入するために約1.6〜1.9倍の支払いをする必要があるのですから。
 つまり日本は「安い国」になった、というわけです。

 今日、国際会議で利用したホテルの宿泊費用を調べてみました。日本円を基準にするとアメリカは2〜3倍くらい。ヨーロッパはそこまでではありませんでしたが、それでもざっと1.5〜2倍という感覚。
 もちろん円安にもメリットが。

 海外への輸出では価格面で有利になり、インバウンド客増加も期待されます。でもそれが(特に中年層以下の)庶民の生活改善に結び付いているかは別。人手不足と政府の方針もあり、賃金は確かに上昇しています。
 ただしそれ以上に物価の上昇率が大きいので、実質的な手取りは減少の一途。

 当たり前の話ですが、そもそも効率化やイノベーションによって国全体の生産性が向上しない限り、実質的な収入は増えません。政府もマスコミもこの点については、まず間違いなく意図的に触れていません。
 具体的な方策を立てることができない
──ただし個別に見ると、必ずしもそうとは限らない──からだろうと推測しています。

 本件に関して個人的はすでに、第一線を退いた年金生活者。

 年金の(実質的な)増加はまったく期待できません。対策としては節約と、働いて収入を増やすことだけ。実際、スーパーではセンセイより10歳くらい上の方が、せっせと働いていらっしゃいます。
 これが、この国の現実。

 なお、センセイがまだ大学で講義している理由は主に、収入以外。(特に若い方には)(にわか)に信じてもらえないかもしれませんが、「やりがい」だと考えていただけると有り難いです。

 ホントにその通りなので。



9月29日(月) 失われた○○を求めて何千里... ──西村センセイ、不意な驟雨でずぶ濡れになる──

 タイトルには複数の難点が。

 前半は今日、歩いたり自転車で走行した距離が長いことを意味しています。「何千里」はその形容。ただし実際の移動距離は約11kmですから、無理やり換算すれば「三里」弱。間違いというほどではないのですが...。
 サブタイトルも同様。

 「驟雨(しゅうう)」は積乱雲などに由来し、比較的短時間「ザーッ」と降る強めの雨。当然、その多くの場合は不意打ち。だから「不意な驟雨」は二重形容気味。要するに、突然の強い雨でびしょ濡れになったという意味なので、ここはお許しを。
 寒冷前線の通過に伴い、当地は昨晩遅くから荒れた天気に。

 24時間の降水量が68.5mmと、相当な降り方。でも寒冷前線ですから降り方はまだら模様。明け方が最も激しく(22.5mm/h)、その後は比較的落ち着きました。天気も回復してきたので、いつもより遅めの時間に徒歩で外出。
 郵便局の用を済ませてから、「カメラのキタムラ」へ。

 お盆以降に甥や姪、そしてその子供が実家を訪れた際の写真を焼いていただくためです。お店に向かって南進している時、嫌な予感が。数キロ前方(=南)の風景が一面グレー。これは驟雨を意味します。
 他方、今日はほぼ西の風。

 そちらに積乱雲は見当たりません。

 実はこの時、経路の関係でセンセイは自宅のすぐ脇を歩いていました。冷静に考えると、ここでひとまず帰宅すべきだったのです。でもそのままお店へ。写真は数枚だったので、10分ほどでお店の外へ...が、変。
 西の空一面に雨雲
(乱層雲)が広がっています。

 オイオイ、さっきはなかったぞ。

 ただし状況判断は難しい。それほど黒くはなかったし乱層雲の形状も確認できませんでした。客観的に考えれば、すでに雨雲の下に入っているため、雲の全体像を確認できなかったということなのですが...。
 予想
──というより「願望」──に相違して、不意に雨。

 それも、相当強い。

 当然、雨雲レーダーを確認して外出しています。でもどうやら今日は、上空に寒気が入り込んでいるらしい。そうとは知らないセンセイ、所持しているのは折り畳み傘。
 撥水処理済ではあるものの、靴も防水靴ではありません。

 お察しの通り、この段階では「キタムラ」に戻って雨宿りさせていただくべきだったのです。でも今日のセンセイはなぜか冴えておらず、折り畳み傘を差して歩みを続けます。
 当然、靴後部を含めて、全身びしょ濡れ。

 ちょっと離れた大きな書店で一休み。雨宿り代として(?)、来年の手帳を購入します。10分ちょっとで小降りになったので、荷物を詰め直してスーパーへ。(この間、傘の出番はなかった)
 外へ出ようとすると、おぉ、今度は割と長く続きそうな強い雨。

 女性の高齢者を中心に、多くの人が外へ出られない状況。もちろんセンセイもその中の一人。2階建て(3階は屋上駐車場)のスーパーを3回半行き来してから、やっと次のお店へ。
 ところがここでも再び同じ羽目に。

 店内をくまなく3周して、やっと外へ出ることができました。西の空はかなり明るく、時々日が射すほど。この頃になると、薄手のズボンはほとんど乾いてしまいました。ただし後ろのポケットに入れていたハンカチは濡れたまま。
 もちろん靴は、さらに悲惨な状況。

 それでもこれで予定していた用のほとんどは片づきました。このまま帰宅しようかと思ったのですが、西の空は実に微妙。そこでもう少しだけ歩くことにします。その途中、あることに気づいて撮影したのが写真。
 当然、そのためにはトートバッグ内を入れ換えてカメラを取り出す必要が。

 去年お伝えした仮設の交通標識が本来の姿に置き換わっていたのです。察するに、車の接触や経年劣化による腐食などで本来の用を果たさなくなっていたため、置き換えまでは仮設のものを設置していたのでしょう。
 もっと先を...と考えたのですが、雲行きが再び怪しくなってきました。
(実際には降雨なし)

 そこでその先は断念して帰宅。買い物その他を整理していると...あれっ?!

 折り畳み傘を収納する袋がありません。おそらく傘を取り出した時(ただし、この時ははっきりと確認した)あるいは買い物で2回バッグの中身を入れ換えた時、そして写真を撮影するため、バッグを開いた時に落としてしまったのでしょう。
 さて、どうしよう。

 折り畳み傘本体を忘れた/落としたわけではないので、傘本来の機能は失われていません。ただし割と気に入って自分で購入した傘。そこで雨に濡れた服を着替え、サンダルに履き替えてから、自転車で今日の行程を再訪しました。
 スーパーの店内にも入ったのですが、お察しの通り、見つからず。

 ベストとは言わないまでも、それなりに努力したので、ま、ここは諦めるしかありません。

 どうも最近、この種のミスが目立ちます。

 トホホ。



9月28日(日) 正直なところ、とても同じ場所とは... ──JR信越本線、お気に入りの日本海──

 実は先週に引き続いて──つまり3週連続!! ──JRの企画乗車券を譲り受けました。(今回もイレギュラー)

 白状したように残念ながら前2週は、センセイのパワー不足で遠出を断念。トホホ。でもさすがの今夏の酷暑にも先が見えたからか、最近は割と元気に。木曜日の後期初回講義(ほぼ)無事に終えることができたからかも。
 そこで昨日お伝えしたように、今回はそれなりの遠くへ行くことにしました。

 二つの原案が残っていますが最初に乗車する列車は同一。奇妙に感じられるかもしれませんが、案の一つは途中で下車し、何と、程なく到着する反対方向の快速列車に乗車するというもの。
 つまり逆戻りしようというのです。

 これは、かなりマニアックな乗り方。

 本命の列車の良い席を確保するため、わざと逆方向に進んでから戻るという方法。ただし今回は結果的に却下。幻の目的地についてご紹介できるかどうかは不明です。ちょっと困っている件の、今後の展開次第なので。
 最終的に採択された第二案は、比較的シンプル。

 乗車可能範囲の西端である市振(いちぶり)まで乗車し、折り返すというもの。つまり基本的には先週試みようとした案そのもの。ただし今回、詳細は未定。直江津駅で旧北陸本線に乗り換えます。
 出発時、1両編成のディーゼルカーは座れない人が出るほどの乗車率。

 途中、乗客の出入りがあって、列車は10:29に糸魚川(いといがわ)駅到着。目的地の市振駅はまだずっと先ですが、センセイも下車します。階段を急いで上り降りして、駅に隣接する糸魚川観光物産センターへ。
 お土産の漬け物を購入して駅へ戻ります。

 実は乗ってきた列車は当駅で7分停車するのです。でも売店の時計の針はすでに出発時刻を指しています(オイオイ)。もちろん表示は不正確で、列車はホームに留まったまま。センセイは約4分で列車に戻ったことになります。
 なお今回の購入方法は、初めて挑戦しました。

 程なく1/5程度に減った乗客を乗せて、ディーゼルカーは出発し、定刻に市振駅到着。今年度前半は車の中から見ていた市振駅ですが、電車で訪れるのは昨年4月以来じゃないだろうか。
 実は、ここでもかなり慌ただしい。

 5分後に到着する対向列車──終着の泊(とまり)駅に複数のトキ鉄列車を受け入れる設備がないため──に乗車する必要があるのです。1kmちょっと歩けば富山県境
 鉄道運営会社も県境が境界ですが、今回はいずれもパス。 

 「」広角レンズを取り出し、まず駅舎外観と道路側から「ランプ小屋」、そして駅舎内を撮影し、ホームに出ます。ホームには先客が数名。首都圏からのお客を見送る地元の高齢者。
 駅前に止められた複数の軽自動車は、彼ら彼女のものでしょう。「今度は東京で...」とのこと。

 前述しましたが、ここから先の詳細は未定。漠然とですが、浦本で下車して「サンレパス ルート8」まで歩き、「鶏の唐揚げ定食」...という案をイメージしていたのです。
 でも、「男心と秋の空」。

 浦本駅直前で突如変心し、そのまま乗車することに。しかもその場合の「サブ第2案」として考えていた直江津駅下車も却下され、そのまま自宅方面へ戻ることに。
 実は、まだお昼を頂いていません。

 当初案に「サンレパス ルート8」が必須事項として載っていたのはそのため。でも、何だか乗り気ではなかったので、直江津駅でJR信越本線の列車に乗り換えます。
 柏崎駅西隣の「鯨波」駅手前で、窓を開けて撮影したのが右の写真。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 センセイお気に入りの日本海です。

 信越本線の列車はこの付近で日本海沿いを走行。海に近い場所は他にもあるのですが、見通しが利くのはここが一番。この日は、かなり遠くまで見える方。
 左端から、微かに見えているのが角田山および弥彦山。

 その右隣、色がかなり濃くなっている部分は柏崎市椎谷地区こちらおよびこちら。水平線上、中央やや左寄りに見えるのは東京電力柏崎刈羽原子力発電所。(その付近からだと、当地近辺はこのように見える)
 柏崎市市街地は、写真右端の奥で見えていません。

 「凪(なぎ)」とは言わないまでも、海は穏やか。でもこれが冬になると、その表情が一変こちらおよびこちら(特に拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)))します。「豹変(ひょうへん)」と言うべきか...。各写真の撮影に使用したカメラやレンズは異なる場合が。
 当然、撮影時の画角も。

 ですから、単純に比較することができないことに注意を払う必要がある一方で、どう見ても「全然違う」こともまた、事実。

 で、今日のセンセイはというと、未だ「凪」にはほど遠い。被(こうむ)ったダメージは深刻で、美しい日本海を心から愛(め)でつつも、血圧は異常値を継続。他方、原因となる人物はまず間違いなく、お元気。
 何しろ彼は、「自分は、良いことしかしていない」ので。

 (気持ちを取り直して)さて、明日以降の血圧変化はどうなる?!



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