2006年12月16日更新(2006年12月24日ページ移動。2011年5月3日写真削除)

──2006年12月第3週のニュース──

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12月16日(土) 「雨のち薄曇り」 ──放送大学で面接授業を実施しました──

 約1ヶ月半続いた毎週末の出張も、やっと今週で終わる見込みです。

 さすがに疲れてしまっていて、あちこちの関係者や学長から「あの仕事はどうなった?」メールやお葉書──こちらは礼状を兼ねていた──をもらうし、逆にお礼状と病気見舞いを出さなければならないのですが、白状すると、全然進んでいない!!

 関係者の皆様、不義理を重ねておりますが、来週後半からいろいろな遅れを取り戻したいと思っていますので、もう少々お待ちを!!(ペコリ)

 そんな状況下での最後の出張先(?)は、石川県内......というか金沢工大キャンパス内。
 構内にある放送大学石川学習センターで、今日の10時から夜6時まで、そして明日は午後3時まで、びっちりと面接授業をするのです。

 ほぼ毎年行っているこの授業。
 20歳くらいから70歳くらいの方まで、それも幅広い社会経験をお持ちの方に、科学技術の歴史をお話ししています。

 ご存じのように、センセイの専門は比較的古い歴史なのですが、前回ここで講義をした際、「お話は面白いのですが、もっと新しい話を聴けるとありがたい」という要望を頂戴しました。
 ......なるほど。

 いろいろ考えて今回は、あえて通常の2倍くらいの内容を用意しました。古い時代から現在進行中の問題までです。
 その上で、最初に資料をざっと説明した上で、新旧どちらの問題群を詳しく話して欲しいか、休憩時間に簡単なアンケートを実施しました。

 その結果は、ほぼ全員が最近の話題をご希望......。古い歴史はあまりご要望ではないようです(ガクッ)。

 気分はほぼ土砂降り状態で授業を再開したのですが、でも途中から様子が変わってきました。古い時代の説明をしているのに、意外にも、受講生の方らか質問が相次ぐのです。

 放送大学の受講生は一般の大学生とずいぶん違います。「勉強したい」という方がここで勉強していらっしゃいます。

 最初は多くの方がとっつきやすい今日的な問題を希望されていた──それはそれでよくわかる──のですが、いざ講義が始まると、現代の諸問題が歴史的な背景を持つことや、私たち日本人にとって異文化問題でもあることを徐々に理解してくださっています。
 その変化が、手に取るように伝わってきます。

 もちろんその背後には、放送大学の受講生、特に年輩の受講生の方々が、最近の若い方が見失いがちな知的好奇心を強くお持ちだという事実があります。センセイの下手な解説で「あれ? この説明でいいのかな?」と思ったら、即、質問してくださいます。
 今日も教えられることがたくさんありました。

 おかげで今日はてんてこ舞いだったのですが、でも、放送大学のこの面接授業、受講生の皆さんのおかげで、なかなかやめられそうにありません。



12月15日(金) 閉店した田舎の本屋さんで感じる、地域の崩壊。

 実家まで行ったついでに、特急券を乗車変更しようと思って、JR越後線出雲崎(いずもざき)駅に立ち寄りました。

 江戸時代、出雲崎は天領でした。今で言う県庁所在地みたいなものですね。対岸の佐渡が流人(るにん)の島でありかつ金山の島でもあったからです。

 もう一つ。

 今でこそ「新潟県」という概念が存在しますが、江戸時代は主な藩だけでも北から村上藩、新発田(しばた)藩、村松藩、長岡藩、そして高田藩が分割統治しており、それら諸藩を見張る場所も兼ねていたのです。

 現在では想像することすら難しいのですが、「新潟平野」は当時、場所によっては人の胸くらいまで沈み、交通には小舟を利用していたほどの深い湿地帯だったのです。
 当然、この地域に多くの人が住むわけにはいかず、信濃川河口に位置する現在の新潟市は正直、取るに足らぬ存在だったのです。

 駅前の邪魔にならないところに318iを止めてからあたりを見渡して、絶句しました。

 廃墟の街、と言いたくなるくらいさびれてしまっています。

 駅前は出雲崎町の中心の一つで、すぐ近くに唯一の小学校、中学校、そして現在でも高等学校が写真左奥にあります。

 学年5クラスあった高校の下校時ともなれば、駅に面した写真の「うしお書店」は電車を待つ生徒で溢れかえります。
 特に女子高生は後ろの喫茶コーナーを占拠して、甘いものを食べながらおしゃべりしていました。

 同じ「閉店」でも、何だかとても荒れていて、店主に急に何かあったのではないかとか、いろいろ考えさせられます。(ただし、本当の事情は全然知らない。)

 たぶん本の広告看板があったであろう部分が、他より青さを残しています。

 出雲崎と言えば、ここで生まれた良寛和尚──正確に言うと、当時の「出雲崎」は海岸部だけで、ちょっと内陸側にある駅付近は、当時なら出雲崎には属さない──なのですが、廃屋に残ったキャッチが、逆に哀愁を誘います。

 それにしても人が全然通りません。時々車が通るだけです。

 手続きを終えて318iに戻ると、ちょうど良寛の生家跡がある海岸部──妻入の街並みで有名だが、こちらも激しい過疎が進行中──からバスが到着したので318iを動かそうとしたのですが、そのバス、誰も乗っていません。
 昔は海岸部と駅を結ぶ稼ぎ頭の路線だったのに。

 ちょっと離れたところに町が造成した団地があって、そこに入居すると町から100万円の助成が貰えるのですが、逆に言えば、それくらいしないと若い人が住まないくらい、過疎が進んでいるんですね。

 地域崩壊がかなり進んでいるんだと思います。

 この出雲崎は、長岡市や柏崎市などから、それぞれちょっとずつ離れた、いわば谷間のような場所になってしまったのですが、全国各地のこういう場所では、同じような状況が劇的に進んでいるんだと思います。
 企業重視の税制改革にせよ、能力差を重視した教育基本法改正にせよ、どうもこの国の指導者と、経済界と、そして国民の多くは、「弱い者は滅びるべし」と決めたようですから、西村センセイ、この崩壊はもうどうにも、そしてどこまでも止めようがないのではないかと予測しています。

 え"? 新潟の田舎町がどうなろうと、オレの知ったこっちゃない......って? それは違います。

 「そう考えている貴方/貴女の番ですよ、次は。」と、弱者の視点を持てない人が次に「弱い者」の側にまわることを教えてあげているのです。



12月14日(木) ホントに心配 4年目以降も維持できるかなぁー。 ──318i、購入3年目に突入!! ──

 西村センセイ、今度の土日は金沢で働くことになっていて、新潟の自宅に帰ることができません。

 そこで今日、午後の仕事を終えてから電車に乗って自宅に戻りました。明日の夕方には金沢に移動するので、一晩だけの自宅です。

 自宅にはいろんなものが届いていたのですが、その一つが、点検を終えた愛車318i。金沢にいて乗らない間を利用して、ディーラーに2年目の法定点検をお願いしていたのです。(318iのページの更新ができず、申し訳ありません。)

 点検中に携帯に電話があって、「どこも悪いところはないんですが、(消耗品の)ワイパーブレード(=ゴム)だけ交換させていただけますか」とのこと。
 もちろん了解しました。

 で、帰宅してから納品書を見てみると...アレ?

 気になって1年前の点検記録と比較してみたのですが、去年もオイル漏れで交換したパワーステアリングポンプ(一式約8万円)が、今年も交換されています。
 冷却液漏れも見つかったようで、ポンプの交換が約2万円弱。発電機の「テンショナー」が、こちらも2年連続の交換で1万円ちょっと......という具合。

 2年目点検の今回かかった費用は、ざっと14万円(!!)でした。

 実際に支払う金額は、あらかじめ購入時に数万円を払っておくと3年間は故障の修理費が免除される「サービス・フリーウェイ」システムのおかげで、消耗品(+a)の2万円程度で済むはず。

 ......でもこの調子で、サービス・フリーウェイが終わる4年目以降も318iを維持できるだろうか。

 ものすごくいい車──買ってからもこの評価は変わらない──なので、10年は乗るつもりで買ったのですが......。

 それにそもそも、「どこも悪いところはないんですが...」という、あの連絡は何だったんだろう。

 3年ごとにBMWを新型に乗り換える人が多い理由をよくわかったのですが、でもこういう調子だと、不必要に輸入車の評判を落とすよなぁー(+そもそも維持できるか)と心配する西村センセイなのでした。



12月13日(水) “Big Day” ──朝焼けから始まる、西村センセイの「大きな1日」──

 右の写真は正真正銘、今朝撮影した金沢の朝です。

 デジカメでの撮影なのでいくらでも加工できるのですが、今日は標準的なWindowsマシンでご覧になって、できるだけその場の雰囲気を味わっていただけるよう、最低限の補正に押さえています。

 さて西村センセイ、「先生も走る」シーズンの師走になり、加えていくつもの仕事が重なったため、いよいよクビが回らなくなってしまいました。
 そこで今日は、いつもよりちょっと早起きをしてアパートの扉を開けたのですが、そこで出くわしたのが、この朝焼け。

 「夕日の翌日は晴れ。朝焼けの日の午後は雨」の言い伝え──それなりに根拠はある──通り、金沢はお昼過ぎから雨になってしまいました。

 センセイの仕事も不安定な天気に似て、誰も出勤していない部屋での2,000枚のコピー→講義→教材作成→味はわからないまま、急いで食べた学食弁当→2時間の講義→気を使う仕事→会議2→打合せ→来客......と、“Big Day(「大きな一日」)。

 ......気がつくと、いつの間にか雨は上がっていました。

 センセイにとっては、雨にすら取り残されてしまったような、そんな1日でした。

※“Big Day”は1975年にリリースされたレコード“Diamond Head”に収録された、ブライアン・イーノとフィル・マンザネラ共作のタイトルです。センセイは“Diamond Head”をレコードとCD版の両方を所有しています。



12月12日(火) 静止したイルカとにらめっこ。 ──久しぶりにTV放送の送り出しトラブルを見ました──

 今日はたいした話ではありません。

 先日、新潟の自宅に帰宅していて、夜遅くニュースを見ようとチャンネルを切り替えていたら、ご覧の画像が。
 静止したイルカが映っているのですが、要するに放送の送り出しトラブル。
((c)NST)

 もう何年も見ていない光景ですね。(実際には時々送り出しトラブルはあるが、それを見る機会は少ない)

 新潟総合テレビ(NST)というフジテレビ系の局でのできごとなのですが、珍しかったので、何だかそのまま見ていました。
 まるでイルカとにらめっこするように。

 まぁ、最後には諦めて──それまでには直らなかった──チャンネルを切り替えたのですが。

 そうそう、最近読者に加わった方のためにご説明しますと、テレビに関してセンセイはブラウン管派です。
 写真のモニタはソニーの民生用32型(こちら、部屋全体はこちら)ですが、この他に、金沢のアパートでは業務用21型を使っています。

 現状では、液晶やプラズマは買う気になれません。画質が悪いからです。(ただし、あくまでも現状では、という条件付)

 ......もっとも、この頃はでたらめに忙しくて、ニュースすら見る時間がないのが最大の問題なのですけど。トホホ。



12月11日(月) 人間、最後は饅頭(まんじゅう)になる?

 昨日はやや強行軍ながら、パーキンソン病の伯母(義理)を見舞いに行きました。

 施設に入っていると好きなものが食べられない──幸い、食餌(しょくじ)制限はない──ので、頼まれたお萩(おはぎ:はぎのもち)や巻き寿司を持参して、みんなでお昼を食べました。

 それほど長居したわけではなく、お茶を飲みながら少し話をして帰ったのですが、帰路、お饅頭(まんじゅう)を何個か土産に持たされました。

 帰宅してから確認すると、伯母の叔母が先日亡くなり、その香典返しが形を変えた饅頭だとのこと。センセイもずっと前に会ったことのある、人に好かれるおばあちゃんでした。

 この秋、師匠の一人が亡くなられ、いろいろ教えていただいた名編集者が亡くなられていたことを知り、そして喪中欠礼の葉書がポツポツと届きます。
 せめて年明けには寒中見舞いを出そうと思っているのですが。

 饅頭を食べながら、「人間、最後は饅頭になるのかなぁー」と言うと、身内のほとんどを亡くした妻から返ってきたのは、「そうねぇ...」という言葉だけだったのでした。



12月10日(日) 柏崎市では、新潟県中越地震被災者のための仮設住宅の撤去作業が進んでいます。

 今週末は、かなり変則的ながら、新潟の自宅にいることができました。

 で、所用で車を走らせていると2年前のあの日と同じ場所で、同じように異変に気づきました。JR柏崎駅近くの工場跡地で工事が行われているのです。

 2年前の新潟県中越地震による被災者のための仮設住宅の撤去作業です。
 かつて写真手前から奥へ、「川」の字状に3列のプレハブ仮設住宅が存在したのですが、今日、建物はもうなくなっていました。

 柏崎市は2年前の新潟県中越地震で被害を受けました。

 全体としてはそれほどの被害ではなかったものの、局地的に、特に旧北条(きたじょう)町地域では道路や鉄道、そして住宅が大きく損壊し、住めななくなった家が続出したため、市が駅の近くに仮設住宅を建設しました。

 ここに住んだ約20戸の人々は、直後の冬二年目の冬をここで過ごしています。
 生活の基盤から離れた場所なので、さぞや大変だったんだろうと思います。

 この場所はセンセイの家のごく近くで、ここを通るたびに様子を見ていたのですが、比較的早く(半年くらい)に、約半数がここを去った──たぶん自宅を再建したのでしょう──ものの、その後は遅々として状況が進展せず、10戸弱が最近までここで生活していらっしゃいました。

 最後まで残っていた家庭も、たぶんその多くは生活基盤を再建されたのでしょうが、もしかしたら(いるかいないか、わからないけど)老人だけの家などは自宅を建設できずに市営住宅なんかに移られたのかもしれません。
 ふだんは柏崎を離れているので、その辺の事情はよくわかりません。

 そもそも仮設住宅は緊急時の特例ですから、基本的に2年で撤去されることになっているようです。けれども社会基盤そのものを失った阪神淡路大震災の際に、例外的に延長を認められたのだそうです。
 新潟県中越地震も同様で、村そのものがなくなった山古志村などは延長が認められたようですが、それですら仮設に住む人はどんどん減少しているそうで、住宅を縮小再編成しているのだそうです。

 さて、人によっては冷たいと感じられるかもしれませんが、少なくともインフラに致命的な被害を受けなかった柏崎市の場合、2年という上限は、まぁしょうがないかな、という感じです。
 だって、社会基盤は概ね復旧し、センセイやその関係者を含めて被害が軽かった市民は、あたかも何もなかったかのように──この感覚は、それはそれで問題なんだけど──生活しています。

 しかし社会的弱者、そしてかつての神戸や山古志など、「そうできない人々」が多数の場合は別でしょう。特に弱者を中心に、とても心配です。

 ニュースで報道されなくなったこれからこそが、実は本番なのだと思います。

 そして実は、同じようなケースは全国各地にあるはずなのです。報道されず、そして私たちが気づいていないか、意識的にあるいは無意識に、気づかないようにしている(/されている)、ただそれだけなのです。

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