2010年8月28日更新(2010年9月5日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)
■8月28日(土) 子供たちの夏休みも終わり、浜茶屋(海の家)の片づけが始まっています
センセイは夏の学会ツアーを再会しています。その様子は明日以降お伝えできると思いますので、今回は昨日、出張の前に新潟の自宅へひとまず戻った時に気づいたこと。
途中の笠島駅(こちらやこちら)の海側は、半分が漁港、半分が海水浴場になっています。
その海水浴場では浜茶屋の解体工事が進んでいました。写真は柏崎駅の一つ手前、鯨波駅前の海水浴場の様子を電車内から撮影したもの。
写真奥の建物は普通の建築物ですが、中央部、茶色の枠組みのようなところには、夏期だけ建設する仮設の二階建ての建物がありました。
クレーン車を使って解体しています。ほぼ1ヶ月前にも同じ場所を撮影しており、比べてみるとわかるのですが、この左側に同じような規模、けっこう大きな浜茶屋が数軒存在してました。
そちらはすでに撤去済です。今日の新潟の最高気温は自宅近くで35℃を越えるなど、まだまだ暑い日が続いています。
でも子供たちの夏休みが終わったので、店じまいということなんでしょう。そうそう、センセイはずっと「浜茶屋」と言っていますが、これは北陸地方と近畿の一部だけの使い方で、全国的には「海の家」という呼び方が一般的なんだそうです。
というか、全国からすると「浜茶屋って何?」ということになるんだけど。先日の『新潟日報』紙(夕刊)に出ていました。Web上には掲載されていませんので、悪しからず。
■8月27日(金) 「練習」ではなく、武道は「鍛錬」だと思う ──正伝長尾流躰術部──
やっぱり今日も暑い。
学内にある郵便局で学会の仕事を済ませて外へ出ると、ずいぶん大きな音が。機械ではなく、人間の声です。
ぐるっと回って中庭へ行ってみると、この暑さの中、6名ほどの学生が武道に励んでいます。古武術の流れを汲む、金沢工大正伝長尾流躰術部の諸君です。
ご覧のように今日は刀を使っています。ずいぶん重そうだったけど、どうなっているんだろう。センセイの下手な写真では動きをうまく伝えることができませんが、実はとてもゆっくりと動いています。
テレビ時代劇のチャンバラ──重い真剣をあんなにヒラヒラと使えるわけがない──とはまったく違います。掛け声を出すことによって全身の細胞に呼びかけながら、ゆっくりと一つ一つの動き、つまり「型」を確認している、という感じ。
しばらく観せていただいたのですが、スポーツとは違うんだろうな、という印象を持ちました。体育の練習とか訓練ではなく、武道を通じて自己と向き合い、己の道を探す作業という感じがするのです。
要するに、生き方そのもの。スポーツなら勝負とか順位、あるいは記録が問われますが、このゆっくりした動きを見ていると、そんなことはどうでもよくなります。
もちろん現在の国際化された社会システムでは、柔道にせよ何にせよ、順位が優先されますし、そこに至る事情もよくわかります。でも、武道の本来のあり方は、全然別な場所にあるんじゃないか、と、鍛錬に励む学生諸君を見ていて感じたのです。
運動音痴のセンセイですから、あまり偉そうなことは言えませんが。
■8月26日(木) あまりの暑さに、向日葵も参ってしまったのだろうか...
今日は見たままのお話。
出勤途中、久しぶりにコンビニに立ち寄り、朝食のサンドウィッチを買って自転車を進めようとすると、あれ? 数本の向日葵(ひまわり)が、揃って東側にうなだれています。
センセイほどの背丈の、大きな大きな向日葵です。出張やお盆休みで3週間ほどここの場所は通っていません。だから前がどうだったのかは知らないのですが、とにかく全然元気がない。
このところの暑さとそれに伴う水分不足で、さすがの向日葵も萎(しな)びてしまったような感じ。よく見ると葉っぱはずいぶん肉厚で、かなり水分を溜め込んでいるようなのです。もしかすると、単に、枯れかかっているのかもしれません。
本当のところはどうなのでしょう。昨日までと違って、今日の金沢は曇りがち。しかも午後には急に激しい雨が降り始めました。
センセイが帰る時には上がって、ところどころに水たまりが残るだけ。その分、暑さが少し和らいだ感じがします。今晩の満月を観ていると「本当は秋なんだなぁー」と思うのですが、明日は晴れとの予報。
やっぱり暑くなるんだろうか。そして、この向日葵は復活するんだろうか。
出勤しようとアパートを出ると、何かがちょっと違う。ふだんは聞かない機械の音がするので行ってみると、ご覧のように稲刈りが始まっています。早稲(わせ)品種の収穫ですね。
写真左奥の白い家の前にも、もう一台コンバイン。軽トラックの荷台には刈り取った籾が見えます。お父さんは田圃1枚を刈り終えたところ。
とても充実した表情でした。今年の春はとても寒くて、4月末の田植えは無謀だと思ったのですが、梅雨明け後の猛暑で、背丈だけはすくすくと伸びています。
ちょっと伸び過ぎで、倒伏(とうふく)が発生している田圃もあるほど。でも、こういう夏の高温は、お米の品質に大きく影響を与えます。
実はセンセイの自宅のある柏崎市では、すでに稲刈りが始まっています。
今日、初めての新米検査があったのですが、猛暑で品質が低下してしまい、残念ながらその多くが2等米と判定されてしまいました。この金沢のお米はどうなのか、そしてこれから本格的に実をつける主力のコシヒカリの品質がどうなるか、とても気になるところ。
もちろん新潟、金沢ともに、水を十分に張る──熱中症対策と同じですね──など、手塩にかけて育てたに違いないのですから。
■8月24日(火) キャンパスが子供たちを育てる ──サマー・サイエンス・スクールが開かれています──
今日は見たままのお話。
学会の仕事──センセイらはある学会の事務局を引き受けている──でヘロヘロになってしまい、「それでも、何かを食べなきゃ」。何かお腹に入れないと、もう持ちそうにないほど消耗してしまっていたのです。
学食へ向かうと、あれ?!写真右手の緑色のシャツを着た人物は本学学生です。そして彼を引っ張るように、子供たち。
忘れていた──関係者の皆様、ゴメンナサイ──のですが、金沢工大では今日と明日、子供たちのための科学教室(「サマー・サイエンス・スクール」)が開かれているのです。
昼食のために学食へ移動する途中なんですね。ちなみに写真中央奥、ゆっくりと歩いているのは女子学生ではなく、少年達の保護者。いわゆる「ヤンママ」です。
帰宅してテレビのニュースを見ていると、ちょうどこの様子が「科学教室」として紹介されていました。
理科離れが指摘されるこの時代、社会を支える科学技術への理解を深めてもらおうと、毎年開催されているこの行事。
ニュースで初めて知ったのですが、参加するためには抽選を乗り越えなければならないほどの人気なんだそうです。県内外(!!)からの子供たちを迎えたこのイベント、時間があったら明日こそは教室の様子を覗いてみたいと思っています。
■8月23日(月) 仙台と金沢、似ているようで、ちょっと違う ──仙台市内では地下鉄が延伸工事中──
出張を終えた西村センセイ、ほぼ3週間ぶりに金沢の大学へご出勤。長いツアーに出ていたようなものなので、仕事のメールがサーバーに溜まりまくっています。
センセイは自宅や大学など、移動しながら仕事しているので、サーバー上に蓄積されたデータは大学に置いてあるPowerMac G4 Cubeで一括して削除しています。
言い換えると、大学へ行かない限りメールは溜まる一方。今朝までに179通の仕事のメールが届いていました。お世話になっている大学院生──就職内定おめでとう!! ──に教えていただき、移動時のWindows(MacBook “Windows”)でも迷惑メールを見ることなしにさっさと削除できるようになりました。
でも、もしこれがなかったら、この数倍のメールを一つひとつチェックする必要があったことになります。というわけで、今日はまだ、通常の業務に戻っていないことを白状せざるを得ません。そこで(?)、今日は仙台に関する最後の鉄道ネタ。
今回の仙台出張ではホ、テルのある駅前と川内キャンパスを4往復したのですが、いつ通っても道路が混雑していました。
写真の工事のためです。ここは広瀬川の手前なのですが、よく見る──見えないかな? ──と、写真左端に右折しようとする乗用車が信号を待っています。
幹線道路の中央部分を通行止めにして、大規模な工事が行われているのです。若い方にはわからなくて当然なのですが、これは今から40年くらい前に都内のあちこちで見られた地下鉄工事そのもの。
従来の地下鉄に加えて、JR仙石線を延長する形で市内を東西に結ぶ地下鉄を建設しているんでしょうね。(未確認)この先に東北大学のキャンパスがあって、そこをかすめるような形で地下鉄が建設されるます。
当然、すぐ近くには地域住民にとっても便利な地下鉄駅も建設されるのでしょう。そして、それが新たな客層を開拓する......。
仙台と金沢はともに城下町ですから、似ている部分もあります。でも、やっぱり違うことも多い。合併を重ねた結果、今では山形県境まで「仙台市」ですから、その点は考慮しなければならないのでしょうが、それにしても活力が違う。
清濁併せ呑む力を持つか否か、という感じ。その違いは、単なるスケールメリットだけではないように思えますし、見方を変えるとここに、地域にとってもそこに所属する個人にとっても、新たな飛躍のチャンスが眠っているように思えるのですが......。
どうでしょう。
■8月22日(日) 西村センセイ、摂りすぎたのは鉄分だけではなかったらしい...
仙台への出張を終えて、夜、無事に新潟の自宅へ戻りました。
結局、東北大学の写真は1枚も撮らずじまい。でも、お伝えしたように川内キャンパスはとても良い雰囲気でした。
何年か前に組織替され、名前までも変わった某公立大学を訪問したことがあるのですが、敷地に入った瞬間、荒(すさ)んだものを感じました。建物は立派なのに。
自分の子供はここに入学させたくないなぁー──入学できるかどうかは別──という感じ。その大学ではこの春、人権を蹂躙する問題が起き、関係した教員と学生が懲戒処分を受けました。センセイの感想は、「あのキャンパスなら、そうだろうなぁー」。
東北大学のキャンパスはその大学とはまったく対照的。このキャンパスは、「良い」人を育てるでしょう。というわけでセンセイの旅の記録も最終回。
お土産をずいぶんたくさん買ってしまったセンセイ、駅で1時間ほど待機していた気動車(ディーゼルカー)に乗り込み、印象の良かった女川を後にしました。
蒸し暑く、陽射しもあったのですが、来る時とは反対の席に座り、外の様子を確認します。地質──むき出しの石山も多かった──だとか植生だとか、家の造りだとか、稲の育ち具合だとか、テレビアンテナの種類と方向だとか、子供や高校生、老人の表情など。そうこうしているうちに石巻到着。客の大半が入れ替わり、石巻線の未乗区間へ乗り入れます。やはり少しドキドキ。仙石線が高い位置を左側に別れていきます。
一駅ごとに、高校生はふざけあいながらもさっさと、そして買い物帰りの杖をついた老女がゆっくり足元を確かめるように下車していきます。2両編成のディーゼルカーは海と山に挟まれた狭い場所を縫うように走る仙石線と対照的に、一面の田園地帯を快走。
やがて見覚えのある風景に至りました。予想通り、右側から線路、つまり気仙沼線が近づいてきて、終点の前谷地(まえやち)駅到着。
東北地方南部のJR線全線を乗り終えた瞬間です。以前通過した時は何もない場所、という印象だったのですが、実際の前谷地駅はそれなりの規模ですし、駅前には小さいながらも商店街が広がっています。
写真左のお嬢さんをお母さん(たぶん)が迎えに来たのですが、二人は車を止めて駅前の小さなスーパー──というより雑貨店に近い──に入っていきました。田圃の向こうに低い丘があってそこが公園になっているようです。駅前の看板によると縄文時代の遺跡があり、その記念館もあるようです。
残念ながら、訪問する時間はないのですが。ホームに戻り、フラフラしていると写真中央、「0」と書かれた標識が目に入りました。通称「0キロポスト」こと距離標です。
この位置が気仙沼線の起点であることを示しています。でも実際の運行を見ると、石巻線から気仙沼線が別れて、というより、両線が一体の運用という感じ。
実際、センセイが乗った気仙夢魔線はここが終点でしたし、乗り込んだ列車は気仙沼発小牛田(こごた)経由仙台行き。
こちらの車内はずいぶん混んでいて、やっと座ることができました。乗り換えなしに仙台へ到着し、今回のツアーを無事終了......のはずだったのですが、予想外のオマケが。
今日は関係するすべてのセッションを終えてから新幹線に乗りました。今回のツアー中、唯一の新幹線利用です。でも下車したのは上越新幹線との乗換駅大宮ではなく、郡山。
ここで磐越西線に乗り換え、新津を経由して自宅へ戻るのです。磐越西線は会津若松への修学旅行(小学校6年)以来、何度も利用(こちらやこちら)していますが、乗車するたびに、いつも新しい発見があります。
上越線が開通する前は日本海側と太平洋側を結ぶ幹線だったなんて、現在では想像が難しい状況ですが、とにかく車窓が美しい。今日も磐梯山に見守られながら会津若松到着。
少し待って新潟行きの気動車に乗り換えます。山と川と谷と、そして阿賀野川の水を湛えたダムを堪能し、険しい山道を何時間も縫って走り抜け、咲花温泉を脇に見るようになると、そこは蒲原(新潟)平野。
五泉を通過すると乗換駅の新津駅到着。先週水曜日に通過したばかりなので不思議な感覚がします。最後の快速列車「くびき野」を待っていると、あれ?! 入ってきた電車はクリーム色。
485系電車を代表し、しかもあちこちで使用されたことで有名な国鉄色485系T-18編成です!!
上部、2灯の前照灯がその証(直江津方向だと最後尾なので、尾灯が灯いている)。くびき野での運用は初めて見ました。何だか今回のツアーは学会発表はどこへやら。最初から最後まで鉄分補給の旅という感じ。
もちろん、ちゃんと働いたのですが。今回のツアーでセンセイは鉄分以外にも補給したようで、仙台滞在中にお腹周りがきつくなったような気がしたので、帰宅して体重を量ってみると、出発前より1Kg増えていました!!
そりゃそうだろうなぁー。いつものように、今回も夜はホテルでおとなしくしていたのですが、近くのスーパー、ダイエーのお刺身が安かった──品質はそれなりでした。念のため──ので、つい買いすぎてしまったのです。
それに、そもそもの「盛り」が、ずいぶん多かったし。庄内藩の城下(鶴岡)と酒田の関係に似て、仙台そのものは海から少し離れていても、先日訪問した石巻などから海産物がたくさん移送されてきたんでしょうねぇ。
現地を訪問し、歴史をこの目で再確認できたのですから、まぁ、よしとしましょう。