2009年5月30日更新(2009年6月7日ページ移動。2013年9月17日写真削除)

──2009年5月第5週のニュース──

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5月30日(土) 地域最大の課題は、雇用の確保 ──倒産した研精舎は粉飾決算が判明しました!! ──

 週末なので新潟の自宅に戻っています。

 急ぎの仕事──今日が締切。だけど土曜に締め切ってどう処理するんだろう──と私事で関係各位へのご連絡が遅れております。
 明日の午前中には何とかしますので、もう少々お待ちを......。

 最近の柏崎といえば、これはもう市内有力企業「研精舎」の倒産。しかも現場は我が家の、まさに隣......。

 金沢からの帰る時、柏崎駅から自宅までの間に研精舎の駐車場があるのですが、これが予想外に混んでいます。
 一瞬、もしかしたら民事再生法の適用を受けても、まだ生産活動を続けているんじゃないかと思ったのですが、やはり現実は厳しい。

 工場は完全に閉鎖されており、写真のように出入りと資産の持ち出しが禁止されています。当たり前ですけど。

 でも工場事務室(2枚目の写真)には電灯が灯っており人の気配もあります。
 どうやら通常の生産、営業活動は停止しても、資産の確定などの破産に伴う整理活動が行われているようです。

 ところで今朝の『新潟日報』の報道によると、実は研精舎、遅くとも一昨年から粉飾決算を行っていたのだそうです。

 “iPod mini”筐体の大量受注を獲得して、一見すると絶頂期だった去年も、内情は火の車だったんですね。
 こうなるともう、話は別です。

 地域の最大の課題は雇用の確保。

 地元ローカル紙の報道によると、地元従業員は370人とのこと。
 人口8万人程度の狭い地域ですから、従業員とその家族、そして関係者を考えれば、とんでもない影響ということになります。

 この不景気で、割と近くにあるパナソニックの工場が閉鎖され、正社員の2/3が退職せざるを得ないそうな。

 これまでのツケを、突然目の前に突きつけられた、そんな感じの柏崎市なのです。



5月29日(金) 大学に置いてあるG4 CubeのSSDに、重大なトラブルが発生!!

 事の始まりは昨日の昼。

 不思議な味のラーメン屋さんから戻って、研究室のPowerMac G4 Cubeを立ち上げようとしたのですが......急に起動しなくなってしまいました!!
 何回か強制終了、再起動を繰り返したのですが、機能拡張書類を読み込む──いわゆる「アイコンパレード」──の途中で、あるネットワークアプリケーションの不具合を示して起動が止まってしまいます。
 PRAMをクリアしても効果はありません。

 仕方ないので機能拡張書類を回避して起動し、関係書類(機能拡張書類および初期設定ファイル)の更新日時を確認すると......ある書類が怪しい。
 バックアップのDVD-Rディスクからその書類を読み出して置換し、再起動させると、おぉ見事、何事もなかったかのように起動します!!

 もちろんそれはそれで嬉しいのですが、一抹の不安も残ります。研究室に置いてあるこのG4 Cube(私物)は、ちょうど1ヶ月前にSSD化した ばかり。
 もし今回のトラブルがSSDの読み書きに起因するものだとしたら、心配していたように、MLCタイプのSSDは起動ディスクには向かない、ということになるのです。

 しばらく様子を見ようと思い、データのバックアップに気を付けながら仕事を続けたのですが、幸いにもその後は、特に異常も見当たりません。
 やれやれと思い、またスーパーから総菜がなくなる時間になったのでG4 Cubeをシャットダウンしようとしたところ、インストールしてあるメンテナンスソフト(Norton Utilities)がディスクの重大な障害を報告してきました!!

 でも、このタイミングでは食糧確保という課題の方が優先されるので、昨晩はそのまま帰宅。
 今朝出勤してからやっと、昨晩のトラブルの報告を思い出しました。(情けないのですが、実話です。)

 もちろん西村センセイ、こういう時のために外付けのHDDやバックアップのディスクを用意しています。

 でも今回はそのバックアップシステムをなかなか受け付けてもらえませんでした。
 ディスクからは起動するんだけどSSDを認識しないとか、外付けのHDDから起動できない──認識はするけど起動しない──とか。

 再起動を繰り返すたびに状況が悪化していって、最後には失血死寸前の重篤(じゅうとく)な状態に。
 Mac歴の長いセンセイでも、滅多に見ることのないほどの深刻な状況です。

 最終的には、まずPowerMac G4を起動し、G4 Cubeから外したSSDをFireWire(IEEE1394)で接続したところ、ディスクを認識しました。すかさず強力なディスク修復ソフトを用いて、何とか復旧させることに成功!!
 しかしその修復記録(写真)を読むと、出るわ出るわ.....。トラブルの記録が、百行以上に渡って延々と続いています!!

 幸いにも、ログを読む限りシステムには損傷はないようですし、実際、その後システムは正常に働いています。

 自宅、アパートおよび大学でのMacOS 9マシン(大学はG4 Cube)はそれぞれ、ネットワークで繋がった数台のマシンの司令塔のような役目を果たしています。

 もちろんそれはそれで重要ですし、実際、今回のように不具合が起きると、有機的なシステムとしてはとても使いにくくなってしまいます。
 でも最新のデータはすべてWindowsマシン──といっても中身はMacBook(White)──に存在するので、実害はありません。

 問題の本質はそうじゃなくって、やはりSSDの信頼性です。

 今回使用しているSSDの容量は32G。書き込みデータが存在せず「未使用」のはずの領域を約20Gも確保しています。
 しかもセンセイのMacOS 9は仮想メモリを「切」に設定しているので、OSによるディスクへの書き込みは最低限に抑えられているはず。ディスクへの書き込みが頻発するMacOS XやWindowsでは、こうはいかないでしょう。

 それでも書き込みエラーが起きたのだとしたら、MLCタイプのSSDの実使用時間はずいぶん短く、少なくともOSを記録した起動ディスク用としては難があることになります(割り切りも可能ですが)。

 でも、SSD化した他のマシンにはこのトラブルは発生していませんし、そもそもSSDの読み書きの問題ではないのかもしれません。いずれにせよ、もうちょっと様子を見ないといけないと思います。

 使い勝手は抜群のSSDなんですけどねぇー。



5月28日(木) こりゃ確かに、「おかず」だぁ ──新しいラーメン屋さんに入ってみました──

 珍しく(?)朝早くからよく働いた──学会での発表が近いのです──ので、ずいぶんお腹が空いてしまいました。

 そこで今日は、大学の近に新しくオープンしたラーメン屋さんに入ってみることにします。めったに通らない場所なのですが、先日、自転車でお医者さんへ行った、その帰りに目に入ったのです。
 この場所、以前はイタ飯屋さんだったような......。

 「らーめん新日本(しんにほん)」というこのお店の名前、どこかで見たか聞いた覚えがあるのですが......思い出せない。
 もちろん入ったことはありません。

 お店の前にある案内には「ラーメン屋ですが、オススメは『そばめし』と『チャーシュー丼』です」とのこと。
 ナシテ?!

 一瞬の躊躇の後にドアを開けると、おぉ、店内はピンク色!!

 別に変なものが置いてあるんじゃなくって、店内がピンク色がかっているのです(2枚目の写真はかなり色を補正しています)。
 照明と窓の遮光フィルムのせいでしょう。

 女性店員とマスターの連携がイマイチだったのですが、とにかくメニューの最初にある「しょうゆラーメン」(680円)をお願いします。

 店内を見渡すと、お昼の、一番混んでいるはずの時間帯ですが、お客さんは工大生が3名(2名+1名)のみ。

 程なく届いたのが、このラーメン。スープが真っ黒です。まるでイカ墨を入れたような感じ。

 まずはその黒いスープから。

 最初に感じたのは、意外にも僅かな酸味。何だろう。

 次いで苦(にが)みのようなもの。一番近い感覚はお焦(こ)げでしょうか。まさか焦げた何かを入れているとは思いませんが。
 写真では油も目立ちますし、実際、かなり入っているのですが、感覚的にはそれ程、油を感じさせません。

 それよりとにかく「濃い」。

 何がそうのか良く分からない──もちろん醤油がメインだけどその濃さではない──のです。
 このスープを飲み干すのは無理です。

 大学そばにオープンした「岩本屋」の場合、「あれと、これと、それが入っているんだろうなぁー」と、一時期、中華料理屋のコックで生計を立てていた西村センセイは感じたのですが、このお店の調合は全然わからない......。

 謎を残したまま、次は麺へ。「うどん」とまではいかないものの、割と太めのストレート麺で、自家製麺だそうです。もっちりしていて、スープの味を良く吸収していますが、それでいて、軟らかく砕けているわけでもありません。
 普通のスープだったらすごく美味しい麺なんだろうなぁーという感じ。

 麺の量は少ない感じなので、すぐに食べ終わります。改めて店内の掲示を読み直すと、このラーメン、これをメインとするのではなく、本来はご飯のおかずの感覚で食べるんだそうです。
 やっぱりなぁー。

 後で調べてみたらこのお店、金沢では有名な「富山風屋台の味 ラーメン全日本」の新店(分店?)で、1ヶ月ほど前に新規オープンしたようです。
 そういえば、センセイが車で金沢に来る時、アパートの割と近くに大きなお店があったっけ。

 若くてエネルギーに溢れる若者なら割と合うんじゃないかと思いますが、油分はともかく、ここまで濃い味だと、センセイの場合は年に1回来るか来ないかじゃないかなぁー。

 もし次回があるとしたら、オススメの「そばめし」か「あっさり和風ラーメン」を頼んでみようと思います。



5月27日(水) プラモデルではありません。本物です

 今日の講義はお昼過ぎの一つだけ。

 2時間連続の講義で今日は、前半がグループごとでのディスカッション、後半はその結果の発表と全体討議という構成。
 発表になるとけっこう忙しいのですが、前半に関しては最初に説明しさえすればセンセイの仕事は多くありません。全体の進行状況をぼんやりと見ているだけ。

 割と湿度が高いこともあって、教室内が暑く感じられたので、教室内は当然のこと、廊下の窓を全開にしていたら......

 おぉ!! 眼下に飛行機が。もちろん本物です。

 西村センセイ、金沢工大にお世話になってからもう7年目ですから、何度もこの飛行機を見ています。
 でもたいていは地上(1階)から窓越しに見るだけ。(機体の周囲は立入禁止になっています。)

 授業を行った3階から、しかもこの角度で見るのは初めてです。

 地上で見る時は真横から見るので、翼はあまり目に入らず、ずんぐりした胴体の印象だけが残ります。
 でも上から見るとピンと張った主翼のインパクトが強くて、今すぐにでも飛び立ちそうな感じです。

 主翼の形状も関係しているのかもしれません。
 第二次世界大戦で使用されたイギリスの航空機──1989年と2002年にイギリスで見た──の翼は楕円に近い形をしていますから、航空機としての性能はともかく、あまり「端正な」という感じはしません。

 塗装してあっても金属製の機体の質感が独特です。どう表現したらいいのか自分の貧しいボキャブラリーを恨みますが、とにかく一種の実在感があります。

 講義を終えてから戻って撮影したのが上の写真。う〜ん、実物の迫力がちょっと......。

 撮影テクニックの問題も大きいのでしょうが。



5月26日(火) このごろ隣が静かだなぁーと思っていたら... ──iPodやMacBook Proを作っていた工場が倒産!! ──

 変化に気づいたのは今年のお正月明け。新潟の自宅が、何だか静かなのです。

 センセイは自宅にいる時はたいてい、2階の書斎に籠もっています。
 隣には研精舎の「メインファクトリー」(会社のサイトの表現)、扇町工場があります。正確には書斎の隣は納品用の倉庫があって、工場はその向こうにあるのですが。

 この工場では、自動車用部品や半導体製造装置用部品、精密ダイカスト部品、切削加工部品、コンピュータ用機構部品などを製造しています。
 それだけでなく、かつては高精度が要求される8mmビデオのヘッドの量産に成功し、最近はアップルのMacBook Pro(アルミ)の框体やカラフルな“iPod mini”のカラーアルマイト框体製造するなど、ずいぶん身近な製品も造っています。

 センセイのMacの、あそこと、ここと、そこと、娘の“iPod mini”、あるいは先日購入した中古の業務用VHSデッキテープデッキベース
 何と、センセイの自宅の隣で製造され、その後、中国や東南アジアで組み立てられた後、回りまわって生まれた場所の隣の家に落ち着いていたんですね。(ただし業務用デッキは国内製造。)

 書斎隣の倉庫では、重量のある完成品を一時保管して、フォークリフトで移動させたりトラックに積んだりしています。上げ下ろしの際に、ドカンドカンと音がするし、2階にあるせいか、センセイの書斎がかなり揺れるのです。
 倉庫に冷房はないらしく、換気のために大きなファンが夜遅くまでまわっていて結構うるさいし。

 ところが気がつくと、振動も減っているし近くの従業員駐車場の車も減っています。ご存じのようなこの世界同時不況ですから、大変なんだろうなぁーとは思いつつも、それ以上は心配していませんでした。
 だって少なくなったとはいえ、茶色の作業服を着た女子従業員がお弁当箱をぶら下げて自宅の前をごく普通に通っていたのですから。

 ところが今朝、Web上で新聞を読んでいて、え"っ!? ((c))新潟日報社

 何とその研精舎が倒産してしまった──正確には民事再生法の適用申請──というのです!!
 帝国データバンク調べによると、負債額は約185億円(!!)だとか。

 センセイが「活気があるなぁー」と感じた一昨年から昨年は、iPodの受注でずいぶん利益を上げることができたようですが、どうやら最近の仕事は他社──おそらく中国──に奪われたらしい。
 アルミ削り出しの新“MacBook(Pro)”も同様のようです。

 工場の従業員約350人はほぼ全員解雇されるそうですから、柏崎地域の全人口は約8万人ですから、地域経済に与える影響は計り知れないものがあります。

 単なる数字の問題には留まりません。
 本日現在、研精舎のホームページは、民事再生法申請の告知こそ掲載されていないものの、まだ閲覧することができます。

 そこには「研精舎の30%超の従業員が技術系大学卒で、技術部、製造部、品質管理部に所属」とか「ハードディスクのキャリッジ[注:HDDのヘッドを駆動する部分]は、月産300万個の生産能力があります。また、2.5インチ用のキャリッジにおいては世界シェア30%の実績があります」(!!)と記されています。
 関係業界や大学の就職関係にも大きな影響を与えることになるでしょう。正直なところ、センセイも認識が甘かった。

 今年の冬はもう、研精舎のクリスマスツリーを見られないんだなぁ。



5月25日(月) いつもとは違う席に座って ──中越沖地震があぶり出したもう一つのもの──

 いつもなら日曜日の夕方に金沢へ移動するのですが、自宅近くの病院へ行くことになり、今日は急遽、お休みを頂戴しました。(関係者の皆様、直接、間接にご迷惑をおかけしてごめんなさい。)

 幸いにも1回で治療を終えた──というか、今回は本格的な治療を見送ったということなのだけど──ので、普段とは違う時間帯に電車に乗車。
 そのついでに、いつもなら海を見るために北側の席に座るのですが、今日は南側の席に座ってみました。

 各駅停車が柏崎を出発すると、戊辰戦争の古戦場であり民宿街でもある鯨波駅、新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた青海川駅、そして写真の笠島駅と、電車は一つひとつの駅に丁寧に止まります。

 以前ご紹介したこの笠島は、鯛の産卵地に面した漁港

 入り江になっていてカーブがきついためもあってか、もともとはなかったようですが、この集落のために漁港に接して駅を設置したようです。

 写真でおわかりのように、青海川同様、駅のある海岸部と険しい崖の上にある部分とに分かれています。
 幹線道路(国道8号線)は現在、崖の上を走っており、車でこの海岸部に出ようとすると、崖の、すれ違いが難しい細く、曲がりくねった道路を降りなければなりません。
 だからこそ駅が必要だったのでしょう。

 右の写真は最初の写真の右端に当たる部分。

 手前の左右に更地が見えます。ちょっと分かりにくいと思いますが、中央部も更地になっています。
 この笠島はかつて、漁業だけでなく、海水浴場として、あるいは獲れたての海の幸を味わえる場所として栄えました。

 これら更地にはかつて、それなりに大きな民宿兼割烹が建っていたのですが、最近取り壊されてしまいました。
 現在でも右上の建物だけは当時のままに存在しています。ただし現在も営業しているのかどうかはわかりませんが。

 西村センセイは40年以上前に、4、5家族でこのいずれかに寄ったことがあります。先日母に尋ねたところ、親戚関係ではなく、父親の仕事の上でのつき合いだったそうですが。

 大人たちは楽しく酒宴を張り、会ったばかり(だったはず)の子供達もそれなりにハイテンションな雰囲気を楽しんでいたように記憶しています。
 そして当時小学生だったセンセイの目の前を、大きな電車や貨物列車が何回も通過したことをよく覚えています。

 今や当時の「大人たち」はすでに鬼籍に入りつつありますし、何より現在のセンセイは逆の視点、つまり電車の中からこの場所を見ています。
 二つの時間を重ね合わせて見ているような、不思議な感じがします。

 そしてもう一つ。

 一昨年の新潟県中越沖地震は、目立つことなく進行していた地域社会の変化をこうやって、「これでもか」と言わんばかりに私たちに突きつけている、という面があるように思えます。



5月24日(日) 最後の小学校運動会に参加しました ──拠点都市の周囲でも進む少子化──

 今日は早起きをして、まず実家へ寄って両親を乗せから、100kmほど離れた新潟市北東部の小学校へ。姪(弟の末娘)の小学校最後の運動会──だから今日のタイトルはちょっと不正確──に両親を連れて行ったのです。

 肝心の弟は結婚式に出席するため、娘の運動会に参加できません。そのため、ビデオ撮影も兼ねています。次期ご当主様としては、これも大切なお仕事。
 予定通り、開会式までには無事に到着しました。

 さっそく姪っ子の姿を探し出して、 ビデオカメラを構えたのですが......何だかちょっと、変。(もちろん姪や弟家族に関してではありません。)何回かお邪魔した小学校ですが、どこか、違うのです。

 お昼休みには写真のように、グラウンド脇の桜の木の下で集落ごとにブロックを作り、家族でシートを敷いての食事。
 義母様と義妹手作りのご馳走を頂く頃には違和感の原因がよくわかっていました。

 子供の数がどんどん減っているのです。

 1、2年生のフィールド競技の時に、その全員が整列した姿を見た観客の一人が思わず、「少ねぇー。何だぁ、これ!?」。
 やはり年を追うごとに児童の数が減少しているようです。

 ここは田園が広がるのどかな地域ですが、新潟市中心部に自動車でも、あるいは公共交通機関でも問題なく通勤、通学できる便利な所です。
 でもこんな恵まれた場所でも、少子化が進んでいるんですね。

 義母様のお話によると来春、弟の家がある集落には新1年生はいないそうな。

 上空に季節外れの寒気が入り込み、みんな防寒具を着ながらの運動会でしたが、会そのものはお世辞抜きでとても楽しいものでした。自分の子供の運動会でもこれほど楽しいと思ったことはありません。

 でもよく考えてみると、その内面から自然と溢れてくる「楽しさ」を生み出しているのは、人々の、この地域を愛する力なんですね。

 それが少しずつ、しかし確実に変わりつつあることを思い知らされた「最後の運動会」でした。

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