2017年10月21日更新(2017年10月29日ページ移動。2019年5月1日写真削除)
■10月21日(土) 真摯なその学びの姿勢に、頭が下がります ──JICA研修生を見送りました──
一行が乗り込んだマイクロバスが到着したのは、市内のホテル。その一室でお別れパーティが開かれたのです。
お客様はJICA(国際協力機構)を通じてメキシコ、ブラジル、そしてアルゼンチンから派遣され、金沢工大で半年近く研修生として情報処理の勉強や研究に励んで来られた方々。
その研修が終了したのです。センセイ個人は研修にタッチしていないのですが、入試部長なので受け入れについては責任があります。
そこで今回来賓として参加させていただくことになりました。鹿田副学長の挨拶でパーティ開始。乾杯に続いて次いでセンセイが簡単にお話しした後、研修生が順番に研修の成果や感想を述べました。
センセイの隣は、メキシコからお越しになったホセさん。(写真)ドイツでも学んでいるのですが、日本語は初めてだったため、名古屋で2ヶ月勉強してから金沢工大に。
平日はもちろん、週末も勉強ばかりの日々だったそうです。もちろんそれも偉いのですが彼は、ドイツ滞在中はポーランドを訪れ、日本では広島の原爆資料館を見学されたとのこと。
いずれもとても強い印象を受けたそうです。もちろん個人的にもいろいろお話しさせていただいたのですが、彼は知的にとても良いセンスをお持ち。単にいろいろなものに関心を持つだけでなく、それこそ「本質」を見抜く力を持っています。
しかも学ぶことに対して非常に真剣。(毎度のことではありますが)その真摯な姿勢に、つくづく情けない我が身を反省させられたセンセイなのでした。
■10月20日(金) 今年のテーマは「繋がる縁」 ──第50回工大祭が始まりました──
1ヶ月くらい前から各種準備が本格化していた第50回工大祭(大学/実行委員会のサイト)が、今日から始まりました。
正確に言うと今日は前夜祭。写真は夕方撮影した吹奏楽部によるオープニングステージの様子です。なかなか上手い。
今年のテーマは『繋がる縁』。西村センセイ、一昨年までは学生部副部長として工大祭の仕事を一部担当していたので、期間中は必ず金沢に留まる必要がありました。
でも現在はその任から外れているので、本当ならば新潟の自宅へ戻っているところ。でも今年は立場上のヘビーな会議──ホントに疲れた──と、同じく立場上の、しかし別な仕事があったので、今日はまだ金沢にいます。
研究室で溜まっている仕事を片づけることにしていました。でもセンセイの研究室の外ではステージが組み上がって音響機器の調整が始まり、学生がサークルごとに屋台のテントを組み立てる音が聞こえてきます。
イベント大好きのセンセイとしては、どうも落ち着かない。結局、テント村の中を行ったり来たりして、ふだんとは違う学生の様子を楽しませていただきました。このまま屋台で何か食べ物をを買って......といきたいところですが、ここで別なお仕事の時間。
スーツにネクタイ姿のセンセイは、大学が用意したマイクロバスに乗り込み......。(たぶん、明日へ続く)
■10月19日(木) ガソリン価格が、特に金沢で急上昇しています
今日はタイトル通り、そして見たままのお話。
ガソリン価格が上昇しています。新潟でも少しずつ高くなっていたのですが、金沢ではそれが特に急激。
センセイがいつも利用するお店の場合、2週間で10円も高くなってしまいました。原油価格が1バレルあたり48円くらいだったのが、最近は50円を超える状態が続き、為替も円安の状態が続いているからでしょう。
それにしても「高くなった」という印象を受けます。センセイが金沢へ移住してから16年になろうとしていますが、ガソリンは全体的に金沢の方が安い傾向がありました。
特にここ2年ほどはその状態が続き、原則として自宅までの往復分を金沢で給油するというパターン。でも現在は新潟が安い。センセイが給油するハイオクの場合、8円/L程度の差があります。センセイは毎月約2,000km走行します。
差が10円/Lだとすると、客観的には1,000円でしかないのです。暴飲暴食すればあっと言う間に吹っ飛ぶ金額なのですが、それがガソリン価格だと、何故か気になってしまう......。
■10月18日(水) 錚々たるメンバーと名前が並ぶなんて... ──『完訳 天球回転論』が出版されました──
昨日のお昼、本が届いたとの電話連絡がありました。どの本だったっけ......。
受け取った小包を開封して保護材を取り除くと、出てきたのは、写真の『完訳 天球回転論』。
コペルニクスの主著『天球の回転について』De revolutionibus orbium coelestium libri sexの完訳版と、関連する本や論文の訳をまとめたものです。
総ページは700pp以上。価格は16,000円(+税)。コペルニクスは、いわゆる「地動説」──この表現は誤訳──を提唱した人として有名です。実際、この本と関連する著作をいくつか残しています。
でも実は、ほとんど誰も読んでいない。欧米人にも難しくて、本当に読んだことがある人はごく僅か。日本はさらに悲惨な状況で、かつてはあまり正確でない部分訳(重訳)が岩波文庫として出ていただけ。
その後、センセイの兄弟子に当たる方が、部分訳ですが正確な翻訳を出版されました。でも全6巻のうち、訳出されたのは総説が書かれた最初の1巻だけ。本論に当たる2巻以降は翻訳がなかったのです。
センセイ個人は1543年に出版された版や、19世紀に発見された手書き原稿版などを持っており、自由に読むことができます。でも一般の人には無理。センセイも、日本語で読むことができる日が来るなんて、思ってもいませんでした。兄弟子の偉業です(かつ、センセイにはできない)。
気がつくと、仕事を放り出して読み込んでいるセンセイの存在に気づきました。我に戻り、巻末の参考文献に目を通すと、日本語文献の欄にO. ノイゲバウアーとH. バターフィールドに並んで、何とセンセイの論文が3編挙げられていました。
ICUの助手だった1990年前後の仕事です。ノイゲバウアーやバターフィールドは、この分野で知らない人はいない碩学(せきがく)。日本語に翻訳されているのはそのごく一部ですが、それを著者名で並べると、たまたまセンセイと近かったというだけの話。
でも、彼らと名前が並ぶなんて......。センセイは、学者だったんだ。
■10月17日(火) なぜ、赤色が存在しているんだろう... ──富山の立山で初雪を観測しました──
北陸地方は一昨日と昨日は雨で、しかもとても冷え込みました。これは全国的な傾向だったようですが。
そんな昨日の午後、受け持ちの学生の書類を担当者に渡すべく、ふだんはあまり通らない経路で事務室へ。
帰路も同じコースを使ったのですが、階段を登り切ると、大きな窓の向こうから、赤色がドカンと目に飛び込んできました。ナシテ?一瞬の後に、それが紅葉であることに気づきました。校舎前の木々の、その一番高いところです。
上の廊下に移動して撮影したのが写真。一昨年、キャンパス内の紅葉に気づいたのが11月ですから1ヶ月も早い。まぁ、場所が違うので単純な比較はできませんが。
報道によると、富山の立山で昨日、初雪が観測されたそうです。今朝目覚めると、道路はまだ濡れているものの、晴れ間も見えました。というわけで今日は自転車でご出勤。日中は気温がどんどん上昇します。
気温の変化が激しいので、体調を崩してしまう人も。いろいろな意味で季節の変わり目、ということなのでしょう。
■10月16日(月) 冷たい雨が降る中、新潟─富山県境の町で秋祭りが行われていました
今日は見たまま、そしてタイトル通りの話題。
仕事が溜まっているので、昨日は朝のうちに新潟の自宅を発ち、全区間一般道を走行して、お昼過ぎに金沢へ到着しました。今回の燃費はトータルで20.6km/L。
それなりにアクセルを踏み込む場面があり、また雨で路面の抵抗が大きかったことを考えると良い数値だと思います。上越市や富山市など、市街地のストップ・アンド・ゴーを除けば、新潟や富山の田舎道をゆったりと走るのは楽しい。
国道8号線だって、偉大なる田舎道という感じ。県境の橋を渡ると富山県朝日町に入ります。ここはまさに越後と越中の境。古くは「境関所」が置かれていました。
現在も道路沿いに検問所があります。興味深いのが食べ物。この付近は村上市に代表される新潟の鮭文化でもなく、富山湾の寒ブリ文化でもありません。
「たら」なのです。魚の「鱈」。道路沿いのあちこちに「たら汁」のお店があります。中でも一番美味しいと言われているのがこの「栄食堂」。
残念ながら、センセイはまだ入ったことはありませんが、食事の時間帯にはいつもしっかりとお客さんが入っています。昨日は10時頃にお店の前を通り過ぎたのですが、ご覧のように秋祭りの最中。冷たい雨が降り、時々東からの風が吹く中でのお祭りです。本当に、寒そう。
西村センセイ、この「栄食堂」がとても気になっているのです。金沢や富山にご縁があるうちに、一度は入ってみたいと思っているのですが......果たして、小心者のセンセイがお邪魔する日は来るのだろうか。
■10月15日(日) バベルの塔 ──商品の配達先から、この場所は見えているだろうか...
──
昨日も、所用で実家へ一往復。
その途中、ふと気づいて車を止め、撮影したのが写真。場所は刈羽(かりわ)郡刈羽村井岡(いのおか)地区。写真左から続く電線を支える鉄塔が続いています。
背後にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所の、2系統ある高圧電力線の一つです。この電線が最終的に向かうのは、約300km離れた首都圏。2007年の新潟県中越沖地震の時まで、電力を送電し続けていました。
地震発生直後およびその後に発電を順次停止し、送電もされていません。中越沖地震の日に、そして2011年の東日本大震災の日に、首都圏住民は初めて、電気がどこで作られているのか知りました。
でも、もう、大半の人が忘れてしまっているんじゃないだろうか。そして、その場所に生身の人間が住んでいるなんて、考えたこともないんじゃないだろうか。
ただし決して偉そうなことは言えません。センセイがお昼に頂くほっかほっか亭の「のり弁当」。ご飯と海苔が国産なのは知っていますが、白身フライの原産地がどこかは、知らない。
でも、平気。
誤解なきように申し添えますが、電力消費地の方々を批判しているのではありません。むしろ、逆。お互いの理解を深め、連帯すべきところを、孤立分断されることによって、お互いが弱体化しているのです。
まさに旧約聖書の「バベルの塔」。後は為政者の思うがまま。こちら側に関して言えば、「百姓は生かさず、殺さず」というわけです。
左奥の鉄塔の下には、わが家の畑(元は田圃)が、鉄塔付近は他の場所には杉林があります。次期ご当主様は、親戚つき合いを含めて、これらを管理しなければなりません。
というわけでセンセイは、金沢工大(/他の勤務先)を引退したら、この地に戻るはずです。