2016年9月17日更新(2016年9月25日ページ移動)
■9月17日(土) 地元の熱意で復旧した名松線の列車に乗って、JR東海全線を完全乗車しました
世の中は今日から3連休。
ただしセンセイは金沢に留まり、早朝からご出勤。今日は学部の割と大きな入学試験が実施されるのです。ただし例によってセンセイは基本的に、冷房が効き過ぎる部屋でじっと座っているのが仕事。
実際には、もうちょっと働きましたが。仕事を終えてからアパートに戻り、身支度を整えて自宅へ向かいます。予定より出発が遅くなったし、金沢市内の道路が混んでいたこともあり、通常より長く高速道路を利用。
北陸自動車道と一般道を半々ぐらいで利用したのですが、燃費は21kmに僅かに届かず、20.7km/L。金沢の渋滞と、途中からの雨、そして強い向かい風の中、高速道をいつもより10km速い90km/hで走行したからでしょうか。激しい雨で時々見通しが利(き)かなくなる中を無事に帰宅しました。
やれやれ。で、今日も鉄道ネタ。最終回ですので、もう少しお付き合いを。今回のツアーは、先週月曜の夕方に金沢を出発して大阪での学会、名古屋での研究会、そして徳島での学会に参加するというもの。
関係者は良くご存じですが、予定したすべてのプログラムにきちんと参加しました。その上でですが、JR四国とJR東海の未乗車区間に乗ってみることにしました。もちろんその費用は自己負担。時間順に言うと、今日ご紹介するJR東海の乗車が先。
前学長がお越しになった大阪での学会は水曜のお昼過ぎまで。翌日の研究会は夕方だったので、この機会に名松線の未乗区間に乗車したのです。以前、名松線の松阪駅から家城(いえき)駅まで乗車したことがあるのです。
でもそこから先は、水害で不通。水曜日は東海道本線と草津線、関西本線、紀勢本線を乗り継いで松阪(まつさか)まで移動。予定よりも早く到着したので、「東京物語」などの名作で知られる小津安二郎監督が一時期住んでいた家を改造した「小津安二郎青春館」も再訪しました。
残念ながら開館日ではありませんでしたが。翌日はいよいよ名松線に挑戦。早朝の列車に乗る選択肢もあったのです。しかし前回、家城駅近くにある高校の男子生徒による、列車への傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞いにお付き合いする気はない。
駅に停車しようとするまだ走行中の列車の窓を、外から大勢で開けようとするのです。
で、実際、開いてしまい、生徒は席取りのために、座席に鞄を放り込みます。客観的には、非常に危険な状態でした。
そこで今回は高校生が登校後の列車にしました。それでも同校の女子生徒が2人乗車しましたが。僅かの乗客を乗せて1両編成のディーゼルカーは松阪駅を出発。しばらく紀勢本線と並行して走行してから、左(西側)へ向かいます。
その後は基本的に雲出川の右岸を遡ります。名松線に乗るのは6年ぶりですが、ところどころ見落としはあるものの、記憶はほぼ正確。件(くだん)の家城駅に到着します。
もちろん女子高生は下車。家城駅は同線で列車交換可能な唯一の駅。すでに対向列車は到着済でした。すぐに発車するのかと思ったら、数分停車。
その間、何と写真のように駅員が声を掛けながら、「通票」(タブレット)を渡して安全を確認します。実物を見たのは江差線(現在は廃線)以来。
センセイを乗せたディーゼルカーは、松坂へ向かう列車と同時に家城駅を出発します。ここからが未乗区間。
そして名松線は突然、その性格を山岳路線に変えます。名城線はもともと、三重県の名張と松阪を結ぶ予定でした。しかしその間には険しい山々。
北側を並行する近鉄大阪線にはかなわず、伊勢奥津(いせおきつ)駅で終わることになります。激しい雨の中を列車はゆっくりを川沿いを遡ります。突然右側の車窓に「美杉リゾート火の谷温泉」が。
初めて知ったのですが、何と、この辺はかつて国府(現在の県庁)が置かれていた時代もあるんですね。
正直なところ、沿線に廃屋が目立つ現在からその栄華を想像するのは難しい。「こんな場所にどうやって線路を敷いたんだろう」と思える場所をゆっくりと走っていると突然、運転士が警笛を慣らしました。人間対象ではありません。親子連れの鹿が3匹、線路上にいたのです。
列車は静かに伊勢奥津駅に到着。駅舎の脇には駅が属する津市の支所と、別棟で観光案内所が置かれていました。案内所でお弁当を探したのですが、赤飯しかなかったので松阪に戻ってから食べることにします。
その判断がいかに甘かったについては、お伝えした通り。とにかくこれで、JR東海の全線を完全乗車しました。
■9月16日(金) 徳島から鳴門線に乗り、JR四国全線を完全乗車しました
お伝えしたようにセンセイは先日、「四国を、少なくとも徳島を訪れることはもうないんじゃないか...」と感じました。「もう一度、絶対来なければ」という理由が一つ、消えてしまったのです。
つまりJR四国全線を完全乗車。乗るのが難しい予土線にも2回乗車していますし、運行本数の少ない予讃線の旧線も乗っています。未乗区間は鳴門線と、牟岐線の大半。
そこで、名古屋での仕事を終えるとかなり無理をして深夜に徳島へ入り、翌朝、つまり大会前日の早朝にまず鳴門線に乗車しました。
高徳線との分岐駅である池谷(いけのたに)駅を何度も通過しているのですが、どうしても鳴門線に乗ることができない......。徳島駅からは1両編成のディーゼルカーに乗ります。通勤通学の時間帯に入りかけているので、けっこう利用客がいます。
田園地帯を軽快に駆け抜けると、池谷駅で高徳線の反対方向に大きくカーブ。数駅走ると沿線にビルが増えてきて、終点の鳴門駅に到着。列車はすぐに折り返します。
吉野川だけでなく、何本もの川を越えて徳島に戻り、ホームで待っていた牟岐線の特急に乗り換えました。それ以降はお伝えした通りで、海部駅到着をもってJR四国全線に乗車。従って今日のタイトルはやや正確さを欠くのですが、あまり問題にしないように。
これで、JR北海道(その後開通した北海道新幹線を除く)、JR東海(災害により不通だった名松線の一部区間を除く)、JR西日本(博多南線)、JR九州の全線に、新幹線を含めて乗車したことになります。
残っているのはJR東日本だけなのですが、どうもこちらは気が進まないのです。
■9月15日(木) この細長い階段は、何だろう... ──外海に面した海岸部で生きる──
西村センセイ、列車に乗っている時はたいてい、ぼんやりと窓の外を見ています。お伝えしたように、室内の照明を落とした夜行列車は外が良く見えます。
夜間走行中の、普通の列車でも外を見ていることが多い。
今回の牟岐線や阿佐海岸鉄道もそうだったのですが、もう二度と乗ることはないだろうと思うと、ぼんやりモードからしっかりモードに切り替わります。
お伝えしたように、両路線とも基本的には、海岸から少し入った場所を走る山岳鉄道。比較的新しい建設部分が多いので、市街地中心部を避けて敷設されており、山々の間から、海岸沿いの旧市街地を見下ろすような格好になります。
写真は牟岐線の浅川駅から撮影したもの。写真左側には、現在は廃校となった海陽町立旧浅川小学校のグラウンドとプールが見えます。写真には入っていませんが、校舎もまだそのまま残されています。
その奥から、左側の左奥にある海岸部まで市街地が広がっています。ふと、太陽光線を受けてきらきら輝く構造物があることに気づきました。最初の写真の中央部です。
写真は反対側の窓や、室内灯が入り込んでいます。
上の写真の奥の部分を拡大したのが、右。おわかりになりますでしょうか。
地形を利用したエスカレーター状の構造物があり、さらにそれは写真中央から右上奥まで延びています。
これはエスカレーターではなく、階段。最近造られたものです。もちろん予想される大地震によって引き起こされる大津波から逃げるために建設されたものでしょう。
正直なところ、右の写真ではあまり大きく感じません。しかし上の写真、奥には大きなお寺や神社の屋根が見えているのですが、それらや民家と比較すると、数十mもの高さがあることがわかります。
とんでもない高さです。若い人はともかく、子供や子供連れ、そして高齢者がどれだけ利用できるか、疑問な部分もあります。
しかし津波は、横方向に逃げても追い詰められるだけ。自動車も渋滞で使えません。ここまで大きな階段は浅川でしか気づきませんでしたが、少なくとももう1カ所、かなり大きな避難用の階段を確認しました。
外海に面した海岸部で生きる人々が、「その日」に備えていることがよくわかります。
■9月14日(水) 国境の長いトンネルを抜けるとそこは土佐だった ──阿佐海岸鉄道に乗車しました──
今回は、ちょっと予想外でした。
鉄道ファンにとって、乗ることができる線路が目の前に延びていれば、迷うことなく前に進みます。もちろんセンセイも、そう。
海部駅で阿佐海岸鉄道阿佐東線(あさとうせん)のディーゼルカーに乗り込みます。もう一つ理由があって、ここから先の阿佐東線と牟岐線はほぼ一体運用されており、海部駅で降りてもしばらく戻る列車はありません。
阿佐東線で終点まで往復して、来た時の牟岐線の列車で帰るしかないのです。昨日お伝えしたように、線路は国鉄時代に徳島方から延伸されてきたので、終着に近づくほど建設方法は近代的になります。
海部駅から先はほぼ直線で、高架とトンネルの繰り返し。最初に停車したのは高架の宍喰(ししくい)駅。列車から降りたのは高齢の老人一人。ホームには「徳島県最南端の駅」とあります。
次が終点なのですが、宍喰駅の方が南なのでしょうか。
ディーゼルカーは間もなく出発。駅のすぐ近くに、近くの山を切り開いて建設した車両基地がありました。
車庫には1両しか見えません。すぐに長いトンネルに入ります。やがて奥に明かりが見えてくると阿佐東線の終点、甲浦(かんのうら)駅の自動アナウンス。
何と「高知県最東端の駅」。県境を越えていたのです。ここは高知県安芸郡東洋町(とうようちょう)。高レベル放射性廃棄物最終処分場の件で有名になったので、ここに東洋町があることは知っていました。
でも西村センセイ、室戸岬の東側なので、てっきり徳島県だと思い込んでいたのです。阿佐東線は1980年に建設が中断された阿佐線の一部を第三セクターが運営しています。
だから高架のホームから先は不自然に途切れています。2枚目の写真はホームから地上に降りて撮影したもの。左側に見えるのが駅舎。日中は婦人会の人が売店を営業しています。何か食べ物を...と思ったのが甘かった。
周囲にお店は皆無。
駅舎に戻ってよく見ると、保存の効くクリームパンを販売していました。お土産用のポンカン飴とともに購入します。
冷房は入っていなかったので、風通しの良い場所で頂きます。そこからホームを見上げたのが写真。実は土佐くろしお鉄道の宿毛(すくも)駅も同じような構造をしているのですが、建物の外からホームは見えないので、これほど不思議な感じはしません。
そこに路線バスが到着。列車に乗っていたのは7名だったのですが、地元の人と、列車からの乗客3名がそれに乗り込みます。
行き先を見ると、「室戸世界ジオパークセンター経由安芸営業所行」。室戸岬か、その近くまで行って、安芸市に入るんですね。ホームに戻ると燃料を節約するためでしょう、エンジンは動いていません。ガラス張りの待合所で運転士が読書中。
発車時刻が近づくと、外へ出していたシャツを中に入れ、窓を閉めて運転席へ。やっと冷房が入ったので車内に戻ったのですが、乗り込んだのは若い男性2人とセンセイだけ。要するに鉄道ファンだけ。もちろん朝夕は通勤通学客もいるのでしょう。
しかし平行する道路は改良されていますし、地域の過疎化が猛烈に進んでいます。正直なところ、存続は極めて厳しい状況だと思います。
■9月13日(火) 「すみません。この駅は何と読むのですか...」 ──JR牟岐線を完乗しました──
「すみません。不勉強で申し訳ないのですが、この駅は何と読むのですか?」
昨日までのツアーは7泊8日。この間、いろいろあって、仕事の合間に鉄道に乗っていました。寝台券や指定券は1ヶ月前に予約あるいは購入しておいたのです。
でも乗車券は複数枚、しかも経路がかなり複雑。発券には時間がかかるので、お盆の混雑が解消した平日に、柏崎駅で購入することにしました。対応してくださったのは、若い男性社員。さて、どうなる。
寝台券を含めて、この種の「困った客」に遭遇した時の駅員の対応はたいてい、パニックに陥るか、異常に盛り上がるかのどちらか。今回は、どちらかと言えば前者。額に、うっすらと汗。ただしお客が誰もおらず、しかも列車がしばらく出入りしない時間帯を選んで訪れました。彼は、できるだけ冷静になろうとしています。
客観的に見ると、彼は非常に頑張りました。かなり複雑な経路、しかも複数枚だったのに。
その何枚目かの作業で出たのが、最初の発言。
彼が尋ねたのは昨日ご紹介した乗車券にある乗車駅。「海部(かいふ)」と読む、JR四国牟岐(むぎ)線の終着駅です。
一定年齢以上ならかつての総理大臣の名字なので知っている人も多いと思いますが、そのころ彼はまだ生まれていません。そもそも国鉄・JRの駅名には難解なものが多いのです。山陰本線の「特牛(とっこい)」なんて、どれだけの人が知っているでしょう。
それはともかく、若い駅員は一つだけミスをしたものの、ちゃんと乗車券を発券してくださりました。
ミスは、見なかったことにします。というわけで今回のツアー中、学会等のすべてのプログラムにきちんと出席した──論文発表や役員としての仕事がある──上で、早朝や合間を見つけて鉄分を補給しました。
その一つが、四国の未乗路線、牟岐線です。
厳密に言うと、徳島駅付近の一部区間には乗車していたのですが、時間がなく、そこで戻ってしまいました。
大半が未乗区間。学会大会前日の、理事会が開かれる前の時間を利用して、牟岐線に乗車しました。徳島からは特急を利用。
あらかじめ指定券を購入しておいたのですが、乗客が少なかったため、車掌さんに断って自由席の揺れない場所に移動。予想通りだったことと意外だったことが一つずつ。
訪れたことがある方はおわかりだと思いますが、土讃線の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)など四国中央部から南部は非常に険しい地形。
それが海に沈み込んでいます。牟岐線は土讃線ほどではありませんが、山々の間を抜けて走っています。意外だったのは、紀勢本線や飯田線のように、地形──ここでは海岸線──に沿って丁寧に走るのではないこと。海岸から少し離れた山側を、トンネルを多用して通過していきます。
まるで三陸鉄道のような走り方。しかも終点海部に近づくほど、その傾向が強い。
おそらくこれは延伸、建設された時代に関係しているんだと思います。それを象徴するのが終点の海部駅。(2枚目の写真)
ホームは、トンネルを抜けた高架上にあります。長い階段を降りると観光案内所があったのですが、たぶんずっと閉ざされたまま。民家を除くと、周囲に飲食店等はもちろん、コンビニ等もありません。
中央やや左寄りにあるのは「阿佐海岸鉄道 開通記念之碑」。「阿佐海岸鉄道」はここから先、室戸岬を通って高知県の後免(ごめん)までを目指した第三セクターの鉄道。
「目指した」と、過去形の表現なのは、この先にはわずか2駅しか存在しないからです。トンネルから列車が出てくる音がしたので、ホームに戻ると、おぉ、その阿佐海岸鉄道阿佐東線の列車(写真左)が入線。
牟岐駅からのJR車両(右)は、すでに折り返し運転の準備に入っています。行くか、戻るか。さて、どうする。
■9月12日(月) 乗車券は、まだまだ先まで続く ──1週間ぶりに金沢へ戻りました──
センセイは予定通り東京を経由してひとまず自宅に戻り、夜、金沢へ移動しました。
昨晩は、シャワーをゆっくりと使った後に、まず冷えたサッポロビール。「これが最後かも...」という気持ちがあったためか、ぐいぐいビールが進みます。室内灯をすべて消すと、外が良く見えます。
日曜日の夜ですが、そこには企業の活動などを含めて、人々の日常の生活があります。でも、飲むばかりでまだ何も食べていないし、このサイトも更新できないので、本州に入ってから窓の外を気にしながら、食事とサイト更新作業に取りかかります。
酔っぱらっていたのと、岡山駅付近ではずっと外を見ていたので、昨晩、サイトは姫路駅停車時に更新しました。センセイは「サンライズ瀬戸・出雲」を何回も利用していますが、乗るのは主に下り列車。東京行の上りに乗るのは2回目じゃないかと思います。
だから窓の外に見えるものは、何もかもが目新しい。途中ウトウトした時間もある──新大阪駅の記憶がない──のですが、サイト更新後は米原を過ぎるころまで、つまり時間で言うと午前2時ごろまでベッドの上から外を見ていました。
全然夜行寝台になっていませんねぇ。沼津付近で目覚めたのですが、まだベッドの上でゴロゴロ。A個室は本当に快適なのです。いつまでも乗っていたい!!
電車を待つ半袖シャツのサラリーマンがホームで綺麗に列を作っている横浜駅を過ぎてから、身支度を整えます。東京駅からは上越新幹線に乗ったのですが、やはり睡眠不足だったのですぐに眠ってしまいました。
もちろん乗り過ごすことはなく、予定通り自宅に到着。自宅で所用を済ませてから各駅停車で北陸新幹線と接続する上越妙高駅まで移動し、少し待って特急「はくたか」に乗車しました。自由席の乗車率は40%くらい。
でも途中の富山駅から、予想外にたくさんのお客さんが乗り込んできました。彼ら彼女らの服装と立ち居振る舞いから、金沢─富山を新幹線を使って通勤していることがわかります。そう言えば在来線の時も、そのような長距離通勤の方がかなりいらっしゃいました。
改めて、世の中は平日なんだ。
本当は北陸本線に乗り換え、西隣の最寄り駅「西金沢」まで行き、そこから歩くつもりだったのですが、金沢で下車。
雨が降り始めたので、金沢駅からは路線バスに乗ることにします。写真は自宅でスキャンした今回の乗車券。右上に手書きの記述がありますが、これは経路を打ち出す部分が不足しているための措置。その周囲には、途中下車印が押印されています。
この乗車券を見た係員は、表情を素直に表すか隠そうとするかは別にして、一瞬、仰(の)け反ります。乗車開始日は9月9日で、有効期限は9日間。つまり9月17日まで有効。乗車券の上でセンセイは、途中下車状態なのです。
詰めが甘いセンセイに似合っているような気がするからでしょうか。
■9月11日(日) 風呂は、一番風呂!! ――西村センセイ、個室寝台列車に乗って四国を離れる――
というわけで、センセイは今日も早めにご出勤。
あちこちがちゃんと動いていることを確認します。もちろん問題なんて、ありません。10時からは学会員の発表の司会。正直なところ、センセイはこの種の仕事が非常に苦手。
でも役員という立場上、逃げるわけにもいきません。ここでは発想を切り替えて、若い方々の発想の良い点を生かすようにセッションを進めるように心がけます。才能に恵まれながら、しかしまだ経験不足で見落としている部分を持つ若い方々に、それが伝わったかどうか......。
昼食時に、初めて逢った、しかしとても長いおつきあいをしている気がする先生と、「そうですよねぇー」。
それはともかく立場上の仕事は、反省点は多いものの、ひとまず完了しました。後は、センセイの時間。
頑張ってくれた学生諸君を含めて、四国大学の関係者にお礼を述べてから、タクシーに分乗して徳島駅へ。
実家や伯母へのお土産を買って、特急「うずしお」で高松へ出ます。高齢の駅員の方に、これから乗車する「サンライズ瀬戸」の入線時刻を尋ねると、何と、発車時刻の40分も前に到着するとのこと。
それに合わせて、ビールや食料を揃えます。貴重な情報のおかげで、高松駅西側にある車両基地から「サンライズ瀬戸」を迎えることができました。
高松駅はかつての宇高連絡船の接続駅。そのため、連絡船がすべて廃止された現在では、ホームが行き止まりになった「頭端式」という形式で、到着した列車はすべて折り返し運転。
「サンライズ瀬戸」も例外ではありません。様子を見ていると、軽装のJR四国の運転士は、すぐに尾灯に切り替えて運転室を離れます。写真は直後に撮影したもの。車両末尾、つまり折り返し運転後の先頭に移動したのですが、すぐには前照灯を点けないんですね。
事故を防止するために、どちらかを必ず点けると聞いていたのに。出発までに、まだ時間があるからでしょうか。10分ほどして、検札のため車掌さんがお越しになったので、シャワーキットを受け取ります。この車両には、A個室専用のシャワールームが備えられているのです。
発車前の、電車が停車している時間に利用できるか尋ねると、すでに利用可能とのこと。ラッキー!!センセイは「サンライズ瀬戸・出雲」を何度も利用しています。大きな不満はないのですが実はシャワールーム、車両の端にあるのでかなり揺れます。これだけは結構辛い。
というわけで今日は「お風呂」に一番乗り。かつて運行されていた上りの「トワイライトエクスプレス」に乗る時も、機関車付け替えのためにしばらく停車する五稜郭駅で個室内のシャワーを使っていました。四国は今日もそれなりに暑かったので、心身の余分なものを全て流します。
センセイが身を清めたその直後、列車は高松を静かに出発。最後の定期夜行寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」に乗るのは、これが最後かも。しかも、何となくですが四国を、少なくとも徳島を訪れることはもうないんじゃないか、という気がしてきます。
これだけ暖かく迎えていただいたのに......。