2018年6月9日更新(2018年6月19日ページ移動)
■6月9日(土) 西村センセイ、会場内の変な場所で学会に参加する
というわけでセンセイは現在、筑波大学で開かれているに学会に参加しています。
筑波大学を訪れるのは2回目。30年近く前に別な学会に参加した時以来です。初めて乗車したつくばエクスプレスの車窓越しに、そして今日、つくば駅からのバスの車中からその時を思い出していました。
遠藤周作の『海と毒薬』冒頭に出てくる新興住宅街のような場所。あるいは米ノースキャロライナ州シャーロット郊外のような人工的な風景。田舎も残っていますが、典型的な日本とは言い難いんじゃないだろうか。
今回参加しているのは大学教育学会。センセイがメインとしている学会です。しかも、歴代の会長のうち2名は、センセイの師匠と直属の元上司。師匠は10年前に逝去されましたが、元上司である国際基督教大学元学長の絹川正吉先生にはお目にかかることができました。89歳とのこと、信じられない。
「足が弱った」とは仰っていましたが。それはともかく、学会なので一番大切なのは各会合の中身。午前中はセンセイも委員を務める部会に参加し、午後は会場を移してシンポジウムと基調講演。
写真はその時撮影したものです。お気づきの方も多いと思いますが、写真のようなホールでの会合に参加する場合、センセイは中央付近、やや左手の場所に着席します。全体を見渡すことができるからです。
でも今日は右側(「上手(かみて)」)最前列の席。これには理由があって...。(明日へ続く)
■6月8日(金) 東京駅まで乗るべきだったなぁ... ――西村センセイ、普通列車のグリーン車両に初めて乗車する――
急遽、予定を変更してお伝えします。
センセイにとって今日は移動日。関東地方で明日から開かれる学会に参加するため、新潟の自宅に立ち寄り、車を置いてから電車で移動しました。現在は既に、目的地近くの宿所に到着したところ。この場合、通常なら上越新幹線を利用します。
でも良く考えてみるとここ数年、在来線(上越線および東北本線)とご無沙汰しているような気がする。沿線はその後、どうなっているんだろう...。
というわけで今日は、高崎駅で在来線各駅停車に乗り換えました。最も好ましいのは特急列車。でも現在の上越線において特急列車は朝夕の通勤用と、我妻線に乗り入れる観光用特急だけが運用されているだけ。
かつての栄光を思い出すことは難しくなっています。これはもう、普通列車に乗るしかありません。今回の、当面の目的地は秋葉原。つまり手前の上野駅でこの列車を下車します。
列車は高崎始発なので上野駅までの約2時間、確実に座ることができます。でもこの区間は原則としてロングシート。ボックス席の、しかも良い席に辿り着く自信はない。
ふと、グリーン車の存在に気づきました。必ず前向きの、個別シートです。西村センセイ、旧3等車つまり現在ではイロハの「ハ」がつく普通車に乗車しますが、グリーン車――「ロ」がつく車両――に乗ったことがないわけではありません。
でも普通列車は初めて。これなら今回の主目的、つまり沿線のその後の様子を確実に確かめることができます。しかも2階席に乗れば高い位置から。夜行寝台を除けば、これは初めての経験。
というわけで、事前に上野までのグリーン券を購入しておきました。乗車後に車内で購入することもできるのですが、かなり割高なのです。全て予定通りに、乗車。センセイが車内に入った時点での乗車率は15%程度でした。一番良い席は既にお客さんが確保済だったので、2番目に良い席に座ります。
近隣の客の大半は乗り慣れているようで、SUICAカードで乗車を確認します。(グリーン券の確認が省略される。)いよいよ発車。まず、乗り心地はというと、ボルスタレス台車特有の路面情報――線路情報というべきか――を伝えない、ぼんやりとした感じ。トヨタのクラウンの後部座席に乗っている時と似ています。
BMW、特にセンセイが乗るスポーツタイプとは対照的。でも、意図を斟酌(しんしゃく)すれば、わからないではない。ただしセンセイが乗車した2階席は長い波長の揺れが大きい。要するに、ふらつく感じ。センセイが良く利用する夜行列車「サンライズ瀬戸・出雲」2階席よりも揺れます。
でもその代わり(?)、列車が各駅に停車することもあって、沿線の様子がよくわかります。センセイの記憶にあまり間違いはないと思うのですが、予想をはるかに上回るスピードで世の中は変化しています。もっとも、センセイを含めた世代の交代を考えれば、当然のことなのですが。
想いを消化しきれないまま、上野駅到着。失敗したなぁ...。
センセイはこの先、通称「上野東京ライン」(「東北縦貫線」)にまだ乗ったことがありません。部分的には新幹線高架の、さらにその上を走るという路線。この機会に、乗車しておくべきでした。
冗談抜きで、自分の才能の冴えのなさを、反省させられます。見方を変えることが許されるなら、それほどまで疲れていた、ということなのですが。
■6月7日(木) 「この家、次は誰が住むんだろう...」 ──西村センセイ、解体途中の家屋に出くわす──
今日は見たままのお話。
写真は先日の早朝、徒歩で出勤する際に撮影したもの。自転車や車とは違うルートで歩いた時に、家屋の解体現場に出くわしたのです。早朝だったので、トラックで到着した業者の方が状況を確認しているところ。
今日の解体作業はまだ始まっていません。既に外壁の一部が撤去されているので、室内の様子がわかります。建物内に物品はなく、要するに、後は解体されるだけ、という状況。
デザインから、築35年から40年くらいという感じ。ふだんから気になっていたお宅というわけではないので、これだけでは建て替えなのか、更地にして売却するのかなどはわかりません。
ただし家族構成などに何か大きな変化があったことは推測されます。金沢でセンセイが住む地域、あるいは大学がある地域は新興住宅街。もちろん田圃を潰して続々と新しいお宅が建設されています。でも大きく見ると、同じような世代の人が住んでいます。
だから、周囲からすると突然無人になった家も多い。他人事ではありません。幸いにもセンセイの両親は健在ですが、すでにかなりの高齢。先日、家人がボソッと呟(つぶや)いた言葉があります。
「この家、次は誰が住むんだろう...」。拙宅は間もなく何度目かのメンテナンス工事に入るし、センセイは庄屋の末裔(まつえい)の次期ご当主様として、実家をどうにかしなければならない日がやって来ます。それも、そう遠くない将来。今朝、自転車でご出勤。わざとこの場所を通ってみました。
家屋は完全に解体、撤去済。残るコンクリートの基礎部分も、すべてが掘り起こされて、敷地内に集められていました。もう、写真のお宅を想起することはできません。
■6月6日(水) 大糸線を走っていたキハ52型気動車、糸魚川駅在来線ホームから見ることができます
もう1日だけ、鉄分補給ツアーの話題を。
先週金曜日、北陸新幹線、大糸線そして中央本線を乗り継いで都内西部を目指していたセンセイは、お伝えしたように糸魚川駅で特急「はくたか」から下車。
在来線、大糸線のホームへ移動したセンセイが見たものが、写真。新幹線高架下の建物で、在来線から見ると南側にあたります。当たり前ですが、北陸新幹線開業の前に完成していた施設なので、その存在は知っていたのです。
でも良く考えてみると、開業後に在来線ホームに立つのは初めてじゃないだろうか。で、建物の中に収まっているのは、かつて大糸線を走っていたキハ52型気動車。最後まで運用されていた3両の中の1両がここに静態保存されているのです。
イベントのたびに、建物の外(写真奥)まで専用の牽引機で引き出されるようです。もちろんここで保存、公開されていることは知っていたのです。でも部分的にとはいえ、それを外から見ることができるとは思っていませんでした。
でも現役当時は、こんなに綺麗じゃなかったなぁ。そしてもう一つ。この場所はほぼ、この車両などが収められていた煉瓦造りの車庫があったところ。
その意味では、里帰りということなんだろうと思います。
■6月5日(火) 重厚かつ静粛。ただし○○は、ちょっと... ──JR東日本最新鋭のE353系特急電車に乗車しました──
...そういえば、と、ちょっと気になっていたのです。
大糸線の211系は沢山の通勤通学客を乗せて、定刻に松本駅到着。この列車は富士見台行きですが大半のお客さんが下車します。センセイもその流れに従います。そうなるかどうか、自信はなかったので、途中下車して駅の売店へ。
これから2時間ほど新宿行きの中央本線特急「スーパーあずさ」に乗車します。センセイは手前の八王子駅で下車して横浜線に乗り換えますが、八王子駅到着は夜。お弁当と、ここまで無事に乗車したご褒美(?)にビールを購入します。ついでに実家と高齢の伯母用にちょっとしたお土産も。
ホームに戻ったのですが、「スーパーあずさ」はまだ入線していません。この頃には「もしかすると」は「まず間違いなく」に変わっていました。これから乗車する列車です。程なく到着したのが写真の列車。JR東日本のE353系直流特急電車です。
老朽化したE351系の代替を目的に製造された最新鋭の車両。何度か目撃していますが、乗るのは初めて。てっきり、何度も乗車したことがあるE257系だと思い込んでいたのです。
写真は全体に赤みがかっていますが、日没が近い夕方に撮影したためです。発車までは少し時間があったので、右隣のホームからなら順光で撮影できました。ちょっと反省。
松本駅出発時点での乗車率は50%くらい。この列車はカーブが多い中央線を高速で走行できるように、空気バネで車体を傾斜することができるようになっています。振り子式E351系を発展させた形式。
加えて、フルアクティブ動揺防止装置を搭載。基本的には、ボルスタレス台車特有の高い周波数の揺れを伝えないぼんやりした乗り心地。でもそれなりに良く改良されていて、特筆すべきは車内の静粛さ。後で調べてみたところ、防音構造は徹底しているようです。
受ける感覚としては「重厚」(実際には軽量のアルミ製車体)。ただし個人的には、ですが、車体傾斜装置とフルアクティブ動揺防止装置の出来はイマイチ。関係者の名誉のために申し添えますと、381系やE351系の振り子式よりずっと改善されています。ちょっと落ち着かない、という感じです。
その代わり条件が悪い中央本線を、まるで何ごともなかったかのように高速で駆け抜けます。これは本当にびっくり。甲府駅では沢山のお客さんが乗ってきて、車内は満席に。いつものことではありますが。
個人的に嬉しかったのは、各席にAC電源のコンセントが装備されていること。乗車した日のこのページは、ほとんど車内で作成されたのです。
■6月4日(月) 3人の乗客を乗せて、1両編成のディーゼルカーは大糸線を進む
大糸線、平日の日中だから、そんなに混むことはないだろうな、と思ったのです。
センセイは大糸線に10回くらい乗車しているはずですが、「青春18きっぷ」の有効期間中などは多くの人が立たざるを得ないほど混雑します。だから新幹線を降りると、大糸線のホームへ急ぎました。が、誰も来ない。
階段を降りてきたのは、キャリーバッグを持った若者一人だけ。程なく車庫から、キハ120ディーゼルカー(写真左)が入線してきました。車内で待っていると、やがて買い物が詰まったレジ袋を下げた中年女性が乗車。どうなるんだろうと思っていたら、そのままの状態で出発時刻。センセイを含め3人の乗客を乗せて、列車は糸魚川駅を発ちました。
しかし何と、次の姫川駅で若者は下車。彼だけは松本まで乗るものだと思い込んでいました。地元の方が帰省あるいは帰宅するところだったんですね。そして程なく、女性も降りてしまいました。つまり、残された乗客はセンセイ1人。つまり貸し切り列車。
早朝の芸備線で1回だけ経験していますが、大糸線では初めて。列車──1両だけど──は、平野部から姫川沿いに山間部へ入ります。ここからが大糸線のハイライト......ですが、印象がずいぶん違う。「荒れた」感じが少ないのです。
姫川はその美しい名に相違して暴れ川。今日も濁流は、コンクリート製の河床を壊すほどの勢い。山々も険しく、あちこちで、しかも山の頂上付近から崖崩れが起きています。正直なところ、コントロール不能。それにそもそも、どうやってこんな場所に鉄道を敷設したんだろう。
でも今日はどこか、優しい。大糸線は最近に限ってみても、何度か洪水や地震でかなりの期間、不通になっています。橋脚が流され、一部ルートが変更されたほどです。
復旧後に乗車したことがあるのですが、地獄というのはこのような場所なんだろうな、と思えるほど。先日乗車した只見線の新潟─福島県境や田沢湖線(秋田新幹線)の秋田─岩手県境、奥羽本線(山形新幹線)板谷峠(≒福島─山形県境)付近などもそうです。
でも今日は、あまり荒れていない。何故だろうと考えていたのですが、たぶん、植物のせいだろうという結論に至りました。むき出しの荒れた地肌が、鮮やかな緑色の草で隠されています。さすがに木が生えるほどまでには回復していないのですが。列車は乗換駅の南小谷(おたり)駅到着。
一つ手前で、望遠レンズを装着したカメラを持った若者が乗り込んできました。撮り鉄です。隣のホームに停車しているE127系に乗り込みます。JR東日本管内、最初こそ山岳列車という風情でしたが、青木湖手前の分水嶺を越えると、そこは安曇野(あずみの)。下校する高校生や小学生が乗り込み、生活路線になります。
信濃大町駅で211系に乗り換える頃には、退勤する方々で3両編成の列車は満席。特急だと沿線のワサビ畑(?)などを見ることができるのですが、そんな状況ではありません。ややヘロヘロになりながら、松本駅に到着しました。
そこでセンセイが初めて経験したのは......。(明日へ続く。たぶん)
■6月3日(日) 鉄道の旅は、美しくなくてはならない ──久しぶりに大糸線に乗車しました──
桜美林大学で開かれた学会を終えて、新潟の自宅へ戻りました。
お伝えしたように桜美林大学は町田市にあります。最寄り駅は横浜線淵野辺駅。帰路は上越新幹線と長岡駅での乗り換え接続が限られているので、確実かつ一番早い経路を選択する必要があります。
センセイが選んだのは横浜線で新横浜へ出て、東海道新幹線と上越新幹線を乗り継ぐ方法。大学に申請した経路は、規程に従って京浜東北線経由。余分な経路や新幹線特急券代は自己負担です。確実さが最優先なので、これは仕方ない。1時間に1本しかない路線バスが心配だったのですが、順調に移動することができました。
帰路とは対照的に、往路はかなり自由度が高い。与えられた条件は、金曜日の昼過ぎに金沢を発ち、その日のうちに宿所最寄り駅に到着すること。北陸新幹線で東京へ出て、中央線や小田急線を使っても良いのです。
でも、美しくない。センセイがJR線を利用する時はテーマ、つまり「お題」を立てます。近距離なら「車窓からアレを見たい」など。でも一番多いのは直射日光を避けること。
日焼けはともかく、カーテンを閉めなかったとしても逆光になるため、風景がよく見えないのです。今回のように中長距離の場合は、経路の美しさを優先します。今回は金沢を発って自宅へ向かうのですから、できれば「一筆書き」の経路にしたい。
そう考えると北陸新幹線で上京し、上越新幹線で帰るというのは全く美しくない。先日訪問した創価大学は八王子駅の北側にあります。桜美林大学、つまり淵野辺駅は八王子駅の南側。大きく見ると、同じような場所にあります。
というわけで今回は全線JR線を利用し、糸魚川から大糸線に乗って松本、八王子へと至る計画を立てました。休日に柏崎駅で予約済の指定券の情報と経路を印刷して女性駅員に渡しました。ところが結果的に、乗車券は各社毎に切られたものに。頭の良い方だったのですが、残念ながらこちらの意図を十分に理解していただけたなかったようです。
こちらも説明不足。あまり美しくない乗車券類ですが、気を取り直して北陸新幹線に乗車。前後の車両は都内にある中学校の修学旅行客で一杯。初めての経験です。いつもなら自動車で走る場所を確かめながら、大糸線乗換駅の糸魚川駅へ。
写真は到着直前に撮影した大火現場の現在の様子です。半年前──今回の写真の方が広範囲を写している──と比べてみると、中央奥に大型クレーンが見えるなど、再建工事が進んでいることがわかります。少なくとも、「傷口」は少しずつ朧(おぼろ)げになっていきます。
被災地域の復旧は、脇の国道を走っていても実感します。でも、あの多くの中学生はたぶん、誰もこの光景には気づかなかっただろうなぁ。