2023年2月11日更新(2023年2月19日ページ移動)
■2月11日(土:祝日) 56羽、見事な大編隊 ──行きつ戻りつ、されど季節は確実に進んでいます──
週末かつ祝日なので新潟の自宅へ戻りました。
金沢工大赴任時もそうだったのですが、実は西村センセイ、金沢からの撤収は引っ越し業者にお願いせず、自分で運ぶつもり。荷物はそんなに多くないし、家具や一般の家電製品は「のらくろ」に引き取ってもらいます。
AV機器やMacは超稀少品ばかりなので、購入時の箱に収めて自分自身で運びます。白状すると、残りの移動回数が指折り段階に入り、ちょっと焦り気味なのですが...。
今日の午前中は書斎で大学関係のお仕事(お休みなんだけど...)。一区切りをつけてから健康維持のため、少し外へ出ました。今日の当地は、寒いながらもご覧のように良い天気。
両親に頼まれていた県民税、市民税の仕事を思い出して帰宅することに。JR東日本信越本線沿いの道路を歩いていると、「グワーッ、グワーッ」という鳴き声。最初は白鳥が鳴いているのかと思ったのですが白鳥は警戒心が強く、人間の居住地には近づかない。
それに鳴き声が少し高い。鴨だろうと思って周囲を見渡したのですが、それらしき姿は見当たりません。と、思ったその時、上空にその鴨の群が。しかも見たことがないほどの大群。(拡大写真(478×411〔原寸〕、32KB))
後から数えてみたら総勢56羽。それが先頭の1羽に続いて見事な編隊を組んでいます。午後は例によって実家で安否確認と食料の買い出し。自宅に戻ってからは金沢から持ち帰った機器の一部を書斎のAVシステムに組み込みます。
書斎のシステムはいろいろなことができるかわりに、非常に複雑。一部に配線ミスがあり、原因究明に時間がかかりましたが、夕方までには完璧な状態に。やれやれ。
白鳥と違って、鴨類は春になっても必ず北に戻るわけではないようですが、最近の鳥類の行動を見ていると、彼ら彼女らは季節を敏感に感じ取っているんだろうなぁと思う瞬間があります。それは天気も同じ。
...ん、こちらが先か。まだまだ雨や雪、そして北風で大変な日が続きますが、客観的に考えれば数日単位で晴れと雨が繰り返すようになっています。これは移動性高気圧がもたらすもの。つまり天気図の上では──そして旧暦でも──もう、春。
行きつ戻りつしつつも、季節は確実に進んでいます。あ"っ、これは人間界も同じですね。
■2月10日(金) ここに至るまで、いろいろなご事情がありそう... ──空気が減ったVWゴルフ──
約3ヶ月ぶりの「ナンバーを装着したまま利用されなくなった車」シリーズ。
お伝えしたように、センセイは3月末で金沢工業大学を定年退職することになりました。皆さんがどうお考えかはわかりませんが、センセイ自身は「粛々(しゅくしゅく)」という感じ。最終となった講義──受講生には知らせていない──を除けば、おセンチな場面は皆無。
自分でもちょっと意外なくらい。その理由をいろいろ考えてみたのですが、要素の一つは関係する事務作業の多さかも。教務関係はもちろん、その基盤となる契約や社会保険関係。特に後者は、いまだに良くわからないことだらけ。
大学の先生は霞を喰っているような存在なので、この種の事柄にからきし弱い。正直なところ、超有能な特定社会保険労務士の方に助けて欲しいところ。ホントに。
されどこれらはまだ、基本的にほぼ学内で完結する問題。関係する方には知り合いが多いし、初めての方も丁寧に対応してくださります。
ありがたや、ありがたや。でも、もっと良くわからないのが学外の手続き。すぐ思いつくだけでも転出手続きや、郵便、貯金関係の住所変更。さらにはアパートの契約解除。
関連して電気、ガス、水道の手続きも必要。関係書類を読んでいて「なるほどなぁ」と思ったのは、アパートの火災保険関係の手続き。解除には証券証書(契約書)が必要とのこと。
でも証券証書、最近はペーパーレスだったはず..。もちろん結果的にはちゃんと対応できそうなのですが、心身ともにいろいろ大変。そういえば20年以上前の義父母の葬儀関係の時もこんな調子だったなぁ...。
というわけで、センセイはあちこちへ出かけることに。その途中で出くわしたのが、写真のフォルクスワーゲン「ゴルフ」。2000年前後に販売され、よく見かけたモデルです。センセイもこのモデル、およびそのセダン型「ボーラ」購入を検討したことがあります。
でもMT車が輸入されていなかったため、断念。で、このゴルフ。きっと丁寧に乗っていらっしゃったんだろうなぁという印象なのですが、少なくとも現在は全体が埃を被り、タイヤの空気もかなり抜けています(ただし、ぺっちゃんこではない)。
隣の植木鉢との様子からして相当長期間、このまま。できる限りきちんとメンテナンスしていらしたという感じを受けます。だからこそ、ここに至るまで、本当にいろいろな事情がおありだったのでしょう。
この件、若い方には他人事でしょうがセンセイにとってはまさに、「明日は我が身」の問題なのです。
■2月9日(木) 移転したカーテン専門店跡で、何らかの改装工事が始まっています
今日も予定を変更。こうなるともう、「予定」って何なんだということになりますが...。
今日の午前中は今学期最後の会議。つまりセンセイにとっては最後の会議。予想外に長引いたし、センセイにしては珍しく割と発言。ちょっと疲れた....。
終了したのはお昼休みの後半。学食は営業していますが、学生はあまり登校していないのでそれほどの数量を用意していません。定食はもう一部品切れを起こしているだろうなぁ。
というわけで、最寄りスーパーへ...あれっ?!スーパーのすぐ近く、昨年閉店、移転したカーテン専門店「オーダーカーテン レアール」建物の駐車場に車が数台。ご覧のように中型ワンボックスカーばかり。
しかも不要物を運搬、廃棄するための大きな袋も見えます。間違いありません。何かの工事が始まったのです。
反対側に回ってみると、数人の方が作業中。ただしそれほど大規模なものではないようですから、今回は改装工事。しかも電気工事の会社が参加しています。これは後半で行う作業。
つまり建物にはあまり手を加えないらしい。何のお店になるのか...というか、センセイにとっては、まだ金沢にいる間に工事が完了し、オープンを観ることができるかの方が問題なのですが。
■2月8日(水) 気にはなっていたのです ──父親も関係した「良寛牛乳」が事業停止、破産へ──
予定を変更して、今日飛び込んできたニュースを。
報道(一例)によると、「良寛牛乳」で知られる新潟県出雲崎町の乳業メーカー「株式会社良寛」が昨7日、事業を停止して破産手続きを開始したとのことです。このニュース、新潟県内ではかなり大きく報道されているようです。((c)NHK)
この「良寛牛乳」、実は西村センセイ──「西村家」と言うべきか──にもご縁が。まず「株式会社良寛」がある出雲崎町はセンセイの自宅がある柏崎市(旧西山町)の北隣。近くということもあり、地元では良く知られた牛乳です。出雲崎駅の隣に工場があり、越後線の列車からもよく見えます。
でもそれだけではありません。間もなく93歳(!!)になるセンセイの父親が、その設立に関係しているのです。
父親は新潟県の農業関係の公務員だったのですが、専門は畜産。獣医の資格も持っています。かつて新潟は米作りしかしていなかったようなものなのですが、戦後、畜産振興にも力を入れるように。
この「良寛牛乳」設立の際も、父親が指導しています。詳細については記事をお読みいただきたいのですが、最近は他メーカーに押されるなどして、泣かず飛ばすという感じ。先日、母親に同行して食料を調達した時にも、印象的な場面に出くわしました。
センセイの父親は骨粗鬆(そしょう)症。そのため、毎日配達される瓶入り牛乳──良寛牛乳ではない──に加えて、時々、母親が紙パック入りのものを買う時があります。でも母親が選択したのは隣に並んでいた農協牛乳。
少し安いし、良寛牛乳はパックのデザインがちょっと冴えない...。だからずっと気になっていたのです。
もちろん会社として何もしなかったわけではありません。新商品を開発したり、約60km離れた新潟市内に新潟西店をオープンしたりするなど、新規顧客の開拓にも力を入れていたのです。
ちなみに新潟西店の従業員は現在、求職活動中。意外なところでは、隣の市の音楽グループのオフィシャルスポンサーになるなど、従来とは違った取り組みも。やはり危機感が募っていたのでしょう。
されどさすがにここまで来ると、もうどうしようもありません。ちなみに、会社名の「良寛」は、出雲崎町で生まれた僧侶良寛に由来します。ただし彼が名主橘屋の長子として生を受けたのは海側の出雲崎地区。生家跡には現在、良寛堂が建てられています。
また崖を上った場所には良寛記念館も。会社があるのは陸側の西越地区で、両者の雰囲気はかなり異なります。だから地元民の感覚からすると、「ちょっと違うよね」という感じ。
もちろん会社の存続とは無関係ですが。
■2月7日(火) スマホではなく本だったら、なお嬉しいんだけど... ──それだけで一幅の絵──
写真は日曜日の午後に撮影したもの。
お伝えしたように一昨日はお昼過ぎに大学到着。お昼がまだだったので、市営久安運動広場の脇を往復して、最寄りスーパーで食べ物を購入しました。店内の電子レンジをお借りしてそれを暖め、大学へ戻ります。
金沢工大の場合、日祝日は各館にロックが掛かり入館不可。センセイらの研究室がある建物は、学外からの方に対応すべく16時までなら正面玄関から入ることができるのです。でも、守衛さんの手を煩わせます。
もう一つの方法は、IDカードを使用してロックを解除し、守衛室脇の通用口から入館。というわけでキャンパス中央の中庭を抜けて通用口を目指そうとしたのですが、あれっ?!
事実上の春休み、しかも日曜日なので、キャンパスにはほとんど誰もいません。だからこちらも安心しきっていたのですが、中庭のベンチに誰かが座っています。若い女性。
間違いなく本学の学生です。中庭には日が射し込んでいるのですが、彼女がいる場所は木立の陰。そこで静かに下を向いて何かをしています。もうこれだけで、「大学のキャンパス」という雰囲気。
画になります。もちろん彼女はスマートフォンを操作しているのでしょう。過去を基準にしがちな高齢者としては、手にしているものが文庫本ならもっと嬉しいんだけど...でも、ま、これが現実。
さて、このまま中庭へ進むと、彼女の脇を通らざるを得ません。というわけで、「ロ」の字型に配置された校舎群をぐるっと回って通用口へ。だから彼女が何をしていたのか、わからないままなのです。
■2月6日(月) 金沢工大伝統の自動車部、その活動の拠点となる建物を解体か?!
予定を変更して今日はタイトル通り、そして見たままのお話。
お昼なのでキャンパスの外へ出ることに。今日の金沢はかように、とても良い天気だったのです。朝は冷え込みましたが、この頃になると気温もかなり上昇。暦通りの春──4日の立春を過ぎている──を感じます。
裏の通用門を出たところで、何か変な音が。何か工事をしています。破壊音なのですが、重機ではなくハンマーか何かを使い、人の力で硬いものを叩いている音。時々作業員の話し声も聞こえてきます。
「ここ、できた」というような内容。周囲を見渡すと、音源は写真の「御所橋」の向こうだということがわかりました。古いアパートを解体するのかなぁと考えたのですが、もっと近い。
...あ"っ。音は高橋川を渡ったばかりの所にある建物からです。しかもよく見ると建物の側面に工事用のシートが掛けられています。ここは自動車部の建物。
金沢工大伝統のクラブ。まぁ、いかにも昭和、というノリですが。建物の向こうは教職員用の駐車場。センセイはいつもそこを利用するのですが、最近は徒歩ばかりで建物の近くを通らないので、その変化に気づきませんでした。
近寄ってみるとどうやら解体作業らしい。今は、壁面外側のタイルのようなものを剥がしているところ。退勤時にこの場所を通ると、建物の中で部員が、ホント楽しそうに車を整備したり話し合ったりしています。その頃になると、彼らの自家用車を向かいの暗くなった教職員用駐車場に止めていたりします。
でも、まぁ、それはご愛敬ということで。解体は不可避だとして、その後はどうなるんだろう。
建物新築の可能性が高いと思われますが、残念ながら、センセイがそれを見届ける日は来ないと思われます。
■2月5日(日) 大学脇の金沢市営久安運動広場に、並行した複数の「雪の道」が出現していた
日曜日なのでいつも通りに金沢へ移動しました。
途中、あるラーメン店の閉店をほぼ確認しました。少なくとも数週間営業していません。また除雪されていない駐車場に人や車が出入りした気配もありません。
場所は糸魚川市藤崎の国道8号線沿い。以前、松本清張氏の小説「疑惑」のドラマ(新潟県を舞台にした2012年版)で、ロケ地としてご紹介した場所のすぐそばにある「藤崎(とうざき)らーめん」です。
なお地名の読みは「ふじさき」だと思い込んでいたのですが、「とうざき」が正しいそうです。お詫びして訂正させていただきます。ここには「越王(こしおう)らーめん」という34年も続いたお店があったのですが、残念ながら2018年末に閉店。入ろうかなと思ったこともあるのですが、道路の右側にあるため入り損ねてしまいました。
しばらく空き家になっていたのですが、2年くらい前に「藤崎らーめん」としてオープン。「繁盛」というほどではないのですが、コンスタントににお客さんが入っていました。しかしここもそれが徐々に減少。「ふうらい」同様、大型トラックの駐車ができないことも影響したと思います。
「やはり最後は似た雰囲気に...」と思いながら金沢到着。今日はまだお昼を食べていません。そこで鞄その他を研究室に置いてから、近くのスーパー(写真右奥)で何かを買うことにしました。
その手前にあるのが「金沢市営久安運動広場」。公共グラウンドで、夕方になると子供たちが指導者の下で野球やサッカーをしています。もちろん今日は雪のため使用不可。通り過ぎようとした時、あれっ?!
おわかりでしょうか。写真は北北西方向を見ています。グラウンドの手前には雪が残り、奥の方は消えています。でもよく見ると、それほど単純ではないことに気づきます。
高い位置から撮影できないのでちょっとわかりにくいと思いますが、写真奥に向けて「雪の道」のようなものが出現してます。しかも等間隔で平行に存在。
写真左側を見ると、それが特に良くわかります。なぜこうなったのか、いろいろ考えてみました。グラウンドを意図的にこのように整地したとは考えにくいし、実際、難しいと思う。それならば、以前のこの場所の様子が影響を与えているのではないかと考えました。
ここは以前、区画整理された田圃だったと推測されます。田圃、つまり稲を植える場所と、その端となる畦(あぜ)とでは土の性質が異なります。そこに土砂を搬入して整地して造られたのがこのグラウンド。「雪の道」はかつての畦の跡。水分が少なく相対的に固い。
この推測には傍証が。「雪の道」は、写真左奥に少し見えている現役の道路と完全に平行しているのです。まぁ、直接的な証拠にはなりませんが。
いかがでしょう。