2023年4月29日更新(2023年5月7日ページ移動)
■4月29日(土:祝日) 虫の知らせ ──2週間前に訪れたばかりの浪花屋製菓が、同業他社へ身売りに──
今日は予定を変更してお伝えします。
朝、いつもの時刻に起床して階下へ降りると家人が、「『なにわや』が...」。何のこと?
「なにわや」で思いつくお店は、先々週訪れたばかりの「浪花屋製菓(株)」だけ。目の前に置いてあった地元『新潟日報』紙の一面トップには写真入りで、その浪花屋に関する報道が。((C)浪花屋製菓(株))
「浪花屋製菓の『元祖柿の種』、阿部幸製菓が承継へ 感染禍で需要低迷か」。(全文を読むためには登録が必要)朝食の席に着かず、記事にざっと目を通すと、経営不振のため、6月1日付で事業を同業他社に引き継いでもらう予定とのこと。要するに身売りです。
ただし浪花屋ブランドは存続させる見込み。前回も少し触れましたが、浪花屋製菓はこの分野の老舗ではあるものの、純粋に経済活動として見た場合、商売があまり上手とは言えません。
記事によると米価メーカーの売上高トップは亀田製菓。頭抜けています。以下、新潟県内のメーカーが続くのですが浪花屋製菓は何と、29位とのこと。年少は亀田製菓の1/10以下。ちなみに身売り先は第8位。
ここまで差が開いていたとは知りませんでした。正直なところ、浪花屋製菓が自動車検査登録事務所の隣にあることに気づいた時、嫌な感じがしていたのです。「この機会に訪れないと...」といういわば虫の知らせ。そして残念ながら、浪花屋製菓社内に漂う雰囲気も、どことなく怪しい。
ご紹介したように、対応してくださった社員の方には非常に好感を持てたのですが...。ブランドは残るということで、消費者としては一安心ですが、今後の展開を見守りたいと思います。
■4月28日(金) 「デパ地下」作戦はあっさりと挫折。万策尽きたかに思われたその時、まさに足元で...
...キラキラと輝く──正確には「かもしれない」──存在に出くわした、というお話。
お伝えしたように、センセイが旅先で宿泊する際に、1人で外食することはありません。地元の方が利用するスーパーで、できるだけその地域の方が頂いている(であろう)品々を頂くことにしています。
ただしさすがに、ホテルで料理...というわけにはいきません。だから実際は、総菜を買い求めることになるのですが。
無職になって初の「出張」──アルバイトなので「出稼ぎ」という表現が一番近い...──は、所用でホテル到着が遅くなったこともあって、割と残念な結果に。というわけで今回は、早めに宿所へ移動。
先週を反省して、今回は「デパ地下」作戦。路線バス下車後、気合いを入れて「金沢エムザ」の地下街「黒門小路」に入ったのですが、う〜ん...イマイチ。もちろんデパ地下ですから高品質は当然として、価格も高いものが多い。それは十分承知の上。
でも、なかなか手を伸ばそうという気になれない。店内の一角には地元の方向けのものもあったのですが...。どうやら、センセイにはご縁がなさそう。というわけで、先週訪れた「マルエー」を再訪。
トホホ。明るいうちに訪れたのですが残念ながら、こちらも先週と印象はあまり変わらないという結果に。(先週同様)さりとて、何も食べないわけにもいかない。
最低限の総菜とビールを買って、ホテルへ帰ることに。経路の関係で途中、有名な「近江町市場」を必ず通過します。「おうみちょう」が正式な発音なのでしょうが、地元の方は「おみちょう」あるいはそれに近い読み方をされます。
それはともかく、少なくとも今は地元民以上に国内外からの観光客を意識している区域。1杯数千円もする海鮮丼などを販売しています。もちろん、センセイとは無関係...あれっ?!
「次回からはコンビニ弁当かなぁ...」などと考えながら近江町市場を通り抜けていた時、写真の「世界の食品 ダイヤモンド本店」に出くわしました。最初は他店とさほど違わない印象だったのです。
でも外から店内の様子を見ると、まさに地元に根を下ろしたスーパー。もはや逡巡(しゅんじゅん)という選択肢は残されていません。センセイが訪れたのは午後6時前。まだ早い時間帯だと思うのですが、近江町市場的には撤収の時間らしく、総菜コーナーに残っている商品はごく僅か。
でも、ざっと品揃えを見た限り観光客を意識しつつも、メインのターゲットは地元の方々。今回は小手調べ。来週こそ、じっくりと「ダイヤモンド 本店」を探索してみるつもり。
...あ"っ、来週は連休なので、講義はお休みか。
■4月27日(木) JR貨物富山機関区に廃車留置されていたEF81型電気機関車が、全車撤去されていました
2日続けての鉄道ネタです。悪しからず。
写真は一昨日、在来線での金沢移動中に、富山駅北西にあるJR貨物、JR西日本およびあいの風とやま鉄道の車両基地の一部を撮影したもの。概ね東方向を向いており、奥に北陸新幹線の高架が見えます。
目に入るのは、ディーゼル機関車とラッセル車。...ない。姿が見えない。
気づいたのは先週の水曜日。講義を終えて金沢駅から新幹線に乗り、お伝えしたように富山駅で在来線に乗り換え。この場所を逆方向から通ったのですが、見慣れた数両のEF81型電気機関車の姿が完全に消えていたのです。
個人的には、ちょっとびっくり。EF81型はもともと、交流区間と直流区間が混在する通称「日本海縦貫線」用に開発され、1969年から投入されたもの。485系電車に似て、汎用性が高い。
そのため関門トンネル用などの特殊用途を含め、国鉄およびJR各社所属車が、全国各地で大活躍しました。特に上越線を除く北陸地方では電気機関車の代名詞...というか、これしか見ない。さらに貨物だけでなく、「トワイライトエクスプレス」などの寝台特急も牽引。
ただしさすがに老朽化が進み、現在はEF510への世代交替が進行中。ここJR貨物富山機関区──日本海側の主力機関区──所属のEF81も、2016年春に定期運用終了。順次廃車となり、その後はずっと写真の地点の手前(富山駅側)に数珠繋ぎで留置されていたのです。
白状すると、ほぼ放置状態。各所が錆び付き、塗装も剥がれてボロボロ。正直なところ、痛々しい。どうするんだろうと思っていたのですが、ホントにずっとそのままの状態で残されていたのです。
お伝えしているようにセンセイは、2015年の北陸新幹線開業に伴い、移動手段を列車から自動車に変更。そのため、この場所を在来線で通過することはほとんどなくなりましたが、代わりに写真奥を走る北陸新幹線──位置の関係で上り列車のみ──から、その様子を確認していました。しかしその後、コロナ禍に突入。
出張の機会も、ほぼ完全に消失しました。それでも1年くらい前までは、新幹線の車窓からその姿を確認していたのです。
が、ついに、全車両がJR貨物の広島車両所に甲種回送されて解体されたらしい。もちろん、時間の問題だったのです。どうやらトップナンバーのEF81-1を除く車両は、2021年11月までに解体。
長い間、ご苦労様でした。
■4月26日(水) これはもう、乗るしかない ──最短区間を除き、在来線だけで帰宅しました──
ある意味、昨日の続き。
お伝えしたように先週、非常勤になってから初めての講義を実施するために、金沢まで往復しました。
もちろん本来の仕事としては問題なし。ただし鉄道ファン的には、ちょっとイマイチ。往路の新幹線利用は仕方ないとして、帰路がちょっとエレガンスさに欠ける。昨日お伝えしたようにセンセイとしては、可能な限り在来線を利用したい。
というわけで、2月に大学で買った大判の時刻表を開いて、あっちを見たり、こっちを確認したり...あ"っ。解いてしまった...これはもう、乗るしかない。
実はセンセイの場合、このような展開が多いのです。それはともかく昨朝、早めに最寄りの柏崎駅へ行き、購入済の乗車券類の一部を変更(「乗車変更」、通称「乗変」)して頂きました。手数料は無料。
ただし、これが認められるのは1回のみ。ネックになっていたのは、講義終了後の大学(あるいは大学近辺)から金沢駅/西金沢駅までの公共機関ないしは徒歩でのアクセスと、新幹線・在来線の乗り換え。残念ながら帰路は、全区間在来線だと「門限」に絶対に間に合いません。
我が家で一番偉いのは、ルールを定めている家人なので。つまり区間はともかく、どこかで北陸新幹線にを利用する必要があります。
今日は、講義を定刻に終えると学生さんに手伝って頂き──ありがたや、ありがたや──ながら、教具や教材類をまとめて大学を後に。雨の中、大学正門前ではなく少し離れた同名の「金沢工業大学」バス停へ急ぎます。
今日はなぜか遅れていたのですが、とにかく乗車。倖い、このバスに乗れさえすれば、金沢駅での乗換には余裕があります。実際、少々遅れながらも無事に到着したにもかかわらず小さめの弁当を購入。
写真は、駅前の「鼓門」内で撮影したもの。先週も気づいたのですが、欧米からの旅行客──左端奥にもバックパッカーの姿が──だけでなく、修学旅行生を多く見かけるようになりました。
ここでは生徒さんだけでなく、引率の先生方を含めて、黄色の上着を着用したボランティアの方(?)の説明を聞いていらっしゃるようです。この場面だけではないのですが、少なくとも金沢では、観光業などのサービス業もコロナ禍の手痛いダメージから開腹しつつあることを実感しています。
ところで先週、帰路に乗車した新幹線、実はは2分遅れの出発だったのです。しかしそれにもかかわらず、何のアナウンスもなし...。されど今日は、無事、定刻に金沢を出発。センセイはというと、とにかくお弁当を頂くとすぐに、下車の準備に取りかかります。
何しろ、次の新高岡駅で降りてしまうので。同駅に立つのは初めて。ここで在来線の城端線に乗り換えて隣の高岡駅を目指そうというのですが...新幹線車内から見ると、城端線はかなり離れています。在来線の駅は、何と、新幹線駅舎の外にあるのです。
これにはびっくり。「乗換駅」を称する駅の中で、初めての経験じゃないだろうか。
他にも欧米外国人旅行客の乗換ミスだとかいろいろ起きたのですが、とにもかくにも列車は高岡駅到着。鉄道ファン的には、ここでゲームセット。もちろん負けではなく、問題なく帰宅できることがほぼ確定したのです。
ここで30分ほど待ちますが、そこから先はスイスイ。富山駅からは先週のコースそのもの。あいの風とやま鉄道の521系は加速が良い。JR東日本のE129系も、そこまでではありませんがストレスは少ない。ただし、えちごトキめき鉄道の“ET122”はディーゼルカー。
加速は悪いのですが、その代わり(?)、風光明媚な親不知子不知区間を走行します。全体としてはまったく問題なく帰宅。個人的にはやはり、精神的に余裕のない新幹線と特急の組み合わせより、在来線主体の方が好き。
どうやら次回以降も、このパターンが定着しそうな気配です。
■4月25日(火) 個人的には、やはりこちらの方が肌に... ――在来線で金沢へ移動しました――
タイトル通りのお話。
今日は金沢への移動日。だから基本的には移動するだけのはず(契約にもない)。ただし初回だった先週は、配布教材の印刷や各所への挨拶等で早めに「出勤」する必要が。したがって事実上、経路選択の余地なし。
ただし2回目となる今日は、制約の度合いが低い。本来なら今日は、日付が変わらないうちに金沢へ着きさえすれば良いのです。でも読みをちょっと誤り、できれば明日使用する教材を今日のうちに印刷しておく必要が。先週まとめて刷っておけばよかったのですが...。
明日の早い時間に印刷してもいいのですが、万一のトラブルが怖い。何しろ、職員の皆さんが出勤していない時間に作業する必要があります。というわけで、今日もサービス出勤。ただし様子が大体わかったので、講義の準備は割と短時間で終了できそう。となると、移動経路がポイントに。
何度もお伝えしていますが、センセイは新幹線や高速道路をあまり好みません。そこで今回は敢えて、在来線だけを乗り継ぐ移動に挑戦してみました。乗り換えなどの条件に適うのは唯一、先週と同じ時刻に自宅を発つこと。ただし、先週乗車した列車はセンセイを乗せず、先に出発します。
センセイが乗り込むのは、特急の追い越しを待っていた各駅停車。直江津駅で第三セクターに乗り換え――乗換時間は皆無――て、富山県ほぼ東端の泊駅へ。ここで「あいの風とやま鉄道」に乗り換えます。
ここから先は、何と、乗り換えなしで金沢へ。まるで、センセイのためのような列車。
富山駅で少々待つのですが、それでも乗り換えなしは本当に気楽。お昼の時間帯なので、次回は泊駅での待ち時間を利用して、駅前のショッピングセンター ――1回入ったことがある――でお弁当を買おうかと思案しているほど。
待ち時間を含めた乗車時間は、約4時間半。自動車で一般道のみを走行した移動より30〜40分程度短い。「各駅停車」と聞くと皆さんは「鈍行」――それ自体は間違いではない――をイメージされるかもしれません。
でも実際は、かなりの高速移動なんですね。それに何より、風景と人々の生活を堪能することができます。写真は滑川市内から見た立山連峰剣岳。山頂部のみ少し雲がかかっていますが、それでもほぼ全貌を望むことができます。(撮影状況が厳しいため、拡大写真はなし)
先週は曇っていて、ほとんど見えなかったのです。今シーズンは高温が続いているので、季節の進み方が早め。例年だったら、前期(「前学期」)講義が始まる頃に富山県東部で「春の四重奏」を愛でることができたのですが...ま、仕方ない。
乗客の皆さんの様子にも、地に着いた生活の様子が滲み出ています。さすがに、先週の老婦人のような方はいらっしゃいませんでしたが。
列車は定刻に金沢駅到着。センセイはホーム向いの列車に移動し、一つ先の西金沢駅で下車します。ここから先、北陸鉄道石川線も走っているのですが、接続が悪いので大学まで歩きます。
お察しの通り、健康維持の目的もあります。予定時刻に大学に到着してパパッと印刷を終えて、先週ご挨拶できなかった関係者にお目にかかります。本当は大学から金沢市中心部まで歩こうかと思っていたのですが、雨が降り始めました。
大学正門前のバス停から、バスに乗車します。センセイの場合、やっぱり在来線、特に各駅停車の「旅」の方が肌に合っているんだろうなぁ。
...おっと、明日の教材の最終準備をしなくては。
■4月24日(月) 暴力と、それに抗う生命力 ──雪害を受けた所有地の状況を確認しました──
内容的には昨日の続き。
ただし2週間ほど前に遡ります。センセイが住む地域は昨年12月、稀に見るドカ雪で絶望的な交通麻痺を起こしただけでなく、人身事故を含む甚大な被害を受けました。実は森林も、酷い状況。
されど、すでにお伝えしたように道路が倒木で覆われて、自動車では現地まで通行できないとのこと。その頃はまだ引っ越しの後片づけに追われていたということもあり、現場を訪れていませんでした。ところが今月上旬、母親から「道路が通れるようになった」との連絡が。市役所は既に、状況を概ね承知済のはず。
しかし被害は、あまりに広範囲。そのため実家付近はまだ手が入っていないのです。しびれを切らして、実家の土地を借りている地元の方が自分で伐採したとのこと。
これはもう行くしかない。この日は買い出しもなかったので、娘が昔、中等教育学校および都内の大学で通学用に使っていた自転車を引っ張り出し──整備しておいた──て、実家へ。
ヘルメット着用以外の交通ルールを守って約50分で到着。作業服に着替えます。運ぶものがあったため一輪車に荷物を載せて、母親とともに出発。ただし母親はすぐに休憩せざるを得なかったので、先に一人で進みます。
実家の高度は約30m、所有地はそれより30m前後高い場所にあります。距離は800mくらい。以前ならセンセイよりも速く歩いていたのに、今では「10回くらい休まないと行けない」とのこと。両親の様子は毎週確認していたのです。
しかし逆に、それゆえ大きな変化については見逃しがち。つくづく、今回の退職が正解であったことを思い知らされました。
1枚目の写真は、その途中で撮影したもの。特別な場所ではなく、このような状況が延々と続きます。手前の杉の木は、樹齢30年程度。(拡大写真(1,280×960、317KB))
余分な枝が切り払われるなど丁寧に扱われていたのに、この惨状。目的地に到着してもまだ母親の姿が見えなかったので、中継地点に仮置きしてあった荷物を数往復して運びました。所有地の状況をざっと確認します。
かつて田圃だったところに杉の木を植えたのですが、樹齢20年くらいとなった木々は、無傷のものを見つけるのが難しいほど。ここで母親がやっと到着。最低限の仕事を片付けます。2枚目の写真は帰路に撮影したもの。(拡大写真(1,280×960、436KB))
雪が融けた頃から、母親が「偉いねぇ。枝が折れても...」と何度か口にしていたのです。たぶんそれが、この細身の桜の木(写真中央右側)。
一見すると、ただ、散り始めた遅咲きの桜のようにしか見えません。でも拡大写真で見るとわかりますが、実は、写真最上部付近で大きな枝が折れて、垂れ下がっているのです。下側の桜の花は、その垂れ下がった枝に咲いています。それも、花は上を向いて。
実に健気(けなげ)。都会育ちの皆さんにこの状況をうまく伝えることができているのか、正直なところ自信がありません。決して、上から目線で見下しているわけではありません。何しろ自分の娘にすらうまく伝えられていないので。
でもこれこそ、自然(natura)が本質的に持つ顔の一つ。圧倒的な暴力と、それに抗(あらが)いながら生き抜こうとする、逞(たくま)しい生命力。
...あ"、二つの顔か。
■4月23日(日) 「猪が、筍が...」 ──実家を訪れて筍を収穫し、竹林を少しだけ整備しました──
木曜日の朝、自宅書斎と階下の電話が鳴動(めいどう:呼び出し音が鳴ること)。
書斎には仕事用の別回線の電話も。でもそちらではなかったので、家人が階下で取りました。やりとりの様子から明らかに、センセイの母親からのもの。やがて家人の手に負えなくなり、センセイに向かって「お母さんが、猪や筍が...」とのこと。
もちろん電話を替わります。かなり興奮した様子──そうでなければ、朝なんかに電話してこない──なので、実の息子ですら至急の応援を求めていることは理解できても、最初のうちはなかなか具体的な状況を把握できない。
それでもやはり、そこは血の繋がった親子。もともと土曜日、つまり今日実家を訪れて、いつものように買い物をするだけでなく、農作業を手伝う予定になっていたのです。今回の作業は裏山での筍掘り。実家裏は一番下の段のみ向かいの親戚の土地ですが、その上は実家が所有。
かなりの広さがあります。そもそも実家は山林地主。資産的には「負動産」そのものですが。先週末、その裏山の一番低い部分(親戚の所有)で筍が出てきました。例年より10日から2週間くらい早い。我が家の竹林の筍は、それから1週間後くらい遅れて出てきます。
だからこそ、今日...のはずだったのです。ところが母親によると今朝、気になって裏山の所有地に登ってみると既に数本の筍が出ていただけでなく、(彼女によると)猪──厳密には未確認──が実家裏にも初めて出没したらしく、筍を食い荒らしたとのこと。
だから予定を早めて...という依頼。もちろん、仕事の関係でこれまで十分実家の用を手伝えなかった──これが今回の退職の主たる理由──ので、身支度を整えて実家へ。作業着に着替え、「唐鍬(とうが/とうぐわ)」と呼ばれる厚くて丈夫な歯の鍬(くわ)を手に、裏山へ。
最初の印象は、とにかく荒れている。裏山の高い方は杉がメイン。かなり成長しているということもあり、昨年末のドカ雪でもそれほど被害を受けていません。でも竹は別。確かに硬いけれど、竹は草本(そうほん)。
要するに、草なので。(異説あり)ずっと以前に倒れたものだけでなく、今回の大雪で倒れたものがその上に折り重なっています。本来ならば、ちゃんと手入れすべきは高齢者の両親ではなく、センセイとその兄弟なのです。
すみません。折れ重なった竹を乗り越えたりくぐったりしながら、所有地に到達。1枚目の写真は、そこで撮影した筍。
よぉーく見ると中央奥に、小さな筍が顔を出しています。ただし初めての方は絶対にわからないと思います。注目して頂きたいのは、手前の筍の周囲。
左右に筍の皮が散乱しています。これこそ、猪(?)が筍を食い散らかした動かざる証拠。
実家は決して、僻地にあるわけではないのです。ただし中山間地がどんどん耕作放棄されるにつれ、野生動物が人里近くまで闊歩(かっぽ)するようになっています。中には、熊などの猛獣も。これは全国的な傾向。
されど、さすがに実家裏にまで出てくるとは...。その日に掘った筍が右の写真。もっと小さなものもあったのですが、土曜日つまり今日のために残しておきました。個人的にはこの間に猪が食べるかどうか確かめたかったという理由も。
傾斜地で、しかも倒れた竹の間での作業という制約はあったのですが、収穫した筍は、切り口が不細工。本当は周囲をもっと深く掘り、もっと深い位置で一撃で切断すべきなのです。でも、唐鍬なんて使ったの、何十年ぶりだったからなぁ...。というわけで、今朝も実家へ。
残しておいた筍は無事。というか、ほとんど成長していませんでした。これはこの間、雨が降らなかったため。「雨後の筍」という表現がありますが、これは決して比喩ではなく、事実そのもの。良く観察した表現です。
降雨の後は、本当にどんどん生えてきます。まぁ、要するに、草だからなぁ...。
木曜日は筍堀りだけのつもりだった──だから素手での作業──のですが、状況を把握できたので今日は軍手を嵌め、筍堀の後は母親とともに、鋸(のこぎり)を使って倒竹の除去作業を2時間弱。
それでもまだ全体の半分行くか、行かないか。実家の山林全体は、今日の作業分の数十倍にも及びます。(絶句)
う〜ん、このサイトの名称を「西村センセイの営農日記」に変えようかなぁ。