2020年8月8日更新(2020年8月16日ページ移動)

──2020年8月第2週のニュース──

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8月8日(土) ナレーター陣が、凄い ──短い夏休み。センセイが最初に取り組んだのは... ──

 週末なので、新潟の自宅へ戻りました。今日から数日間がセンセイの夏休み。

 短いなぁ...というのが実感ですが、客観的に考えると例年はほとんど休みがない。そもそも毎週帰宅する際も、通院や実家その他の用があるので、いわゆる自分の時間は、良くて半日程度。それを考えると、これはチャンス。
 で、この機会にセンセイがまず取り組んだのは、VHSテープのデジタル化。合ってましたでしょうか。

 もちろんこれまでもデジタル化を進めていたのです。でもふだんは忙しいのに、ライブラリーが多いので当面必要なものからデジタル化していたのです。残念ながら歴史関係の資料や渋い素材は、大半がVHSテープのまま。
 というわけで今回は、9本のVHSテープを自宅へ持ち込みました。

 20年くらい前のテープを再生するのは、書斎AVシステムのソニー製業務用デッキ“SVP-5600”。(写真下段)12年前(!!)の購入ですが、さすが完全な業務用機。
 現在も安定して作動しています。

 しかも民生用と異なり、標準モード58μmの記録トラックをフルにスキャンするので、画質は非常に良い。今日もそれを実感しながら、数本をデジタル化しました。
 映像はY/C分離で、音声はバランス─アンバランス変換の上で、DV・VHSレコーダーを挟んで、写真最上段のBDZ-V9へアナログ信号を送っています。

 情報を受けるBDZ-V9も、購入後13年が経過しているのに元気いっぱい。自宅には不在気味のセンセイに対して「もっと能力に応じた仕事をさせてよ」と訴えているような感じ。
 確かにまったくその通りで、アパートで使用中の同一機種を含めて、申し訳ない。

 音量──S-VHSデッキの左側に音量メーターがある──などに気をつけて作業している際に、改めて思い知らされたことがあります。画質や音質ではありません。

 今日変換したプログラムの中に3本のドキュメンタリー番組があったのですが、そのナレーターが凄い。日下(くさか)武史、仲谷昇、そして竹下恵子。当時、ちゃんとした番組はこれが普通だったんですね。
 竹下さん以外は、残念ながらすでに鬼籍に入っています。

 これもある意味、明々後日(しあさって)は我が身...。



8月7日(金) 金沢を発つ前に ──こんなところにも、ひっそりと空き家が...──

 ある意味、昨日の続き。

 先日、お昼になったのに、肝心の食欲は中途半端。そもそもセンセイくらいの年齢になるともはや、若い時の「お腹が空いたぁー」とか「お腹と背中がくっつくぞぉ」というあの感覚とは無縁になります。
 身体維持に必要なエネルギー量が減少するんですね。

 しかも今学期は、大半が遠隔授業。

 オツムはともかく、少なくとも身体は椅子に座って目の前の何枚かのパソコン画面を見つめて、口をパクパクさせているだけ...。教室で全身を使って講義している時の疲れ方とは違って、捻れたような、妙な疲れ方。
 で、今日は、ほっかほっか亭の一番小型の「のり弁当」でも量が多すぎる。

 かといってコンビニやドラッグストアの食べ物の塩分表示を見ると、伸ばしかけた手が止まってしまいます。センセイはキンエン生活中なのです。
 ...そうだ、今日は「ニュージョイスかもの」の「玉子サンド」にしよう。

 もちろんこちらのパンや具にも塩分は含まれているけれど、こっちだったら、まぁ、許されるかな。両者の違いを合理的に説明せよと言われると、苦しいのですが。
 で、直射日光をできるだけ避けようとして、最短ではないルートで「かもの」へ向かいます。

 角を曲がると、右手に解体中だったお宅が見えてきます。現在は完全な更地。「かもの」は目と鼻の先...あれっ?!

 道路左側のお宅に目が止まりました。最初の気づいたのは、玄関ドアの前で伸びている背の高い雑草。改めてお宅を見ると、2階窓の網戸が敗れています。
 良く考えてみると右側の庭木もまったく手入れされていません。空き家です。それもそれなりに長い間。

 そういえばアパート近くのお宅、最後近くまで居住していらっしゃったのですが、庭は10年くらい前からこんな感じだった。

 ご葬儀の知らせは目にしなかったけれど、手入れをしていたご家族が、何らかの理由によりできなくなったんだろうか。ちなみにこちらは、ひとまず更地になった後、昨日から何かの土木工事が始まっています。
 何度もお伝えしているように、この地域では約50年前、金沢工大開学に続くような格好で、若く、しかもほぼ同世代の方々が希望に燃えて新居を構えたはず。

 現在、その第1世代の中でご健在なのは、残念ながら少数派。しかも「かもの」同様、大半は連れ合いを亡くしているはず。この場所も数年後にはひとまず更地になり、その後は...。まぁ、田舎と違い、土地が有効活用されるだけでも良しとしましょう。
 何しろ、「明後日は、我が身」なので。

 ちなみに、正午前に訪れた「かもの」のドアには内側から、朱文字で「売り切れ」と書かれた貼り紙がセロテープで留められていました。

 トホホ...。



8月6日(木) 明後日は、我が身 ──大学近くの未利用地が駐車場になっていた──

 「暑い」...。

 受講生の、偽らざる感想です。金沢工大では事実上、明日までが年度前半(「前学期」)なのですが、センセイ個人の受け持つ講義は今日が最後。早朝に「暑い1日となりそうなだなぁ...」と思いながら自転車で出勤しました。
 バタバタしているうちに、8時15分。

 気温の方はお構いなしに上昇します。木曜日は午前最後と午後の最初に講義があるのですが、講義棟へ向かうべく研究室のある建物を出た瞬間に、逃げ場のない暑さ。今年の7月が雨がちだったので、相対的に気温の高くない状態が続いていました。
 つまり身体は暑さに慣れていない。

 ただし、もはやこの期(ご)に及んで逃げ場はない。えーい、正面突破だ。今日の北陸地方は南から山越えの空気が吹き込み高温に。金沢市ではお昼過ぎに今季最高となる34.9℃を記録しましたし、富山市では、な、何と37.5℃(!!)。
 国内最高記録だったそうです。

 いろいろ大変だったのですが、それでも何とか最終回の講義とその後始末に区切りをつけます。このところ、明らかにストレスで血圧の高い状態が続いているので、少し早めに帰宅します。
 写真は月曜の帰宅時に撮影したもの。

 お伝えしたようにセンセイは日曜日に新潟から金沢へ移動したのですが、その途中、富山市内のいつものスーパーで月曜日までの惣菜、つまりある程度日持ちするものを購入済。
 例によって、野菜は母親からもらっています。つまり帰宅時にスーパーへ立ち寄る必要はない。

 荷物があったので日曜日は自動車で「出勤」──正確には立ち寄っただけ──したのですが、月曜日以降は今日まで自転車を使いました。つまり、今週月曜日は通常とは異なり、自転車に乗って最短ルートで帰宅。
 実はこれ、とても珍しいこと。

 見慣れた沿道の変化に気づいて自転車をUターンさせます。この場所、もしかすると以前はお宅が存在したのかもしれないのです。でも記憶のある限りで、建物は撤去済。現在より20cmくらい高い土盛りと、車庫跡が残っていました。
 右隣のお宅との境界にその名残が。

 前回ここを通過してから2週間くらいしか経過していないと思うのですが、ご覧のようにアスファルト舗装の上で駐車場になっていました。白線その他のピカピカ具合が、ごく最近の工事であることを物語っています。
 目に見えるものの向こうにある変化が起きたことは確実。

 例えば息子さんないしはお嬢さんなど、この土地の所有権を引き継いだ方が、現金化すべく不動産屋に土地を売却。会社は当面の運用策として...などなど。いずれにせよこれは、この地域全体で着実に、そして急速に進行している世代交代の一断面。
 センセイにとってもこれは、決して他人事ではありません。

 庄屋だった先祖が隠居してからの西村家は、センセイが10代目(予定)──隠居前からだと、その倍以上──なのですが、我が家は90歳の父親がまだ健在。ただし彼も未来永劫生き続けるわけではありません。
 そしてそれはセンセイにも当てはまります。

 「明日は我が身」ほど差し迫ってはいませんが、明後日くらいには現実の問題となります。さて...。

 次期ご当主様は先祖から、将来の後始末までを含めて考え、行動しなければならなのです。ホントに。



8月5日(水) 大学前のバス停は文字通りの改修で、しかも以前に同様の工事を実施していました

 今日は見たままのお話。

 写真は今週月曜日、つまり8月3日のお昼休みに、食料を買い求めるため外出した際に気づいて撮影したもの。金沢工大前のバス停です。予告通り、改修工事が始まっていました。お昼なので、作業に従事する方は休憩中。
 誘導員だけが残っています。

 ご覧いただくとわかるように、作業中の日中は歩道を閉鎖し、歩行者は車道側の仮通路を利用します。つまり工事の様子をすぐそばで見ることができます。
 まず気づいたのは、工事がすでにかなり進んでいること。作業開始からまだ半日ですよ。

 柱の数本には、ガムテープで「柱交換」と記されています。本当に柱を交換するらしい。実際、写真左側の柱は、全体が新しいもの──やや傾いている──に交換されつつありました。
 見方を変えると、建物全体をできる限り残そうということ。

 改めて柱を見て驚きました。その中の数本は柱の下部が既に交換されています。西村センセイ、この日まで1本の柱だと思い込んでいたのです。
 下から1/3くらいの位置に「ほぞ」と、それを嵌め込む「ほぞ穴」を作って、その下部が交換されていました。

 交換作業後、年月が経過──約20年前に赴任したセンセイには記憶がない──して新旧の色がまったく同じになっていたので、まったく気づきませんでした。

 基礎はコンクリートなのですが、このような用い方だと下部がどうしても雨で濡れてしまうため、腐りやすいのです。田舎だったら防腐のため安直に、黒いコールタールを厚く塗るところ。
 ある種の美意識と、「この建物を残すぞ」という強い意志を感じます。

 そしてもう一つ。作業がこんなに順調に進むのなら、2週間もあれば工事の主要部分は終わってしまうんじゃないだろうか...。

 残りの工事期間(約3週間)は、何を?



8月4日(火) 「この道はいつかきた道」... ──第5東野尻踏切の改良工事が完了し、通行止めが解除されました──

 ...は、北原白秋が作詞した童謡「この道」(作曲は山田耕筰)の歌詞。札幌市の時計台付近その他が舞台だとか。

 ただし今日お伝えしたいのは、そんな高尚なお話ではありません。副題にある通り、センセイが新潟─金沢間の移動で利用する砺波市内の「第5東野尻踏切」改良工事が完了して、今月1日から供用が開始されたのです。
 写真は日曜日の正午過ぎに撮影したもの。

 前回とほぼ反対の位置から見ています。左奥に、東野尻駅のホームが見えます。

 今回初めて知ったのですが、まず、センセイが立っている手前の場所──田圃だったはず──を埋め立て、資材置き場として用いていたようです。
 もしかしたら工事事務所が設置されていたのかもしれません。(そのような建物はなく、未確認)

 相当本格的な工事だったらしい。以前の踏切を撮影していないので良く分からないと思いますが、踏切だけでなく、付近の道路もかなり整備されています。
 普通車ならともかく、今までは大型トラックは相互に譲り合ってこの踏切を渡っていたのです。

 センセイは改良工事期間中、南隣の踏切を利用していました。踏切も狭いし、付近に短区間ながら自動車すれ違いができない細い場所があります。1回だけですが、かなり怖い思いをしたことも。
 だから個人的にはありがたい。

 ただし客観的には、前回お伝えしたようにこの城端線および氷見線は将来的に、LRT化が検討されています。それが実現するのとセンセイが金沢を去るタイミングの、どちらが早いのか。

 う〜ん...。



8月3日(月) 勉強は、役に立つ ──比較的綺麗な山岳波を視認しました。撮影はできませんでしたが...──

 というわけで、昨日の続き。

 「晴れ」との予報だったので西村センセイ、今朝は何も考えずに自転車で出勤しました。ただし何だか様子がおかしい。「明け方まで雨が残るかも...」とのことだったのですが、そちらは問題ありません。でも、カラッと晴れそうな気配ではない。
 というか、徐々に曇ってきたような...。

 大学に到着してから確認すると、弱いながらもやや大きい雨雲の帯が接近しています。気圧配置と形状からして、弱い寒冷前線。雨になるかどうかは微妙。ずっと研究室にいたので完璧に観察したわけではありませんが、金沢ではかろうじて、雨にならなかったようです。
 ただし能登地方では場所によって、降雨となったとのこと。

 「梅雨明け10日」という言葉があります。梅雨の期間、特に最後は梅雨前線(停滞前線)が局所的に大暴れして大変だけど、梅雨が明けたら気圧配置が安定して、しばらく好天が続くという意味。
 ただし少なくとも、今年の北陸地方はそうではない。

 そもそも今年は、夏の太平洋高気圧が弱いのと、それが西に偏って張り出しているので、北陸地方は不安定な天気が続いています。しかも来週後半には日本海北部を颱風崩れの低気圧が通過する見込み。
 気圧配置が安定するのは日曜日以降じゃないかと思います。

 このページでは最近、こちらこちらなど、何度か雲を話題にしています。実は西村センセイ、もともと気象や地質などいわゆる「地学」に興味があったのです。初めてお話ししますが、学部学生の時に地質学の教授から「研究者にならないか」と誘われたほど。(実話)
 専門こそ異なるものの、結果的には学者になったので、先生のご期待にある程度応えることがでました...と言い訳したいところ。

 写真は一昨日の午後、実家での用務を終えて帰宅する際に撮影したもの。昨日お伝えした積乱雲の撮影時から2時間ほど経過しており、空のかなりの部分が晴れています。
 右下部は地域のシンボル「米山
(993m)

 この時は気圧配置の関係で、南西から「米山降ろし」が吹いていました。複数の雲が写っておりややこしいのですが、手前に限定すると右側に雲の塊が、写真左側にやや背の高い雲が見えます。
 その途中には何もない。(奥の雲は、峰が低いので比較的連続した雲を形成)

 これは「山岳波」と呼ばれる雲。正確には、これに地表からの熱による弱い積乱雲が加わっています。

 山岳波の詳細は各自で検索していただきたいのですが、その証拠に、写真左側には、視界180°近くに渡って、だんだん強くなる山岳波が延々と...。残念ながら撮影は断念しました。
 センセイはこの時、広角を撮影できるカメラを持っていなかったのです。

 ただし後から考えると、デジカメで連続撮影することもできたし、何より“iPhone SE”でパノラマ撮影(こちらの3枚目の写真)することができた...。トホホ。

 センセイのこれらの知識は、もちろん後から自分で勉強したものもありますが、その骨格と枠組みは高校時代の「地学」で学びました。センセイの学部の講義を受講されている方は、最終回で地質構造への言及があったことを覚えていらっしゃるかもしれません。
 天気図の読み方も役立ちます。

 どれくらいの長さで、そしてどれくらいの強さで雨が降るか、など。ただし当時は高層の気象、特に寒気に関する情報はごく僅かでした。でも最近は、気象衛星などで詳しいデータが得られるため、数値予報の結果が広く公開されています。
 読み方さえわかれば、かなりのことが可能に。

 それだけではありません。目先のことを理解できるようになると人によっては、その背後にある構造的な問題の存在に気づき、場合によっては、必ずしも完璧とは言えないかもしれませんが、それに対する対処も可能になります。
 要するに、振り回されるだけでなく、状況によってはこちらからコントロールすることすら可能になる、ということ。

 広い意味での、そして深い意味での勉強って、やっぱり役に立つのです。(キッパリ)

 ただし、それを理解できるかどうか...。申し訳ないのですが、そして冷酷なようですが、それも能力なのです。



8月2日(日) ごく僅かな違いなんだけど... ──お待たせしました。北陸地方の梅雨が明けました──

 新潟地方気象台は本日11時、「北陸地方は、令和2年8月2日ごろに梅雨明けしたと見られます」と発表しました。

 待ちに待った、いわゆる梅雨明け宣言。例年および昨年に比べると9日遅い梅雨明けとなります。ちなみに仙台管区気象台は東北南部の梅雨明けも宣言しています。

 例によって今朝、金沢へ向けて移動したのですが、先週同様、他県ナンバーの車が目立ちます。途中の海水浴場にもお客さんは入っていたのですが、数はごく僅か。例年に比べると1/20くらいの印象です。
 その大半は、小さな子供を連れたファミリー。

 写真は昨日、お昼に実家へ向かう途中で撮影した南の空。

 朝は曇っていたのですが、徐々に晴れ間ものぞくようになりました。低く、やや黒い雲の向こうには積乱雲。ただし、まだ盛夏の「モクモク」という感じではありません。
 センセイは気圧配置(天気図)および上空の寒気の様子から、一昨日の時点で梅雨明け宣言は大気が比較的安定する今日だろうと予想していました。

 でも夜の天気予報で気象予報士の方が「明日か明後日」と仰っていたので、一昨日は同じ表現を使いました。でも結果的に、昨日の宣言は見送り。
 後日改めてお伝えしますが、気象台にはそれなりの判断があったと思います。

 ちなみに、たぶん石川県の方が気づいていないことを。いえ、別に、大したことじゃないんです。

 今回の梅雨明け宣言、NHKを例に取ると新潟県内では「新潟地方気象台は...」と報道しています。でも富山県石川県では「気象台は...」という表現。
 ただし、それに続く解説などでは「金沢地方気象台によりますと...」という場合も。

 この違い、明らかに意識されています。実は新潟地方気象台は新潟県を含む北陸地方(富山県、石川県、福井県)を統括する予報中枢官署。梅雨明け宣言の主語は、冒頭に記したように新潟地方気象台なのです。
 なぜそのように明示しないのか、理由は良く分かりません。

 似たような事例はいくらでもあって、国土交通や農林水産などでは複数の県をブロックで管理しています。例えば「海の警察」海上保安庁の第九管区海上保安本部は新潟県、富山県、石川県を管轄。
 海難事故があると、「新潟市の第九管区海上保安本部は...」と伝えます。

 気象は人々の生活に深く関係しているため、各県の県民感情に配慮しているのかもしれませんが...。

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