2022年1月8日更新(2022年1月16日ページ移動)
■1月8日(土) こちらはおそらく、別な理由での変身 ──「セレモニーホールあすか」解体──
今日は土曜日。いつもなら新潟の自宅に帰るところ。
でも今日は、いつも通りの時刻にご「出勤」。大学の講義その他はありませんが、学会の幹部会(「理事会」)が遠隔で開かれるのです。自宅から参加できるのですが、センセイは一昨日金沢へ来たばかり。
冬は降雪や道路状況が刻々と変化するので、今回は当地に留まることにしたのです。3時間を予定していた理事会が終了したのは何と、4時間後(!!)。ふぅ、疲れた。その後はアパートに戻ってお昼を作って頂くと今日は、バタン、キュー。
写真は先月末に撮影したもの。何度もお伝えしているようにセンセイは健康維持のため、金沢でも自宅でもできるだけ歩くようにしています。
晩酌用の刺身を買おうと思って、スーパーへ向かって歩いていた3週間前、自宅のすぐそばにある葬祭式場の変化に気づきました。その時はまだ工事用のフェンスなどは存在していなかったのです。でも内部が異常にガランとしています。明らかに何かが始まっています。
下旬になると写真のように重機が敷地に入り、一般人は立ち入りできなくなりました。写真中央奥には瓦礫を運び出す「箱」のようなものが置かれています。建物を解体、撤去するのです。実際、月末には内部で機器や壁、天井などの解体が始まりました。
「ここもまた、不景気で閉店するのか...」と思ってしまいがちですが、葬祭関係はちょっと違うと思う。ここは新潟および山形(庄内地方)に冠婚葬祭式場を展開する株式会社アークベルの「セレモニーホールあすか」。実はかつて、右側の重機が置かれている場所に、同じような割と大きめの施設が存在したのです。
決して古くない建物だったのですが数年前に突然、解体、撤去。ちょっとびっくりしました。で、跡地がどうなったかというと、別に売却するわけでも何でもなく、家族葬用の小さな建物(2家族用)を建設。様子を見ていると、むしろ家族葬用の施設の方が利用されています。写真には入っていませんが、さらに右側に新しい建物も建設中。
もちろんこちらも家族葬用。月末には現場に、「工事のご案内」が掲出されました。それによると、家族葬用の建物を2棟(3家族用)建設するとのこと。おそらくこの背後にあるのは、全国規模で進行する葬儀形態の変化。
当地の場合、15〜20年くらい前までは、写真の建物のような施設を使った葬儀が普通でした。そこに家族葬用の施設が入り始めたのですが、気がついた時には、むしろそちらの方が主流に。この流れを決定づけたのは、このコロナ禍。例えば一昨年義理の伯父が亡くなられたのですが、臨終になってやっと家族との面会が許されるという状態。
葬儀も内々で済ませました。従姉妹は4人姉妹なのですが、他県に住む2人は葬儀に参列できず、1人がやっと昨年のお盆に墓参できたとのこと。長姉とよく話をするのですが、「3回忌には何とかみんなで集まることができたら...」とのこと。
つまり今年なのですが昨今の状況では、それすらどうなることか。現場に戻ると、アークベルは市内で数カ所の葬祭式場を運営しています。1カ所は家族葬専用ですが、他は写真の施設とほぼ同規模。もちろん今後も沢山の方が集まる葬儀は開かれますから、そちらは他の施設で対応。
増加する家族葬に対応すべく、この場所はその専用施設にするという判断のようです。ここかどうかは別にして、いつかは自分もお世話になるわけだし、一般的には自分(達)の親その他についても、我が事として考える必要があります。
というわけでこの工事、決して他人事ではないのです。
■1月7日(金) 遠すぎた暖簾 ──「いりま食堂」が予兆なしに閉店、更地化──
ある意味、先月末にお伝えした閉店や空き家に関する話題の続き。
先月末に帰宅した際、沿道で違和感を覚えました。そこに存在すべき何かが消失しているような気がしたのです。ただし美味しいお昼を頂いてから1時間が経過。確実かと尋ねられたら、ちょっと自信がない。
もちろん、決して漫然と運転していたわけではないのですが。そこで昨日金沢へ移動する際、現場を注意しながら運転しました。ただし今回は雪が降っており、現地も少し積雪があります。さて、どうなる?!
...やっぱり、跡形もありません。ここは新潟県上越市大潟区土底(どそこ)浜。旧大潟町の中心部に近い場所で、しかも幹線国道8号線沿いという良い立地条件に恵まれています。
そこについ先日まで、「いりま食堂」が存在したのです。写真は2018年3月上旬、向かいにある「ナルスオオガタショッピングセンター」に出入りする車で車列が一時停止した際に撮影したもの。
道路脇の雪は、前月上旬から中旬にかけて降り積もったドカ雪の名残です。出入口は1階左。よく見ると「いりま」と刺繍された年季の入った暖簾が掛かっています(この時は準備中)。今回写真を確認して初めて気づいたことが。
2階右側の角にはかつて、看板が存在したようです。この「いりま食堂」、少なくとも近年は、存在感が薄い。(関係者の皆様、ゴメンなさい)
白状すると何度も往復してやっと気づいたのです。でもそれからは、センセイなりに注意深く様子を見守っていました。されど結果的に一度もお店を訪れることはありませんでした。これにはいくつか理由が。
まず個人的には、ロケーションにやや難が。「いりま食堂」は道路の東側にあります。つまり金沢への移動時には便利。でも自宅を発ってからわずか45分の場所にあるので、午前中に入ることはありません。帰宅時は道路の右側。そもそも、駐車場があるのかどうかすらよくわからなかったのです。
その後、写真左側の未舗装の場所が駐車場らしいと判明したのですが。でも最大の理由は、敷居の高さ。もちろん物理的な高さではなく、心理的なそれ。富山県立山町のした「ニュー立山」(一昨年閉店)に似て、正直なところ、この暖簾をくぐるのはなかなか難しい(関係者の皆様、再びゴメンなさい)。
加えて駐車場はたいてい空っぽ。う〜ん...。「でも、まだ営業しているから...」と先送りした結果がこの体(てい)たらく。実は金沢との移動経路のあちこちに、このような「いつかは...」という場所があります。客観的に考えると、センセイの毎週の「移動」そのものに先が見えてきました。
世の中も、センセイ個人も節目を迎えています。ここは、腹を括(くく)る必要があるようです。
■1月6日(木) 「今日の立山は...」 ──今シーズン初めて、雪の劔岳を望むことができました──
金沢工大は今日が仕事始め。
ただし今朝のセンセイは、新潟の自宅に留まったまま。サボっているのではなく、今日は午前中に「新年互礼会」という会が開かれるだけ。加えて新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環として、一般の関係者は遠隔での参加。
さらにさらに、本日のみ在宅勤務も可とのお達し。センセイは確かに、在宅勤務だ。
というわけで10時半過ぎに式典を終えてから移動開始。昨日でも良かったのですが、今日の方が天気が安定することはわかっていたし、平日の朝に移動を開始すると、上越市内(旧直江津市)で出勤ラッシュと重なるのです。
今日はお昼前に通過したので、スイスイ走ることができました。上越市内は道路上に雪はないものの、道路脇にはそれなりの雪。1年前(こちらやこちら)は本当に大変だったので「やっぱり上越はなぁー」と思っていたのですが、何と、富山県東部はもっと積雪が。
特に黒部市は相当降ったようです。幸い、雪が積もりやすい北西に開けた山道には、今シーズンから融雪装置が整備された──気づきませんでした。有難や...──ため、走行に問題はありませんでした。気をつけながら魚津市から滑川市へ。
年末にご紹介した、市内「株式会社ストローグ」本社・研究所の新築工事は着々と進行中。谷を下ると、そこから先は上市(かみいち)町。今日はいつもと行動パターンが異なるため、通常、金沢への移動時には立ち寄らない「里山の駅 つるぎの味蔵」へ。
車から降りて脇に立ったその瞬間、あ"...。ちっぽけなセンセイの真正面に、雄大な立山連峰がパノラマ写真のように広がっています。眠気を催しやすい食事後で運転に注意していたため、その時まで気づかなかったのです。
トホホ。写真は劔(つるぎ)岳(2,999m)(拡大写真(1,280×960、120KB))。この季節の劔岳は恥ずかしがり屋らしく、一定高度以上は雲に隠れていることが多い。
見えたとしてもこちらやこちらのように、なかなか全貌を望むことができません。自宅を発った時は晴れていたものの、上越市や糸魚川市は曇っており、少し雨も当たりました。でも富山県内に入ると天気はあっさりと回復。背後に薄く雲がかかっていますが、見事な光景です。
センセイの行動パターンだと、こんな日は1年に1回あるかないか。富山の人たちの会話には、この立山が良く登場します。特に最初の挨拶の部分。他県在住の富山出身方にインタビューする際、逆に質問されるのが「どうですか、今日の立山は?」というパターン。
実際、現地を訪れるとその精神性に圧倒されます。何度もお伝えしていますが、このように恵まれた場所で生まれ育ったら、そうなるだろうなぁーという感じ。
昼食後の長距離運転はやはり、可能ならば避けるべき。もちろん事故なんて起こしていませんが、注意しているにもかかわらずちょっと注意散漫気味になる場面がありました。とにもかくにも無事金沢、というか大学到着。
整備済のMacなどを降ろしてからアパートへ移動。30分後には徒歩でちゃんと「出勤」しているところが、絵に描いたようなサラリーマン。
というわけで、センセイは実質的に明日から業務再開です。
■1月5日(水) シェーバーのやや無理気味の修理と、鉄分不足あるいは欠乏/喪失の関係
「私はもう2年、この島から出ていません...」。
届いた年賀状の1枚に記されていた手書きのメッセージです。皆さんがどんな「島」を想起されたのかはわかりませんが、実は離れ小島ではなく、北海道。送り主は札幌在住のプロの作詞家兼ライターのTさん。
ご無沙汰していますが、お元気そうで何よりです(賀状、ありがとうございました)。でも、言われてみれば我々だって同様。本州(その他)だって島なんだし...。「島」は措くとして、コロナ禍が深刻化してからの2年弱、センセイは新潟と金沢を往復するだけ。まぁ、富山県はどうしても降り立ちますが...。
その他の都道府県を訪れたのは、一昨年3月が最後。センセイはかつて、全国各地へ頻繁に出張していました。そしてその際は、皆様よくご存じのように鉄路が続く限り、列車で移動。北海道だって鉄道で何度も往復しています。う〜ん、どちらが本当の目的なのか、ちょっと怪しいのですが。
でもコロナ禍以降、ごく一部の例外を除き鉄道に乗車していません。当然、深刻な「鉄分」不足に陥ったのですが、意外なことに最近ではあまり「乗りたい」と思わなくなってしまいました。残念ながら、白状せざるを得ません。何だか気力と意欲が失せてしまったのです。
愛煙家が無理なく禁煙に成功した際も、同じような話を聞きます。仕事──授業を除く──の方も同様で、今や、学会や研究会などはすべてオンライン。学内の会議だって同様です。隣室の同僚と遠隔で話し合うんですよ。信じられます?
でも、まぁ、これでも何とかなってしまうのです。特に容易に文字化できるような情報は、さほど問題なく用件を済ますことができます。もちろん遠隔が苦手とする面も。いわゆる「膝詰(ひざづめ)談判」が典型。
加えて、相手が無意識に表出するボディーランゲージなども。冬休みを挟んで受け持ちの学生と全数面談を実施しているのですが、そこでは後者が重要になります。先生によっては、すべてビジネス用チャットで済ませる強者(つわもの)もいらっしゃいます。
でもセンセイは必ず、対面で実施。以前ご紹介した本は、この面談が生み出した果実。
実は、昨日ご紹介したシェーバーの修理もこの出張(および鉄分補給)と強く関係しています。頻繁に出張する際は持ち物に拘らざるを得ません。
でもそれが(ほぼ)なくなったら、シェーバーの重さなんて...。新型コロナウイルスのオミクロン──“ο”(“ω”(オメガ「大きなオ」に対する「小さなオ」))──株の感染急拡大に伴い、今後の出張がどうなるか、予断を許しません。
そもそも、センセイの年齢や学内事情を考えたら今後、「出張」そのものが存続するかどうかすら怪しい...。でも鉄分欠乏あるいは喪失はいかがなものか。というわけで、前振りが異常に長くなりましたが、今日の写真(1枚目)。
風はまだ強かったものの、天気がかなり回復してきたため、晩のツマミを買うついでに自宅そばの越後線脇へ。東柏崎駅(旧比角(ひすみ)駅)を発ち、終点の柏崎駅へ向かう3両編成の国鉄型115系直流電車。(拡大写真(1,280×960、180KB))
「比角」は、『東鏡』にも登場する由緒ある地名なのですが...。右手の電柱がなければ真正面から...というところですが、こればっかりはどうしようもありません。現役が残り少なくなり、鉄道ファンの間で注目を集める新潟の115系。
その中でも特に、このN40編成は人気者。実はこの塗装、115系本来のものではありません。センセイが子供〜高校時代の1960〜1970年代前半、新潟県内(一部首都圏まで)の信越本線を走っていた70系直流電車の「旧新潟色」塗装なのです。
車両そのものは首都圏他で使用していたもののお下がり。それを新潟地域で運用するに当たり、雪の中でも目立つようにと考えられた塗装だそうです。センセイは非電化の越後線で通学しており、その際に利用したのはキハ10系、キハ20系やキハ25系。
稀にキハ28系などの急行用もありましたが。でも両線が接続する柏崎駅では、この「旧新潟色」を当たり前のように目にしていましたし、実際、時々乗車していました。2枚目の写真は同編成が柏崎駅に到着した際に撮影したもの。
写真には入っていませんが、同列車に乗車していた2名の撮り鉄があちこちを撮影していました。奥のホームでは、新潟行の特急「しらゆき」到着を待つ乗客が多数。少し遅めに東京へ戻る方々なのでしょう。
コロナ禍以前の状態には戻っていませんが、それでもこの年末年始は多くの帰省客を迎えました。スーパーなどはそれを暖かく迎えようとする地元の高齢者でいっぱい。昨日くらいからはほぼ平常に戻っていますが。
さすがにこれだけ多くの人が活発に動いたら、当然、新型ウイルスも拡散するはず。さて、どうなる。
■1月4日(火) 1年の計は、この失敗にあり ──最後のシェーバーが昇天してしまいました──
...残念ながら、それが事実なので。
この冬休みを利用してあちこちメンテナンスすべく、金沢のアパートや研究室から機器を持ち帰りました。メインはMac。26年前に建設された金沢のアパートはインターネットに繋がっていないので。あわせて運んだのが、写真の小型シェーバー。
すでに上蓋およびモーター部分と、充電池を含む下側の回路部分とに分解されています。実はこの件をお伝えするのは2回目。その際にもご説明したのですが西村センセイ、髯は濃くないものの皮膚が非常に弱い。状況にもよりますが、最も酷い時は7種類もの薬(!!)を塗布しています。
シェーバーも、深剃りできる強力なものは不可。そこで“National”ブランド──若い人は知らないと思う──のこのモデルをずっと買い替えてきたのですが、15〜20年くらい前に販売を終了していまいました。
回転歯を共通とする後継機種も購入しましたが、旧モデルの方が小型軽量で使いやすく、出張の際は特に便利。そこで出張の起点となることが多い金沢には新旧のモデルを置いて併用していました。残念ながら旧モデルはバッテリーがヘタってきたので、20年弱前に分解して電池を交換。
それが写真のマシンです。その後、ずっと2台で分業体制を継続してきたのですが、やはり古い方のバッテリーが弱くなってきました。他方、自宅は旧モデルだけを騙しだまし使ってきました。
されどこちらも、昨年夏に不具合が顕在化。お伝えしたように、半分ダメだろうなぁと思いながら電池を交換したのですが、やはり不具合の原因は電解コンデンサか半導体のようで、あえなく昇天。
残されたのはついに、金沢の1台のみ。しかしその最後のマシンも、いよいよおかしくなってきました。新潟のものとは違って、ひとたび起動すれば何とかなるのです。ただしそれまでが大変。スイッチ1回で作動することはまずなく、ON/OFFを数十回繰り返してやっと回転し始める状態。
酷い時は100回以上(!!)という時も。バッテリーがヘタっているのは確実。でも、それ以外に大きな不具合はないように思われます。そこで一か八か、再度のバッテリー交換に挑戦することにしました。
交換用の“Panasonic”ブランドのニッカド電池はまだ手持ちが。高熱のハンダを使うので、何が起きても周囲に影響が及ばないように準備を整え、まず本体の蓋部分を外します。何度かやった作業なので、まったく問題なし。
裏蓋側にはまった基盤その他の部品を取り出します。次に不要な部分に熱の影響を与えないように注意しながら、ハンダごてとハンダ吸い取り器を使ってバッテリーを取り外します。交換品の端子表面が酸化しているので、磨いてハンダのノリを良くし、次のステップに臨みます。
ここで思いついて、記念撮影(白状すると、嫌な予感がしたのです)。バッテリーを所定の位置に収めて、ブラス・マイナス両端子をハンダづけ。外観上の問題は見当たらないので、仮に組み立ててスイッチを入れます...が何も起こりません。
再度分解してチェックしますが、問題なし。もちろん、バッテリーの極性を間違えるなどのヘマは絶対にしていません。再度分解、組み立てて通電させますが、ウンともスンとも動かず。トルクもまったく感じません。テスターを使ってチェックしますが、問題なし。
残された可能性は、バッテリーが放電し尽くした。バッテリーをまとめて購入してから、もう、ずいぶん経ったからなぁ...というわけで、仮組みしたマシンを充電します。継続動作は無理でも、正常に機能していればすぐにわずかに充電して、ちょっとだけモーターが回転するのです。
...が、その気配なし。トルクもまったく感じません。どの部品あるいは作業が致命傷となったのかは不明です。バッテリーはまだ予備がある──見方を変えると、何に使おうか...──のですが、長い目で見た場合、約20年もの天寿を全うしたということなのでしょうから。
...合掌。
■1月3日(月) 新潟市から帰る途中、5年半ぶりにホテル「公楽園」を訪れてみました
...といっても、ホテルに宿泊したわけではありません。
昨日は新潟市まで一般道で往復すべく、正午前からほぼ連続4時間半ほど運転。走行距離は約160km。お昼時の運転なので、眠気は禁物。センセイくらいの年齢になると、(十分確認したつもりでも)運転時の確認不足と居眠り運転を起こしがち。
というわけで昨日は、出発前のお昼をごく少な目にしました。その分、帰路につく頃になると小腹が空いてきます。さて、どうしよう。コンビニその他に立ち寄ってもいい──センセイは半年くらい、コンビニを訪れていない──のですが、塩分が...。
というわけで訪れたのが、燕市(旧分水町)の国道116号線沿いにあるホテル「公楽園」。ホテルは2階部分。宿泊したことはありません。
その1階に、食べ物の自動販売機が設置されているのです。「公楽園」を訪れるのは5年半ぶり。前年夏に放送されたNHKの「ドキュメント72時間」(現在は放送へのリンク切れ)の再放送を見て、びっくりしたのです。
サーバー容量の関係で、その時の写真はサイト上から削除しているため、写真を撮り直しました。1枚目の写真は国道116号線の歩道から撮影しています。右手の看板はここ1年以内に書き換えられていました。小さくて読めませんが、ホテルは1泊2,880円。
これは以前と変わらないはず。ホテルのフロントと入口は建物1階右端で、そこに銘板が埋め込まれていました。劣化が進んでいるために読みとれない部分があるのですが、建物が建設されたのは昭和51(1976)年らしい。
50年近く経過しているということになります。管理人室以外の1階は、左半分がゲームコーナー、右半分──建物の中央部分と言うべきか──がコインスナックと飲食コーナーになっています。それぞれに入口がありますが、内部で両者を仕切るものはありません。
右側入口前の風除(ふうじょ)室で作業服姿の中高年男性と擦れ違いながら建物に入ります。ほぼ正面にデンと存在しているのが、写真の自動販売機群。左手前からカップラーメン(2台)、トースト、ペットボトル飲料、コーヒー、そして電子レンジ機能付食品販売機。
その奥は、単体の電子レンジとワンカップの自動販売機。もちろん、決して違法な飲酒ないしは酒気帯び運転を幇助(ほうじょ)するためのものではなく、電子レンジともども2階の宿泊客のためのものでしょう。
今回のお目当ては、中央のオレンジ色のヴェンディング・マシン。その上に「ハム チーズ トースト」と書かれた看板が下げられています。その通り、どちらかを挟んだトーストが短時間で加熱され、下部の取り出し口から出てくる...はずなのです。
ただし実際に使ってみるのは初めて。前回は「出勤」途中だったし、午前中早くの移動だったので、お腹は空いていませんでした。だから右側のカップ入りコーヒーを飲んだはず。
このマシン、マニアの間では相当有名らしい。実際、昨日もセンセイが入店した際、このマシンの前に遠くからやってきた家族連れと思われる4名の方が立っていらっしゃいました。3名の手にはそれぞれ銀色の物体。少しして、アルミホイルに包まれた最後のトーストが。
相当熱そう。この場で食べられるんだろうなぁと思ったら、あっさりと外へ。車の中で頂くのでしょう。改めてマシンに接近すると、「チーズ」の方は売り切れ。
価格はいずれも250円。コイン投入口に「100円玉3枚ないしは100円2枚+50円1枚に限る」との指示。ずいぶん細かいのですが、おそらくこれは機械が古いため、その後発行された500円玉などに対応できないからでしょう。
たまたま250円ちょうど所持していたため、コインを投入して「ハム」と書かれたボタンを押します。1分ほど待ち、「ゴトン」というかなり大きく鈍い音がして取り出し口に出てきたのが、先客が手にしていたのと同じ、銀色に輝く平たい物体。
でも、パンではなくアルミホイルの端をつまむだけなら、まったく問題ありません。されど開封するためにはやはり本体に触れざるを得ません。ヤケドしそうになるほどではないのですが、熱々のパンを押さえながらアルミホイルを剥がします。
「剥がす」という表現を使ったのは、写真上部にあるようにパンの一部がアルミホイルとくっついているからです。ただし作業はたいした手間ではなく、めでたく初めてのご対面。で、最初の印象は...「薄い」。写真では良くわかりませんが、パンがとても薄いのです。市販品では見たことがないと思う。これには、加熱面などの理由があるのでしょう。
決して不満を述べているわけではありません。次に気づいたのは、油っぽいこと。番組の中でも係の方が述べられていたのですが、マーガリンの油脂成分です。それがパン全体に滲み出ています。どんどん冷めそうなのでパン部全体を握って頂きます。
決して高級な味ではありませんが期待通り、それなりに美味しい。これで250円ならば、高くはないと思う。パンは意外と塩分が多く──生地を作る時に必要──今回は1g前後の食塩を摂取したはずなのですが、今回はご容赦を。当初、トーストで不十分なら右側の自動販売機にも挑戦するつもりだったのです。
でもトーストだけでかなりの満足感。他は今後の楽しみとして残します。問題は、両手にベットリと付着した油脂分。これではハンドルを握ることができません。車に戻ればアルコール入りのポケットティッシュがあるのですが、今回は備え付けの洗面台で石けんを使って油脂をきれいに流し落としました。
ここには約50年前、つまりセンセイが大学生だった頃の雰囲気がそのまま残っています。その頃は大学の近くに天ぷらうどん/そばの自動販売機を見ることができました。機械内部で湯がきをし、出汁を入れて提供するというマシンです。かつてはここにも存在したらしいのですが、今ではまったく目にすることがなくなりました。
年季の入った施設や機械をできる限りきちんとメンテナンスして長持ちさせる。最新鋭の派手な何かではありませんが、他方、そのシブさに惹き付けられるのもまた事実。
さほど儲かる商売ではないでしょうが、できるだけ長続きしていただきたいものです。ただし当地は、センセイのいわばホームグラウンド(の範囲内)。
興味はあるものの、残念ながらホテル宿泊は期待できそうにありません。
■1月2日(日) 今日も、あっという間 ──当地では珍しい好天の中、新潟まで往復しました──
実際、その通りの1日だったのです。
この年齢になるとさすがに、2日続けて年越し騒ぎというわけにはいかないので、昨晩は10時過ぎに就寝。未明に寝たり起きたりを繰り返していたのですが、今朝はここ数日と比較して、障子の外が明るい。しかも静か。
まず、昨晩の降雪は大したことがないはず。いつもの時刻に起床して外を確かめると、おぉ、雲一つない晴天。冬の当地では滅多に見られない天気です。今日の午前中は、日本の南に位置する高気圧に一時的に覆われ、当地にはその周囲を回る暖かい南西の風が吹き込んだのです。
お昼前に外出した際、市街地中心部の誰でも立ち入ることができる最も高い場所から撮影したのが写真。中央奥に位置するのは当地のシンボル、米(よね)山(992.5m)です。昨年9月、90km弱離れた富山県最東端から、ほぼ真逆に見たこれらの山々をご紹介しています。
その際の、写真左端の小島のような突起が、この写真右端の旗持山(城山)(365.9m)。自宅に戻り、こちらも早めに昼食を済ませた娘を乗せて自宅を発ちます。彼女は現在、新潟市内で働いているのですが、明後日の4日が仕事始めとのこと。
悪天候もあり、余裕を見て今日中に帰宅すべく、新潟市内まで送り届けることになったのです。二人きり、2時間弱のドライブ。途中、彼女が子供の頃出入りした沿道の施設その他の話をしたのですが、ほとんど覚えていないとのこと。
当時は3〜4歳児ですから、まぁ、当たり前。吉田(現燕市)を通過中、彼女が何かに気づいて声を上げました。センセイも右窓の外を見ます...確かに。
この時はまだ写真のような好天が続いていたのですが、右側、つまり越後平野の東側に白く冠雪した山々が日の光を浴びて輝いています。位置関係の制約があり、写真の米山は逆光に近いため、色が上手く冴えません。
でも今見ている山々は順光に近く、山々が本当に「輝いて」いるのです。南は守門岳(1537.3m)。母親の生地に近く、彼女にとっては生まれ故郷のシンボルなので、良く知っています。その北側、初めて見る高い山は、う〜ん...わからない。帰宅して確かめたところ、加茂市と三条市の境界にある粟ヶ岳(1292.6m)。
電車や自動車の車窓から散々目にしていたはずなのに、知らなかった...。分水および吉田(燕市)および新潟市内が予想以上に混雑していたため、予定より少し遅めに目的地到着。人間と荷物を降ろし、すぐに帰路に。つい先ほどさっき通った道なのですが、印象がずいぶん違います。
残念ながら西から寒冷前線が接近しており、天気が急速に悪化しているのです。粟が岳は辛うじて輝いていたものの、守門岳山頂は雲の中。そうこうするうちに寒冷前線の先駆けとなる雨が当たり始めました。それでもまぁ、大したことはなく無事帰宅。天気が悪化しないうちに、徒歩で晩のツマミ買いに出ます。
頑張った今日の総歩数は、11,000歩越え(11,184歩)。雪道で緊張する運転が続いたものの、おかげで夜の「最高血圧」の最低(移動平均の最低)は119mmHg。やれやれ。
でも今回は、あまり急がない「旅」。せっかくの機会を生かすべく...。(たぶん、続く)