2024年3月23更新(2024年3月31日ページ移動)
■3月23日(土) 夜中に、あの怒声が響いたのだろうか... ──走行中のキヤE195系に出くわしました──
現在のセンセイの生活は、ほぼパターン化。まぁ、現役時代もそうだったのですが。
午前中の作業に区切りをつけると、雨が降っていようが風雪だろうが徒歩で外へ。お昼を頂くとともに、晩酌のツマミの確保などいくつかの用を片付けます。当然、訪れるお店や場所が自然と限定されてきます。
写真は、そんな先日撮影したもの。(撮影日は異なる)立ち寄る先やルート──詳細は日によってかなり変わる──にもよりますが、お店の関係でJR信越本線の近くを歩くことが多い。しかも全体としては同じような時間に行動。でも、センセイ以上に正確なのが列車のダイヤ。
当然、センセイが見かける列車も決まってきます。踏切の警報音が鳴ると「下りのしらゆき3号が通過するな」とか、「今日は札幌発米原行の上り4060レ[貨物列車]が遅れている」という具合。
この日は、踏切の手前まで来た時に警報音が鳴り始めたのです。上りの各駅停車だと思ったのですが、ちょっと変。列車接近方向を示す表示器に上りとともに、下りの矢印マークが表示されているのです。そんな定期列車は存在しないはず。
何らかの理由で、下りの列車が大幅に遅れていのかもと思っていると...あ"っ。跨線橋の陰から、目立つ──そのように塗装されている──黄色の列車が走行してくるのが目に入りました。慌てて小型デジカメを取り出して撮影したのが写真。
そのような事情で、良い構図ではありませんが、ご容赦を。以前ご紹介したレール運搬車両キヤE195系です。走行中の姿を見るのは初めて。ディーゼル車特有の音を立てながら、目の前を軽快に駈け抜けました。
どうらや柏崎駅構内にレールを運び入れ、帰還するところらしい。2枚目の写真は、その数日後に気づいて撮影したもの。1枚目の写真は、ここから400mほど先の踏切で撮影しています。センセイは写真右側、線路沿いの農道を歩いてきたのですが...ない。
上り線(右側)の脇に半年くらい置かれたままだったレールが消えていたのです。もちろんレールを交換したため。写真ではわかりませんが、下り線(左側)と交換した上り線ではレールの錆び具合が大きく異なります。
前日は線路脇を歩いていません。でも前々日は歩いており、その時はまだ交換されていなかったのです。つまり写真を撮影した日の前の晩か、その前の晩にレールを交換したはず。
日中は旅客列車の運行があるため、交換作業は通常、夜間に行うのです。15年くらい前の夏、蒸し暑い日の夜に自宅脇のJR信越本線でレール交換作業が行われたことがあります。家人はエアコンを嫌うので、よほどのことがない限り、拙宅では夏の就寝時には窓を開放。
つまり作業音は筒抜け。その時の現場監督は、意外にも女性。彼女が拡声マイクを使って作業員にハッパをかけるのですが...正直なところ指示と言うより、怒声(どせい)。今回のレール交換区間の周囲は田圃ばかり。
それでも周囲には民家が散在しますし、防音されていないアパートはもっと多い。さらに地域の基幹病院も。交換作業そのものは必要ですし、それに伴う作業音が発生するのも当然のこと。でもさすがに、真夜中の怒声──しかも拡声器を用いて──は勘弁して欲しい。
ここではどうだったのだろう...。
■3月22日(金) 仕組みが、少しずつわかってきました ──西村センセイ、福祉用品の店を訪れる──
朝、目を覚ますと窓の外で「ボゾッ!!」...マズい。
これは2階の屋根に積もった雪が滑り落ちて、1階の屋根の上に落ちた時の音。つまり明け方、それなりの雪が積もったに違いありません。カーテンの隙間から外を見てみると、おぉ、昨日よりも積もっています。
困ったことになりました。実は、13kmほど離れた実家へ行くことになっています。しかも、いつもの両親の食料確保に加えて、今日はちょっと特別な用が。二人を写真の介護福祉用品レンタルの店へ連れて行くことにしているのです。
もともとは、1週間ほど前の天気予報をもとに組んだスケジュール。ところがその後、天気がどんどん悪い方へ傾いたので、今朝迎えに行くはずだった予定を午後へ変更しているのです。すでに夏用タイヤに換装済なので、もし道路上に雪が積もっていたら運転不可。
ただし正直なところ昨日の様子からして、お昼までには何とかなりそう。9時過ぎに母親から電話があり、実家付近の状況を確認すると何と、積雪は10cm程度(!!)もあるとのこと。でも母親は車を運転しないので、道路の詳細な状況は不明のまま。
ここは安全を優先させて日程を順延させ、明日お店を訪れることにしました。でも明日は土曜日。詳細な情報をもらっていなかったので、お昼に外へ出たついでにお店を尋ねてみるとやはり、土日は休業とのこと。
しかも、本来の目的であるレンタル用品については、市内の別な拠点の方が適切だろうとの助言を頂きました。お礼を述べてひとまず帰宅し、再度調整した結果、やはり今日中にお店を訪問することに。大丈夫かなぁーと心配しながら車を出します。
当初の予定より遅くなったこともあり、道路はほぼ乾いており、運転に支障はありませんでした。やはり「雪の果ては涅槃まで」。つまり最後の雪は旧暦の2月15日(≒春分の日)前後という言葉の通り、大地はずいぶん暖まっているんですね。
ただし油断は厳禁。両親を乗せ、十分注意して、教えていただいた別な拠点へ向かいます。
母親の「(介護用の)ベッドを借りることになったから」との言葉で訪れたはずが父親、「まだベッドはいらない」。オイオイ。それはともかく、必要な介護福祉用品を見立てて、今後のスケジュールを確認。
具体的には、次は実家でケアマネージャーさん(介護支援専門員)とともに、物品の借用を確定させることに。西村センセイ、介護福祉用品の店を訪れたのは初めてでしたが、高齢者福祉の仕組みが少しずつわかってきました。たとえばケアマネージャーという公的な存在と、営利目的の企業との関係など。
決して批判ではないので、誤解なきよう。ちなみに今回訪れた地元の「ケンブリッジ」という会社、“Cambridge”ではなく、“Ken-bridge”(URLおよび会社のロゴからわかる)。海岸沿いの幹線道路沿いにあるお店。しかも時々訪れるスーパーの近くにあります。
以前から認識しており、ずっと気になっていたのです。なお、名称の由来は不明です。
■3月21日(木) まさかこの雪でスリップしたというわけでは... ──入口が、「事故」で開かない!?
──
予定を変更してセンセイが今日、出くわしたものを。
今朝の当地は、妙に静か。嫌な予感がしてカーテンの隙間から外を見ると、おぉ、最大積雪3cmとの予報通り、雪で真っ白になっています。雪国の静かな夜はかえって、雪が積もる可能性があるのです。
屋根や庭の積雪は数cm。道路はそれより少ないものの、1cm程度積もっています。こうなるともう、ノーマルタイヤでの走行は非常に危険。というより、ほぼ自殺行為。
特に、いざという時にスリップしたり、ハンドルが効かずに道路外に逸走したり。数日前までは、お寺を訪れた昨日の方が雪が積もりそうとのことだったのです。それがどんどん後の方へ。わずか1日違いですが、個人的にはとても助かりました。
やはり来年はいつも通り、4月中旬にタイヤを交換することにしよう。写真は9時頃、車庫へ行った際に撮影したもの。屋根や枝に積もった雪は落ち、石の上などに積もった雪はほとんど融けてしまっています。
ちなみに能登の被災地は、当地以上に雪が積もったようです。相当寒かったはず。午前中は引き続き雪と風が。それでも11時頃に降り止んだので、徒歩で外出しました。いくつかの用を済ませて駅南側から、今日は地下道を通って北側へ。
再び横殴りの雪になってきたのですが、駅前通はアーケードがあるので、それを利用して何とか乗り切ります。柏崎郵便局(写真の右側)の隣、「新野(あらの)屋」菓子店を通り過ぎようとした時、あれっ?!
まず目に入ったのは、シャッターに張られた大きな「営業中」の文字。それならわざわざ、張り紙をするだろうか。状況を改めて確認すると、店内には照明。
不思議に思って、張り紙を読み直します。すると、「事故のため [右奥の]事務所入口へ おまわりください」とのこと。シャッターの故障なら理解できますが、それなら「事故」という表現は使わないはず。
仮に事故だとすると今度は、それに伴うはずの損傷等が見当たらない...。不思議に感じたので帰宅後に調べてみると、おぉ、やはり交通事故。新野屋の“Facebook”によると今朝、このシャッターに自動車が突っこんだのだそうです。
どう見ても損傷は見当たらないのですが、たとえば電動式の駆動部分が損傷するなどしたのかも。ただし現場は、自動車が突っこむ場所とはなかなか考えにくい場所。考えられる可能性は、この付近がT字路が続く構造になっていること。
シャッターの正面には、西側へ道路が延びています。つまり西方向から来た車が今朝の雪でスリップし、お店のシャッターに突っこんだ?
現場を知る人間としてはそれでもやはり、ちょっと考えにくい事故。ブレーキの跡も見当たらないし...。
■3月20日(水:祝日) ゆっくりとですが、「季節」は確実に進んでいます ──菩提寺を訪れました──
今日は春分の日。
仏教徒的には「彼岸の中日(ちゅうにち)」。というわけで、菩提寺で開かれた「彼岸会(ひがんえ)・涅槃会(ねはんえ)」に西村家を代表して参加させていただきました。写真は法要開始の30分くらい前に撮影した本堂内の様子。
1時間半前から受付を始めたのですが、すでに多くの壇信徒の方々が集まっていらっしゃいます。そもそも「彼岸」とは、春分・秋分の日は太陽がほぼ東から昇り西に沈む──天文学的には春分点、秋分点を通過するその瞬間のみ──ため、極楽浄土があると考えられた西方を指し示すと考えられたことによるもの。
日本独自のものです。ここでの「涅槃」は、お釈迦様が入滅したとされる──実際は不明──旧暦の2月15日を指します。ただし菩提寺を含めて、両者を合わせて行うケースも。
西村センセイ、「彼岸会」には割と出席しているつもりだったのです。でも改めて考えてみると、金沢工大へ移籍してからは足が遠のいており、どうやら15、6年ほど欠席が続いているらしい。というわけで反省の意味も込めて、今回、出席させていただきました。
高齢の両親の参加が難しくなっていることもあります。いわば代替わり。その言葉は使わなかったのですが、母親にお寺へ行く旨を伝えたところ、これを機会に──当然のこと──とばかり、あれこれとアドヴァイスが。ま、いいんです。
そもそも、そのために早く退職したようなものなので。最大の心配は今日の天気。「寒の戻り」で、事前の見込みより天気が悪化しています。でもお伝えしたようにセンセイは、例年より1ヶ月も早く夏用タイヤに交換済。
ほんの少しでも積雪があったら走行は不能。(ノーマルタイヤでの雪道走行は自殺行為)適当な路線バスや列車がなかったので、その場合は早いバスに乗って刈羽(かりわ)駅付近で下車し、そこから菩提寺まで2kmほど歩くことに。この時は追い風です。残念ながら帰りは、公共交通手段がまったく存在しない。
しかたないので向かい風の中、自宅までの約10kmを歩く覚悟。倖い、今日は雪が舞う程度だったので、「プランB」を実行することはありませんでした。
お寺に着くと外観を、そして本堂で着席してからは中の様子を確認させていただいたのですが、頂戴した案内状にあった通り、能登半島地震によるものと思われる顕著な被害は確認できませんでした。
でも、よぉーく見ると、本当に立派な本堂のあちこちが少し歪んでいます。これは今回の地震というより、新潟県中越地震および新潟県中越沖地震によるもののはず...などと考えているうちに、約1時間の法要が始まりました。お説教に続いて、「団子まき(撒き)」が。
ただしコロナ禍の影響でしょう、実際には撒かずに、袋入りのものを手渡しで頂きましたが。この「団子まき」、センセイには一切記憶がありません。
いろいろ考えたのですが、「・・・割と出席しているつもり・・・」ではあるものの、たぶんセンセイ(一家)が参加していたのは秋の法要だけだったのでしょう。今日のように境内にまだ雪が残り、本堂が寒かったという記憶もない。
方丈(ほうじょう)様によると、かつてはお寺で団子を作っていたものの、現在は菓子屋さんにお願いしているとのこと。帰りの車中で、運転士ながらその「団子」を頂きました。直径は2cm弱で、少し着色されているものが1/5くらい。そして朱鷺と兎が描かれた団子が、袋に1個ずつ入っていました。プレーンな団子──というより餅──で、砂糖のような甘さはありません。
明後日に実家へ行くので、お寺へ行った証拠も兼ねて少しお裾分けしようと思っています。天気も人生も、季節は少しずつ進んでいます。
確実に。
■3月19日(火) 地震で使えなくなったエレベーターの修繕かと思ったら、こんなところにも「春」が...
予定を変更して、見たままのお話を。
今日は朝から仕事の準備をしていたのですが、開始30分ほどでインターネットが正常に機能しなくなりました。仕事先その他には接続不可。一部のサイトには繋がるので相手先の問題かと考えて、しばらく放置。
仕事にならないので、自動車でビールを買って戻ってきても接続不可。おかしい。結局、ONU(光回線終端装置)およびルータを強制的に再起動したところ、正常に稼働するように。う〜ん、今までこんなことなかったのに...。
というわけで、いつもより遅くなったものの昼食を含めたいくつかの用を済ませるべく、徒歩で外出。当地は雪との予報だったのです。
でもご覧のように日中は風が強かったものの、比較的良い天気。センセイの徒歩での行動範囲は自宅を中心にして、近くのJR信越本線を挟んだ南北に分かれています。南側での用を済ませてから、拙宅がある北側へ移動。
数本の経路があるのですが、今日は跨線橋を渡ることに。駅近くにあるこの跨線橋、実は能登半島地震で被災。構造的には写真の跨線橋部分および階段と、交通弱者のためのエレベーター棟が南北に1棟ずつの、計3棟。
地震で、まず周囲の地盤が大きく沈下。最初はそれだけかと思ったのですが、何故かエレベーターが使用停止に。よく見ると、それぞれの棟が少しずれており、隙間が発生しています。
エレベーター装置にも問題が発生しているのかもしれませんが、素人にはわかりません。ホームセンターの角を曲がり、その跨線橋が見えるようになったのですが、何だか変。まず気づいたのは何かの機械が稼働する音。可搬型の発電機のような音です。よく見ると、跨線橋の下にそれと思(おぼ)しき車が。
しかもそこから垂直に太い管が跨線橋まで延びています。エレベーターを修理するために電力を供給しているのかと思いながら、跨線橋の階段を登り始めたところ、不意に女性の作業員に制止されました。工事作業中なので立ち入らないように...という意味?
でも、そんな看板はなかったぞ。良く聞くと制止ではなく、清掃作業中で滑りやすいため、気をつけて歩いてくださいとのこと。長い階段の上にも作業員が。上り切ったところで撮影したのが写真。ご覧のようにここでも清掃作業を実施中。
しかも大型の掃除機を用いて、です。掃除機は回転式のブラシで床を磨くとともに、どうやらゴミを吸引しているらしい。青く太いパイプは、それを先ほど見た車へ排出するためものだったのですね。このような装置、初めて見ました。
作業員は計7名。(+写真右側他の市職員2名)元勤務先の金沢工大では年に2回、業者による大規模な清掃作業を実施していました。でも柏崎市の場合はきっと、春のこの1回だけなんだろうと思う。だから考えようによっては、建物にも「春」が来たということ。
珍しい場面を見せていただきました。ちなみに当地は、明日から冬の天気に戻ります。夏用タイヤへ交換したのに、明日はちょっと遠出をする必要が...。
続報があるかどうか、わかりません。
■3月18日(月) 列車と沿線の風景は、人生を運んでいる ──「18キッパー」の季節がやって来た──
時間的には昨日までのお話の続き。ただし内容は別です。
お伝えしたように、新潟市を含めた先週末の移動は鉄分補給を兼ねています。初日は自動車を預けてから信越本線で新潟駅へ。そこで越後線に乗り換えて、娘夫婦が暮らす新潟市西区へ向かいました。
高架化された新潟駅から地上区間へ降りるとすぐに、工事区間が見えてきます。新潟駅の西隣に「上所(かみところ)駅」を建設中なのです。漠然と、今回のダイヤ改正に間に合わせるのかと思ったら、まだ下りホーム鉄骨の組み立て作業中でした。列車は右へ大きくカーブして信濃川を渡り、白山駅へ。
センセイは学部学生時代の6年間、この駅の近くに居住。駅は当時とずいぶん変わっています。隣の関屋駅を出発すると、進行方向右側(=北側)に注目。1972年に通水した関屋分水(左側)を渡るのです。当然、「それがどうした」と思われるはず。
紀行作家である故宮脇俊三の「国鉄全線大集会」(『時刻表ひとり旅』(講談社現代新書)所収)の中に、擬人化された越後線が登場します。その越後線が、同じく擬人化された当時の国鉄松浦線(現松浦鉄道)に「越後[線]さんの窓から海が見えるところ、一個所でもありましたかな」と皮肉を言われる場面があります。
海岸の割と近くを走っているのに...というわけです。でも実は、ほんの少しではあるものの、この関屋分水右岸付近では日本海が見えるのです。写真奥の構造物は新潟大堰。そのさらに向こうに青い帯状のものが見えます。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
これが日本海。この日は薄曇りだったので少し不明瞭ですが、条件が良い日ははっきりとわかります。宮脇氏は少なくとも1978年11月26日の午後にここを通過。(『最長片道切符の旅』第18日)
ただし氏は当然、それ以前にも越後線に乗車しているはず。その時はまだ関屋分水が存在していなかったため「海は見えない」と記憶したものと推測されます。78年の通過時は、新しい分水の存在に気づかなかったのかもしれません。
なお、この件が氏の著作の評価に何ら影響を与えるわけではありませんので、念のため。2日目は午前中の電車でひとまず西方へ向かい1月同様、「サンレパス ルート8」で早めのお昼を頂きます。残念ながら今回は、自動車を受け取るため、すぐに折り返して長岡駅へ。往路、浦本駅へ向かう際に気づいたことがあります。
有間川駅駅舎の西側、写真の見慣れぬ構造物が出現していたのです。不意打ちを喰らった感じ。よく見ると椅子も配置されています。旗には「CAFE」の文字が。ただしその時は無人でした。写真は帰りの車内から撮影したもの。
帰宅後に調べてみると、これは“cafe R8”(インスタグラム)らしい。列車を運行する「トキ鉄」鳥塚亮社長のブログでも紹介(こちらとこちら)されています。そしてもう一つ。
初日にも気づいたのですが、ふだんより乗客が多い。もちろん春休みを利用して近くへ行くティーンエージャーが中心。でも明らかに「青春18きっぷ」利用者(「(青春)18キッパー」)も。
無駄な動きが多いので、慣れてくると一目でわかります。言い換えると、脇が甘い。(冗談抜きで、ちょっと危険)こちらも若者が中心ですが、最近は高齢者や女性も増加しています。センセイには不思議に思えるのですが、高齢者は窓の外には関心がない。
風景を見なければいけない、というつもりはないのですが、持参した地図に何かを書き込んだり、目を閉じていたり。移動日程が強行軍で、ついウトウト...というのならよくわかりますが、どうもそうではなさそうです。どうしても「乗り潰す」ことだけが目的のように...。
2日目、直江津駅からキャリーバッグを引いた70歳くらいの女性が乗車してきました。どうやら海に関心があるらしく、乗客に「海は...」と尋ねています。後から考えると「日本海はどちら側に見えるのか」という意味だったようです。
ボックス席に後ろ向きに着席されたのですが、バッグにはA4サイズのラミネート処理された紙が。手書きで「函館シーグラスの店 (函館)シーグラスギャラリー」とあります。今月1日から「青春18きっぷ」を使って海岸沿いを単身で移動していらっしゃるようです。紙の下部には「傷心旅行」と記されています。
たぶんこちらのお店のオーナーなのだろうと推測されますが、なぜお一人?(カップルでなければならない、という意味ではありません)そして、なぜ傷心?
列車は、沿線の風景とともに、それぞれの人生を運んでいきます。
■3月17日(日) 「らーめん家 コトブキ」は当面の間、休業継続 ──垂直と水平が揺らいだ世界──
新潟市西区の被災地を歩いて感じたのは、長くいると気分がおかしくなってくる、ということ。
誤解されると困るのですが決して、被災現場を見たくないなどいった情緒的なことを言っているのではありません。現実に、感覚が徐々におかしくなってきて、続いて気持ちが悪くなってくるのです。
その理由ははっきりしています。目に入ってくるものの大半が、少しずつ傾いているから。
お伝えしたここ数日の写真をよくご覧いただくと、建物などの垂直あるいは水平が、必ずしも正しくないことに気づかれると思います。歩いているだけで、この状況。
家屋の傾き、実はそこで居住する人にとって重大な問題なのです。拙宅も新潟県中越沖地震でわずかに傾いたのですが、測定していただくと許容範囲内。実際、それによる健康被害その他は発生していませんし、傾きについては修繕していません。
ただしある程度以上の傾きになると今回のセンセイのように、気分を害したりめまいを起こしたりするそうです。さらに傾きが増すと、「ドアが勝手に開く」あるいは「閉まらない/開かない」など物理的な支障も。こうなるともう、修繕するなどの対策を取るしかありません。
1枚目の写真は今回歩いた地区にあるラーメン店「コトブキ」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))ゴマラーメンが看板の有名店。この地域に住んでいた時はよく立ち寄っていました。ただしセンセイが頂いていたのは五目うま煮ラーメンでしたが。
で、「コトブキ」、現在はお店を閉じて、何かの工事中。玄関には内側から、「当面の間 お休みさせていただきます」と記された張り紙が。説明するまでもなく、今回の地震で店舗が被害を受けてしまったのです。
デジカメを構えたのですが...何を基準に撮影すべきか、わからない。ホントに。「コトブキ」は新潟西郵便局同様、砂丘を下りきった場所つまり今回の地震で被害が集中した地域にあります。ここでは背後の住宅を基準にして撮影。
どうやら建物全体、特に人気が出て増築した手前部分が右手前に向かって少し傾いているような...。なお右後方の排気筒はほぼ垂直です。また駐車場(工事用車両が止まる右側は拡幅部分)は、かつての境界線(中央)を除いて沈下しています。
目を反対側に向けると、旧国道116号線沿いにはお店が連なるものの、その背後には住宅街が広がります。写真(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))はそこで撮影したものですが、1枚目同様、何を基準に撮影すべきかがわからない...。ひとまず中央奥、ベージュ系の外壁のお宅を基準に撮影。
ご覧のように程度はともかく、ほとんどの構造物が傾いてしまっています。波打って「グチャグチャ」になった道路に対して、全体的には左右に広がるような形での沈み込み。特に左側手前、屋根だけが見えるカーポート部分の底面は、激しく沈んでいます。
電柱も傾くだけでなく、沈んでしまっています。それぞれのお宅の塀も、見るも無惨な姿。困ったことに、もしかするとこの道路は「私道」の可能性が。この場所を含む坂井輪(さかいわ)地域は私道が多いのです。
この場合、修繕のためには権利者つまり住民の合意が必要なので、復旧までにさらに時間を要することになります。センセイが今回歩いた中で、被害をすべて集約させたような場面が右の写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
南西方向を向いて撮影しており、写真右端が旧国道116号線。砂丘は右側に広がっています。写真の左側が薬局で、右側は理髪店。駐車場の地面が割れています。
でも実は、単に「地面が割れた」だけではないのです。いずれの建物も左後方(=低い側)へ、建物全体が流されている(側方流動)のです。その距離は1m強。実際にその場に立つと一瞬、目の前の現実を受け入れるべきか迷ってしまうほど。
不思議なのが、周囲の建物。旧国道116号線全体が側方流動の影響を受けたようで、特に南側(=写真では左後方)へ力が掛かったため、低い方(=南側)の側溝やそのグレーチングが圧縮されて盛り上がったり、破壊されたりしています。
ただし周囲のお宅は、この2軒のように顕著な被害を受けていない...。でも、これが事実。(キッパリ)
上下水道の地下配管が破壊されたため、薬局は完全に閉店したようですが理髪店は仮配管で何とか営業に漕ぎ着けています。たまたまこの日はお休みでしたが、ご主人の熱意と努力に心より敬意を表します。
離れていなかった──拙宅から約75km──ら、毎月ここで散髪しますと約束してしまいそう。すでにご理解いただいているように、ここ数日ご覧いただいた写真の背後には、仕事や日々の暮らしといった人々のリアルな生活があります。仕事を再開するにせよ、年金生活者が傾いた家を直すにせよ、いずれも「重い」。
もちろん能登の被災地の状況は、これ以上に違いないのです。