2024年1月6更新(2024年1月14日ページ移動)
■1月6日(土) タフになったのか、「冷たい」のか... ──日中の血圧が低値で安定しています──
残念ながら今日は、下り坂との天気予報。
それでもお昼に天気が一時的に回復した──ただし、ちょっとだけ──ので、徒歩で1時間半ほど外出しました。帰宅後、いつものように血圧を測定。初回の「最高」(「収縮期血圧」)はいきなり106mmHg。
十分低い。最初は不安定かつ高い傾向があるので測定を続けると、どんどん低下。「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は2週間前と同じ95mmHg。個別の最低は91mmHgで、半数以上の測定値が100mmHg未満でした。
稀なケースが連続したとは考えにくい。右図は全体のデータ。(拡大グラフ(別ウィンドウ、1280×919)。なおデータは同一だが、線の太さが異なる)
退職後はめでたく血圧が低下。特に酷暑だった夏は低い値が目立ちました。また朝より日中の方が高くなる傾向があり、これは現在も継続中。
ただし、このところ変動幅が大きい。不安定だというのではなく、基本的には低く安定しているものの、何かストレスがかかる事象が起こると血圧が上昇し、それが一定期間継続。
縮小した右のグラフでもわかりますが、右端に大きな突出が。お伝えしたように、これは退職記念北海道ツアーと甥の頓死(とんし)に伴うものでしょう。しかたない。
拡大グラフでないとわかりませんが、その後も今年に入ってからかなり変動(ただし正常値の範囲内)。もちろん能登半島地震に伴うもの。
地震直後は当地もかなり揺れて対応に追われたし、その後は現地の状況に気が沈みがち。でもグラフを良く見ると、地震発生から3日が経過した一昨日の日中には「平均」が100mmHgまで低下しています。一時的なものかもしれないと考えたため、伝えしていませんでした。
されど翌日、つまり昨日も日中は104mmHg。朝も110mmHg程度を安定的に継続しています。(自分自身も体験した)こんなに酷い災害なのに、身体の方は勝手に(?)立ち直っている?
数々の修羅場をくぐり抜けてタフになったのか、それとも単に、センセイが「冷たい」だけなのか...。
う〜ん。
■1月5日(金) 入口ドア付近が歪み、エレベーターは使用不可 ──当地の被害が徐々に明らかに──
偉そうなことを言っても、まず改めるべきはセンセイの認識だったのかも。
例によってお昼に外出したのですが、駅前を歩いているとコンクリートを砕く工事の音が。ブルボン本社ビルの陰だったので現場は見えなかったのですが、おそらく能登半島地震による被害の修復中。
あれだけ揺れたのですから当地とて、無傷というわけにはいかない。昨日も歩いている時、東京電力社員寮の前に左官の車が2台。職人さんは車内でお食事中。工事の時期ではないので変だなぁと思ったら、寮の入口に工具が。歩道に敷き詰めたコンクリート製ブロックが縁石とともに地震で崩れたのです。
でも段差同様、この種の被害は地震の際に割と発生するもの。それに今回は、どう見ても新潟県中越沖地震の時ほどではありません。あの時は地割れや大きな段差に加えて、市内いたる場所で歩道のブロックが崩れていたのです。今日出くわした工事も...と思ってそのまま歩きました。
駅を通り過ぎ、道を曲がろうとして、あれっ?!道路反対側のホテル前でも工事中。ホテルは写真の新棟と右側の旧棟から構成されているのですが、その繋ぎ目の部分で作業をしていらっしゃいます。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
現場を一瞥(いちべつ)して、「あぁ、同種の工事だなぁ。やっぱり被害を受けたんだ」程度の認識だったのです。え"っ...?!
でも良く見ると、中央奥、フロント前の自動ドア付近でも作業中。変だなぁと思って目を凝らすと、何と、エンジンカッターを使って切断作業中。
そもそもですが自動ドア付近の左側が沈み、歪(ゆが/ひず)んでいます。左右のビル本体──基礎はしっかりしているはず──の被害は不明ですが、少なくとも両棟の沈み方が相違したため、「渡り部分」が大きく損傷してしまったようです。
こうなるともう、通常の営業は不可能。帰宅後に調べてみると、このホテルについては「営業範囲を縮小し・・・当面の間、新規予約を中止」とのこと。もしかするとホテル棟本体、あるいは水回り関係などに被害が発生しているのかもしれません。
柏崎駅前には、ホテルが3社。調べてみると、隣のホテルも営業休止または自粛の可能性についても言及しています。センセイの認識は少し甘かったなぁーと思いながら歩いていると、駅近くの跨線橋周辺にカラーコーンが。
もちろん立入禁止。近づいてみると、先日ご紹介した跨線橋での通行止め、そしてホテル同様、基礎がしっかりとした歩道橋に対して、周囲が30cmくらい沈み込んでいます。液状化現象の一種でしょう。なお、歩道橋そのものは通行可能。
ただし回り込んでみると、自転車および歩行者用に設置されているエレベーターは使用禁止。エレベーター入口周囲に段差が発生しているためか、エレベーター本体に問題が発生している──強く揺れたので、その可能性は否定できない──のかは不明です。されどいずれにせよ、センセイの認識不足は否めない。
反省。救援が進みつつも、まだ完全に孤立している地域が残されています。全体の状況を考えると、今日あたりが最も厳しい状況のはず。残念ながら、ここからできることは限られていますが、多くの人々が被災地に思いを寄せています。
本当に。
■1月4日(木) 現時点で、被災地近隣を除く地域の人間にできること、あるいは為すべきこととは...
夕方、入浴の最後に湯船につかっていると、微かに初期微動(P波)が。
お風呂から上がろうとした、まさにそのタイミングだったのですが間もなく到達する横揺れ(S波)がどの程度かわかりません。腹を括って湯船に深く沈みます。ほぼ同時に建物が揺れ始めました。
ただし、建物がきしむような音はしない。湯船のお湯が、左右にやや大きく揺れます。地震の時はこの現象のもっと酷くしたものが2階のトイレで発生していたわけですねぇ。なお後から記録を確かめたところ、これでも当地の震度は1。
写真は先日お伝えした拙宅1階の壁紙の破損。(一部)施工時の軽微な不良を除くと、拙宅の壁紙に皺(しわ)は発生していませんでした。壁紙の皺に最初に気づいたのは2007年の新潟県中越沖地震。
脱衣所の北東の壁に、それまで存在していなかった皺が発生していました。(皺は今回の地震で、さらに拡大)写真は玄関の南東方向。左が下部で、右側が上部。ほぼ同縮尺ですが、距離等を厳密に管理しているわけではないので、あくまでも目安に留めてください。(差異を強調するため画像を少し強調しています)
上下ともに皺が発生していますが、上部の方がより多くずれており、壁紙の一部には微かな破れも発生しています。縮小しているため、この写真ではわかりませんが、下部には小さな破片が。施主様としては悲しい現実ですが、よく考えてみれば、この皺が建物と内部の人間その他を護ってくれたようなもの。
感謝すべき。地震発生直後から感じていたことですが、元日だったということもあってか当初、現地の被災状況に関する認識はそれほど高くなかったように感じています。
各局が被災地の映像を放送するようになってからも、です。ただし一夜が明け、近隣の県を含む状況を映像が伝えるようになってから、反応が一変したというのが実感。当方宛の連絡を含めてです。(ただし状況を察していたが故に、連絡を控えていた方──深謝──も多い)
ただし株価を含めて、その後の反応はやや過剰あるいは感情的という印象を持っています。さて現時点で、被災地近隣および特殊な技能を持った方以外に、何ができるのでしょうか。
言い換えると、何を為すべきか。
非常に冷酷だとお感じになるかもしれませんが、センセイの答は「できるだけいつも通りに生活し、社会の正常な運営にそれぞれの立場で寄与すること」。もちろん後日のボランティア活動や被災地への募金等については十分検討すべき。
でも今、被災地以外の人間にできることは限られています。(というか、ほぼ、ない)どうでしょう。
■1月3日(水) 震央分布図は語る ──能登半島地震は、かなり特異なタイプの地震だったようです──
能登半島地震が発生してから丸2日が経過。残念ながら、被災地の状況が深刻さを増していることはほぼ確実です。
まず、昨日の補足から。
センセイが自宅から金沢へ移動する際に利用していた経路の被害が明らかになってきました。まず新潟県上越市内茶屋ヶ原の様子(写真は高田河川国道事務所提供)から。大型ダンプ26,000台分もの土砂が崩れ落ちたそうです。
なお崖(海岸段丘崖(がい))の上(海岸段丘面)を、北陸自動車道名立谷浜I.C.と国道8号線を結ぶ道路が左右に走っています。センセイも混雑する上越市内(直江津地区)を迂回する際に使ったことがあります。この道路を利用することで、土砂崩れ現場を迂回することが可能(復旧まで無料で通行可)。続いて富山県西部(石川県との県境近く)の国道359号線の崩落現場の様子がこちら。
概ね西側を向いての撮影ですが、ここは右側(=北)からの谷筋を埋めた場所。右に旧道(現在は閉鎖)は見えており、写真左奥へ繋がっていました。通るたび、ちょっと無理な構造じゃないかなぁーと思っていたのですが、実は50年前にもこの場所が崩れたとのこと。今回初めて知りました。
なお、小型車が崩落に巻き込まれて谷底に落下していますが、倖い、運転手は自力で脱出して無事とのこと。そしてもう一つ、追加の情報を。
前の写真、左奥の内山峠を越えた先、金沢市今泉町でも大規模な道路崩落が発生しています。ニュースでは目にしており、場所は特定していたのですが、写真は初めて。ここも、もともとあった細い道路を、かなり強引に拡幅した場所です。
震源地から少し離れた新潟市の状況についても、補足と追加を。娘夫婦は、市内西部にある鉄筋コンクリート製中古マンションに住んでいるのですが、彼女らの建物に傾きなどの、目立った被害は確認できないとのこと。既報の液晶テレビおよびバイクの他には、落ちてきた皿と丼が割れた程度だそうです。
ただし「家の前の道路はぐちゃぐちゃ」らしい。液状化現象で道路が不規則に波打っているようです。そして「斜向かいの(木造)アパートは(建物全体が)傾いている」。おぉ。やはり液状化によるもので、たぶん全壊。
ニュース映像を見る限り、西部地区を中心に同様の事例が多数発生しているようです。彼女らのマンションは海岸沿いの砂丘と内側(=南側)の、かつて沼地だった場所の境界にあります。このような場所では、液状化現象が発生しやすいことが知られています。
砂丘は、別な意味で危険。(センセイはそこに、6年間住んでいた)砂丘は、要するに砂が盛り上がったものなので、地震の揺れで簡単に崩れてしまいます。実際、今回も付近の砂丘中腹を走行するJR越後線で、道床の一部が陥没。
現在24時間態勢で復旧作業中ですが、運転再開は6日の見込みとのこと。砂丘中腹にある中学校──センセイが教育実習を受けた学校──も甚大な被害を受け、砂丘の一部地区には避難指示が出ているそうです。
ここで見方を少し変えてみます。今回、当地で感じている地震の特徴は、揺れの大きさに加えて余震が多発していること。感覚的には1日の地震発生以降、ずっと揺れているという感じ。
特に初日は酷かった。本当は揺れていない時であっても、「もしかすると...」と照明器具の揺れを確認するほど。イメージ的にはフェリーでの揺れが、下船後もずっと続いているような感じ。そのためか1日以降、血圧はずっと高め。
ストレスを感じているからでしょうが、正常値の範囲内なので、ご安心を。いろいろ調べてみると、今回の能登半島地震がかなり特異なタイプのものであることがわかってきました。1枚目の図は地震調査研究推進本部地震調査委員会による資料からの抜粋。
地震発生翌日付のものなので、速報版と理解すべきでしょう。図は上部にあるタイトル通り、地震の震央分布図。この図だけはなかなか理解できないので右の、新潟県中越沖地震の震央分布図(新潟県の資料(抜粋))と比べてみてください。
実は、スケールがかなり違います。中越沖地震の震央が長軸で約35kmの範囲内に収まっているのに対して、今回の能登半島地震の震央は120〜150kmもの長さで分布しています。
何と中越沖地震の約4倍、そして富山県の東西幅を明らかに越える長さ。そしてお気づきかどうか、能登半島中部から東側で地震が発生した場合、実は、当地をふくめた新潟県中部および西部はすぐ目の前。当地が激しく揺れるわけだ。
地震の記録を調べると当たり前ですが、やはり震源地が近いと当地もより大きく揺れています。現在、徐々に伝えられつつある情報によると今回、能登半島およびその沖に存在する断層(少なくとも3個)が連鎖的に次々と破壊されたようだとのこと。
余震数はあの阪神淡路大震災の数倍だそうです。このような地震の場合、余震が多数発生し、しかも長引く傾向があるとのこと。そりゃ、そうでしょう。今回は、こちらも腹を括って対応する必要があるようです。
そして何より、(少々飛躍するようですが)被災地の状況が本当に心配です。
■1月2日(火) 状況確認のため、実家まで往復。地震による当地の被害状況が徐々に判明してきました
昨日の続き。
地震発生直後に自宅内外および周囲をこの目で確認し、関係者と連絡を取りました。すでにお伝えしたように大きな被害は確認されなかったのですが、やはり皆無というわけにはいきません。
2階建家屋の場合、歪みは1階に強くかかります。そのため1階の部屋の角の壁紙の、新潟県中越沖地震で入っていた皺(しわ)がさらに深くなっていました。内部は傷みが進行しているはず。
なお、昨日お伝えし忘れたことも。地震発生後に2階のトイレに入ったところ、便器の脇に水が数滴。大きく、そして長く揺れたので便器に溜められていた水が揺さぶられて、一部の水が蓋の隙間からこぼれ出たのでしょう。
それでも拙宅およびその周辺は被害が極めて少ない方。今朝、改めて自宅の周囲を確認したのですが、新潟県中越沖地震では基礎の一部が割れた基礎──その後、シリコンで修理──が、今回は無傷。
同様に、床を補助的に支える「ツカ」も、緩んでいません。今朝、母親から電話で救援要請が。昨晩は問題なく使えたガスが、今朝になったら出ないというのです。保安装置が作動した可能性が高いのですが、それならなぜ地震後にガスを使用できたのだろう。
それはともかく状況を確認するため、朝のうちに実家へ。途中、道路や周囲の状況を観察していたのですが、往路については目立った被害は確認できませんでした。ただし、例えば車道と縁石の境界に小石やアスファルトの塊が転がっていたりします。
明らかに新しいものなので、地震によるものでしょう。実家付近の北陸自動車道が不通になっている(現在は解除)ため、その区間のみ幹線道路を走る車が多かったのですが、それ以外は車も少ない。
車を止めると、まず近くの墓地へ。墓石は倒れていないようだと聞いていたのですが、念のために確認します。連絡通り、墓地内のどの墓石も無事でした。次に隣接する畑へ。
2カ所とも問題はなかったのですが、畑の上の用水路に木が2本倒れ込んでいました。(1枚目の写真)雨や雪によるもの──影響は否定できない──かと考えたのですが、根の下から崩れています。つまり土砂崩れ。その場所を良く見ると崩れたばかり。
やはり直接的には今回の地震によるもののようです。実家へ入って全体の状況を確認した後、ガスメーターへ。点滅していたので指示通りにリセットボタンを押します。ガス漏れ確認のため3分待つ必要があるので、その間、実家の周囲を確認。
実家は、玄関の壁がごく一部崩れた程度でしたが、蔵(土蔵)の漆喰が一部剥がれていました。予想外だったのは、倉庫に入れていた甥の中型バイクが倒れていなかったこと。実は、地震で液状化が起きた地域に住む娘から婿殿のバイクが倒れ、少し損傷したと聞いていたのです。
実家の灯籠2基も無事でした。実家は拙宅より揺れが小さかったのかも。ちなみに娘夫婦宅では大型の液晶テレビも転倒、損傷したとのこと。婿殿はテレビを固定していなかったのね。
ガスメーターに戻るとLEDランプは消灯。お伝えしたように作動した原因は不明ですが、とにかく正常に戻りました。その旨を母親に伝える、ガスが使えることを確認します。
母親を乗せて食料の買い出しへ。スーパーは隣の刈羽(かりわ)村にあるのですが、現地はかつて川だったところ。つまり地盤は軟弱。ここへ来るまで顕著な被害は確認できなかったのですが、道路のつなぎ目などで段差が目立つように。
2枚目の写真は信号待ちの際に撮影したもの。道路の一部が陥没しています。やはり刈羽村の方が被害は大きい。
帰宅後、いくつかの用──主目的は晩酌のつまみの確保──を済ませるため、徒歩で外へ。実家近くの仏壇店前で撮影したのが3枚目の写真。
灯籠の半数くらいが転倒、損壊していました。不安定な形状の灯籠が無事なのが不思議。帰路、少しだけ遠回りして、気になっていた場所を訪れました。昨日お伝えした拙宅の通行止め現場です。ここは道路とJR信越本線をまとめて越える跨線橋。
新潟県中越沖地震の時(14枚目つまり最後の写真)も、ここが交通のボトルネックになりました。通行止めは今朝までに解除。だから車はスイスイ流れて...と思ったら、今日は片側交互通行とのこと。歩道に関しては通行止めではなかったので、現場を訪れてみました。
そして新潟県中越沖地震の時と同じ事象が発生していました。(拙宅を含めて)地盤の悪い場所にちゃんとした構造物を造る時は、まず、しっかりとした基礎(写真左半分)を築きます。この場合、道路と線路を越える部分。
でも両者を繋ぐ部分および外側の部分は土を盛り上げただけ。だから地震で大きな揺れが長く続くと、土盛りの部分が沈降──たぶん水分が抜ける。液状化と似た原理──してしまい、大きな段差ができるのです。実際に現場を訪れると、予想通り。
緊急時は土嚢を積んで段差を緩和するのですが、幹線道路だからか、沈んだ側で段差をやわらげる工事をしていました。昨晩から工事の音がずっと続いていたのですが、夜9時過ぎには静かに。どうやら工事がひとまず完了したようです。
以上は拙宅近辺の状況ですが、やはり被害が発生。もう少しだけ視野を広げると、新潟県内でも地震およびそれに伴う液状化現象や津波の被害が出ています。
センセイ個人に縁があるものに関しては、道路通行止め。毎週走行していた新潟県上越市内茶屋ヶ原(土砂崩壊)および富山県西部の国道359号線(道路崩壊。なお、まさにこの写真の撮影地)で大規模な被害が。
そして何より今回の地震被災地は、こんなものでは留まらないはず。被災地の状況に、胸が痛みます。
■2024年1月1日(月) 当地の揺れは震度5強。拙宅他を含めて、当地で大きな被害は確認されていません
...というわけで、ひとまずご安心を。
もちろん、能登などの方々が現在置かれているであろう厳しい状況を考えると、同じ被災経験者として非常に心苦しいのですが...。
ご存じのように本日、能登地方で最大震度7という大地震が発生しました。新潟県は意外と能登に近い。たとえば当地の場合、被害の大きかった珠洲市からの距離は金沢までとほぼ同じ。当然、大きく揺れ、例えば当地では震度5強を記録しています。
以下、現時点までの記録。今日は元日。次期ご当主様のセンセイは高齢の父親に代わり、午前中に菩提寺へ年始を済ませた後、実家で野菜を受け取って自宅へ戻りました。
体調維持のため少し外出し、帰宅後は2階の書斎へ。最初に異変を感じたのは16時6分。机の前に座り、クラシックのCDを聴きながらMacに向かっていました。ふと妙な気配。ただし今回、「いやーな感じ」は、ほぼありませんでした。
正確に言うと、直前にちょっと嫌な感じがしたのです。数秒の初期微動の後、立っていたらわからない程度の軽い揺れ。
念のため、AVシステムを立ち上げます。安全重視のため書斎のシステムは一部の機器を除き、数系統に分けて電源を完全に切断できるようにしているのです。
各機器が起動し、地上デジタルTV波を受信できるようになったところで、スマートフォンからけたたましい地震速報が。何度聴いても、慣れない音だ。
その直後(16時10分)、再び初期微動。P波はすぐに収まった──つまり震源地は近い──ものの、一息ついて今度は周波数が中くらいの大きな横揺れ。これが長く続きます。東日本大震災とは違う。
やはり震源地はそんなに遠くない。体感的には、揺れが1分間くらい続いたでしょうか。建物そのものを含めて書斎内のすべてのものが左右に大きく揺さぶられ、机など固定されていない家具が右往左往します。
起立は不可能。室内を観察しながら、ひたすら耐えます。白状すると最初に、自宅が倒壊することはないな、と思ったのです。でも予想外に大きな揺れなので、徐々に「ある程度の被害は避けられないかぁ...」とやや軟化。
揺れがひとまず収まったところで撮影したのが写真。新潟県中越沖地震の写真と比べていただくと、ある程度わかりやすいかと思います。拙宅は耐震設計なので建物および固定されている家具はひとまず無事。
もっとも、建物内部では損傷が進行しているのでしょうが。ただし1枚目右側および2枚目奥の、固定されていない書棚は別。完全固定ではありませんが、そう簡単には転倒しないようにしてあるので、倒れてはいません。
でも1枚目の写真の場合、有機ELモニタを載せたラックが10cmほど移動し、スピーカーが落下しています。その際の衝撃で、スピーカーは傷物に。2枚目の写真では、本が落下し、鞄(黒い物体)が横倒しになっているだけでなく、AVラックに固定したFMブースターが落下物の影響でネジが外れ、垂れています。
他にもたくさん落下しましたが、被災地能登の厳しい状況に比べれば、何事もなかったようなもの。かなり大きなものを含めて、その後も揺れは続いています。
実家や新潟市在住の娘夫婦──近所で液状化現象が発生した──および県内在住の弟にも確認しましたが、大きな被害はなかったとのこと。実家に関しては、お墓などの様子を確かめる必要があるので、明日訪れるつもり。
ただし震源地から近いこともあり、当地全体としてはかなりの被害が。幹線の国道8号線は、まさに拙宅脇の跨線橋で問題が起きたらしく、通行止め。補強工事の真っ最中だったのですが...。深夜現在、応急復旧作業中(音が聞こえる)。また市内では、約1,300戸が停電しています。
詳細については、明日以降ご報告できるかもしれません。重ね重ね、被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
皮膚感覚で苦しいのですが、現時点で、本当に何もできない...。ゴメンなさい。
■12月31日(日) まさに、見えない進路 ── 今年一年、皆様には大変お世話になりました──
今日は大晦日(おおみそか/おおつごもり※)。
雨が小降りになった時間帯を見計らって、お昼前に徒歩で外出したのですが、スーパーの駐車場はどこも満車。警備員が配置されていましたが、収容能力を超えた台数の車が集まっているので、全然動きません。
駐車場内に入っても、空きスペースが見つからずウロウロ。店内も同様で、特にレジの前には長蛇の列。これぞ田舎の年末という感じ。まぁ、毎年の光景ですが。
写真は先日実家から戻る際、信号で停車時に撮影したもの。愛車のカーナビゲーションの画面です。センセイは通常、決まったルートしか走行しないので、カーナビをほとんど使いません。
もちろん初めて走る場所では時々参考にしますが。でも渋滞情報は別。実家からの帰路、市街地に入ろうかという所で車列の速度が急に低下し、ついにはなかなか進まない状況に。
渋滞かと思ってカーナビを作動させたのですが...あれっ?!Googleマップは実際の渋滞状況より酷く表示する傾向があるのに対して、センセイのカーナビは甘く表示しがち。でも全体の状況の把握には役立ちます。
されどその日は見慣れない画面が。何が起きているのか一瞬、把握できなかったほど。センセイの車は写真中央を下向き(=南)で走行中...ということになっていますが、表示されている場所は工業団地の真ん中。実際に存在してるのは左上。約1.5km離れています。
こんなことは初めて。カーナビはもともと、軍事技術の転用。そのため平時は精度が意図的に落とされていますし、外国の要人が来日した際はさらに精度が悪くなると聞いています。でもそんな情報は耳にしていない。
時間が経てば直るのかなと思ったのですが、今日現在も狂ったまま。う〜ん、これじゃ先が見通せない。
振り返ると、事前にかなり準備した──それでも実際は大変だった──退職に始まり、文字通りの無職生活や週1回の金沢遠距離通勤(前学期のみ)。記録的な暑さの夏を乗り切って書斎や機器の片づけ。
それらに何とか一区切りつけたかと思っていたところ、最後に...。今年も1年間、皆様には大変お世話になりました。良い年をお迎えください。
※これらの呼び方は「月立(つきたち)」が音便化した「ついたち」から始まり、「三十日(みそか)」(新月から次の新月までの「朔望月(さくぼうげつ)」は29.53日。それを29日(小の月)あるいは30日(大の月)に振り分けた。いずれも月末は「晦日」)で終わる月齢を基準とした旧暦(太陰太陽暦)の用語。「つごもり」は「月隠り(つきごもり)」(=月末)が音便化したもの。旧暦での1年の終わりを「大晦日」と呼ぶが、現在はそれを太陽暦に転用している