2011年5月7日更新(2011年5月15日ページ移動。2015年2月11日一部写真削除)
■5月7日(土) 「ホームページに載るのかなぁ?」 ──食堂のテラスに、テーブルと椅子が設置されました──
今日は土曜日。しかも連休中なので、たぶん世の中の大半は休みの日なのでしょう。
でも金沢工大は「水曜日」。曜日ごとの授業回数の違いを吸収するため、今日は水曜日の講義を実施しているのです。従って、センセイも早朝からのご出勤。
諸般の事情で今日は講義がないので、溜まっている仕事をせっせと片付けます。ただし仕事といっても残念ながら肝心の研究はそっちのけ。今日は何通のメールを送信したことか。
お腹は空いていなかったけど、パワーが切れてきたので、学内郵便局での所用を片付けるついでに食堂へ向かうと......。あれ?!食堂の外、テラス──と言っていいんだと思います──の部分に、ご覧のようなテーブルと椅子。昨日、少なくともセンセイが通った時は存在しなかったのに。
既に二組のグループが、まるでずっと前から存在するかのように使いこなしています。手前の学生諸君は宿題に取り組んでいるようです。奥は食堂からトレイを持ち出して、お食事中。
「撮らせてね」と断ったら、手前中央の学生は(大学の?)「ホームページに載るのかなぁー」、と言って恥ずかしそうに顔を伏せてしまいました。
それまではとても良い顔をしていたのに、残念。確かにホームページではありますが、残念。大学の、ではございません。悪しからず。
何だかんだと言っても、やはり学生諸君の表情は連休中のそれ。まぁ、仕方ないでしょう。
でも週明けには中間試験や課題がドカンと来襲するので、その準備も忘れずにね。ちなみに、テラス“terrace”(英)は、現代フランス語“la terrasse”と同じ綴りの中世フランス語に由来し、そしてそれはさらにラテン語の“terra”(=大地)+“cea”(=積んだもの)から来ています。
一方、大学食堂「ラ・テラ」“la terra”──久しく行っていないけど、大学脇のラーメン店の店名でもある──もラテン語の“terra”(二つの子音を省略せず、「テルラ」と発音)に由来。何を言いたいかというと、まず土台のラテン語の「大地(“terra”)」がドカンと存在していて、その上に食堂1階の現代イタリア、そして大きな窓の外のフランスが配置されているということ。
しかも学生諸君はその重層的な構造の上で、大地からの栄養を吸収して成長しているのですね。このテーブルや椅子は、そのための一つのツール。もっとも、学生諸君がその深い仕組みに気づかなくっても、気にする必要性はありません。全然。
だってそもそも、食堂のコンセプトを固めたり、名前を考えた人、あるいは今回テーブルと椅子を設置した人がそこまで思慮していたかどうかかなんて、わかりませんからね。......でも意外と、すべてが調査済みだったりするかもしれない。、
■5月6日(金) 学校を学校たらしめているもの ──講義が再開されました──
昨日が仕事にならなかったので、今朝も早くにご出勤。職員が出勤するまでにずいぶん働いたつもりなのですが、仕事は次から次へと、まるで「湧いて出てくる」、そんな感じ。
作業を途中で打ち切り、事務室の裏の部屋で何やら濃密な会議を2時間。会議の途中、アパートに忘れ物をしたことを思い出したので、会議から解放された後に一時帰宅して、再びキャンパスへ。午前中の講義が終わったので、付近の道路や構内は学生で溢れています。
冗談抜きでセンセイの318iとぶつかりそう。彼ら彼女らを避けつつ感じたのですが、表情がとても良い。
多少黄砂がかかっていたものの天気は良かったし、気温も相当上昇したからでもあるのでしょうが、もちろん最大の要因は連休でリフレッシュしたこと。
写真中央左の学生が手にしている紙袋は、キヨスクのもの。彼は帰省したんでしょうね。ふと気づいたのですが、学校を学校たらしめているのは学生(/生徒/児童)ではないでしょうか。
お伝えしたように、神社を神聖なものにしている一つの要素は鎮守の森でしょう。学校の場合、目に見える建物や設備はもちろん、見えないものを含めたキャンパス全体──教育学でいう“hidden curriculum”──が学生を育てています。
その一方で、学生も逆にキャンパスを育てているんじゃないか、と思えてきたのです。午前中、オトナだけでオトナのためのオトナの会議をしていたから、余計そう感じられたのかもしれません。
■5月5日(木:祝日) 新しい市民会館の建築工事がすいすい進んでいく......ように感じられる
というわけで、センセイの連休はあっさりと終わってしまいました。
午後にはすでに金沢へ移動。今週も車を使ったのですが、夕方に激しい渋滞が予測されていた──昼過ぎにはすでに一部で発生──ため、早めに行動したのです。
片づけられなかった仕事を整理しようと、ひとまず研究室へ立ち寄ったのですが、何故か大学のサーバーがダウン。仕事にならないので諦めて、アパートに戻りました。
6年前までこの時期は田植えで忙しかったのですが、高齢になった両親が稲作を諦めて以来、何だか気が抜けた感じ。
もちろん今回も自宅で仕事や家族サービスに追われていたから、何もしなかったわけではないのですが。さて自宅から柏崎駅へ向かうと、正面に建設中の新市民会館が見えてきます。
最近ではご覧のように鉄骨の組み立て工事に入っていて、帰宅するたびにその姿が変わっていきます。この建物は防災施設を兼ねていて、免震構造になっています。だから基礎工事は相当大変だったはず。
でもここまで来れば、後はすいすいと工事が進むのではないでしょうか。ところで、良く考えてみると工事が順調に、そして無事に進行するのは誰にとっても好ましいこと。
でももしかすると、センセイは他の人より「すいすい」と感じるのかもしれません。つまりセンセイの老化が進んでいるために、時間の経過を速く感じてしまう......のかも。
ま、いっかー。
■5月4日(水:祝日) 減少幅13.5%!! ──西村センセイ、連休中は「ダイエット」に励む──
と言っても、人間のことではありません。現実の西村センセイはというと、体重こそ横ばいながら、どんどんズボンのベルトがきつくなっていく......。
来週の(メタボ)健康診断をどうやって乗り切ろうか。「ダイエット」したのはこのホームページです。
2000年の開設からちょうど11年。当時のホームページの容量は確か20MBだったはず(5MBだったかもしれない)。講義の記録は増える一方なので、開設してから数年後に限度一杯に近づきました。
その度に古い写真を削除するなどして容量を確保していました。でもこれが一仕事。ホームページの更新は、手元の「リモートサイト」の情報をアップロードするのですが、不要なファイルを削除するためにはサイトとリモートサイトの情報を照合して、サイト上にだけ残っているものを削除するのが普通。
もちろんホームページソフトにはみな、この機能が備わっています。でもこの方法だと、サイト上にだけ存在するカウンターの情報も削除してしまうため、後からその難しい再設定が必要になるのです。
できればやりたくない。ちょうどその頃、ホームページの容量が一気に100MBまで増加したため、「整理しなきゃ」と思いつつ、その後は放っておいたのです。
ところが最近ではファイルの容量が95MBにまで達していました。残りはわずか5MB。さすがにこれはまずい、というわけで昨日、今日と、古いファイルを整理しました。
幸いにも現在使用しているソフトの一つAdobeのGo Liveは、Webサイト上のファイルを直接操作することが可能。そこで手元のファイルを修正しては、Web上から不要になったファイルを直接、一つずつ削除するという作業を続けました。
修正したファイルのアップロードは夜に行ったので、昨日と今日の日中、古いページを開くと、写真右下のように不要になった一部の画像が欠落していたはずです(現在は修正済のファイルをアップロード済)。その結果、使用容量は82.1MBにまで削減することができました。ダイエット率は約13.5%ということになります。
今回は約2年分のファイルを整理したのですが、未整理のものが約4年分残っているので、その部分を将来整理することによって、現在の運営の仕方でも、何年かは凌ぐことができそうです。
それにしても、この削減率がお腹まわりの数字だったら、とても嬉しいのですが...。
■5月3日(火:祝日) サッポロビール仙台工場が生産再開。流通の混乱も解消の方向へ?
報道によると、サッポロビール株式会社が、地震で被災した仙台工場(宮城県名取市)でビールの生産を再開したそうです。 ((c)朝日新聞社)
ビールメーカー各社は今回の地震で大きな被害を受けており、一時は断酒に追い込まれるかと覚悟したセンセイ。
でもどうやら、最悪の事態だけは回避できそうです。ただし同社のプレスリリース(4月25日付)によると、「再開」と言っても今回は、すでに発酵を終えて貯蔵させていたビール──この段階で被災──を濾過して容器詰めする工程に限られるとのこと。
首都圏向けを生産する千葉工場はすでに仕込工程を含めた全工程を再開しており、今月中には仙台工場も全工程を再開できる見込みだそうです。
ビールの製造には2、3ヶ月かかるそうなので、何とか夏のピークを乗り切ることができるのではないでしょうか。たまたま今日、ビールが1ケース空いたのでお店へ行ってみたのですが、スーパーマーケットにサッポロの在庫を3ケース見つけたので、1ケース購入しました(買い占めるようなことはしない)。
新潟では4月の一時期、店頭からビールがほぼ消えてしまいました。でも石油製品などと同様、流通の混乱も収まり、そして何より、先の見通しが立つようになったので、みんな落ち着いて考えられるようになった、ということなのでしょう。
被災経験者として言えるのですが、この「見通し」があるかないかで対応がまったく異なります。兵站(へいたん)を含めた裏付けなしに、困っている人への斟酌を忘れ──というか、たぶんもともと存在しない──て、「全力で」とか「何としてでも」と叫んでいる人々の姿を見ると、本当に痛々しく感じられてしまいます。
■5月2日(月) しばらく見ていないなぁと思ったら... ──「食パン電車」が定期運用から外れたようです──
今日は連休の中日。
本来ならば授業がある日なのですが、金沢工大は曜日による講義回数調整のため、臨時休業。講義は一切ありません。ま、働き過ぎの大学ですから、休む時はしっかり休まないと。
自宅にいるセンセイ、所用を片付けるためにちょっと外出しました。用を済ませて書店で雑誌をパラパラ見ていると......え"?この春のダイヤ改正で、JR西日本金沢支社管内における419系の定期運用を終えたというのです。知らなかった。
鉄道ファンでない方にとって数字を用いた「○○系」というのはピンと来ないと思います。でも419系はご覧の通り、一度見たら忘れない平べったい顔。(2010年4月、直江津駅にて撮影)
いつの間にかついたあだ名は「食パン列車」あるいは「しょくぱんまん」。
本当は寝台特急電車として生まれ、日中は普通の座席に転換して優等列車として運行するはず......だったのです。
でもすでに時代遅れになっていたため、普通列車に改造。でもこうすると運転席のついた先頭車両(制御車)が不足します。そこで中間車両に、無理矢理運転台をつけた──同様な例は他にも──という数奇な歴史を持っています。
出入り口が狭く、無駄な空間があるなどの問題があって、乗客には利用しづらい。でもその反面、もともとが寝台車なので乗り心地が良い(寝台車はサスペンションが違い、ふんわりとした乗り心地)。
また寝台を転用しているためボックスが大きく、対面して座っても比較的余裕があるなどの特徴もありました。要するに良し悪しは別として、一度でも見たり乗ったりしたら、忘れられない電車です。
同じ419系でも、もともと運転席がついていた車両(右の写真)もあって、こちらはずいぶん厳(いか)つい表情ではあるものの、普通の電車の顔。
センセイは通常、日曜の午後に各駅停車を乗り継いで金沢へ移動するのですが、直江津−富山間はいつもこの419系。
震災後、いつものように乗り換えようとすると、別なタイプのものに替わっていました。その時は車両運用が変わったのかなぁーと思っていたのですが、実はダイヤ改正の前日、つまり3月11日の地震当日に定期運用を終えていたんですね。
同じ日に運転を終えた特急「雷鳥」は話題になりましたが、この419系は一部の鉄道ファンしか知らなかったようです。
センセイは不在でしたが、北陸地方でも一部地元紙のみが報じただけだったようです。
もちろん大震災の日のことですから当然なのですが。国鉄時代末期の資金不足の状況下、そしてさらに大きく考えると、(賛否は別として)新自由主義への大きな流れの中で生み出されたこの419系。
その位置づけは、実は読み手の能力にかかっているように思えます。
■5月1日(日) 悲しみや沈んだ気持ち。それも人生なのでは? ──三色咲き分けの花桃を見つけました──
今日は家族サービスの日。娘が新潟を舞台にした映画を観たいというので、朝から隣の長岡市内の映画館へ。柏崎市内には現在、映画館が存在しないのです。
去年もこの連休中に、同じ組み合わせで長岡を訪問しています。去年は途中、道沿いの家の庭に紅白に咲き分けた花桃がありました。そのお宅の手前、「今年はどうなんだろう」と話しながらカーブを曲がると、おぉ、今年も見事に咲いています。
しかもよく見るとそのお宅の庭には他にも、何本かの咲き分けの木が。センセイは生物学にはあまり詳しくないのですが、こういう品種(?)があるのでしょうか。
予定通りに映画館に到着すると、開館したばかりだというのに館内は大混雑。
クレジットカードで席を決済していたから良かったようなものの、普通に並んでいたら上演開始に間に合わなかったんじゃないだろうか。ややお子様向けの映画を見終えた後は、別なルートで家路へ。確かめたいものがあるのです。
ちょっと遠回りして到着したのは柏崎市内某所。先日、たまたま通りかかって目に留まった花桃の木があったのです。
車を走らせている時は、「あ、また咲き分けの木だ」、と思っただけなのですが、今日、車を降りて近づいてみるとものすごい迫力です。
しかもよく見ると、写真中央上部はピンクではなく、深い紅。つまり三色を咲き分けているのです。初めて見ました。
実家近くのこの地域は小高い山に囲まれており、新緑の中、ところどころに山桜のピンク色が季節を主張しています。
平野部のソメイヨシノはそれはそれで綺麗ですが、まだ残る寒さの中、ピンク色だけが目立つ感じ。はかなさ、あるいはひ弱さを連想させます。
でもこの時期の山桜は逞しい。いろいろな緑色のバリエーションの中でのピンク。格別な味わいがあります。ソメイヨシノのとは違った生命力を強く感じます。
「がんばろう」あるいは「チーム・ニッポン」といった励ましの言葉は、それはそれで大切だと思います。でも深い痛手を負った人や、鬱状態にある人には時として、それが凶器と化することもあります。
悲しみや沈んだ気持ちを、時間と手順をかけて受けとめ、そしてこの新緑の中の山桜のように、じっと耐えた後に復活あるいは再生を図ることも大切なんだと思います。悪気がないことはわかりますが、安易な「頑張れ」では解決しない──むしろ問題をひどく悪化させる──ことがあることは覚えておくべきでしょう。