2014年7月5日更新(2014年7月13日ページ移動。2017年3月13日写真削除)
■7月5日(土) どちらにせよ、痛い ──西村センセイ、パスワードを記した手帳を...──
細い雨の降る午後、初めて訪れる法政大学の前に、予定通りに到着しました。
部外者なので、校舎に入る前に場所を確かめようとしたのですが、手には二つの鞄に濡れた傘。鞄を開けばちゃんとした案内が入っているのです。でも戸外だし、人通りも多い。
要点を記した手帳が鞄のポケットに入っているので、それを取り出そうとして......あれっ?!ない。手帳がいつもの場所にありません。
センセイはあちこち放浪するので、各種グッズの鞄の中での位置を決めています。磁気を避けるため、カード類はは左のポケット、強い磁気を帯びた老眼鏡は反対のポケット、USBメモリはここ、という具合。
ルールを定めることで、チェックが簡単になるのです。校舎に入れていただき、机を利用して隅から隅まで確かめたのですが、見つかりません。自分の行動を遡って確認します。昨晩はホテルで予定を確認するのに手帳を開いたと思う。
今朝、出発する時には指を指して二度、三度と室内を点検。それでも見落としたのでしょうか。急いでホテルに電話をかけたのですが、しばらくして頂いたお返事は、「清掃責任者によると『そのようなものはなかった』とのことです」。お礼を言って電話を切ります。
非常に困ったことになりました。今年用の手帳なので、本体には予定の類しか書いていません。でも綴じ込みの部分には、年を越えて使用する内容が書かれています。手帳が替わるたび、それを差し替えて使っているのです。
そこに記されているのは、おぉ、センセイが使用している各種IDとパスワード!!すぐに補足しておきますが、パスワードはセンセイにしかわからない方法で暗号化されています。だから、もし誰かが拾ってIDを使用したとしても、不正にログインするのはほぼ不可能。
類推しやすい誕生日なんて使っていません。むしろ、センセイにとって問題なのはID。
各種システムにログインするIDが違うことが多いため、わざとそのようなメモを作成していたのです。
さらにはダウンロードした有償ソフトの解除キーなども記されています。よぉーく思い出してみると、昨晩は友人と遅くまで飲んでいたので、「手帳を開いた」という記憶は確実ではありません。
行動をさらに遡ると、もしかするとそもそも手帳を鞄に入れなかったのかもしれない。一昨日、大学を去る時に机の上に手帳があることを確認したのです。「鞄に入れなきゃ」と思ったのでよく覚えています。
しかしその後、つまりアパートに戻り、昨日金沢から電車に乗って以降の手帳については、はっきりと覚えていません。せっかくの研究会だったのですが、有り難いお話を聴いているセンセイの気持ちはどこかそぞろ。関係者の皆様、ゴメンなさい。
手帳を落としていて、誰かが拾ったとして、もしそれが悪意のある人の手に渡ったら、一定のリスクが発生します。不正ログインは不可能でしょうが。
それよりも、加齢で注意力その他が下がっているので必要な対策を講じていた(つもりな)のに、この始末。もしかすると研究室かアパートに置いたままにしてきたのかもしれない。この場合、情報漏れの懸念は消え去ります。ただし、能力が低下しつつある自分の行動を管理できていなかったという意味では、至る結論は同じ。
つまり、どちらであったにせよ、痛い。
■7月4日(金) 来春第三セクター化される北陸本線の各駅で、JR西日本による改良工事が行われています
センセイは、明日開かれる研究会その他に参加するため、今朝金沢を発ち、東京都内へ移動しました。せっかくのこの機会を利用して、今回も鉄分補給。
写真は今日、車中から撮影した親不知駅。青海駅の西隣です。古い駅舎を改装して使用しているのですが、センセイは下り列車(海側)に乗っているので、富山・金沢方面へ向かう上り線の線路が見えています。
列車の利用者は上り線路を渡る必要があるので、安全確保のため、専用の遮断機が設置されています。
中央の、透明なアクリル板の向こうを良く見ると、作業服を着た人――たぶん現場監督――が立っています。その左手には、何かを作業する人。
そしてその背後に、軽自動車。具体的にどんな作業をしているのかはわかりませんが、実はこれ、北陸本線直江津―金沢間で、最近ごく普通に見られる光景なのです。
正直なところ、これらの駅の利用者はごく僅か。でもそのために、例えばプラットフォームの改善だとか、フェンスやエレベーターの設置などに取組んでいます。
津幡駅にいたっては何と、駅舎を新築するようです。(未確認)これらの区間、来春の北陸新幹線全通に伴って、経営がJR西日本から第三セクターへ移管されるのです。
ごくごく短期的に考えたら、投資の無駄。だって、たくさんのお金をかけて改善したものを、他社に譲るのですから。
でもどうやら、JR西日本としては以前お伝えしたように、その前に一つの区切りをつけておきたい、ということのようです。
■7月3日(木) 「チャンカレ通り」(仮称) ──アールドリーム跡は、周囲に広い余地を残した道路に?
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気温の高い日が続いているからなの、飲み過ぎのためなのか、どうも食欲が出ません。特に、自分でも不思議なのですが、農家の出身なのに、お昼にご飯を食べたいと思わない。
たとえ美味しそうなお弁当であったとしても、です。今週月曜日もそうで、何かサッパリした冷たい麺類を買うか食べるかすることにして、とにかく外へ。
荒川橋を越えたところで、看板設置工事に気づきました。基礎工事は数日前に見ていたのですが、いつの間にか白い鉄柱(中央やや右奥)が建てられています。
その下に、これから取り付けられるであろう文具店の看板が2個。写真はこちらの逆から撮影しています。
移動がてら工事現場の様子を自分の確かめると、やはりこの場所はかなり広い道路にするらしい。
まだ見えない道路にかかる場所では、マンションの塀が一部、取り壊されていたりします。考えてみるとこちらのずっと奥、幹線道路と接した場所は、道幅こそあまり広くはないものの、その周囲にかなり余裕を持った道路に整備されています。
どうやらここも、同じような造りの道路になるようです。拡張整備された道路を進むと、目の前にチャンカレ(写真左)がドカーンと迫ってくることになります。
う〜ん、これじゃまるで、チャンカレのための道路だ。
■7月2日(水) 北陸本線青海駅。大学1年生だったセンセイが、「巡検」で降り立った場所
糸魚川駅を発車した富山行の各駅停車は、大糸線に別れを告げて姫川を渡ります。可愛らしい名前ですが、実際の姫川は暴れ川。
少し上流の、新潟─長野県境付近では、大糸線の車中から、お姫様の本性(?)を見ることができます。「地獄とはこういう場所なのだろうか」と思わずにはいられないほど。
実際、大水で鉄橋が土台ごと流されることも。北陸本線の長い鉄橋で姫川を超えた3両編成の列車は、コンクリートの原料となる石灰石の採掘現場を左に見ながら、次の青海(おうみ)駅に到着します。
写真は到着直前に駅の左側(=南側)を撮影したもの。広い敷地に錆びついたレールが無惨な姿を晒し、奥には鉄道コンテナが見えます。ここはJR貨物の青海駅。
旅客を扱うJR西日本の青海駅に隣接しています。センセイが金沢へ行き来し始めた頃は、この場所にセメント輸送専用の車両がたくさん並び、夜を徹してディーゼルカーでその入れ替えをしていました。
この奥に、とても大きなセメント工場があるのです。重いセメントや石灰石を運ぶための貨物駅。周囲には、セメント工場や関連施設への専用線が敷設されていました。
でも数年前、会社はそれらの輸送を自動車に切り替えてしまいました。なぜセンセイがこんなことを知っているかというと、実は(最初の)大学1年生の時、受講していた地質学の教授に誘われて、理学部地質学科の学生とともにこの場所を訪れているのです。
列車から降り立ったのはまさに、北陸本線青海駅。目的は石灰石中に多数含まれる化石の調査。業界用語で「巡検」というのですが、何の略語だったのか、今だにわかりません。今から40年近くも前のお話です。
交通機関がないので、ここから川上に向かって高低差のある場所を、片道10km位歩いたと思います。ホテルなんかあるわけないので、民宿と、その親戚の民家に分かれて泊まりました。センセイは後者。勉強机が並んだ子供部屋で雑魚寝。その家の住人は、センセイらのために別な親戚の家に泊まってくださったのです。
訪れたのは11月下旬。時々雪が舞う中、紅葉が進んでいました。標高が高い場所の紅葉は、それはそれは見事なもの。しかしそれは日中の気温が低いことを意味します。
現在のような防寒用具はなかったので、体の芯まで冷えてきて、ガタガタ震える始末。今考えると、冗談抜きで危ない状況でした。何年か後、大学の食堂でその時の教授にばったり出くわしました。
その時センセイは、2回目の大学生。教授は、昔を思い出しながら意外そうな表情でゆっくりと、「君はあのまま、地質学の研究者になると思っていた...」。
嫌味を言うような先生ではありません。先生には申し訳なかったのですが、センセイには地質学の才能はなかったんだろうと思います。その意味では、ゴメンなさい。
ただしあの「巡検」での経験が、センセイの中の何かを変えたのも事実。だから今なら、「本当にありがとうございました」とか、「先生のおかげで...」。
そしてもう一つ。センセイは今、その教授の側に立っています。先輩からもらったボールを次の世代に向かって軽く投げる。そういう立場にいます。そのセンセイが、先生からボールを受け取ったのが、まさにこの場所。
正確には、もうちょっと上流ですが。
■7月1日(火) お菓子メーカー「ブルボン」、新本社社屋の建設工事が進んでいます
センセイにしては珍しく、今年度は4月から2ヶ月ほど出張が入っていませんでした。でも5月末の名古屋出張で、堰を切ったかのようにお出かけが続きます。
たまたまですが、今年は関西方面への出張が多く、特に大阪は先週から来週にかけて3回出かけることになっています。その合間のどこかで帰宅する必要があるので、昨日、仕事を終えてから新潟の自宅へ戻りました。例によって家には十数時間滞在しただけですが。
今日は午前中にいくつかの用を済ませて、午後、いつもの列車を乗り継いで、金沢へ移動しました。写真は徒歩で柏崎駅へ向かう途中、駅までふと気づいて撮影したもの。
地元のお菓子メーカー、ブルボン本社社屋新築工事がずいぶん進んでいます。新築工事公表後、工事はすぐに始まったのです。
でも開始当初は敷地内で重機が動いているだけ。工事用フェンスの外からでは、何が何だかわかりません。でも工事関係者にとっては、おそらくここが一番重要だったんだろうと思います。
1ヶ月くらい前から、ご覧のように工事が具体的に見えるようになってきました。途中の市振トンネル内ですれ違った「トワイライトエクスプレス」を含めて来春には、センセイがこれまでごく普通につき合ってきたものやことがらが激変します。
それでも形が残っていれば、そしてそれを見る機会があれば、まだいい方。沿線で目立つのは、更地や崩れかけた廃屋。後者には安全確保のため、自治体が強制的に解体する旨の警告文書が貼られています。
来春からは直江津以西の在来線には乗らない──乗り換えの関係で、糸魚川までは利用するかも──でしょうから、その廃屋すら目にすることはないはず。
まして、更地になっていると、かつてそこに何が存在していたのか、まったく思い出せません。というわけで、残りの半年ちょっと、沿線の「当たり前」をできるだけ記録しておこうと考えたセンセイなのです。
今日は、知ってる人ならよく知っている、そして知らない人は全然知らない新潟ネタです。
そしてもう一つお詫びを。「それ」を伝える報道そのままのタイトルなのですが、これ以外に思いつかない、というのがホンネ。いずれも、悪しからず。((c)新潟日報社)
センセイが4年間通学した新潟大学教育学部旧校舎(新潟市旭町)のすぐそばに水道の施設があります。要するに配水用の巨大な水タンク。現役の設備です。
現在は電気でポンプを動かして加圧するのですが、昔はひとまず高い場所に水を移して、高低差を利用した排水していたのですね。だからこの施設も坂の上にあります。この辺は海岸に沿った小高い砂丘なのですが、旧教育学部付属小学校のグラウンドの真上にこの施設があるのです。
事情はよくわかりませんが、センセイが大学に入学する数年前の1970年、新潟市はこの施設の上に約25分で1周する展望設備を設置しました。
これが「日本海タワー」。当時は市内に高い建物がなかったこともあり、それなりの評判。その存在はセンセイも知っていました。
けれども貧乏学生だったためか、すぐそばに存在していながら、学生時代には一度も訪れていません。それから約30年後、再び新潟市内に住み始めたセンセイ、1999年に初めて日本海タワーに入る機会がありました。
翌2000年には、当時7歳だった娘と再訪しています。人目を惹く特別な何かがあるわけではないのです。
質素な椅子やテーブルがあって、手頃な値段でコーヒーや簡単な軽食を頂くことがでができる程度。
でものんびりと眺める新潟市市街地をの景色は、何ものにも代え難い。詳細については報道をお読みいただきたいのですが、今日の夕方、日本海タワーはその営業を終え、44年の歴史を閉じました。
昔のいろいろな人やことがらが、どんどん手の届かないところに行ってしまうなぁーと思ってしまうのですが、こういう感覚そのものが、センセイの加齢の証左なのでしょう。
だから、反論したりはしないのですが。
■6月29日(日) う〜ん、これも鉄分補給?! ──西村センセイ、初めて大阪モノレールに乗る──
学会の最後の最後までつき合って、真夜中に金沢のアパートへ戻りました。
6年前、大阪大学豊中キャンパスを初めて訪問したのですが、その時は大阪(梅田)から阪急宝塚線に乗り、最寄りの「石橋」駅から大学まで歩きました。
白状すると、確認不足のままそのルートを選択したのです。雨の現地で歩いてみて初めて知ったのですが、大阪大学は小高い丘の上に位置しています。
パソコン──その時は2台持参!! ──などの荷物を持っていると、冗談抜きで山登りレベル。いくらセンセイが物忘れが酷くても、さすがにあの苦い経験は覚えています。そこで今回は、大阪空港近くのホテルに泊まりました。
そこから大阪モノレールで大学前の「柴原」駅まで移動しました。柴原駅はかなり高い場所に位置しているので、大学との高低差が比較的少ない──それでもかなり登り下りする──のです。
大阪モノレールには初めて乗ります。当たり前ですが、ごく普通の有人運転のモノレール。沖縄の「ゆいレール」は車体がかなり短かったのですが、こちらは標準サイズ。
ただし、相当の高低差があります。普通の自転車を見かけず、オートバイをよく見たのですが、もしこの場所に住んでいるのなら、(若年を除き)パワーアシスト付の自転車でないとかなりきついと思います。
平地部分を除けば、ほんの少し前まで丘は鬱蒼(うっそう)たる森だったんだろうなぁ。センセイ個人としては、写真のようにコンクリートの上を走ったので鉄道気分じゃないのですが、区分上はモノレールも鉄道扱い。
というわけで今回は、結果的に鉄分補給の旅となったのでした。