2017年6月24日更新(2017年7月2日ページ移動。2019年5月1日一部写真削除)

──2017年6月第4週のニュース──

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6月24日(土) 能登は、美味しい ──七尾市で開かれた保護者会に参加しました──

 週末なので、いつもなら新潟の自宅に戻るところ。でもセンセイは金沢に留まっています。

 実は今日の午後、能登半島の中央部に位置する七尾市で在学生の保護者会(たとえばこちら)が開かれたのです。センセイは大学の代表者として出席。
 現在は行事を終えて金沢に戻ったところです。

 例年だと土日を使って2回、つまり年に4回保護者会を担当するのですが、何故か去年と今年は能登会場のみ。司会が上手でないということがバレちゃったかな。
 9時半にメンバー集合。

 ジャンボタクシーに乗って、大学から約70km離れた七尾を目指します。自動車専用道路「のと里山海道」を利用しましたが、それでも1時間半弱かかりました。
 西村センセイ実は、七尾をちゃんと訪れたことはありません。

¥ もちろん七尾線には何度か乗車しており、車内から駅や市街地を見ています。でも駅の外へ出たことはない。
 金沢工大に赴任した年の秋に、両親と娘を連れて市内を通過したことがありますが、こちらも降りたわけではない。

 というわけで今日は、仕事であると同時に、興味津々の能登探訪ツアーとなりました。現地には11時過ぎに到着。
 まだ早いので、初めて訪れる「七尾フィッシャーマンズ・ワーフ 能登食祭市場」で各自昼食を取ることに。

 この観光複合施設は第三セクターが運営しており、1階は写真のような物産販売など、2階は飲食店になっています。
 目の前の桟橋から七尾湾内を周遊する遊覧船が出ています。

 お昼をいただき、実家や伯母のために日持ちするお土産を購入して、ジャンボタクシーに再び乗り込みます。
 英気を養ったからでしょうか、保護者会は問題なく終了。

 やっぱり、能登は美味しい。



6月23日(金) BMW 320i M Sp(MT)が、高速道路の80km/h定速走行で25.0km/Lの低燃費を記録しました!!

 今日はタイトル通り、そして見たままのお話。結果的に乗り物ネタが続いてしまいましたが、悪しからず。

 先日所用で約300km離れた場所へ車で往復しました。往路は時間的余裕があったので一部を除き一般道を走行。逆に帰りは、高速道路を80%くらい使用しました。
 何度もお伝えしていますが、センセイは高速道路の走行をあまり好みません。

 運転の「走る、曲がる、止まる」という楽しみの中で、後二者の存在が薄い。要するに、つまらない。そしてもう一つ。居眠り運転をする危険性があるのです。
 だからセンセイは可能な限り一般道を走行します。

 つい先日、高速道路の利用状況の通知が届いたのですが、何と、5月は1回も走行していませんでした。ただし今回はそういうわけには行きません。でも良く考えてみると、高速道路の長距離走行という滅多にない機会。
 そこで今回は、定速走行での低燃費走行に挑戦してみました。

¥ そもそも、センセイは通行の障害にならない限り、高速道路では80km/hで走行し、安全運転を心がけてます。
 いつまでも若いつもりではいるけれど、客観的にはもうすぐ60歳の高齢ドライバーなので。高速道路に乗ると、かなりの混雑。

 他の車の邪魔にならないように、加速したり減速したり。燃費計は不安定だったのですが、やがて24.0km/Lくらいで安定してきました。
 高速ではいつもこんな感じ。

 ただし県境の山岳違いにはいると再び不安定に。平均速度計を確かめると79km/h台に落ちていたので、平野部に出てから少し加速します。
 燃費計も落ち着いてきて、じわじわと数値が伸びていきます。

 24.8km/Lくらいかなぁ、と思っていたら数値はさらに伸びて、何と25.0km/Lを記録。信じられない!!
 瞬間最大風速のような一時的な記録かな、と思ったら、その後も安定しています。

 上り坂では数値が少し下がりましたが、下り切ると25.0km/Lを回復。その日の平均速度は80.3km/hでした。日が暮れたので前照灯を点けると数値は徐々に低下。
 その後は25kmを回復することはありませんでした。

 センセイのBMW 320i M Sp(MT)、実は冬の方が低燃費。最初はタイヤの違いかなぁと思ったのですが、どうも電装品の稼働状況が一番影響するようです。
 暑い夏の日にエアコンをフル稼働させると、燃費が悪化します。

 その日は無風で路面状況に問題はなく、外気温は22℃から27℃。ずっとエアコンを入れていましたが、フル稼働というわけではなかったため、この数値を記録したんだと思います。
 次は100km/h走行だとどのように変化するのか、試してみようかしら。

 いずれにせよ、自動車の基本部分での省エネルギー化が進めば進むほど、路面状況や電装品の消費電力、あるいは向かい風などの外乱要素が大きくなるという印象を持っています。



6月22日(木) 可部線廃線区間に残された「国鉄2万キロ記念碑」を確認することができました

¥ 広島・島根ツアーのご報告も、いよいよ最終回。

 タイトルにある通り、今回のツアーの目的は本来の仕事に加えて、例によって鉄分補給。一つは廃止される三江線乗車。
 もう一つが可部線廃止区間の探訪、特にこの区間に残る碑をこの目で確認したかったのです。

 旧三段峡駅前を出発したバスは、水内(みのち)側左岸の加計街道(国道191号線)を進みます。
 崖がすぐに川に落ちるような状態なので、平らな部分は少ない。

 国道と言ってもとても細く、対向車、特に大型トラックと擦れ違う時は、バスを完全停車させるほどです。
 お伝えしたようにセンセイは「坪野」バス停で、下車。

 加計街道と山との間には民家が点在しています。その間を抜けて山側へ向かうとすぐに写真の直線的な道路に出ます。
 この道路こそが、旧可部線の跡。

 道路の右側に広がっている部分に、旧坪野駅がありました。ご覧のようにまったく何も残っていません。
 最後に隣の水内駅まで歩いたのですが、こちらはホームや、ホーム上の屋根の一部、そして国道191号線から見える「水内」駅標識が残っていました。

 廃校になった旧坪野小学校跡──現在は地域の集落センターになっている──を右手に見ながら三段峡方向へ戻ります。
 500mほど歩いた場所にあるのがこの記念碑。

 昨日お伝えしたように、可部線は1954年(昭和29年)に加計(かけ)駅まで延伸。それに伴って、この地点で国鉄の線路延長が20,000kmを越えたのです。
 それを祈念して、開業当日に「国鉄下関工事事務所の手で建てられた」
(碑文より)のがこの記念碑。

 写真奥から左にかけての道路が旧可部線。奥に坪野駅がありました。碑は可部線脇に建設されています。
 左岸なので、左側が山で、右手に水内川が流れています。

 現在は手前(逆方向を撮影した4枚目の写真も参照)の道路と接続できるようになっています。
 碑を正面から見たのが右の写真。

 碑の説明文最上部には「国鉄2万キロ記念碑」と刻まれているのですが、脇に建てられた説明文には「国鉄2万キロ標」と記されており、完全には一致していません。
 説明文については、文章そのものは異なりますが、内容に齟齬
(そご)はありません。

 裏に回って撮影したのが次の写真。上部にはレールの形、そしてその下部には「20000」と浮き彫りで記されています。63年の歳月の重みを感じます。
 左側を走る道路はもともと存在したもの。

 可部線は碑の右側から写真中央奥の山沿いに進み、加計(かけ)、そして三段峡を目指していました。
 これにて今回の鉄分補給ツアーは終了。

 西村センセイ、なぜこのような遺構や記念碑に惹かれるのか、正直なところ自分でも良くわかりません。
 JR東日本を除き、JR線の未乗区間がなくなったということがあるのかもしれません。

 しかし敦賀駅の「交流電化 発祥之地」や、たまたま自宅近くにもある「複線五千粁」記念碑にも見入ってしまいます。
 少なくとも言えることは、先人への尊敬の念があるんだろうなぁと思います。もちろん当時と現在とでは事情はいろいろ異なります。

 実際に現場を訪れると、彼ら彼女らは私利私欲──例えば国有財産の私物化──ではなく、みんなの倖せを願って働いていたように思えてくるのです。
 もちろん精神面での飢餓に晒された現代ではなく、物質的あるいは物理的生物学的に貧しかった時代の「倖せ」ではありますが。

 問われているのは現代、そして今を生きる私たち自身なのですね。

 ちなみに、この記念碑はGoogleマップ等から確認することができます。興味を持たれた方はぜひ挑戦してみてください。



6月21日(水) 可部線廃止区間探訪の旅、旧三段峡駅を後にしたセンセイは何と、バスを途中下車!?

 広島・島根ツアーのお話も終わりに近づいています。

 すでにご賢察のことと思いますが、センセイは観光地として三段峡を訪れたのではありません。三段峡まで続いてた可部線の廃線区間(可部駅─旧三段峡駅間)の様子を確かめるためです。
 可部線の歴史は長く、明治時代にはすでに横川駅─可部駅間が開業していました。

 その後、他の私鉄同様国有化され国鉄路線となりました。その後徐々に延伸を重ね、終戦後の1954年(昭和29年)には加計(かけ)駅までの区間が開業。
 しかし山間部を走る路線なので赤字が積み重なり、この延伸区間が廃止の対象に挙げられるほど。

 それにもかかわらず1969年(昭和44年)には三段峡駅まで延伸開業しただけでなく、1974年(昭和49年)にはセンセイが今回バスで訪れた浜田までの「今福線」工事が着手されました。
 ただしその6年後に今福線工事は中断。

 可部線についても利用客の減少を受けて、2003年(平成15年)に可部駅─三段峡駅間が廃止されました。
 ただし廃止区間の一部については、新線の建設という形で復活したことはお伝えした通りです。

 最初の写真は水内(みのち)駅─安野(やすの)駅間の水内川に架かる鉄橋。今にもその上を列車がやって来そうな感じがします。
 トンネルもそのままで残っていました。

 ただしセンセイが見た限りではレールはほとんど撤去されており、太田川の防災対策工事に伴って築堤の一部も崩されていました。
 右の写真は旧三段峡駅の跡。

 駅舎があった場所には交流施設が建設されていました。可部線の終端と思われる場所には写真の物体が。
 一見すると本物のレールのように見えますが、これはモニュメント。線路も、奥の車止めも本物ではありません。

 広島行のバスが旧三段峡駅前の停留所にやって来ました。乗り込んだのはセンセイだけ。ただし途中から少しずつお客さんが乗車してきます。
 このままバスに揺られていれば問題なく広島に到着するのですが、何故かセンセイは途中の「坪野」というバス停で下車します。

 この坪野(山県(やまがた)郡安芸太田町)にこそ、今回のツアーで確かめたかったものがあるのです。
 それは......。



6月20日(火) これが広島・島根ツアーの目的?! ──西村センセイ、路線バスに乗って三段峡を訪れる──

 お伝えしたように今回の広島・島根ツアーのテーマは「バス旅行」。

 延伸区間を乗り終え、可部駅まで戻ったセンセイはそこで下車して駅前のバス停へ。比較的僅かな待ち時間で駅前始発のバスに乗り込みました。
 向かったのは太田川上流にある国の特別名勝「三段峡」です(安芸太田町観光協会のサイト)。

 終点は広場のようになっていて、少し下ったところに写真の橋が架かっています。ここから先が三段峡。
 全長13kmの渓谷が続き、全部見たり乗ったり──途中、有料の渡船がある──するには数時間かかるとのこと。

 残念ながら今回はそんな余裕がないので、そのごく入口だけを散策しました。歩道は橋の対岸ですぐに細くなります。
 谷の途中を削った道だからです。場所によってはお互いに譲らないとすれ違うことができません。

 森に入ってすぐに気づいたのが、気温の変化。木々のある場所に来ただけで、気温が2、3℃低下したのです。
 母校のICUに、裏口から木々のある場所に入った途端、気温が下がるのと似ています。

 写真は最も手前にある「姉妹滝」。晴れの日が続いていたためかこの日は、右側と、左端に僅かに水の流れが見えます。
 水量が多い時はこれが3本になるとのこと。

 もう少し進むと今度は男性的で、堂々たる川の流れがあったのですが、残念ながらここで折り返します。
 とても静かで、空気が美味しい。

 三段峡の入口には日本式の旅館が2軒と飲食店、土産物店などが数軒。昔はもっと多かったようです。
 お土産を買おうと思ったのですが、お店の方がいらっしゃらなかったので、断念。

 正直なところ、あまり商売をしようという気が感じられません。そもそもお客さんがほとんどいないのです。
 三段峡を歩いていてすれ違ったのは、1枚目の写真の幼児を抱えた若夫婦だけ。入口手前にはある広い有料駐車場を利用しているのは7台のみ。

 意外だったのは、上の写真がそうであるように、若いお客さんがメインだったこと。老人が訪れる場所かなぁーというイメージを持っていたのですが、初老のカップルを1組見かけただけでした。
 帰りのバスが到着したので、乗り込みます。お客はセンセイだけ。

 まさか、今回のツアーの目的は果たして、この三段峡探訪だったのでしょうか?!(続く)



6月19日(月) JR西日本広島駅1階の旧改札口はどうやら、自らの意志を持つ程にまで進化したらしい

 というわけで、先々週末の広島・島根ツアーの続きを。

 ただしいきなり鉄分の濃いお話にすると副作用が予想されるので、今日は移動の途中に広島駅で見かけた掲示物をご紹介します。
 駅構内のあちこちに掲出されていたのです。

 訪れた方はご存じだと思いますが、JR西日本広島駅の駅舎は、特に在来線の老朽化が進んでいました。
 ところが今回訪れてみるとまるで別物。先月末から新駅舎の共用が開始されたようです。

 「1番のりばの改札」というのは、1階のホームに面した南側の改札口のこと。便利といえば便利、しかし古い改札でした。
 新駅舎ではホームへの移動はすべて2階を経由することになり、1階の旧改札口は廃止されたのです。

 それはそれで良いのですが......だいじょうぶかなぁ。

 工事はまだ終わっておらず、完成までにはまだ時間がかかるようです。また駅北側(新幹線口)では、新駅舎の工事に関連させてバス乗り場の工事も続いていました。
 個人的に気がかりだったのが、旧駅舎の土産物コーナーや飲食店。

 後者は特に、広島風のお好み焼きで有名です。訪れてみると旧駅舎のモール街や売店、そして飲食店が入る建物はそのままでした。もちろんお好み焼きのお店は繁盛。
 ただし新駅舎との位置関係が少し変わったので、飲食店へ行くためには少し歩く必要があります。

 というわけで今度こそ、可部駅で下車したセンセイが向かったのは......。(続く)



6月18日(日) ビールは安くなるんじゃなかったの? ──酒類の価格が大幅に上昇していました──

 明日からの仕事に備えて今朝、新潟の自宅を出発しました。

 本来ならば広島・島根の話に戻るところなのですが、今日はちょっと別な話題を。個人的には割とショックだったので。

 もちろんタイトルにある通りなのですが。お伝えしたように、今月から酒類が実質的に値上げされました。
 でもセンセイの場合は結果的に、前日に買い溜めする格好に。

 空き瓶が溜まったので、値上げされてから初めて酒屋さんを訪れました。センセイは自宅でも金沢でも、仙台に拠点を置く「やまや」を利用しています。
 写真は野々市店。

 いよいよお勘定。レジスターに示された数値は約400円、つまり1本あたり20円ほど高い価格を表示しています!!
 こんなに上がるとは思ってもいませんでした。

 広義のビール類の中で、ビールは酒税が一番高いのです。だからこそ民間の努力で発泡酒や「第三のビール」が開発されたという経緯があります。
 長期的にはその格差を是正するとのことだったのですが......。

 税金は取れるところから取る。その使い道については問うな、ということなんでしょうか。

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