2017年8月12日更新(2017年8月20日ページ移動。2019年5月1日一部写真削除)
■8月12日(土) これなら、時々立ち寄ってもいいかな ──いつも通る道に、新しいお店を見つけました──
昨日のテストは90分。朝イチに実施すれば10時半に終了するのです。
でももしかしたらちょっと遠くから通学している受講生がいるのかもしれない。受講生の寝坊や、交通機関の障害を考慮して、2時間目に試験を実施することにしました。そのおかげで、遅刻者は皆無。
お昼過ぎに無事テストを終えたのですが、110km離れた自宅に到着するのは3時頃。どこかでお昼を食べる必要があります。集中講義期間中の食事は、ホテルの朝食と学食、そしてスーパーの弁当総菜だけ。だから何か「ちゃんとしたもの」を食べたい。
大学近くのお店を含めて、いくつもの候補がいくつか浮かぶのですが、大きな問題が。昨日は事実上お盆休み初日。しかもお昼の、一番混む時間帯です。
大学のある新発田(しばた)市は新潟市の北北東に位置します。自宅は南西。つまり帰宅するためには新潟市を経由します。
そこで信号のない「新新(しんしん)バイパス」を使ってひとまず新潟市を抜け、それ以降の国道116号線沿いにあるお店に入ることにします。新新バイパスを24.6km/Lで快調に走り抜けて116号線に出たまでは良かったのです。でも、どのお店も入店待ち状態。
1時を過ぎているのに。なかば諦めていた時、ふと、入ったことのないお店のことを思い出しました。燕市、というか合併前の旧分水町にあるお店です。
以前ご紹介した「公楽園」の斜向かいのような場所。昔、蕎麦屋さんか和食の店だったのですが、5、6年前にラーメン専門店(?)に替わったのです。
この場所は割と通るのですが、かなり繁盛しています。2時前に現地到着。駐車場の混雑具合からして、混んではいるけど空席はある状態。センセイの前には写真の親子連れ。
お店の玄関に食券販売機がありました。前の家族連れも初めて訪れるようで、発券に時間がかかると思ったらしく、順番をセンセイに譲ってくれました。
それは有り難いのだけど、センセイからすると判断を急かされるような格好になります。店内に入ると、明らかに蕎麦屋の造り。壁際に申し訳程度にカウンター席があったので、そこに座ります。
店内の掲示で初めて、お店の名前が「くまの家(や)」であることを知りました。雑誌でも紹介されているようです。かなり待ってから届いたのが、「濃厚味噌ラーメン」(880円)。写真では良くわかりませんが、普通サイズを頼んだのに麺もトッピングもずいぶんな量。
モヤシと葱は山盛りピラミッド状態です。それはともかく、味噌スープがとても甘い。もちろん塩分を大量に含んでいるはずなので、ほとんど残しましたが。そして麺も、トッピングも良くコントロールされています。
それだけではありません。待っている間にメニューその他を読んでいたのですが、新潟県内に存在する燕三条の背油醤油系、長岡の生姜醤油系、新潟市のシンプルなラーメン、そして今回の味噌味など、いくつもの味を楽しむことができるようです。
う〜ん、これなら時々立ち寄ってもいいかな。
■8月11日(金:祝日) 新潟は日本海に面しているのに、新潟の夕陽が日本海に沈むことはない
前任校での5日間の集中講義を終えて、柏崎市の自宅へ戻りました。さすがに、疲れた。
今回も大学が用意してくれた近くのホテルに宿泊したのですが、さて、部屋は東側か西側のどちらになるのか。夏なので、西側だともろに西日が差し込みます。
もちろんカーテンを閉めて冷房を入れればいいのですが、部屋に入ってからしばらくは耐え難い蒸し暑さ。東側だとその心配はないのですが、今度は美しい夕日を見ることができない。つくづく、人間はわがままだ。
で、今回は上層階西側の部屋。宿泊2日目つまり講義初日は、かなり疲れてホテルへ戻りました。体力面に加えて、お互い初対面なので、気疲れもあったと思います。
気がつくと、ベッドでウトウトしていました。遮光カーテンを開けると日が沈んだところ。夕焼けが綺麗だったのでデジカメを手にしたのですが......あれっ!?
地平線上(中央左寄り)を拡大したのが枠内。手前の黒い砂丘と高圧電力線の鉄塔、そしてガスタンク(?)はわかります。でも問題は、その奥の「山」。暗さが違うので、相当離れています。
何でしょう?知っている人は知っている。知らない人は全然知らない。かつて越後線の車内で、初めてこれに気づいた旅人がセンセイに事実関係を尋ねて、真実を知ると感嘆していました。(実話)
これは佐渡島(さどがしま)。季節や場所にもよりますが新潟市では一般的に、夕陽は日本海にではなく佐渡島に沈みます。「日本海夕日コンサート」の会場──センセイはその近くに数年住んでいた──を含めてです。
今回の出張先である新発田市は内陸ですが、位置の関係で、夕陽はやはり佐渡に沈むんですね。というわけで、センセイは翌日から日没の瞬間の撮影を狙っていたのですが今度は、「絶対に夕陽は見せないぞ」と言わんばかりの颱風と、雨。お伝えしたように降雨そのものは大したことなかったのですけど。
昨夕は晴れたのですが、夕陽は地平線上の雲の中に消えていきました。世の中、なかなか思うようにはならない。
■8月10日(木) 見事なまでに、対照的 ――前任校の食堂の一部がラーニング・コモンズになっていた――
...あれっ!?
前任校での集中講義は4日目。講義そのものは今日の夕方まで終了し、明日午前中にテストを実施しします。初日は印刷物の準備や機器の確認などで、講義の2時間以上前に大学へ。
講義をする教室のある2階廊下を歩いていて、キャンパスの変化に気づきました。場所は見下ろす格好になる食堂。そこに配置されている椅子の背中に、何か書かれているように見えたのです。何だろう......。
講義の準備をほぼ終えて食堂に近づいた時、その正体が判明しました。何か文字か書かれていたり絵が描かれているのではなく、写真のように背の上部に穴が空いているのです。つまり新しい椅子。
改めて周囲を確認すると、テーブルも新しいものに替わっています。資金面で余裕があるとは思えないのに、どうしたんだろう。26年前の開学時からの(元)同僚に尋ねると、補助金を得ることができたため、テーブルと椅子を更新したとのこと。
そしてもう一つ。写真の施設は開学時には存在しておらず、学生の増加に対処するため、食堂のアネックスとして建設されたもの。
それを学生がお互いに学び合う「ラーニング・コモンズ」に転用したというのです。ふ〜ん。「変わった」と見るか、「あまり変わっていない」と考えるか見解は分かれるところでしょうが、そんなことと学生は無関係。ご覧のように、思い思いの使い方をしています。つまり、何か指導原理が働いているわけではない。
金沢工大は対照的。より充実した施設設備を提供していますが、基本的なコンセプトを選択するのは大学側。その提示を受けて、学生が自由にアレンジします。もちろん大学側が意図したように動く学生が多い。
つまりルールや基本が先。例外が、後。でもこの大学ではホントに多様な学生が学んでいます。センセイのクラスを含めて、心身に問題を抱えた学生が目立つのですが、彼ら彼女らはごく普通に振舞っています。
身体のかなり重いハンディを負っている電動車椅子の学生がいるのですが、何事もないかのように、介助なしに食事しています。その反面、本来ならばちょっと手助けしてあげるだけでずいぶん変わると思われる学生が、ポツンと孤立していたりします。センセイが常勤ならいろいろ働きかけもできるのでしょうが、こちらは数日滞在するだけの非常勤。
立場を含めて、できることには限界があります。良くも悪くも、まったく対照的な金沢工大と前任校なのです。
■8月9日(水) プレゼント ――皆さんの一生の中で、間違いなく、今日ここでしか経験できないこと――
集中講義は折り返し地点を過ぎて、佳境に入っています。
初日と2日目、つまり昨日まではとても渋い話題が続きました。でもこれ、いわば修行のようなもの。師に就(つ)いたばかりの者が、毎日雑巾がけばかりされられるのに似ています。
学ぶ側からすると、手っ取り早く「利益」を手に入れたいので、途中を省略して果実を欲しがります。でも残念ながら、それでは本当の果実を手に入れることはできない。よくわかんないけど、そしてかなり理不尽だけど、しばらく師匠が言う通りに行動する。ここがツボ。
......あ"っ。もし受講生に能力があれば、ある日突然、そのような「修行」の中に何かのルール、あるいは秘密が存在することに気づきます。
その瞬間、今まで無意味に思えてきたことの意味が目の前に姿を現します。これからの人生で取り組むべき課題とともに。センセイの側からすると、それを受講生に体験させることができるかどうかがポイント。例年だと、受講生の大半は無事にその壁を越えることができるものの、そうでない人が一定数存在することも確か。
でも今年のクラスはとても特徴があります。まず、お伝えしたようにとても個性に溢れています。そして今回は何と、全員がそれぞれの方法でその壁を乗り越えています。
素晴らしい。写真はガリレオ・ガリレイが1609年に自ら製作し、初めての天体観測を行った望遠鏡――センセイが学部学生時代に作った光学的なレプリカ――を、休憩時間を利用して順番に覗いているところ。受講生の許可を得て撮影しています。
室内が暗いのは、視聴覚教材を提示する関係で、手前を除き、ブラインドを降ろしているからです。このガリレオ式(あるいは「地上型」)望遠鏡、オペラグラスを除き現在ではほぼまったく利用されていません。視野が狭いとか、実像を結ばないために目盛りを設置することができないなどの欠点があるからです。
でもそれらは、自分の目で実際に見てみなければわからない。受講生の人生の中で、間違いなく、今日、ここでしか経験できないことなのです。
■8月8日(火) 颱風5号の来襲前に、カシャッ!! ――前任校で集中講義を始めました――
この時期に例年行っている、前任校での集中講義は2日目。
今年の受講生はとても興味深い。何よりも、個性豊かなメンバーが揃っています。基本的には、前任校時代を含めて四半世紀以上教えている内容。もちろん毎年改訂していますが。
それなのに、初めて経験する反応がいくつも。「なるほど、そう来たかぁー」という感じ。多少のミスをしながらも何とか講義を始めることができました。お互いの「間合い」のようなものがわかると、後は順調。
お互いホンネで語り合います。というわけで講義は順調なのですが、心配なのは颱風5号。今日の午後、講義を終えるころに当地に最接近し、50kmほど離れた場所を通過しました。
センセイ個人は車で来ているので大きな問題はないのです。でも受講生の通学がちょっと心配。そしてもう一つ、気になる点が。開学記念に植樹した、大学構内の「ニュートンのりんごの木」です。
昨日、キャンパス到着直後に様子を確認したのですが、例年になく大きく、重そうな実をいくつもつけています。
というわけで、昨日撮影したのが写真。今日は予報通り、颱風の接近に伴って午後から雨が降り始めました。もちろん風も吹き始めたのですが、幸いなことに、現在のところいずれもそれほど強くありません。
この調子で持ちこたえくれるとありがたいのですが......。
■8月7日(月) 新津鉄道資料館に初めて入ってみました ――センセイはどこでも鉄分補給――
今日はタイトル通りの話題。
お伝えしたようにセンセイは今日から、大学の特別な許可を頂いて、新潟県北部の新発田市にある前任校で集中講義を行っています。
颱風によるフェーン現象で引き起こされた猛暑――最寄りアメダス観測地点である中条の最高気温は37.3℃!! ――の中、2時間半前にご出勤。準備を整えて、学生を迎えます。
初日の今日もいろいろ感じ、考えることがあったのですが、でもそれは後日。(たぶん)お伝えしたようにセンセイは昨日、旧新津(にいつ)市(現新潟市秋葉区)を経由して宿泊先へ移動しました。最大の理由は、弟宅への経路。新津経由が最短経路なのです。
ただし皆様お察しの通り、それ以外の要因も働いています。市内にある新津鉄道資料館に入ってようと思ったのです。実は一昨年初めてこの地を訪れています。
センセイが何度も乗った特急電車がここに搬入され、保存されているからです。でもその時はまだ、収納する施設は工事中で、車両をちゃんと確認することはできませんでした。また時間の関係で、センセイは資料館内部に入っていません。
センセイにとって新津は、あまり来る機会がない地域。新潟県はとても広いのです。そこでこの機会にちゃんと資料館に入るとともに、485系特急電車の様子を確かめることにしました。そしてもう一つ。
資料館に最近、E4系二階建て新幹線車両と、115系電車が保存のために搬入されたのです。施設の入口にある200系新幹線とC57型蒸気機関車の前を通って、駐車場へ。目の前が最初の写真の鉄道資料館。
ちょっと予想外だったのですが、親子連れでかなり混雑。周囲をひとまず確認してから、改めて入館します。この時初めて知ったのですが夏休み期間中、子供たちは無料で入館できるのですね。
たぶんそれが、混雑の理由。館内には鉄道の街として知られた新津に関する資料が展示されています。かつては新潟駅長から新津駅長への異動が栄転だったほど、新津は鉄道で栄えた街なのです。
でも、個人的には初めて知ることが多かったものの、若い方、あるいは子供たちには内容が渋すぎるかな。館内を一周すると外へ出て、お目当ての485系「クハ481-1508」(一番右の車両)の展示施設へ......あれっ?!
今日のヘッドマークは「いなほ」だ。新潟所属の485系特急電車は、金沢までの「北越」――かつては一部大阪までの「雷鳥」――と、秋田青森方面への「いなほ」が一括運用されていました。だから「いなほ」で全く問題ないのですが、個人的には「北越」。
わがままそのものですね。カーテンは閉められていましたが、「いつもの席」を確認して、ぐるっと一周します。その奥には新潟で活躍した「上沼垂色」の115系と、E4系。覆いの施設がないせいか、あまりの暑さのためか、ちょっと存在感が薄い。
最後に、もう一つだけ気づいたことが。「クハ481-1508」、やはりちょっと元気がない。整備点検後のピカピカの塗装の時も、逆に錆が目立って痛々しい時も見ています。でもそのいずれもに、生気が溢れていました。
命を持たない機械なのに。しかし、このように展示されていると、どこか少しずつ魂が薄れていき、塗装された鉄の塊に戻っていくのです。
■8月6日(日) 再度の最高気温35℃の中を抜けて、新潟県北部へ移動しました
今日は移動日。
自動車での移動なので交通事故が一番怖い。だから十分に睡眠を......と思ったのですが、夜になっても暑いままだし、朝はまだ明るいうちから家の外で、水をかけるような大きな音が。
早起きの家人に後で訊いたら、近くの若い人が洗車していたのだとか。昨日は珍しく、新潟の自宅へ留まりました。もちろん、田舎の大イベントであるお盆が迫っていることもあって、高齢の伯母を見舞ったり、実家へ行ったりしましたが。
さて、お昼をどうしよう。たまには自宅でも、と、伯母の納骨の返礼として頂いた素麺「揖保の糸」をと思ったら、余所にあげてしまったとのこといつものセンセイなら、約50年間通った贔屓(ひいき)のラーメン店他へ行くところ。
でも一応、キンエン生活継続中。実際は、無罪放免のようなものなのですが。そこで味はともかく、塩分の少ない他のお店にすることに。途中、旧市街地の再開発で建設された「風のまち フォジェ」へ立ち寄りました。
10年前の中越沖地震当日の写真(5枚目)右奥に映っているショッピングモールです。エスカレーターに乗っていると、写真の絵行燈(あんどん)に気づきました。お盆の夜に、旧市街中心部を交通止めにしてこれを飾り、故人を忍び、お盆の帰省客を迎えます。でもこの絵行燈、実は昔からあった行事ではありません。
それもあってか、地元紙の報道によると今年で終わりにするとのこと。で、今日はやや睡眠不足気味の状態で自宅を出発。途中立ち寄った旧新津(にいつ)市(現新潟市秋葉区)の最高気温は35.1℃。
なぜ新津なのかは、近日中にご紹介できると思います。羽越線沿いに車を走らせ、新潟市内の弟宅に立ち寄り、季節のご挨拶。あまりに暑いので、早々に退散して車に戻ります。
エアコンが効いているので、車内の方が涼しいのです。ほどなく無事に、新潟県北部、新発田(しばた)市のホテルに到着。センセイは金沢工大から特別の許可を頂いて、明日から数日間、前任校で集中講義を行います。