2016年8月13日更新(2016年8月21日ページ移動。2018年5月27日一部写真削除)
■8月13日(土) 世代が静かに交替していく。センセイ自身を含めて... ──田舎はお盆を迎えています──
今日はお盆。田舎では7月ではなく8月のお盆を重視します。
母親から出動要請があったので、朝食を済ませると10kmくらい離れた実家へ。昨年結婚し、首都圏で暮らす姪夫婦らが墓参のため、お昼にやって来るというのです。
お刺身と料理は仕出し屋が届けてくれますが、その他必要なものを買い求める必要があります。母親を乗せて、まず近くの大型スーパーへ。開店直後に到着したのですが、どんどんとお客さんが入ってきて、レジの手前には長い列ができます。
自宅へ戻ると療養中の従兄弟と、その家族がお墓参りに来ているとのこと。センセイは1957年(昭和32年)の生まれですが、両親は兄弟が多い。父親は6人姉妹(+2人の兄弟)の最後の方で、母親は7人(内、1人が男)。
「生めよ増やせよ」が掲げられていた戦前の田舎ではこれが普通だったのです。しかもこれはある程度生き延びた人間の数。仏壇の過去帳を読んで知ったのですが、戦前は小さな子供の頃に死去してしまうことが多く、それらはカウントに入っていません。
中には、死んだ子供の名前をもらった伯母も。従って従兄弟は非常に多く、ざっと数えただけで50人くらい(正確に数えることができませんでした)。しかも年齢差は30歳以上。
子供の頃、従兄弟だと思っていた人が従兄弟の子だったり。写真中央は西村家の墓ではなく、死後、涅槃(ねはん)に導いてくれるという「六地蔵」。
右端でお祈りしているのは従兄弟。公務員でかなりの役職を努めましたが、数年前に脳の病気を患い、現在は近くの療養施設に入っています。
今日は特別に出所してきました。自宅に戻ると向かいの親戚宅を訪れます。実家から伯母が嫁いだのですが、こちらは数年前に心臓の病気で死去。
仏壇にお参りすると、迎えてくれたのは約40年ぶりに再開する従姉妹。子供の頃は実家の3兄弟と向かいの4姉妹とでまるで一つの家族のように遊んだ仲。今日も、お互いに子供の頃に戻って「ちゃん」で呼んでしまいます。
お互い50歳代後半になっているのに。お互いの家族の様子や、数少なくなった伯父伯母、そして従姉妹の近況を確認したのですが、センセイより少し上の従姉妹(別な伯母の娘)が若年性痴呆とのこと。
親のことも認識できないそうです。一方、従姉妹の1歳半の娘さんはとても可愛い。愛嬌を振りまいていたかと思うと、母親(=従姉妹の娘)の姿を見失うと、途端に表情を一変させます。その姿もまた、愛おしい。
センセイを含めて世代が静かに、しかし確実に交替していきます。田舎のお盆はそれを再確認する、節目の役目を果たしています。
■8月12日(金) これが、最後かな... ──西村センセイ、柿崎駅の駅員にお礼を言う──
勘の良い方はすでにお気づきだと思います。
センセイが昨日の午前中、ちょっと無理をしてでも柿崎駅(初代および工事中)を訪れた理由を。お察しの通り、入手しにくい夜行寝台特急券を購入するためです。え"っ?
夜行寝台特急なんて、もうすべて廃止されたんじゃないか、って?そうお考えになるのもごもっとも。1年半前のJRダイヤ大改正で、北陸を走っていた「トワイライトエクスプレス」、そして上野と札幌を結んでいた「北斗星」と「カシオペア」廃止が大きく伝えられましたから。
でも、一列車だけ残っているのです。それが東京と高松、出雲市を結んでいる電車型寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」。東京−岡山間は連結して運行されます。後者は出雲大社を訪れる若い女性に人気なんだとか。
センセイは2000年以来、下関発東京行(!!)の臨時特急「サンライズゆめ」を含めて、個人および娘と二人で何度か利用しています。実は9月上旬に学会二つと研究会が連続するのですが、最後の学会の開催地は徳島。センセイは学会の理事──会社の「役員」に当たる──なので、最終日最後のプログラムに出席したい。予定時刻は17時15分。
四国の徳島で、です。いろいろ考えたのですが、ひとまず高松に出て、そこから夜行寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗り、東京、そして新潟の自宅を経由して金沢に戻ることにしました。
申請書類上は金沢への直帰。差額は自己負担です。どうせ乗るなら、というわけで何度か利用しているA個室寝台を確保しようと思ったのです。「北斗星」ほどではないにしろ、入手が難しいA個室寝台。
こちらもいろいろ考えて、柿崎駅でお願いすることにしました。以前はJR西日本の泊駅や西金沢駅でもお願いしたことがあるのですが、前者は第三セクター化されたので利用できません。
西金沢駅では電話予約を受け付けなくなったので、発券開始の10時ちょうどに存在する必要があるのです。窓口で駅員さんに説明すると、最初はやや戸惑った表情を見せたものの、詳細を記した文面を読んで、「この通り発行すればいいんですよね」。
実は、何度かお世話になった方。あちらもセンセイを覚えているはず。JR退職後、関連会社で働いていらっしゃるのでしょう。こちらの意図を完全に理解していらっしゃいます。
10時ちょうどになって、数秒してからキーを叩く音が1回だけ。事前に情報を入力しておき、10時を過ぎたことを確かめてから発券を請求したんですね。そして少なくとも表面上は淡々と、「お客さん、取れました」。
目的地が北海道なら、夜行寝台特急の乗車が主目的でも行くかもしれない。でも「サンライズ瀬戸・出雲」の運行区間や到着時刻は、観光客には中途半端──ビジネス客には便利──なので、理由がないとなかなか乗れない。
しかもセンセイはもう、かなりの高齢。これまで50本以上利用した夜行寝台特急も、これが最後かな...。
■8月11日(木:祝日) 西村センセイ、この行事のためだけに金沢へ移動する
お伝えしたように今回の前任校での集中講義は、変則的な日程。
学生諸君にとてはかなり辛かったようで、朝1限の出席率、特に土曜日の出席率が低かったのはそのためでしょう。来年は改善しなければと思っています。
でも妙な日程になったのには、それなりの理由が。一つはどうしても週末にかかってしまうことで、これは誰のせいでもありません。今日が「山の日」になったのも、まぁ、仕方ないかな。最後にもう一つ。
今日の午後、大学コンソーシアム石川の設立10周年記念行事が金沢市内で開かれたのです。今朝は遅い時間に自宅を出発し、ひとまず上越市の柿崎駅へ。所用を済ませると、柿崎I.C.から北陸自動車道で金沢を目指します。高速道路はあまり好きではないのですが、今日は仕方ない。
いつもは80km/hでゆっくりと走るのですが、今日は少し急いでいるので、制限速度ちょうどで走行。本当は金沢まで全線高速を利用するつもりだったのですが、予想よりよりも早く高速に入れたこともあり、石川県の手前で一般道へ降りました。一部80km/h制限区間を含むため、高速道路区間の平均速度は95.0km/h。
この条件で高速道路区間の燃費は22.0km/Lでした。交通事故が恐いので、100km/hで走行していても安全運転を心がけます。お盆に入っているので交通量が多い。
また他県のナンバー、そして子供連れが目立ちます。無事にアパートへ到着し、背広に着替えて路線バスに乗車。記念行事の会場へ到着すると、すでに多くの関係者が集まっていました。
記念行事は定刻に開始。本当は、前文部科学大臣の講演など、会の様子をご紹介するつもりだったのですが、録音録画、写真撮影は不可。
続いて行われた関連行事である留学生の壮行会は「どうぞ皆様、カメラに...」。プレゼンテーションの様子を撮影させていただきましたが、初々しさの中に、決意が溢れています。
文部科学省高官や協賛企業の挨拶などがあり、約4時間かけて全プログラムを終了。再び路線バスでアパートへ。明日は気持ちを切り替えて、できるだけ一般道を使って新潟の自宅へ移動します。もちろん安全運転で、です。
■8月10日(水) 集中講義を終えてから、大学脇に新規オープンしたラーメン店に入ってみました
というわけで昨晩は、勤務を終えた元同僚と新発田市内の飲み屋さんで夕食。
ご主人が今日釣ってきた新鮮な鮎──こんなに大きくて肉の付いているものは初めて見ました──の塩焼きや、息子さんが佐渡でつり上げた(!!)鯛の煮付けなどなど。
いや本当にご馳走でした。話題の方も盛り上がり、あの後こうなってああなってそうなって......ふ〜ん、そうだったんですかぁ。ただしこの辺はオトナの会話なので、内容は省略。最後は奥様の車でホテルへ送っていただきました。
深謝、深謝。どんなに飲んでもそこはサラリーマン。今朝はいつも通りに起きて職員がまだいない大学へ出勤します。準備を整えて、最後の講義と続くテストを無事に終えます。
今回の受講生は個性が出ていて、とても印象に残りました。来年も受けてくれるかな。あちこちに挨拶して、大学を離れます。どこかでお昼を食べる必要があるのですが、今日はいつもと違うルートを選択しました。
本当は「やま正」へ行こうかなと思っていたのです。でも「やま正」だと市街地を北東へ数km走ってから、自宅まで南西へ約110km戻ることになります。でも、もう一つ理由が。
日曜日に弟宅へ向かう途中、大学のすぐ近くに新しいラーメン店を見つけたのです。それが写真の「中華そば 満月」。平日ですが、まさにお昼時。入店すると満席とのことでしばらく待たされました。この機会にお勧めを尋ねます。
人気があるのは「辛し味噌ラーメン」とのこと。初めてであることを伝えると「麺の味が分かる醤油ラーメンがお勧めです」。程なく席に誘導されたので、彼女に推薦の品にする旨を伝えます。
改めて店内を見渡します。ここは確か、コンビニだったはず。道路の反対側に、広い駐車場を持つ新しいお店が営業していたので、撤退したのでしょうか。
よく見るとお店、コンビニ店舗を外側に拡張したような格好になっています。程なくして届いたのが写真の醤油ラーメン。確かに、見るからに東日本の醤油味で、スープはかなりしょっぱい。
塩分摂取制限中のセンセイは、一口だけにします。続いて、海苔とほうれん草、メンマを頂きます。肉厚のチャーシューは、美味しかったのですが、センセイには多すぎるので少し頂くだけにしました。
そしていよいよ、麺。中細麺で、割と良い造りです。ただし少し茹ですぎなので、柔らかく、コシがなくなっています。本当はかなり美味しい麺なんだろうなぁ。
なお、「違いが分かる」という店員さんのアドバイスはその通り。細かいところまで、そして全体としてはとてもバランスが取れていることまで良く分かります。これはもう、誰かの個人プレーで実現できるラーメンではありません。
実はこのお店に入ろうと思った、もう一つの理由があります。センセイの自宅近くで、同じ看板を見たような気がしたのです。車を走らせながら記憶を辿ると、何度もお店が替わる場所があって、そこで数ヶ月営業していたような......。
センセイは入ってみる機会がありませんでした。現在は別なお店になっています。帰宅してから調べてみると、新潟では良く知られたチェーン店があって、その経営者が替わった時に、トラブルが発生してしまったようです。新経営陣に付いていけないメンバーがそれぞれにお店を立ち上げ......。
「満月」はその一つらしく、閉店した柏崎店を含めて、新潟県内にすでに数店舗を展開。味がこなれているのは、そのせいなんですね。辛さに強くないセンセイ、「今度来る時は辛し抜き──選択可能──の辛し味噌ラーメンを......」と思っていました。
でも「その時」があるかどうか、良く分からなくなってきました。
■8月9日(火) 長期滞在のポイントは、食料の確保 ――地元野菜の直売所に入ってみました――
前任校での集中講義も、4日目を終えました。
明日、講義とテストを実施したらひとまず自宅へ戻るのですが、この間、写真奥のホテルに泊まっています。このような滞在で考えなければならないのは、晩御飯。
朝食はホテルのバイキング――日替わりでも、すぐに飽きてしまう――だし、お昼は大学食堂。かつての同僚と飲食してもいいのですが、みんな忙しそうだし、ここは車がないと生きていけない場所。
「駅前で軽く一杯」というわけにはいきません。そこで講義を終えると途中にあるスーパーで惣菜と弁当、そしてビールを買ってホテルに戻るという毎日。
でもスーパーの品揃えはなかなか変わらない。以前は近くに別なスーパーがあって、良く利用させていただいていたのですが、数年前に倒産。
更地になった後、コンビニになっていました。その代わり、と言っては何ですが、去年その存在に気づいたものの、営業時刻を過ぎて入店できなかった「わくわくファーム」 (新発田店)に入ってみました。
もしかしたら惣菜や弁当があるかも、と思ったのです。事前調査なしに入ってみたのですが、ホームページにあるように、地元野菜の直販がメイン。スーパーに並んでいるものより品質が良いし、価格も手ごろです。
センセイがここに住んでいたら、スーパーより利用すると思います。お目当ての総菜ですが、いかにも「手作り」というものがかなりの種類並んでいました。ただし個数は少ないので、お目当ての品があってもすぐに売り切れてしまうかも。
ただしお弁当は販売していないようでした(昼間の販売はあるのかもしれません)。このお店には、去年お伝えしたまさにその理由でぜひ頑張ってもらいたい。しかし残念ながら、通りすがりの人間が商品を購入するかどうかは別。
結局、今回は惣菜を買い求めることなしに、明日の最終日を迎えることになりました。「今日買いに行けよ」という声が聞こえそうですが、実は、元同僚からお声が掛かり、今晩は市内で飲むことになっているのです。はい。
■8月8日(月) 最高気温38.1℃の新発田市旧市街を、車で走ってみました
昨日の続き。当地には気象庁の観測拠点がないのですが、隣の中条では昨日、38.1℃を記録しました。全国2位の記録だったそうです。
お伝えしたようにセンセイは昨日、お昼までホテルの部屋に留まっていました。今回割り当てられたのは10階建てホテルの最上階角部屋。つまり天井裏は、屋根。
お昼が近くなると、屋根がじりじりと熱くなってくるのがわかります。(実話)お昼を「やま正」で済ませた後、弟宅へ向かったのですが、両者は新発田市を挟んで反対側の位置関係にあります。つまり新発田市を再度通り抜ける必要があります。
市の中心部を迂回する国道7号線を戻っても良かったのですが、せっかくの機会なので、旧市街地を通り抜けることにしました。部分的なものを除けば、車で旧市街地に入るのは10年ぶりくらいじゃないかしら。
国道7号線の、大きな交差点を左折して、旧市街地に入ります。激しい入れ替わりを経験しつつも、国道沿いのお店が何とかやっているのとは対照的に、旧市街地では僅かな飲食店とコンビニを除き、お店は閉じたまま。走る車も、歩く人も見かけません。
正直なところ、ゴーストタウンのよう。もちろん、昨日が日曜日で、しかも極端に暑かったからという事情は斟酌(しんしゃく)すべきでしょう。しかしそれにしても寂れている。
いろいろ考えながら交差点を左へ。この先にあるのは新発田駅。今回はいろいろお世話になった新発田駅に用があるのではなく、その向かい側が目的地。
写真の、左右2つに別れた新発田市の駅前複合施設「イクネス新発田」です。左側は新発田市立図書館などが入る公共の施設。右側が先行して開業した民間棟「MINTO館」。
この建物3、4階に、新発田市と締結した包括連結協定に基づいて、敬和学園大学の学生寮が新築されたのです。実はここに至るまでいろいろあったのですが、この4月にとにもかくにも動き出したとのこと。
外からですが、その様子をこの目で確かめたかったのです。実際にはあまりの暑さにすぐに退散し、途中のスーパーでお土産を買って弟宅へ向かったのですが。
■8月7日(日) 新発田を離れて以来約15年ぶりに、市内の「お食事処 やま正」を訪れてみました
センセイは毎年この時期に、集中講義を行っています。
ちゃんと受講した学生の努力に応えるべく「単位」を与えるためには、90分授業を16回実施する必要があります。頑張って1日4限講義するとして、4日かかる計算。
初日は金沢ないしは自宅からの移動があるし、最終回にはテストを実施します。いつもは1日に3〜4回講義して、5日で規定の回数を満たしていました。ところが今年から8月11日(木)が「山の日」として祝日に制定。だからこの日に講義をするわけにはいきません。
しかも何と、その「山の日」に、金沢で出席しなくてはならない行事が開かれることに。行事までには講義を終えて、金沢へ移動している必要があります。受講生が頭の中を整理するために、少しでもいいからテストの前に時間を取りたい。というわけで、今年度は曜日まわりとの関係もあって、結局、先週後半から講義を始め、来週水曜日まで講義することになりました。
幸いにも、お伝えしたように講義はとても有意義で、順調に進んでいます。激しく消耗する行政の仕事とはまったく違って、とても心地よい疲れ方。でも、朝から夕方まで6時間肉体労働をしていることは事実。センセイもう高齢なので、やはりかなり疲れます。
というわけで今日の日曜日、前半は室内の清掃を遠慮してもらって、ホテルから出ずに部屋で仕事をしていました。でもお昼を食べないわけにはいかない。また午後は、近くに住んでいる弟宅を訪問することにしています。そこでお昼過ぎにホテルを出て、しばらく行ったことのない場所を訪れることにしました。
敬和学園大学がある新発田には毎年来ているのです。でも大学は新発田市中心部ではなく、市の、新潟方面からの入口に場所に当たる位置しています。つまり旧市街地に入る必要はありません。ホテルもスーパーも大学のすぐそば。
そこから先へ行く必要がない......。電車では新発田までの白新線や、新発田以北の羽越本線を何度か乗車しており、沿線の変化を確認しています。でも新発田を抜ける幹線道路である国道7号線はホテルまでしか走ったことがありません。
国道沿いの様子を確かめたいという気持ちもあったので、時々行っていた「お食事処 やま正」へ行ってみることにしました。この地域では割と知られたお店。でも古くからの人にとっては、「新発田(しばた)の・・・」ではなく「加治川(かじかわ)の『やま正』」。
お店は旧新発田市の北隣、旧加治川村にあるのです。新発田市は周囲の町村が衰退するのとは対照的に、新潟県北部、通称「阿賀北」地区の中核として成長しつつあります。
特に国道7号線沿いの発展あるいは変化には驚かされるものがあります。1995年にセンセイが学会の懇親会を開いたホールはすでに存在しておらず、有名なHARD OFFの原点となったお店は、何故か葬儀会場になっていました。
初めて見るお店もたくさんあります。センセイがここを離れてから14年以上が経過しているのですから、当然か......。でも、旧新発田地区を抜けると、沿線の表情は一変します。北蒲原のどこにでもある風景。もう少し走らせただけで、「やま正」到着。
車を運転しながら気づいたのですが、あの頃、何を食べていたんだっけ......。とてもおいしいお店なので、1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件の日を含めて、2週間に1回くらいの頻度でこのお店を訪れていました。
お昼の、しかしピークは過ぎている時間帯なのに駐車場は満車。外壁は塗り直したようですが、灯篭のある庭園などを含めて、お店はそのまま。いかにも田舎のお店、という感じ。
手動の引き戸を抜けて店内へ。店内は混雑しています。最初はちょっと記憶が混乱していましたが、徐々に以前の様子を思い出します。基本的には以前のまま。
田舎なので、広い座敷を備えています。少々待ってからテーブル席に案内されたのですが......何を食べていたのか、ついに思い出すことができませんでした。
五目ラーメンの類を頼んでいたような気がするので、それをお願いします。センセイの目の前、天井近くには壁掛けテレビ。センセイはたぶんこの場所で地下鉄サリン事件の発生を知ったのです。それを伝えるテレビはもちろん、ブラウン管式だったはずですが。
店内は家族連れで混雑しています。しばらく待って届いたのが写真の「五目ラーメン」。実はお願いしてからメニューを見直していたのです。かつてのものとは相当違うのですが、このお店の看板商品は味噌ラーメン。たぶんセンセイは「味噌五目ラーメン」を頼んでいたんじゃないかと思います。
カニ風味の蒲鉾を含めて、とてもボリュームがあります。基本的にはとてもおいしいのですが、事前の予想――十分確認せずに訪れた――と違って塩味。塩分摂取に気をつけているので、注意しながら頂戴しました。
今度訪れる時があるとしたら、その時は味噌五目かな。