2016年12月31日更新(2017年1月8日ページ移動。2018年11月24日一部写真削除)
■12月31日(土) 1年の終わりは健康チェック ──今年1年、大変お世話になりました──
と言っても、今年度のセンセイの健康診断ではありません。
今年度、特に後半は週末に立場上の仕事が続き、あまり新潟の自宅に戻る時間がありませんでした。帰っても翌日には金沢へ移動というパターン。
しかも自宅にいる時は両親や伯母、親戚など広い意味での家族サービス。何が問題かというと、自宅書斎のオーディオおよびMacのシステムの手入れがなかなかできない。これらは建物の「家」と似て、手入れをしないとどんどんダメになります。機器類にとっては適度に使用してもらうのが長持ちの秘訣。
ラック内の機器は順次更新されています。今週は月曜日に帰宅したのですが、持ち帰った仕事──終わらずに、年を越してしまう!! ──が最優先。それに家族サービスも飛び込んでくるし。
で、今日、しばらく通電していなかった機器類を簡単にチェックしてみました。特に問題なのが写真中央の機器類。これらは代替が存在しないのです。中でも危惧していたのが、下から2番目のナカミチのカセットデッキ“ZX-7”。
1981年製造、つまり何と、35年前のモデル。幸いにも問題なく動作したので、その上の業務用デジタル・オーディオ・カセット・デッキ(DAT)“PCM-2300”をチェック。1991年頃の製造です。
しかし電源を投入すると、カセットの排出ができない......。やはりしばらく使っていなかったためグリスが硬化していたようで、何度も繰り返すと無事作動できるようになりました。
やれやれ。しかしこのデッキ、実はお役目を終えています。もともと記録されているのはデジタルデータ。適切に変換してPC類に収めることさえすれば、元のテープ(とデッキ)は不要なのです。
しかしなかなか廃棄できない。大型のラックをずっと使用している(9年前/6年前/今年年初)という理由もあるのですが、大半の機器は、センセイが若く金銭的に余裕のない時代に、かなり無理して購入したもの。
そしてその後、いろいろな場面を共に乗り切ってきた関係。もう何年かすればセンセイは金沢から離れ──来年度末が定年退職──て自宅に根拠を移します。そうなればもうちょっと余裕ができると思うのですが......。
問題はその時まで、センセイが物理的に存在しているかどうかだったりして。今年1年、皆様には大変お世話になりました。良い年末年始をお迎え下さい。
■12月30日(金) 西村センセイ、雪の降る年末に鉄分を補給し損ねる
今日は見たままの、そして見損ねてしまった話題。
都内で働いている娘が帰省するというので、今朝、JR信越線長岡駅まで迎えに行きました。交通の便が悪いので、迎えに来て欲しいというのです。
初めての北長岡駅。もちろん前任校の時代は建物の向こうを走るJR信越線に毎日のように乗っていました。
でも当時は、列車から駅舎を見るだけ。しかもその時見ていたのは写真の建物ではなく、古く大きな木造の駅舎でした。写真の瀟洒な建物は一昨年新築されたもの。
奥の跨線橋はかつての様子を残しています。上にある大きな構造物は上越新幹線の高架橋です。自宅を出る時は無雪だったのですが、豪雪で知られる長岡。柏崎市との峠付近は積雪があったので、かなり注意して運転しました。
市街地に入ると雪は少なくなったのですが、それでもうっすらと積もっています。少し時間があったので周囲を歩いてみたのですが、何か違う。敷地が広く、貨物線の跡も。ただの停車場ではありません。
帰宅してから調べてみると、かつて、近くにある製紙工場や金属工場、紡績工場などへの引き込み線が存在したのですね。あらかじめ少しでも情報があれば、もっと有益な訪問になったのに。う〜ん、残念。
■12月29日(木) これが生涯、最後の一皿かも... ──キンエン生活を維持、継続するための智慧(?)──
「キンエン」と言ってもご存じのようにセンセイはノン・スモーカー。煙は非常に苦手です。
以前お伝えしたように、センセイは今春の検診で中等リスクを伴う高血圧状態を指摘されたのです。要するに塩分摂取過多。そこで禁煙ならぬ「禁塩」を始めたのです。
もちろん食事には必ず塩分が含まれていますから、正確には「減塩」ですが。おかげで僅か3カ月で収縮期・拡張期血圧ともに約30mmHg改善されました。やればできるじゃん。ただし問題はその状態をさらに改善、あるいは最低でも維持、継続すること。
これが本当に難しい。人類は進化の過程で常に飢餓状況を生き延びてきたので、万一の事態に備えて必要以上の食料と塩分を摂取をするよう、DNAに書き込まれています。要するに減塩は、本能との闘い。
センセイは家庭を持っていますが、時間だけを考えれば大半は一人暮らしのようなもの。意識すれば食生活をかなり改善することができます。実際、先ほどの改善された数値はそれを証明していますが、塩分──センセイの場合は塩より醤油──を欲しくなる時があるのも事実。
そこでこのところ、基本的にはキンエン生活を厳守しながら、時々はそのご褒美(?)に「食べたいなぁー」と思ったものを許可することにしました。それがまさに、今日。ずっと自宅で遅れている仕事をしていたのですが、昼食を何にしようか考えた結果、本当に久しぶりにうれっ子へ行くことにしました。
人気店なので、年末年始は混雑するだろうなぁーという理由もあります。西村センセイ、キンエン生活を始めてラーメン類の塩分の多さを再確認しました。特に野菜が入っているので身体に良いだろうと思っていた五目ラーメン類(あんかけ)の塩分が一番多い部類だとは...。
カップ麺に至っては、キンエン生活を始めてからまったく口にしていません。今日の午前中は晴れていたので、娘が乗っていた自転車でお店に到着。さて、何にしよう。今日はいわば無礼講。せっかくの機会なので、焼きそばをお願いしました。
塩分の多寡(たか)が理由ではありません。少々説明が必要でしょう。センセイはこのお店に約50年(たぶん49年)通っています。その間に息子さんが生まれ、ご主人が亡くなられました。
現在は息子さんとその奥様、そして高齢になったお母様で店を続けていらっしゃいます。お母様が作られる焼きそばは、まさに絶品。ただし彼女は高齢なので、現在、通常ならば焼きそばを作りません。
何人かの中国人男性、あるいは一人の日本人女性に代わってもらっているのですが、誰も「あの味」を再現できない。年末であること、そしてシフトの関係だと思いますが、今日はそのお母様が焼きそばを作ってくださったのです。
(完全な繰り返しですが)これがもう、本当に美味しい。(写真の不出来についてはセンセイの責任です)偏見と言われればそれまでですが、中華鍋に火を入れた時から違いは明らか。投じられた野菜が、そして脇に立つ息子さんから渡された茹で麺が、心地よさそうに中華鍋で踊っているのです。
本当に、麺を含めて素材が持つ力を引き出しています。申し訳ないのですが、他の方は調味料でそれを抑えつける感じ。実際、味も濃く、しかも辛い。箸をつける前に、ふと、1枚だけ写真を撮影させていただきました。
お母様は矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいます。でも彼女とセンセイの年齢を考えると、これが最後の一皿になるかもしれないからです。
■12月28日(水) 2011年の水害で不通になっていたJR只見線が、上下分離方式で全線復旧へ
朝、びっくりするニュースに出くわしました。2011年の大水害で数本の橋脚が流出するなど壊滅的な被害を受けた只見線を全線復旧させるというのです。
写真はそれを伝える地元紙『福島民友新聞』。((c)福島民友新聞社)只見線は福島県の会津地方と新潟県中越(小出)を結ぶローカル線。山岳路線のため全線開通は1971年。国鉄およびJRの歴史から考えれば、遅い開通です。会津盆地を除くほぼ全線が、「秘境」としか言いようがない山間部。
個人的には4回乗車していますが、沿線は絶景が続きます。秋は線路に落ちた紅葉の油分でスリップして列車が遅れるし、冬は深く、冷え切った雪の中を列車が進みます。
会津若松から何時間もかけて険しい山と只見川に挟まれた場所を進むと、急に盆地状に開けたとても美しい場所に出ます。
そして到着するのが只見駅。只見線は、2011年の水害から徐々に復旧してきたものの、その只見駅と、福島側の会津川口駅間だけが取り残されていました。
言うまでもなく、被害が甚大だったからです。全線復旧から取り残された結果、この地区は福島県であるにもかかわらず、列車だと新潟県から行くことができるのに、福島からは辿り着けない場所になっていたのです。
正直なところ、全線復旧は無理だろうなぁと考えていました。被害は甚大で、復旧にかかる費用も膨大(現時点で約81億円)。しかるに乗客はごく僅か。
地元(県と市町村)が復旧費用の大半を負担するだけでなく、土地と施設を保有して、JR東日本が列車を運行するといういわゆる「上下分離方式」。
そこに至る理由はよくわかります。現地を訪れるとわかりますが、沿線は日本の中でも過疎化と高齢化が極端に進んでいる地域の一つなのです。何としてでも地域の崩壊を防ぎたい。わからないではない。
対照的なのが、北海道。上下分離方式への賛否は措くとして、北海道でも廃止の可能性が取りざたされるJR路線についてその採用と、リゾート列車の活用などの提案が出ても良いはず。
しかし北海道(道庁)は口を閉ざしたまま。誤解して欲しくないのですが、センセイは単純に福島県の判断を褒め称え、北海道を批判しているのではありません。間違いなく道も検討しているに違いないのです。
しかし天文学的な負担費用を考えると、とてもそれを口に出せない。そもそもこの問題は、政治的な理由を背景に赤字、そしてその先にある路線廃止、つまり地方切り捨てを分かっていながら国鉄を分社、民営化した時の判断。
かつてのTVドラマ「水戸黄門」なら、「越後屋、お主も悪よのぉ...。」問題の本質から、目をそらされています。
■12月27日(火) 仕事にならない!! ──Mac mini(HDD)上のWindows
10を頓死させてしまった──
というわけでセンセイは朝からお仕事......の前にその準備。金沢から持ってきたものを整備する必要があるのです。
それはアパートに置いてあるMac mini(HDD)。半年くらいアップデートしていないのです。アパートのインターネット網はiPhone 5での接続だけ。特に速いわけではない。
しかも高速なのは1ヶ月間あたり7GBまでというデータ量制限もあります。通常は1Gを越えないのですが、先日は月末までまだ日にちがあるのに、Windows 10のアップデートに5G以上を消費していることに気づき、びっくりしました。
そこでMac miniを鞄に詰めて自宅へ持ち帰り、Mac側(Fusionを含む)、Windows側ともにアップデートすることにしたのです。まず昨晩のうちにMac本題を更新。データ量は2G強でした。続いてMac側のFusion上のWindows 7および10をアップデートしたのですが、とにかく時間がかかるし、何故かWindows 10は失敗。一番重要なのはBootCamp上のWindows 10。
Fusion側は先送りして、BootCamp上のWindowsを更新にかけた状態で就寝。起床するとちゃんと更新は終了していたので、再起動させてから不要になったファイルをクリーンアップします。途中、強い警告を受けたのですが、どうやらセンセイのオツムは朝から猿化していたらしい。
深く考えずにクリックしたのですが、再起動......できない!!何度やってもダメです。どうにかして写真の画面にまで至ったのですが、このどれを選択しても回復は不可能。
Windowsの復旧機能は強力なのですが、ついさっき、必要なファイルを綺麗サッパリ消去してしまったのです。さて、どうしよう。初期化して再インストールするのが基本。でもBootCamp上のWindows 10は起動はできないものの、高価なアプリケーションを含めて、すべてのファイルが無傷で存在。
唯一の問題は、そのWindows 10から二度と起動できないということ。仕事が先なのでMac側から立ち上げ、Fusion上のWindows 10を使って仕事をしました。速度は劣るけど、これで仕事ができないわけではない。
実際、自宅のMac mini(今回のマシンとは別物)は何度か不調を訴えてから起動しなくなったので、現在ではパーティションごと消去されています。いろいろ考えたのですが、年明けに金沢に移動したら、パーティションはそのまま──アプリケーションも生きるはず──にして、Windows 7を再インストールしようかと思うのです。
必要なOSのディスクは正規品を持っているし。それにそもそもWindowsを7から10にアップデートしたものの、少なくともセンセイの場合、現時点ではほぼ何のメリットもありません。無理に挙げるとしたら、新ブラウザ“Edge”を使用できることだけくらい。
それよりもシステムの安定性、生産性など、失ったものの方がはるかに多い。どうもWindows 10になってから、Macとの相性が悪くなっている。もしかするとこれは、パソコンという存在が緩やかに終焉を迎えつつあるということなのかもしれません。
■12月26日(月) 得も言われぬ臭いが抜けない... ──糸魚川の被災地に入りました──
......困った。仕事が終わらない。
仕事は昨日までに済ませて、今朝、新潟の自宅に向けて移動するつもりだったのです。しかしいろいろあって、終わらない。主たる原因はセンセイの怠惰。
関係者の皆様、ゴメンなさい。しかし、いろいろ勘案すると今日中に帰宅するしかない。というわけで、午前中は大学へ行き、お昼に金沢を離れました。もちろん気がかりは糸魚川の大火。
午前8時に被災地中央の道路が規制解除されたとのこと。そこでその道路を通ってS先生のお宅の様子を確認させていただくことにしました。被災現場のすぐ脇なので、そこを通らないとうまくたどり着けないのです。
糸魚川市中心部に近づくと、上空をテレビ局のヘリコプターがずっと旋回しています。市街地に入ると、明らかに車と人出は多い。ただし火災現場以外は一見しただけでは日常。
写真は被災した隣のブロックにあるパン屋さん。“OPEN”とのサインが掲げられ、まるで何事もなかったように営業しています。後ろ姿のお客さんも。
しかし実は、彼ら彼女らはテレビ局の取材クルー。帰宅してからNHKニュースで知ったのですが、このお店、被災者や市民を励ますために、インフラが普及した今日から営業を再開したとのこと。
朝は多少商品も並んでいたようですが、センセイが通った時はほとんど何もありませんでした。ここから先は不連続な世界。最初に気づいたのは臭いです。腐臭とも違う得も言われぬ臭い。泥が燃えたような(?)とでも言うしかない臭い。
そして飴のように緩く曲がった太く、赤茶けた鉄骨。カメラを用意していたのですが、右上の写真以外は撮影できませんでした。ドライブレコーダーには一部始終が記録されているはず。
しかしそれを見ることはないと思います。自分自身が被災者になった時は、後世のために心を鬼にしてカメラのシャッターを押しました。しかし今回のように、よそ様の災難を写す気にはなれません。もちろん報道関係者は別です。
現場はコンクリート製の建物以外はまさに廃墟と化しています。現場に銀行が3行あったのですが、被害の多寡に拘わらず、今日から営業を再開していました。建物側面に焼け跡が残り、ガラスが割れるなど一番被害が大きかった北越銀行を含めてです。
何人もの方が出入りするのを見ました。報道で大きく取り上げられた加賀の井酒造の焼け跡には、かなり大きなプレハブ施設が組み立てられていました。先ほどのパン屋さん同様、復興に向けて動き始めたようです。
しかしそれ以外の方は、正直なところ「まだ何も考えられない」のがホンネのようです。当然でしょう。角を2回曲がると、石垣に囲まれた家が見えてきました。Sセンセイのお宅のはず。やはり何事もなかったようです。周囲には市役所職員を含めて複数の方が。
S先生の姿は見かけませんでした。今後どうするかは別にして車を走らせたのですが、臭いが抜けない。あの、得も言われぬ臭いが抜けないのです。
たぶんそれは、有限な肉体を持ち、種々の現実に制約された生身の人間が、このような不条理に出くわした時の悩みや恨みなど負の感情を吐露(とろ)したものが有形化したもの。
その存在を否定するのではなく、礼を尽くして丁寧に弔うしかない種類のものなんだろうと思います。
■12月25日(日) 学生と教職員の姿が消えた校舎で、改修工事が始まりました
今日はクリスマス。そして日曜日。
金沢工大は今日から冬休みに入りました。西村センセイ、本来ならば昨日あるいはその前──昨日は授業がなかったので──から新潟の自宅へ戻るところ。
しかし今回は仕事が溜まっているため、まだ大学に留まっています。晴れていたので今朝は自転車でご出勤。学生はもちろん、一般の教職員の姿はないのですが、校舎内はとても騒がしい。
写真はセンセイらの研究室も入っている建物のラウンジ。右下のように床がブルーシートとプラスチック材で養生されています。左上奥には事務室へ通じる廊下があるのですが、そこもシートで閉鎖。
冬休み期間を利用して改修工事が行われるのです。右奥には出入り口があるのですが、たくさんの人が資材を搬入してきます。駐車場には静岡ナンバーの工事車両も。
建物内には学長室など、ふだん立ち入ることができない部屋もあるのですが、同じように工事が進んでいました。
付近には何と、大きなガラスドア(!!)も置かれていましたから、学長交替を機に、模様替えをするようです。それだけではありません。外へ出てみると、他の講義棟などでも重機が入って工事をしています。これは予想外。
センセイは間もなく金沢を離れますが、年明けにはずいぶん違った雰囲気の校舎になっているんじゃないかと思います。期待を込めて、ですが。