2017年12月30日更新(2018年1月7日ページ移動。2019年11月3日一部写真削除)

──2017年12月第5週のニュース──

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12月30日(土) 自宅最寄りのコンビニエンス・ストアが突然、閉店してしまった...

 世の中は完全に年末年始モード。というわけで、見たままの話題。

 当地は雪や冷たい雨が続いているので、外出はほぼ自動的に自動車。所用で自宅近くを走っていると、あれ?!
 自宅最寄りのコンビニ「デイリーヤマザキ」に動きが。

 店内には商品はもちろん備品すら存在せず、ご覧のように外側の看板が撤去されようとしています。
 このお店は10年くらい前に開店したはず。

 近所には少し離れた場所にセブン・イレブンのみ。立地条件は同じようなものだったのですが、しばらくしてセブン・イレブンは撤退。
 店舗は現在、理容院として利用されています。

 好きな言葉ではありませんが「勝ち組」のはずのこのお店。繁盛というほどではないにしろ、お客さんはきちんと入っていました。
 だから閉店は、ちょっと唐突という印象。

 客観的に考えると数年前、近くにファイミリーマートがオープンしたからだろうと思うのですが、そちらはあまり流行っていない....。

 戦争や災害などの非常時を除けば、一人の人間が消費できる物資の量は限られています。毎日4回も5回も食事できるわけではないのです。販売する側にとっては基本的に、ゼロ・サム・ゲーム。
 それに敗れた、ということなのでしょうが......。

 金沢でも経験した閉店ラッシュ。店仕舞いを急ぐのはやはり、年末が一つの区切りだからということなのでしょうか。



12月29日(金) 立派な橋が、老朽化で通行止めになってしまった ──富山を通り抜ける前に──

 本当は25日(月)にお伝えするつもりだった話題。ちょっと時差ボケ感を伴いますが、悪しからず。

 数週間前、金沢にいる時に報道(たとえばこちら)で知ったのですが、富山県東部を流れる早月川に架かる橋が通行止になったとのこと。月形橋というその名前、う〜ん、どこかで聞いたことがある。
 調べてみると魚津市と滑川市の境界に架かる橋。

 センセイは毎週、その隣の橋を通行しており、上流に橋があることは知っています。通行止めにした理由は何と、老朽化。
 道路と橋脚を繋ぐ「支承」が、腐食によって著しく損傷しているというのです。

 改修するか廃止するかは未定とのこと。金沢から新潟に戻る際に現場を確かめてみました。
 左側にいつも通る橋が、さらにその奥に北陸新幹線の高架橋が見えます。

 1966年(昭和41年)竣工だから、同い年だ。高度成長期に建設されたインフラですが、適切にメンテナンスしないとこのようにある日突然、その役目を果たすことができなくなってしまいます。
 それは人間も同様。

 写真は先週土曜日に撮影したものですが、本日現在、現場の積雪は約30cm。かなりの雪なので印象は相当違うと思います。

 当地も、今日は帰省客がどっと押し寄せており、スーパーは大混雑。すっかり年末年始の表情になっています。



12月28日(木) 何故か「そばの神田」が... ──郡山は美味しい、安い。そしてお腹一杯!! ──

 もう1日だけ仙台出張のお話を。

 原則としてセンセイは、単独で出張する際、夜に「当地の美味しいもの」を食べに出るようなことはありません。グループで行動する時や昼食は別ですが。
 可能ならばスーパーで地元の総菜を買って、風呂上がりにビールを飲みながらホテルでこのページを更新というパターン。

 今回の仙台出張も同様。初日は早めに到着したので、駅周囲の様子を確かめながらひとまずホテルへ......あれっ?!
 看板に目が止まりました。「そばの神田」。

 字体を含めて仙台駅前にある有名なお店と同一のように思われます。後から調べてみるとやはり、郡山駅前の「南通り」に先日まで存在していたようです。
 今回もセンセイは、仙台駅到着後名掛丁店に直行しました。

 やはりホントに美味しい。親子3人連れの中国人観光客が、何度も何度も食券を買って注文している姿が印象的。
 自らの味覚に、正直だ。

 どうやらお店によって味が違うようなので、できることならこの郡山店も経験してみたかったところです。
 で、戻って、初日のセンセイ。

 駅構内に「郡山食品館ピボット」を見つけていたので、迷わず入りました。店内を一巡りしたのですが、とても庶民的な感覚。応対も丁寧。

 そして、安い。

 センセイが訪れた時間が閉店近くだったということを差し引いても、安い。客層は多様で、遅い時間帯にもかかわらず老人の利用客もいます。ホントに、地元に根ざしたお店、という感じ。
 総菜とともに店内のテナントでお弁当を購入。

 これがものすごいボリューム。棚に並んでいた時は特別な印象を持たなかったのですが、手にすると、ズシリ(実話)。我に返って量の少ないものを購入したのですが、それでも総菜は食べきれずに、室内の冷蔵庫に残して翌日頂く始末。
 初めての経験でした。

 かように、郡山は安く、ボリューム満点。そして何より、ホントに美味しかったのです。



12月27日(水) 撮り鉄の姿が見えると思ったら... ──西村センセイはどこでも鉄分補給──

 今日の新潟は大荒れの天気。雪も積もっています。

 ただしお伝えするのは、仙台出張の続き。タイトル通りの、そして見たままの鉄道ネタですので悪しからず。

 繰り返しになりますが今回のツアーは、日程、経路ともに自由度が高い。そこで磐越西線を利用して郡山に2泊しただけでなく、その先の経路についても工夫しました。
 具体的に言うと、往路は山形新幹線と仙山線を利用。奥羽本線は見どころが一杯なのです。

 ツアー初日、早めに柏崎駅のホームに出ると「撮り鉄」(車両撮影を目的とする鉄道ファン)の存在に気づきました。三脚と複数の望遠カメラを持った若者数名から、コンパクトカメラだけの中年男性まで。
 女性も1名。

 彼ら彼女らは何らかの方法で列車の運用情報を共有しているようです。つまり今日は、何か特別なことが起こるはず。
 ......と思っていたら、向かいのホームに到着した越後線の電車は、全国残り少なくなった115系。

 しかも以前ご紹介した「旧新潟色」のN-3編成です。そこにセンセイが乗車する快速列車が進入してきたのですが、何とこちらはいわゆる「湘南色」。
 写真は「並び」と呼ばれる撮り方。これが目的だったのね。

 2日目は山形新幹線の指定席でひとまず山形へ。

 何回乗っても、福島─山形県境の板谷峠はホントに「どうやって鉄道を敷いたんだろう」と思わされる難工事区間。脇には廃止された旧線も見えます。
 今回は左側(西側)の窓側席を確保したのですが、県境付近の峠駅で新しい発見が。

 山形新幹線の開業に伴って、駅のスイッチバックが廃止されたのですが、廃止区部分を覆っていたスノーシェルター──豪雪地域なので──がそのまま残されていました。
 その巨大さから、特に福島の人々にとって奥羽本線がいかに重要であったかを思い知らされます。

 山形駅で実家や伯母へのお土産を買って、在来線ホームへ。折り返しの仙山線快速列車で仙台へ向かうのです。
 6両編成の先頭列車に乗車。

 写真は運転席の後ろから、羽前千歳駅(写真奥)手前で撮影したもの。右にカーブしているのが現在乗車中の仙山線(狭軌)。
 それが右から左奥へと伸びる奥羽本線(標準軌)と交差します。

 8年前に同じ場所を逆方向から見ていますが、山形駅から乗ってきた線路と、右隣を走る奥羽本線の線路幅が違うのは、何度見ても不思議な気分。
 秋田新幹線の秋田─大曲の一部区間でも見ることができますが。

 奥羽本線に別れを告げると仙山線は急勾配の坂を登ります。途中、山寺など見どころがあるのですが、この日は天気が悪く、ちょっとイマイチでした。
 感想が、もう一つ。

 今回はキハ48などの旧国鉄車両とJRになってからの新型車両の両方に乗ったのですが当然、前者はボロい。ただし乗り心地はというと、これは微妙。サスペンションがヘタっていたりしますが、線路の状況をちゃんと伝えてくれます。
 新型車両は対照的に、フワフワしていて差し当たりの乗り心地意は良いのだけど、「ホントに大丈夫なんだろうか」という感じ。旧型はボルスタ付、新型はボルスタレス台車なのです。

 今回、東海道山陽新幹線で致命的な破損が露見したのは、ボルスタレス台車。「乗り心地/都合の悪い情報はできるだけ削除して、乗客や関係者に知らせない」というその特徴が、見事なまでに裏目に出たわけです。
 ちなみに、BMWのサスペンションは旧国鉄車両に、トヨタのクラウンに代表される国産自動車のそれは、ボルスタレスに酷似。

 目先の違いというより、背後にある文化や哲学の相違によるもの、とセンセイは考えています。



12月26日(火) 西村センセイ、暴風に飛ばされそうになりながら新潟の自宅へ戻る

 ベッドの慣れない硬さで目覚めたのは午前3時過ぎ。

 昨晩意識して早く休んだことも影響しているのでしょう。もちろん再び眠ったのですが、すでに眠りは浅い。さて、どうしよう。今日は郡山から各駅停車を乗り継いで新潟の自宅へ戻ります。
 候補は複数。

 磐越西線の快速列車を予定していたのですが、一昨日、徳沢駅での行き違いの際に予定の列車を確認すると、かなり混んでいました。日曜日だったということもあるようです。
 もちろんセンセイのことですから、それでも良い席を確実に確保できるのですが...。

 5時50分行動開始。1本早い列車で移動することにしたのです。後ろから差し込む日の出と競争するような格好で、2両編成のワンマンカーは郡山を発ちます。乗客は少な目。
 反対方向、つまり郡山への上り列車は通勤通学客でそれなりに混雑しているのに。

 途中から混雑してきて、会津若松駅到着。すぐに新津行きの2両編成ディーゼルカーに乗り換えます。乗客の大半は高校生。近くの喜多方で、寝過ごした一人がを除いて全員下車。
 彼がここで降りるかどうかわからないので、声を掛け損ねたのです。

 平地を走っていた列車は急な坂を登り始めます。ここまでは雪が舞う程度だったのですが、急に積雪が深くなってきました。県境付近の積雪は約30cm。そして、とにかく冷えます。
 乗務員は運転士1名、そして車掌2名。

 途中から乗務員が1名乗り込んできたので、何と、乗客より乗務員の方が多い。

 上り列車が20分程度遅れています。遅れを重ねながら、列車は阿賀野川に沿って進みます。乗客はセンセイを含めて3名。
 道路に轍は見えますが、走っている車を見かけることは少ない。

 新潟県内に入り、津川駅を過ぎる頃から乗客が増えてきました。いかにも「新潟県人」という感じ。
 その違いを表現するのは難しいのですが。

 もともと余裕のあるダイヤ──途中駅でかなり停車する──だったこともあり、結果的には遅れを回復し、8分の遅延で新津駅到着。
 しかし自宅方向への電車はありません。そしてダイヤはやはり、強風で混乱しています。

 一昨日も立ち寄った駅前のコンビニで、お弁当を買って暖めてもらい、店内で頂きます。駅前が寂れていて、飲食店がないのです。
 駅に戻り、しばらく待合室で列車の到着を待ちます。

 強風のためダイヤは相変わらず混乱したまま。特に信越本線の海岸部で下り列車が徐行運転を強いられている影響が大きいようです。当該区間を走行する特急「しらゆき」は「大幅に遅れています」とのこと。
 でもなぜか、上りの各駅停車はわずかな遅れで到着。

 しかも運転士が結構ワイルドな運転をしたので、長岡駅にはほぼ定刻に到着。ここからの接続は比較的良くて、14時15分柏崎駅到着。乗り換え時間を含めると7時間半乗車していたことになります。
 でもここからが大変。

 新津を出発してから気づいていたのですが、横風が強く、電車が揺れます。柏崎駅から線路沿いの道を歩いたのですが、冗談抜きで吹き飛ばされそうになりました。雨が降っていなかったのが唯一の救い。
 センセイにとって今日のような強風は、トラウマ。

 中学生の時に、強風を避けて自転車を降りて立っていたセンセイと自転車が、一緒に吹き飛ばされた──しかも2回!! ──経験があるのです。



12月25日(月) 結果オーライで今年最後の出張を終えました。ただし、まだ自宅に辿り着いてはいませんが...

 というわけでセンセイは今朝、割と早く起床。

 窓の外を確かめると、雨や雪は降っていません。ただし道路は濡れていますから予報通り、昨晩はやはり雨だったのでしょう。お客さんがまだ少ない食堂で朝食を済ませ、少し急ぎ足で郡山駅へ。
 今回初めて泊まったホテル、予想よりも駅から離れていたのです。絶対に間に合う、と分かってはいるのですが。

 客観的には、予想通りの時刻に郡山駅到着。3階の新幹線ホームに出ます。ガラス越しですが、高い場所から郡山市内を一望するような格好になります。天気は不安定。
 晴れて青空が広がっている場所もあれば、西の空には虹が見えます。その下では雨が降っているのです。

 それにしても風が強い。新幹線が数分遅れで運行していました。在来線はもっと乱れているようです。多少遅れながらも仙台到着。
 市営地下鉄で東北大学キャンパス内、しかも会場脇の駅に到着します。早く着いたので係の方の了解を得た上で、交流スペースで年賀状を作成。

 今回の出張目的は、東北大学の部局が主催するシンポジウムへの参加。ただしその内容は、以前ご紹介したもの(こちらこちら)に近い。
 極めて興味深い内容でした。

 暗くなった東北大学を後にして、地下鉄川内駅を仙台駅に向けて出発。実家や伯母へのお土産は購入済なのでそのまま新幹線ホームに出ると......来ない。
 新幹線が来ないのです。

 ここで初めて状況を理解したのですが、今日は発達中の低気圧に伴う強風で、新幹線のダイヤも混乱が徐々に拡大。東北新幹線は15分から25分程度の遅れ。
 他方、北陸・上越新幹線は定常運行です。

 お伝えしたようにセンセイは通常、それと東北新幹線を乗り継ぐのですが、今日のような場合だと、ダイヤの混乱をさらに拡大させる乗り継ぎ客は無視して、別系統の新幹線を運行します。
 センセイが大宮駅に到着した時、自宅への上越新幹線はすでに出発しているのです。

 結果的に今回は、郡山で泊まることで被害を最小限に抑えることができたのですが......発車しない。

 25分遅れの「やはぶさ」を優先して、10分遅れで仙台を発車した新幹線は、福島駅で長時間停車してしまいました。本来ならば山形新幹線を併結するのですが、それが大幅に遅れているため、1時間半遅れの別な新幹線と繋ぐ(!!)というのです。
 その福島到着がさらに遅れたため、約50分遅れて郡山に到着。

 センセイはというと、シンポジウムの休憩時間や停車中の車内を利用して年賀状を作成。結局、東北大学脇の郵便局、仙台駅構内、そして郡山駅前ですべての年賀状を投函することができました。
 で、ここまでは、まぁ良かったのですが、明日の北日本は大荒れの天気、そして大雪との予報。

 ......果たして、どうなることやら。



12月24日(日) クリスマスプレゼント ──西村センセイ、なぜか郡山に出現する──

 今日は予定を変更してお伝えします。そのため、明日以降の話題が順にずれてしまいますが、悪しからず。

 昨日お伝えしたように、センセイは明日25日(月)の午後、東北大学で開かれるシンポジウムに参加します。金沢―仙台の往復なら、迷うことなく北陸・東北新幹線を利用。
 距離は600kmを超えますが、北陸新幹線の開業でこちらは格段と便利になりました。

 しかし新潟の自宅からだと話は別。上越新幹線で大宮まで出て乗り換えるのは、まるで来た道を半分近く戻るようなもの。実際、高速道路(磐越自動車道および東北自動車道)を利用したとして計算すると、自宅―仙台間は約330kmでしかありません。
 何だか割り切れない。

 困ったことに、自宅―仙台間を在来線で移動すると今度は、とても時間がかかってしまいます。磐越西線、米坂線あるいは陸羽西線のどれも、もう特急、休講列車は運行されていないのです。
 幸い、出張前日および翌日は休業日。

 そこで今回は、休業日を利用して磐越西線経由で仙台まで往復することにしました。途中で2泊する必要がありますが、その費用は自腹。磐越西線を選択したのにはもう一つ理由が。
 センセイは何度もこの路線に乗車しています。

 最初に乗ったは小学6年生の時の修学旅行。皆がはしゃいでいた様子を、会話まで覚えています。その時は何と、蒸気機関車に牽引された客車列車での旅行でした。
 若い方には信じてもらえないんじゃないかしら。

 その後は自分の意思で乗るようになったのですが、磐越西線は要するにこの地域を東西を結んでいます。時間帯にかかわらず、太陽光は南から射し込みます。
 だからセンセイは基本的に、北側の席に座ります。

 磐越西線は大河阿賀野川に沿って走っているのですが、風光明媚な三川―県境付近では、川は線路の南側を流れます。十数年、それを見ていないことが気になっていたのです。
 在来線を乗り継いで、磐越西線の始発駅新津
(にいつ)へ。

 会津若松行の2両編成ディーゼルカーはすでに入線していたので、右側の席を確保。幸いにも今日は曇り。時々薄日が射す天気だったのです。
 お昼になるので駅前でお弁当と、衝動的にサッポロビールを購入。

 列車に戻ると、「青春18きっぷ」の利用客が目立ちます。最初の写真は津川駅を過ぎてから右側に見える阿賀野川と麒麟山。
 センセイは学生時代、この頂上に立ったことがあります。200m弱の山ですが、周囲を360°見渡すことができます。

 福島県内に入ると地形は急に険しさをなくし、盆地に入ります。ディーゼルカーはそれまでの鈍足が嘘であるかのように飛ばします。県境付近の様子は意外と、大糸線に似ている。
 会津若松で乗り換え。

 4両編成の電車はすでに入線しており、それなりの乗車率。先頭列車まで歩き、後ろ向きでしたが窓側の席に座ります。
 ここから今日の宿泊地郡山までは1時間強。

 明日利用する特急券を出して出発時刻を確かめていると、斜向かいの高齢の女性が話しかけてきました。「郡山まですか?」
 ちょっと予想外。

 何でも、「東北の人ではないと思った」――新潟も東北の要素を多く持っているんだけど――とのこと。
 会津で育ち、父親に連れられて只見
(ただみ:会津地方南西部)で父親の商売を手伝い、お見合いで浅草の職人の家に嫁ぎ......。

 こう書くと聞く耳を持たない老人の愚痴に付き合わされたような印象を持たれるかもしれません。確かに老人特有の拘りが一部存在したことは事実。
 しかし全体としては極めて客観的で、彼女から見た過去、そして現在の世界の様子、さらには家庭内の出来事を語ってくださりました。

 最後はお孫さんの話題に。

 改めて話を聴いてみると、高校生の彼はまさに発達障碍(ADHD)。過度に重いというわけではありません。ただし残念ながら、軽くもない。ご本人たちの苦労は分かりますが、それをある程度客観視することと、適切な対応が必要。
 もちろん彼女に理解できるよう、具体的な行動をお話させていただきました。

 繰り返しになりますが、会津若松―郡山間は快速列車で1時間強。それがあっという間に経過。郡山の一つ前の駅で彼女は下車。車内で、そして窓の向こうで、彼女がお礼を述べています。
 写真は今晩の郡山駅。何度も乗り換えていますが、駅の外に出るのは初めてだと思います。

 駅前にはご覧のようにイルミネーション。それはそれで見事なのですが、今日のセンセイにとって最大のプレゼントは彼女との出逢い(+阿賀野川の美しさ)。

 二度と交わることがない線だとわかっていても、です。

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