2018年5月5日更新(2018年5月13日ページ移動。2019年12月29日写真削除)
■5月5日(土:祝日) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(5) ──只見線編──
お伝えしたように、予想に反して季節は、新潟県側(旧入広瀬村)より只見町(福島県)の方が進んでいました。梅と桜と蕗の薹と、ちょっと不釣り合いな木々の新緑が同居。
バスを駅前を出発するとすぐに左折し、沼田街道を只見川に沿って下ります。女性運転手のすぐ後ろに座った首都圏から来たと思われる女性客が運転手に、道路脇の見事な桜について尋ねます。「秋田でも青森でも、桜が終わったというのに...」。
仕事柄なのか、そういう情報には詳しいらしい。すると運転手は「これでも開花は例年より1週間くらい早いんです」。やはり田子倉湖で見たように、里雪型だった今シーズンの降雪量が関係しているようです。
すると今度はセンセイの後ろの、昨晩、只見に泊まったと思われる二人の女性が奇妙な会話を始めました。「この鉄橋は何かしら...」。「きっと廃線よ」。
沼田街道は只見駅近くで只見線の鉄橋下を抜けます。お伝えしたように、2011年7月末の豪雨で只見─会津川口間が不通になっています。
だからこそこの代行バスが走っているのですが、どうも状況を理解できていないらしい。その会話をきっかけに、運転手が豪雨の状況とその後の様子について説明し始めました。ダムの放水で道路脇のこの地域が2階まで水に浸かったとか、豪雨で道路が分断され、停電で近隣の様子すらわからなかったとか。
只見線の現状についても良くご存じでした。地域の方なので、当たり前といえばそれまでなのですが。最初の写真、中央を流れるのは只見川。右奥に割と新しいペールブルーとグレーの道路橋が通っています。その左側をよく見ると、左から中央まで、黒っぽい鉄橋。
しかし4本目の橋脚はというと、途中から、ない。もちろんそこに架かっていた鉄橋も流出しています。この鉄橋こそが只見線。
運転手さんに教えてもらわなかったら、絶対に気づかなかったと思います。2枚目の写真、黄色地の「工事中」の看板の左奥に、黒っぽい穴のようなものが見えます。実際、穴。
只見線のトンネルです。線路はここから鉄橋で只見川を越えていたのですが、やはり橋脚が途中で折れています。これらはほんの一例にしか過ぎません。
橋桁に大きな流木が押しかかってきて傾いていたり、そもそも線路の路盤が流出していたり(線路は撤去済)。臨時バス停で、小出からスーツケースを持っていた男性客が一人下車。代わりに地元の方と思われれる女性客が「川口高校前まで」と告げながら乗り込んできました。
途中で乗下車したのは結局、この二人だけ。運転手さんは、すでに公表されている只見線の復旧計画についてもいろいろ説明してくださいました。その中には地元ならではの貴重な内容も。もともと、只見線福島側の最深部は田子倉ダム建設のために敷設されました。
後にそれが旅客用に転用され、新潟県の只見線と繋がれたという経緯があります。貨物線だったので、経路などについても地域住民の生活と直結していない部分があります。そしてそれに対応するかのように、運転手さんの言葉にはどこか、「自分達の鉄道」とは遠い感覚が。
全区間を何回か乗車しているセンセイとしては、わからないではない。
運転手さんのお話は未確認情報なので、ここで紹介することは控えますが、開通までには紆余曲折がありそうです。
■5月4日(金:祝日) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(4) ──只見編──
昨日の続き。
大白川駅を出発した列車は末沢側に沿って上ります。「登り」漢字を使いたくなるほど。高い山々が文字通り屏風のように迫って来たところで六十里越トンネルに入ります。
全長6,359m。時間をかけて長大なトンネルを抜けると突然、右側(南側)の視界が開けて写真の湖が目に飛び込んできます。田子倉ダムによってせき止められた田子倉湖です。
1985年および2002年にここを訪れた時はその水量の多さと、湖の見事さに圧倒されました。ただし今回は意外と水が少なく、思ったほどの迫力はありません。今シーズンは里雪型で、山間部は雪が少なかったことが影響しています。
かつてこの場所には田子倉駅が存在しましたが、現在は廃止されているので列車は停車することなくそのまま田子倉トンネルへ。こちらも相当長いトンネルですが、唸り音をあげていたディーゼルエンジンが急に静かになります。下り坂に入ったのです。いくつかの短いトンネルを抜けると勾配は徐々に緩やかに。
やがて右前方(南東方向)に、狭い盆地が見えてきました。福島県の西端である只見地域です。
新潟県側の最後(魚沼市、旧入広瀬村)で季節を大幅に遡ったので、その奥に位置する只見はさらに...と考えていたのですが、結果は意外なもの。
雪はほとんど残っておらず、あちこちで桜が満開に。列車はスピードを緩め、只見駅(写真)に到着。最後まで残った乗客の約半数は、おしゃべりをしていた高齢女性二人を含めて、ここで迎えの車に乗り込みます。
男性の駅員は乗車券を確かめようともしません。例えば首都圏などからこの只見を目指す場合、上越新幹線と上越線、そして只見線を利用した方が会津若松経由より早いのです。山形県小国地域が、新潟を経由した方が便利なのと似ています。
センセイらは駅前に停車中の写真のマイクロバスに乗り込みます。代行バスです。災害や工事、あるいは雪害のために、代行バスには何回も乗車していますが、マイクロバスは初めて。
新潟県内の入広瀬駅を出発後、車掌さんが只見駅から先、このバスを利用する人は申し出て欲しいとアナウンスしていました。座席が足りるか確認していたのでしょう。実際の乗車率は1/3程度。
女性運転手は定刻にバスを出発させます。ここ只見駅から乗り換えの会津川口駅までの間、センセイが代行バスの車窓から見たのは......。(続く)
■5月3日(木:祝日) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(3) ──魚沼編──
連休は、後半に突入。
昨2日は水曜日。ただし金沢工大では曜日による講義回数の差異を調整するため、金曜日の授業が行われました。でもセンセイは講義はありません。だから仕事に区切りをつけて新潟の自宅に戻るか、そもそも休暇を頂戴しても良かったのです。
でも昨日は、夕方と夜に立場上の重要な仕事があったため金沢に留まり、今朝、新潟へ移動しました。というわけで、会津若松ツアーの続きを。ただし今日は会津ではなく新潟県の魚沼地域(旧小出町、旧守門村、旧入広瀬村)です。
東北大学での仕事に加えて、今回のツアー、個人的には久しぶりに只見線に乗車するのが目的。センセイは1985年、2002年、2004年そしてそれ以降も一度、つまり計4回只見線に乗っています。
両端の盆地以外は、ほぼすべてが秘境。ただし2011年7月末の豪雨で新潟─福島県境付近で大きな被害を受け、徐々に復旧したもののの、現在も只見─会津川口間が不通になっています。
時刻表をお読みいただくとわかりますが、不通区間については代行バスが運行されています。この機会に、その様子も確かめてみたい。自宅を出発して信越本線の快速列車に乗車。宮内駅で上越線に乗り換えて只見線の終点である小出駅を目指します......あ"。反対方向、つまり上りの上越線を2両編成のディーゼルカーが快走していきます。
これから乗車する只見線の列車です。只見線は運行本数が少ないので、不通になって以降、新潟県側の車両は長岡駅─宮内駅間にある車両センターに配置され、必要に応じてそこから只見線に乗り入れるのです。
実際、小出駅に到着すると、センセイが目撃した写真の列車が待っていました。センセイが密かに心配していたのは、乗客。
連休に入るところ──ただし乗車日は直前の平日──なので、もしかすると関東からの観光客で良い席を確保できないかもしれない。乗り換えに十分な時間があれば、いくらでも対応は可能なのです。
でも今回、接続が極めて良い。言い換えると、乗り換え時間はごく僅か。でもそれは杞憂(きゆう)でした。只見線のホームに降りて車内を確認すると、2両編成の列車に対して乗客は僅か15名程度。
センセイは車両中央の良い席に座ったのですが、後ろの席で、先に乗り込んでいた高齢の女性二人が会話しています。アクセントは、新潟のものではありません。
この列車の終着である只見駅(福島県)を目指しているようです。列車は定刻に小出駅を出発します。小出は周りを山に囲まれた盆地のような場所なのですが、その一つの川筋に沿って列車はゆっくりと進みます。
小出付近は工場や民家が多かったのですが、それは徐々にまばらに。エンジンは根性を入れ直して、急勾配の坂を上ります。高度を増すに連れて周囲の季節が急に巻き戻され、まず桜が満開に。ついで梅と、蕗の薹、そして最後に残雪。それでいて木々は、季節を先取りする新緑。
「春」がまとめてやって来たかのよう。北海道の春はきっとこんななんでしょうね。写真は新潟県側の最終駅、大白川駅付近で撮影したもの。
「平地」は存在しません。斜面を切り開いた狭い場所に、民家や田圃、そして畑が散在しています。写真左上の民家の軒先には、傾いた僅かな猫の額(ひたい)のような広さの畑。
それを耕していた老女が列車の到着に気づき、先ほどまで振っていた重い鍬(くわ)を降ろして手を休め、こちらを見ています。ここに来た甲斐がありました。
■5月2日(水) 【悲報】iPhone SE、販売完了 ──西村センセイ、iPhone
5の更新に失敗する──
今日は予定を変更してお伝えします。
何度もお伝えしているようにセンセイは、金沢のアパートおよび移動の際、iPhone 5のテザリング機能を使用してインターネット網へ接続しています。5年半前の購入ですが、この用途に限れば、さほど問題はありません。
この間、内蔵バッテリーの異常膨張でホームボタンが正常に動作しないという不具合が発生しましたが、バッテリーの交換で事なきを得ています。ただしいつまでもここまま、というわけにはいきません。問題意識はずっと持っていたのですが、転機──ただし実現しなかった──となったのが、最近の一連の報道(たとえばこちら)。
候補として考えていたiPhone SEの後継機種(“SE2”?)が、3.5mmヘッドホンジャックを搭載しないのではないかというのです。どうやら5月中には販売を開始するらしい。個人的にはヘッドホンをしながら外を歩くことはありません。ただしヘッドホンジャックがないというのも、センセイのような古い人間には耐え難い(というか、想像すらできない)。
というわけで、この機会に買い増しあるいは機種更新のために近くのお店を訪れてみました。後者だと費用は2万円程度らしい。最初に訪れた時は混雑していたので、予約して再訪すると、今度はガラガラ。若い女性店員に要件を伝えます。「機種はお考えですか?」と尋ねられたので、「iPhone SE」と答えると、表情を変えることなく即座に「ありません」。
在庫切れとのこと。「8かXになります」。在庫がないということは新機種投入が近いことを意味します。それを告げると「Appleから正式な告知が何もないので...」とのこと。それはそうでしょう。
でも彼女、よく勉強していて、ある程度情報を得ていても話すことができないのではなく、単に商品の販売──「取り次ぎ」の方が近いかも──をしているだけ。続いて彼女は「在庫があるかどうかはわかりませんが、電気店で探してみれば...」。う〜ん、ありがたいアドバイスのつもりだというのは良くわかりますが、商売の意味をわかっているのかしら。
というわけで、もう少しiPhone 5を使い続けることになりました。
■5月1日(火) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(2) ──鉄道編──
お伝えしたようにセンセイは日曜日の朝、4時半に起床して5時過ぎに会津若松駅へ移動しました。
初夏なのですでに明るくなっていますが、道路には車は見当たりません。でもホテルの立体駐車場には出発を控えたお客が数人。工事関係の仕事のようです。
駅もガラガラだろうと思っていたら、これが甘かった。もちろんお客さんは少ないものの、こんなに朝早いのに皆無ではありません。余裕を見て行動したのですが、列車もすぐに入ってきました。これがまさに「列車」。
予想外でした。喜多方以西の磐越西線は2両編成キハ47などの運行が多いのですが、入線してきたのは写真のキハ110を先頭に、中程に2両のキハE120を挟んだ5両編成。
センセイが高校生だった頃は普通の光景だったのですが、現在では見る機会がなくなった長い編成です。ちょうど朝日が昇るところだったので、うっすらとではあるものの、車体の左側面(東側)が金色(こんじき)に輝いています。
列車は定刻に会津若松駅を出発。早朝の始発列車、しかも5両もの編成なので、1車両あたりの乗客はまばら。センセイが乗車したキハE120には数人が乗り込みました。でも列車全体を考えると、決して少なくはありません。
繰り返しになりますが、朝の5時半ですよ。お客の大半は喜多方駅で下車しました。今度こそ始発列車の風情......と思っていたら、妙なことに気づきました。センセイが座ったのは前回と同じく左側、つまり南向きの席。景色は良いのですが、日が射し込みます。
でも日光は左後方からだし、会津若松駅出発の時点では曇っていたので。ふと、線路脇、小さな崖の下に数人の人間がいることに気づきました。彼ら──全員が男性だった──の前には三脚。鉄道ファン、いわゆる「撮り鉄」です。
ナシテ?!たぶんマニアの間では良く知られた、絶好の撮影場所なのでしょう。でも何がお目当てなのかがわからない。センセイが乗車する列車を撮影しているわけではない。
何より、カメラは対向列車を狙っていました。謎を残したまま、列車は山都(やまと)駅到着。隣の線路からディーゼルエンジンの音が聞こえてきました。列車の交換です......あ"っ。
右側の窓ガラスの向こうに見える列車の車体の色は淡いシャンパンゴールド。窓の形は奇妙な三角形。「TRAIN SUITE 四季島」です。望遠レンズの付いたカメラを首から掛けた青年が、「シキシマだ、シキシマだ!!」と自分に言い聞かせるように話しながら、後ろの車両から走ってきました。
「四季島」が先に発車。写真はその際に撮影したものです。上越・北陸新幹線に乗っていると、尾久駅近くの車両基地で「四季島」を見かけることがあります。背の高い車両なのでとても目立ちます。
でも間近で見るのは初めて。ご縁がないことは承知しています。非日常から日常に戻り、県境を越えました。かなりのお客さんが乗り込んできます。列車は磐越西線を走行した後、信越本線経由で新潟へ向かいます。乗客の大半は、新潟へ向かう通勤通学客。
センセイは新津で下車して、信越本線の上り列車に乗り換えます。帰宅してから確かめると、センセイが利用した列車は新潟駅で折り返し、「快速あがの」として会津若松まで運用されます。そのための5両編成だったんですね。
■4月30日(月:振替休日) 会津で起きたこと、見たもの、そして考えたこと(1) ──ラーメン編──
世の中は連休2日目。
お伝えしたようにセンセイは昨日、実家へ行ったのですが、新潟市北部へ婿入りした下の弟がたまたま帰省中。来ると知っていたら、その分のお土産を用意しておいたのに。聞くと、9連休とのこと。「メーカーなら当然だよ」。
彼は新潟市の割と有名な機械製造会社に勤めているのです。でもセンセイの仕事はサービス業。暦通りに講義があります。だから今日は朝のうちに金沢へ向けて出発し、午後は研究室でお仕事。というわけで、今回のツアー──会津若松ツアーと呼ぶ方がより適切──でセンセイが感じたことをいくつか。
初回は、予想を裏切る(?)ラーメン編。センセイが会津若松駅に着いたのは金曜日の夕方。駅舎内の売店で実家と伯母用にお土産を物色してから駅前に出ると、おぉ、いきなり写真のラーメン店。
「喜多方(きたかた)ラーメン まるたか食堂」。(28日〔土〕晩に撮影)
その時の店内はガラガラ。「駅前の一等地なのに...」と訝(いぶか)ったほど。でもセンセイの認識は甘かった。仙台から戻った土曜日、夜8時過ぎにお店の前を通ると何と、店内はお客さんで一杯。
「飲んだ帰りに、〆でラーメン」という雰囲気ではありません。一人の女性客も目立ちます。ご存じと思いますが、喜多方は会津若松の近くにある市のこと。「喜多方ラーメン」と呼ばれる醤油ラーメンで昔から有名。聞くとことによると朝からラーメンを頂く人もいるとか。
センセイも30年くらい前に訪れ、お店の一つに入ったことがあります。「会津の人に愛されているんだろうなぁ...」。
で、センセイはというと今回、喜多方ラーメンを頂いていません。「キンエン生活」中だから我慢したのではなく、なぜかその気にならなかったのです。
決して、まるたか食堂様に問題があるわけではないので、念のため。
■4月29日(日:祝日) 新幹線や高速道路から見えないもの ──西村センセイ、今日は家族サービスの日──
「明日はどうしよう...」とは、直接には何時に起床して、どの列車に乗るか。
西村センセイ、以前は大判のJTB時刻表(こちらやこちら)をそのまま鞄に入れて遠出していたのですが、いつの間にか諦めています。
もちろん加齢に伴い、気力と体力が落ちているからです。その代わり今回は、乗車する可能性のある列車および乗り継ぎ時刻を手帳に書き留めています。もともと予定していたのは、前回も利用した会津若松発8:14発新津行の列車。
これならホテルの朝食を頂くことができます。また今日は午後に実家での所用を頼まれており、自宅への到着予定時刻に合わせてそれを組んであります。ただし念のため、その前の5時台と6時台の列車もメモしておきました。
昨晩、このページを打っている間に考えていたのですが、う〜ん、可能ならば早めに行動する方が良さそう。というわけで今朝は4時半に起床し、5:28発の始発列車に乗車することにしました。右の写真は一昨日、到着した際に撮影した会津若松駅。
全面の屋根は地元の方が「お城」と呼ぶ、鶴ヶ城(会津若松/若松城)を模しているものと考えられます。写真左側の像は「白虎隊士像」。付近には、現在も磐越西線を走る蒸気機関車C58の動輪がモニュメントとして設置されています。
(途中で起きたことをほぼすべて飛ばして)変更後の予定通りに自宅到着。実家に連絡をして調整をしようと思っていたところ、逆に母親から電話が。
何度かお伝えしているようにセンセイの両親は高齢で、父親は自動車の運転免許を返納しています。田舎でも「万屋(よろずや)」はすでに死語。
徒歩では食料を確保することができません。実家の場合、センセイや弟、あるいは県内に住んでいる孫が順番にスーパーへ連れて行くのですが、その予定が一部変更になったというのです。食料はすでに確保済。
その代わり、野菜の苗の買い出しに連れて行くことに。平日だった一昨日は別ですが、昨日、今日と、幹線道路や市街地中心部、ショッピングセンター、そして交通機関は大混雑です。
もちろん連休なので当たり前。でも個人的には今回、3日間に渡って新潟、福島、そして宮城(仙台)をほぼ在来線で移動して、深く考えさせられることがありました。
非日常の3日間。起きたこと、見たもの、そして考えたことについて少しご紹介しようと考えています。