2020年1月11日更新(2020年1月19日ページ移動)
■1月11日(土) 今時、商売として成立するんだろうか... ──街で見かけた家電の「修理名人」──
今日は珍しく、オフの日。1年の中で、何日あるんだろう...。
仕事のメールは「見なかったこと」にして、午前中は実家へ。安否確認と食料その他の買い出しです。スーパーへ出かけようとした時、首都圏に住む伯母(母親の姉)から新年の挨拶の電話がかかり、30分ほど出発は延期。
父親は8人姉弟。母親は7人。多い。しかもこれは、ある程度生き延びた人数で、幼い時に亡くなった父方の子供たちはカウント外。現在生き残っているのは両親と、父親の姉と、母方の伯母と叔母の5人だけ。電話を終えた母親は、「(出発が)遅くなってゴメンねぇ」。
でも今や、生きているうちに話すことができただけでも幸甚(こうじん)と解すべき。大きなスーパーとホームセンターを巡ってひとまず実家へ戻ります。食料を降ろしてから実家の先、長岡市にあるBMWのディーラーに立ち寄ってから帰宅します。
写真はお正月に撮影したもの。混雑していない郵便ポストを探して、ふだん通らない場所を車で走っていて、漢字2文字が目に飛び込んできました。他の文字はともかく、「修理」。
え"っ、今時(いまどき)修理!?用事を済ませて改めて現場を確認すると、建物は東芝系列の販売店。中央の看板、左側は東芝が提案するエコ生活「さぁ、はじめよう! みんなのエコ」。
問題は、その右隣です。真ん中に赤く大きな文字で「修理名人」。ドライバーとラジオペンチが描かれています。それを挟むように、上部には「家電修理依頼はプロの当店へ」、下部には「親切 迅速 丁寧 便利」。
工具の画など、こちらは手作り感に溢れています。もちろん、購入した家電品はぜひ長く使ってもらいたい。そして故障した製品をメーカーのサービス担当部局に戻す窓口としての役割も重要です。でもこれだと何だか、ここで何でも修理できるかのような印象を受けます。
でも現実は違う。かつての牧歌的な時代と異なり、素人にはわかりづらい各種設定や内蔵電池の交換などはともかく今や、製品の核心部分はブラックボックス化。メーカーの「修理」ですら、そのユニットを交換しているだけ。
もちろん、決してこのお店の取り組みを批判しているのではありません。でも今時、「修理」は商売として成立するんだろうか...。
個人的には勝手に直して、永く使い続けていますが。
■1月10日(金) 今日は何の日? ──前方を走行する2台の自動車が赤信号を無視した、次の瞬間...
──
まず、今日は平日。
ただしセンセイは入学試験の代休を頂戴して新潟の自宅へ戻ります。来週末は最後の大学入学センター試験実施日。それ以降は大学独自の入学試験が続き、ちゃんと帰宅することができなくなるためです。
ところで来週月曜日は成人の日。つまりセンセイは4連休となります。この機会を利用して、購入後4年目に入るBMW 320i M Sp(MT)を点検していただくため、朝、金沢のディーラーに車を持ち込みました。トラブルが発生したのではなく、定期的な点検です。
新潟のお店とは対照的に、金沢のEPM社はいつも通り手際が良く、約2時間で点検やブレーキ・エンジンオイル交換等の整備を完了。あらかじめ購入時に定期点検の費用を支払っているので、ごく一部の消耗品を除いて、費用はかかりません。さらに30分ほどかけて内外の清掃をしていただき、ピカピカになった愛車で正午ちょうどにお店を出発。
アパートには立ち寄らず、そのまま帰宅することにします。お店と帰路は微妙に離れているので、裏道を走ってから幹線道路(旧国道8号線)に出ます。平日のお昼なので、通行量は少ない。
ところが一緒に左折した前の車(シルバーのクラウン)の手前を遮るかように突然、右側から右折車が進入してきて、同方向に走り始めました。
違反とはいえないだろうけれど、かなり無理な運転。クラウンも迷惑そうに大きくハンドルを切って、その車を回避します。それでもここまではさほど問題はなかったのです。
2台の車はセンセイの100mくらい前、重なるように走行していたのですが、さらにその先にある交差点の信号機が青から黄色に変わりました。
位置関係にもよりますが、交差点に進入するかどうかは微妙。もちろんセンセイは絶対に間に合わないのでエンジンブレーキをかけて減速します。で、前の2台はというと信号が赤になり、「右折のみ可」の矢印が出ているにもかかわらず、そのまま直進。(写真)
...オイオイ。前の車だって完全に信号無視だったし、続くクラウンに至っては全くの確信犯。酷いなぁ...と思いながらも、センセイとはこれでご縁が切れたはず。
ところでセンセイは、どこかの交差点で右折する必要があります。だから一瞬、道路の右側に注意が集中したその瞬間...え"っ?!目ではなく耳に飛び込んできたのは、サイレンの音。ナシテ?!
改めて前方を前方を確認すると、クラウンの上部に赤色回転灯。覆面パトカーだったのです。違反車はパトカーに誘導されて、視界から消えました。
そういえば、微かに違和感を感じていたのです。2枚目の写真は、幹線道路に入る直前の映像(一部加工)。センセイは安全を確かめながら裏道を走行し、このクラウンに続いて一時停車したのです。
その時気づいたのは、車内が良く見えないことと、トランク左側に小さなアンテナが設置されていたこと。正直に白状すると、でもそれ以上注意することはありませんでした。今から考えると、警官2名はバックミラーでセンセイの様子をずっと注視していたんだろうなぁ...。
そういえば今日は1月10日。「110番の日」だった...。
■1月9日(木) 西村センセイ、二晩続けて働く ──グローバル企業の役員をお招きして、特別講義を開催しました──
2日、ではなく、2晩。日中はもちろん働きましたが、夜も遅くまで仕事をしたのです。
昨晩の帰宅は10時半頃。日付が替わる前にこのページを更新したのですが、就寝は結局、1時半頃。でも翌朝、つまり今日は朝イチに講義があります。期末試験直前の講義。
絶対に遅刻するわけにはいきません。講義を終えるとあちこちと連絡調整。とにかくお昼を食べてから午後は大学院の講義。もっとも、今回の大学院はもう一人のセンセイが主に担当されたのですが。
それが終わると、再びあちこちと連絡調整。実は今日の夕方、大教室に約200名の学生を集めて特別講義が開かれるのです。超一流グローバル企業の重役を講師としてお招きしています。
バタバタしているうちに講師ご一行や受講生が集まって、いよいよ特別講義開始。今回は途中で技術的なトラブルが発生したりして、進行役のセンセイは結構大変。それでも何とか、午後7時前に講義終了。その後、学長を表敬訪問してから、関係者で食事会を兼ねたミーティング。
帰宅は10時半。つまり昨日と同じ。大変は大変だったのですが、参加した学生に対する講師の方そしてセンセイら関係者の印象は比較的好評でした。もちろん、残念ながら一部、精神的にまだ幼く、特別講義の意味を理解できない人もいましたが、個人差があるのはしかたない。
全ての人に満遍なく...なんて実際には不可能。反省すべき点、改善すべき事項はありますが、かなりの受講生には心に残る講義となったんじゃないかと思います。彼ら彼女の瞳の輝き方からの、判断です。
■1月8日(水) 話すことは、学ぶこと ──地元企業の方をお招きして、公開セミナーを開催しました──
夜も更けているので、今日は見たままのお話を手身近に。
皆さんの多くの場所がそうであったように、今日の金沢は朝から大荒れ。でもセンセイは、平常通りのご出勤。サラリーマンだから当然といえば当然なのですが、いつもと違う点も。
悪天候なのに、徒歩での移動です。通常、晴れた日は自転車で、雨天の場合は自動車で通勤するのに。
講義がないので、日中は打合せや事務などいろいろと用事をこなし、夕方になると道路の反対側にある別棟に移動しました。雨が強かったので、地下道を通ってです。
研究ブランディング事業の一環として、企業の方をお招きして公開「科学技術倫理セミナー」が開かれるのです。前回に続く、今年度4回目の開催。今回は地元の有名企業PFUの担当者をお招きしました。ただし講師の方は横浜の勤務地からお越し頂きました。学生および一般社会人の方を対象としてのご講演。
続いて別な方を交えてセミナーを開催。後半は学生に混じって議論したのですが、彼ら彼女らには好印象を持ちます。自主的に参加するだけのことはあって、やはり問題意識をお持ちだからなんだろうと思います。
講師の方々も同様の意見でした。終了後は金沢市内へ移動して、ワーキングディナー。オトナの会合ですから、虚心坦懐(きょしんたんかい)に意見を交換します。大変興味深く、そして有益な晩となりました。
で、明朝は1限から講義。大丈夫かなぁ...。
■1月7日(火) 「えちご」と「とやま」の境界標は、県境最寄りの鉄柱に括り付けられていた
授業が始まった今日の金沢は、お昼から雨。
でも今日の写真は青空と、海。日曜日に、新潟から金沢へ移動する際に撮影したものです。きっかけは、年末の在来線を乗り継いでの移動。その途中、初めて「えちごトキめき鉄道」と「あいの風とやま鉄道」の境界標を車内から確認したのです。
これらの区間、もともとは国鉄→JR西日本が運営していた北陸本線。国鉄時代の記憶は確かではないのですが、JRの時はJR東日本と西日本の境界となる直江津駅──駅そのものは東日本所属──構内、信越本線との分岐点付近に、黄色の少し大きな境界標が立てられていました。
下り列車の左側、つまり線路の北側です。約5年前の北陸新幹線開業に伴って、新潟県内の北陸本線と信越本線妙高高原─直江津間の運営は第三セクター「えちごトキめき鉄道」へ移管。
トキ鉄からすると、直江津付近の路線は全て自社路線になったので、JR東西の境界標は撤去されました。問題は富山県内の路線との境界。駅については新潟県内最西端の「市振(いちぶり)」駅までがトキ鉄。富山県に入った「越中宮崎」からが「あいの風とやま鉄道」の管轄。
当然、境界は県境となっている「境川」付近にあるものと予想されます。今までは確認できなかったのですが先週、境川を渡る時に北側(=日本海側)の窓から注意していたら、一瞬、「えちごトキめき鉄道」の文字が目に入ったのです。
「とやま鉄道」側は確認できませんでしたが。そこで日曜日、国道8号線で県境を越えてから車を停め、車道の北側に架かる歩道橋から撮影したのが写真。鉄橋のほぼ中央部分、架線を吊すための鉄塔に、境界標が括り付けられていました。
JR東西の時のような立派なものではなく、印字シール式です。写真では良く分かりませんが、右側に濃い黄色のシールで「えちごトキめき鉄道」、左側、より濃いオレンジ色のシールの上に「あいの風とやま鉄道」と記されています。興味深かったのが、「台紙」にあたる部材。
もともとは「勾配標」という、下り線の線路左側に立っている勾配を示す標識を転用しています。写真でかろうじて判別できますが、「とやま鉄道」側は「10」──上部にうっすらと跡が見える──そして新潟側は“L”。「10」は10パーミルの上り勾配を、“L”は平坦を意味します。もともとここにあったものかどうかはわかりません。
いずれにせよJR時代と違って、手作り感に溢れています。ちなみに、本当の県境はもう数m右側、つまり新潟県側にあるようです。要するに県境に一番近い鉄柱を境界にしたということのようです。もう一つ気づいたことが。
鉄橋上の、保線関係者を守るための手摺りですが、右側はきちんと塗装されているものの左側、つまり富山側は錆が目立ちます。もちろん、たまたま補修のタイミングがずれて...ということなのでしょう。
でもこんなところに「国鉄一家」の時代、あるいはJR時代とは違った、「それぞれ別の会社だぞ」という意気込みを感じてしまうのです。う〜ん、列車に乗っていなくても、鉄分の話になるとセンセイの文章には勢いがある...。トホホ。
■1月6日(月) 冬休み最終日。学生諸君が帰省先から大学に戻ってきました
金沢工大は今日から業務を再開。
といっても、正式には仕事始めに当たる「新年互礼会」という式典が開かれるだけ。それも正午前に終了するので、ほとんどの職員は帰宅します。先生方は必要に応じて研究室に残ったり、帰ったりという感じ。
センセイはお昼に、お弁当の購入を兼ねて少し外出しました。ふと気づくと100mくらい前の歩道を、男子学生が歩いています。どうやら帰省していた実家から戻ったらしい。学生諸君の冬休みは今日までなのです。
近くのバス停で下車したようで、左手には近くのコンビニで購入したものがレジ袋一杯に。右手で鞄を引いています。彼はかなり速い歩き方なのに、センセイはまだ足が少し不自由なので、その差がどんどん開いていきます。できれば彼に「颯爽と」歩いて欲しいところ。
残念ながら淡々とした歩みですが、決してトボトボと、という感じでもない。良い点も悪い点もあるけれど、大きな問題もなく順調に学生生活を送っています、という後ろ姿。
昨日の大学は、人影はほぼ皆無だったのですが、今日はそれなりの数の学生がグループになって勉強しています。授業再開後に提出する宿題に取り組んでいるのでしょう。
お休みを挟んで、学生諸君の何げない日常が再開されつつあります。決して目立たなくても彼ら彼女らは、とても大切な時間を生きています。
センセイにできることと/為さねばならないことといったら、やはり、その後ろ姿を見守ることだけなんだろうなぁ。
■1月5日(日) この年末年始、風邪を引いて仕事は全然できなかったけど、その代わり...
...血圧が、俄に信じられないほど低下したのです。以前、少しだけお伝えしましたが。
右のグラフは、何回か(こちらやこちら)お伝えした朝晩の血圧の変化。横軸が時間軸で、左端が去年の7月1日。それ以降、横軸の目盛りは1か月ごとで刻まれています(8月に報告したものに一番近い)。
縦軸は血圧ですが、無用な誤解を招きかねないため、具体的な数字は引き続き省略しています。もはや明記しても何の問題もないのですが...。
4本の折れ線グラフが見えますが、上段がいわゆる「最高血圧」、下段が「最低血圧」。それぞれを朝晩、できるだけ同じ条件で測定しています。もちろん完全に条件を揃えることはできませんが。
朝晩を比較すると、一般的には夕方の方が高い。そしてキンエン生活の甲斐あってか、グラフの右半分は全体として右肩下がり。特に夕方の最高血圧の低下が顕著です。これは素直に言祝(ことほ)ぐべきこと。
しかも12月に入ってから、特にその後半になってから夕方の低下が目立っていました。友人の医者に「夏は低く、冬は高い」と言われていたのですが...。とりわけ、自宅に戻ってから(=風邪を引いて大人しくしてから)は、非常に低い。朝晩ともに、グラフの右端で「肩」が消失しているのがおわかりでしょうか。
数値がガクッと下がっているのです。ところで、右側から1/3位のところで朝の数値が最高、最低ともに大きく低下しています。これは主に、初夏のタイミングで朝の計測時刻を変更したことによるもの。
その後は気温が低下したので、少なくとも朝の数値については最高、最低ともに横ばいかやや上昇傾向。その結果、朝晩の数値が同じくらいか、むしろ逆転傾向にすらあります。特に、明け方に夢を見た時の血圧は高い。
もはや無罪放免...といきたいところですが、たぶんそれは幻想。
慣れない本物コーヒーを飲んだためか、昨日の晩から12月中旬のレベルに戻ってしまいました。明日の仕事始めに備えて、午前中に一般道を約240km運転し、しかも研究室で片付けをした今日の記録もほぼ同じようなもの。
それでももうすでに、相当低い数値。今回のような休みは無理だとしても、できるだけ良い状態を継続したいと考えています。