2019年11月2日更新(2019年11月10日ページ移動)
■11月2日(土) 冬はもう、目の前... ──2週間ぶりに帰宅したら、冬用タイヤの案内が届いていた──
2週間ぶりの自宅。
当たり前ですが、自宅そのものにほとんど変化はない。けれど、わずか2週間だというのに、移動途中や自宅、実家近辺の様子は大きく変化していました。
定刻に起床すると、最低限の仕事を済ませて、まず、かかりつけの皮膚科医院へ。センセイは「尋常性乾癬」という難病を患っているのです。自己免疫疾患なのですが、症状としては皮膚の異常として現れる。
まぁ、センセイの場合、ちゃんと薬──かなり高価──を使用していれば、ほとんど問題はないのですが。日本人の場合、患者は約1,000人に1人と言われていますが、実際は患者が気づいていないだけで、頻度はもっと高いと思う。割と最近知ったのですが、下の弟も罹患しているし。帰宅後は、車を車庫から進入路へ移動させて、先日の黄砂で汚れた愛車の洗車。
いつもは早朝に洗車するのですが、今朝は寒かったので家人の薦めに従い、遅い時間帯にしました。途中、道路を挟んだ向こう側から「ひでおく〜ん!!」という声が。「ひでお(秀雄)」はセンセイの名前。向かいの公共施設駐車場から叫んだのは、中学校の同級生。
彼女はしばしば、所用で目の前の施設を訪れているようです。営業開始時刻の10時を過ぎたので、BMWのディーラーに電話します。昨晩帰宅したら、冬用タイヤの購入案内が届いていたのです。ただしセンセイの場合、冬用の溝は前後ともに7mm残されています。
新規購入は不要。それに先立って、タイヤ交換料金を約1.5倍値上げする通知が届いていたのですが、今回の案内によると早めに交換すると割引料金で交換するとのこと。実はこれ、ほぼ毎年のこと。
タイヤ交換作業が特定の時期に集中することを避けるための策のようです。今後は学会開催や大きな入学試験など行事が続くため、しばらく週末にきちんと戻ることが難しい。それに同じ作業なら安いに越したことはないので、電話したのです。
多少行き違いはあったものの、今月下旬に交換していただくことになりました。お昼過ぎに実家と伯母宅を尋ね、熊本のお土産を渡しながら高齢者3名の様子を確認。帰りに、母親と従姉妹がそれぞれ育てた美味しそうな野菜を分けてもらいました。今日はかなり忙しかったので、帰宅後はひとまず休息。
4時ころ、近くの家電量販店(写真左奥)へ。家人から居間の蛍光灯が古くなったと申し出があったのです。写真中央奥は、この地域のシンボル「米山(よねやま)」(993m)。高い青空には飛行機雲が2条。そして西の空ではまさに太陽が沈まんとしているところ。
忙しくて半ば忘れていましたが、もう晩秋。冬はもう、目の前なんですね。明日は颱風19号で延期されたオープンキャンパスが開催されます。センセイは入試部長としてそれに間に合うよう、早朝に自宅を発ちます。
■11月1日(金) 気がつかなかった。建物内の別な場所にもツバメの巣が...
先週末は熊本へ出張していたので、センセイは2週間ほど自宅を離れたまま。
明後日に大学の行事があるので、それを終えてから帰宅する予定だったのです。でも柏崎での通院その他を考えて、今日のうちに自宅へ移動することにしました。昨日に引き続き、午前中は関係者が揃ってお客様への対応。
午後、アパートを経由して、金沢を離れます。今日の予報は晴れ。ただし寒冷前線が通過するので、場所によっては...とのことだったのですが、石川県と富山県西部は弱い雨の中を走行。ただし、なぜか信号機で停車することが少なく、スイスイと富山市内へ。
燃費も信じられないくらい良い数値。なぜかこの頃から信号との相性が悪くなり、ストップ・アンド・ゴーを繰り返すので、平均速度と燃費がどんどん低下します。でも、まぁ、仕方ない。
いつものようにトイレ休憩と水の補給を兼ねて「里山の駅 つるぎの味蔵」へ。地元関係者のご厚意で、トイレ設備その他が無償で提供されているのです。
...あれ?!男性用トイレの一角で、今春、ツバメのつがいが営巣していたのです。でも間を置かずに、巣は放棄されてしまいました。だからずっと気になっていたのです。換気用の排気ファンの閉鎖などはそのまま。
ここまではいつも通り。手を洗い、ボトルに富山の美味しい水を補給しようとした時、天井付近の照明器具の上に、別な巣があることに気づきました。この季節ですから、もちろんツバメはいない。
鳥類は一般的に、巣を再利用しないらしい。でも種類によって状況はかなり違うようで、護岸工事などが進んだ現在、ツバメは既存のものを補修しながら利用することも多いようです。来春、ツバメがここへ戻ることはほぼ確実。
「つるぎの味蔵」の関係者は「その日」のために、巣をそのまま残していらっしゃるのでしょうか。それはそれでわからないではない。でも、もし巣の存在に影響がないのであれば、換気用排気ファンを塞ぐことや、その下の新聞紙の存在にはもはや、理由はないんじゃないかと...。
「つるぎの味蔵」関係者の皆様のご厚意には感謝しておりますので、念のため。
■10月31日(木) 朝から夜まで働いた晦日のご褒美は... ──久しぶりに地球照に出くわしました──
「晦日」あるいは「晦」と書いて、「つごもり」と読みます。
もともとは、月を基準にして暦日(れきじつ)を管理していた旧暦(太陰暦)で月が籠(こ)もる(=見えなくなる)、文字通りの月末を意味しました。読み方を晦日(みそか)と変えれば、そう、大晦日(おおみそか)。
こちらは、その年の最後の晦日という意味。ただし1872年の太陽暦への改暦以降は、「月」と実際の月齢──月の満ち欠け──が一致しません。例えば今日は晦日つまり月末だけど、新月ではない。
年末まであと2ヶ月と迫った今週は、猛烈な忙しさ。十分には休息できておらず、記憶が一部吹き飛びそうなほどです。今朝も早起きしてご出勤。朝イチに講義があるのです。ここまでは通常。
でも今日は、お昼からお客様をお迎えすることになっています。NaClを1.0gに抑えた(!!)昼食をお腹に収めて、お迎えに上がります。午後は大学院の講義を、次の時間は他の先生が担当される学部の授業を見学していただきます。
センセイはあっちへ行ったりこっちで学生を指導したりしながら、最後は見学のクラスへ戻ります。終了後は、ひとまずお客様を見送り、今日だけの特別な会議へ。こちらは東京から3名のビジネスマン(ただし1人は女性)がお越しになっています。
文字通り、ビジネスライク──この感覚は、久しぶりだった──なやりとり。ただし30分で済むとの話だったのですが、終わった時に時計は1時間30分進んでいました。同時間帯に別な会議が開かれていたので顔を出します。
あらかじめ遅刻ないしは欠席の可能性があると伝えておいたのですが、やっぱり会議を終えて散会した後。充実したような、振り回されただけのような1日だったなぁと思いながら階段を降りようとした時、南西の空、低い場所に、大きな三日月が輝いています。
良く見ると、月の暗い側(“The dark side of the moon”)がぼんやりと。錯覚ではなく地球照。久しぶりに見ました。左下および右下の、一段と暗い部分は樹木。月の暗い側は、それよりも明るい。暗い部分を含めて球体の月が迫ってくるように見えた5年半前や、暗い部分の輪郭がはっきりしていた去年ほどではないかもしれません。
でも今回は、陰陽の境界部分にあるクレーターがはっきりと見えます。加齢とお付き合いしながら、それでもしっかり働いた晦日のご褒美、と考えることにしましょう。
■10月30日(水) リバウンドか、それとも... ──日中の塩分摂取量をわずか1.5gに抑えても、血圧は上昇する!?
──
僅か2週間しか間を置かずの、血圧の話題。
右の図は、本年4月以降の血圧の変化。8月中旬にご紹介したグラフの概ね右側1/3、前回のグラフの2/3くらいを、より詳細に見ています。各色の線の意味については以前と同じです。誤解を招きかねないため、引き続き縦軸の目盛りは消去してあります。
なお、縮尺は以前と異なり、変化を強調させています。図の右側、中ほどにある赤丸は、前回の右端にある赤丸。繰り返しになりますが、颱風19号の接近、上陸で、自宅書斎に引きこもっていた時に記録したもの。最高値、最低値ともに、そして朝晩とも低い値を記録しています。
これはまぁ、わからないではない。そもそもグラフの左側1/3を比べると、血圧は右側の方が低くなっています。ご報告したように、これは一つに、朝の測定時刻を変更したこと。
そして血圧を上昇させるNa+摂取を可能な限り控え、K+イオンに置き換えるようにしたことが影響を与えていると推測されます。ただし気温が低下してきたためか、9月中旬から、特に起床時の血圧が上昇。そこでここ1ヶ月ほど、NaCl摂取を可能な限り控えてみることにしました。具体的には、日中の塩分摂取を1.0〜1.5gに抑える。
塩分量を記載してある食品だけを食べるようにしています。さすがに毎日ではありませんが。効果は大きく、青色の夜の最高値が相当低くなりました。けれどもごく最近、意外な変化が。
グラフの右端に注目していただきたいのですが、一時的に非常に低い値を記録しています。これは機器の誤作動ではありません。熊本で関係者と飲んだくれていたためです。
見方を変えると、こんなに効くんだぁ...。ただしここからが良くわからないところ。熊本でも、金沢に戻ってからも、日中の塩分摂取量を1.5g以下に抑えていました。
もちろん自分で調理する夕食については、良くわかりません。でも、せいぜい4gどまり、つまり日中の摂取量と合わせて減塩の目標値である6.0g以下を達成し、かつずっと継続できているものと推測されます。問題は右上の赤丸で囲った部分。
この涙ぐましい努力にもかかわらず、一昨日と昨日の夜は、最高値がかなり高い値を記録しています。起床時の数値については、これまでの経験から、明け方に動きのある夢を見ると、数値が急上昇することが多いと感じています。でも夕方、それも起きている時に夢を見ることはない。
最近、ちょっと気になる記事を目にしました。不確かな記事なので、ここには出典を記しませんが、それによると、Na+が不足して血圧が低下すると何と、ホルモンが分泌されて血圧を上昇させるとのこと。
専門家ではないので、現時点で、どの程度の信頼性があるのかはわかりませんが。いずれにせよ、血圧が変動する理由はそんなに単純ではない、ということは言えそうです。
■10月29日(火) 「次は終点、三角...」 ──せめて気分は、「A列車で行こう」──
「さんかく」ではありません。「みすみ」と読みます。三角(みすみ)線の終着、三角駅です。
今回の熊本ツアー、前後を立場上の仕事で抑えられてため、お得意の出張の前後に休暇を頂戴して...というパターンが取れませんでした。ただし前日に代休を頂戴し、余裕を持って行動するようにしましたが。
センセイの年齢になると、もう無理ができないのです。感覚的には「生きているだけでも、ラッキー!!」という感じ。若い学生さんには理解してもらえないと思いますが。
センセイが熊本を訪れるのは、たぶん4回目。初めて九州の地を踏んだ2003年11月、つまり16年前に、当時の熊本駅に降り立っています。九州新幹線の工事あるいはその準備が始まっていたような...。駅舎は低く、とても広い。
トイレを借り、お土産を買ってから豊肥本線に乗り換えたことを覚えています。直近は、2015年6月。九州新幹線は既に全線開業しており、それを活用して九州南部を中心とした未乗区間を完全乗車しました。
その時はまだ、熊本駅は工事中。ちょっと前までの富山駅のように、新幹線(高架)と、一部高架化された在来線、そして地上に残った在来線を行ったり来たりした覚えがあります。
だから在来線が走っていた駅舎東側はその姿が不明でした。もちろん現在は、地元産と思われる木材を活用した瀟洒(しょうしゃ)な駅舎となっています。ただし、初めて訪れたの時のように鹿児島本線、あるいは豊肥本線からの特急が慌ただしく行き交うような状況ではない。
遠距離速達列車が果たしていた役目は、現在、九州新幹線に集約されているのです。だから在来線の優等列車はごく僅かしか残されていません。崇城大学へ向かうべく、在来線ホームへのエスカレーターに乗っていたセンセイの耳に入ったのは、「6番線に停車中の列車は“A-Train”。当駅を発車いたしますと、次は終点、三角です」。
...他の駅には停車しないのね。車内はほぼ満席。いつもそうなのかはわかりませんが、少なくともこの日は、地元スーパーが招待した家族連れがほとんどでした。乗ってみたい気もする。でも三角線をじっくりと味わうのなら時間をかけて、各駅停車。
どうでしょう。気分だけは「A列車で」というところですが、う〜ん、これだと特急料金が入らないので、JR九州が困るかな。
■10月28日(月) 「熊本市内のホテルはどこも満室で、予約できない!!」は、これが原因だった?!
今日は見たままのお話。
今回の熊本出張、基本的には順調でだったのです。でも唯一、とても困ったことが。熊本市内のホテルはどこも満室で、予約できない状況だったのです。正確に言うと、26日(金)は何の問題もなかったのに、翌26日(土)はどのホテルも満室。
いざとなったらその日の晩は博多まで戻って、と考えたのですが、こちらも満室。最悪の場合は、かつての夜行B寝台(開放)と同じだと思って、熊本駅前のカプセルホテルに泊まることを覚悟しました。センセイは睡眠時の呼吸に問題があるので、大きなイビキををかくはず。
周囲の人は迷惑だろうなぁーと心配していたのです。幸い、それでも何とか連泊できる安宿を確保することができました。ただし2日目の料金は、前日のほぼ倍。ぼったくりだぁーと叫びたくなるお値段。
さすがに当日が迫ってくると、旅行会社などに押さえられていた部屋が若干放出されたようですが、参加を決めた1ヶ月前はこのような状況でした。
で、混雑する理由が良くわからない...。関係者が最初に指摘した可能性は、ラグビーのワールドカップ。熊本でも開催する(/した)のだそうです。でも、違う。現地で大学関係者に尋ねてもわからない。
昨日ご紹介したタクシーの女性運転手も、思い当たる節がない...。懇親会は熊本市の中心部で開かれました。後から調べてみると、南北に広がる繁華街の最北端付近。ホテルは最南端付近にあるので、1次会終了後はタクシーなどを利用せず、歩くことにしました。
地理に詳しくないので、割と近くだろうと思ったのです。結果的には繁華街のど真ん中をかなりの距離歩いたのですが、これが、本当に混んでいる。(見たことはないけど)市を挙げての秋祭りのよう。
ただし着ているものが違います。黒っぽい服が多いし、中には明らかに仮想している人も。少し早いハロウィーンだったのです。まぁ、秋祭りの一種とも言えますが...。
写真は午後10時前、繁華街を外れたところで撮影したもの。手前がご夫婦で、その奥は知り合い(女性の姉?)のようです。カボチャの服を着た子供が2人。よく見ると、お父さんは小さな子供をだっこしています。
子供たちの後ろ姿は、とても楽しそう。子供に仮想させている家族を、たくさん見かけました。でも、本当にハロウィーンが満室の原因だったんだろうか...。
■10月27日(日) 熊本の人々の心に、深く刻まれたもの ──西村センセイ、熊本城を初めて訪れる──
午後、金沢へ戻りました。
お伝えしたように九州新幹線と北陸本線の特急を乗り継ぐだけという、単純なルート。本当は溜まって収拾がつかなくなっている仕事に取り組むつもりだったのですが、新幹線「みずほ」も特急「サンダーバード」も、センセイはひたすら睡眠。
前夜の懇親会で相当飲まされてしまったのです。研究会そのものも、懇親会もとても有意義だったのですが、加齢でとても体力がついていかない。昨晩も、二次会に拉致されそうになったのですが、「私が身代わりになりますから...」の声に見送られて脱出。
あの後、凄いことになったんだろうなぁー。で、今日の話題は懇親会そのものではなく、熊本市中心部の繁華街への移動途中で起きたこと。研究会が開かれた崇城大学は熊本駅から鹿児島本線で2駅のところにあります。
つまり、熊本市中心部から少し離れている。どうするんだろうと思っていたら、約20名(!!)の参加者が、5台のタクシーに分乗しての移動。各車に最低1名、崇城大学関係者が乗って、迷子にならないようにします。
センセイは何故だか、主催者や大学副学長らの車に割り当てられました。鹿児島本線沿いに走っていると、女性運転手を含めて「あの時は...」とか「二発目は...」、あるいは「甥によると、道路が波打って...」などという会話になります。
お察しの通り、「あの時」起きたのは熊本地震(こちらとこちら)。熊本の人々の心に、地震そのものとそれによる被害、その後の不自由な生活が記憶として深く刻み込まれていることが伝わってきます。
波打つ道路──本当に──を体験したセンセイも、会話に参加。右上の写真はバスセンターの少し先(北)から見た熊本城。近くにNHK熊本放送局があり、地震の際は局の固定カメラが熊本城が被害を受ける様子をリアルタイムで中継しました。
中央には城を築いた加藤清正公像。かなり大きな銅像です。堀を挟んだ建物が馬具櫓(のはず)。接近(右の写真)してみると、残念ながら石垣のほとんどが崩れており、角に配置された大きな石だけで櫓を支えています。
記憶に間違いがなければ、写真右側も同様だったはずなのですが、こちらは綺麗に修復されていました。(記憶違いかもしれません)。熊本城は初めて訪れたのですが、富山県民にとっての立山同様、お城がこの地域の方々の心の拠り所だということが良くわかりました。こればかりは、現場を訪れてみないとわからない。
でもセンセイには、少々解(げ)せないことも。地震だけでなく、つい先日を含めて、この地域は繰り返し水害に襲われています。颱風、そして一昨日の低気圧による千葉県以北の被害も伝えられています。でも、今回のツアー中、地震の話題は繰り返し出たものの、水害については皆無。
地震が地域全体に広く影響を与えるのとは対照的に、浸水の被害は特定の場所に集中するからでしょうか...。