2019年10月19日更新(2019年10月27日ページ移動)

──2019年10月第3週のニュース──

バックナンバーはこちら


10月19日(土) 何かが壊れるような大きな音がしたと思ったら... ──地域の基幹病院で病院祭が開催されました──

 加齢のせいか、疲れが抜けない...。

 溜まっている仕事。自宅へ持ち帰れば何とかなるだろう、と思うのが甘い。客観的には、作業が進まず、溜まったままの状態──実際は上積みされる──で金沢と自宅を行ったり来たりしているだけ。
 現役引退は明らかに、指折り状態。

 休息を旨としながらも、いくつかの用があるので午前中に自動車で外出。実家へは明朝立ち寄ることになっているので、今日は市内での買い物が主。スーパーへ向かっていると突然、「ド、ド、ド...」と、何かが壊れるような大きな音。
 ただし自動車の衝突など、1回限りの、高い周波数成分を多く含む音ではない。

 赤信号で停車したので周囲の様子を確かめると、上空、非常に低い場所をヘリコプターが通過していきました。逆光だったので機種や所属はわかりませんでした。県警か県の防災ヘリだったんだろうと思ってそのままスーパーへ。
 晩酌のツマミを買って外へ出ると...あ"。

 道路を挟んで、スーパーの斜向かいには、父親が何回か入院するなど、センセイ自身を含めて家族がお世話になっている地域の基幹病院柏崎総合医療センターがあります。
 スーパーに入る前からその駐車場に“DMAT”仕様の救急車などが停車し、人だかりができていることはわかっていたのです。

 でも、その奥には先ほど飛行していたヘリコプターが。機体側面には青地で“Doctor-Heli”と記されています。日本赤十字社長岡赤十字病院に配備されている長岡ドクターヘリです。
 帰宅してから調べてみたところ、「第23回病院祭」が開かれていたんですね。

 大水害の直後なのだから、ヘリも救急車も要因も被災現場へ...と思った方。気持ちはわかる。実際、東日本大震災が発生した時、当時の総理大臣も自衛隊に対して同じような発言をしたし。
 でも災害の現場で関係者が的確に働くためには何が必要でしょう。

 彼ら彼女らは疲れを知らないスーパーマン/ウーマンではありません。人間です。休息、そして十分な睡眠が必要必要です。機械の類も同様。すべてのマシンがフル稼働なんてあり得ない。
 ざっくりと、最前線が1/3、現場での待機/休息が1/3、後方待機が1/3。

 端的に言えば第二次世界大戦中の日本は、これで敗れたのです。

 いろいろな想いはあるでしょうが、お祭りで地域医療や緊急対応への理解を深めることもまた、重要なことなのです。



10月18日(金) 「今年もまた、この季節が来たわね...」 ──工大祭の準備が進む中、ひとまず帰宅しました──

 写真は天気が良かった一昨日、所用で少し離れた建物に行く際に撮影したもの。

 「第52回工大祭」のメインステージ用のテントです。カメラを構えていると、ゆっくりと近づいてきた同僚が、「今年もまた、この季節が来たわね...」。

 テントの設置は火曜日朝から始まり、基本的な作業はその日のうちに終了。写真の一昨日はステージなどを組み、3日目の昨日は、照明や音声用の仮設パイプも組み上がりました。
 加えて、手前(写真の反対側)に、学生のための屋台のテントも組み上がりました。

 血圧が低下しているのは良いことなのでしょうが、なぜか朝、ちゃんと起きられない。今日はいつもより1時間半遅く、ご出勤。

 キャンパスに入ったセンセイを出迎えた(?)のは、一列に並んだ学生。そして学生。屋台の中で使うテーブルや椅子を学友会から借用するために並んでいるのです。
 センセイの今日の仕事は、留学生の修了式出席がメイン。

 晴れ晴れしい雰囲気の式を終えると荷物をまとめ、屋台準備の学生が行き交う中をアパートへ戻ります。ひとまず帰宅するためです。

 もちろん無事に到着したのですが、比較的穏やかな富山県内や糸魚川、そしてと対照的に、上越市付近の海は今日も沖まで濁っていました。本当に酷い降り方だったので、大量の土砂が流出し続けているようです。
 今回は降り出し始めた雨と競争しながらの走行。

 金沢は夕方から本格的な雨となったようです。センセイが顧問を務める少林寺拳法部も屋台を出しているはずですが、彼ら彼女らは、どうなったんだろう...。

 メインステージに出演するアーティストの一つが、「西金沢少女団」。昨年に引き続いての登場です。西村センセイ、明後日(日曜日)の午後は大学へ行く予定にしています。部員の様子を確認したい。
 それに、もしかしたら...。



10月17日(木) 一時的にですが、血圧が再び大幅に低下しました。その理由は...

 引き続き颱風19号関連の話題。ただし今回は、全く個人的なご報告。

 避難所からの中継映像に写っていた2台の血圧計を見て、思い出したことが。

 何回かお伝えしているように、3年前に高血圧を宣告されて以来、センセイは継続して生活習慣の改善、つまりにキンエン生活に努めています。今回はいわば、初回および前回に続く3回目の経過報告。
 ただし臨時版です。

 右のグラフは概ね、前回ご紹介したものの右半分。また左端から三等分して、冬、春、夏だと思ってください。例によって、縦軸の目盛りは省略しています。
 全体としては各項目とも右下がり、つまり低下傾向。これは言祝
(ことほ)ぐべきこと。

 前回ご紹介したように、興味深いのは6月末以降、最高、最低血圧ともに、朝の血圧が劇的に低下してます。ただし右端、つまり秋に近づくと気温が低下したためか、上昇傾向に転じています。
 ただし夜は、最高最低ともに、そこまでの変化ではありません。

 で、本題。最高血圧に着目するとグラフ中、3カ所で大きな凹みが見られます。2カ所については、赤丸で囲みました。左はインフルエンザに罹患し、強制的に休養していた時。
 ところがごく最近、同じような現象が起きたのです。それが右側。

 先週のセンセイは、颱風19号の接近、上陸で予定変更を余儀なくされました。金曜に帰宅したものの、土曜日は実家訪問を除きほぼ缶詰。
 日曜日になると雨と風は収まったのですが、被災地から届く悲惨な映像に、とてもどこかへ行く気にはなれない。

 自宅書斎に留まったのだから、遅れている仕事に専念すれば良かったのです。でも、とてもそんなことはできない。個人的には非常にストレスフルな状況だったのですが、血圧の変化はそれと無関係らしい。
 冷たいものだ。

 で、これってやっぱり、長生きしたかったら退職すべきということかぁ...。

 なお、9月上旬にも同様な落ち込みが見られます。これはセンセイが役員を務める学会の大会が開かれた期間。学会関係者と、あるいは颱風の接近と競争しながら元同僚と飲んだ後のデータです。
 他は基本的に、夕食および入浴前の数値。

 適量の飲酒でリラックスすることは、少なくとも短期的な血圧低下をもたらすようです。もちろん過度な飲酒は大きな健康被害をもたらすことが知られています。

 また、たとえ「適量」であっても長期的に見ると、評価は変わるのですが。



10月16日(水) 地鎮式から約1ヶ月半。新築住宅の基礎工事がやっと始まりました

 颱風19号で、文字通り「吹っ飛んで」しまっていた話題。

 写真は先週半ばに自転車で帰宅する時、変化に気づいて撮影したもの。アパート近くの、地鎮式が行われた──はずの──場所です。住宅が建設される場所に、ビニール紐が張られたまま、1ヶ月半弱が経過していたのです。
 暗がりの中で、まず目に入ったのは右端の仮設トイレ。

 改めて確認すると、その手前にはコンクリートを調製する(?)機械があります。奥には、パイルを打ち込むための重機がアームを休めています。
 原因が機械か人員かはわかりませんが、段取りの関係ですぐには工事に着手できず、やっと着工の日を迎えることができたようです。

 今晩もほぼ同じ時刻に現場を通過したのですが、パイルの打設は終了し、基礎工事に入る準備が整っていました。もちろん、トイレ以外は撤去、撤収済。ここからの進み方は速いと思う。
 隣家の時と同じ驚きも。

 西村センセイ、ビニール紐だけの時は「小ぶりだなぁ」と思ったのです。でもパイル打設後に同じ場所を見ると、まったく違った印象を受けます。とても大きい。
 同じ場所、同じ外形をした(将来の)建物なのに...。

 アパートのすぐ近く、隣家の反対側でもコストを重視した住宅新築工事が進んでいます。それとは対照的に、隣家やこちらのお宅は、とても丁寧に造られている。しかも、大きい。
 一部繰り返しになりますが、施主
(せしゅ)の想いが伝わってくるようです。

 冷たい雨が降る被災地で、このように希望を持つことができれば良いのですが...。今はまだ、かなわなくても。



10月15日(火) 水害報道が(あまり)伝えないこと。なお、伝えられないものも含む

 全貌が明らかになりつつある水害の続きを。

 タイトル後半の「伝えられない」は、報道機関が自主規制して秘匿(ひとく)いるのではなく、「発生していないから、伝えようがない」という意味。意識すればちゃんと伝える価値はあるのですが、メディアに取り上げるつもりはないらしい。
 写真は11年前に撮影したもの。

 記念碑とその説明文だということはわかります。さて、これは何でしょう。そしてどこにあるものでしょう。

 関東、東北地方の方には大変申し訳ないのですが、話を千曲川の氾濫に絞らせていただきます。こちらはセンセイの行動範囲内の出来事なので。そもそも千曲川/信濃川──県境で名称が変わる──は日本最長の大河。
 氾濫は日常茶飯事だったのです。

 特に長野市付近は全体として盆地になっており、しかも、その出口にあたる部分はとても狭い。飯山線に乗車すると、それが良くわかります。
 水没した新幹線車両基地付近は出口手前の、とても低い場所にあります。水が滞留して氾濫しやすい。

 古くからの集落や、旧信越本線(しなの鉄道)北しなの線および飯山線は、その縁を迂回するような場所にありました。

 だからセンセイは、土砂流入や法面(のりめん)崩落などを除けば、在来線は大きな被害を受けていないだろうと予想していたのです。でも、それは甘かった。
 しなの鉄道(株)によると、同社しなの鉄道線および北しなの線ともに、現在も一部区間が不通。

 14日および15日付で公開された情報によると前者は何と、大屋駅─田中駅間の、線路上空のバイパス跨線橋が崩落した(!!)とのこと。
 添付された写真から改めて、災害の凄まじさを思い知らされます。

 北しなの線はというと、豊野─三才間にある変電所が浸水してしまったそうな。こちらも写真が添付されています。旧国鉄からJR東日本、そしてしなの鉄道へ継承されたものだと思うのですが、それすら水没してしまった。
 やはり相当な状況だったようです。

 今夕、JR東日本から北陸新幹線および中央本線(中央東線)の状況と運転見通しについて発表がありました。それによると新幹線本線の点検が始まり、信号装置に被害が確認されたとのこと。これらの復旧には要する時間は概ね1、2週間。
 関係者には口頭でお伝えしましたが、ドンピシャ。予測通りです。

 ただし全線運転再開後の運転本数は通常の50〜60%程度との見込み。そりゃ、そうでしょうねぇ。ただし、上越新幹線との共通運用や、保守点検に関するセンセイの予測に関する情報はありません。こちらは追って、当たり外れをご報告したいと思います。
 で、「伝えられなかった」こと。

 それは長野県内で甚大な被害をもたらした水はどこへ行くのか、ということです。こちらはほとんど報道されていません。

 お察しの通り、大量の水は県境を越えて新潟県内にもたらされます。県境付近および下流の小千谷(おぢや)市、長岡市(支流が溢水)では、信濃川の水が堤防を越水して被害が出ました。ただし新潟平野(越後平野)での大きな被害は報告されていません。(たぶん)
 広い川なんだから当たり前だろう、と思った方は甘い。

 新潟県内に入ると、長岡市付近から勾配が急に緩やかになります。信濃川もその表情を一変させて穏やかな顔を見せるのですが、実はこれが曲者(くせもの)。傾斜が緩いということは、水がなかなか流れ、溜まりやすいということ。
 長野市付近とは別な理由で水害が起きやすい場所なのです。

 特に、新潟平野の中央部から信濃川河口にかけては水害の常襲地帯。長野で水害が起きれば新潟は、翌日あるいは翌々日、必ず大水害になったのです。でもそれは過去のこと。今回も大きな水害は発生していません。
 大災害を防いだのは、以前ご紹介(こちらこちら)した大河津
(おおこうづ)分水。

 写真は、分水建設工事の先頭に立った青山士(あきら)の手による竣工記念碑です。この頃使っていたパナソニックのデジカメでの撮影なので、色調が他とかなり異なります。

 ただしさすがに今回は信濃川本流、分水(報道)ともに、本当にギリギリの状況だったようです。報道の写真から、いかに際どい状況であったかがわかります。ところで新潟県内にはもう1本、大河川が。
 もちろん阿賀野川です。

 こちらも上流は大洪水。翌日、下流に避難情報が流され、また鹿瀬(かのせ)付近では被害が発生しました。婿入りした弟宅があるので義妹に状況を確認しようかと思ったのですが、信濃川同様、こちらも何とか乗り切ったようなので、連絡はしていません。
 冗談抜きで、首の皮一枚で...という状況。

 改めて先人の智慧と努力に敬意を表すとともに、指導者が正確に現状を認識できずに失言を重ねる現状と、偉そうなことを言っていても十分には予測できなかった自身を恥じ入るばかりです。



10月14日(月:祝日) 西村センセイ、泥色の海を進むLNGガス運搬船を見て、「泥船」について考える

 颱風19号による甚大な被害が、徐々に明らかになりつつあります。

 でもセンセイはただのサラリーマン。そもそも想定外の、そして予想外の連休を終えて仕事──明日は午前と午後に講義──に戻る必要があります。複雑な想いを残したまま、朝食を済ませて金沢へ移動開始。
 颱風による強風で埃まみれになったので昨日、愛車を洗車したのです。

 でも今日は、予想外の雨。しかも北西の風、つまり日本海から吹き付ける風が予想以上に強い。車体を錆びさせる塩分そのものを浴び続けることになるので、自然と注意は海の方へ。柏崎市内で気づいたのは、漁船や貨物船ではない船影。
 視界は、悪い。

 最初は軍艦かと思ったのですが、どうやら海上保安庁の大型巡視船のようです。上越市内に入り、柿崎付近で大型船舶(写真中央奥)の存在に気づきました。理由は良くわかりませんが、「目的地へ、確実に到着するぞ」という強い意志を感じます。
 ハンドルを握りながら、その方向をチラチラ。あまり褒められた行為ではありませんが。

 写真は、肉眼とほぼ同じ状況。通常の船舶と、やはりどこか違います。左方向へ向かっているのですが、船首から中央過ぎまの甲板上に、白っぽいものを視認できます。LNGガス運搬船に違いありません。実物を見るのはたぶん2回目。
 目的地は、明らか。

 上越市(旧直江津市)にある、(株)JERA(中部電力と東京電力が設立)が運営する上越火力発電所を目指して、海外で産出された天然ガスを運搬しているのです。
 週末の颱風の荒天を、どこかの海上で耐えたはず。

 船影に、「もうすぐ着くぞ...」という歓びを感じるわけだ。

 日本海は一面、泥色。「泥の海」という方が適切かも。写真でも、日本海が何となく黄色っぽく感じられるはず。もちろん冬期など荒れた日はこうなるのです。でもそれは、沿岸部分だけ。
 日本海がここまで濁っているのは初めて。

 もちろん颱風19号の影響です。当地、特に上越地方は地形の関係で猛烈な降雨があり、河川が土砂を日本海へ押し流しているのです。溢水が発生した桑取川を含めて、壮絶な状況。
 幸いにも国道8号線、そして今日は利用しませんでしたが、北陸自動車道にも不通区間はありませんでした。

 でもタンカーは目的地を見据えて、この泥の海の中を粛々(しゅくしゅく)と進んでいます。素晴らしい。もちろん頑丈な船体など、基本的な技術に加えて、GPSなど最新の科学技術の賜(たまもの)
 じゃぁ、センセイらはどうなんだろう。

 「(他者はともかく)自分は、正しい」とか、「昨日まで何とかなっていたんだから、このまま...」で上手くいくのかどうか...。

 「泥船」はやはり、実在するらしい。



10月13日(日) 救援を差し伸べるのは意外にも、新潟と西かも? ──長野新幹線車両センター水没──

 本当は写真抜きにしようかな、と思ったのです。

 多くの方がそうでしょうが、昨日から頭の中は颱風19号のことばかり。残念ながら、進路沿いの各地から被害の報告が続々と届きます。

 敢えて身内に触れれば、勤務地の関係で娘が「海抜0m」地帯──実際には海水面以下──で知られる墨田区に居住しています。ただししっかりした建物の3階なので、居室が水没する心配はない。
 ただしインフラや移動、食料や水の調達はまったく別。

 昨晩、荒川の上流のダムが、ダム自身を守るための緊急放流をする予定と知り、電話で「1週間程度の孤立は覚悟するように...」と伝えました。その頃から当地(新潟)でも風雨が酷くなってきました。ただしこの程度の荒天は、冬の新潟ならいくらでもあること。
 停電だけが心配ですが、就寝してしまえばそれすら直接にはご縁がなくなる。

 暗いうちに目が覚めたのですが、予想外に周囲は静穏。雨はともかく、朝はまだ強風は続く見込みだったのです。確かにその後も、思い出したかのように強い風が吹きましたが。テレビで状況を確認します。
 お察しの通り、全国各地が甚大な被害が発生しています。

 残念ながら犠牲者も。予想外だったのは都市部、特に首都圏の被害が相対的に少ないこと。犠牲者も発生してしまいましたが、堤防の破堤(はてい)はなく、越水(えっすい)/溢水(いっすい)も僅か。
 今だに被害の全貌すら明らかになっていない地方とは対照的。まるで、防災は首都圏のために存在するかのよう。

 ただしそれによって娘も守られたのですから、決して偉そうなことは言えません。

 衝撃的だったのは、千曲川(新潟県に入ると「信濃川」)の破堤(堤防決壊)によるJR東日本長野新幹線車両センターの大規模浸水。JR東/西日本のE7/W7系、計10編成が水没してしまいました。北陸新幹線用車両の1/3に当たります。
 画面を見て、すぐに推算できました。

 「洗って乾かせば...」と思われるかもしれませんが、自動車なら即、廃車レベル。東日本大震災時のF2戦闘機と同じくらい、極めて困難な状況です。しかも現時点で、報道されていないことが。車両の損害はざっと320億円(廃車の場合)と甚大。
 でも実は、点検整備の施設も被害が大きい。

 「車両基地」と報道されていますが、JR東日本所属の北陸新幹線車両はここで点検整備を行っています。つまり、設備も水没することによって深刻なダメージを受けており、メンテナンスができない。
 北陸新幹線、このままでは年単位での、それも極めて困難な運用状況が続くことになります。

 いろいろ考えたのですが、唯一の救いは新潟新幹線車両センターとJR西日本白山車両総合車両所かも。ポイントは車両と、整備基地。まず、車両。

 JR東海は、同社が経営する東海道新幹線の車両の種類を限定することによって経済効率を向上させているのとは対照的に、東日本は少量多品種。新幹線といえども、各線の事情があるからです。
 北陸新幹線はしかも、複数電源周波数および急勾配に対応しなければならない。

 そのため、通称「長野新幹線」の時代を含めて、車両は専用のものが用意されてきました。

 でも発想を転換すると、北陸新幹線の車両は他の新幹線も走行できる。(狭軌から改軌した山形・秋田新幹線を除く)今春、上越新幹線にE7系が導入され、センセイも6月に初めて乗車しました。
 運用する車両の種類の削減、具体的には2階建てのE4廃車、置換が主目的。

 新潟新幹線車両センター所属の3編成は、北陸新幹線も走行できます。加えて廃車予定のE4系P51・52編成は軽井沢まで、そしてP81・82編成は長野まで乗り入れ可能。
 しかも新潟は、E7/W7系のメンテナンスも可能です。ただし現時点で、整備能力は限定されているでしょうが。

 メンテナンスについては、JR西日本白山車両総合車両所とも協同することになるのではないかと推測しています。細かいところはともかく、納入元を考えれば基本的なシステムは同一のはず。
 既に、実績も。

 北陸新幹線開業以前の特急「はくたか」(681/383系)は所有会社にかかわらず、金沢(JR西日本)の、通称「乙丸車両基地」で整備していたのです。

 北陸新幹線に乗車するたび、(金沢からだと)右窓の向こうの長野新幹線車両センターが気になっていました。在来の信越線からだと、基地は三才(さんさい)および豊野(とよの)間の、かなり低い場所にあるのです。
 子供の頃、「りんご狩り」で年に1度は来ていた場所なので、良く知っています。

 新幹線および基地設定のルートが適切であったかどうかは、今後検討されることになると思います。ただし我が国の没落ぶりを顧みると、それが適切に行われるかどうかは極めて怪しいのですが...。
 それはともかく、今回は特に北陸地方の方々のために復旧を急ぐ必要があります。

 センセイの推測あるいは妄想がどの程度妥当であったかも、今後明らかになります。

 で、写真は、今日撮影した「からあげ 極ダレ からやま」(柏崎店)新築工事現場の様子。繰り返しになりますが、写真についてはメモ程度ということでお許しを。

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る