2021年10月30日更新(2021年11月7日ページ移動)
■10月30日(土) インターネットカフェはおろか、「すき家」すら撤退してしまう街...
今日は久しぶりに、いつもの土曜日。
実家へ行く前に、いくつかの所用を片付けるために徒歩で外出しました。というかこのところ、遠距離でない限り必ず徒歩なのですが。そのついでに、ちょっと気になっていた場所を訪れてみました。
移動の途中で、変化に気づいたのです。右側が市内中心部を走る国道8号線。幹線道路沿いの、当地としては一等地のこの場所でご覧のように大きな工事が行われています。実は、この場所にはそれなりに大きなビルが建っていました。
それも何と、今週前半(!!)まで。ここに存在していたのは「スペースクリエイト 自遊空間 新潟柏崎店」というインターネットカフェ。23年前にオープンしたようです。確かに、それなりに利用者がいました。
センセイは入ったことはありませんが。ここ数年、特にコロナ禍以降は利用客の減少が続いたようで、先月末に閉店してしまいました。県内には数店舗存在したようですが、現在はごく僅からしい。
それにしても、あっさりと解体してしまうとは...。で、問題はその奥。真っ白な看板の店舗が見えますが、これは元「すき家 柏崎店」だった建物。残念ながら同店も10月15日(金)朝9時に閉店してしまいました。
インターネットカフェは理解できるにしても、「すき家」までとは...。ただしこれには少々補足が必要でしょう。両店の駐車場は共有。「自遊空間」側が(たぶん)採算面から撤退の意志を示した段階で、地主の方はこの土地の利用目的を転用することにしたようです。
ただしそれなら、元「すき家」店舗も同時に解体するのが普通。調整がうまくいかなかったのかも。ご存じのように、一昨年までのセンセイは機会あるごと──無理にでも機会を創って?──に全国各地へ出かけていました。都市部はともかく、地方でひしひしと感じるのは、もはや戻ることが不可能な疲弊と衰退。
沖縄の糸満市で、高知県の東洋町で、そして北海道の様似町で。程度の差こそあれ、当地も同様。先日ご紹介した元パチンコ店は、「RETRO GAME CENTER レトロ 想い出広場」としてオープンしたようです。う〜ん、でも客観的に考えて、同店が置かれた現状は非常に厳しいと思う。
写真左奥、僅かに見えるのは当地のシンボル「米(よね)山」(993m)。俗世の儚(はかな)い移ろいを高い場所から見下ろしているようです。決して嫌味ではなく、愛情の籠もった眼差しで、です。
■10月29日(金) 白状します。「さくらもみじ」がこんなに魅力的だとは知りませんでした
今日は見たままのお話。
北陸地方はこのところ、雨がぱらつく時もあるものの、全体としては安定した良い天気が続いています。冬が来る前の、僅かな間だけの出来事。ちなみにセンセイは、冬用タイヤの新規購入と交換を予約しました。
写真は今週半ばに撮影したもの。この日は所用でお昼にアパートに戻ったのですが、大学に再出勤する途中、不意に「ゲンキー扇が丘店」に立ち寄ることにしました。甘いものを補給するためです。
センセイらの仕事は、オツムを酷使するのです。それでなくても弱いオツムなので。当然、経路が少し変わります。正三角形とは言わないまでも最短ルートからちょっと外れて、写真の高橋川を越えることになります。渡りかけて、おぉ、ここも見事に紅葉だ。
満開から散り始めの時と同じ場所、同じアングル──ただし今回の方が広角──で撮影しています。1回目の学部学生1年生の時、それもちょうど今頃、旧青海町(現在は糸魚川市)の翡翠の産地に1泊2日で訪れたことがあります。
「(同じ大学の)大学院へ進まないか」と声を掛けて下さったH先生に従い、理学部地質鉱物学科の「巡験」(「地質巡験」)に同行させて頂いたのです。これがもう、ホントに大変。
冗談抜きで、死ぬかと思いました。駅から20人くらいでひたすら歩き、手配してあった一般のお宅で合宿──住民の方は親戚に待避──して、夜は大宴会。若いので、食べ物などなくても日本酒だけで盛り上がり、お互いの絆を深め合うのです。
翌日は雪が舞いそうなほどの低温下、険しい山の中をひたすら歩きました。でも「地鉱」の連中は平気の平左。彼らはまったく違うのです、鍛え方が。もう、ついていけない...。
申し訳ないのですがH先生の期待に反して、センセイはその大学の大学院に進むことはなく、何と別な学部──文学部哲学科...のようなもの──に再入学。その卒業後は都内の大学へ進学し結局、研究者となりました。
大学食堂で出会ったH先生が「君は研究者になると思っていたのに...」と話されたことを覚えていますが、いえ、ちゃんと大学の先生になりました。それはともかく、この「巡験」で今でも良く覚えているのが、高い場所にある僅かな戸数の、そしてとても手入れが届いた集落と、姫川対岸の紅葉の美しさ。今でもその澄んだ鮮やかさをありありと覚えています。
残念ながら、前者は廃村になったようです。気温がまだ高いからでしょう、当地の紅葉は色が少し濁っています。でも西村センセイ、桜の紅葉つまり「さくらもみじ」がこんなに魅力的だとは知りませんでした。思い起こされた、という方が正確かも。
いろいろな意味でお世話になったH先生も、もう鬼籍に入られただろうなぁ...。(遠くを見る目)
■10月28日(木) 「バイクショップ ミヤカワ」跡に26日、美容室“One”がオープンしました
二つの点で、昨日の続き。
昨日所用があったのは、大学脇を流れる高橋川を渡ったばかりの場所。そのすぐ先、道路の反対側に、かつて「バイクショップ ミヤカワ」だった、改装工事中の建物があります。昨日も何やら動きが。
もちろん近寄ってみました。先ほどの場所からだと壁の陰になって見えなかったのですが、入り口付近に、おぉ、開店を祝う花環が。どうやら営業を始めたようです。予想通り、美容室。
入口ドアのガラス部分に円のようなものが見えますが、これは図案化された“One”。お店の名前です。後から調べてみると一昨日、つまり26日(火)にオープンしたようです。センセイはその日、講義や会議でこの場所を歩いていないので、自分では確認していません。
ちなみに火曜日は本来、定休日らしいのですが...。店長(?)のブログは、お店への熱い思いで溢れています。そりゃそうでしょう、今回はかなり時間と手間をかけて工事しており、少なくない設備投資を行っているはず。
“One”も、ただの1とか「1番」ではなく、おそらく、お客さんにとっての唯一無二の...という意味でしょう。店内左右の壁にはヘアードレッサーが3台ずつ。外が明るいし外壁が真っ白だということもあり、店内の様子がよくわかりません。最初はまだ営業していないのではと思ったほど。
正直なところ、外からだと割と殺風景に見えるのです。でもどうやら、ひとたびお店に入った時の印象は違うようです。外からではわかりませんが、椅子や床材は相当高級なものを使用。「シンプルだけど、あちこちに店長のこだわりが...」という感じらしい。
もちろん、ぜひ頑張っていただきたいものです。「続き」の二つ目。
仕事に区切りをつけて──残念ながら終わったわけではない──アパートに戻り、2kmほど歩いてまだ心拍数が多いタイミングで血圧を測定。いつも血圧が高いと思われるこの状態で血圧を計測しています。
で、今晩はいわゆる「最高」が、正常値上限の130mmHg。昨晩より1mmHgほど高いのですが、特に異常というわけではありません。また、昨日までのような不安定な動きはありませんでした。要するに、やっとホントに落ち着いたということのようです。
やれやれ。
■10月27日(水) 大学のフェンスをよじ登る老女 ──やっとで、概ねいつも通りの秋に──
水曜日は朝イチに学部の講義。
それを終えてから所用で、写真左端の軽自動車のあたりにある正門からキャンパスの外へ。写真は縮小しているのでよくわかりませんが、中央付近の歩道に老人が3名。いずれも自転車を置いて、その脇に立っています。
男性1名、女性2名。どうやら知り合いのようです。その時は何も感じなかったのですが、正門を出ようとした時、1人の女性が生け垣の手前(道路側)にあるフェンスを登り始めました(実話)。ナシテ?!
写真の紅葉について話していたらしい。だから例えば、より近づいてよく見ようとした...そんな感じ。そんなに高い位置まで登ることはできないので効果なんて、ない。それでも確かに、彼女は登り始めた。
カメラを手にしていたのなら、まだ理解できるのです。アングルをほんの少し修正したいとか。でも、どう見ても3人とも1眼はもちろん小型カメラも、そしてスマホすら手にしていません。本当に、彼女は何をしたかったんだろう。すぐに用を終え、戻る際に撮影したのが写真。
3人は立ったまま、まだ話し込んでいます。彼ら彼女らの頭上にはおぉ、見事な紅葉。いつもの秋です。個人的には、やっとで、という感じ。
客観的にはやはり、一昨日の煽り運転の影響が続いていましたようです。もしかすると必要以上にご心配させてしまったかもしれません──すみません──が、西村センセイ、実は意外とクール。
もっと悲惨な修羅場をくぐっています。例えば、事故現場などの凄惨な光景を突然思い出して、自分をコントロールできなくなる「フラッシュバック」現象は一度も経験していません。
ただし身体の方は、必ずしもそうではなかったらしい。いつものぐうたらなセンセイとは打って変わり、あの時から即応可能な臨戦態勢に入り、しかも事態沈静後もそれを継続していたらしい。いわゆる「アドレナリン出まくり」状態。
年初の、大雪の中の移動時以来です。「一晩寝れば...」と思ったのですが、お伝えしたように少なくとも昨晩まではほぼ同じ状況。今朝も血圧はやや高めでした。今晩はというと「最高」が何とか129mmHg。正常値の範囲です。「最低」は、まったく問題のないレベル。
ただしいつもと違って20mmHgくらい簡単に変動し、少し落ち着きの足りない点が気がかり。それでも全体的には、ほぼ正常に戻ったということなのでしょう。
だからやっとで、いつもの秋なのです。
■10月26日(火) 朝は低いんだけど... ──朝の血圧の最低記録を更新しました──
久しぶりに、朝晩測定している血圧のお話。昨日の煽り運転の続報も兼ねています。
何度もお伝えしているように5年前に高血圧を我が事として自覚してから、センセイはキンエン生活を実践してきました。それでも最初は甘かったと思う。でもある段階から、塩分摂取を限界まで控えるように。
運動にも積極的に取り組みました。白状すると、徒歩だけですが。
前回の記録は血圧計導入後の記録ですが、最初は冗談抜きで即刻治療レベルだったものが、「劇的」という表現を使えるほど大幅に改善。
右のグラフは最近の3ヶ月分を加筆した上で、ここ1年分を拡大したもの。横軸だけでなく、縦軸も少し拡大されていますので、ご注意下さい。
前回のグラフでも、そして右図でも明らかですが、今年に入ってからは問題のない、理想的な状態を継続しています。特に夏場は、弛緩期血圧(いわゆる「最低」)が低い。
これで血圧問題も解決か...と思ったのが甘かった。7月末から朝晩、そして最高(収縮期血圧)、最低ともに急上昇。議論の余地なく理由は明白。引越その他の無理がたったった腰痛の影響です。
グラフ右側(右端から約1/4)上部、紺と濃いピンクのグラフが入り乱れている部分です。これは仕方ないのですが、治療が功を奏して痛みは引いたにもかかわらず、血圧の状況がなかなか改善しません。これは初めての経験。
それでも、1ヶ月くらいすると最低血圧が先行する形で、最高も下降。どうやら、血圧は日々変化している──当たり前──だけでなく、数ヶ月を単位とする長めの周期でも変動しているように思えるのです。
こうなるともはや、「塩分が...」ではありません。新型コロナウイルス第5波の収束原因に似て、理由があるようなないような。そんな先週土曜日の朝7時頃に記録したのが右の写真。
表示されている数値は平均──正確には直近3回の移動平均──ではなく、この測定のみのもの。上の“94”はいわゆる最高血圧。これまでのレコードが96mmHgなので、最低記録を更新しました。他方、夜はというと、相変わらず少し高めを継続。
塩分やストレス、運動不足は納得できるのですが、未解明となる最後の要因はいったい何なんだ...。で、グラフ右端は昨晩および今日(朝晩)の記録。明らかに飛び抜けています。一晩寝ればいつも通りに戻るのかなぁ...と思ったのですが、実はトラブル後約16時間経過した今朝も10mmHgくらい高め。
30時間ほど経った今晩も昨日と同じレベルでした。アドレナリン出まくりで難局を乗り切った昨日は仕方ないとしても、危機が過ぎ去ったにもかかわらず、心身は引き続き臨戦状態を継続しているらしい。
血圧がなかなか下がらない理由がわかるような気がします。
■10月25日(月) 西村センセイ、眉毛の薄い女性が運転するAUDIのSUVに長時間絡まれる
タイトルの出来事があったため、予定を変更してお伝えします。
センセイにとって今日は移動日。いつもは朝8時に自宅を発つのですが、今日は通院その他の用があり、2時間遅れでご出発。休暇を頂戴しているのですが、明日の準備もあるので夕方には研究室に到着したい。
これが第一の伏線。今日は大型トラックが多かったのですが、それ以外はほぼ順調に運転。でも途中から、異様な低速に。追い越し禁止の片道1車線を走っていたのですが、前に大型の自走式重機と荷台に重機を載せたトラックが走行。
その後ろに20台くらいの車が行列を作っています。ある時から、センセイのすぐ後ろは写真のAUDIに。目を上げてバックミラーを見ると、眉毛が極端に薄い若い女性が運転しています。あまり近づきたくないタイプ。彼女を含めて多数の人間がイライラしています。
しかも急な坂道では2速(!!)を求められるという、超ノロノロ運転を強いられました。おそらく、これが第二の伏線に。
やっと片側2車線になったのですが、前方に大型車両が複数台いる関係で、結果的にセンセイは彼女の後ろを走る格好に。後から考えると、彼女はこの行為を「煽るために、わざと後ろに回った」と解釈したらしい。
再び1車線。高齢者の車が前を走行しているので、3台が数珠繋ぎで走ることになりました。ドライブレコーダーの映像を確認すると、彼女は前の車にぎりぎりまで迫っています。
他方、センセイはその後を30mくらい離れて走行。客観的にはとても「煽っている」という状況ではないのですが、彼女にとっては違ったらしい。結局、追い越し禁止区間で前の車を追い抜いてしまいました。
センセイと高齢者の車は別な道へ。やれやれ...と思ったのが甘かった。な、何と、目の前に再びAUDIが。何故か今度はノロノロ運転。明らかに制限速度以下だったので追い越しても何の問題もありません。
でも正直なところ、何をされるかわからない。そのため彼女の後をついていくような格好になったのですが、今度はさらに低速に。当然、車間距離は詰まります。その瞬間、彼女は急ブレーキ。AUDIが目の前に迫ります。
記録を確認すると、それでも数mありましたが。さすがに危険なので、1回だけクラクション。どうもこれが彼女の闘争本能(?)のスイッチを押したらしく、今度は左右に激しく蛇行したり、急減速したり。あのぅー、その行為、みんなドライブレコーダーに残っているんですけど。
最後の最後は、道路上で完全停止。(写真)センセイの後ろを走っていた地元の方の車が追い越したので、センセイもゆっくりと追い越します。その瞬間何かされるかなぁーと心配したのですが、それはなし(やれやれ)。その代わり、お察しの通り、すぐ後ろを走行。蛇行は一層激しくなり、ハイビームで妨害のつもり。
ただしクラクションは1回も鳴らしませんでした。他方、こちらは淡々と運転。急ブレーキなんて、絶対に踏みません。センセイのドライブレコーダーでは後方映像は記録されませんが、トンネル内でのハイビームはしっかり残っています。何だかなぁ...。
峠を越えると結局、センセイの車を追い抜いていきました。で、その後は再び、急ブレーキその他。どうやら、あまり賢くない彼女にとってそれ以外に自己の主張をアピールする手段はないらしい。
詰まるところ、イライラが募り「私をかまって欲しい」ということだったんだろうなぁー。されどこちらにも反省点が。いろいろな事情で、余裕がなくなっていたこともまた、事実。事故に到らなかったことを僥倖(ぎょこう)。
もっと余裕のある運転をすべきでした反省。記録によると、絡まれたのは合計約40分間。
あの非生産的な出来事から約6時間が経過。研究室で最低限の明日の準備をしてから、アパートに戻りました。荷物を整理し、血圧を測ってみると...おぉ。(たぶん、続く)
■10月24日(日) 訂正です。建築学部学生が製作していたオブジェは、オープンキャンパス用でした
昨日のセンセイは大学に置いてある機器の関係で、ひとまず大学に出勤してから研究会に参加。
早朝にキャンパス入りした時点で、職員の姿は見かけませんでしたが、大学の雰囲気はいつもとまったく違います。あちこちに立看板。金沢工大では昨日と今日、オープンキャンパスが開かれたのです。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、約1年半ぶりとなる対面での開催です。以前は運営する側──といっても、センセイの「お仕事」は関係者用のお弁当を頂くことだけ...トホホ──だったのですが、やはり参加者数や現場の様子が気になります。
でも、そこはオトナ。研究会の準備を整え、結果的に会場を迂回するような格好でひとまず帰宅しました。駐車場は県内はもちろん他県、それも「どうやって、ここまで来たんだろう」と思うような遠くの県の車で満車。
写真は先週木曜日、帰宅する際に気づいて撮影したもの。その日は、大学キャンパスの真ん中にある庭園に、多数の学生が出入りしていました。中には道路を挟んだ別な校地から何かを持ち込んでいる者も。
しかも複数で、です。お察しの通り、写真のオブジェを持ち込んでいるのです。先日ご紹介した学生の活動は工大祭用ではなく、オープンキャンパスのためのものだったんですね。
すみません、お詫びして訂正させて頂きます。多数の人間が動いた配置作業も、午前中にはひとまず完了。ここまでは認識していました。センセイは知らなかったのですが、その後、照明の配線などの作業をしていたようです。写真の時点ではおそらく、試験点灯。
実際はもっと優雅です。(撮影テクニック不足で申し訳ありません)暗いためよくわかりませんが、各オブジェの周囲あるいは庭園には携わった学生諸君や指導された先生方がいらっしゃいます。皆さん概ね満足そう。それもそのはず、これらのオブジェはもともと「金澤月見光路(つきみこうろ)」というイベントで用いるはずだったはずのもの。
それが残念ながら去年、今年と新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止になったのです。センセイらが担当する新入生、特に去年入学した学生だけでなく、上級生も表現や発表の場を奪われるなどの影響を受けています。制限付きながら「工大祭」や、今回のオープンキャンパスのようなイベントも何とか再開されつつあります。
大学人からすると、学生および将来の学生諸君がやりたいことに取り組み、残念ながらそのほとんどが程度の差こそあれ挫折する。それが大学キャンパスの本来のあり方。できるだけ早く「その日」が戻ってもらいたいものです。
もちろん、徐々にでしょうが。なお、キャンパス外の一般の方はどうでも良いというわけではありませんので、誤解なきよう。