2023年5月13日更新(2023年5月21日ページ移動)

──2023年5月第2週のニュース──

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5月13日(土) 雑草の正体が判明。これはもう、食べてみるしかない!! ──枝豆育成計画(2)──

 「そんなことも知らなかったんですか、センセイは...」という方が一定数いらっしゃると思います。

 ご寛恕(かんじょ)の程を。

 調べてみたところ、玉葱のような雑草の正体があっさりと判明(同じように感じていた人が多かったようです)。「雑草」は、ごくありふれたものだったのです。そう言われてみれば、これまでにも目にしたことがあったような...。
 ただし地下の球根部分を確認したのは、今回が初めてです。

 雑草の名前は「ノビル」。漢字では「野蒜」と書くのですが、「蒜」はニンニクのこと。つまり野生のニンニク。英語では“wild garlic”。そのまんまの名称ですね。

 ちなみに、岡山県北部にはこの漢字を使いる「蒜山(ひるん)」という有名な観光地がありますが、「蒜」の由来ははっきりしないそうです。センセイは2回、姫新線で近くまで行く機会に恵まれました。
 されど残念ながら、蒜山地域に入る機会はありませんでした。

 本題に戻ると、ノビルはやはり葱や玉葱、ニンニク、アサツキ、ニラの仲間。全国各地、堤防など日当たりが良く、丈の低い草が生えているところを好むそうです。
 拙宅の庭は家人がそれなりに草刈りをしてくれていたため、ノビルにとっては生育しやすい環境だったようです。

 地下の球根部分は「鱗茎(りんけい)」と呼ばれる地下茎の一種。この点は予想通りでした。正確には地下茎を中軸として周囲に「鱗茎葉」と呼ばれる厚い葉が密集したものだそうです。
 玉葱がその典型。

 そして何と、ノビルは古くから食用野草として知られていたとのこと。これはもう、食べてみるしかない。ただしその際、確認すべき重要な点が。
 似た形状をしたスイセン(水仙)の鱗茎には毒性があり、毎年、中毒患者が発生しています。

 センセイはスイセンの球根を見たことがありません。でも、少なくとも拙宅で育てたことはないので、おそらく問題はないだろうと判断。
 というわけで、とにかく茎の部分を切断し、大きな鱗茎を集めてみたのが1枚目の写真。

 ここまでに何回か水洗いしています。形状はまさに、ミニ玉葱。この状態でも食べられるとのことだったので、根の部分を切断し、恐る恐る2個ほど試食。
 で、結果はというと、「食べられなくは、ない」。

 味が最も似ているのはやはり玉葱。しかし、あっさりした玉葱──こちらも品種改良されているんだろうと思う──よりも苦みを強く感じます。
 続いて、かなりの苦みが襲います。

 「茹でると甘みが出る」とのことだったので、沸騰したお湯で1分弱茹でたものが右の写真。加熱後に流水で冷やしています。最初に気づいたのは色の変化。
 加熱前はモロに玉葱に似た透明な色だったのですが、ご覧のように今は、ピンク色を帯びています。

 肝心のお味は...確かに、最初に甘みを感じます。ただし苦みと辛みはほとんど変化していないと思う。というわけで、茹でたノビルの「ご試食」は、わずか4個で終了。
 すぐに補足を。

 今回の試食打ち切りはあくまで、ビール党のセンセイが「ビールに合うかどうか」で判断しています。でも、あちこちで紹介されているように、例えば酢味噌あえなどで調理したら日本酒には合うと思います。
 この他にも、いろいろな調理方法があるようです。

 結果的にノビルにご縁はありませんでしたが、これで草取りも一区切り。

 人類補完計画ならぬ「枝豆育成計画」は、次の重要なステップに入ります。(たぶん、もう少し続く)



5月12日(金) 庭に生えていた、玉葱のような細長い雑草は何だろう? ──枝豆育成計画(1)──

 連休中に何度か実家を訪れていた時、話の途中で母親が突然「枝豆を植えてみないか」。

 もちろん、これだけでは読者の方は何のことかわかりませんから、すぐに補足を。枝豆を植えてはどうかというのは、実家近辺に数カ所ある畑ではなく、センセイの自宅の敷地を指します。
 市街地の一角にありますが、基本的に当地は地方都市。

 一般的に敷地は広い(ただしその分、手入れが大変)。加えて拙宅は、北東方向にある進入路の関係で、建物西側のかなりの土地が空いているのです。家を建てる時、母親はそこを小さな畑にして、自分で耕すつもりだったのです。
 実際には、早い段階で断念せざるを得ませんでしたが。

 さて、家を建てたは良いものの、そもそもセンセイは仕事で留守がち。挙げ句の果てに、長期間にわたる金沢での単身赴任生活へ移行。家人は頑張って手入れをしてくれたものの、センセイ以上に動植物は苦手。
 というわけで、ずっとその場所は空き地のまま。

 この春、センセイが自宅に戻り、状況が一変。

 いろいろ考えるところがあって、決して得意ではないものの、せめて畑作は習いたい。というわけで母親には農作業を手伝う旨申し入れています。母親は喜んではいるものの、実は、あまり手伝わせようとはしません。
 意地悪をしているのではないと思う。

 どうやら実家までの距離とともに、「息子には仕事があるはず」という遠慮がどうしても頭から抜けないらしい。

 また教えたいと思っても、センセイは農作業が苦手だということは身に染みているはず。他方、どうやって教えたらいいのかわからないという、アンビバレントな状況。思いついたのが、今回の「枝豆育成計画」。(たぶん)
 センセイの意志と腕試しも兼ねているのでしょう。

 「畝(うね)とかどうするの?」と、手入れ方法について尋ねると「何もしなくていい」とのこと。「畝」というのは、植物を植える土の盛り上がりのこと。
 土手をイメージしてください。

 確かにそうだ。子供の頃、枝豆は田圃の畦(あぜ)──田圃の端の土手のこと──に植えられていたのですが、手入れなんて、これっぽっちもしていません。
 それでいて、秋の稲刈りの時季になるとしっかり実をつけ、大人はビールのツマミ、子供はおやつ代わり。

 最初は家人に確認を取るから、と返事したのですが、次に実家へ行くと「はい、これ」と言って、「湯あがり娘」という種類の種を渡されました。ただし開封済。
 お残りをもらったわけですが、ある意味、彼女の頭の中では最初から結論は出ていたということ。

 家人は賛成したのですが、同時に草取りの必要性があると指摘しました。しかもゴミ回収のタイミングを考慮して作業する必要性があります。
 というわけで昨日、今日と、センセイは草取り。

 小学生の頃は散々実家でやらされた作業。だからトラウマになっていないかなぁ...と少し心配していたのですが、まったくの杞憂。前回(こちらおよびこちら)は、家人に必要性を諭(さと)されての作業。
 ただし今回は自分の意志という違いが関係しているのかもしれません。

 お日様に背中に暖めて頂きながら、せっせと作業。スギナなどが主ですが、中には写真の雑草も。地表に出ている部分は非常に細長い。最初はそこだけ刈り取っていたのですが、どうも地下に何かあることに気づきました。
 そこで5cm〜10cmくらい掘り起こしてみると、おぉ、りっぱな球根のようなものが。

 下の製図用物差しと比較するとわかりますが、背丈は30cm以上のものも。全体としては玉葱のイメージに近いのですが、地上部分ははるかに細い。対照的に地下の「球根」はとても立派。中には直径2.5cmくらいのものも。
 「球根」の下部から本当の根が出ていますから、「球根」は根ではなく茎その他であると思われます。

 ただし「球根」は、玉葱と違っていくつかのものが団子になっている場合も。この点はニンニクに似ている。

 何なんだろう、この雑草は。



5月11日(木) 西村センセイ、金沢の武蔵ヶ辻付近で「金沢大学発祥の地」と記された石碑に出くわす

 もう1日だけ金沢のお話を。

 今回の「出張」で、大学から武蔵ヶ辻付近まで歩き、さらに、その先にあるスーパーまで足を伸ばした際に出くわしたものが二つ。ただし、一つは少なくとも数回続くことが明らかなので、今日は短い方を。
 また、このページがながくなりつつあるので、今日は(できるだけ)手短に。

 お伝えしたように、一昨日のセンセイはホテル到着後、まず、すぐ近くのへ「世界の食品 ダイヤモンド本店」へ。その際、食品だけでなくビールも調べてみたのです。少し並んでいたのですが、愛用のロング缶がない。
 それにそもそも、ビールはすべて常温管理。

 そこで近江町市場から、武蔵ヶ辻交差点の反対側へ移動し、その先約500mのところにある「マルエー 彦三(ひこそ)店」を目指すことにしました。「ダイヤモンド」で調達できない食品と、冷えたビールを購入するつもり。
 「彦三店」を訪れるのは3回目。

 初回は真っ暗、しかも雨が降る中を別ルートで移動。でも2回目は明るかったし、地元の方の後を歩く格好になったので初回とは異なるルートへ。
 やはりこちらの方が便利。

 というわけで、前回より少しだけ余裕を持って歩いていると...あれっ?!

 武蔵ヶ辻交差点のすぐ近くにある角を曲がると、写真の「金沢彦三郵便局」。前回は完全に見落としていたので、最初は「ここに郵便局があるんだぁ。いざという時は便利そう」程度。
 通り過ぎようとしたその時、写真右下付近に石碑があることに気づきました。

 そこには何と、「金沢大学発祥の地」。

 まさか、と思いました。でも石碑の別な面には「彦三種痘所跡地」。もう間違いありません。これは金沢大学──というより、同大学医学部──発祥の地。
 詳細および石碑設立に至る経緯については、金沢大学が公開している情報をご一読ください。

 これはまったく個人的な印象ですが、西村センセイ、武家屋敷跡があろうが神社があろうが、再建されたお城があろうが、不思議と金沢で歴史性を感じたことがありません。白状すると野々市の方に、より歴史性を感じています。
 ただし今回だけは別。

 たとえ近世のこととはいえ、過去の人々の営みを感じた一時(ひととき)でした。

 なお今回気づいた──「確認できた」が近い──もう一つの話題は、リアルさ満載の歴史ネタです。ご期待ください。

 ...全然、短くない。トホホ。



5月10日(水) 金沢での夕食に決着が ──センセイの人生は、スーパー「マルエー」とともに?! ──

 金沢から、予定通りに戻りました。懸案だった金沢での夕食の件にも決着が。

 ただし、これで万事うまく解決...という方法ではなく、各店の長所を組みあわせるという解法。ただし急いで申し添えますが、近江町市場で出逢った「世界の食品 ダイヤモンド本店」が期待はずれだった、という意味ではありません。
 誤解なきよう。

 でも、最初は仕事のお話から。今朝も開始時刻に合わせてホテルの朝食会場入り。連休が終わったので観光客は減るのかなぁ...と思ったのですが、期待(?)外れ。昨晩は高齢女性のグループが宿泊したらしい。
 ホントにお元気──センセイ以上──で、羨ましい限り。

 外国人観光客の姿も相変わらず多い。昨日は台湾からの団体客と思われる複数のグループに出くわしました。観光業界は本当に忙しいようで、それが従業員の表情や行動に良い意味で表れています。
 基本的には言祝
(ことほ)ぐべきこと。

 で、本題。

 お伝えしたようにセンセイは昨日、ひとまず大学にサービス出勤した後、大学から武蔵ヶ辻付近のホテルまで歩きました。もちろん健康維持が最大の理由。その効果あってか、昨夕の「上の血圧の平均」(収縮期血圧の3回移動平均の最低値)は118mmHg。
 もちろん、まったく問題ありません。

 でも実は、もう一つの理由が。移動経路、特にできるだけホテルに近い場所のスーパーの状況を調べておきたいと思ったのです。
 具体的には、写真の地元スーパー「株式会社マルエー」の「mini野町店」。

 コロナ禍で生活パターンが一変し、センセイはここ3年ほど路線バスにほとんど乗車していませんでした。でも1年くらい前、金沢市中心部に入る手前で、バスの車窓からこのお店を発見したのです。
 こんなお店、あったっけ。それにそもそも、この場所には...。

 調べたところ、やはり、ここは北陸銀行の支店跡。金融機関をめぐる状況はきわめて厳しいので、数年前にこの野町地区から撤退したようです。
 その建物に入店したのが、マルエー。

 写真中央部がかつての入口。現在は自動販売機などで閉鎖されています。左側の、現在の出入り口はかつての駐車場への通路。銀行ですから当然、金庫も存在しました。
 跡は現在、種類などが並べられていました。

 実はこの金庫跡から、「もしかすると、かつて...」と思い至ったという次第。

 個人的にはここから先が重要。建物の規模および形状から当然、売り場面積には制約があります。そのため、ざっと見た限りでは店内調理はしていないようです。ここまでは簡単に予想できること。
 注目すべきは品揃え。

 価格については他店舗との関係もありますから、大きな差を付けにくい(たぶん同価格)。このお店のポイントは少人数用、もっとはっきり言えば個食用の商品を主力に据えていると感じました。
 メインターゲットはおそらく一人暮らしの高齢女性(つまり金沢での現在のセンセイの状況)。

 この難題はやはり、金沢市中心部(付近)でも重要な問題として残されたままなのですね。

 センセイはお店の状況を確認した後、ホテルで荷を解き、「ダイヤモンド本店」へ。今回初めて知ったのですが、同店には2階がありました。ただしこちらも近江町に店舗を構えるという制約から、規模には限りがあります。
 つまり品揃えが縛られるということ。

 そこでひとまず初回、前回と訪れた「マルエー 彦三(ひこそ)」を再訪し、サッポロビールを購入。「ダイヤモンド」に戻り、赤魚の煮物を購入してホテルへ戻りました。味付けが心配だったのですが、実に上品な味。
 それ以前に、商品をチェックしていた段階で気づいたのですが、品質が良い。

 価格は高めですが、近江町市場内という立地を考える──要するに、地代が高い──と、これはしかたないと思います。ただし、まったく想定外だったのが営業時刻。センセイは夕方5時過ぎにお店を再訪。
 でも実は、営業時刻はまさに5時まで。

 次回からは気をつけなければ...。

 お風呂の温度が高めだったこともあり、たくさん歩いた昨晩のセンセイはすぐに酔っぱらってしまいました。それはいいんですけど、良く考えてみれば金沢でのセンセイはこれまでずっと、アパート最寄りの「マルエー 久安店」に散々お世話に。
 そして非常勤の今年も、どうやらマルエーに足繁
(しげ)く通うことになりそう。

 う〜ん、センセイの人生はマルエーとともにあった...ということなのでしょうか。



5月9日(火) 地震の影響を受けずに、金沢へ移動することができました。来週からも、このパターン?

 地震といっても、先週金曜日に能登半島を襲った大地震のことではありません。

 ご存じのように火曜日は、金沢へ移動する必要があります。お伝えしたように個人的には、これまでと違って金沢へ出張するという感覚。前回、前々回と電車で移動して大きな問題はがなかったので、今後も継続するつもり。
 一部の乗車券は先々週のうちに、残りも昨日購入しました。

 もちろん講義が目的なので、昨日のお昼までにほぼ準備を終えています。ただしその後、複数のミスが発見されるのですが...(トホホ)。それはともかく、朝自宅を発つので、昨晩は早めに就寝しました。
 そのためか、4時半ころには目が覚めてしまいました。

 さすがにまだ早かったのでウトウトしていたのですが、直後の5時14分、地震の初期微動(P波)をはっきりと認識しました。間を置かずS波来襲。横になっていたこともあるのでしょう、かなりの揺れを感じました。
 両波の時間差からして、震源はここから100km前後。当然、珠洲市で余震が発生したものと推測されます。

 自宅付近での被害はないだろうと思ったので、再び寝直すことに。うとうとしていると、近くのJR信越本線を走行する貨物列車の音と揺れ。つまり運行中。今朝の地震で遅れが発生する可能性はあるものの、電車でたどり着けないわけではないと思われます。
 移動経路を、地震に相対的に強い新幹線に変更してもいいのです。

 ただし購入済の乗車券の中には一部、駅員の独自判断――センセイの依頼ではない――で往復切符が。一部変更はできず、払い戻すしかありません。要するに、手間と余計な費用がかかるのです。
 それにそもそも、今日は移動日。

 最悪の場合、今日中に金沢へ着けば良い。

 朝食後、地震情報を調べてみると今朝の地震は最大震度4。構造物が脆(もろ)くなっているため、珠洲市は大変だったはず。続いて列車の運行状況を確認します。
 各社とも平常運行とのことですが...わずかな遅れは発表しないので、もしかすると発生しているかも。

 準備忘れに気づいたのでバタバタと作業して駅へ移動し、いつもの電車に乗り込みました。写真は乗換となる直江津駅で撮影したもの。
 「えちごトキめき鉄道」のET129(旧E-129)系電車です。

 レトロな赤と黄色の塗装は、かつて新潟の電化区間を走行していた70系電車を模したもの(115系も同様例あり)。田島ルーフィング株式会社の技術で実現したものだそうです。
 大急ぎで旧北陸本線に乗り換えて、富山県の泊駅へ。

 ここでの乗換時間を利用して、近くのショッピングセンターに入ったのですが、なぜか老人客で猛烈に混雑。会計に時間がかかりそうだったのでお弁当の購入を断念しました。
 う〜ん、出発前にパンか何かを購入しておく必要がありますねぇ。

 その後はまったく問題なく、順調に金沢到着。西隣の西金沢駅へさらに乗り継ぎます。ただし、ここから先は連絡がよくありません。今日は晴れていたので前回同様、大学まで歩くことに。ただし今日は途中で寄り道を。
 金沢での公共料金の支払いを完全に終えたので、大学近くの銀行にある口座を解約したい。

 事前に相談した時には「1時間ほどかかります」と言われており、閉店時刻に間に合うか心配だったのです。でも今日は空いていたそうで、わずか10分程度で終了。大学食堂で遅い昼食をいただき、講義の準備を完了させます。
 続いてあちこちに簡単にご挨拶。

 能登地方や向いの富山に実家がある方がいらっしゃるのです。倖い、関係者には被害はなかったとのこと。被災地の方々が心配ですが...。

 後はホテルへ戻るだけ。バスに乗ってもいいのですが、健康維持のためにできるだけ歩くことにします。結論からすると、大学から武蔵ヶ辻近くのホテルまで歩き通しました。ここまでの歩数は、約19,000歩。
 その後、食べ物を買いに出たので、今日の総歩数は22,557歩。

 毎回ここまで歩くかどうかは別――降雨や気温に大きく左右される――として、お昼の問題点もクリアになったので、来週以降も基本的にはこの行動パターンになりそうです。

 今晩のビールの味は、格別かな?



5月8日(月) 今ごろ確認が取れても... ──サードパーティー製はなぜか不可、純正品は可──

 当地は今日の午後まで雨。未明から朝方にかけて、かなり降りました。しかも風が。被災地も厳しい状況だと思います。

 で、センセイはというと、明日は約2週間ぶりに金沢へ移動。午前中は雨で外出が難しかったので、2階の書斎に籠もって講義の準備。もちろんかなりの部分は終えており、今日はその最終調整。
 作業しながら、思い出したことが。

 写真はセンセイが使用するMacBook Pro(2012)用の外部出力用アダプタ。一番上のみApple純正品で、下の2個はサードパーティ製。中央はHDMI出力で、上下はDVI-D出力。似たようなものが何個もあるのには理由が。
 センセイが最初のMacBool Pro(2011)を購入したのは製品発表の年。

 出先および講義での主力機兼、すべてのデータのストレージとして活躍してきました。この頃の外部出力はアナログ(D-Sub15ピン)のみ。
 でもこれでも当時は、まったく問題ありませんでした。

 翌年、都内の大学に進学した娘のためにほぼ同内容の2011モデル──ただしSSD──を購入したのですが、その際、大学側からスペックに条件が。
 外部出力も可にせよとのこと。

 アナログ出力アダプタも購入したと思うのですが、当時、規格の主流がHDMIに移行しつつあったため、写真中央の台湾Moshi社製HDMI出力アダプタも。
 「これなら...」という情報が入っていたのです。

 娘のアパートで試用すると、おぉ、映像に加えて音声も問題なく出力。しかも美しい。センセイも買おうかなと思ったのですが、割と高価だったこともあり断念。
 それに当時は、アナログ出力でまったく問題なかったし。

 ただしその後、状況が徐々に変化。

 そもそも2011モデルは残念ながら、Windows 10をインストールできません。そこで2016年、敢えて旧型モデルを購入しました。この前後にHDMIおよびそのPC版──規格化はこちらが先──のDVI(DVI-D)変換アダプタも購入。
 ところがなぜか純正品を含めて、センセイのマシンだとまったく映像が出ません。

 何度やってもダメ。ダメなものはダメ。

 HDMIおよびDVI-D出力を断念したセンセイはその後、アナログ出力のみ。それでも仕事をする上で、さほどの影響はなかったのです。唯一、「できたら便利なのになぁ...」と何度も思ったことが。
 それは、出張先のホテルでのHDMI出力。

 ホテルの大きなTV画面で仕事をしようとしても接続できないので、相対的に狭い画面のMacBook Proで作業するしかありませんでした。また2画面を使ったプレゼンのリハーサルも不可。ま、いいんですけど...。
 この状態が長く──約10年?──続き、現在に。

 ただし状況が大きく変わり、センセイは金沢を引き払うことに。研究室、アパート、そして出先用に重複していた機材は不要になります。ほとんどが廃棄処分に。写真は、そのわずかな生き残りなのです。
 ふと思いついて、これでデジタルでの出力を試みてみました。

 サードパーティ製はやはり不可。娘の環境では繋がったのに...。

 Apple純正のHDMIアダプタも購入したと思うのですが、たぶん既にすべて廃棄。純正で残っているのはDVI-D出力(写真上)のみですが、このままではHDMI端子に接続不可。そこで試しに、手持ちのDVI-D-HDMI変換アダプタ(黒い部分)を接続。
 繰り返しになりますが映像信号に関しては、形状を変換しているだけなので。

 ダメだったらこれも捨てよう...と思ったら、何と、きちんと認識しています。もちろん映像も。

 ...何てこった。

 今から考えると、これまでのトラブルは接続先のモニタとの相性だったようです。それにしても「可能」を謳ったサードパーティー製が不可で、純正品が可とは...。ま、すべての可能性を徹底的に試さなかったセンセイが悪いのですが。
 確認が取れたことは喜ばしいものの、今度は「出張」そのものが存在ない。

 ...トホホ。

 ちなみに、写真を撮影したのは先月。上の1セットを除き、他はご縁がないと確認されたのでハードオフに1個200円で引き取って頂きました。

 はい。 



5月7日(日) よく働いたご褒美? ──実家のすぐ近くで、非常に背の高いフジに出くわしました──

 今日は全国的に雨。

 当地も例外ではなく、昨晩からずっと降り続いています。強い雨ではないのですが、総雨量としてはかなりになるはず。もちろん、一昨日発生した地震の被災地もほぼ同じであろうと推測されます。
 しかも現地は屋根が損傷し雨漏りを防ぐブルーシートは不足。

 しかも地盤に亀裂が入るなど、厳しい状況に置かれているはずですが、現時点において、ここからできることは何もありません。内心忸怩(じくじ)たるものがあります。

 写真は一昨日、山林の整備を終えて実家に戻った際に気づいて撮影したもの。縮小しているので良くわかりませんが、大きな杉の木に巻き付いて成長したフジの花々。拡大写真(1,280×960、391KB))
 実に背が高い。

 右側に2階建ての民家の一部が見えています。その高さから推測するに、右側のフジ(民家の左上)は高さ20m弱。中央奥のものは、さらに高所まで。ただしこちらは、もともと高い位置に生えた杉の木に巻き付いたもの。
 フジの高さ(長さ)としてはやはり、20m弱と推定されます。

 実家は田舎にあるので、駐車場には困りません。ちょっと立ち寄る際は邪魔にならないように、前の道路の端に停めます。ただし長時間となると別。
 写真手前の場所、実は実家の所有地。

 もともとは知り合いのお宅があったのですが、ご主人が亡くなった後、奥様が転出されて空き地に。そこを母親が購入して畑にしているのです。
 昨日お伝えした場所にも土地はたくさんあるのですが加齢に伴い、高所との往復が難しくなったためです。

 写真下端、中央やや右に見えているコンクリート張りの部分はかつてのお宅への進入路。ふだんはここを2台分の駐車場として用いています。
 でも一昨日はたまたま、実家にさらに近い場所にある実家の駐車場に車を止めました。

 仕事を終えて、帰宅すべく車を取りに戻ると、道路の先に写真のフジが見えたのです。ここまで成長するためにはかなりの年月が必要なはず。
 実家からこんなに近い場所に、それも畑の目の前にこんな立派なフジがあるとは知りませんでした。

 惜しむらくは、その花の色。

 何度かお伝えしましたが、植物に詳しい──センセイには遺伝していない──母親によると、フジの花の鮮やかさには、水分が最も影響を与えてるのではないかとのこと。実母だからといって決して、その主張を盲信しているわけではありません。
 でもこの件に関しては、確かにそう思えることが。

 当地はこの春、降雨量が少な目。そのためか早く咲いたフジは皆、ごくごく薄い色だったのです。しかしその後、ここ2週くらいはそれなりに雨が。写真のフジは確実に、これまでのフジより色が濃い。
 先月末、ここに車を止めた時にフジは見えなかったので、その後の開花です。

 今シーズン、最も鮮烈なフジを見たのは4月中旬。今年度最初の大学院講義を実施する際、富山県西部で電車の車中から見たもの。かつてアパート近くのお宅のフジも素晴らしい色でしたが、それを凌駕(りょうが)していました。
 これから先、今回の雨でフジの花が鮮やかになるかも。

 そして、被災された方々がその深い色のフジを見て、精神的な余裕を少しでも持っていただけたらいいのですが...。

 あ"っ、一昨日の慣れない重労働のためか、腰が...。

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