2023年7月22日更新(2023年7月30日ページ移動)

──2023年7月第4週のニュース──

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7月22日(土) う〜ん、4つのとげを持つ花かぁ? ──専門店で愛車を点検していただきました──

 長くおつきあいいただいている方は、メインタイトルの対象をお察しいただけると思います。

 謎解きは後にすることにして、昨日の続きを。車を預けた一昨日の午後、不二ガレージの社長から電話連絡をいただきました。結論から言うと、不具合は見つからなかったとのこと。もともとその可能性は考えていたのです。
 これまでディーラーでも原因はもちろん、症状すらきちんと確認できなかったので。

 ただしこれまでと決定的に違う部分も。社長によると、まずロードテスト(試乗)で症状を確認できなかったとのこと。これは十分にありそう。お伝えしたように一昨日、愛車は本当に嬉しそうに走っていたので。
 次に工場内での段差乗り越え試験。

 昨日お伝えした不具合が原因なら、高さ20mm程度の木片──実物を見せていただきました──などを乗り越えると、必ず異音が出るそうです。これは初めて聞く試験方法でした。しかしまったく確認できず。
 実際、これまでもそのようなことはありません。

 そこで車体を吊り上げ。異音は右フロントからするのですが、不具合がある場合は吊り上げると、右ハンドル車は右前輪(左ハンドル車は左前輪)が少しガタつくとのこと。しかし今回は、確認できない。
 こちらも初めて聞くお話です。

 確かに、ガタそのものを感じたことはありません(もしそうだったら、本当に怖いだろうなぁ)。そしてここからが、さすが専門店という内容。

 問題の「ステアリングギヤボックス」というユニットを調べたところ、不具合が発生していた時期のロットではないとのこと。ひょえーっ!!
 そんなことまでわかるんですかぁ...。

 確かにセンセイの320i M Sport(F30、MT)は後期型かつシリーズほぼ末期の製品。それまでに5年くらい販売していたので、不具合が解消された部品を使っているらしい。
 つまり、ほぼ完全に無罪放免。

 あの異音とハンドルに来る感触は何だったんだ、ということになるのですが...。

 それはともかく、昨日の午前中に電車を乗り継いで写真の長野電鉄須坂駅へ向かい、そこから5分ほど歩いて車を引き取りました。ここまでしていただいたのに、点検代金はわずか3,000円(+税)。
 会社の規定料金だそうです。

 社長や奥様、メカニックの方にお礼を言って車を受け取ります。帰路も「彼女」は極めて上機嫌。なるほど、愛車は『星の王子さま』(Le Petit Prince)に出てくる「4つのとげを持つ花」(バラ)だったのか。
 今日は土曜日。

 いつものように実家へ向かい、両親の食料買い出しを手伝ったのですが、帰路の一時停止時、「スッ」と何事もなく完璧に停止する時もあれば、「カクッ」と、微かな異音と感触がする場面も。
 相思相愛だから嫌いになることは絶対にないのに、少しでもかまわないと愚図ったり、最悪の場合は駄々をこねたり。

 気難しい彼女との付き合い──それも2代続けて──ですが、それでも足腰に大きな問題はないという今回の健康診断を言祝(ことほ)ぐことにしましょう。



7月21日(金) ホント、嬉しそうに走ります ──2日連続で長野県の自動車専門店を訪れました──

 きっかけは最近、ネット上で出くわした記事。後(のち)に、同様の記事も見つけました。

 センセイがBMW 320i M Sport(F30、MT)を購入してから約7年半が経過。基本的には非常に優秀、かつセンセイとは相性の良い自動車です。と言うか、そうでなければすでに別な車──入手可能なMT車は国産車に限られる──に乗り換えているはず。
 ただし、そのBMWにも少しだけ問題が。

 ごく小さな段差を越えた時、あるいは入庫など、ハンドルを切りながらバックする時に異音が発生することが。ブレーキをかけて止まる時も、完全に静止するその瞬間に「パコンッ」という音。まさに記事の事象。
 実は音以上に、ハンドルにその感触が伝わってくるのです。(BMWはそのように造られている)

 現在の走行距離は約177,000km(!!)ですが、購入後4年くらい、つまり100,000kmくらいの頃から発生しています。ただし再現性は低く、起きる時は連続して異音がするのに、機嫌がよい時は全然起きない。
 う〜ん、まるで人間のようだ。

 これまで新潟(長岡)および金沢のディーラーで何度も点検していただいているのですが、そもそも再現しないことが多い。正確には、長岡で再現したことがあるのですが、原因は不明。倖いなことに、サスペンション類には問題なし。
 つまり走行そのものに大きな支障はないとのこと。

 まるで「足の裏の米粒」。(知らない人は調べてね)

 放っておこうかとも思うのですが、やはり後述のFreude am Fahren”には影響が。一番怪しいのは当然、サスペンション。この問題もあって、走行距離が約155,000kmになった1年前、サスペンションをすべて交換していただきました。(スプリングを除く)
 交換後の乗り心地は、ほぼ完璧に新車。

 ここがBMWの凄いところ。

 問題の異音もほぼ感じられなくなり、ヤレヤレと思いながら1年が経過。ただし退職して新潟に戻ってからは、走行距離が激減し、毎月の走行距離が約2,000kmから1/10程度に。この状態で約4ヶ月経過。
 どうもこの状態、愛車にはご不満らしい。(ホントに)

 実家へ(自転車でではなく自動車で)向かうたび、「もっと走ろうよぉ」と訴えかけてきます。(こちらも、ホントに)

 ついにヘソを曲げたのか、実家付近を走っている時や自宅で車庫入れする時などに、例の異音が。どうやら問題は、サスペンションではないらしい。
 最初に紹介した記事を手がかりに、少し調べてみました。

 すると、出るわ出るわ。これは海外では有名な事象(交換作業の動画あり)だそうで、センセイのモデル(F30)を含むFシリーズ特有の問題とのこと。実はこのシリーズから、ステアリングが油圧から電動に変更。
 その最初のモデルだったため、問題が発生したようです。

 要するにリコールするかしないかというレベルの事象。リコール云々(「でんでん」ではなく、「うんぬん」)はともかく、海外ではすでに不具合対策品が流通。部品番号まで公開されています。
 具体的にはこちらの手順で部品を交換、調整するのだそうです。

 ただしこの件に関するBMWジャパンの対応は不可思議。問題の部品を含むモジュール──価格約40万円(!!)──全体の交換しか認めないだけでなく、そもそも入荷予定なし!!(現在の状況は未確認)
 信じられない。

 そんな時に冒頭の記事を見つけた、というわけです。記事掲載は昨年4月。しかし1ヶ月前にも同じ事象で困っている方がお店に連絡しています。これはもう、問い合わせるしかない。

 記事の電話番号で気づいたのですが、株式会社不二ガレージ」社は隣の長野県。それも長野市手前の須坂市。退職した現在、直接訪問することが十分に可能です。確認したところ、当該部品が1セット在庫とのこと。
 まさに僥倖
(ぎょうこう)

 というわけで調整の上、昨日一般道と高速道路を使って、不二ガレージ社(写真は今日撮影したもの。中央右奥がセンセイのBMW)を訪問しました。久しぶりの長距離運転。しかも一部は高速道路。
 BMWはホント、嬉しそうに走ります。

 そうか、BMWがかつて使っていたキャッチの“Freude am Fahren(「駈け抜ける歓び」)は、ドライバーよりむしろマシンに対するメッセージだったのか...。

 お二人のメカニックの方に状況を説明すると、お一人はさっそくロードテスト(試乗)に出かけました。しかしなかなか戻ってこない。あれほど嬉しそうだったので、症状が出ていないんだろうなぁ...。
 必要な打合せをした後、センセイは徒歩で最寄り駅へ。

 さて、どうなる。(続く)



7月20日(木) 事実はWikipediaより奇なり? ──解体されたはずのEF81機関車が、まだ富山に──

 センセイは今日、他県まで一往復。現在は無事に帰宅したところです。

 この件に関しては後日お伝えすることにして、今回の金沢「出張」で確認したことを。「それ」に気づいたのは先々週。いつものように在来線で金沢へ向かっている時、一瞬、俄には信じられない「色」を見たような気がしたのです。
 ...え"っ?!

 業界用語的には「ローズピンク」(旧国鉄『赤13号』)。キツネに化かされたか、幽霊を見たような気になりました。だって、存在しないはずのものだったので。
 翌週は乗客の関係で撮影不能。

 今回、やっとで撮影に成功したのが写真。高速で移動する電車の車中から、小型カメラの望遠端で撮影しました。拡大写真(1280×960、196KB))
 そのため鮮明度が不足しますが、お許しを。

 これはどう見てもEF81型交直両用電気機関車(更新車両)。JR貨物富山機関区に多数配備され、日本海縦貫線で大活躍した機関車です。しかしすでに、全車廃車。
 本当に長い間、ここに多数痛々しい姿のままで放置されていたのです。

 4月にお伝えしたように、それが見えなくなったので全車が広島で解体されたと考えていたのです。実際、そのような記事が報道されました。
 ...となると、このEF81は何物?

 記事の内容は「“EF81 1”(初号機)のみ解体を免れている」と解釈できます。“Wikipedia”によると、そもそも初号機は現在、富山機関区に所属していません(「現状」)。「廃車」の項目を見ると、同機は2003年度──つまり20年も前(!!)──に廃車済。
 廃車済ですから車籍はなく、所属先がなくても問題はない、ということなのでしょうか。

 車両左側には、除雪機械を兼ねたモーターカーが繋がれています。車籍がないので自走できない──そもそも故障で自走できないはず──だけでなく、そう遠くない将来、どこかへ運び出そうというのでしょうか。
 「トップナンバー」と呼ばれる初号機は他機と違って、保存される可能性も。

 485系交直両用電車同様、北陸を代表する名電気機関車だったので、個人的にはそのような余生を過ごせるように、と願っています。



7月19日(水) 写真の奥に広がるはずの光景 ──新幹線の車窓から、被災地区の一部を見ました──

 明日、明後日と、朝からイレギュラーな予定が入っているので、今日は短めに。

 大学院の講義を終えて、帰宅しました。講義終了後は学生と懇談してから大学食堂で早いお昼を頂き、雨が降る中をバス停へ。バスは少し遅れて到着したのですが、今日の運転士の運転ぶりは、実にワイルド。
 まず加速、減速が素晴らしい。

 乗車した高齢者がまだ着席していなくても出発。途中で数人の外国人が乗車したのですが、発進でよろけてしまったほど。運転士の後ろで運転ぶりを見ていたのですが、「センセイだったらここで...」というポイントをはるかに過ぎてから、ブレーキを踏みます。
 当然、相当な減速。

 「入れる」と判断すれば、自家用車に近い感覚で右折。危険を感じるほどではなかったのですが、おーい、路線バスだよぉ。彼の努力(?)の甲斐あって、何と、定刻より9分も早く金沢駅に到着。
 早発は厳禁のはずなのに...。

 おかげで本来の新幹線「はくたか」はもちろん、1本早い列車、つまり先日まで利用していた新幹線「つるぎ」に余裕で間に合ってしまうという状況。さて、どうしよう。
 本来ならば次の新高岡駅で下車し、それ以降は在来線を利用するところ。

 でもセンセイのことですから、すでに富山までの乗車券と特急券を用意しています。乗車変更も可能なのですが、有人窓口は外国人観光客などで長蛇の列。
 絶対に間に合いません。

 そこで富山まで券面通りに移動し、1本早い在来線で移動することにします。ただし「えちごトキめき鉄道」の接続がないので、最終的にはいつもの帰宅になるのですが。
 その途中、車窓から撮影したのが写真。
拡大写真(1280×960、196KB))

 ここは津幡町倉見。大きな被害が伝えられている地区の南端です。写真右側のトンネルは、国道8号線津幡北バイパス倉見トンネル。ご覧のようにその東側出口付近が大きくえぐられています。
 拡大写真だと状況を良くおわかりいただけると思います。

 崖崩れは国道8号線の走行そのものに影響を与えてはいません。ただし国道下を左右に走る道路は一時通不能だったはず。道路を越えて流れ出た土砂はその先(=写真手前)の田圃に入り込んでいます。
 写真でははっきりしませんが、これまでの経験からして、この田圃の大半──無傷に感じられる写真左側を含めて──は流れ込んだ土砂で埋まり、収穫は不能か、大幅な減収となるはず。

 被災者の方には本当に申し訳ないのですが、このような状況にもかかわらず、これでも被害はまだ軽い方なのです。今年はともかく、流入した土砂を取り除けば来年以降はかなり状況が改善するはず。
 問題は、家屋。

 床上/床下浸水で状況は大きく変わるのですが、いずれにせよ、流れ込んだ土砂の撤去は困難を極めます。本当に。皆さんのイメージは「水道水で流せば...」と思われるかもしれませんが、決してそんなこと亜hありません。
 基礎に入り込んだ泥は、人出で排出するしかない。

 耐え難い独特の異臭がするし、乾いてしまうともはや、完全な撤去は不可能。それが、この写真の奥の地域に広範囲に存在するはずなのです。イメージしていただけたでしょうか。

 ....う〜ん、全然短くない。



7月18日(火) 先週の集中豪雨で、富山―石川県境付近は壊滅的な状況に。果たして大学近辺は...

 もちろん、何をもって「壊滅的」とするかは難しいところ。しかしこの目で見た現場は、まさに、この形容がふさわしい状況だったのです。

 金沢工大での大学院講義も残すところあと2回。どうやって移動しようかと考えたのですが、結局のところいつも通りの在来線乗り継ぎに。新幹線より楽だし、それにある程度「出張」のリズムもできてきたし。
 いくら慣れても、来週でお終いなのですが。

 お察しの通り、もう一つの理由は先週発生した集中豪雨の被災地の状況。特に頭にあったのは、道床(どうしょう)が流出した津幡町の現場。
 今でも徐行運転を強いられているんだろうか。

 富山県内はそれなりの乗車率だったのですが、富山県東端の石動(いするぎ)駅(小矢部市)でかなりの乗客が下車。たまたま左側の席が空席に。
 流出現場は、次の倶利伽羅
(くりから)駅手前の進行方向左側(のはず)。

 構造上、閉ざされた窓から車両の下を見ることはできないのですが、それでも沿線の状況はできるかも...と考えて、左側の席に移動しました。
 結果からすると、これが大失敗。

 車窓から見る限り、ここまで水害の影響は確認できませんでした。でも石動駅を出発した2両編成の列車が急勾配の坂を上って小矢部市安楽寺付近に至ると、突然、様子が一変。
 列車の右側――つまりセンセイは撮影できない――に、目を疑うような光景が広がっています。

 そもそも、ここはかなり急峻な地形が続く交通の難所。しかも地質が良くない。そこに雨が集中的に降り続いたため本当にいたるところで、しかも相当高いところから土砂崩れが発生しています。
 イメージ的には、この地域の地形が変わってしまったんじゃないかと思えるほど。

 倖いなことに車窓から見る限り、住宅などへの大きな被害は確認できませんでした(ただし見逃しただけかも)。倶利伽羅トンネルを抜けて石川県へ。写真は河内地区で撮影した土砂崩れ現場。
 ただしこれでも、中程度。

 列車は途中でスピードを緩めることなく、定時に倶利伽羅駅到着。残念ながら道床流出現場を特定することはできませんでした。ところが次の津端駅までの間、沿線の複数の工場では職員総出で敷地内を清掃中。
 完全に虚を突かれたので、撮影できませんでした。

 地形の関係で水没こそ免れたものの、大量の土砂が敷地内はおろか、工場内にまで流れ込んでしまったようです。もちろん本来の業務がまったくできない状態。水害からほぼ1週間が経過しましたが、センセイが把握する限り、この被害は報道されていないようです。
 津端駅も同様。

 周囲をよく見ると、駅より低い地域の住宅も浸水などの大きな被害は受けていないようです。ただし津端駅構内に大量の土砂が流入したことは確実。使用されていない退避側線は、泥に埋もれたままでした。
 それでも鉄道は、まるで何事もなかったかのように通常運行。

 人生そのものだ。

 金沢駅へ定時に到着し、JR北陸本線に乗り換えて西金沢駅へ。そこから歩いて大学へサービス出勤したのですが、先週の様子を尋ねると、緊張感に乏しい言葉が返ってくるばかり。今回の集中豪雨は、局地的だったのです。
 責めるつもりはありません。

 阪神淡路大震災や東日本大震災、そして今回のような水害や雪害で繰り返し突きつけられてきた事実。自分が実際に当事者になってみないと、被災者の痛みは理解されにくい。

 もちろん、自戒の念を込めてです。



7月17日(月:祝日) こちらは、秋の気配 ──町内の山車を格納していた倉庫の解体が始まりました──

 今日は予定を変更してお伝えします。出くわしてしまったもので。

 結果的に、一昨日および昨日の続き。

 全国的に高温状態が継続していますが、もちろん当地も例外ではありません。昨日ほどではありませんが、日が昇ると気温はどんどん急上昇。正午前に最高気温32.1℃を記録しました。それでも熱帯夜とならなかったのが、せめてもの救い。
 センセイは午前中に二つほどお仕事。

 それを終えてからと、午後3時頃の2回、炎天下に外出しました。写真は午後、帰宅する際に町内の端で気づいて撮影したもの。
 左手前に運転席と荷台のない、トラックのようなものが見えます。

 というか、まさに中型トラックの上部を切断、除去したもの。これが一昨日お伝えした町内の山車(だし)の下部。どこかの鉄工場で作業してもらったのでしょう。
 もちろんハンドルなど操輪系統と、最低限のブレーキは機能しています。

 1週間前までは、この上部の四隅に柱を立て、屋根が載った山車の格好をしていたのです。「ぎおん柏崎祭り」が近づくと、町内会青年部──65歳まで──は毎週総動員。
 手分けして山車に電飾などを施し、祭に参加できるよう整備します。もちろん金沢転出前は、センセイも参加、

 一昨日の午後ここを通りかかった時には、トラックは写真の状態に。その背後にはプレハブの倉庫があったのですが、数人でその片づけをしていました。
 今から考えると、現在の青年部の方々だったのでしょう。

 改めて良く見ると、プレハブ小屋はもはや影も形もありません。あっさりと撤去してしまったようです。

 センセイの関心は、その奥に。写真が下手──すみません──なのでちょっとわかりにくいのですが、中央のお宅の前に、建物の骨組みが見えます。これが山車の格納庫。一昨日までは四方および屋根が亜鉛鉄板で覆われていたのです。
 でも今日は、ご覧のように柱が残るだけ。

 縮小しているのでわかりにくいのですが、収納庫左側にアルミ製の梯子が掛けられ、その上部で撤去作業が行われています。一昨日は素人仕事だったのですが、今日は動きからして明らかに職人。
 もちろん行われているのは建物の解体作業。

 こうなるとは予想していなかったので一部繰り返しとなりますが、この地域は50年くらい前に住宅地として形成され始めました。当時のご夫婦も高齢となり、少なくない方々が鬼籍に入られています。
 もちろん跡継ぎがいたり、転売されて再利用されている土地家屋も多い。

 しかし全体的には高齢化と少子化が同時進行。もはや今までのような態勢での「ぎおん柏崎まつり」参加を断念せざるを得なくなった、というわけです。

 すべてを承知しているかのように書きましたが西村センセイ、実はこのような事情を知ったのはこの4月。町内はいくつかの班に分かれているのですが、今年度はたまたま我が家が班長に(単なる順番です)。
 家人に替わってセンセイが班長となり、町内会の総会に出席し、状況を初めて理解したという次第。

 総会の席では高齢の方から「本当に祭りに参加しないのか」という質問が出たのですが、どうやらこの件、数年前には決定していたらしく、町内会長らは事実関係および決定済の事項を淡々と説明していました。
 愚女──娘のこと──を含めて、地域の小学生は皆、この山車の上に乗って「
たる仁和賀(にわか)」(今回は25日晩開催)を奏でました。

 だからこそ、ご高齢のかたの気持ちも十分理解できますが、人間だけでなく地域、場合によっては国家までもが辿る、まさに『人生の午後三時』(C. G. Jung)。人間、そして組織の真価が、ここで問われるという重要な場面です。
 もっとも、この町内会については簡潔明瞭。

 トラックは鉄くずとして売却。建物は解体の上で、地主さんにお返しするだけなので。 



7月16日(日) 当地は日中、気温がどんどん上昇。暑さの中で「どんGALA! 祭り」が開かれました

 昨晩、お伝えしなかった話題。

 お察しと思いますが、一つの理由は東北地方の水害。センセイは秋田市を15回くらい訪れているはず。中心部寄りの秋田駅西側だけでなく、東側もよく歩いています。駅前には大きな駐車場があるのですが、それが一面、まるで「」のようにに。
 水没して動けなくなった車も続出しています。

 残念ながら、大半は廃車となる運命。

 (被災地の方々には無礼であることをお詫びしますが)それでも現在は何とか持ちこたえている状況。もう一つ気になっていたのがどんGALA! 祭り」そのもの。白状すると西村センセイ、あまり良い印象を持っていません。
 要するに、YOSAKOI。

 当地の「どんGALA! 祭り」は1999年、市観光協会の要請で始められた人為的なもの。ちなみに祭名称の「どんがら(りん)」(あるいは「どんからりん」)は、地元の有名な民謡「三階(さんがい)節」の一節。
 何回か「どんGALA! 祭り」に遭遇したことはあるのですが、ご存じのような大音響。

 センセイはいつも、避けて通っていたのです。でも退職により、いわば地元に戻った身。今回の様子を見て、お伝えするかどうか判断しようと考えたという次第。
 当地は昨晩も寝苦しい暑さ。センセイは早めに目が覚めてしまい、睡眠不足気味。

 朝のうちは割と過ごしやすかった(最低気温23.2℃)だったのですが、9時過ぎから気温がどんどん上昇し、室内気温は30℃を越えてしまいました。
 仕事にならないし、用もあったので、日焼け止めクリームをたっぷり塗って外へ。

 いくつかの用の最後に、駅で特殊な乗車券類を購入。「どんGALA! 祭り」会場の一つは駅前通りの、ちょっと離れた場所。もちろんすでに音楽が聞こえています。
 最初に見た演舞は遠くからのチームらしい。

 ちょっとだけお付き合いして、ひとまず帰宅。調べてみると参加チームは近隣県を中心とする他県からだけでなく、地元チームが主体。
 実際、2番目に見たチームは明らかに地元の少年少女たち。

 音楽も「三階節」をアレンジしたものだったので、決めつけてはいけないなぁと反省しました。その後は書斎で仕事をしていたのですが、例によって午後、もう一度徒歩で旧市街中心部のスーパーへ。
 スーパーは、3会場の中の一つのすぐそば。

 写真はその際に撮影した地元チームの演舞。拡大写真(1280×960、226KB))

 誤解されると困るのですが、決して他県や他地域からの参加、あるいは他文化の受け入れを拒絶しているわけではありません。主催者も賛同していただけるでしょうが、ポイントはどれだけ地元に受け入れられ、願わくば根付くか。
 YOSAKOIそのものが「YOSAKOIソーラン祭り」をきっかけとして広がったという事情があるが故に、地元定着が難しい(はず)。

 で、演舞者はセンセイのイメージとかなり相違。まず年齢はかなり高め。子育てを終えたか区切りをつけた女性が主体で、そこに少数の男性が参加するというパターン。そして何より、皆さん踊ることがとてもお好き。
 これも決して皮肉などではありません。

 20世紀半ばまで(特に19世紀)のヨーロッパでは、情緒面を含めた身体表現は、要するに「レベルが低い」と位置づけられて抑圧されていました。しかし20世紀半ばに、M. メルロ=ポンティあるいはC. G. ユンクらによって再評価されます。
 哲学史および精神医学上の、大きな転機。

 う〜ん、センセイもお詫び──ペコリ──をした上で、ちょっと考えを改める必要があるようです。

 もちろん、センセイが「どんGALA! 祭り」で踊りを披露することはないでしょうけど。

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