2009年3月21日更新(2009年3月29日ページ移動。2012年12月23日一部写真削除)

──2009年3月第3週のニュース──

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3月21日(土) 老人は、楽しい ──1,500円で新潟県内を2日間乗り放題!! ──

 パーティーでお酒を飲むつもりだったので、昨日は車で出かけるというわけにはいきません。ホテルに車を止めて参加するという方法もありますが、ホテルと会場は30kmくらい離れているので移動が大変。
 というわけで昨日は、久しぶりに電車に乗って新潟、新発田へ出かけました。

 まずは2両だけの越後線に乗って新潟へ。
 並行する国道116号線は毎週のように走るのですが、越後線は久しぶりです。

 柏崎を出発しても乗客はまばらで、しかも次々と下車していきます。

 センセイが子供のころ、それぞれの駅前には廃館になった映画館がまだ残っていましたし、商店街もかなりにぎわっていました。
 通勤通学客は電車──正確にはディーゼルだったけど──に乗るしかなかったのです。

 今では駅前といっても、ホントに何もない広場があるだけ。
 若い人や子供を中心に人口が激減しているし、残っている人は車を使うんですね。

 それでも新潟市に近づくと乗客も増え、最後はかなり混雑しました。またいくつかの駅は橋上駅に建て替えられています。

 新潟から先は、非常勤で前任校へ行く機会が多く割と良く乗っています。豊栄駅が橋上駅になっていたりしましたが、それ以外はこんなもんかなぁーという感じ。

 新潟駅前のホテルに泊まり、お昼までに戻る必要があったのですが、選択肢は二つ。
 再び越後線を利用して帰るか、ちょっと遠回りだけど信越本線に乗るか。

 ほとんど同じ時刻に新潟駅を出発し、柏崎駅に到着します。

 どちらにしようか最後まで迷ったのですが、新潟駅のホームに入線してきた越後線が新型のロングシートの電車だったので、信越線にすることにしました。
 ロングシートは乗降がスムースでも、外がよく見えないのです。

 信越線の新潟−長岡間に乗車するのは久しぶりです。
 こちらも新潟に近いいくつかの駅が新築されていて、まだ新しい団地も増えていて、「ずいぶん変わったんだなぁ」という感じ。

 長岡−柏崎間はよく利用しますが、今日は天気が良かったので途中にある岩塚製菓の工場と、その前に生け垣でつくられた「おいしさ・ふれあい」という文字がよく見えました。
 木々はまだ冬の色ですが、気温がどんどん高くなっているので、もうすぐ新緑を見ることができるようになるんでしょうね。

 もうお気づきかもしれませんが、センセイは今回すべて各駅停車(正確には1本だけ快速に乗った)を利用しています。

 というのは、新潟県内のJR東日本線を2日間乗り放題の「えちごツーデーパス」を利用したからのです。
 2,500円ですし、センセイは一昨年からJR東日本の大人の休日倶楽部 ミドル入っているので、何と1,500円で購入できるのです。(もうちょっと狭い範囲でいいのなら1日間だけの「えちごワンデーパス」というのもあります)。

 ご存じのようにセンセイは「○○放題」という言葉に弱いのですが、もう一つ、各駅停車だと本当にその場所を一つひとつ確かめながら進むことができます。
 新幹線はもちろん、車を運転している時だとか特急に乗っている時にはなかなか味わえない感覚。

 昨日、今日と走った沿線はもうすぐ桜の季節になります。

 あんまり混んでいない電車の車窓から花見ができたら、いいだろうなぁー。

 あ、センセイのことですから、その時はきっと、ビールを飲みながらでしょうね。



3月20日(金:祝日) 非存在の存在 ――前任校の学長の送別式に出席しました――

 前任校の新井明第二代学長(写真左から3人目)がこの3月が退任されることになり、今日、大学所在地の新潟県新発田市内で一連の送別行事が開催されました。
 センセイも出席させていただきました。

 センセイの退職および金沢工大への移籍と新井学長のご着任はほぼ同時期。正確に言うと1年違うので、学長の講義を聴いたり、教授会などの席で議論したことはありません。

 けれども毎年夏に金沢工大の好意で実施してきた集中講義の際に新井学長にご面会し、そのお人柄に圧倒されてしまいました。
 今までの経験からして、こういう人の下で働けるのなら幸せだろうなぁー。

 また数年前に亡くなったセンセイの師匠と新井学長が同じ分野の研究者だったため、その意味でもいろいろなお話をさせていただきました。

 今日は夕方に、地元市長および町長も臨席いただいて、お別れの講演が行われた後、場所を変えて送別式が行われました。
 写真は送別式の最後に、内モンゴル自治区の提携校から学長に送られた書を披露しているところです。

 今日は新井学長に加えて、前学長および理事長と久しぶりにしみじみとお話させていただきました。
 また現役の教職員や、退職された方々の一部にもお目にかかることができて、それはそれでとても楽しかったし、「へぇー、最近はそうなんだぁー」というかなりコンフィデンシャルな情報を教えていただきました。

 でも、ふと、ここにいて当然、という方の何人かがいないことに気づきました。

 「あの先生はご主人が単身赴任中なので家に戻られたんだろうなぁー」などと不在の理由がよくわかる方もいらっしゃいます。センセイが知らないご都合のある方もいらっしゃるでしょう。
 そういう人はいわば(実物はいないけど)ここに「存在して」います。

 でも、何であの人が、という方もいらして、それが複数だし、しかも彼ら彼女らにはある共通の傾向があるのです。
 あ"、新井学長にとっての大事な会ですから、彼の名誉のために確認させていただきますが、欠席理由は新井先生との関係ではありません。(なぜかキッパリ)

 さて、何があったんでしょう。

 何でこういうことを書くかというと、話がやや飛ぶのですが、このごろたとえば報道各社があるニュースを「一斉に」流して、世論がたとえば「あれって、ひどいよね」という形で盛り上がる場面を多く目にします。

 でもね。

 飛行機事故など、大きな事件が飛び込んできたなどというのなら別ですが、ある時、誰かが何かに気づいて、それが......というのなら、ほとんどのニュース報道は「一斉に」という形を取らないはず。
 みんな一緒に「あれってさあ......」と盛り上がるのは、よく考えるとちょっと気をつけなくてはいけないのではないでしょうか。

 そして頭を冷やすきっかけの一つが「存在しないこと」──報道されないとか、ここにいない、とか──つまり非存在について考えることじゃないかと思うのです。

 もちろん、もしかするとホントに家事の都合等でたまたま欠席が重なっただけなのかもしれないのですけどね。



3月19日(木) センセイにとってはこれが、ほぼ理想的な卒業式なのです

 昨日の大学院学位授与式に続いて、金沢工大では今日、学部の卒業式が行われました。

 朝早くから、どんどん人が集まってきて、キャンパスがどんどん日常とは違う「ハレ(晴れ)」に包まれていきます(いつものキャンパスが沈んでいる、という意味ではありません)。
 彼ら彼女らは、全然違う顔をしています。極端な話、4年間で入学式と卒業式の日だけの顔かも。

 約2時間の卒業式を終え、学生諸君は卒業証書を授与される会場へ移動するのですが、これがもう、ホントに大変。

 何しろ約1,500人(+その周囲にカメラを構えた保護者)がいるので、あちこちで万歳三唱が起きるなど、すごいことになっています。

 かなり落ち着いてから撮影したのが右の写真。

 クラブ(女子バスケットボール部)の後輩たちが卒業生を迎えて、一緒に記念写真を撮影しています。
 左奥にはラグビー部所属の男子学生もいます。

 紺色のスーツに身を包んだ男子学生が多かったせいか、今日は女子学生、特に袴(はかま)姿の女子学生が目立ちました。
 金沢工大、こんなに女子学生がいたっけなぁー、という感じ。

 別な場所ではご覧のように胴上げ。本当に浮かんでいます!!

 去年だけですが西村センセイ、学部学科ごとに行われる学位授与の会場に呼ばれました。
 過分な感謝を頂戴するのも、それはそれで本当にありがたいのですが、でもこれはまったく例外的なことだと理解しています。

 決して嫌味で言っているわけではないので誤解されると困るのですが、専門課程の先生方と学生諸君の多くにとって、学生が記憶している「教育」は基本的に、専門課程で受けた教育です。
 卒業式に臨んだ学生諸君の多くに、センセイらのことは眼中にないでしょう。

 だって彼ら彼女らは、入学直後のことを、そしてセンセイらが担当した最初の1年間のことをほぼ完全に忘れてしまっているのですから。
 でも、それでいいんです。

 意外に思われるかもしれませんが、センセイは彼ら彼女らのこの忘却を喜んでいます。(キッパリ)

 なぜなら──屁理屈と思われるかもしれませんが──センセイらの入学直後の学生諸君への取り組みが教育効果を上げているのなら、文字通りの「血肉」となってわけですから、彼らがそれを意識することはできないからです。
 自分の身体を意識する──目覚めて、ちゃんと身体が動くかチェックする──なんて、若い皆さんにはできないでしょ?

 実際、他大学の学生と比較すると金沢工大の学生諸君は、特にディスカッションやグループ活動などの力は図抜けているのですが、多くはそれを「当たり前」と思っているので、それをなかなか自覚する機会がありません。
 就職活動などの場面で、「へぇ、そうなんだぁー」と意識させられるんだそうです。

 正確に言うと「センセイらの教育の効果がまったくなかったから記憶にすらない」という可能性もあるのですが、こちらはあまりに悲しすぎるので、今日は考えないことにしましょう。

 センセイらのことなんか完璧に忘れ、「金沢工大で、自分の力でこれだけ成長したんだぁー」と盛り上がり、他人に迷惑をかけない範囲で少し羽目を外すくらいの卒業式。

 それこそが、センセイの理想なのですから。



3月18日(水) 正真正銘、こちらはMacとWindowsの「共存」です

 かなり時間がかかりましたが、MacBook(White)の整備もようやく最終段階に入りつつあります。

 昨日はWindowsとMacの切り替えをご紹介しました。

 普通にMacを使っていらっしゃる方でWindowsも、という方、あるいはその逆にMacに興味を持ったWindowsユーザーの方は、Mac付属のこの“BootCamp”を使って切り替えるのが一番手っ取り早いと思います。

 昨日お伝えしたように、同一マシン内での相互のやりとりは少し知識が必要ですし、セキュリティーの問題も懸念されるので、USBメモリでの受け渡しが簡単だと思います。
 32GまでならFATでフォーマットするという選択もあります。

 さて今日は、切り替えではなくMacとWindowsの共存のお話。

 センセイはこのMacBookを主にWindowsマシンとして使うつもりです。

 ふだんはこちらのように、Mac OS 9マシン(G4 CubeおよびPowerBook G4)とネットワークで繋ぎます。
 接続は極めて安定しており、OSの違いを感じさせないシームレスな作業が可能になっています。

 出先など、Mac OS 9マシンが使えない時は“SheepShaver”の出番。

 ちょっと手こずりましたが何とかMacBookにもインストール(写真中央)できました。
 今後はOSのアップデートやアプリケーションのインストール、そしてファイル送受信のためにネットワーク接続に取り組んでみたいと思います。

 さて今度はMac OS Xを起動している場合を考えましょう。

 Mac OS Xで作業中に、急にWindowsファイルが必要になったとします。

 BootCampを使って再起動してもよい──起動時間は短い──のですが、作業後に再びMacに戻ることがわかっている場合などは、右の写真のように“Fusion”を起動させます。
 センセイの場合、Windows XPだとやはり少し重い感じがするので、Windows 2000を起動します。

 昨日お伝えしたように、 MacのサイドバーからWindowsの“My Documents”フォルダを読み出してもいいのですが、Fusionは共有設定ができるので、これを利用します。
 共有フォルダに“My Documents”フォルダのショートカット(エイリアス)を入れておけば(左上)、すぐに目的のファイルを読み書きすることができるのです。

 このようにWindowsマシンを中心にして、データ(バックアップおよび動画は除く)をすべてWindows側で管理しながら、Mac OS 9およびMac OS Xを繋ぐことで、ストレスを感じない作業環境が実現されました。

 なお、これまでネットワークにうまく繋がらなかったMac OS 10.5“Leopard”ですが、やっと今日、Windowsマシンにだけは繋がるようになりました。
 しかし相変わらず、Mac OS 9とは繋がりません。

 ネット上には「繋がった」という報告もあるのですが、Macのネットワークプロトコル“AppleTalk”はかなり古い規格なので、アップルも徐々にサポートしなくなっているようです。
 まぁ、動画や音声(音楽)など、単機での仕事を除けば、Mac OS Xを中心に協調的な仕事をすることはほとんど考えられないので、あまり実害はないのですが。

 “FireWire”の廃止もあり、ますます新しいMacから遠くなる、そんな感じです。



3月17日(火) 正確には「共存」ではありませんねぇ ──Mac/Windowsの切り替えの実際──

 お待たせしました!! センセイのMacBook(White)の最新の整備状況をご報告します。

 センセイはこのMacBookを主に、Windows(XP Pro)マシンとして使う──実際、普通に立ち上げるとWindowsが立ち上がる──つもりです。
 でも、そもそもはMacなので、まずはそちらから。

 センセイのMacBookにはすでに、BootCampを使ってWindowsをインストール済。
 一番上にはMacのボリューム“MacBook”──何と安直な名前!! ──に加えて、その下に“Windows XP”というWindowsのボリュームが見えています。

 通常はこのハードディスクのアイコンです。Mac側からはアイコンも、“Untitled”という名前も変更することはできません(センセイは別な方法で名称を変更しました)。
 というのは、Windows領域を“NTFS”というシステムでフォーマットした場合、Mac側からは読みとりができるだけで、書き込みはできないのです。

 “FAT”という形式でフォーマットすれば読み書きできるのですが信頼性が低下しますし、ボリュームの上限も32Gまで。
 センセイは必要なデータをMacBookに移動し終えていますが、Windows側だけですでに35Gくらいを使用していますから、FATでは対応できません。

 これではあまりに不便なので、ネットジャパン社取り扱いの“Paragon NTFS for Mac OS X 6”というソフトをインストールします。
 同製品は基本的にダウンロード販売のみ(4,410円)です。

 すると、あら不思議。2枚目の写真のように普通に読み書きができるようになります!!

 でも実は、この方法だとMacからWindowsのファイルがすべて──システムファイルもあまり人に見られたくないファイルも──丸見え。
 セキュリティもへったくれもないので、(1)まずMacの起動時にパスワードを入力して、他人にいたずらされないような設定にする必要がありますし、(2)自分しか使わない場合も不必要なファイルやフォルダを見なくてすむようにする必要もあります。

 後者に関して西村センセイ、最初はWindowsの文書フォルダ“My Documents”のエイリアス(Windowsの「ショートカット」)をデスクトップに置いていました。

 でも、ふと気づいて3枚目の写真のように、Macを開いた時の「サイドバー」に収めることでとても使いやすくなりました。
 ちなみに、その下の「文書フォルダ」というのがMac側の書類のフォルダです。

 “NTFS”フォーマットを読み書きできるようになると4枚目の写真のようにアイコンを貼り付けたりできます。

 実際にやってみたのですが予想に反して、リアルなアイコンだとMacBookが分裂──あるいは増殖?──したような違和感があるので、元の無機質なハードディスクのアイコンに戻しました。
 これだと「何かあるよね」くらいで、あまり気にならなくなります。

 さて次はWindowsマシンとして起動した場合。

 BootCampを普通に使うと、「マイコンピュータ」を開くとCドライブ(Windows)のみが認識されて、Macはまったく見えません。
 もちろんデータのやりとりもできません。

 Mac-Windows間であまりデータをやりとりさせないのなら、この状態でも、例えばMS-DOSフォーマットのUSBメモリなどを使えばファイルを移動することができます。
 でもセンセイの場合は動画以外のすべてのデータをWindows側で一元管理するので、USBメモリではすぐに破綻してしまいます。

 それにちょっと難しくなりますが、Mac、特に古いMacのファイルは「リソースフォーク」という部分を持っていることが多く、MS-DOSフォーマットのUSBメモリだとそれを認識できない──Macのファイルをコピーしようとすると警告されるのはこのためです──ので、やりとりするうちにファイルが壊れてしまいます。

 こういう時はイーフロンティア社の「MacDrive 7 日本語版 for Windows」(9,260円)を使います。するとこちらのように、Macのボリュームもちゃんと認識されて読み書きできるようになります。
 もちろん今回もMacDrive(別シリアルナンバーの正規品)をインストールしました。

 なお、MacDriveを使用する場合Macの時と同様に、WindowsからMacの内容が丸見えになるので、やはり何らかの対策を取る必要があります。

 右(5枚目)の写真はMacBookをWindows側で立ち上げたところです。

 「文書フォルダ」というのはWindowsの“My Documents”。
 手の形のアイコンがついているのは、Mac側から共有できるように設定しているためです(共有設定はかなり知識が必要です)。

 ポイントはその下。

 ここにあるのは、Mac側の文書フォルダのショートカット(Macの「エイリアス」)なのです。
 実際には使用頻度が低く、ちょっと邪魔なので、「文書フォルダ」の中に収めていますが。
 これでOSの違いをほとんど意識する必要なく、ファイルのやりとり──センセイの場合は、Windows環境での一元管理──が可能になります。

 最後に古いMac(写真は自宅のPowerMac G4 Cube)から見たMacBookがこちらです。

 MacBookはWindowsマシンとして起動しており、接続には“DAVE”というネットワークソフトを使っています。
 この使い方ならば、読み書きはもちろん自由にできますし、リソースフォークの問題もありません(ご覧のようにアイコンもしっかり使える)。

 すべて完璧......といきたいところですが、実は、MacBookをMacマシンとして起動した場合──ややこしい──他の人のWindowsマシンには繋がるのに、なぜかセンセイのマシンとは繋がりません。
 トホホ。

 さらには、“Fusion”の使い方だとか、MacBook単体の時に古いMac OS(Mac OS 9)をどう使うのか、そして高かったSSDの今後の運命などなど、またお伝えしていないことがたくさんあります。
 申し訳ありませんが、こちらについてはまた今度。(というか実は、現在進行形なのです)。

 そういえば、今日ご紹介した内容は、正確に言うとMacとWindowsの「共存」ではなくって、あくまで「切り替え」ですね。



3月16日(月) 写真には写っていないけれど...。 ──MacBook(White)デビュー!! ──

 残念ながらMacBook(White)のインストールはまだ終了していません。作業が終わらないうちに2週続けての出張になってしまったからなのです。

 出張先はいずれも金沢工大の東京キャンパス。前回と同じ場所です(教室は違うけど)。その意味では何だか代わり映えのしない出張なのですが、仕事は仕事。

 この機会に、まだソフトのインストールが完了していないMacBook(White)だけを持参しました。

 出張の目的は研究会への参加。
 続く懇親会を含めてとても興味深いものだったのですが、デビューしたばかりのMacBook(White)も頑張りました。

 研究会の途中、PDFファイルをダウンロードする必要があって、センセイもMacBook(White)を取り出したのですが、みんな無関心。
 せいぜい「あ、素人が使う古いMacかぁ」という感じ。

 でも違うんです。最新鋭の、羊の皮をかぶった狼(?)なんです!!

 近日中にまとめてご紹介できるとおもいますが、MacBook(White)、凄いですよぉー。

 懇親会でかなり飲んでしまったので、この続きはまた、後日。



3月15日(日) 富山県民になりたい!! ──富山湾内産のホタルイカを、今年初めて食べました──

 傷心の昨日、自宅のある柏崎市内のスーパーで、富山産(富山湾内産)のホタルイカを見つけたので、思わず買ってしまいました。

 年が替わるころから、兵庫産や石川産──石川県のどこで獲れるのだろう──を見かけていたのですが、富山産は今シーズン初めてです。
 解禁直後は地元や高級料亭だけに行っていたのでしょうが、やっとそれ以外のルートでも流通するようになったようです。

 まず店頭での見た目が違います。
 他県産はやせていてツヤも相対的に少ないのですが、富山産はプリプリとしていて大きい。

 そして見かけ以上に違うのが味。甘くて柔らかくて、ホントに美味しい!!

 富山湾内は今月1日から漁が解禁されたそうで、翌日の各紙(北日本新聞朝日新聞中日新聞)はその様子を伝えています。
 しかも今年は豊漁の見込みとのこと。うれしいなぁー。

 こんなに美味しいものを食べられるんだったら、富山県民になりたい!!
 ホント、そんな感じです。

 さて“Windowsマシン”MacBook(White)整備は順調に進んでおり、最終的な仕上げの段階に入っています。
 すでに昨日からメールの送受信やこのページの更新などはMacBook上でこなしています。

 BootCampによるWindows/Macの切り替えと両環境間でのデータのやり取り、Mac上でのVMware Fusionの使い方など、ご報告したいことはたくさんあるのですが、もう少々お待ちください。

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