2015年8月1日更新(2015年8月9日ページ移動。2018年1月6日一部写真削除)

──2015年7月第5週〜8月第1週のニュース──

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8月1日(土) 学会の仕事で訪れた早稲田大学は、オープンキャンパスの真っ最中

 暑い。とにかく暑い。気象庁の観測データによると、センセイが訪れた東京の今日の最高気温は、35.3℃。

 市街地はアスファルトに覆われてヒートアイランド現象が起きているため、実際の気温はもっと高かったはずです。一方、今日の出発地である自宅の最低気温は23.0℃。
 これだけ差があると、老体に堪
(こた)えます。

 センセイは今日、関係する学会の重要な会議(「理事会」)へ出席するために上京しました。会場は1カ月ぶりの早稲田大学。JR飯田橋から地下鉄東西線に乗り換えて、早稲田駅へ。

 土曜日だというのに高校生の姿が目立ちます。大学までの歩道はかなり狭いので、すれ違うのに相当気を使わざるを得ないほど。
 キャンパスに到着してその理由がわかりました。

 今日は早稲田大学のオープンキャンパスが行われているのです。よくよく見ると、保護者を同伴している場合も。
 せっかくだし、会議までにはまだ時間があったので、「オープンキャンパスに同伴した保護者」に成りきって、少しだけキャンパスを探訪してみました。

 写真は揃いのTシャツを着た在学生が、ボランティア(?)で参加者を案内しているところ。在学生の要領は良い。
 ずいぶん手慣れた感じがします。

 でも、ずっと見ていると、どこか違和感を感じていることに気づきました。揃い過ぎているのです。
 在学生はもちろん、参加者も。

 良く考えてみると地下鉄駅から感じていたことなのですが、参加者にどこか、とても共通したものがあるのです。ご覧のようにファッションはずいぶん違います。
 一見すると多様ですが、実はとても均一。

 早稲田大学だけで起きていることなのか、他の大学でも同時多発的に発生していることなのか、落ち着いて考える必要があると思います。



7月31日(金) 西村センセイ、テストの採点を終えないまま、夏休みモードに突入する

 夏休みに入ったのではありません。「夏休みの行動パターンで仕事をするモードに入った」という意味です。誤解なきよう。

 朝早くに目が覚めたのですが、6時半までアパートで待機します。早く大学に出勤しても、守衛さんが警備員室から移動して正面玄関が開くようになるのは6時半。
 そしてもう一つ。今年はラジオ体操をまだ見ていない。

 金沢の小中学校は1週間程前に終業式。翌朝、つまり夏休みの初日から近くの公園でラジオ体操が行われています。
 早朝から子供たちや自転車の音でうるさくなるのでわかるのです。

 金沢で働くようになってから13年。いつの間にか、これを見ないと夏になった気がしなくなりました。
 ただしこのラジオ体操、実際には7月中だけのはず。

 というわけで、小さな子供たち──写真奥に並んでいる──が特定できないように気をつけて撮影したのが写真。
 変なところにも気を使わなければならなくなりました。

 出勤後は真面目にテストを採点していたのですが、立場上の仕事などが飛び込み、なかなか思うように進みません。
 でも明日の都内出張に備えて、ひとまず自宅へ戻る必要があります。

 センセイは明日、明後日と出張して日曜日の夜遅くに金沢へ移動。月曜日の午前中に採点を終わらせて、午後の講義で成績を伝えなければなりません。
 その晩は退職される方の送別会。

 翌朝は会議で......おっと、午後の講義の採点はどうしよう。夕方にも会議があって、それを乗り切ったら、翌日からの出張のため、その日のうちに自宅に戻らなくてはならない。

 大丈夫かなぁ。



7月30日(木) 西村センセイ、明るくなった学生諸君に見とれていたらポカをしてしまった

 今日は見たままのお話。正確に言うと「見なかったこと」のご報告なのですが。

 学期末で仕事が溜まってしまっているので、センセイは今日も早朝からご出勤。でも取り組んだのはテストの採点ではなく、規則の改正。学会の規則改正案を明日のお昼までに作成する必要があるのです。
 以前からわかっていた仕事なので、早めに取り組めばこんなことにはならないのですが。

 頭をかなり使ったので、予想よりも早く仕事に見通しを立てることができました。その分、お昼前にはもうヘトヘト。午後は採点その他の仕事が待っています。
 こちらも気力と体力を使うので、何か食べておく必要があります。

 キャンパスの外へ出る根性はとうの昔に失(う)せており、消去法で、今日は大学食堂へ。

 すぐに、いつもの食堂と違うことに気づきました。学生諸君が皆、屈託(くったく)のない表情。試験は原則として一昨日までに終了。
 最後の講義で自分の成績を確認すれば、待ちに待った夏休み!!

 対照的に、センセイらは短期間のうちに大量の答案を採点しなければなりません。しかも正確、公平に。
 でも、まぁ、暗い顔を見るよりはずっといい。

 気を取り直して仕事に励んでいると、いつの間にか窓の外が暗くなっています。日没がどんどん早くなっています。
 油蝉から蜩
(ひぐらし)に替わった音に、秋が遠くないことを悟ります。

 いつもならそれなりの達成感を感じながら「そろそろ帰ろうか」と思う時間なのですが、今日は何となく引っかかるものが......あ"。
 夕方の重要な会議をすっぽかしてしまった!!

 それなりの人数の会議なので、呼び出しを受けることなしに始まったようです。

 というわけで今日は、「重要な会議に出席しているセンセイの姿を誰も見なかった」という情けないご報告。トホホ。



7月29日(水) ボーズのヘッドホン、右側の音声がおかしくなってきたと思ったら...

 ボーズのヘッドホンで音楽を聴いていたら、何だかおかしい。左右の音質が不揃いなのです。

 具体的には右側のみ、高音部の音量が低下して少し籠もった音になっています。最初は気のせいだろうと思っていたのですが、やがて左右の違いが際立ってきました。
 変だなぁーと思って外して確かめると、イヤーパッドのスポンジを留めている部分が外れ始めていました。

 写真は昨晩撮影したものですが、その後状況は急激に悪化し、現在は全周が浮いています。
 ノイズキャンセルのためにはきちんとパッドが働く必要があるので、まともな音がするはずがありません。

 センセイ、もともとは“QuietComfort 2”を10年前に購入したのですが、ノイズキャンセリング機能もさることながら、音質がとても良かったのでずっと愛用していました。
 しかし寵愛
(ちょうあい)の度が過ぎたようで、高さを調節する部分が壊れてしまいました。

 修理をお願いしたのですが修理ではなく、後継機“QuietComfort 15”と交換ということに。
 白状すると、こちらはあまり音質が良くありません。

 でもノイズキャンセリング機能は前機種より優れていたので、主に音楽を聴くのではなく騒音を打ち消す目的で使っていました。
 だから音質の変化に気づかなかったのです。

 イヤーパッドが傷んだので、“QuietComfort 2”用のものと交換したばかりだったのですが......。

 この際だから最新の機種を購入しようかと思ったですが、評判を調べるとやはり音質はイマイチらしい。しかしこのまま放置するわけにもいかないので、補修用部品を買い求めることに。
 しかし今度は在庫切れとのこと。困った......。

 パッドを縫っている糸が切れたのだから、自分で縫おうかと考え始めた時、ふと、前回も前機種用のものと交換したことを思い出しました。調べてみると、なぜかこちらは在庫あり。
 両者は同一品なのです。

 というわけでパッドを発注したのですが、う〜ん、ボーズって、長い目で商売する気があるのかなぁ。



7月28日(火) まるでエヴァの角だ... ──旧FM-N1ビルの解体工事が進んでいます──

 今日は見たままのお話。

 祝日と曜日調整の関係で、先週のセンセイは月曜日と火曜日の授業がありませんでした。というわけで2週間ぶりの教室。
 今日は期末試験なのです。

 学生諸君はとても大変ですが、この段階のセンセイは教壇で試験監督をするだけ。
 実際にはすぐに採点に入り、学生と先生は攻守を入れ替わるのですが。

 いつもは教材提示のためにプロジェクターを使用するのでブラインドを降ろすのですが、今日はそのまま。

 地元コミュニティ・FM局「えふえむ・エヌ・ワン」の新局舎(中央の白い建物)がよく見えます。左側のグレーの部分は同窓会。
 先日初めて入りました。

 「えふえむ・エヌ・ワン」の右側は旧局舎。もともとは産婦人科医医院だったそうです。ご覧のように、その解体工事がかなり進んでいます。
 解体工事が始まっていることは知っていたのですが、近くを通っても工事用のフェンスで中がよく見えません。

 しかし今日は上から見下ろしていますし、フェンスがずいぶん低くなっているため、工事の様子が良く分かります。
 重機をとても上手に使って、コンクリートと鉄筋を分離させています。

 重機の華麗な動きに見とれていたら、3台とも、その後部に赤い何かがついていることに気づきました。
 棒状のものが車体に合わせて動いているのです。

 試験を終えてから現場近くの公道上から撮影したのが写真。車体に金属製の部品を介して、ポールのようなもの──おそらく脱着式──を装着しています。
 まるでエヴァの角(?)のよう。

 建設するにせよ、今回のように解体するにせよ重機を使った作業は危険が伴います。
 そこで、まずこの目立つポールで周囲にいる人に注意を促す。

 もしかしたら狭い場所ではこのポールが建物や木々、最悪の場合は作業者に接触してしまうかもしれません。

 プラスチックでできているようなので、これが当たっただけなら大きな怪我や建物の損傷を招くことなしに、すでに非常に危険な状態に陥っていることを知る/知らせることができる......。
 どうでしょう。



7月27日(月) 西村センセイ、2階建て豪華観光バスに乗って、旧東海道本線探訪の旅に出る

 タイトルを間違えているわけではありません。今回のツアーでは北陸本線旧線跡とともに、旧東海道本線も訪れたのです。センセイとしてはむしろ、こちらがメイン。
 ポイントは、長浜という場所、そして北陸本線長浜駅。

 「でも、東海道本線の話のはずでしょ?」

 その疑問は当然です。実は長浜駅、建設された当初は東海道本線の駅、しかもその終着駅だったのです。地理がわかる人ほど、俄には信じてもらえないだろうと思います。
 1872年(明治5年)に新橋─横浜間で開通した鉄道は、神戸─京都─大津(現在の浜大津駅)間で建設工事に着手しました。

 長浜付近では、まず長浜─敦賀間(明治17年開通)で、次いで関ヶ原─長浜間でも工事が始まり、後者は1883年(明治16年)に開通。長浜駅は東海道本線の終着駅になったのです。
 長浜─大津間は、前年に運行を開始した蒸気船で旅客を運搬していました。

 米原からだと長浜駅のすぐ手前の琵琶湖側(写真左側)に写真のお洒落な洋館があります。線路脇ですからすぐ分かります。
 これが初代の長浜駅。

 現在、建物の琵琶湖側(西側)は埋め立てられて道路になっていますが、開業当時はここが船着き場。
 大津までの鉄道連絡船が就航していました。

 しかし米原を経由する東海道本線新橋─神戸間が1889年(明治22年)に全通したため、この長浜駅と蒸気船はその役目を終えました。

 この初代長浜駅は、現存する最古の駅舎として鉄道記念物に指定され、現在は長浜鉄道スクエアになっています。
 センセイはこれまでに長浜駅で2回電車を乗り換えていますが、残念ながら駅の外に出る時間がなかったため、今回初めて訪問しました。

 北陸本線の車内から、駅舎に隣接する建物の中に機関車が存在することは知っていました。保存されていたのはD51型蒸気機関車と、北陸本線が交流電化された際に使用されたED70型電気機関車でした。
 その他、難工事だった柳ヶ瀬トンネルの石額などを見ることができます。

 関ヶ原─長浜間の旧線を調べてみると、現在の北陸本線とはまったく異なり、長浜付近では市街地を左右に横断するような格好で敷設されていました。現在は道路として使用されています。
 その先はずいぶん北回りのルートで滋賀・岐阜県境を越えて関ヶ原駅に至っています。

 ご紹介した北陸本線旧線にせよ関ヶ原付近にせよ、残念ながら自動車でないと訪れるのは難しいようです。



7月26日(日) 豪華観光バスに乗って旧北陸本線探訪の旅(2)(敦賀−木ノ本間)

 滋賀県長浜市での保護者会を終えて、金沢へ戻りました。

 帰路も2階建て豪華バスの右側席。実は昨日と同じ席です。直接の理由は、右側の席だと西日が差さないから。でもセンセイのことですから、密かな目的があります。
 昨日に引き続き、帰り道でも北陸本線旧線を探検(?)しようと考えたのです。

 昨日お伝えしたのは福井県敦賀─今庄間。でも、敦賀木ノ本間にも険しい山々が存在します。建設時は紆余曲折の末、この区間の北陸本線(旧線)は現路線の東側に建設されました。
 しかし蒸気機関車の時代ですから、急勾配の狭隘
(きょうあい)トンネルで窒息死する運転士が出る──実話──など問題が続出。

 そこで新線が建設されることになり、1957年(昭和32年)に単線で現在の路線に切り替わりました。旧線は柳ヶ瀬線として分離、存続しますが、利用客が少なかったため、1964年(昭和39年)に廃止されます。
 問題は、その旧北陸本線跡。

 敦賀─今庄間のかなりの部分が北陸自動車道上り線に転用されますが、実は、敦賀−木ノ本間も北陸自動車道および県道として利用されているのです。

 鉄道路線跡が道路として利用されるのは、旧北陸本線倶利伽羅峠付近などに見られるよう、割と良くあります。
 写真は帰路に撮影したもの。

 手前に現在走行中の北陸自動車道下り線(金沢方向)が見えています。奥は上り線。その間を縫うように道路が走っています。
 これが、旧北陸本線。

 この場所は用地に比較的余裕があったようでセンターラインが引かれていますが、もともとは狭い線路。
 場所によってはとても細くて、まるで農道のような感じ。

 トンネルは簡単に工事ができないので照明を施し、さらに信号機を設置して、鉄道時代のものをそのまま使用しているそうです。
 この目で確かめてみたいと思うのですが、自動車で来るしかありません。新潟からも、金沢からも遠い。

 今回、旧線の概要を確かめることができたことに感謝しています。

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