2017年5月6日更新(2017年5月14日ページ移動。2019年5月1日一部写真削除)

──2017年4月第6週〜5月第1週のニュース──

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5月6日(土) 西村センセイ、ゴム足を買う ──自分のための、もう一つのこと──

 今日は見たまま、そしてタイトル通りの話題。ある意味、昨日の続きです。

 伯母宅で今月末に行われる彼女の姉の納骨を打ち合わせてから、実家へ移動週明けに父親が退院することが確定したのです。本来ならば退院に際してセンセイが実家まで送り届けるべきところ。
 でも生憎
(あいにく)と、センセイは外せない会議を抱えています。ここはタクシーを使ってもらうしかない。

 でも、本当の問題はその後。センセイは母親を乗せて、4km離れたスーパーへ向かいます。

 お伝えしたように、母親は車を運転できません。センセイが次に実家へ行くまでの来週1週間分の食料を確保する必要があるのです。
 都内へ戻る娘を駅まで送ると、センセイは近くのホームセンターへ。

 連休中に、このお店を含めて何軒かを回ったのですが、ベストではないものの、一番良さそうと思われるものがあったのです。
 求めていたのは、ゴム足。

 この製品は机の脚の裏などに接着して滑りを防ぐもの。グレーの部分がすべり止めで、白い部分は接着シート。
 価格は4個で600円弱でした。

 選択のポイントは第一に厚さ。次いでサイズ。ネット上で購入しても良かったのです。ほぼ無限大の選択肢の中から選ぶことができるし。
 でも今回は、「そこ」にきちんと収まるかどうかが最も重要。

 自分の目で見てみないとそこがよくわからないし、ネットだと価格は低くても送料がかかりそうだったので、お店に並んでいた候補の中から妥協して選びました。
 うまく行くのかどうかは、金沢で試してみないとわかりません。

 と、いうわけで、明日以降へ続く。(たぶん)



5月5日(金:祝日) 数年後の引退を見据える ──センセイが連休中に自分のために為した、ほぼ唯一のこと──

 ......もちろん、結局はすべてが自分のため、といわれればその通りなのですが。

 3日(水)の憲法記念日から数えると、今日が連休の中日。明日は家族サービス、明後日は金沢なので、センセイ個人にとっての「お休み」は今日が最後。
 というわけで今日は宿題を片付けることにします。

 最初の写真はセンセイの書斎、椅子の後ろにあるAV機器。1977年発売──40年前!! ──のTEAC製“A-6100 MkII”オープンリール・テープデッキ(ラック左上)を含めて、全機が現役です。
 センセイは物持ちが良い。

 誤解されると困るのですが、これらの機器は本質的に、所有することが目的なのではなく、それを用いて録音録画、そして再生するのが目的。だからこそずっと維持しているのです。
 機器のメンテナンスも大変なのですが、最大の問題は購入あるいは記録したメディアの管理。要するに収納の問題です。

 このラックは組み立て式で、かつユーザーの希望に合わせてモジュールをかなり自由に組みあわせることができる優れもの。
 1991年前任校に着任し、新潟市内に居住するようになった時に、値が張ったこのラックを頑張って購入しました。

 このラック、下部がメディアの収納部になっており、主流になりつつあったCD、あるいはLPディスク、そしてテープ用から選択することができました。
 当時はアナログからデジタルへの移行期。

 その後の記録メディアの盛衰の読みは非常に難しい状況。現在見直されているLPレコードも、当時は消滅まで時間の問題と言われたほどです。
 しかしCDおよび、当時のその書き込み可能版でありるCD-Rの容量は必ずしも大きくない。

 他方、テープは所定の場所へのアクセス時間などの弱点はあるものの、容量ははるかに大きい。
 センセイは、中学生の時にカセットテープからオーディオを覚えたので、基本的にテープ派。

 そこでテープを主流にモジュールを選択しました。これは結果的に、不適切な選択となりました。メディアはその後、テープではなく、DVD(-R/RW)およびBD(-R/RE)系が主に。
 その結果、ディスク類の収納スペースが不足する事態に陥り、ディスクを機器の脇に仮置きするという惨憺たる状況。

 そこで昨年夏、造りつけの書棚に収めることができるCD/DVD/BD用のラックを購入。しかしあまりの忙しさに、本格的な整理ができずにいました。
 というわけで、気合いを入れて作業開始。

 上の写真は整理後のものですが、2列になったディスクの後部に1列分の空きがあります。今まではここにもディスクを老いていたのです。
 でも手前のディスクを移動して空きスペースを作らないと取り出すことができませんでした。

 写真のラックの奥には書棚があるのですが、そこにラックを収めてクラシックのディスクを仮に収納したのが2枚目の写真。
 予定通りに、きちんと収まったのですが、椅子から振り向いた場所にある上の写真のディスクとの格差が大きい。

 というわけでクラッシックのディスクは別な場所へ再移動。これであちこちにディスクの収納スペースが格段に増加しました。
 実は今回の引っ越し(?)は、センセイの引退後を踏まえたもの。

 西村センセイ、音楽ディスクはほとんど自宅書斎に置いてあります。たぶん600枚程度ではないかと思われますが、購入/録画したディスクの大半は金沢のアパートに残してあります。
 残念ながら世代交代や身体の衰えを考えると、センセイの引退もそう長い先のことではありません。

 今回の整理で現在は余裕綽々(しゃくしゃく)のディスク収納スペースも、「その時」にはとりあえず収めることができればラッキーという状況。

 より問題となる、研究室に置いてある書籍の扱いについては、この際、考えないことにしましょう。



5月4日(木:祝日) ご当主様の仕事始め? ──西村センセイ、実家近くの空き家を少しだけ整理する──

 今日は午後、帰省した娘とともに入院中の父親を見舞ってから実家へ移動しました。

 主な目的は田植えを終えて、こちらも実家に来ている弟夫婦やその娘と夕食を取ること。でもその前に、みんなで父親に頼まれた仕事に取り組みます。集落内、実家から500mほど離れた写真のお宅へ移動。
 持参した鍵で南京錠で解錠します。空き家なのです。

 ここは3月に亡くなった伯母の嫁ぎ先。

 伯母はこの家の次男と結婚。夫婦は親戚(伯母の姉夫婦)を頼りに大阪に出て材木問屋を経営し、財をなします。
 この家の長兄は上京して、公立学校の教員を校長として終えます。

 彼らには病身の父親(伯母にとっては義父)がいた──センセイは床に伏した姿しか記憶していない──のですが、それぞれ仕事を持つ身。
 兄弟には未婚の妹がおり、父親の世話を彼女に託します。

 20年くらい前に亡くなった「おばあちゃん」を含めて、現在ではもちろん全員が鬼籍(きせき)に入っています。
 しかし、家は残る。

 生涯結婚せず、従って子供がいなかった妹を除くと、兄弟には東京と大阪にその子供(センセイにとっての従兄弟/姉妹)がいます。
 次の世代にあたる彼から彼女らの何人かが今月末、伯母の納骨のため、この家に集まるのです。

 今までは、先祖が隠居してから9代目──その前から数えるともっと長い──の父親がこの家を管理していたのですが、彼はお伝えしたように入院中。退院後も障害が残り、力仕事は無理です。
 というわけで、10代目のセンセイにお仕事が回ってきたのです。

 伯母の義父が亡くなった後、この家は実家や拙宅と同様、宮大工の親戚によって建て替えられています。確かに腕は確か。でも、人が住まない家はどうしても傷みが進みがち。
 それでも、管理する人がいなくなった廃屋などよりずっとましなのですが。

 今日は最低限の整理に留めます。センセイの、ご当主様としてのほろ苦いデビューです。



5月3日(水:祝日) 幸いにも、退院日は決まったのだけど... ──患者の視点に立った医療や福祉は難しい──

 もちろんセンセイが入院したのではありません。

 3月末から自宅で飲酒後に骨折して、市内の総合病院に入院していた87歳の父の退院日が確定したのです。でもまず、ここに至るまでがけっこう大変。
 入院直後は情報が不足して、そもそも何が起きているのか、その全貌がわからない。

 結局、転倒して腰の骨(腸骨)を骨折したとのこと。女性、特に閉経後の高齢の方は骨密度が低下して骨粗鬆(こつそしょう)症になり、骨折しやすくなることは良く知られています。
 理由はわかりませんが、父も骨密度が低いとのこと。これまで圧迫骨折を経験しています。

 入院直後の情報では、ざっと治療──といっても安静にするだけ──に2週間、その後のリハビリに1週間の入院が必要とのこと。約3週間の入院ですが、気がつくと、入院からすでに4週間を経過しています。
 しかも残念ながら、程度はともかく障害は残り、元通りの身体にはならない。

 だからこそ「退院の時期が近づいたら、その後の件を含めて説明します」とのことだったのです。
 センセイはその場にいなかったので、正確な発言はわかりませんが。

 ...でも、ない。今だにその説明や説明の機会がないのです。にもかかわらず数日前、病院から家人に、意図を察しかねる電話があったとのこと。
 センセイは金沢にいるので、緊急時の連絡先を家人にしてあるのです。

 どうやら病床が埋まっているので退院して欲しいらしい──それを確かめたのに、はっきりとした回答を控えたとのこと──と察したため、急遽、関係者が今日病院に集まることに。
 また病院からの説明がないので、市と連絡を取ってもらい、介護関係の情報を集めます。

 すると障害の程度を認定するためには、申請から調査を経て結論が出るまでには30〜40日が必要とのこと。
 しかも居住地域や入院/退院にも関係しています。条件が変われば手続きを取り直す必要があるのです。

 家人によるとこの間の関係者一人ひとりの対応は丁寧だったとのこと。今日センセイが病院関係者と接した時も同じ印象を持ちました。彼ら彼女らの名誉のために確認しておきます。
 だけど、連携がまったく取れていない....。この国の官公庁その他の、しかも古いシステムでよく見られる現象です。

 絶句しそうな状況ですが、気を取り直して病院へ。父は元気なもの。痛みはあるそうですが、杖を使えばそれなりに歩けます。歩行器はいらないのではないかしら。
 担当者に確認すると、な、何と医師の退院許可は出ており、「本人の希望により留まっている」扱いとのこと。

 これにはこちらの落ち度もあって、昨日担当の看護師が父に「退院の日を家族と相談して決めてほしい」と伝えたそうなのですが、父によると「聞いていない」。
 相手は87歳の高齢。少なくとも明白な認知症は認められませんが。

 一人ひとりは大変良くやっていらっしゃるのだと思います。特に交代制とはいえ、24時間休みなしの勤務。しかし患者は退院後という別な時間軸と空間軸を持っています。
 完璧を求めるつもりはありませんが、この場ではそれを見渡す仕組みが実現されていないということなのです。

 このような状況ではどうしても疑心暗鬼や不要な物理的、精神的消耗が発生しがち。でも関係者の発言や行動を見ていると残念ながらその点への配慮は不足しがち。
 しかも時々、自身の保身を優先していると思われる場面も。先日の電話はその典型だったのでしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、病院の対応を責めているのではないのです(ただし褒められたものではないけど)。このようなミス・コミュニケーションはどこでも起こりやすい。
 もちろんセンセイらの場面でも、です。具体的な事例への言及は避けますが。

 要するに、まだ経験したことのない相手や立場で考えることがいかに難しいか。そしてその難しさを自覚することがいかに難しいか、ということです。



5月2日(火) これも「Macのやきもち」? ──自宅のG4 Cubeを本格的に整備しようしたら、大変なことに...──

 お伝えしているように、センセイ個人は今日から連休。

 といっても大学は平常の授業を行っているので、学生からの質問にメールで答えたり、関係者とやり取りしたり。これじゃ「ただ大学にいないだけ」状態。
 センセイも休暇で帰省している関係者に連絡をしているので、決して偉そうなことは言えません。

 論文2本を書こうと、2月から準備をしているのですが、日々の業務や雑事に追われてなかなか集中できない。だから連休こそ......なのですが、次々と仕事が飛び込んできます。
 でも学内の立場や、家族親族の事情を考えれば、為すべきことを為さねばならない。

 で、もう一つ連休中に片付けておきたいことが。旧Mac OSマシンの整備です。

 以前から気になっていたのですが、ついに先日、大学のG4 Cubeのファイル管理に致命的な障害が発覚しました。非常に深刻な状態だったため単体での復旧を断念し、ファイル救出後にSSDを初期化。
 自宅のマシンからシステムとファイルをコピーしています。

 現在では骨董品に属する旧Mac OSは、基本的にはこれでシステムの根幹部分を復旧できたのです。ただし「基本的には」ということは、細部ではまだ調整が必要だということ。

 実際、先週末に自宅で整備したシステムを大学で起動したところ、プリンタを認識できず、PDFファイルを作成できませんでした。前者はドライバを外しているためで、再インストールすれば問題ないはず。
 後者は少々やっかい。

 AdobeのAcrobatやATM(Adobe Type Manager)はコピーではインストールできない部分があるのです。他方、自宅のG4 Cubeも、2年くらい前からATMを用いた精密な印刷ができなくなっています。
 Wordなどを使えばそれなりに印刷できるので放っておいたのです。

 そこでこの機会に、まず必要なドライバを再インストールすることに。また現在ではもう使っていないアプリケーションを削除することにしました。

 かつては旧Mac OSで何から何までこなしていたため、不要なアプリケーションがたくさん残っているのです。
 しかも関連する機能拡張書類や初期設定ファイルも。

 今朝、病院から戻ってから、G4 Cubeを外部ディスクから起動。

 システムディスクからシステム全体を再インストールしようかと思ったのですが、クリーンインストールしたバックアップからシステムの中核をコピーします。
 要するに手抜き。

 でも通常、この手法が問題を起こしたことはないし、非常に健全なシステムをインストールできるはず......だったのです。
 再起動したのが写真。

 そのまま残した初期設定ファイルは何故か一切無視され、しかも何と日本語システムがロードされていません。
 2バイト文字である日本語が文字化けしていることはお分かりだと思いますが、実は1バイトのシステムフォントも正常に表示されていません。

 何度か試みたのですが、状況が一向に改善されないため、システムをほぼ元に戻すことにしました。もちろん、まるで何もなかったかのように、復旧。
 .....一体、何だったんだ。

 本当は作業を続けたかったのですが、自宅ではFireWire(IEEE 1394)接続でMac miniやMacBook Proを接続するとシステムがダウンしてしまうため、必要なディスクを使用できません。
 研究室では問題なかったため今回、ディスクは持参したものの、USB接続のディスクプレーヤーを持参していないのです。

 というわけで、作業は中断。続きは連休明けにします。よく考えてみると、数年前から旧Mac OSマシンをきちんと整備していませんでした。ついに駄々をこねたのでしょうか。
 う〜ん、これも「Macのやきもち」?

 ゴメンね。



5月1日(月) な、何と、新潟市西蒲区の角田浜交差点が、「ラウンドアバウト」に変身していた!!

 「3日間で一般道約900km」という長距離走行を終えて、新潟の自宅へ無事に到着しました。

 加齢が進んでいるので、事故を防止するために意識して余裕をもたせていることもありますが、正直なところ「やっと辿り着いた」という感じではありません。
 今日も途中でトイレ休憩を挟んでいます。

 しかし「トイレのついでに休憩する」のではなく、道の駅でトイレに立ち寄るだけ。すぐに運転を再開しています。昨日の8時間弱(約400km)も、今日の5時間強(約240km)もです。
 信じてもらえないんじゃないだろうか。

 ホントは昨日の友人のイベントを紹介するつもりだったのですが、お客が多くてかなりの混雑。バタバタしていて写真を1枚も撮影することができませんでした。
 というか、お土産を手にして会場を訪れたのは良いけれど、カメラを忘れていた......。(絶句)

 というわけで、昨日ギャラリーを訪問した途中に出くわしたまったく予想していないものを。それが写真の「ラウンドアバウト」。交差点の一形態「環状交差点」で、ヨーロッパなど外国でよく見られるものです。
 ちなみに、“YES”──知らない人は調べてね──の有名な曲を思い出した人はセンセイと同年代。

 場所は国道402号線と県道46号線の交差点。新潟市のサイトでも紹介されていますが、実態はほぼ三叉路。
 確かに、以前から運転に注意を払わなければならない場所だったのです。

 センセイを含めて日本人は信号機のある/ない交差点をイメージしますが、その場合、複数の移動物体(車や人、自転車など)が出くわすと、どれか(/誰か)に一時停止が求められます。
 つまり、どこかで流れを遮
(さえぎ)ってしまうのです。

 ラウンドアバウトは違います。皆が同一方向──日本やイギリスは時計回り──に動きながら、全体の動きを調整しようとするのです。
 右に曲がろうと思ったら、右ではなく、逆の左にハンドルを切り、ぐるっと回ってから左に抜ける。

 スピードを落とさざるを得ないので、安全性が高まるとか、停電して信号機が動かなくなっても何とかなるなどメリットも多い。
 ただし慣れていない人には、緊張を強いられます。

 抜ける場所を間違えると、とんでもないことになります。センセイ個人は2002年にイギリスを訪れた際、イングランドをレンタカーで運転していた際に何度も出くわしました。
 イギリスの田舎ではごく普通に存在するのです。

 幸い出口を間違えたことはないのですが、緊張を強いられることもまた事実。高齢の運転者も多いこの場所で、果たしてラウンドアバウトが定着するのか。

 今日は、ラウンドアバウトを経験したセンセイがに出くわして、ギョッとしたという事実確認に留めておきます。



4月30日(日) 西村センセイ、3日間で一般道約900kmを走破する(ただし、予定)

 いよいよ連休本番。

 曜日まわりの関係で、多くの方は5月3日から7日までの5連休。でも明日、明後日を休日にできれば最大9連休となります。実はセンセイも、恵まれたその一人.......のはずだったのです。
 残念ながら、過去形。

 昨年、金沢工大の入試部長を仰せつかってからは激務が続き、日曜出勤もしばしば。もちろん代休は頂戴しているのですが、労働者の権利である年次有給休暇は1日も取得できませんでした。
 今年は父親の入院や伯母の納骨など、実家での所用もあります。

 金沢工大、明日5月1日(月)は通常通り月曜の授業を実施しますが、2日は講義回数調整のため火曜日なのに金曜日の授業。たまたま今学期のセンセイは両日の講義がない。
 そこで先日のオープンキャンパスの代休と有給休暇を頂戴することにしたのです。

 手続きを終えてすっかりその気でいた先日、法人の上層部から電話がかかってきて、「打合せをするから...」。トホホ。人事課に赴いて休日返上の手続きを取ります。
 お伝えしたように昨日は実家での所用を片づけます。

 本当は平日の月曜日に旧友が開くイベント、新潟市西蒲(にしかん)区の「ぎゃらりー 浜つばき」(Facebook)で昨4月29日から明日5月1日まで「手作りアンプとスピーカーで音楽を楽しむ会」にお邪魔させていただくつもりだったのです。
 でも今日中に金沢へ移動する必要があります。

 というわけで今朝はとにかく金沢とは逆方向の新潟市へ。イベントは盛況で、車を駐車するのが難しいくらいでした。
 それもあって、手短に挨拶しただけで自宅へ戻ります。

 途中、信号待ちをしている時に撮影したのが写真。金沢では先週から田植えが始まっているのですが、新潟でも連休を利用して作業を終わらせるようです。
 背後は弥彦山(634m)の一部ですが、針葉樹の青い緑色と広葉樹の若草色が存在を主張しあっています。所々には山桜。

 自宅で少し休息する予定にしていたのですが、何も問題はなかったため、そのため金沢へ向けて出発します。最初はもちろん一般道。
 連休なので交通量は多い。他県ナンバーも目立ちます。

 長野、松本、富山ナンバーは不思議に思わないのですが、「つくば」あるいは「富士山」、「三河」、「三重」などあまり目にしない地域も。
 今日はなぜか、奈良ナンバーを特にたくさん目にしました。

 自宅に戻った段階で約150kmを走行。金沢までは一般道で250km弱。今日の走行距離は約400km。明日は上層部との打合せを終えたら自宅へ戻るつもりなので、実家への移動を含めると、明日までの3日間で900kmくらい運転することになります。
 だから疲れたら高速道路に乗るつもりだったのです......が、やはり「その気」になれない。

 一般道が混雑しているだけでなく、高速も混雑しているらしい。「渋滞約13km」の表示に滅入ったためでもありますが、BMWはやはり一般道を普通に運転しているだけで楽しい。
 「走る、曲がる、止まる」。それだけ。

 車から降りてロックする時、どこか「まだ乗っていたい」と思わせる力を持っています。少なくともセンセイの場合、国産車にそれを感じたことはありません。
 もちろん明日も、安全第一で自宅へ無事に戻ろうと思います。

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