2016年9月3日更新(2016年9月12日ページ移動。2018年11月24日一部写真削除)
■9月3日(土) ドライブレコーダーは、見た ──高速道路を逆走する軽自動車とすれ違いました──
今日は土曜日。しかも誰もが働き過ぎの金沢工大なので、今日は全学一斉休業。
でもセンセイは金沢に留まり、背広にネクタイ姿で出勤します。大学院の、割と大きな入学試験が実施されるのです。学内のあちこちに、スーツ姿の4年生の姿が。
で、センセイの唯一の任務はというと、お留守番。何があろうとなかろうと──幸いにも問題は何も起こらなかった──本部にいて、お昼になったらお弁当を食べるのが仕事なのです。一部の面接が予定より長引いて、午後4時半に全日程を終了。
8時前後に帰宅すると伝えてあるので、今日はあまり好きではない高速道路(北陸自動車道)を利用することに。全区間高速道路に乗ることは滅多にないので、この機会に燃費を測定することにします。速度制限のない区間は100km/hちょうどで、県境や山間部は制限速度の80km/hを守って走行します。
最初と最後の一般道を含めた全区間平均速度は82.5km/h。肝心の平均燃費は21.8km/L。ほぼ無風で、外気温は28℃から33℃。出発直後を除き、エアコンは弱い状態でずっと稼働させた状態での記録です。
この間、ずっと瞬間燃費計を見ていたのですが、100km/hだと21km/L弱。80km/hだと約24km/Lでした。富山を過ぎると交通量が少なくなるので、飛ばす車が増えてきます。ベンツやBMW、アウディだけでなく、軽自動車すらセンセイの車を抜いていきますが、全然気にしない。
そもそも最近のセンセイは、交通の邪魔にならない限り、高速道路上でも80km/hでしか走行しないのです。ただし新潟県内に入ってからかなり強い眠気を感じるようになりました。暗いし、単調なトンネル区間が連続するし。
「身の危険を...」というほどではなかったのですが念のため、糸魚川市の蓮台寺S.A.で自販機のコーヒーを飲みます。
眠気はすっかり去ったので、再び北陸自動車道下り車線へ。並行する一般道国道8号線との位置関係を確かめながら鬼伏トンネルを走行していると、センセイの右側を黒いアルト(写真左奥)が抜いていきました。
ほぼ同時に、トンネルを抜けた場所に対向車のライトが。もちろん最初は、少し離れた上り車線の車だと思ったのです。でも、位置関係がおかしい。
次の瞬間、アルトが方向指示器を出して──出しただけ、偉い──左側の走行車線、つまりセンセイの前へ急に車線変更。
もう、おわかりですよね。写真右側の車が逆走しているのです。さて、どうしよう。
実際には一瞬だったのでしょうが、いろいろ考えました。ナンバーは黄色、車体は銀色系のように見えます。トンネルの照明はナトリウムランプなので、正確なことはわかりませんが。
パッシングするなどの選択肢もあったのです。でもここは、相手を刺激しない方が良い、と判断しました。その後は、スローモーション映像を居間でくつろぎながら見るかのように、すべてが流れていきます。
再び、どうしよう......。前のアルト──実際は頭が真っ白になっていたに違いない──を含めて、前後の車は何事もなかったかのように走行しています。ただし逆走車が存在することもまた、事実。
安全な場所に車を停車させ、110番通報します。他の、より適切な通報先があったのかもしれませんが。年輩の男性の声で「(新潟)県警本部です」。110番って、新潟県庁脇の本部に繋るんだぁ。
「録音されているし、電話番号はバレバレだし...」と思いながらも、上記事項を冷静に説明します。「表示を出します」とのこと。高速道路上の電光掲示板を指しているようです。
どうやら、少なくとも県警本部には誰も通報していないらしい。運転中に電話するわけにもいかないから、ま、いっかー。
■9月2日(金) バリウム服用後は散歩が効果的?! ──高橋川沿いは、ヨーロッパ諸都市での生活に似ているかも──
西村センセイ、今日の午前中にバリウムを服用したX線胃ガン検診が割り当てられています。
本当は同級生の開業医に胃の内視鏡検査をしてもらおうと思っていた──彼はカメラの扱いが上手い──のですが、バタバタしていてチャンスを逸してしまいました。
検査日を変更してもらうこともできるのですが、結局、指示通りに受診することにします。昨晩から何も飲食せず、今朝は早めにご出勤。検診の受付は8時半ですが、多くの人が早い時間帯を狙うので、センセイは受付限度の10時半近くになってから検診会場へ向かいます。
もちろんほとんど待つことなく検査していただいたのですが、どうやらセンセイは最後だったらしい。検査が終了するとバリウムを排出させるための下剤を頂き、すぐに水を数杯飲むように指示されます。身一つで来たので、ひとまず研究室に戻り、指示に従います。
さて、どうしよう。ご存じのように検査は、バリウムと発泡剤を服用して、胃が膨らんだ状態で何枚か写真を撮影します。何も食べていないのに、胃袋だけはパンパン。
水分も不足気味。迷った末、ちょっと早いのですが、外で朝食兼昼食を取ることにしました。水分不足を考えると、うどんを食べたい。
というわけで、ちょっと離れた「はなまるうどん」へ行くことにしました。たぶん数ヶ月ぶり。校門を出たところで、ふと、大学脇を流れる高橋川沿いに行くことにしました。大学の周囲は知っていますが、その先は未踏。
しかもうどん店のすぐ近くに出ることは確実。写真は「はなまるうどん」の裏から大学を振り返っているところ。右奥に大学のライブラリーセンター(図書館棟)が見えます。
このあたりまでは川は直線に整備されていますが、これより上流は曲がりくねっていて、上手く撮影できません。いつもは幹線道路やその脇の生活道路を使うのですが、川沿いのこの道はまったく表情が異なります。人々の生活そのもの。
猫の額ほどの空き地を畑にしていたり。イメージとしてはヨーロッパの都市の、ブロックの内側にある共有地──たぶん──に近い。12年も近くに住んでいたのに、まったく気づきませんでした。
再び、反省。ところで「はなまるうどん」で冷たいうどんを食べたためか、ご縁のない散歩(?)で大腸が刺激されたためか、今日は下剤服用後わずか2時間で厳しい状況に陥りました。
いつもなら1日、短くても半日はかかるのに。最後は下ネタで、すみません。
■9月1日(木) 熱心な、その理由 ──MacBook Pro Retina上でMac
OS 9が稼働するようになりました──
お伝えしたようにセンセイは約1ヶ月前、難産(こちらやこちら)の末、Macシステム上のWindows──ややこしい──をWindows 10に更新しました。(一部機種を除く)
タッチパネルなどないセンセイの環境では、とても使いやすいとは思えないWindows 10ですが、今後を考えると仕方ない。その際、一番悩んだのが主力機、MacBook Pro(13")。いつも使っているだけでなく、20年以上前からの、そして公私に渡るほぼすべてのデータを管理する重責を粛々と担ってきたのです。
センセイの溢れる愛情で、SSD化したほど。しかし残念ながら、5年前に購入したモデルなので、どうやってもWindows 10には対応しません。そこで、いろいろ考えた末、新しいノート機を購入することにしました。
しかしこれがまた、難しい。普通なら、その時点での最新、最速の機種を購入すれば良いのです。結論からすると、今回もその選択。ただしMacBook Proはおそらく来週、遅くとも来春までに新モデルが発表、発売されると予測されています。
まぁ、こちらはWindows 10の無料提供に間に合わなくても、実費で購入すれば良いのです。本質的な問題は、別な所にあります。新モデルは、キーボードのインターフェースが更新され、キーボードの差異を吸収するソフトを使用できないと予想されるのです。
これは、毎日何時間も使っているセンセイとしては耐え難い事態。そこで約1ヶ月前、現行MacBook Pro(Retina Display)の最上位カスタマイズモデルを購入しました。ラーメンで言うなら、「メガ盛り」ですね。こちらの写真(2枚目)の右端に、少し見えているのがそれ。
確かに薄く、軽い。画面は狭いけれど、2560×1600ピクセルという広大なデスクトップ。画面は非常に綺麗です。
ただしそれ故、解像度の設定は難しく、設定に苦労させられます。キーボードのストロークも浅く、感触は良くありません。また大した問題ではありませんが、部品配置を変更したためか、液晶下部に“MacBook Pro”の記載はありません。
でも、長い目で見たら、このマシンとお付き合いするしかない。本当はもっと早くご紹介する予定だったのですが、遅れたのには訳があります。残念ながら、「使えなかった」のです。
最大の理由はキーボード。予想に反して、昨年度のこのモデルからキーボードのインターフェースが変更されていました。頼りにしていたソフトウェアが使えない。
調べてみると、これはソフト会社の問題ではなく、すでに告知されていたこと。それを十分確認していなかったセンセイのミスです。詰めの甘さが、ここにも良く表れています。
Retina Displayの解像度設定にも困りました。OSやソフトによって解像度がまったく異なるのです。それでも1ヶ月かけて、何とか妥協できるレベルに達しましたが。
そしてもう一つ。もしかするとこれが最大の問題かもしれませんが、Mac OS 9環境を実現する“SheepShaver”というフリーウェアが起動しなかったのです。
今までは多少の修正で何とかなっていたのに。ポイントはOSのbit幅。これまでの、そして“Fusion”上のWindows OSは32bitだったのですが、このマシンは64bit。
起動に必要な一部のソフトがまったく使用できなかったのです。Mac側の“Fusion”上、Windows7/10ではすでに“SheepShaver”が使用可能になっています。(32bitなので)
それで妥協しようかと考え始めていたのですが、今日、これが最後と思って、いろいろ情報を収集。その結果、何と、64bitネイティブマシン上で、“SheepShaver”の成功に起動しました。やれば、できるじゃん!!
センセイはデスクトップをわざとグレー1色にしているのでわかりにくいと思いますが、画面全体はwindows 10のネイティブマシンで、中央部がMac OS 9。
右上にボリュームが二つ見えますが、上は仮想Mac OS 9マシン。その下はというと、実在のボリュームを全部集めたもので、windows 10にもMac OS Xにも、そしてマウントされた仮想および実在のディスクにもアクセスできます。
逆に言うと、仮想Mac OSマシンから母艦であるWindows/Macマシンを破壊することすら可能。もちろん、そんなことはしませんが。センセイにとしては、他の仕事への取り組みを含めて、良く頑張った1日。
一つには、学会や、年度後半の学期「後学期」が迫っており、その準備を終えなければならないという大義名分があるのです。他方、現実逃避という側面も認めざるを得ない。
白状すると、遅くとも小学生の頃から続いています。この歳になるともう、センセイはそのようなもの、として受け入れるしかないようです。
■8月31日(水) 颱風一過 ──季節がまた一つ、進みました──
一晩だけ自宅に戻った昨日は、急いで所用を済ませて、颱風の具合を気にしながら午前中に出発。
富山県東部まで非常に不安定な天気が続き、フォグランプはおろか、ライトを全部点灯して走行しないといけない場面も。その時点で颱風は日本の東側。
気圧勾配に沿って、強い北西風が吹きます。西に向かうセンセイにとっては向かい風なので、いつもと同じ安全運転にもかかわらず、燃費が約1km/L程度低下した状態で金沢到着。
雨で路面が悪かった影響もあると思います。されど燃費の低下なんて、颱風で命を落としたり、被害を受けた方々の思いと苦労には比較になりません。
ちなみにセンセイは、何度かお伝えした地震だけでなく、1995年7月11日の大雨でも大きな被害を受けています。本当は大学へ「出勤」するつもりだったのですが、気持ちが萎えてしまったので昨日はそのままアパートに。
今朝は気を取り直して、自転車で出かけます。朝はまだ風が強い。アパートの前は田圃なのですが、収穫間近のコシヒカリが、渦を巻いて倒れています。
稲が寝ていると、刈り取る時はとても大変。まるで颱風になぎ倒されたかのようですが、実際にはそれほど簡単ではありません。写真の奥の稲は、まるで何事もなかったかのように直立しています。茎の長さや生育時の温度などたくさんの要因が関係しているのです。
しかし強風が大きな影響を与えたこともまた、事実。お米も、空の青さも、それを見守る人間も少しずつ、しかし確実に季節を進めていきます。
■8月30日(火) これらの後始末は、誰が?! ──CDおよびBD、DVD用のラックが届きました──
昨晩自宅に戻ると発注していた12cmディスク、つまりCD、BD、DVD類用のラックが届いていました。
今回購入したのは、朝日木材加工製のオーディオラック“Solid Series”、その「CDソフトBOX」(SD-CD1BN)という製品です。
左後ろの扉の幅が約90cmですから、かなりの大きさです。
本当は1、2個購入して、具合が良ければ追加するつもりでした。でも、最初に見たジョーシンのサイトでは「お一人様1個限定」との制限が。
しかも製造完了という未確認情報があったので、1個余裕を見て3個購入。実際の購入先はアマゾン経由のジョーシンです。何故かこちらは数量制限がありませんでした。
状況を改めてご説明しますが、自宅書斎のAVシステムを収めているラックは、25年前に購入したもの。
非常にしっかりした造りで、現在はこのクラスのものは製造されていません。ディスクおよびテープ両方の収納を選択できたのですが、当時のセンセイはテープが主体だったので、それに合わせて収納部分を購入。
しかしその後、ソフトの大半はテープから12cmディスクへ移行。テープ用の収納部分は底が浅いので、12cmディスクやVHS、βテープを収めることができないのです。
センセイの不明を良く表しています。いろいろ考えたのですが、結果的には自宅書斎の作りつけの書棚の一部に、このラックを挿入して縦に細く2分割することにしました。
仮に収納してみたのが写真。実際に使ってみると、やはり予想していなかったことが。ラックの上下にディスクを収納するつもりだったのですが、そもそも書棚の場所によって幅に差が。
基本的にはA4に合わせてセンセイが設計したのですが、机の高さと揃える必要があったりして、そうでない部分もあるのです(忘れてましたけど)。写真上の部分では、購入したラックの上部に余裕が少なく、大半は収まるものの、一部は収納不可。
センセイの詰めの甘さを良く表しています。書棚下段は、各種の記録など、ふだんあまり使わないディスクを収めようと考えています。こちらは天地に余裕があるので、購入したラックの上下に問題なくディスクが入ります。しかもラックの手前にもディスクを置くことが可能。
つまり単純に並べた時の、3倍ものディスクを管理できるのです。細かいところではいろいろミスもありましたが、まぁ、何とかなったかな、というのが正直なところ。ただし問題の本質はきっと、別な場所に。後始末は、誰がするんだぁ?!
でもあの日から今日でちょうど50年。まさに半世紀です。次の世代を信じることにしましょう。
■8月29日(月) キャンパス北東の別な門は、スクールバス専用進入口として使用されることに
今日はタイトル通り、そして見たままの話題。
センセイが関係する学会は一部を除き、普通は土日に開かれます。だから全プログラムを終えると、新潟の自宅に戻るのが普通。実際、昨日も帰宅可能だったのです。
でも今回は月曜日、つまり今日の午前中に立場上の会議があります。そこでひとまず、遅い新幹線で金沢に戻り──この時点で出張は完了──今日の会議に出席。明日休暇を頂戴する手続きを取り、今日の夕方から明日午前中にかけて自宅へ戻ります。
ふと、出入口の工事が続いていた場所が気になってきました。オートバイの駐輪場へ続く出入り口になると予想していたのですが、残念ながら外れ。この場所、通勤経路から外れている。訪れてみると、おぉ、工事は完了しており、ご覧のようなゲートができていました。
カラーコーンが置かれているので、まだ供用は開始されていないようです。最初は許可された人だけが通過できるカード式のゲートかな、と思ったのです。キャンパス内の別な場所にあるような。
でも読み取り装置のようなものは見当たりません。それに普通自動車が出入りするには広すぎます。出入りを同時にコントロールするような構造になっていないのです。
改めて周囲を見渡すと、写真左奥に「バス専用進入口」の掲示が。なるほど。金沢工大はここ「扇が丘キャンパス」だけでなく、いくつかのキャンパスから構成されています。
特に、隣接する白山市にある「やつかほリサーチキャンパス」はかなりの規模で、多くの4年生が卒業研究に取り組んでいます。ちょっと離れた場所にあるので、学生および教職員用にシャトルバスを運行しているのですが、バス停は、写真奥の二つの建物の間にあるのです。
今までは別な門から、学生の自転車やバイクの合間を縫うように進入していたのですが、専用の入口を設置したんですね。ゲートの右脇には、歩行者用の出入り口が設置されています。今まで、この近くにある心理科学研究所やスーパーなどへ行こうとすると、遠回りする必要がありました。
だからこれは、個人的にはとても便利。でも、バイクの駐輪場は、どうするんだろう......。
■8月28日(日) ナシテ?! 山手線駒込駅を降りたら、「駒込駅」じゃなかった...
お伝えしたように昨日はお昼休みを利用して、荷物を駒込駅近くのホテルに預けたのですが......何か、変。
ホテルを予約した後、夕ご飯となるスーパーの所在地を確かめるべく、ネット上の地図で駒込駅付近を見たのですが、記憶とまったく異なります。
何故だろう。駒込には親戚が住んでいて、何度か何度か泊めてもらったことがあります。今なら高校生でもホテルを利用するのでしょうが、当時、田舎の人間にとっては、それが親戚づきあい。
ごく普通のことだったのです。でも忙しかったし、JR系のホテルなので駅に隣接していることは確かだったので、その時は深追いしませんでした。
で、駅前に立ってみると、ここはどこ?!記憶の中の「駒込駅」ではありません。
出口を間違えたのかと思って、親戚宅の方へ歩き始めたのですが、かなり急な坂を下ります。東京は坂の街なのです。
でももちろん、こんな坂を上り下りなんかしていません。ここでやっと、いつも利用していたのが駒込ではなく、隣の巣鴨駅だったことに気づきました。
親戚の住所は駒込なのですが、駅は巣鴨の方が近いのです。トボトボと急な坂を上ります。悲しかったので、駒込駅までの帰路は往路とは違う道を。
駅前に小さな公園があり、そこにはこの「染井吉野櫻発祥の里 駒込」という碑が。それによると江戸時代、駒込の一部は「染井」と呼ばれ、隣の巣鴨とともに花卉(かき)・植木の一大生産地だったこと、そしてその中でも、ここで誕生した「ソメイヨシノ」はこの地の名前を付けられ世界を代表する桜の品種となったことが記されていました。
ソメイヨシノの由来については知っていましたが、それがこの地だとは知りませんでした。ここから親戚宅まで、逆方向から辿ることもできたのでしょうが、センセイは公務出張中。
本務が最優先なので、そのまま東洋大学へ戻りました。でも、ソメイヨシノの秘密(?)を知って、少しほんわかした気持ちになっていたこともまた、確かです。