2019年5月4日更新(2019年5月12日ページ移動)
■5月4日(土:祝日) 金沢へ移動する前に、市内にある「浜千鳥」の歌碑を数十年ぶりに訪れました
きっかけは、数日前のBS放送(民放)。
テレビチューナーの電源──センセイの書斎に「テレビ」は存在しない──を入れたのですが、Eテレ以外の全局が同内容。でも、BSに切り替えると...あれっ?!
壊滅状態の地上波とは対照的に、BSは各局マイペースな放送。その中のある局が合唱曲を放送していました。女声合唱だったのですが、皆がステージ用の華麗の、そして色とりどりの衣装。でもポイントは、彼女たちが唱っていた曲。
童謡だったのです。曲名は「浜千鳥」。作詞は鹿島鳴秋(めいしゅう)、作曲は弘田龍太郎。後者は童謡を多数作曲していることで知られています。たとえ曲名に覚えがなくても、「青い月夜の浜辺には...」は、多くの方がご存じのはず。
実はこの歌詞、当地で書かれたのです。作詞者鹿島鳴秋(1891─1954)は不遇の生涯を送るのですが、それでも一時期は生活に余裕ができ、大正8(1919)年の6月頃、柏崎に住む知り合いを訪れます。その際、市街地近くの海岸から少し西にある番神(ばんじん)まで散歩した時の印象を詩にしたのが「浜千鳥」。
このようなご縁で昭和36(1961)年、柏崎市の海岸公園に「浜千鳥」の歌碑が設置されます。鳴秋本人は逝去していたので、除幕式には未亡人が招かれました。通っていた高校のすぐ裏なので、センセイらはしばしば訪れていましたが、当時は、歌詞の意味を深く考えようとはしませんでした。
それが叶(かな)わない精神年齢だったのです。その後、この地区は整備し直されます。他方、センセイは新潟市内から東京都内、そして再び新潟市内と居住地を変えました。この間に歌碑は移設。
白状すると、個人的には碑がどこにあるのかわからなくなっていました。確認してみると歌碑は廃棄されたわけではなく、現在の「みなとまち海浜公園」内に移設。名称が変わっただけで、ほぼ同じ場所です。
というわけで、お昼に自転車で外出したついでに歌碑へ。歌碑は昔のように海の近くだと思っていたのですが実際には、幹線道路の近くにありました。何回かこの場所を通過しているのですが、自動車を運転していたためか、歌碑を認識していませんでした。
見ているようで、視ていないものだ。改めて撮影したのが、写真。4番までの作詞者自筆の歌詞が、銅板として填め込まれています。かつて碑面は海側を向いていました。しかし現在は南側、つまり陸地側を向いており、歌碑の向こうには日本海が広がっています。
連休はあと2日。仕事が溜まっているので、センセイは東京へ戻る娘を駅に送り届けてから金沢へ移動する予定です。
■5月3日(金:祝日) う〜ん、血圧が上昇してしまう... ──Mac mini(2018)を、Mac/Windows
OS両方で整備しました──
昨日、連休最大の仕事を乗り切ったので、気分はちょっと楽に。
午前中は外回りの用事に充て、少し休んでから午後は、気になりながらも、そのままにしていた仕事に取りかかりました。Mac mini(2018)の整備。大学ではセキュリティ上の問題か、インストールできない部分があるのです。
週末には自宅へ持ち帰るようにしていたのですが、滞在時間が短すぎてインストールできない。それでも同時期に購入したMacBook Pro(2018)は基本的な設定だけですが、自宅でWindows OSや主要ソフトをインストールしたのです。通常ならば「この勢いでMac miniも...」といきたいところですが、ここでトラブル(?)発生。
MacBook Pro(2018)、単体ではインターネット網に問題なく接続できるのですが、自宅および大学でのセンセイのシステムに繋がらない。ナシテ?!残念ながら、この問題は現在も解決していません。
このトラブルの影響をモロに受けて、Mac mini(2018)はシステムのソフトが整備できないまま現在に至りました。というわけで、当該機を自宅のMac miniの上に仮設してインストール開始。黒い線は電源ケーブルです。
以前ご紹介した写真ではグレーに見えますが、実際はこのように真っ黒に近い。作業を始めて初めて知ったのですが、Mac mini(2018)はMac側すら整備されていませんでした。最低限のインストールをしたつもりだったのですが...。
それほど忙しかったということなのでしょう。MacBook Pro(2018)で苦労したので、どうなるかと心配したのですが、作業そのものはあっさりと完了。ちょっと拍子抜けという感じ。ただし時間はかなりかかりました。
またMac/Windowsの二股をかけているので、注意すべき点も多い。作業完了後に血圧を測定したら、かなり高めでした。
その甲斐あってか、Mac mini(2018)はネットワークの問題もありません。今後は金沢で再度整備して、研究室でメインマシンとして使用している私物のMac mini(SSD)と置き換える予定です。
仕事のために私物を使用するのは、あまり好ましいことではないので。う〜ん、それにしてもMacBook Pro(2018)、このままだとその存在意義すら怪しくなってしまいそう...。
■5月2日(木:休日) 二度目の、名誉の負傷 ──37年前に製作した「ガリレオの望遠鏡」の一部が壊れてしまいました──
今日の西村センセイは珍しく、帰省している娘を含めた一家で新潟市南部へ外出。ただしこちらは写真を撮影していないので、省略。
というわけで時間を少し遡り、週末の放送大学石川学習センターでの面接授業のお話を。実はタイトルにある通り──そして写真にある通り──のトラブルが発生したのです。最近では二度目(修理完了)となる名誉の負傷。
ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、センセイの専門は教育学と科学史。もっとも、センセイにとっては同じ内容の異なる側面にしか過ぎないのですが。で、今回の面接授業は、社会人対象の科学史。
なかなか理解しにくい内容なので視聴覚資料に加えて、自作の各種装置、あるいはカーテンレールとゴルフボールなど身の回りにある物による再現実験を利用します。その中の一つが「ガリレオの望遠鏡」。
望遠鏡そのものはガリレオ・ガリレイの発明ではありません。彼はその話を聞きつけて1609年末、後に「ガリレオ式/地上型」と呼ばれることになる望遠鏡を製作し、翌年年初にかけて初めての天体観測を行います。いわば人間の視力を拡大した望遠鏡が映し出したのは、まったくの未知の世界。
彼はその内容を急いで『星界の報告』(Sidereus Nuncius)としてまとめます。この小冊子は結果的に、それまでの世界観を一変させます。現代ならば確実にノーベル賞もの。それ自体は間違いではなく、適切に評価すべきなのですが、『星界の報告』を読み込むと意外にも、ガリレオが肝心の理論を理解していないことがわかります。
同時代のライバルであるヨハネス・ケプラーとは対照的。センセイは学部学生時代のゼミでそれに気づき、後に師匠となる教授の薦めにより、ガリレオの望遠鏡を再現し、その事実を論文としてまとめることになります。
世界初の発見。(ホントに)そして、センセイが道を誤って(?)学者になってしまうターニング・ポイントです。
ガリレオは鉛の筒で望遠鏡を製作しましたが、センセイは木と竹の国の人間なので、準備を整えた上、バルサ剤を使って一晩で製作しました。筒内の乱射を防ぐため、内部はつや消し黒色塗装。
電子機器を何回か改造した件を含めて、その頃のセンセイは、現在のぐうたらなセンセイとは別人だったのでしょう。センセイが製作した望遠鏡は二つあるレンズの前後に一種のフィルターを置き、接眼レンズの後のカメラで視界を撮影するようになっています。
言い換えると、人間が観測するように造られていない。でも望遠鏡はその後、社会人対象の講義などで多くの方に実際に覗いていただくことになります。読者の皆さんがイメージするであろう視界と、実際に見えるものは相当異なります。
今回も受講生に驚いていただいたのですが、「ガチャ...」。説明のため、センセイが不用意に触ったところ、接眼レンズ部分が1cm落下し、鏡筒とレンズを接続していたアルミ製の部品(左側)とレンズが分離してしまいました。もともと肉眼観測用に製作したわけではなく、材質が異なる両者を接着しただけなのです。
センセイがこの望遠鏡を製作してから37年。もちろん修理して使い続けます。この望遠鏡を覗いてみたいという人がいる限り。そしてこの時代、間違いを恐れずに自分の頭で考えたいという人がいる限り。
何しろ、一般の人が利用できるものとしては、たぶん国内唯一なので...。
■5月1日(水:休日) これからの中山間地のあるべき姿かも... ──「道の駅 瀬替えの郷せんだ」を訪れました──
時間的には、昨日の続き。
実家あるいは自宅から十日町市へ向かうためには、それなりの山間部を走行します。東日本は北米プレートに載っており、太平洋プレートから常に圧力を受けています。そのため、山々はたいてい、北東から南西へ連なっています。
でしょ?でも実際の地質構造や加わる力は単純ではないので、その山並みは北西から南東方向に細切れにされ、ズレを生じています。その最も低い場所、山々の間を縫うように河川が形成されます。信濃川はその典型。
今回は鯖石(さばいし)川、渋海(しぶみ)川、そして十日町市街地の直前で信濃川を渡ります。つまり、その間にある峠を2回越えることになります。現在は頂上部に長いトンネルが造られており、簡単に通過できるですが、2、30年前までは、険しい山を上り下りしていました。しかも、冬季は数mの雪が積もる場所。
現在でも「こんな場所に?」と思う所に集落。でもお察しの通り、過疎化が急激に進行し、廃集落も続出しています。
帰りに立ち寄った「道の駅 瀬替え(せがえ)の郷せんだ」がある十日町市仙田地域(旧仙田村→旧川西町→十日町市)も同様。「瀬替え」というのは人力による河川改修のこと。渋海川はこの地域で激しく蛇行しています。
それを直線的な流れに変え、元の流路を新田に変えたのです。しかし先人が苦労して開拓したこの地域も、過疎化の荒波が襲います。10年前、郡部での経済活動の要であるJAの支所と、JAが運営するスーパー「Aコープ」すら撤退したほど。
高齢者にとっては廃集落どころか、廃村を言い渡されたようなものです。危機的な状況に当時の若者──と言っても、現在のセンセイと同世代──が議論を重ねて、「株式会社 あいポート仙田」を組織し、農作業受託から屋根の雪降ろしなどを始めます。
「道の駅 瀬替えの郷せんだ」の管理運営もその一つ。地域住民のために施設を改良し、ミニスーパーを設置。主に観光客対象で、地元農産品を販売しています。今まで住民だけで交換し、余ったものを廃棄していた農作物が商品に替わったのです。
売り場を良く見ると、住民のための肉のパックなども。コンセプトはおそらく、これまでの資本の論理に隷属(れいぞく)するのではなく、自分たちにとっての価値を再考し、物やサービスの流れを身の丈レベルに合わせること。
そして何より、お互いに助け合う。特に社会的弱者である高齢者を支援する。彼らの取り組みは「過疎地域自立活性化優良事例・総務大臣賞」を受賞し、地元紙でも集中的に取り上げられるなど、現在、全国的にも注目を集めています。
西村センセイ、年に1回くらいは「道の駅 瀬替えの郷せんだ」の前を通過しており、その存在は意識していたのですが、これらについてはまったく知りませんでした。不明を恥じ入るばかり。
「道の駅 瀬替えの郷せんだ」が示すのは、これからの中山間地域があるべき姿の一つなのかもしれません。
■4月30日(火:休日) 豪雪で知られる十日町市、その山間部にあるお宅を弔問しました
西村センセイ、金沢での仕事が片づいていないため、昨日はある程度働いて、夕方に帰宅。親戚関係を含めて、いくつかの比較的簡単な用件を片付けます。
今朝は手早く朝食を済ませると、金沢から持参した喪服に着替えます。新潟に戻ったセンセイの、最初の仕事は弔問(ちょうもん)。義妹(すぐ下の弟の連れ合い)のお母様が、昨週亡くなられたのです。
享年(数え年)92歳。一昨日の葬儀で、今日は初七日。だから正確に言うと「弔問」ではないのかもしれないけど。
葬儀の日、センセイは仕事。一番下の弟も都合がつかず、誰も、移動手段を持たない実家の両親を葬儀その他に連れて行くことができませんでした。そこで今日、センセイが両親とともに義妹の実家を訪れたのです。
弟が住んでいるのは新潟県十日町(とおかまち)市。義妹の一族は市内を中心に住んでいます。弟は名字こそ西村姓ですが、婿養子のようなもの。実家は十日町市内。それもかなりの山間部にあります。
義妹のお父様が7年に前に亡くなられたのですが、西村センセイ、その時は「地図を読み誤っているんじゃないか」とか、「本当にこんな場所に人が住んでいるんだろうか」と疑いながら、ご実家を目指しました。
道路が工事中だったこともあり、仮橋を渡り、ものすごい傾斜の道路を登坂。結論から言うと、その時のセンセイの地図読解は正確でした。道路改良が終了していることもあり、今回、経路を間違えることはありません。ただし、「こんなに急な坂...」は相変わらず。
センセイの技量では、降雪時は絶対に運転できない。記憶通りの場所──当たり前か──に実家があり、弔問を済ませます。
写真はお別れする前に周辺を散策する父と、亡くなられたお母様の孫と曾孫。奥には銅板葺きの神社。遺跡調査で銅鏡が発掘されるなど、当地は相当な歴史を有します。
専門家によると新田義貞の末裔、とのこと。左奥に、残雪が見えます。雪深いことで知られる十日町市の市街地は無雪。新潟県は今シーズン、全体としては記録的な少雪だったのです。
十日町の軒下ならわかりますが、特別ではない場所でもこの雪。
厳しい環境なので住民は急激に減少して、現在の戸数は8軒とのこと。集落を維持する基本的な条件すら、満たすことが難しくなっています。これがこの国で起きている事実。
ご当主──義妹の長兄──は教員を退職された後、地域の環境を生かして高原野菜の栽培など、幅広く事業を手がけていらっしゃいます。その才能は、亡くなられた母親譲り。今回も、信じられないほど立派な人参などを頂戴しました。
高価な商品のお裾分けです。ありがたや、ありがたや。で、降りる時の急坂は、登りよりもはるかに怖い...。
■4月29日(月:祝日) 負傷したBMW 320i M Sportが、新車同様のピカピカになって戻ってきました
今日は移動日。
そのためには手段が必要です。今回は2週間金沢に滞在したし、放送大学の講義の資料類を持ち帰る必要があります。加えて、新潟に戻ってからセンセイ以外の複数の人間を乗車させて、しかも何回か県内を移動する必要が出てきました。
どうしても車を使うしかありません。でも愛車BMW 320i M Sport(MT)は、名誉の負傷で入院治療中。「10日ほどで...」との見込みだったのですが、なかなか退院しません。再確認すると28日(日)夕方、つまり昨夕に作業完了予定とのこと。
ただしレッカー車が出払っているため、今日の午前中に車を届けてもらうことにしました。通常は買い替えを促すために、当該車両より一つ上のクラスの「代車」を無償で貸していただけます。もちろん今回も申し出があったのですが、センセイはお断りせざるを得ませんでした。理由は簡単。代車はすべてAT車。
センセイはMTしか運転できない...。昨日の放送大学の講義。熱心な学生が質問をするなどして、最後の授業は予定より長引くことが多い。今回もそうだったのですが「延長戦」は1時間ほどで終了。
覚悟していたより短い。ディーラーに電話して、これからセンセイが赴いての受け取りが可能かどうか尋ねます。自転車でアパートへ戻り、路線バスで最寄りまで移動。
調整にちょっと時間がかかりましたが、「そうしていただけると、本当に有り難い」とのお返事。修理や営業の方々にも家庭があります。こうすることで、皆の負担が大幅に減るようです。
というわけで、日暮れが迫る頃にお店に到着。修理代金はすでに大家さんから支払い済みなので、車を受け取るだけです。必要な書類が見つからない──オイオイ...──というアクシデントはあったものの、実車を貰い受けます。
「これ以上、お客様を待たせるわけにはいかない」からだそうです。写真は今朝、荷物を運ぶために駐車した大学構内で撮影したもの。写真中央部がダメージを受けたのですが、明るい環境でも、傷の類はほとんどわかりません。驚いたことに、車体全体がピカピカ。
修理した部分だけでなく、全体がそうなのです。でも良く考えてみると今回は、車体を徹底的に綺麗にした後、場合によっては一部塗装を剥ぎながらパテ等で修理し、再度塗装しているはず。いい加減な綺麗さではダメなんですね。実はディーラーに車を渡す時、前部ルーフ(天井)に塗装の剥がれを見つけました。
飛び石による不可避の傷です。でも受け取り後に確かめると...ない。営業によるとルーフは修理の後、全面を改めて1回再塗装しているそうです。
ピカピカ、なわけだ。
■4月28日(日) 今シーズン初めて、富山産のホタルイカを頂きました ──西村センセイ、放送大学の講義を終える──
放送大学の面接授業は2日目。最終日と言う方が適切かも。
受講生は20歳代の若者から、最高齢は80歳。皆さんに支えられて何とか講義を終えることができました。
休憩を挟んでですが午前3時間、午後3時間の講義。そしてそれが2日連続。さすがに疲れました。昨日のこのページに残っていた簡単な誤字すら気づかなかったほど。
現在は訂正済ですが。いつものスーパーで適当な刺身か鮮魚、あるいは惣菜を買い求めようとした時、センセイの目に入ってきたのは富山産のホタルイカ。今が旬。
ただし今期は記録的な不漁。貴重品です。しかもこのお店、もともと富山産をほとんど取り扱わない。他県産は普通に並んでいるのですが、見た目のプリプリ感と食感、そして甘みが全く違います。
運命を自覚。シャワーを浴び、身を清めてから頂きます。甘い。美味しい。そして、しょっぱい......。
富山の、日々の生活にDNAレベルで組み込まれた茹で方ではありません。見かけは似ていても、残念ながら見事に、ツボを外してしまっている感じ。
センセイはというと、残っていた立場上の仕事を連休までに片づけたかったのですが、残念ながら未了。明日の午前中に「出勤」してから、新潟の自宅へ戻ります。
あまり偉そうなことは言えません。