2022年9月10日更新(2022年9月18日ページ移動)

──2022年9月第2週のニュース──

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9月10日(土) 木造建築用資材メーカー「ストローグ」本社・研究所の新築工事が進んでいます

 予定を早めて土曜日の今日、金沢へ移動しました。

 理由は簡単。お察しの通り12日(月)朝まで提出を待って頂いている依頼原稿がまだ完成していないためです。トホホ。

 もう一つ残念な情報をお伝えすると、今日は中秋の名月。夕方、研究室から窓の外を見ると、少なくとも南の空は多少の雲があるものの晴れていました。守衛室で鍵をお返しし、期待しながら校舎の外へ出ると、何と東の空は一面、黒い雲。
 ドッカーン!!

 夜中になれば見える機会もあるのでしょうが、高い位置だと天体写真にしかならず、昨年のような建物と絡めた写真にすることはできません。
 というわけで、移動途中で撮影したもの。

 昨年末、滑川市の「株式会社ストローグ本社・研究所新築工事の様子をお伝えしました。その時は本当に、木の枠組みだけだったのです。
 その後の工事はゆっくりと、しかし着実に進み、現在はご覧の状態にまで進んでいます。

 前回の写真の右側部分を見ているのですが、基本構造は変わらない──当たり前──ものの、屋根が設けられ、アルミサッシやガラスが組み込まれています。
 また外壁は塗装され、社名の“
StrOOg”もしっかりと書かれています。

 ボキャブラリーが乏しくうまく表現できないのですが、ガラス越しに見える建物内部は本当に良く造り込まれているように見えます。
 まあ、本社がいい加減な造りだったら、建築関係の会社としては落第でしょうが。

 同社のサイトを拝見すると、限界を感じがちな木材の可能性が無限に広がるような気がしてきます。センセイ個人は建築にはほぼ無縁ですが、本社社屋完成の暁にはぜひ一度、見学させて頂きたいものです。

 無理かなぁ。



9月9日(金) 出張は心身にストレス?! ──体重は帰宅翌日に、血圧は3日目でやっと元に──

 ずっとお立ち寄り頂いている方は良くご存じですが、センセイは基本的に出張大好き。

 止むを得ない場合は航空機を利用しますが、北海道から九州、四国までできるだけ鉄道を利用してきました。でも新柄コロナウイルス感染拡大に伴い、大半の出張が取り消しになってしまいました。
 特に研究会の類
(たぐい)は、ほぼ全面的に遠隔開催に。

 一昨年、去年と学会も遠隔になったのですが、ようやくこの6月、学会の一つが対面開催となりました。ただしその際、予想外の事態が発生。ふだんとは異なる行動だったためか、出張前後の10日間ほど血圧が上昇したのです。
 今回はも、どうなるかハラハラドキドキ。

 出張開始までは概ね平常で、夜が少し高い程度だったので、「やれやれ、あの時だけだったのか」と思ったのが甘かった。学会開始後、血圧、特に朝の最高血圧(「収縮期血圧」)が急上昇。
 また朝夜ともに、最低血圧も上昇。
(グラフの右端)

 定期検診の際に医師から「一般的には夜より朝の方が高い」と教えて頂いたのですが、少なくともセンセイは逆。朝の方が10mmHgくらい低い。
 グラフを見ても、濃いピンク(最高)と空色(最低)の方が夜の値より低い。

 グラフの右端を見ると、ピンクが1カ所、紺色の上に出ています。この時の朝の最高血圧は137mmHg。前回出張時の最悪値と同じですね。
 思い当たる節はいくらでも。

 そもそも、学会運営は参加者や関係者など相手のある仕事。大会運営側であると同時に、いくつかのセッションの司会を担当しています。加えて今回は対面と遠隔のハイブリッド方式。技術的な問題にも気を配る必要があります。
 だからかなり気を遣っていたのでしょう。

 そしてもう一つ問題が。完全には自分の自由にはならない食事です。それでも朝晩は総菜の栄養表記を見てある程度は選択できるのです。ただしそれでも塩分多めで、食べてから失敗したなぁと反省したものも。
 昔は、何も考えずにこれを口にしていたんだろうか...。(反省)

 お昼は皆と同一のお弁当。栄養成分は記されていないので、自分の味覚で判断するしかありません。されど基本的には与えられたものなので、選択できる範囲は限られています。学会終了後はお伝えしたようなツアー。
 こちらはもう、チャンスを見つけてとにかく頂くしかありません。

 直江津駅での僅かな乗換時間の間に、改札を出て売店で低塩分と思われるお弁当を購入したのですが、そのしょっぱかったこと。トホホ。

 出張期間中は気力と体力を使うので、センセイはできるだけしっかり食事を頂くようにしています。帰宅後に測定すると、やや体重不足気味だった出発前と比べて、体重が約1kg増加。本人としては「そんなに食べたかなぁ」という感覚なのですが。
 で、こちらは翌日には元に。

 血圧はというと、帰宅後も出張時のストレスが続いていたようで、今日になってようやく平常値に戻りました。前回よりは戻りが早い。

 いずれにせよこれらは、もう出張はおろか働くのも止めて、おとなしくしていろということなのかも。



9月8日(木) 復活運用と事業用車両、そして観光列車 ──西村センセイ、今回も鉄分補給──

 というわけでセンセイは、休暇を頂戴しているにもかかわらず、自宅書斎で唸っています。トホホ。

 今日はよく働いたので昼食と通院、そして郵便局での所用を除くと今日は外出していません(それでもなぜか、今日の総歩数は18,000歩ちょうど)。というわけで、今回の出張のもう一つの目的(?)を。
 お察しの通り、鉄分補給です。

 実は今回の学会、新型コロナウイルス感染拡大(第7波)で、直前まで対面形式での開催か遠隔での開催かを決定することができなかったのです。約1ヶ月前の会議で、対面を原則とし、諸般の事情で来場できない方のために遠隔方式を併用することに。
 実に微妙な判断で、対応は学会で分かれています。

 でもまぁ、センセイの学会の場合は対面が原則となったので、すでに予約済のホテルはキャンセルせずそのままにして新たに、最終日に友人と飲むためのホテルを予約。問題は、移動に必要な乗車券類の確保。
 そもそも、移動経路が未定なのです。

 前後の予定の関係で往路は割と簡単。在来線と上越新幹線を乗り継ぎ、とにかく新宿まで到達。その先は京王線にする──乗換がない──か、JR線で最寄り駅まで行き、路線バスで多摩地区を南下するか。
 この件は結局、学会終了後の予定と経路に依存しています。

 大会終了後に旧友と飲むことになったので、学会最終日に国分寺に宿泊することは確定しました。せっかくなので、翌日は中央線で西へ向かうことにします。通勤ラッシュの時間帯に都心へ向かうのは避けたい。
 問題は松本から先の経路。

 篠ノ井線と旧信越本線経由にするか、途中から飯山線にするか、あるいは南小谷(みなみおたり)経由で糸魚川まで出るか。特に後二者は廃線の可能性が取り沙汰されています。
 いろいろ考えた末、今回は大糸線およびえちごトキめき鉄道経由を選択しました。

 1枚目の写真は往路、長岡駅での乗換の際に気づいて撮影したもの。在来特急を降して新幹線ホームへ向かう途中、反対側に写真のE127系が停車していることに気づきました。
 さほど特徴のない車両。

 実際、その通りなのですが、お伝えしたようにこれは、6月末の水害で被災した車両に代えて、事実上引退していたものを引っ張り出してきたものなのです。
 この時は上越線下りの業務を終えて、南隣にある車両基地に引き揚げるところ。

 新潟県内で使用されていたE127系の大半は、第三セクターのえちごトキめき鉄道に譲渡されました。だからさほど珍しいわけではないのです。
 でも、目の前でJR東日本塗装のものを見るとは思わなかった。

 大会翌日は立川から特急「あずさ」に乗って、乗換なしで南小谷へ。前夜に飲み過ぎたことに加えて、1日1便だけの「乗り換えなし」が油断をもたらしたようで、高尾を過ぎたところでついウトウト。
 今回の目的の一つだった、甲府盆地を見下ろす場所を通過してしまいました。

 このためにわざわざ南側の席を確保したのに...。トホホ。

 センセイの年齢を考えるとあの絶景をもう見ることはないと思います。でも、まぁ、これも運命。列車は塩尻駅から篠ノ井線に入ります。ここで停車。
 あれっ?!

 隣のホームに、3両編成のJR東海キヤ95系気動車が停車しています。先端と最後尾は全面、目立つ黄色の塗装。軌道その他を検査する検測車です。
 近くで見るのは初めてだと思う。

 ちなみに、南小谷までの大糸線JR東日本管内では、1枚目の写真のE-127系(0番台)の兄弟となる100番台が多数運用されています。

 南小谷駅でJR西日本に乗り換えたのですが、何と、車内にはすでにお客さんが。数えてみると35名。今まではこんなこと、絶対になかった。やはりニュースの影響があるのかも。
 ただし、画に描いたような「鉄道ファン」はいらっしゃいませんでした。(ただし隠れファンは数名)

 南小谷から先は、キハ120系。後日お伝えすることがあるかもしれませんが、今回の選択のもう一つの目的は、車窓から見る地質の変化。でも今回は、目を凝らしていたのですが、まったくできませんでした。というわけでこちらも未達成。
 傷心のセンセイを乗せた列車は、終着糸魚川駅へ。

 ここから先は慣れ親しんだ──ただし滅多に乗らなくなった──路線。泊からの列車を待っていると、おぉ、直江津方向から「えちごトキめきリゾート 雪月花(せつげっか)」がやって来て、2番線に停車。
 トキ鉄社員および取引先関係者10名以上が、折り返し運転のための清掃作業、食事の積み込みに従事しています。

 こんなに多くの人が関係していらっしゃるんだ。まぁ、貧乏な第三セクターとしては、ここで稼ぐしかないんだろうなぁ。

 長くなりました。依頼原稿執筆の進捗状況をお察しください。(2回目の)トホホ。



9月7日(水) この間に消えたもの。生き残ったもの ──西村センセイ、新潟の自宅へ戻る──

 高尚なお話をするつもりはありませんので、ご安心を。

 学会を何とか乗り切った西村センセイ、終了後はすぐに路線バスに乗り、多摩地区の別な場所へ移動。毎年のように会っていた30年来の友人と、4、5年ぶりに会うためです。お察しの通り、コロナ禍がそれを妨げていたのです。
 お互い、時間経過を感じさせられる顔つきに。

 学会でほぼ全力を出しきった後だし、気の合う人間との本当に久しぶりの懇談。とても面白くかつ非常に有意義だったのですが、夜の国分寺は閑散としていました。もちろん平日だったことも関係しています。
 しかし2年以上続くこのコロナ禍が、社会の一部分を不可逆的に変質させてしまったこともまた、確実。

 今回はそれを再確認させられる旅になりました。(予想通りですが)やはり顕著だったのが飲食関係。お気に入りだった長岡駅構内のうどん店は閉鎖。国分寺駅前の「松屋」もラーメン店になっていました。
 まぁ、こちらは必ずしもコロナ禍が理由ではないかもしれませんが。

 でも予想外に残っていたものも。写真は長岡駅3階の新幹線ホームで撮影しました。そもそも、若い方はこれが何だか、まったく理解できないかもしれない。
 これは水飲み場。

 モニュメントの上部の水栓を回すと、誰でも自由に水道水を口にすることができます。これは特別なことではなく、かつて主要駅のホームのあちこちには、鏡付のもっと大規模な水飲み場が整備されていました。
 ちなみに、モニュメントのこちらの面には文字のような、画のような何かが。

 これは長岡市の市章。「長」の漢字をベースに、「魅力ある地方中核都市として、限りなく発展する長岡市を不撓不屈(ふとうふくつ)の不死鳥の姿に託して表現」したものだそうです。
 当地は戊辰戦争と第二次世界大戦末期に大きな被害を被っているのです。

 ご存じかどうか、「三尺玉」で全国的に有名な長岡花火(長岡まつり)はそもそも、1945年8月1日の長岡空襲の犠牲者の追悼が起源。
 2年ぶりに上越新幹線に乗車。

 都市部では車窓の風景もかなり変わっていました。個人的には何だか取り残されているよう。そして客観的に考えれば、実際にその通りなのでしょう。学会大会についても世代交替が静かに、しかし確実に進んでいます。
 で、西村センセイ、本来ならば金沢に帰着する必要があるのです。(申請書類上は、昨晩遅くの到着)

 でも僅か数日だけ金沢に滞在するのは合理的ではありません。というわけで昨晩は私費で国分寺に宿泊した後、在来線を乗り継いで新潟の自宅へ戻りました。今日は代休、周の後半は休暇を頂戴しています。
 でもホントの理由は、ごく簡単。

 依頼原稿の執筆、提出に専念する必要があるのです。トホホ。



9月6日(火) 登校中の生徒に、玄関前で挨拶する生徒会役員 ――多摩大学付属中高等学校――

 白状すると、生徒会の役員かどうかはわからないのです。でも後から考えると、それ以外の可能性は非常に少ないと思う。

 多摩大学での学会2日目。学会運営側にとって一番難しいのは初日、それも最初の部分のの運営。お伝えしたように、多少のトラブルが起きつつも無事乗り切ったので、今朝はゆっくり――といっても受付開始30分前――ご出勤。
 多摩大学までの長く急な坂を上っていると、何度か通学バスに追い抜かれます。

 車体の脇には「多摩大学 多摩大学 付属 聖ヶ丘高等学校 付属中学校」。大学と同一キャンパス内にある付属学校。というか、高校の方が先に開学しています。
 写真は昨朝撮影したもの。

 昨日は朝早かったので、キャンパス内に中高生の姿はまばら。大学側の運営と相談した後、建物の前で誘導の準備をしていると、写真の中高校側で動きが。
 10人くらいの生徒が先生のような方にそろって挨拶。

 その時はそんなに不思議とは思わなかったのです。でもその生徒たちが、グラウンドを背にして、こちら向きに一列に並びました。ナシテ?!
 やがて多くの生徒が徒歩や通学バスで登校してきました。これもよくある光景。

 すると、先ほどの列に並んだ生徒が、登校してきた生徒に挨拶をしているのです。これはもう、生徒会役員と考えざるを得ない。
 生徒の表情にも興味深いものがあります。

 もちろん今どきの中学生、高校生ですが、基本的に身なりはきちんとしています。比較的恵まれた環境で育っていると思われます。そして勉強もかなりできるはず。まさに、そういう「顔」。

 久しくお目にかかる機会がなかった表情だったのです。



9月5日(月) 多摩大学で開かれた学会に参加しています。3年ぶりの、ほぼ対面形式での開催です

 今日はタイトル通り、そしてみたままのお話。

 センセイは昨日から、自身が役員を務める学会の大会および関連行事(昨日開かれた役員会)に参加しています。多摩大学を会場に、3年ぶりに対面形式で開かれる大会。
 う〜ん、でも正確には、「参加」ではなく「学会を開催して」ですね。

 単に学会役員(「理事」)として関与するだけでなく、センセイは今回の大会について、事前準備から大会の実施まで担当する委員会メンバーの一員なので。
 1枚目の写真は今朝撮影したもの。

 わざと写したわけではないのですが、8時前に歩いて会場前に到着しました。受付は9時から。大会運営を手伝ってくれる学生諸君もまだ出勤していない時間。
 でも、大会校つまり多摩大学の関係者はすでに、会場内で準備に忙殺されているのです。

 この種のイベントは、どんなに準備していても必ず予想外の出来事が起こるもの。今回も不測の事態が発生し、参加者の経路――いわゆる「動線」――がわからなくなる事態に。
 というわけでセンセイは、中央奥にぼんやりと立って「お早うございま〜す。会場はこちらでーす」。

 ま、オツムを回すより、体を動かす方が好きなので。

 10時からプログラム開始。センセイも分科会の一つへ移動します。慣れ親しんだメンバーが大半ですが、若い方を中心に存じ上げない方も。
 学会は新陳代謝が重要なので、これは好ましいこと。

 お昼を早めにいただき、明日のプログラム運営のために会場内で準備と打ち合わせをいくつか。最初に「対面で」とお伝えしましたが、現在、勤務校の制限などでどうしても会場にお越しに慣れない方もいらっしゃいます。
 医療、看護系大学などは、コロナウイルス感染対策が厳格なのです。

 そのため今回は、対面での参加を原則としつつも、事情によっては遠隔での参加も認めています。それ自体は好ましいことなのですが、大会運営側は技術面での複雑な問題を対処しなければなりません。
 そのため、事前に状況を可能な限り確認し、できる限りの対策を練っておく必要があるのです。

 右の写真はほぼ最後のプログラム。さすがにここまで来ると、センセイの出番はありません。一参加者として、発表と議論を拝聴します。今回は、特に若い先生方の才能に驚かされました。
 う〜ん、センセイの引退も近いなぁ。

 ちなみに、スクリーンに会場の様子が映っており、その奥にはさらに...も、遠隔参加者のためのもの。別に遊んでいるわけではありません。

 センセイにとっては今回、明日が本番。さて、どうなる?



9月4日(日) 「柏崎工業フェスティバル」が開かれました ──センセイは都内に滞在中──

 タイトルにある通りセンセイ現在、学会を開催するため東京都内に滞在中。

 お伝えしたように3か月前、岡山で開かれた学会に出張していますが、東京都内を訪れるのは2年半ぶりのはず。つまり完全な「お上りさん」。こちらがボケたのか何なのか、今日はいくつか、信じられない失敗をしてしまいました。
 他方、この間、地元を含めていろいろ変化が。

 でもそれらは追って...ということでお許しを。写真は昨日撮影したもの。

 通院や家族サービスなどで終日バタバタしていた昨日、わずかですが時間ができたし、雨も降っていなかったので、お昼前に所要を済ませるべくちょっと外出したのですが、柏崎市駅前公園で何やら騒がしい。
 テントが見えますし、他にも動きが。

 用を済ませてから、現場近くの跨線橋の上部からこの写真を撮影しました。縮小しているため、画面の車両はいずれもミニチュアカーのよう。実物はもっと迫力があります。
 今日まで開かれていたのは「柏崎工業フェスティバル」。

 当地は日本では数少ない石油を算出する地域。『日本書紀』に登場する「草生水」の地であるだけでなく、近代石油産業発祥の地でもあるのです。
 何たって写真の場所、実は「日本石油」旧本社跡(!!)。

 その後は鳴かず飛ばすの感がありますが、それでも鉄鋼加工業を中心に工業製品の製造を続けています。この日はそのような当地の工業をお祝いするだけでなく、若い人にその魅力を紹介するものらしい。
 白状すると、幼児や園児がメインなのですが。

 下に降りてみると、アームを伸ばしたクレーン車や消防車は子供たちの人気。その中でも特に目立ったのが写真右側にある管理事務所前に停車した緑色の重機。この写真ではわかりませんが、高所作業車です。
 ただし割と見かけるものとは違って、とても高い場所までアームを伸ばすことができます。

 さすがに左のクレーン車にはかないませんが、その2/3くらいの高さ――それでも相当な高さ――まで作業員の乗ったバケットを持ち上げることができます。この日は係員に加えて、子供1名を高所まで案内していました。
 でも子供は背が低いのでバケットの外が良く見えない。

 そこで、バケット内の係員が要所要所でヘルメットを装着した子供を持ち上げます。一方、地上ではそれをうらやましそうに見上げる列が続き、乗車中の子供の親――例外なく母親――はそれをスマートフォンで撮影中。
 ちなみにその場での子供達は例外なくビビっていました。

 その場はともかく、彼ら彼女らにとってこの良い経験はじわりじわりと影響を与えることになるんだろうと思います。

 明日からの学会で、センセイらも参加者に有益な何かを伝えられることができたらいいのですが...。



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