2022年9月24日更新(2022年10月2日ページ移動)
■9月24日(土) 雨の日の曼珠沙華 ──彼岸と此岸を繋ぐ花──
今日は予定を変更してお伝えします。理由の一つは、天気が予報より悪化したこと。
ご存じのように颱風15号は今朝、前線を伴う温帯低気圧に変わりました。「颱風」と呼ばれたのは僅か24時間と短命。しかし東海道新幹線が普通になるなど、その影響は予想を大きく超えています。
特に静岡県内では猛烈な降雨によって、大きな被害が発生しています。倖い、日本海側では今のところ、大きな被害は確認されていません。されど天気の回復は大きく遅れました...というか、まだ回復していません。早ければお昼頃には、遅くとも午後3時頃には曇りになるだろうと予報だったのです。
今週は雨がち。泥だらけになって汚れた車を今日のうちに洗おうと思っていたのですが...。ま、仕方ありません。
写真は今日、実家で撮影したもの。いくつかの用を片付け、いつものようにお昼過ぎに実家へ向かいました。交通手段を持たない両親の(安否確認+)食糧確保が目的。
今週、大阪および東京に住む従姉妹(伯母の子供)3人とその娘2人が実家を訪れました。予定は承知していたのですが、従姉妹ももう、上が77歳(「喜寿」)、一番下も70歳(「古希」)。北陸新幹線の開業により交通の便が悪くなったこともあり、「これが最後かも」だそうな。
買い物帰り、母親からその時の様子を「ふ〜ん」と聞きながら、実家へ再度到着すると...あ"っ。実家前の小橋を渡るところに曼珠沙華(まんじゅしゃげ/ヒガンバナ)が咲いていました。先ほどは急いでいて、目に入っていなかったようです。(拡大写真(1,280×960、154KB))
実物の赤色はもっと強烈。Jpegフォーマットの限界です。満開は昨日、秋分の日だったそうです。この雨のせいか、倒れてしまっています。先週訪れた際も、実家庭の別な場所で咲いていました。
彼岸(ひがん)と此岸(しがん)を分ける、あるいはそれを繋ぐ曼珠沙華。昔の田舎は多産。センセイの場合、父方は8人姉弟、母方は7人姉弟。伯父伯母はもちろん、合わせると60名以上になるはず──数えるたびに数が変わる──の従兄弟の中にも、鬼籍に入る人が出ています。
やはり節目の日。それもあってか、雨に濡れた今日の曼珠沙華は、個人的にグッと来るものがあったのです。
■9月23日(金:祝日) 果たして西村センセイ、ご縁はあるのか ──西九州新幹線が開業しました──
週末かつ祝日(秋分の日)なので、新潟の自宅へ戻りました。
ちなみに、個人的には父方の祖母の命日。法事の際にお坊さんが「春分の日は動く(=年によってずれる)けど、秋分の日は動かない」と仰っていました。「ホントかなぁ」と感じたことを覚えています。
調べてみるとこれは、たまたまその前後の32年間動かなかっただけ。ま、いいんですけど。
というわけで朝、金沢を発ちました。その頃にはもう、本日開業の西九州新幹線の1番列車が発車していたはず。歓迎する地元の様子をテレビでご覧になった方も多いと思います。
西村センセイ、少なくとも3回(2004年、2008年、2015年)長崎を訪れているはず。本当は2018年にも訪れるチャンスがあったのですが、立場上の仕事の関係で断念しました。いろいろ記録を確認したのですが、長崎駅近辺の写真はほとんど残っていません。
子連れ旅行だったり、ヘロヘロになりながら夜に到着したりしたためでしょう。写真は2008年のもの。今から考えるとこの頃の駅舎は、すでに新幹線開業を見越して、高架に合わせた造りになっているんですね。
ただし在来線はずっと地上だったはず。センセイはJR九州全線に乗車していますが、今日から未乗区間が生まれたことになります。鉄道ファンとしては当然、乗ってみたいところ。
もちろんあちこち行って見たい場所はあるのです。それに遠からず退職すれば、時間的な余裕もできるし。されど過去の記録を読むと、仕事で北海道へ飛んでから自宅に1晩泊まり、翌日にはまだ幼かった娘を連れて九州を訪れていたりします(2004年)。もはや心身ともにそのようなエネルギーは残されていません。
果たして、「その日」は来るんだろうか。
■9月22日(木) プリメーラとビスタ、どちらが元祖? ──最近の物価高で気づいたこと──
今日の金沢工大は、再び静かに。
オリエンテーションは終了したものの、授業の開始は来週月曜日。だから昨日のうちに教科書を購入しておけば、学生諸君の行事はありません。それに対応して、大学食堂も夏休みモードに戻りました。
品揃えが減ってしまうので、ちょっと不便。今日は雨がちだったので、外に出ることが難しかったのです。
写真は先日、晴れた日に撮影したもの。ご自身で調理する方は身に染みていると思いますが、このところ食材の価格がどんどん上昇しています。
センセイは再雇用の身なので薄給。それにどうしてもビール代──これも10月に値上げ──がかかるので、食費をできるだけ抑える必要があります。最近、胃腸薬などの薬や衛生用品の価格がドラッグストアによってずいぶん違うことを再認識しました。
ついでに店内に並んでいる食材を調べると、スーパーよりかなり安い物も。というわけでドラッグストアを目指して裏道を歩いていたら、あ"っ...。
ナンバーを装着したまま放置されている車を1年半ぶりに見つけました。こちらはかなり年季が入っています。タイヤは4輪とも完全にぺったんこ。
車体の下には苔が生えています。後から調べてみたところ、1994年から1998年にかけて販売されたトヨタ「ビスタαX」らしい。直江津駅近くに残された日産「プリメーラ」とほぼ同世代。いつからこの状態なのかはわかりません。
しかし相当な期間と推測されます。それにしても、なぜ取り残されているんだろう。
■9月21日(水) オリエンテーションの日 ──工大祭用オブジェの製作が本格化しています──
今日はいつもより30分早く起床。
朝イチに1年生の後期(「後学期」)オリエンテーションが行われるのです。学生諸君のこれから半年間の勢いに大きな影響を与える行事。ネクタイを締め、夏用の背広を着て外へ出ます。あれっ?!
予報では晴れとのことだったのですが、黒い雲がかかり、車の屋根が濡れています。でも、何とかしばらく持ちそうだったので、そのまま徒歩でご出勤。
もちろん準備は終えているのです。研究室、そして会場となる教室内で資料の微調整。この間に学生がどんどん集まってきます。しばらく見ない間に逞しくなっています。
所定の時刻にオリエンテーション開始。長話をしても無駄なので、要点を絞って伝えます。質問に答えるなどして40分ほどで終了。外を見ると、この間に少し雨が降ったようです。
お昼を挟んで、問題を抱えている学生に個別面談。やはり少し疲れました。食料とエネルギーを補給するため、近くのドラッグストアへ行くことにします。校舎を出たところで気づいて撮影したのが写真。
午後の逆光を浴びながら、学生が活動しています。中央だけでなく、左右の建物の下でも。建築学科の学生が、第55回 金沢工業大学 工大祭用のオブジェを製作しているのです。いずれも自らの意志で取り組んでいることがわかります。
充実した表情がすべて。眩(まばゆ)いばかりの光景ですが、その大前提として、怪我など安全には十分気をつけてね。
■9月20日(火) 颱風に備えたというわけでは... ──キャンパス中央の欅が切り倒されました──
九州南部などに大きな被害をもたらした颱風は本日未明に石川県付近を通過。
当地は昨晩から雨が降り始めたのですが、最初のうちは静かな降り方。颱風が接近しているなんて、言われなければわからないほど。ちょっと心配だったのですが、0時半過ぎに就寝しました。
3時頃に変化が。風が急に強くなり、雨が叩き付けるように降り出しました。でもこちらには対処のしようがないので、そのまま再び眠ります。荒れた天気は比較的短時間だったようです。今朝は妙な風が残っていましたが、雨は小降りに。
大雨だったら車で...と考えていたのですが、徒歩で出勤しました。学生からの情報によると、午前中は交通に混乱が残ったようです。
写真は昨日撮影したもの。朝、いつもの時刻に出勤したのですが、キャンパスに入ると中庭のどこかからチェーンソーの音が聞こえてきました。
場所は特定できなかったし、仕事もあったのでそのまま校舎内へ。依頼原稿の校正を返送したのが3時頃。本当は夕方まで研究室に残るつもりだったのですが、それには颱風独特の緊張感が溢れており、南西の空にはやや黒っぽい雲も。
残りの仕事は明日に回して、早めに帰宅することにしました。そもそも休日(祝日)だし。食材の関係でスーパーに立ち寄るため、入館時とは別な出入口から外へ。すると目の前のトラックには伐採、切断された大きな木の幹が。
こんなに大きな木を切っていたの?作業はもう最終段階。その時は掃除など現場の後片づけをしているところでした。そもそもどこにあった木を切り倒したんだろう..。
現場を確認すると、中央の庭石の左に1カ所、陰になりそうなところに太い切り株が2カ所。記憶が定かでなかったので後から調べてみたところ、5号館(写真左奥)脇、背の高い欅が3本伐採されていました。明るくなって見通しが良くなったのは確実ですが、風情が...と感じる人がいても不思議ではありません。
台風による被害を避けるため、予防的に伐採したというわけではないのでしょうが。
■9月19日(月:祝日) 西村センセイの家族サービスな日(3) ──4人は顔を見合わせて、「あ"っ...」──
連休中の出来事シリーズ最終回。それが起きたのは一昨日。つまり連休初日。
お伝えしたようにこの日は、里帰りする娘を迎えるため、朝のうちに新潟市まで往復しました。帰路、これもまたお伝えしたように「堂坂トンネル」を通過。トンネル内とその前後はセンセイにとっては初めての区間。
様子が良くわかりません。トンネルを抜けてしばらく下り坂を走ると、知っている道が見えてきました。高校生の頃までは時々通っていた道。交差点になっており、こちら側に一時停止の標識があります。
下り坂だし、ある程度スピードがあった──暴走していたわけではない──ので、交差点ぎりぎりで停車。免許を持っている娘に「ここでちゃんと止まらないと...」と話したその瞬間、左側つまり優先道路側から、写真のパトカーがすっと現れました。
パトカーは左折し、センセイらはそれを追随するような格好で走ります。もちろん絶対に煽るようなことはしていないのですが、パトカーのバックミラーに強い視線を感じます。しばらく走行したところでパトカーは右折。やれやれ。
センセイは直進して実家へ。すぐに母親を乗せ、娘と3人でスーパーへ。いろいろな経路があるのですが、幹線国道は飛ばす車が多いし信号機もあるため、わざと田舎道を選びます。
刈羽(かりわ)駅のすぐそば、JR越後線(写真右側)の踏切手前のT字路を、旧型パッソに続いて左折。(4人が同時に)「...あ"っ、さっきのパトカー/BMWだ」。
この場所は、右折したその先に位置します。踏切での一時不停止を見張るべく、先ほどのパトカーがハザードランプを点灯させて停車していたのです。センセイと娘は同時に声を上げましたが、先方も同様。
マスクを着用しているので口元はわかりませんが、目元の表情は正直。お互いに苦笑い、だったのです。チャンチャン。
■9月18日(日) 西村センセイの家族サービスな日(2) ──燃費は新記録達成。されど...
──
世の中は3連休の中日。
でもセンセイは都合で、予定を変更して金沢へ移動しました。ここまでが結構大変だったのです。予定が変わったのは昨日、実家での母親とのやりとりの結果。だから娘とは無関係なのですが、彼女とはもともと「送迎するから」という約束。
だから朝はまず、娘を約75km離れた新潟市のマンションまで送ります。娘夫婦は自動車を持っていないので、途中で買い物にお付き合い。そのためもあって、帰宅したのは正午前。荷物はまとめてあるので、それを積み込みすぐに出発。幹線国道は観光客や買い物客の車で溢れています。
朝はそんなでもなかったのです。特に沿道の観光地は他県ナンバーを中心とする車で一杯。写真は昨日、長岡市寺泊の「魚のアメ横」の様子。ドライブレコーダーの記録映像です。
完全な逆光ですし、車内が写り込んでいるためわかりにくいのですが、観光客がテントの下で浜焼きなどを食べています。朝9時半過ぎのというまだ早い時間帯でこの状態なのですから、今日のお昼や午後は相当混雑したはず。新潟県西部の状況も推して知るべし、というわけです。
朝の新潟市までの往復とこの混雑のため、センセイはかなり消耗しています。いつものように一般道だけだと、金沢に到着するのは薄暮かつ混雑する時間帯に。加齢に伴い視力と注意力──そもそもオツムの能力も──が低下しているため、この時間帯の運転は避けたい。
というわけで、今日は富山県東部から同県中部まで、高速道路を利用することにしました。ご存じのようにセンセイ、高速道路は面白くないし眠くなる可能性があるので、あまり好きではありません。それなら、というわけで久しぶりに定速での燃費を計測することにしました。
可能な限り80km/hで約50km走行した結果が、2枚目の写真。(中央の表示)これまでのレコードが26.8km/Lですから、僅かながらもそれを上回る記録です。ちなみに燃費計をリセット後、下り坂を走行すれば99.9km/Lなどといった数値を簡単に表示できます。
もちろんそのような細工はしていません。富山西I.C.で一般道に降り、そこからはいつものルートを走行。新潟県とは対照的に、富山県西部の交通量はいつも通りか、やや少な目。
石川県内、つまり金沢市に入ると、予想外に車は少ない。おかげですいすい走行し、予定通りにアパート到着。あまりにも順調だったので予定を変更し、この勢いでケース入りビールを買い求めます。
こちらも問題なく完了。本日の走行距離は約400km。無事に為すべきことを達成したので今晩はゆっくり...と思いながら血圧を測定すると、ドッカーン!!
「最高」はいつもより約30mmHg(!!)、「最低」も約20mmHg高い。しかも変動は少なく「高値安定」の状態。本人はまったく自覚していないのですが、どうやら身体が無理だと警告しているようです。
1日を終えてリラックスに向かうべき午後の後半に、無理し過ぎだぞ、と。う〜ん、センセイ引退の日は、思っていたより近いかも。