2009年11月28日更新(2009年12月6日ページ移動。2013年9月17日一部写真削除)
■11月28日(土) 西村センセイ、関西で「はんなり」に触れる
西村センセイは今日から、大阪で開かれている学会に参加しています。今日は懇親会を含む初日の正規日程と個人的な飲み会を終えて、かろうじて日付が変わる前にホテルに戻ったところ。
「大阪で...」という曖昧な表現を使ったのは、主催校と本来の会場は大阪市立大学なのですが、今日の日程のみ、大阪市中心部で開催されたからなのです。
その特別講演(写真)は一般市民に公開!! おぉ、太っ腹。講師は大阪大学の鷲田清一(きよかず)総長です。新聞その他によく登場する倫理学者でありながら、珍しく大学のトップに......あれ?!
昨年の秋に大阪大学で開かれた学会でもお目にかかっています。本当のことを言うと、今日のお話はその時と80%くらい同じでした。もしかすると、「それはあんまりだ...」と感じられるかもしれませんが、センセイはそれでいい、と思っています。
鷲田先生が目の前で直接、私(たち)に大切な話を話しかけてくれる。もうそれだけで十分意味があると思うのです。若い方は特に、センセイが何を言っているのか、ちょっと伝わりにくいかもしれません。
センセイは、本当に大切なものは目の前に唐突に出現するようなものでも、すぐに消耗されて消え去るものでもなく、何回でもじーんと伝わってくるもの。
そしてそれだけの試練に耐える「しぶく」「しぶとい」ものだということなのです。こちらの下手さもあるけど、やっぱり若い人にはうまく伝わらないだろうなぁー。
鷲田先生の上品で柔らかな言葉――これを「はんなり」と言うらしい――には、その奥に、とても強烈なメッセージが込められています。
清濁併せ呑むような、関西文化圏の懐の深さを思い知らされます。
■11月27日(金) 不要なメールを、サーバー上から削除できるソフトを教えていただきました
何度かお伝えしているように、センセイは複数の場所を移動しながら異なったOS、しかも複数のマシンでメールを送受信しています。ですから、送受信の際に何らかのルールを決めないともう、めちゃくちゃなことになってしまいます。
基本的にはメールをサーバー上に残したままそれぞれのパソコンで受信し、最後に一括して削除すればよいのですが、問題はスパムなど不要なメール。
自宅やアパートでは古いMac OSのOutlook Express 5(写真)を用いて、ひとまずすべてのメールを受信します。
この時はたまたま二つ目のメールだけがバイアグラの通信販売を案内するスパムでした(いつもはスパムの方が多い)。
次に、スパムだけを選択して、写真のように「サーバーからメッセージを削除する」を実行した後に、他のメールソフトで残りの、必要なメールを受信します。ところが現在、移動やツアーの時はMacBook White(Windows)しか持ち歩かなくなっているのでこの技が使えない。
センセイが知っているWindowsのメールソフトは、すべてのメールを一括して削除するか残すしかできないので、スパムがどんどんたまってしまい、本当に困るのです。
先日、講義の際に、講義内容に関してその話をちょっとしたら大学院生のSさんから同様の機能を持ったWindowsソフトを教えていただきました。
それが右の写真の“Becky! Internet Mail”。リムアーツが開発、販売するシェアウェア(消費税込み\4,200)です。((C))有限会社リムアーツ
基本的には普通のメールソフトなのですが、3枚目の写真左上のアイコン、「リモートメールボックス」を使うと、(受信前であっても)メールサーバー上にあるメールの状態を確認でき、不要なメールを選択してサーバー上から削除することができます。
とても便利な機能です。(ただし、受信前に誤って削除すると、メールそのものがまったく存在しなくなってしまうので注意が必要。)その他にも仕分けが強力にできるとか、受信環境(LAN/低速なPHSなど)に応じて、所定サイズ以上のメールを受信しない――所定のサイズで受信を中止するのではなく、まったく受信しないので注意が必要――などを簡単に切り替えることができるなど、とても多機能です。
ただしかなり癖の強いソフトだし、個人的には多機能すぎるのでちょっと使いづらいのと、Outlook Express/Outlookからのデータ読み込みが難しい(Outlookのデータが固有形式のため)などの問題があり、センセイの場合、メインのソフトとしては使えないと思います。
それでも将来は、移動時のためにWindowsで併用している“Eudora”と交代するんじゃないかと思います。この“Bwcky!”、少なくともセンセイのように複数の環境を使い分けている人にはほぼ必須とも言えるソフトです。
いやぁー、持つべきものは師匠。Sさん、ありがとうございました。(ペコリ)
■11月26日(木) 工事中のビルの背が伸びれば、もっと高いクレーンが......というわけではないらしい
今日も特別早い時間に出勤したというわけではありません。西村センセイ、むしろ今年度、特に後学期は、時間割の関係で遅めの出勤が続いています。
ちょっと外出しようと思った時、ちょうど朝日が雲の陰に入りました。まるで日の出のよう。
山の麓が霞んでいる様子がわかります。暗くて何だかよくわかりませんが、写真中央部の手前は来客用の駐車場です。
その奥(写真中央部)は、新築中の新厚生棟の建築現場。先日現場を見た時から目に見えて工事が進んでいる、というわけではありません。
でも西村センセイ、数日前から工事現場の脇を通るたびに、何か違和感を覚えていました。高いこの位置(本館の3階)から見ていて初めて気づいた──情けない──のですが、夏から設置されていた背の高いクレーンが撤去されています!!
新厚生棟の建設工事は、たぶん基礎工事からいよいよ建物への工事へと進むところなんだと思います。要するに、ビルの背がこれから伸びるわけです。
だからこそ高いクレーンが......と考えていたのですが、どうもそんな単純なものではないらしい。念のため、お昼に確かめてみると、大きな、しかしよく見かけるクレーン車が2台現場に入っていました。
やっぱり専門的なことって、素人にはわからないものなんですね。
■11月25日(水) アパートはどこも安普請なので... ──ボストンバッグのデザインの謎──
写真は昨日の朝、JR信越本線の乗換駅で特急列車を待っている時に撮影したもの。田舎の駅なので、間もなく列車が到着するというのに誰の姿も見えません。
二つの鞄はセンセイのものです。手前のボストンバッグには1週間分の着替えが入っています。
センセイは洗濯が嫌いなので、洗濯物はそのまま持ち帰って家人に洗ってもらうのです。(そもそも金沢のアパートには洗濯機がない)。このバッグ、実は最近購入したもの。今まで使っていたものがかなりくたびれてきたもので。
西村センセイ、衣服や持ち物は無趣味なので、基本的には家人が選択しています。
まぁ要するに、センセイは家人「着せ替え人形」と言うわけですね。このボストンバッグも柏崎市内の鞄専門店で、基本通りに購入しました。このバッグが世の中にどれだけ出回っているかはわからないのですが、少なくとも同型のものと違う点が一つだけあります。
力がかかる部分は薄いベージュ色の厚手の布地で補強されています。写真のバッグはそれが“H”型になっていますが、購入した時は横に長い部分はなく、“I I”状態だったのです。
別にセンセイや家人が改造したのではなく、実はこれ、メーカーで修理してもらったからなのです。何度もお伝えしているように、11月に入ってからセンセイはずっと出張という変則的な日程が続いています。
今月上旬、いつもより長く自宅を離れた分、洗濯物で太めになったこのバッグを車に積もうとして、アパートの角とちょっとぶつかってしまいました。
その瞬間、「ズブブブブブッ!!」というような、低く、鈍く、そして不幸を告げる音が......。大したことないだろうと思ってバッグを確かめると、バッグの、深緑色の部分に長さ10cm弱の裂け目が入ってしまいました!!
とても丈夫な帆布(はんぷ)でできているんですよ。我が目が信じられなかったので、ひっかかった部分をよぉーく見てみると、写真のように、板金加工の一部がまるでナイフのように突き出ています!!
幸か不幸か、鞄だったから良かったようなものの、人間だったら厚手のジーパンでも同じように切り裂かれ、大けがをしていたと思います。
安普請のアパートなので、板金屋さんが手を抜いたか、コスト削減のために技術力のない職人が加工したんでしょうね。念のため、と思って、センセイの部屋のもう一つの角を確かめてみると、同じようにナイフ状態になっていました。
大家さんの名誉のために申しますと、アパートやマンションはどこも安普請です。利益を上げるための「商品」なのですから。
ただしそれにもずいぶん差があって、良心的なものから普通程度、そして阿漕(あこぎ)なものまでと、連続したスペクトラムが広がっている、というわけです。
帆布はとても素人が修理できるようなものではないので、家人を通じて販売店に持ち込むとそのままメーカーへ送られてしまいました。
柔道着のように縫い固められて戻るのかなぁーと思ったら、意外にも写真のように、傷を受けた部分をわからないように補強していただいた、というわけです。家人によるとこれで費用はわずか830円とのこと!! 輸送費にすら届かないと思うのですが。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。これからも大切に使わせていただきます。
■11月24日(火) 米山駅の護岸工事が大詰めを迎えています ──西村センセイは、長〜い「途中下車」──
何度もお伝えしているように、最近のセンセイは毎週末のように出張しています。今回はたまたま関西方面に出かけることが多く、先週末は京都で今度は大阪、そして来月半ばにもう一度京都にという具合。
これが年末(+年始)まで続きます。もちろん特急電車で移動するのですが、このような場合、JRの切符、特に乗車券の買い方に注意する必要があります。
センセイは今回、新潟(柏崎)−金沢、そして出張先を移動することになりますが、乗車券をそれぞれの区間でバラバラに買うのではなく、可能ならば全区間を通して買った方がちょっと安い。
そして有効期間も長くなるのです。例えば今週末の大阪出張の場合、有効期間は5日間。大阪入りは土曜日なので今日から乗ってもずっと有効なのです。
そこで今日は金沢で「途中下車」。事情を説明して金沢駅の改札で証拠の印を押してもらいます(印は改札に常備されている)。
要するに今週の西村センセイは、ずっと途中下車のままというわけなんですね。写真は金沢へ移動中の電車から撮影したJR信越本線米山駅の護岸崩落便場。
1ヶ月くらい前にここを通過した時は、これからの日本海の荒天の季節に向かい工事があまり進んでいないような印象を受けました。
でも今日は、ご覧のように護岸ブロックの部分に型枠が設置されていました。コンクリートを流し込めばもう工事の山場を越えることができるんだと思います。
やっぱり目に見えにくい基礎工事の部分が大変だったんでしょうね。護岸の崩落から間もなく1年。
要するに砂浜での工事ですから、本当に大変だったんだろうなと想像できます。こうやって定刻通りに電車に乗ることができるのも、こういう方々の重労働のおかげなんですね。
■11月23日(月:祝日) この場所が、本当はテニスコートだったということが良くわかります
西村センセイ、今年は11月の初めから12月末までは週末の出張がたくさん入っているので、この間は、いつものように新潟の自宅に戻ることができません。
でも無事に京都から戻ることができたこともあって、昨日、今日だけは柏崎にとどまっています。不景気のせいもあるのかもしれませんが、街は浮ついた雰囲気ではなく、目の前に迫った本格的な冬に備えてしっかりと準備、という感じ。
昨日は実家から両親が我が家の庭の冬囲いに来たし。昼に車で外出したついでに、気になっていた場所へ行ってみました。
市内あちこちに存在していた仮設住宅も、被災者自身による住宅復興や公営住宅への転居が進み、建物は現在は解体、撤去され、本来の市営駐車場や公園の芝生に戻ろうとしています。
写真の、フェンスで囲まれた四角い場所もその一つ。もともとは市営テニスコートだった場所に仮設住宅を建てていました(こちらやこちら)。(右上にはJR越後線の線路が見えます。)
すぐ隣を走る陸橋の上から撮影したものなのですが、その陸橋も地震で被災して段差が発生し、車が通るたびに大きな音を発していました。
夏は暑く、冬は寒く、そして車の振動と騒音に悩まされたはずの場所なのです。この場所では9月中旬に仮設住宅の解体工事が始まりました。
奥にはまだ重機の姿が見えますが、各種の配管、配線関係、あるいはアスファルトの土台は見当たらず、元のテニスコートに戻すだけ、という感じ。改めてこの場所を見てみると、まず何よりフェンスで囲まれておりまたそれぞれに出入り口があり、コートを照らす照明装置があります。
写真ではわかりにくいのですが左奥に公共のトイレがあり、当たり前なのですが、テニスコートだったということがよくわかります。逆に言うと、もう少ししてここがテニスコートに戻ると、心身ともに大きなダメージを受けた何十世帯かが、ここで肩を寄せ合って不自由な生活を強いられていたことがとても見えにくくなってしまうということなのです。
たぶん、忘れるのはとても簡単。
他の被災地でもそうなのでしょうが、この経験をどうやって次の世代へ伝えていくのかが本当の課題なんだと思います。
昨日の続きをちょっと。こちらも初体験だったもので。
学会の会議が始まろうとする頃、複数の参加者から(神戸−京都間の)「新快速に乗り遅れたので遅刻する」との連絡......オイオイ。
彼らを待っている間、きちんと到着したメンバーで打ち合わせ兼、雑談をしていたのですが、その中に「ノートヤ」という発言。それが減ったとか、まだ残っているとか......理解できない。
とにかく学生の生態に関する話をしていることはわかるのですが西村センセイ、初めて聞く言葉です。「ノートヤ」って一体、何?!もちろん、すぐに教えていただきました。
授業にちゃんと出席した学生がその講義ノートを「(講義)ノート屋」に万円単位(!!)で販売し、お店は、講義を理解できなかった学生や、そもそも講義に出席しなかった学生──たぶんこちらの方が圧倒的多数──に数百円で「講義ノート」を販売する、という商売なのだそうです。
出席者の所属大学では、関東のW大学とか関西のD大学なんかでは、大学周辺でよく見られた光景だそうな。センセイの学生時代も確かに、講義ノートを借りてその内容を書き写した──当時、コピーはかなり高価だった──り、逆にセンセイのノートを困っている学生に貸したりしました。
センセイの時はいずれも無償で、見返りは、なし。「倫理」を学生諸君に講義しているセンセイとしては猛烈に反省すべき過去なのですが、「ノート屋」って、それを商売──最近は「ビジネスモデル」と称する──にしたものなんですね。
ところが、この「講義ノート屋」、報道にもあるように、最近は激減しているのだそうです。
良くも悪くも学生は授業に出席する──理解しているかどうかは、別──ようになったし、しかも講義ノートの内容の劣化しているとのこと。会議を無事に終えて、みんなで地下鉄の駅に向かって歩いている時、「あれが、その...」というお店を教えていただきました!!
西村センセイ、初めて見ました。良くも悪くも、昔風の、大学へは行かないけど、その門前町の麻雀店で人生の奥義を真剣に学習していたような、そんな古いタイプの学生が、ちょっと人目を気にしながら腰を下げつつ、この店の暖簾(のれん)をくぐっていたんでしょうねぇ。
意外に思われるかもしれませんが、かつての学生諸君は、表面的にはとても屈折した様態で、しかしよく考えると「お金に換算する」というとてもストレートな形で、人類の知的営為(えいい)に対する畏敬の念を、このお店で「形」に換えていたように思えます。
皆さんは、どうお考えでしょう。