2015年3月7日更新(2015年3月15日ページ移動。2017年7月15日一部写真削除)

──2015年3月第1週のニュース──

バックナンバーはこちら

3月7日(土) もう一つの、黄昏 ──下りの特急「北越」を乗り納めました──

 昨日は勤務終了後、大型バスに乗って富山県内へ移動。泊まりがけで一部教職員の研修会に参加するためです。ホントにいろいろあったのですが、内輪ネタなので、そちらは省略。
 今朝は学生部長のアウディに乗せてもらって金沢へ。

 部長のアウディは2,800ccで、センセイの318i(2,000cc)より一回り大きい。フォルクスワーゲンを含めてドイツ車共通の重さ、あるいは堅実さは共通。
 でも乗り心地はかなり違います。

 BMWが愚直なまでに基本に徹しているのに対して、アウディはもう少しお上品でお洒落。やはり、学生部長のアウディの方が一ランク上かな、という感じ。
 単純に点数なんかで比較しているわけではありませんが。

 大学で降ろしてもらって、少し仕事を片付けます。出勤してきた事務の女性陣に「こんにちは。さようなら」と挨拶して、センセイは大学前のバス停へ。
 もちろん新潟の自宅へ戻るためです。

 金沢駅に早めに到着したので、一つ早い特急「はくたか」にも十分間に合ったのです。でも前回の痛い経験から、それを見送ります。これが下り「北越」の乗り納めなのです。
 駅構内は俄撮り鉄で溢れいています。

 旧国鉄型車両を撮影するのならわかるけど、最新の521系まで競うように撮影しています。
 きっと遠くからニュースを聞きつけてやって来たんだろうなぁ。

 「しらさぎ」塗装「はくたか」を見送るころに、乙丸車両基地から「北越」が入線。「いつもの席」に座ります。
 車内はいつもの乗客+いつもじゃない鉄道ファン。両者の違いは、誰だって一目でわかります。

 今回の乗り納め、いろいろ考えたのですが特別なことはせず、「いつも通り」にすることにしました。
 だから柏崎駅の少し手前の柿崎駅で下車し、乗ってきた「北越」を見送り、右側の各駅停車に乗り換えます。

 こうすることで特急料金が少し安くなるし、跨線橋を渡ることなく、改札口前のホームで下車できるのです。
 物事には始まりがあり、終わりがあります。「出逢いと別れ」とほぼ同義。

 出逢いは準備と無縁。準備のしようはなく、出逢ってしまうので。しかし別れはたいていの場合、程度や様態の差こそあれ、皆がある程度意識している中で進みます。
 飛躍するようですが、これは弔いそのもの。

 弔いには時間と手間暇、そしてそれを仕切る平常心が求められます。俄撮り鉄には理解いただけないだろうと思いますが。



3月6日(金) MacOS 9時代の黄昏 ──研究室の機器配置換えを完了しました──

 鉄分を補給した勢いで、研究室の機器の配置換えを完了しました。

 こちらの写真とどこが違うのかといえば、ほぼ同一。でもよぉーく見ると、左端のプリンタだけが違います。年度末の予算調整で購入していただきました。
 「大学のものを使用させていただいています」というのが正確な表現。

 今まで使用していたカラープリンタはA3まで印刷できるし、Windowsはもちろん、新旧MacOSからも問題なく接続できます。
 ただし唯一の、しかし致命的な問題があって、印刷できない......。

 国外工場で製造したことによる品質管理の問題か、すぐに紙詰まりを起こしてしまい、実用にならないのです。
 すでに修理にも対応していません。

 そこで新旧MacOSに接続できるプリンタを探して──すでにほとんど存在しない──見つけたのが、NEC社製のPR-L2900Cというマシン。
 実際にはかなり古いモデルだと思います。

 調査の過程で初めて知ったのですが、このプリンタや、少なくとも現在のエプソンのプリンタは自社製ではありません。
 OEM製品で、自社ブランドで販売しています。

 このマシンは、自宅に導入したエプソンブランドのものと内容はほぼ同一で、いずれも富士ゼロックス社製。

 背面のシールには“MADE IN JAPAN”とあります。たぶん同社の柏崎工場製と思われます。
 つまりいずれも柏崎で製造されただけでなく、自宅のプリンタは、柏崎(のセンセイの自宅)に戻ってきたのです。

 それはともかく38kgの本体を設置してドラムなどを装着し、ソフトをインストール。多少手間取りましたがWindows側の接続は完了。
 続いてMacOS Xのインストールも完了。

 ところが肝心の旧MacOSが繋がらない......。そもそもHP上にはドライバが見当たらないのです。そのためのIFボードも装着したのに。

 そこでNECに問い合わせると、PostScript(という言語)の高価なソフトと組み合わせてのみ使用できるとのこと。
 つまり普通には繋がらない、ということなのです。

 利益に繋がる消耗品なども、OEMの相手先によって形状などを細かく変えており、他社ブランドのものは使用できないようになっています。それは知っていたのです。
 旧MacOSに繋がる自宅のプリンタとハードウェアがほぼ同一だったため、ソフトは(ほぼ)同一だと思い込んでいました。

 念のためにエプソンのドライバをインストールすると、何と自宅のモデルとして認識した(!!)のですが、正常には印刷できません。

 MacOS 9の時代も、いよいよ夕暮れに近づいているようです。



3月5日(木) 鉄分を補給したので、アパートのコンピュータモニタを配置替えしました

 ......全然論理的じゃありませんね。

 そのままでは、表題の前段から後段は導かれませんから。でも、書き出しを「鉄分を補給した勢いで・・・」などと書き換えると、何となくわかったつもりになってしまう。日本語の強さと弱さを垣間見る瞬間です。
 それはともかく、アパートの機器類──以前はこちら──を配置替えしました。

 しかし研究室に新しいモニタを導入した結果、これまで使用していた中途半端なサイズの液晶モニタが余剰になったこと、役目を終えた業務用CRTモニタを廃棄したこと、そしてMac mini(PPC)の寿命が尽きた──それ以前のモデルは現役なのに──ことから、機器類を再配置したのです。
 実はこの並び方、基本的には配置換え後の研究室や新潟の自宅書斎と同一。

 いずれも、左端はMacBook Pro。

 Mac/Windowsを問わず、すべてのデータは基本的にこのMacBook Proの中に存在しています。つまりこれを持ち運びさえすれば、必ず最新のデータにアクセスできます。
 他のマシンはWindowsネットワークで繋がっており、MacBook Pro内の最新データにアクセス可能。

 その右隣は、すべてを統括するMac(G4 Cube/PowerBook G4)。今だにMacOS 9マシンがシステムの根幹を支えています。
 右側のマシンは、状況に応じてテレビのモニタになったり、Mac/Windowsのモニタになったり。

 写真の配置替え後のシステムの場合、中央はMac miniのモニタ専用。その右側(右奥)は研究室同様、Mac miniの拡張画面とAVモニタを兼任。
 写真は夜のローカルニュースを表示しているところ。右端の業務用有機ELモニタはAVモニタ専用です。

 研究室は各種モニタを横に並べていろいろな情報を提示し、キャスター付の椅子で左右に動きながら作業することができます。
 実際には3画面くらいしか使わないので、大きく移動することはないのですけど。

 ただしアパートは椅子をあまり動かせないので、センセイの周囲を丸く囲むようにモニタを配置することになります。
 正直なところ、ちょっと変な雰囲気。

 配置替えによって小さいながらも新たな問題も発生しています。でも全体的には、こちらの方が使いやすい。

 写真の配置を基本に、位置を微調整しながらしばらく使ってみたいと思っています。 



3月4日(水) ここが上越新幹線の起点 ──センセイが大宮駅の新幹線ホームで気づいたもの──

 大学に出勤すると、あちこちから「お久しぶり」「お久しぶりです」......。(実話)

 いつもと違うのは、週明けの月曜日と火曜日に大学にいなかったことだけ。でもツアーを終えたセンセイを一瞥して、彼や彼女に何かを感じたようなのです。
 実はセンセイも思い当たる節が。

 今回のツアーは、東日本大震災以降初めての被災地訪問。やはりいつもの鉄道旅行とは違いました。いろいろ感じたし、考えさせられたのですが、それは日を改めて。
 今日は純粋な鉄道ネタです。

 一昨日の東京出張はお伝えしたように、強風で予定していた新幹線を変更することに。係員には申し訳ないのですが、変更後の席はあまり良い場所ではありませんでした。
 そこでひとまず自由席に乗車。

 並んでいた列の先頭だったこともあって、2階のかなり良い場所に座ることができました。そもそも、自由席はかなり空いていたのです。
 研修会の資料を確かめているうちに、上越新幹線は大宮駅到着。

 ふと、センセイが座っている席の窓の外に、写真の標識が目に入りました。最近は指定席ばかり利用している──年齢なので──ため、気づかなかったのです。

 ひとまず写真を撮影したのですが、かなり暗い環境だったので、ツアー中に現場を再訪して撮影したのが写真。「上越 0」と記されています。
 大宮駅は上越新幹線の始発駅。

 東北新幹線からここで分岐して、日本海側の新潟を目指します。この標識はたぶん、その起点を示す「0キロポスト」(「距離標」)でしょう。
 高崎駅の北陸新幹線──こちらはなぜか、チョーク書き──と同じものだと思います。

 大宮駅の新幹線ホーム13番線、やや南側の東側の壁にこの標識があります。2階建て車両なら目の高さですが、E2型だと車窓からかなり上の方を見ていないとわからないと思います。
 ただしこれが見えても見えなくても、その後の人生にはあまり影響はないのですが......。



3月3日(火) 東北地方のJR線を完乗しました ――傷心の鉄分補給ツアー最終日――

  昨日の16時20分、定刻通りに東京駅を出発したのは、日本海側へ向かう上越新幹線ではありません。東京発新青森行の「はやぶさ」です。センセイは当然、その車内。
 これから東北地方に残された最後の未乗区間に挑戦するのです。

 東北地方は文化の懐が深い。センセイはその魅力に惹かれて、チャンスがある度にJR線に乗車してきました。ただし東北地方は精神的な奥深さだけでなく、実際、物理的にも広い。
 どんなに工夫しても、1回では乗車できない区間が残るのです。列車から分かれていく線路を見ながら、何度辛い思いをしたことか。

 それでも東日本大震災の前年までには、そのかなりの路線に乗車しました。残されたのは八戸線と岩泉線。そして延伸された東北新幹線の八戸―新青森区間。前二者については、「これしかない」という感じの、我ながら見事な乗車案を完成させていたのです。
 ところが岩泉線は2010年に発生した土砂崩れで2014年4月に廃止。

 八戸線も大震災で乗車するチャンスを逸してしまいました。そこで今回、東京へ出張したついでに(!!)、ひとまず盛岡まで移動。
 そこから山田線の最終列車に乗り換えて、昨晩遅く宮古に入りました。

 今朝は早起きして、まず三陸鉄道北リアス線の宮古駅へ。2時間かけて三陸海岸を北上します。
 意外だったのですが、北リアス線の南部はとても海岸沿いとは思えないような場所を走行します。

 実際に訪れて初めてわかったのですが、そもそもここは海の民と山の民が狭い地域で同居、あるいは接している地域なのです。
 センセイのような農耕民族の出番はありません。

 いろいろ考えているうちに、久慈駅到着。八戸線の最南端の駅です。と同時にセンセイは三陸鉄道全線を乗車した――南リアス線は震災前に乗車――ことになります。
 写真はJRの駅舎ですが、隣接する三陸鉄道の駅は撮影し損ねてしまいました。すみません。

 1時間ほど待って、3両編成の八戸線のディーゼルカーに乗り込みます。こちらも最初は山間部(ただしさほど険しくない)を走行。
 柱状節理
(ちゅうじょうせつり)の海岸線を眼下に見たと思ったら、今度は陸奥白浜駅付近は見事な白砂。

 そして突然、かもめだらけの八戸市の鮫(さめ)駅に至ります。JR八戸駅と八戸市中心部はかなり離れているんですね。
 やっぱり、実際に訪れてみないとわからない。

 八戸駅からは東北新幹線と奥羽線で青森まで移動します。東北新幹線の延伸区間はまだ乗車したことがなかったのです。
 トンネルの連続を抜けると、新青森駅に到着しました。

 北海道新幹線開業が迫っているので、新青森―青森駅間はピストン輸送。特急に乗っても料金は不要です。
 これで東北地方のJR線未乗路線・区間はなくなりました。

 でも「それでもまた来てみたい」と思ってしまうのが東北。センセイだけかもしれないので、無理強いはしませんが。



3月2日(月) 東京工芸大学での研修会を終えました ――傷心の鉄分補給ツアー2日目――

 昨日のガーラ湯沢駅の写真、お気づきだと思いますが、路面が濡れています。

 新潟地方は昨日のお昼前後から雨が降り始め、しかも強風が吹き荒れています。困った...。ツアー2日目の今日、センセイは東京工芸大学で開かれる学内研修会の講師を仰せつかっているのです。
 正直なところ、なぜセンセイなのかよく分からないのですが、仕事は仕事。所定時刻までに会場へ到着している必要があります。

 センセイの自宅がある柏崎市付近は、日本海からの風が強い場所で、信越本線はすぐに徐行運転になります。今朝は、快速列車と接続の良い新幹線を予約してあります。
 前者が5分以上遅れると、新幹線には間に合わない。実際、目の前で置いてけぼりをくったことがあります。

 早めに起床し、新潟支社の列車運行情報システムで確認すると問題なし。実際にはかなりの強風だったので、柏崎駅に電話すると女性駅員の声で、「現在のところ平常運転です」。
 少し疑念を残しながらも、予定通りの朝食を済ませたのですが、自宅脇の信越本線を通過した一番列車は10分遅れ......やっぱり。

 彼女を責めているわけではないのです。電話をした時点では、まだ影響が表面化していなかったのですから。彼女は研修中の新人。頭の良い人ですが、問い合わせる側の事情にはまだ、配慮が及ばなかったようです。
 ツアーの荷物を抱え、北風に抗して柏崎駅まで歩きます。

 駅に近づくとホームで待っている乗客へのアナウンスが聴こえてきました。やはり徐行運転が実施されており、10分程度の遅れが発生しているととのこと。残念ながら、所定の新幹線には間に合いません。
 柏崎駅で次の新幹線に「乗車変更」してもらうことに。

 このまま乗車したら、長岡駅で乗り継げなかった多くの人が窓口に殺到することになるのです。みどりの窓口で待っていたのは、他ならぬ彼女。笑顔でてきぱきと対応し、新しい特急券を発行してくださりました。
 嬉しいような、悲しいような。

 強風のホームで待っていると、10分遅れで到着したのは何と485系T-18編成。あらかじめ6両編成の中で、一番良い場所を指定してあります。ホントに長い付き合い。
 切れるようでなかなか切れない。

 柏崎以東は強風の影響を受けないので、快速「くびき野」は越後路を快調に駆け抜けます。その甲斐あって、遅れは8分まで短縮。
 長岡駅到着寸前でアナウンスがあり、何と、新幹線はこの8分遅れの快速列車からの乗換えを待っているとのこと。絶句。

 後で考えてみると、この新幹線はほとんどの駅を通過する速達型。上野駅すら通過します。多少遅れても遅れを取り戻す――「回復運転」――ことができるんでしょうね。
 でもまぁ、もともと余裕のある行程を組んでいたので、実害はありません。

 気を取り直して次の新幹線に乗車し、約1時間遅れで東京駅到着。乗り慣れた中央線と地下鉄を乗り継いで、初めての中野坂上駅へ。
 徒歩数分で、東京工芸大学に到着しました。

 都内、それも区部にあるという、センセイが経験したことがない立地です。その分、校舎はいくつかに分かれているようで、写真はその中で最もカッコイイ2号館。
 かなりお洒落です。

 研修会は別な建物の会議室で行われたのですが、たくさんの先生が参加されていました。できる限りのことはしたつもりですが、果たして先生方の真剣な眼差しに応えることができたかどうか......。
 会を終えてから、「16時20分の新幹線に乗るので」とお詫びをして、大学を後にします。

 決して、間違いではないのです。予約しておいた16時20分東京発の新幹線に実際に乗車したのですから。

 ただしそれは、北陸へ向かう上越新幹線――3月14日以降なら北陸新幹線――ではなく......。(続く)



3月1日(日) 傷心の鉄分補給ツアー開始 ──新潟県内のJR線に完乗しました──

 センセイをご存じの方ならタイトルの後半を目にして、「そんなバカな...」と思われたかも。でもホントなんです。

 センセイは明日、都内へ出張することになっています。依頼先から届いている文書によると、午後には解放されるはず。そこでこの機会に、JR線の未乗区間に乗ってみようと考えたのです。
 そのため、翌日は休暇を頂戴しています。

 たまたまこの期間は、センセイが入会しているJR東日本の「大人の休日10周年パス」が使えます。これを活用して、メインのチケットは1ヶ月前に確保済。
 ところでこのパス、有効期間が4日間もあります。

 そこで開始日を今日にしておきました。体力に余裕があったらどこかへ行ってみようと思っていたのです。最初に考えたのは第三セクター化される信越線(通称「信越山線」)と、少々ご無沙汰している飯山線。
 でも、ふと、新潟県内でまだ乗っていない区間があることを思い出しました。

 信越山線は乗りたいと思っていたので、今朝、まず乗り換えの直江津駅に向けて出発。ところが駅は撮り鉄で溢れています。その数はたぶん200〜300人くらい。(実話)
 駅員さんによると「来週の週末はもっと増えるだろうなぁー」。(もちろんこちらも実話)

 彼ら──そして少数の彼女ら──のお目当ては、間もなく運用が停止される国鉄型車両。特に485系やセンセイが乗車した183/189系は人気の的で、485系T-18編成が現れた時は大変な騒ぎでした。
 事故などを起きずにダイヤ改正を迎えることを願っています。

 長野までは115系でも良かったのですが、くすんだ緑色の旧「あずさ」型183/189系に乗るチャンスはこれが最後。
 そこで各駅停車ながら(!!)「妙高」の名を冠された列車に乗ることにしました。

 しかしホームに入線したのは写真のように特急標準色に塗装された長野総合車両センター所属のN101編成。
 ま、途中で「あずさ」塗装を2回見たからいいんですけど。

 車内はほぼ満席。行動パターンを見ていると、やはり俄ファンがほとんどという印象を受けます。最近の特徴は親子連れ。
 「父と息子」は昔からあったのですが、最近は「母親と息子」というパターンも。そして母親が子供と一緒に夢中になっているのです。

 JRもそれに応えてか、「あずさ」色の全席指定臨時列車を走らせた──撮り鉄のお目当てはこれだったらしい──り、横須賀色の115系臨時列車を走らせたり。

 発車してからも騒動は続きます。沿線の撮影ポイントには防寒具を纏い、三脚でビデオを、そして手持ちの望遠カメラで列車を撮影している撮り鉄が、ざっと500人くらい。
 そして車内では、センセイを含めて特急型1列車あたり400人くらいの人が繰り出していたんじゃないかと思います。

 雪の季節の終わりを感じさせる美しい風景を愛でながら、長野到着。駅ビルは北陸新幹線延長に合わせて改装工事中でした。6日後に開業とのこと。
 土産店も営業していなかったので、コンコースの売店で両親と伯母への土産を購入。

 たぶん15年ぶりの長野新幹線に乗車して、高崎で下車します。少し待ってから、上越新幹線「たにがわ」に乗車。
 もちろん何度も何度も乗車した区間です。

 でも西村センセイ、越後湯沢駅から分岐し、冬季間だけ営業する「ガーラ湯沢」までの僅かな区間は乗車したことがないのです。
 越後湯沢駅でほとんどの乗客が下車すると、ドアを閉めた「たにがわ」は、本線から外れて下降します。

 程なく、ガーラ湯沢到着。改札口はホーム上の2階にあり、そこを抜けるとまさにスキー場の入口になっています。
 ただし今日は強風で営業中止とのこと。スキー客は近くの提携スキー場へ案内されていました。

 センセイもすぐに越後湯沢駅へ戻ります。もうすぐ発車する金沢行きの特急「はくたか」が発車するのです。

 無事「しらさぎ」塗装の「はくたか」に乗車し、沿線の風景を愛でながら、改めて「はくたか」乗り納め。直江津で特急「北越」に乗り換えて、夕方自宅に戻りました。本降りになった雨のせいか、帰路は撮り鉄の姿は激減していました。
 明日は、仕事も鉄分補給も本番です。

 県内JR線を完乗した西村センセイ、この勢いで明日以降どこへ向かうのか。

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る