2024年12月28日更新(2025年1月5日ページ移動)
■12月28日(土) 男の子とお母さんは、ホントに嬉しそう ──県内は平野部でも局地的に積雪が──
今日は見たままのお話。
今朝目が覚めると外が、いやに静か。吹き荒れていた風が夜半に止むことは知っていたのですが、静かすぎる...。列車の音も聞こえません。階下に降りる前に外を見ると、おぉ、雪。静かに、しかし割としっかり降っています。
ただし積雪は数cmと、まだ少ない。調べてみると朝6時頃から降り始めた──気温が急に低下している──ようです。海岸部の当地には珍しく、小粒の雪。上空の気温が低いことを示しています。この強い降り方、そして朝からの降雪だと、ちょっと困ることになるかも。
もちろん公共交通機関の乱れです。新潟県なので、十数cmと予想される積雪量そのものは大したことないのです。問題は、道路の除雪が通勤通学時間帯に間に合うかどうか。
すでに雪が降り始めている場合はもちろん、朝までに雪が積もると予想される場合は前日のうちに除雪準備を開始。未明に除雪作業するので、夜が明けてからの人々の移動時には除雪をある程度終えています。
ただし今日のように朝になってからの雪は、準備態勢が間に合わない場合も。2021年1月の富山県内がこの状況。
センセイの移動日の前日、北陸地方はお昼頃から急に雪が強くなりました。準備が整っていなかった上に、日曜日で人々が活動していたために除雪が遅れ、富山県内の交通は大混乱。
富山市を中心に、その日のうちに帰宅できなかった人が続出しました。(その日の新潟県内は、あまり混乱しなかった)雪はそのまま降り続いたため帰宅できないどころか、翌日になっても同じ場所に留まる事態に。当然、ガス欠などの事態を招き、大変な状態が数日間続きました。
あの大雪と大混乱の中を金沢まで無事にたどり着けたのは、まさに僥倖(ぎょうこう)。それはともかく今回、もう一つ気づいたことが。仕事をしながら雪の降り方を時々見ていたのですが、面白いように雪の形と大きさが変わっていきます。
全体の傾向としては大型化して、いわゆる「ベタ雪」に。上空の気温が少しずつ上昇しているのです。写真はいずれも、お昼前に撮影したもの。1枚目は拙宅近辺の様子です。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)だと実際の雪の降り方を擬似的に体感していただけるかもしれません。
今日の午前中は、ずっとこんな感じ。写真中央部を横切る幹線道路は除雪されていますが、ご覧のように生活道路はまだ。写真奥には除雪作業中の重機が見えます。
道路の右側に福祉施設と関係者の駐車場があり、その除雪中なのです。歩道は除雪されていないため歩くにくくて仕方ないことを除けば、人々はごく普通に生活を送っています。
外出の最後に晩酌のツマミを買い求めてスーパーへ移動している時に撮影したのが右の写真。降りしきる雪の中、3歳くらいの男の子と母親の姿を見かけたのです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
男の子は雪遊びが楽しいようで、自分が作った大きな雪の団子を嬉しそうに母親に差し出そう/見せようとしています。別な意味で、母親も心から嬉しそう。
実は、今日のこの雪は局地的。今回の降雪は「山雪」型の要素が強かったので、ニュースで報道されているように群馬県および長野県との県境付近では、例年の倍近い大雪となっています。(JR上越線および旧信越本線も雪のため不通)
でも平野部は別。当地の降雪は“JPCZ(Japan-sea Polar airmass Convergence Zone)”(「日本海寒帯気団収束帯」)がこの地域にかかり続けたことによるもの。外れた新潟市は無雪──ただし風は強い──ですし、雪が多いことで知られる当市西側の海岸部も雪が少ない。
気象庁の「アメダス」だけでなく地域情報カメラで確かめても、ほぼ無雪。当初は大雪が予想された当地ですが、少なくとも狭義の年末年始は概ね、こんな調子が続きそうです。
■12月27日(金) 己の不明を恥じ入るばかり... ──キヤノンのミラーレス用EF-Mシステム、終焉──
チャンスは複数回存在したのです。
センセイは現在、キヤノン製コンパクトデジカメ“PowerShot G9 X Mark II”と同社製ミラーレス“EOS Kiss M”を使用中。お伝えしたように後者については最近、中古の「梅」望遠レンズを購入しました。
(弱点を認めつつも)“EOS Kiss M”システムの良さと、これからの可能性を認めたからです。ところがここ1年ほど、“EOS Kiss M”を含む「EF-M」システムについて不安を抱くような記事を見かけるようになりました。最初は「何のことだろう」、あるいは「そんなはずは...」と思っていたのです。
でもどうやら、事実を認めざるを得ない状況に。本題に入る前に少し説明を。ここでの「システム」というのは一種のプラットフォーム。コンパクトデジカメやスマートフォンなどは単体で完結しており、その上で各種性能や使い勝手などが問われます。
でも性能および価格的にある程度以上のカメラになると、本体と、目的に応じたレンズを組み合わせて使用することが多い。そのためには寸法や形状だけでなく電気電子的な、そして最近ではソフトウェアを含めた整合性が求められます。これが「システム」。具体的には、本体とレンズを接合させる「EF-Mマウント」が共通でなければなりません。
キヤノンの場合、初めてのミラーレス用に「EFシステム(マウント)」から派生させたのが、「EF-Mシステム」。“EOS Kiss M”はその代表選手の製品。
以前もお伝えしていますが西村センセイ、実はカメラにあまり詳しくありません。科学研究費補助金の対象に採択され、短時間で機種を決定する必要があったために選んだのが“EOS Kiss M”。
直接の選定理由は何と、当時ヒットしていたから。“EOS Kiss M”は科研費の目的達成のために十分活躍してくれました。ですから本質的には何の問題もありません。
センセイとしては、十分流通することで安定した性能が期待されると同時に、このフォーマットがそれなりに長く続くだろうと考えて選定したのです。当時は管理職でデタラメに忙しかったため、情報不足での判断はしかたなかった面が。
でも、できればこの時にもっと情報を収集しておくべきでした。そして次なる、そして最大のチャンスは退職時。お伝えしたように、借りていた“EOS Kiss M”は大学に返却。同じモデルを再度、私費で購入しました。要するに、慣れていたから。
でもバタバタしていたとはいえ、ここではもっと調査研究すべきだった。(深く反省)この頃から時々妙なニュースに接することが。キャノンがこの「EF-Mシステム」を終焉させるというのです。
キャノンが「EF-Mマウント」を開発した目的は小型軽量化によって、これまで大型高性能のカメラにご縁が薄かった人々、特に子育て中の女性に関心を持ってもらうこと。
「カメラ女子」なる言葉が流行っていた頃です。別な観点からするとキヤノンとしては、当時どんどん高性能化が進行していたスマートフォンとの差別化を図る必要があったはず。
実際、各社のコンパクトデジカメは急激な販売不振に陥っていたのです。そのため売却した「竹」望遠レンズのように、マウント部分──かなり力が加わる──までプラスチック製にするなど、軽量化を徹底。
しかし、肝心の画質にも大きな変化が。
「竹」望遠レンズだけでなく写真(およびこちらの左側)の標準レンズを含めて、一見すると小綺麗な画なのです。でも良く見ると八方美人過ぎて平板的。別な言い方をすると説明過多で、何を訴えたいのかわからない。
他方、センセイの写真がそもそも網羅、説明的な撮り方なので、このサイトでは弱点が重なります。以前から気づいていた問題です。
でも「松」および「梅」望遠レンズを使ってみて、課題をはっきりと自覚しました。一部繰り返しになりますが、要するに良いものは良くて長持ちするし、能力のないもの(/者)は能力がなく、ご縁がない。
他方、高齢者のセンセイに残された時間もそんなに長くない。今回の望遠レンズ購入に際して、「EF-Mシステム」をめぐるキヤノン側の事情がわかってきました。“EOS Kiss M”をヒットさせたところまでは良かったのです。「EF-Mシステム」では小型軽量化のため本体やレンズだけでなく、光学系および接合部のマウント部分も小径化。
小型化された撮像素子(C-MOS)に合わせたからです。ところがその後、他メーカー(ソニー)が素子を大型化して高画質化。
その撮像素子を用いた製品もヒットします。後塵を拝したキャノンの「EF-M」は小径化が徒(あだ)となり、性能面で追いつけないことが明らかに。要するに、「EF-M」製品群企画時の詰めの甘さが祟ったわけです。
キャノンは「EF-M」の開発を中止。新たに「Rシステム(RFマウント)」を開発。“EOS Kiss M”に相当する製品もすでに販売されています。「EF-M」はというと昨年、静かに終焉。11年という短い寿命でした。
一般論はともかく、さて、センセイとしてはどうしよう。
いろいろ考えたのですが、現行の“EOS Kiss M”に特段の問題があるわけではありません。標準レンズは画の力がちょっと弱いけれど、「松」および今回購入した「梅」望遠レンズと組みあわせると、“EOS Kiss M”が持つ良さが生きてきます。
そもそもセンセイは年金生活者なので、すぐに「Rシステム」へ乗り換えるというわけにもいかない。というわけで、“EOS Kiss M”に大きな問題が起こらない限り、使い続けるつもり。仮に本体が寿命を迎えたとしても、「松」および「梅」望遠レンズはアダプターを介することで「Rシステム」で使用可能です。(いつまで正常に動作するかは別)
ただし写真の標準レンズは使用できませんが。う〜ん、それならこの際、限界を感じている標準レンズに代えて...。(遠くを見る目)
この話題が続くかどうか、仮に続いたとしても、続きがいつになるかはわかりません。ホントに。
■12月26日(木) 義理の叔母さんから頂戴した落花生を炒りました。今回はオーソドックスな方法です
予定を変更してお伝えします。
2週間ほど前、義理の叔母宅を訪れました。叔母さんは野菜を育てるのが本当に上手。ダイコンやネギ、タマネギそして白菜など、立派な野菜をたくさん頂きました。その中に「地潜(ぢもぐ)り豆」こと、生の落花生も。
もちろん叔母さんが育てたもの。ただし夏の空豆(こちらやこちら)同様、センセイの地域では栽培されていない野菜──たぶん土質の関係で育たない──なので、調理の仕方がわかりません。去年初めて頂いたのですが、その時(こちらやこちら)は本当に悪戦苦闘。
他の用事との関係で今日の午後、頂いた中の1/3くらいを炒ってみました。お伝えしたように去年は殻が付いたまま炒ったのですが、今年は殻を剥いてから。つまりオーソドックスな方法です。
細かい破片や殻に付着したままの泥が落ちるので、新聞紙を広げてから作業。たいていの場合、殻は手で押し潰すことができるのですが、中にはとても硬いものの。
そのような場合は去年同様、ニッパーで殻の一部を破ります。豆を「炒る」作業は基本的に、加熱と水分を抜くことが目的だと理解しています(もしかしたら違うかも)。煮る、蒸す、焼くそして炒める──これは別な要素が入るはず──などの方法でも加熱可能。
一番お手軽なのは、電子レンジで「チン」すること。でも電子レンジでの加熱は、電磁波を当てることによって水分子を共振させ、対象の内部から発熱させるという方法。その結果は感覚的に、「茹でる」と「蒸す」の中間くらい。
普通に加熱しただけでは決して「カラッ」と仕上がりません。他方、外部から加熱──今回は最終的に、フライパン上で弱火で炒る──する場合、どうしても熱伝導が主になるので、対象内部の水分は抜けにくい。
下手をすると、外は焦げ始めているのに中はまだ水っぽかったりしかねません。というわけで1年ぶりの作業は、まず電子レンジで内部の水分をある程度飛ばした上で、フライパンで炒ることに。1枚目の写真の生豆を、ラップを掛けずに電子レンジへ。
1分加熱後にかき回して、再度1分加熱しました。(この方法が最も適切であるという保証はありません)2回目の加熱の最後の方で「プチッ」という弾ける音がしたので即座に加熱を中断。加熱が特定の部分に片寄ったために割れたか、膜が破裂したのです。有名なのが玉子の場合。
電子レンジで加熱すると全体が破裂して、大変なことになります。フライパンはすでに十分加熱済。冷めた状態から始めないのは、可能な限り熱伝導ではなく熱輻射で加熱するため。豆はご覧のようにラグビーボール似の形状。
空豆がフライパンと直接接触する部分は実は、ごく僅かなのです。ガスレンジの火を最弱にして加熱開始。前述の理由により、できるだけいろんな場所で接するように、菜箸で撹拌します。2枚目の写真はかなり加熱してからのもの。
加熱が進んでいるため、外皮の一部が焦げ始めています。今回初めて気づいたのですが、炒っていると少しずつ豆の数が減っていくような感じが。時々抜き取って試食したのですが、決してそのためではありません。
加熱で水分が抜けて豆の体積が小さくなっているため、全体の印象が変わるのでしょう。3枚目の写真は、作業を終えて撮影したもの。これだけ加熱したにもかかわらず、この時点ではまだ「しんなり」。市販のピーナッツとは全然違います。
でも不思議なことに、冷めると「カラッ」とした、あの食感に。肝心要は、その味。決して叔母さんから貰ったから...というわけではないのですが、去年もご報告したように、野菜そのものの味がします。
市販品では決して味わうことができない、深みのある味わいです。深謝、深謝。
で、今回の作業で気づいた可能性が。家庭での電子レンジ+ガス直火加熱という方針そのものは適切だと考えているのです。でも必ずしも、フラパンを用いた加熱じゃなくてもいいんじゃないだろうか。
具体的にはガスグリルの活用。金沢でも行っていたように、アルミホイル──普通のものでかまわないと思う──を使えば、熱伝導よりも上下からの熱輻射を主とした加熱。しかもエネルギー消費量、つまりガス代も節約できる可能性が。
倖い、叔母さんから頂いた落花生はまだかなり残っています。近日中に挑戦してみたいと考えていますが、この続きがあるかどうかはわかりません。悪しからず。
■12月25日(水) 今日の天気のせいかもしれないけれど... ──喧噪の陰で浮かび上がってくること──
もしくは、世の中がクリスマス&年末モード一色だからかも。
今日は本当に珍しく割と天気が良かった──少なくとも雨や雪はほとんど降らなかった──ので、いつもより早く徒歩で外出。当然、晩酌用のツマミを購入すべくスーパーへ立ち寄ったのですが、店内の雰囲気がいつもとまったく違います。
まぁ、昨日もクリスマスイブモードだったのですが。平日の昼間ということもあり、お客さんはそんなに多くないのです。メインはセンセイを含めた高齢者。ただし冬休みに入ったようで、小学生の姿も目立ちます。際立つのはまず、買い物の量。箱単位のまとめ買いが多い。
そして買い物籠の中身も普段と違い、正月用品が目立ちます。実は最初に理髪店へ行ったのですが、多くの方が順番を待っていらっしゃいました。そこで近くで別な用を足してから戻ったのですが、順番待ちの人数は変わらず。白状すると4回目で覚悟を決めて、やっと入店。
理髪中の高齢者が、お客さんの多さについて言及したようです。(その部分はちゃんと聞こえなかった)店員曰く「お客さんには、1ヶ月に1回来るとか、2ヶ月に1回とかいろいろいらっしゃるんです。中には3ヶ月という人も。当然、お客さんが店を訪れるタイミングが違います(=ピークがずれる)よねぇ。でも12月は、そんなお客さんが皆(一度にお店に)来るんです。だから(今日のように)波がある(=客が集中する)んです」。
なるほどねぇー。かように世の中は、「ハレ」一色。
でも光が目立つほど、「陰」とは言わないまでも「そうでないもの/こと」の存在も浮かび上がってきます。その一つが、当地の廃屋あるいは非現住家屋の多さ。
写真は旧市街地にある立派なお宅。先日撮影しました。一般住宅より大きく、しかも造りがちょっと違うのは、この建物がかつて耳鼻咽喉科の医院(兼住宅)だったため。センセイも10歳くらいの時から20歳過ぎくらいまで、時々通院していました。
待合室や診察室の様子、そして女医さんのことを良く覚えています。ご覧のように今は空き家。少なくともセンセイが新潟に戻ってきた35年くらい前からずっとこの状態です。旧市街地を歩いていると特に、廃屋の多さに驚かされます。
ざっと10戸に1戸くらいじゃないだろうか。もちろん人口減少と空き家の増加は徐々に進んでいたのです。でも明らかに、節目は大きな地震。特に2007年の新潟県中越沖地震では今年の能登半島地震同様、多数の家屋が全壊等の被害を受けました。
被災家屋解体の進行と並行して、無事だった/被害が軽かったお宅でも、高齢者を中心に転出する方が続出。今や旧市街地は更地と空き家だらけ。商店も次々と閉店しており、久しぶりに当地を訪れた関東在住の同級会が、「寂れたねぇ...」と嘆きます。まったくその通りなので、反論あるいはフォローのしようがない。
それにしても廃屋は共通して、悲しそうな顔をしています。滅びの美学、かも。
意外と、撮影でも使用した中古「梅」レンズの描写力によるものかもしれませんが。
■12月24日(火) これでサンタさんも過去へ一っ飛び!? ──沼津高専のウェブ地図に出くわしました──
実家の用で、その周辺の住宅地図を印刷する必要が。
決してちゃんとしたものでなくていいのです。そこでまず考えたのが、Googleマップ。でも実際に印刷したことがある方はお分かりと思いますが、画面のコントラストが弱いので、そのまま印刷すると何だかわからなくなってしまいます。
そこでセンセイは必要な時、画像ソフトでコントラストを強めてから印刷。でも今回、Googleマップは別な理由で使用不可。都市部では家屋の位置が示されますが、実家のような郡部では表示されないのです。そこで次に考えたのが「地理院地図」。
こちらは家屋の位置が記されています。でもここで、今より人口がずっと多かった頃──現在、世帯数はピーク時の約1/3にまで減少──の地図あるいは航空写真があると便利なことに気づきました。
以前、何回かご紹介(2006年2月/同年3月/同年3月/同年4月など)していますが、こちらも国土地理院が公開済。ところがURLが変わっていたため改めて検索すると、「ウェブ地図」なるサイトに出くわしました。沼津工業高等専門学校の佐藤崇徳研教授が運営するサイトです。
これが実に面白く、便利で有益。特に「空中写真タイムトラベル」は、まさに今回の目的のためにあるようなもの。ただしそれ以外にも、地図の実に多様な使い方が提案されています。
今回は金沢工業大学(写真中央)近辺の変遷を例に取り上げてみます。掲載されている航空写真の枚数は地域によって異なります。大都市などでは非常に古い時代から撮影されている場所ものもあるのですが、金沢工大や実家近辺は3枚だけ。
1枚目は1969年以前に撮影されたもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)金沢工大は、前身の「北陸電波学校」および「北陸電波専門学校」を経て1965年4月に開学。1967年4月に現在の場所へ移転しているので、この写真は1966年以前の撮影と考えられます。
ご覧のように周囲は田圃だけ。良く見ると左側(=西側)を、北陸鉄道石川線が走っています。(「金沢工大前」駅は未設置)2枚目(右)は1970年〜1986年の間に撮影されたもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。大学の基本的な施設を確認できますが、比較的近年の7、8号館はおろか図書館棟を含む6号館も存在しません。
他方、大学周囲には住宅が建ち始め、長屋式の「寮」と呼ばれる学生アパートや賄い付きの学生寮も確認できます。住宅建設など土地利用の変化も興味深いのですが、今回、個人的に驚かされたのは道路や河川の改修。大学脇を流れる高橋川(写真中央)については氾濫と、それに対する教職員の対応などの逸話を聞いていたのです。
改めて写真で確認すると高橋川も、そして写真右上の伏見川も、大幅に改修されていることがわかります。最後の写真は1987年以降に撮影されたもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
ここまで来るとGoogleマップとほぼ同等。というかGoogleの方がもっと多様な使い方ができるので、普段使いにはずっと便利。ただしこちらは、あまり過去に遡ることはできません。
その意味で、ここで公開されているデータは非常に貴重。当初、これほどまでの内容を教授が1人ですべて為したんだろうかと驚嘆したのですが、どうもそうではないらしい。最初にお伝えしたように、元となるデータは国土地理院によるもの。
ただし従来公開されていたのは、比較的狭い範囲を撮影した個々の航空写真だけ。実家付近の写真を6枚ほど繋げてみたことがあるのですが、どうしても写真の周辺部で「収差」(=光学的な歪)が発生するため、うまく繋がりません。
だからこそ今回、本当にびっくりしたのです。でもどうやら比較的近年、国土地理院側で収差を修正──たぶん、レンズのデータを元に、コンピュータで歪を自動補正している──の上で、連続画像を作成したらしい。
現在は「地理院地図」でも同内容を公開しいます。ちょっとわかりにくいのですが、「地理院地図」の左上にある「地図」から「写真」、そして「年代別の写真」を選択すると、同内容を表示できます。なお誤解なきように申しますが、決して佐藤教授の取り組みを軽視するものではありません。
実際に使ってみるとわかりますが、こちらの方がはるかに使いやすい。しかも前述したように、初学者が思いつかないような地図の使い方を提案してらっしゃいます。さすがだ。
騙されたつもりで、現在の居住地やご実家、そしてご縁があった場所の過去を調べていただくと、文字通りの「タイムトラベル」。驚く場面に出くわすかも。センセイはというと国鉄およびJR、そして私鉄の廃線跡をいくつか回ってみました。
おぉ、これが本当に...。最後に、センセイからのクリスマスプレゼント(?)。
上記3枚の写真を動画にしたもの(3/4縮小)を、併せてご紹介します。(2秒間隔のGIFアニメーション。960×720)
必ずしも品が良いとは言いかねるので、こちらは別ウィンドウで。
■12月23日(月) 労働集約型産業のこれから ──ギフトショップと中規模印刷会社は似ているかも──
約2ヶ月従事した実家での任務、その最終回。(予定)
今回の一連の仕事は、部分的にはそれぞれ経験したことはあったものの全体を通して、しかもセンセイが主体的に担当したのは初めて。この間、場面に応じていろいろな組織や人々と折衝、協力して、本来の目的を達成することができました。
本当に彼ら/彼女らのおかげです。誤解されたくないのですが、ほとんどの方が自らの業務に真摯に向かっていらっしゃいました。特に若い方の、その前向きな態度にはつくづく敬服させられました。白状すると、大学生にはなかなか感じられない真剣さ。
もっとも学生だって卒業後にはきっとそうなるはず、と、大いに期待していますが。何度かお伝えしましたがやはり、若者をもっと評価してあげるべきだと思う。ただしそれと同時に、個々の構成員がどんなに誠実に取り組んだとしても、所属する組織が同じように機能するかどうかはまったく別問題。
特に今回は人手に依存した仕事、つまり労働集約型の業務内容。どうしても人件費を中心とした費用が掛かるし、情報化などによる効率化も進みません。個別にはタブレットを用いたその場での情報入力などは進んでいるのです。
でも最後の最後はやっぱり、手書きのメモを残すなどといったアナログ。(決してアナログを否定しているわけではない)仕事の性格上、しかたない部分があるのです。それでも「もっと効率化できるのでは? 」と感じる場面も。その一つがギフトショップでの出来事。
関係者の依頼で、お店とのやり取りを担当したのです。何か相談、確認ごとがあると営業担当者が「すぐに参ります」と、十数km離れた現場まで自動車でやって来ます。もちろん有り難いこと。特に依頼する人間は一般的に、高齢者が多いし。
しかもビジネスは基本的に、すべて手書き伝票。ある時、効率化および間違いをなくすためにデータを送信したのですが、お店の方はびっくり。たぶんそんなことをするお客はほとんどいないのでしょう。その上で、細かい部分について膝詰め談判するのは当然のこと。
そこでお店を訪れると今度は、センセイの方がびっくり。さほど大きくないお店は、発送予定の贈答品で溢れており、本当にたくさんの女性スタッフが、汗水流して働いていらっしゃいます。お店の事情を弁護すれば、お歳暮のシーズンと重なったということもあるのでしょう。
商談のためのスペースは、お店の隅っこ。それも先客がいらっしゃった──商売繁盛で何より──ので、10分ほど待ってから打合せ。そしてここでも登場したのが、感圧紙式の複写伝票。電卓を使って支払金額を積算し、やっと見積書が完成。やれやれ。
ちなみに実際の請求金額は、見積金額より数%増えていました。この雰囲気、どこかで...と思ったら印刷会社、特に中規模の会社と似ていることに気づきました。でも現在の印刷会社は「文学フリマ」に見られるように、情報化が相当進んできます。(そうでなければ「文学フリマ」は成立しない)
その波に乗り損ねた中規模の会社は、前任校でお世話になった会社を含めて倒産し、完全に淘汰されています。もちろん去年、喪中葉書の印刷でお世話になったような小規模の会社はそれなりに存続していますが、それでも経営そのものや従業員の待遇は相当厳しいはず。で、このギフトショップの場合はというと、おそらく両者の境界線上。
もちろん業務内容が異なるので、簡単に断言することはできませんが。この2ヶ月、関係者の仕事ぶりを間近で拝見──センセイにはその仕事そのものはできない──して、本当にいろいろなことを考えさせられ、そして多くのことを学ばせていただきました。
お世話になった皆様に改めて、心より感謝申し上げます。(ペコリ)
■12月22日(日) 決め手は、実際に使えるかどうか ──「梅」レンズで白鳥を撮影してみました──
昨日の続き。
お伝えしたように、センセイは一昨日の金曜日に実家と親戚宅を訪れました。これで用は片づいたと思ったのですが、帰宅後に父親から電話が。彼の指示を受けて昨日、改めて親戚宅を訪れました。
写真はその帰りに、今回購入した中古「梅」望遠レンズで撮影したもの。昨日はセンセイが使用している(/していた)3本のレンズについて比較対照が可能な写真があったため、それを用いてお伝えしました。でも写真はカメラやレンズの性能のために撮るわけではありません。
撮りたいものがあるからこその、それを実現するための道具。もちろん余裕があれば、内容的にも質的にも「良い」写真を目指したいものですが。
何を言いたいかというと、実際の現場で使ってみないと機材の真価は判断できません。昨日は時間的な余裕もあったし、そもそも車での移動。本来ならば「松」レンズを持参するところですが今回は、敢えて「梅」を選択。
その使い勝手を現場で確かめてみることにしました。倖いなことに、親戚宅は白鳥たちの餌場のすぐ近く。往路に目星をつけて帰りにちょっと寄り道。予想通り、約50羽の白鳥が群れとなって前回の場所でお食事中。
餌場は道路から比較的距離があり、しかも土手の雑草で見えにくい場所にあります。というより白鳥は人間を警戒して、そのような条件を満たす場所で餌を採っているのでしょう。だからセンセイが車を止めて外に出ても余裕。ほとんど警戒しません。
他方、道路の反対側の比較的近い場所には、写真の14羽の小さな群れが。こちらは道路から距離が小さいので、すべての白鳥が首を持ち上げて、こちらを(横目で)向いて警戒態勢に入っています。ただしこれだけでは比較検証にはちょっと使えない。
その時、予期せぬことが。何を考えたのか、大きな群れの中の4羽が次々と飛び立ち、センセイの周りを大きく半周以上するような格好──たぶんセンセイを警戒して/センセイで遊んでいる──で、その小さな群れまで編隊飛行。
着地の様子を捉えたのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))どうでしょう。
昨日の写真も含めて、センセイはいつも通りの条件で撮影しています。撮影画素は2656×1992ピクセルとかなり小さく、データサイズもわずか約1.8MBに留まっています。この写真に関して言うと、センセイは絞り(開放F5.6)とオートフォーカスだけを設定。
撮影時の焦点距離は216mm望遠端。その他は完全にカメラ任せだったのですが、今回データを確認したところ感度はISO125で、シャッタースピードは1/200sでした。
拡大写真では「流し撮り」──移動する被写体に合わせてカメラを向けると背景が流れて見える──のように見えますが、これはまったくの偶然。絞りを開放してシャッタースピードを稼いだつもりだったのですが、実際は割と暗い環境。
その結果、センセイの想定よりも長く露光していただけのこと。カメラ側には流し撮りの機能があるのですが、このレンズは古いので対応していません。それにそもそも、センセイは流し撮りなんてできないし。
それはともかく、そしてセンセイの撮影テクニックのなさに我慢していただければ、4羽の白鳥の個性に気づきます。同時に、4羽が応援(?)にやって来てくれたことを認識した白鳥が警戒感をほとんど解いていることがわかります。
直前まではすべての白鳥が、フラミンゴのように首を垂直に持ち上げて警戒していたんですよ。今日は写真としてではなく、検討検証のための一種の素材として、写真の中央部分を一切加工せずにオリジナルのまま、トリミングだけ施した写真をご紹介します。RAW画像ではなく、デフォルトのjpeg写真です。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
改めて、いかがでしょう。撮影時の感想はまず、ピントがもっと俊敏に合ったら嬉しいなということ。上位の「松」レンズは“USM(Ultrasonic Motor、超音波モーター)”搭載なので、びっくりするほど俊敏にピントが合いますが、「梅」は“STM(Stepping Motor、ステッピング/パルスモーター)”のみなので、ちょっと遅い。
実際、白鳥の飛行に追いつけない場面が多々ありました。ここはやはり、世代差と価格差。
でも基本的には特別な配慮をせず、ごく普通に撮影していることを考えれば、今回の中古レンズ購入は大正解だったと考えています。昨日に引き続き一部繰り返しになりますが、良いものは良い。
そしてひとたび結ばれたご縁は、たとえ物理的な離別があったとしても、永く続く。(3回目の)どうでしょう。